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An Enlightened Person Does Not Need to Forsake the World's Attainments Part4 Mar.22'92 -Korea    
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真理を追い求めるには 何が必要ですか 自分に真理の智慧が あることをどうやって 分るのですか(はい) 何が必要ですか はい 聖書にも 仏典にも 真理は 私達の内面にあると 言っています ただそれを知らねば なりません 私達は 祈りを通して 真摯な渇望を通して または能力のある 案内者や先生を通して 知ることができます 英語を習うのと同じで 自分で習うか 経験豊かな 先生を探して 習うこともできます 習うことは 誰でもできます 私達は内面にすでに 智慧を持っていて 学ぶ能力を 持っているのです いいですか あなたがまだ真理を 見つけていなくまだ 開悟していなければ 私に奉仕させて ください 私が神をお見せします

イエスが使命を 果していないまま この世界を離れたと 思いますか いいえ 彼は使命を 果たしました 彼は離れる時刻を 知っていました 彼は最後の晩餐会で 弟子達に暫くの後 皆は二度と私に会え なくなるといいました 彼は弟子達の足を 洗ってあげ 彼らに引き続き 他の人の足を洗うよう 言いつけました 足を洗うことは 人々の罪を洗うことを象徴します 人々に 光と智慧を見せ 過去の無明と 罪を断つ方法を 教えたのです

足は体の 一番下の部分です 罪と無明は 人間の最も下劣な 特性だからです これは象徴的な動作で 謙虚さを表すだけでは ありません 彼の弟子だけが 分ることです なぜあなたは在世の 神と称されますか 私にも分りません 弟子達はいつも色んな 呼び名で私を呼びます 仏陀だとか 在世の神だとか 観音菩薩だとか 阿弥陀仏だとか 智慧の仏陀 智慧の菩薩など 色々あります 彼らは瞑想の時これを 体験したからです たぶん私は 在世の神なのでしょう 分りません 

たぶん 私達皆が在世の神では ありませんか 汝は神の神殿である ことを知らないか 聖霊は汝の中に宿る と聖書にあります これがイエスと 普通の人との 違いです イエスは大変 高いレベルにまで 開悟しています 彼は自分が 神の息子で在世の神で あると知っています 他の人は 開悟していません その意識レベルに 達していないのです 例えば国王に二人の 王子がいて 一人は成長して 国王になる準備を していて 将来 自分が国王になると 分っています

もう一人はとても幼く まだ玩具を遊んだり 食べたり泣いたりして 自分がどんなに偉いか 分っていません 分らないことは 王子でないという 意味では ありません 私達は皆在世の神です お祝いしましょう 切りのない永遠の 生死輪廻において罪と 地獄の役割は何ですか 罪は誤解から 生じたものです 神の法律を 誤解したか神の法則に 対し間違った概念を 持っているからです 例えば神は 殺生するなと言います 私達は殺人しなければ いいと思うのです

私達は聖書の 神の言葉を忘れています 「汝は雄牛と 雌ヤギを殺して 私に供養するな 汝は懺悔すべきだ さもないと 私に祈っても 私は顔を背け 私は聞き入れない 汝の手は無辜の血で 染まっているからだ」 とありますね 聖書の神の言葉です そうですね 読んでいませんか 雄牛や雌ヤギを 殺して神に供養する ことが許されないなら 殺生し自分に与える ことは尚更です それでも 古代から 私達は神の法律を 誤解し 沢山の動物を殺して 私達の肉体を養います 私達が 誤解したのと 私達のいわゆる 法律学者達の 法律学者達の 不理解と 間違った概念を 説教したからです 申し訳ありませんが 私は真実を言わねば なりません 皆が 喜ばなくてもです 真理以外に私に 何が言えるでしょうか 真理で傷つく事もあり 治癒効果もあります

貴方は神がこの方法で 人類に奉仕せよという 天啓をどのように 分かったのですか

ご存知のように 修行して 開悟すると 物事ははっきり 明白になってきます 電話が繋がると 友達と連絡できる ようなものです 私も躊躇したことが あります  この仕事をしたくなかったのです 人が理解してくれない ことを心配したのです 多くの人が偏見に 満ちているのを 私は見ているからです 私は長い間続いた 信仰や伝統と異なる ものをどう解釈したら いいのでしょうか 私は一人で 単独で 多くの人と比べ 私の考えは 大多数の人と異なり 私の認識と他の人の 認識は大分違うのです

私にどうして できましょうか しかし神は沢山の 人を私に送ってきます 私が身分を隠しても 神は三回も四回も 私を見つけさせ  私を外に 連れ出したのです そこでますます 多くの人に 知られるようになり  いわゆる弟子達と 学生達によって情報が 広がったわけです これは神の意志です 神が私を公衆の前に 曝したのです 私は何回も 逃げましたが 成功しませんでした 従って服従してこの 仕事を続けています いいですか

