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神を見つける方法 1/2 一九八九年十月十五日 米国 カリフォルニア サンタクルーズ    
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私にとって 神や仏性を 見つけることは わりと簡単でした 世事を処理する方が もっと大変です ですから 内面の神の王国や 自分の仏性を 見つけることは とても簡単だと 思います しかし車の運転は 私にとって とても難しいですし 彼のように通訳する のは難しいです なぜ内面の天国 つまり仏性を 見つけることは 簡単なのでしょうか なぜなら聖書に 神の王国は汝の内面に あるとあります そして 仏典にも仏陀は 汝の内面にあると または汝の心にあると 書いてあるからです 誰もが神は私達の 内面にあることを知り 耳にしていますが 時々私達は これを疑うのです 私達はこう考えます 「神が私達の内面に あるとしたらなぜ 見ることが出来ないか 仏陀が内面にある としたら なぜ 見えないのか」と 原因はとても簡単です

私達は常に 外を見ていて 内面を見ないからです ではなぜ外ばかり 見るのでしょうか それは私達がこの世に 生きているからです 色んな仕事をせねば ならずそれに専念 せねばならないのです 例えば 花を切り取る場合 まず花がどこにあるか 見なければなりません そして注意深く 折れないように 切り取ります またはエンジンや コンピュータを修理 するときも注意力を 集中して修理せねば なりません 私達はこの非完璧な 世界を受け入れねば なりません この世界が完璧で ないのではなく とても完璧です 完璧な人の目には 完璧です 完璧な見方で 見た場合 この世界は完璧です メガネをかけた場合と 同じではっきり見え メガネをかければ この世界が はっきり見えます 黒やピンク 黄色の メガネをかけると 世界は黒にピンクに 黄色く見えます ほとんどの場合私達は 神を忘れています 悩みや苦しみや悲しい 場合を除いてです でもほとんどの場合 それを思い出すのは もう遅いです ですから多くの人は 私と同じように 常に神または仏陀を 覚えていると 決して 間に合わない事はない と分かったのです どのようにするかは とても簡単です 私はインドの経典で こんな話を 読んだことがあります ある偉大なマスターの 神が いかに出家者や 在家の人を愛している かについての話です

両方とも神を崇拝 しますが神はどちらを より愛するでしょうか それで神は「在家者を より愛している」 と言いました なぜ在家者をより 愛していたり 彼らの敬虔さに 出家者より感動させ られるのでしょうか 私が出家者と言うとき 尼僧や僧侶を意味し 人と言うとき 男性と女性を 意味します 私達は男性主導社会に 慣れているので この 考え方を使っています 女性がこれで傷つか ないよう願いますね 神は言いました 出家者が全てを手放し 私を崇拝することは 神を崇拝することは 当たり前のことだ 彼らには時間があり ごく自然なことだ そうすべきで そうあるべきで その義務がある 彼らにとって問題なく しかし在家の人は 沢山の負担や 多くの誘惑に囲まれ その中を泳いでいる 彼らは誘惑の中で 泳ぎながら 私を 神を覚えて 私を崇拝するために 現実と闘っている 従って 彼らの献身的な精神に 感動するのだ 私を覚えてる事は中々 できることではない」 分かりますか 神が彼らを 区別するのは こういうわけなのです この話が私達に 教えていることは 神にどれ程供養したか ではなく どれだけ誠意があるか だと思います 誠心誠意崇拝し 内面の神や仏陀を 覚えていることです

その場合 私達は 毎日何をしますか 私達がそうする時 それは神や仏陀を 覚えていることです 神や仏陀は私達の 内面にあるからです これを覚えていない ということは凡夫だと いう意味です 覚えていれば それは 聖人だという意味です こういうことです この話は私達に 神や仏陀は私達に 出家者になって ほしいとか いつも神を覚えていて 欲しいわけでもなく たとえ一分でも彼の 名前を覚えてるべきだ と教えています 忙しい合間でも ほんの暫く神や仏陀を 覚えていられるだけで 重要なことです ちょうど私達に 沢山のお金があって 十万ドル寄付したとし お金が少ないのに 一万ドル寄付したとし 両者を比較した場合 一万ドルの方が 十万ドルより 偉大なこともあります

