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An Enlightened Person Does Not Need to Forsake the World's AttainmentsPart2Mar.22'92 -Korea    
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神の王国を得た後 私達にはこの世界の 王国に対する 欲求はありません イエスが砂漠にいて 瞑想して いたときに 魔王が来ました 悪魔 サタンが 彼の所へ来て言った あなたが私に頭を 下げたら私はあなたに 三界を与えましょう イエスが言いました 私の後に行きなさい 去れという意味です 彼はこれを必要とせず 三界も 一界さえも 要らなかったのです 三界の王国には 第三天国が 含まれています どうかご理解ください しかしイエスは これを必要としません

仏陀が四十九日間 菩提樹の木の下で 座っていたとき  否定的な力は 様々な方法で彼を 誘惑しようとしました 多くの物を提供しても 彼は望みませんでした それで それらの 悟った魂にとって たとえ人々が王として 彼らを称賛しても それは世間の王という 意味ではないのです しかし世間の人々は これを理解できません 人は一般的に 無知と嫉妬の心で 物事を判断して 行動をとるからです イエスが生きていた時 その当時 多くの政治家が 彼を妬みました そのために彼らは 彼を殺しました

それは彼らが 彼を誤解したせいです イエスがこの世の何も 好きではないことを 本当に知っていたなら 彼らは彼の影響を 恐れなかったでしょう ですから開悟は 常に必要なのです たとえ私達がこの世に いたいとしても  天は欲しくないと してもです 中国ではこう言います まずは悟りを開くこと つまり自己修練して それから家庭の面倒を 見ることができ そして更に国の面倒を 見ることができます そうして更に世界に 平和をもたらせます

私達が自己修練を 修行するなら 私達が何も言う必要も なく 世界に平和を もたらすことができ どんな平和会議を 開くこともなく 平和は 自動的に 自然に 世界を統治します 日常生活の中で どのように 自己修練するのか それはとても簡単です 戒律を覚えて いなければなりません 守るように努力し 最善を尽します 失敗したら再挑戦です 神に頼ることです 常に神や仏陀に向き 助けと導きを 祈ることです 「仏陀」とは過去 現在 未来の開悟した マスターという意味で 彼らに真摯に 助けを求めると 助けてくれます

ですから多くの人が 教会や寺院に行って 祈りを捧げるのです しかし時には 神や仏陀のパワーに 触れることは 難しいです それで私達は祈っても 実現しないと 感じるのです それは私達の連結が 切断されたからです 電話線が繋がって いないのと同じで それでいくら その電話に向かって 話しても無駄です 騒音を立て 隣人が 聞こえるだけで 遠くにいる必要とする 人には聞こえません 遠くにいる友人でも 電話線が 繋がっていれば 今私が皆さんと話して いるように話せます

同じように たとえ神が遠く離れた 天国にいて 開悟したマスターも 大変高く遠い 仏国土にいても 線を繋げば たとえ 目に見えなくても 彼らと連絡がとれて 助けを得られます この連結は いわゆる印心 つまり「真の洗礼」を通して 提供されます ヨハネやイエスが 施した洗礼のことです ええ だから肉体の マスターが必要です でないとイエスは この世界に来る必要がなく 仏陀もここに 来る必要はありません 他の多くの聖人達も 来る必要がないのです 彼らは私達の願いを 知っていますが私達は 答えを得られません

そこで彼らは ここに来て 天国と地球の間を 直接繋いでくれます すると私達は これ以上宇宙と 切り離されません もちろん 聖人達がこの世界に 来る場合決して 多くの人が彼らに 追随するわけではなく 世界中の人が来る わけではありません しかし来る人もいます 公衆電話と同じで ないよりはましです 公衆電話を通して 他の人と連絡を とることができます たとえ個人の電話を 持っていなくても 連絡できます 同様に聖人に追随する 高いレベルの 弟子たちは 天国と地球の間を 連結する 公共の架け橋です 多くはいませんが それでも役に立ちます

もちろん 多いほどいいわけです 同様に自分の電話を 持っているとしたら 直接かつ毎日 天国と繋がれます マスター  例えば イエスや仏陀は この種の 天国の電話を設置し 奉仕を提供します すると私達が 祈りを捧げるたびに 答えを得られます 直感的にそれが 分かります または はっきり見えます これは私達の 修行と理解の レベルにもよります レベルの高い人もいて ある人は意識レベルが とても高いです 低い人もいます これは彼らの 修行背景や 今生における 修行の程度によります ある病気は 治癒できません

たとえよくある病気で あってもです 今の所 治療薬のない 新しい病気について 言っているのでは ありません これは前世と深い 関係があるからです 医師や科学者でも この世界を超越して 遠い過去世にいって 病気の原因を 探し出すことが できません しかしその人が 開悟すれば 自分で どう治すか 分かります 智慧で 治療します なぜ発生したのか 病気の原因が分かり 直感的にまたは はっきり 病因が分かります これも彼らの 修行の度合によります 高いレベルの 魂であれば 物事が目に見えても 見えなくても もっとはっきりします