あなたの教えが 真理だとどうやって 確認しますか さっきまで 私は聖書や仏典に 記されたことを 話しました これらは真理として 認められていますが しかし更に高い 人間の言葉を 超越した真理があって 真の洗礼と 印心を通してこそ 得られるものです 例えば 宇宙の始まりは 言で この言は 神でありこの言は神と 共にあったと言います これは普通の言語や 普通の言葉ではない ということです というのは 宇宙の初めは言葉も なく聖書もありません

従ってここで言葉は 聖霊の音であって いわゆる 神のバイブレーション 神の声なのです 印心の時この音を 聞くことができます これは神の声で 神の指示です 普通の言葉ではなく 宇宙の言葉であり 神の言葉であり 神が話している ことであり この言は神なのです すると私の話が 真理だと分ります 聖書にも 神は大きな炎 光で現れるとあります 印心の時 あなたは この炎を見ます すると私の話が 真理だと分ります 分りましたか さもないと どうやって分りますか 少なくともさっきまで 私は真理を話しました

印心はこれを 更に証明することに なります ヨハネがイエスに 洗礼を与えた時 イエスは白い鳩の ような光が天から 下りるのを見ました 印心の時あなたも 似たような事を 見るかも知れません 少なくても 必ず何かを見ます 中には違ったものを 見る人もいます 大きな炎などです またある人は 音を聴きます 神の声です 雷の音とか 沢山の水の流れる音 などです  分りますかするとあなたは 私が提供したものは 真理だと分ります しかし私が 与えたのではなく神が あなたに与えたのです 「私」はいません

さっき誰かが私に どんな霊的磁場の力を 使っているかと 質問しました 今思い出しました 私は何もしません 私は何も使いません 神がやります そうですその質問は どんな磁場の力を 使うかという事でした 私は何も使いません 何もしません 神がやるのです 本当に何もしません 今皆さんは私が話して いるのを見て私が 話していると思います しかし印心の時は 私は何もしません 皆さんの頭に水を 撒くこともしません 聖霊を使うだけです 聖霊と 炎で 洗礼します これは高等な方式です ヨハネもそう言います

あなたは聖母マリアを どう見ていますか あなたが見ているのと 同じように見ています あなたが崇拝するのと 同じぐらい 私も崇拝します あなたにとって意味は 私にとっての意味です 私の研究によって 分ったことは 人類の進化は 常に前に 前進しているという ことです (その通りです) では人間が どのように 動物や植物や 鉱物に 輪廻するか 説明いただけますか 私の概念ではそれは 退化だと思います

これを質問するのは あなたのサンプル本で この事が起こりうる といったからです 説明頂ければ ありがたく思います いいでしょう ご存知のように私達は 常に前に進み上昇し しかし時々 二、三歩後戻りします 山登りするのと同じで いつも 上に向かって上ります しかし時には 足を踏みはずして 下に転がり落ちる こともあります しかしそこで留まる わけではありません 再び登り始めます 人間は常に前に進む 傾向にありますが 時には 誘惑や人間性の 弱点により滑り落ちる ことがあります

しかし それは一時的で 山登りするのと同じく 足を滑らせて 足を穴に取られるのと 同じです 現在人間として 人間の 良い振る舞いをせず 動物のように 行動すると 動物の生を 与えられ 動物の服を 着せられます そこで動物になるのは 良くなく 霊性の成長に有害で あることを学びます これを学び終えたら 再び戻ってきます 私達は 人生の旅において 時には 慎重さに欠けます 神の法律を忘れ 世俗の誘惑に 引っ掛り または状況に 迫られて 神の子に 相応しくないことを します すると低いレベルに 滑り落ちます 

これは ただ学ぶためです 分かりますか 私達が学校に いる時と同じで 真面目に勉強せず 時々 私達はコーヒーや 音楽 ディスコが もっと好きです 時には体が病気で 勉強の支障に なります  すると再び学校に戻って 学ばねばなりません しかし永遠にそこに 留まるわけではなく 翌年上へ進みます 学校のシステムは 上へ上がること だからです 分かりましたか 性的関係について 性的関係について どんな態度を 持つべきですか 婚姻関係だけに限り 控えるべきです 性関係は愛の表現で あるべきです

肉体的な行為ですが 快楽に溺れたり 乱用しては いけません  そしてなるべく 欲求を控えることで 神を思い起こすことが できます 沢山の時間を 快楽を求めることに 費やすと神を思い 起こすことが難しく なるかもしれません 感覚的な快楽に 溺れると 霊性の成長と進化の 妨げとなります 分かりますか 瞑想を習うには 体と魂を 清潔にし 内心を穏やかに するためには 菜食が必要ですか はい そうです 菜食は私達の 体と魂を清潔に してくれます