従ってこの物語の 結論としては どれだけ神に供養し どれ程長く神を覚えて いたかでなく どれ程 敬虔かによります これは 私達がお金持ちで 十万ドル寄付しても 誠意がないかも しれません  お金持ちにとっては 十万ドルは 大した金額では ないからです しかしある人は そんなにお金を持って いませんが 真摯に 人々を助けたいと願い 敬虔な心があれば 一万ドルの方が そのほうが もっと価値あります 従ってこの話は私達に どんな状況でも 常に神と内面の仏陀を 覚えているべきだと 教えています もちろん尼僧や僧侶は もっと努力し誠心誠意 奉仕しなければ なりません 在家の人は 忙しい日常生活で たとえ一時でも おいて例え一時でも 神を覚えていれば それは得がたいのです 私は皆に保証します 神のメッセージは 誰であれ神を ほんの一時でも 覚えていた人は 特にこの世を 離れる時 この世界は離れるとき つまり死ぬ時 神や仏陀を 覚えている人は 必ず天国に行きます これは神と 仏陀の約束です

神と仏陀は私達に 誰であれ たとえ ほんの短い時間でも 彼らを覚えている人 特にこの世界を 離れていく時 依然として神と仏陀を 覚えている人 誠心誠意祈る人は 必ず解脱します 「解脱」とは 仏陀の浄土に行くと いう意味です そこはとても 幸せな場所で人生の 苦しみはありません クリスチャンは それを天国 または 神の王国と呼びます 仏教では 涅槃または 西方浄土と呼びます 地域によって異なる 呼び方をしています 例えば私達はこれを 「ボン」と言いますが

彼らは「花」と言います

従って涅槃または 神の王国は 同じ意味です ただ異なる国で 異なる言い方を しただけです 従って 私は神と仏陀を 同時に崇拝することが できます そして誠心誠意 神と仏陀を 同時に拝んだあと 自分が神や仏陀と 一つになって 自分も 偉大な存在になります これが 仏陀や イエスや クリシュナが 偉大になった方法です 秘訣はとても簡単で 誰でもできます

私達が常に神や仏陀 などを覚えていれば とても敬虔な心で 崇拝すると いつかは 神や仏陀と一つになる 感じを得ます そして

私達は偉大な存在 仏陀やイエスや他の 聖人のようになります これが仏陀や イエスのような存在に なる秘訣です

誰かインドのスリ ラマクリシュナの話を 聞いたことが ありますか  今は仏陀やイエスの 話はしません 私が 皆をキリスト教徒や 仏教徒になるよう 勧誘していると 思われないようにです 私は小さい時から 両方影響を受けてます 勧誘しません 皆さんはすでに 仏教徒で すでに キリスト教徒です 生まれながらそうです 生まれ変わって再び そうなる必要はなく 生まれつきです ええ キリストの力で 生まれ キリストの力から 生まれたのです 生まれ変わる必要なく そのままで  自分の偉大さを 覚えていればいいです

次は 少し インドの宗教について 話したいと思います いつまでもイエスや 仏陀の話をすると 私が皆に仏教徒や キリスト教徒になる様 強要していると 思われるからです 皆さんは私が仏教や キリスト教 二つの 信仰を持つ家庭だと 聞いたので 私が皆を 仏教徒やキリスト 教徒になるよう強要 していると思われる 恐れがあるからです その必要はないです 私達は 生まれつき キリスト教徒で 生まれつき仏教徒で 仏性から 生まれたのです 私達は仏性から生まれ キリストから 生まれたのです 従って私達は小さい 時からクリスチャンで 仏陀の子なのです 私達は仏陀になるため またはキリストの子に なるために 生まれ変わる 必要はありません それらの人達はそれが 好きで 笑っています

スリラマクリシュナは 初めはバラモンでした

ラマクリシュナは インドで大変有名です 彼はバラモンの家庭に 生まれ ヒンズー教に 属していますが 元々はバラモンでした

最初は 彼には 先生がいませんでした

彼には教えてくれる 先生がいませんでした 最初は 先生はいませんでした 彼は寺院に通いました ヒンズー教の 寺院に行って 礼拝したのです 仏像に ヒンズー教の仏像に 礼拝しました

彼は毎日寺院に行って ヒンズー教の カリ聖母を 崇拝したのです カリ聖母は 破壊と 恐怖と否定の象徴で 彼はずっと 彼女を崇拝しました インドの人たちも 彼女を崇拝しています 彼は誠心誠意崇拝し 盲目的に崇拝しました ある日 聖母が彼の前に現れ 彼に色んなことを 教えました そして彼は聖人になり もっと智慧に満ち いろんなことが分かる ようになり 宇宙の 全てのことが分かる ようになりました