修行の初心者だと もちろんはっきりは 分かりません 直感的に分かります しかしたとえ生命に ついて少し分かっても 大変助けになります 従って聖人は いつも人々を激励して 必ず開悟するよう 強調し 神の王国と神の パワーに触れることを 強調しています それは今生で 成し遂げ得ることです 死ぬまで待って 死の苦しみを体験する までもありません 死ぬ時まで待って 天国と 繋がることを 学ぶとしたら 大変限られたものに なってしまいます 私達の認識のレベルは 高くないででしょう

今生で死ぬことを 学ぶとしたら もっと高いレベルの智慧に進む 機会があります これは私達が 何かの趣味とか 新しい科学を 学ぶのと同じで 他の責務を 果たしながら学びます 普通の生活と 身分を保ちながら でも毎日少し時間を 割いて生命を超越する 科学を学びます この科学を学ぶには 学位も必要なく 教育背景も経済的 条件も必要ありません すべて無料です というのは 得た智慧は自分から きたものだからです 従って真のマスターは 決して学生から お金を取りません 

なぜなら それは 私達が再び見つけた 自身の宝だからです 私があなたの家に 隠された宝を 教えてあげたとします これは私の 手柄でしょうか 私は見返りを求める ことができません 宝はあなたのものです 私はそれがどこに あるか教えただけです 神の王国は 私達の内面にあり 仏性は私達の内面にあります 聖書に書いてあります これは真実です 「汝は神の神殿であり 聖霊が汝の中に 宿ることを 知らないのか」 聖霊が私達の中に 宿るとすれば それを探すべきです そして聞いて下さい

中で何をしているか なぜ私達を暗闇に 置き去りにしているか  なぜ神は 私達の願いを 聞いてくれないのか  なぜ生活をもっとよく してくれないのかと 神は助けたいのですが 私達が祈らないか 祈り方が間違ってます 聖書にこうあります 「叩けよ さらば開かれん 求めよ さらば 与えられん」と あなたは毎日教会や 家で祈っているのに なぜ答えを得られない のかと言うでしょう 皆さんは忘れています イエスは言いました 「求めよ  だが私の名のもとに さらば神は賜わらん」

彼の名で神に 祈らねばなりません 「私を通らなければ 誰も天なる父の元には 行けない」と これはイエスが神より 偉いという意味ですか どうですか いいえ 違います 彼の仕事なだけです 例えば私達が 大統領に会う場合 直接車を運転して 中に入ることは できません 秘書に連絡を取るか 秘書に連絡を取るか 代理人とか 来客を受け付ける 担当者と アポイントを 取らねばなりません そうではありまえんか これは 秘書や代理人が 大統領より偉いという 意味ではありません

彼らの仕事なのです たぶん皆さんは 「でも私は毎日 祈っています 私達はカトリックの国 キリスト教の国で 仏教徒のあなたに 指図される 筋合いはない」と 言うかも知れません 私は仏教徒ではなく 「神教徒」です 仏教徒やクリスチャン 共に「神教徒」です ただ神のことを 異なる国で違った名で 呼ぶだけのことです 例えば奥さんの 呼び方と同じです 奥さんのことをどう 言いますか(ケリーダ) アメリカでは 「ワイフ」と呼び 中国語では 「タイタイ」と呼びます オゥラック(ベトナム) ではボトイと呼びます 同じ事を色んな違った 名前で呼びます

ではなぜ私達は イエスの名で 毎日教会で祈っても 神の恩寵や光を受け 取れないのでしょうか それはイエスが物質の 世界を離れたからです 仕事が終わったのです 私達は「精霊」を 見つけなければ なりません それはイエスが この世界を離れる時 これを約束しています これらのいわゆる 精霊とは イエスの仕事を する人のことです イエスがやり残した ことを引き続きします 分かりますか イエスは 言いました 私がこの世にいる限り 私はこの世の光である 私は永遠に この世の光だとは 言っていません

この世に生きている 限りです そして後から 精霊を送ると 約束していました その精霊で 私達の最愛の  イエスの代わりの人は きっとイエスと同様の 能力と力があります 彼の言う意味は 彼が去った後 この世界に 光をもたらす別の人が 来るということです イエスの前にも 光をもたらす 別の人がいました そこで ある人がイエスに あなたは過去の偉大な 預言者誰それの生まれ 変わりなのと聞いた時 否定しませんでした 分かりますか 皆同じ聖霊のパワーで 違った肉体に入って 人類に奉仕するのです

だからイエスは天なる 父が私を通してやった 私ではないと言います 聖パウロは私の中に 私でないキリストが 生きていると言います 要するに同じ聖霊が 違った肉体を通して 働くという意味です というのは 全ての開悟した聖人は 最も偉大な 開悟した聖人は 天なる父と 神と仏性と 一体だからです 従ってすべての 開悟したマスターは あるレベルに達すると 「仏陀」と呼びます なぜなら彼らは 同じパワーと 同じ智慧と同じ能力を 持っているからです 分りますか 