聖書にも 動物を殺して 神に供養することも するなと 書いてあります 旧約聖書の たぶん最初のページに 神は野に 沢山の植物と果物を創った 素晴らしく 美味しいものでそれは 皆汝らの食べ物である と言っています 神は食べ物として 動物を食べなさいとは 言っていません 従って 菜食をすることは 言われた通り 神の戒律を 最大限に守ることで 私の戒律ではなく 神の法律です  私は皆さんに思い 出させるだけで 聖書の深い意味を 解釈するだけです

前回六月の講義の時 なぜ魚を殺して 食べてはいけないか よく理解できません イエスの弟子は イエスに魚を二匹 捕えてくるよう言われ ペトロ自身も 漁師だったのです (説明しましょう) 彼は取ってきた魚を 砂漠にいる人々に 分けたのです  皆がそれを食べました とても簡単です ペトロや他の弟子は かつて漁師でした それは 彼らの誤解です イエスはこういいます 漁師をやめなさい 来なさい 私の所に来なさい 私があなたを 人を捕らえる 漁師にしてあげると そうですね

魚釣りはいいとは 言っていません 引き続き魚を釣るべき だと言っていません 「人を釣る」漁師に なるべきだと言います これは人を捕まえて 神の王国に連れて行く という意味です これが一つ目の質問で 次は二番目の 質問についてです イエスは魚を食べたか という質問です 食べていません 二匹の魚を 五千人に分けたことを 信じるとしたら これはどういうことか 考えるべきです それはイエスが施した キリストの奇跡です 彼が水をワインに 変えたように  花をパンに変えられます

彼は魚も肉も 食べません 神の恩寵だけです 彼は 私を食べて飲みなさい と言ったのは イエスの肉を食べ 血を飲むことだと 思ってはいけませんね ですからその魚は 本当の魚ではないです 二切れのパンと 二匹の魚で五千人に 分けるなんて どう思いますか ただ外見だけです 見た目が魚なのです 彼の所に来た人は 全部が菜食者という わけではありません 彼らはイエスの話を 聞き聖なる人を崇拝 するために来ています 彼らは必ずしも戒律を 守り彼の弟子になる 人達とは限りません

彼らは肉や魚を 食べることに 慣れていて イエスは彼らを満足させねばなりません それはちょうど 結婚式の時人々が ワインを飲むようで 彼のお母さんは彼に 水をワインに変えて 欲しいと求めました 実際彼らが飲んだのは ただの水です 名前と味はワインでも 実はイエスの奇跡に よるものです これで分かりましたか 私はイエスが 聖人であり 神と人間を繋ぐパイプ だと知っています 神をどう定義しますか あなたの神に対する 定義は何ですか 神は 全能のパワーで 愛と許し そのものです

私達がこの全能で 愛に満ちて 寛容な パワーに触れると 私達のすべての過ちと 罪は許され 忘れられ 洗い流されます そして解脱します だから私は 今生で即座に開悟し 解脱できると 言っているのです それは全能のパワーは いつも寛大で いつも許しと愛に満ちているからです 私はどうしたら 開悟できますか どうしたら開悟 することがきますか 私の体と 精神の間の葛藤が私の 生活を成り立たなくし 難しくする場合です よく分かります 開悟するには 印心をするか 真の洗礼を 受けることです

この面で 私が手助けできます  私はやり方を習っていて 神は私が道具になる ことを許しています 人は皆 肉体と精神の 葛藤があります しかし印心後 開悟すると 葛藤は少なくなり ほとんどなくなります 沢山瞑想するほど 修行を沢山積むほど 葛藤は少ないです 神の恩寵が 私達のために 道をきれいにし すべての面倒を見 挫けると助けてくれて 私達は神の助けを受け 独りで奮闘するような ことはありません だから 印心を通した開悟と 真の洗礼が 必要なわけです

教会の聖職者が 洗礼を施すとき 神の光と 神の音を与え あなたと全能の神と 繋げてくれるとしたら あなたは 重荷を下ろされた 感じを受けます これがいわゆる 神の恩寵を通して 原罪を洗い流す という意味で 聖職者から これらの体験を 得られなかった場合 私のところで 試してみてください 今晩の話や 六月の講義 明日の晩の講義は 洗礼や印心ではありません 皆さんは何も得ません そんなに得られません

印心してこそ 神と繋がることができ すべての原罪が 洗い流され 神を見て 神の声を聴き 神の光と 神の音楽を聴くことが できます 時には 雷の音のようで 時には沢山の 水の音のようで ハープの音や トランペットの音など 聖書の記述と同じです 他にも 沢山あります 神の音は 心を癒してくれます 沢山聞くほど 心は安らかになり もっと智慧があり もっと愛に満ち 寛大になります これは私達が 得ることができる 永遠の宝物です たやすく得られます お休みなさい 神が常に皆さんに 姿を見せますように
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