了解 皆さんが この種の開悟の体験を 望むとしたら 私は喜んで 皆さんに提供します  なぜなら私は イエスや仏陀の 法脈を受け継いでいて このような方法で 人類に奉仕できます 皆さんが 医者や エンジニア 弁護士になって国に 奉仕するのと同じで 私はこの方法で 世界に奉仕します 仕事が異なるだけです 私を讃える必要もなく 私の仕事や 私の言葉に対し 驚く必要もありません 私はただ違った 科目を勉強し 違った学校を 卒業しただけです 皆さんとは 違う仕事をしています ただの仕事です 分かりましたか

ご静聴 有難うございました 仏教とは何ですか あなたはどんな磁場と 精神的力を 使っていますか 仏教はキリスト教と 同じです 例えば キリスト教は 人々に十戒を教えます 例えば 殺生するな 嘘をいうな 汝の隣人を愛せよ などです 仏教にも 五つの戒律があります 最低限の五戒です しかし十戒や もっとあります 最初は同じく 殺生しない 次は 嘘を言わない 盗まない 邪淫しない など等です

キリスト教では 神が最高で イエスを神の息子と 称し神のメッセージを 人類に伝える人だと しています 仏教でも 最高の神は 阿耨多羅三藐三菩提 即ち最高の仏陀が いるとしています そして仏陀は最高の 神のメッセージを 伝える人だとします 両者の教えと 原理は同様です 仏教とキリスト教の 間には何の違いも ありません 唯一の違いは 神の名称で 一つは神 一つは阿耨多羅 三藐三菩提と呼びます

どちらも 最高の神のことです 薔薇のことをローズ またはメイクイファと 言いますが同じです 分かりますか でもキリスト教は 一つの聖書しかなく 仏教には沢山あります それは釈迦牟尼仏が イエスより長生きし 弟子も多かったので もちろん弟子たちの 体験ももっと多く もっと豊富だった からです 分かりますか イエスは 聖霊を通して 私達に神の声を教え 私達に光の天使が 来るとしています

聖書に 光の天使が来るが 天使を装った 魔がいる これは行動を 見て分かるとあります (そうです) その通りです 羊の皮を着た狼です 実際聖書の言葉は 偽の預言者のことを 指していて その結果を見れば 分かるという意味です 彼は聖書が神に通じる 唯一の道だと言い 神に通じる道は唯一 イエスを通してだと その通りです 神に通じる道は 唯一キリストです キリストは個人では ない神のパワーです イエスは決して 彼個人を 崇拝するのではなく 天なる父を崇拝する ように教えています 彼は何もしていません 天なる父が私を通して やったと彼は言います

一度も個人の栄光と 功績を言っていません 私達が誤解しています 私を誤解しているのと 同じです 私は自分ではなく神を 讃えるため来ています 有難うございました キリストは去ったけど 常に私達と共にいます キリストを 一個の個人と見なして 私達と切り離さないで ください 私達とキリストの間を 隔てないでください キリストを分離しない ことです 私達は皆 キリストの意識を持ち 皆神の子なのです 皆神の子なのです これを知らないのは たぶん私達にはっきり 見えないからです 私があなたに 開悟を与えることは 要するにキリストが どこにいて私達の 内面の神をどう 認識するか教えます なぜなら神は私達の 内面にあるからです

人々は 偏見に満ちていて 神の概念は固まった 限られたものです そのため時間をかけて これら先入観を取り 除かねばなりません 聖書に 「実を見れば分る」と 書いてあります その通りです 私は聖書に反する事は 何も教えていません 同じ事を教えていると あなたは知るべきです 私に服従するように とは言っていません 私の言う意味は マスターの指示に 従うと結果が出る ということです

イエスが言ったように 「私を愛するなら 戒律を守りなさい」と いうこと 分りますか これは決して 自画自賛ではないです 毎回花や果物を 私に供養しているのは 皆弟子達の考えです 彼らは 感謝の気持ちと 愛を表したいのです たとえ私がマスターで なく普通の人でも 遠い所かから来て 疲労に耐え 長い旅をして来て 数時間皆さんに 開悟を与える事に対しいくらかの果物や 花を供養されることは 過分なことではないと 思います 経の講義をする前でも 私はこういったことは 好きではありません

居心地がよく ないのです 何だかあまりにも よく分りませんが 派手過ぎます 天なる父こそこれらの 栄光を受けるべきだと 思います そこで私は 経の講義の前に なぜ毎回花や 果物を買いますか 今日は花や果物なしに しようと言いました すると彼らは言います マスター 大きいステージに 花もなく 何もないと 殺風景です 聴衆にとっても よくなく 見た目もよくないです あなたのためでもあり あなたは沢山のお金と 時間をかけてここに 来て下さいます私達が 少しお金を使うのは 何でもないですと 従って私の意思では ありません 理解して頂きたいです 私は与えるだけで 決して取りません 私ではなく 神がしているからです 私はただ神の道具に 選ばれ 神のしもべ として人類に奉仕する ことを光栄に思います 私にこの機会を与えて くれれば感謝します いいですか 有難う
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