彼は誠心誠意 その仏陀を拝みました 一人の聖人 その女神は 死と破壊を 象徴するもので でもインド人はこれを 区別しません 破壊神も創造神も 崇拝します 彼はとても敬虔で 心は純粋でした 従ってその女神を 崇拝する時も 大変敬虔でした 大変敬虔でした ある日その女神が つまりその仏陀が現れ 彼に聖人になるための 道を教えました その後 彼は生命の 全ての秘密が分かり 聖人に 仏陀になったのです

彼はとても有名な 現代の聖人の 一人になりました 彼の話は大半の人は 聞いたと思いますが 聞いていますか 大分前に往生しました しかし いまだに とても有名です 知ってますか ええ いい事です 先生がいなくても 敬虔な心によって 彼は神を知りました 彼は神と繋がり 面と 向かって見ています 私達もそれが できればいいのです しかし できない人もいます できない人は 別の方法があります 私達は すでに神を見ている人 神と繋がっている人を 見つけて 彼らに 恵みと助けを 求めることです

ある人は仏陀を拝んで すでに仏陀から 世話になっていて 仏陀と面と向かって 見ることができ 仏陀になっています これは大変 素晴らしいことです

しかし大多数の人は そう幸運ではなく 彼ほど 敬虔ではありません 恐らく彼は世々代々 修行したと思います だから先生が いなくても仏陀になり 聖人と面と向かって 見る事ができたのです 私達の大多数は 心が粗く 気が散っているため そんなに速くは できません でも方法があります 私達は神や仏陀の 加護を得ている人を 見つけて 彼らと面と向かって 座り または時々 彼らを訪ねて行って 彼らの加護に 少し頼ることです これを 影響を受ける 分かち合うと言います 香水をつけている人の そばに座ると 自分も 香水の香りがするのと 同じで 森の中に 白檀の木を植えた場合 一本か二本の木でも 森全体は 白檀の香りで いっぱいになります 他の木も 白檀の香りが するのです 本当に奇跡的です 白檀の木のように 貴重な木に 思われるのです これはその特別な 品性のためです 分かりますか この世界で極少数の 人がそのような 特性を備えています さっき言った バラモンの人です この人はインドで 大変有名で世界的にも 有名な人です 彼が存命に時はあまり 有名ではなかったです 往生してから 彼の弟子達が 彼の教えを広めました 今は皆に知られていて さっき彼を知って いるかと聞いたら 皆が知っていたのです 私は一部のオゥラック (ベトナム)人が アメリカまたは他の 西側の国に来たことを 大変嬉しく思います この国は文化や 精神面で 大変開かれています 強いられることもなく 見解も狭くありません

私はオゥラック (ベトナム)人に 一部の人がアメリカや ヨーロッパの国々に 来たことを 大変嬉しく思うと 言いました それらの国では 教育体制や 宗教の信仰は とても開放的で 人々は色んな 宗教を学び 様々な考え方や 異なる学派の思想を 学ぶことができます これは素晴らしく 人々に有益です

私はフォルモサ (台湾)に六年か 七年間いましたが 最近になって 有名になったのです 約二年前です 私は突然 有名になりました 訳が分かりません 私が望んだわけでは ありません しかし 五、六年後に突然 有名になって 私は 驚きを禁じえません これはどうでもよく コスタリカに行くまで 私は驚きませんでした コスタリカで 私は初めて経の講義を したのに一夜にして 有名になりました フォルモサでは 六年もかかりました

コスタリカでは一日で 私は生ける神と 呼ばれたのです 私は前と何の 変わりもないのです 私が驚くのは 国によってこんなにも 違うということです 生ける神と呼ぼうと 生ける魔物と呼ぼうと 私にとっては 何の違いもありません 自分は自分の価値を 分かっているからです 私は人の評価に 頼りません

私はアメリカに来た オゥラック (ベトナム)人に アメリカの教育制度や 宗教信仰に対する 観念がやや開放的で 「気前がいい」 と言いました

私は台湾に六年か 七年もいましたが 有名ではなかったです ですが中央アメリカに 行った時は一日で たちまち 有名になりました 彼らは私のことを 生きた聖人とか 活き仏と呼びました 台湾では五年、六年 七年もかかりました 私のことを活き仏と 呼ぼうと 生きた魔物と呼ぼうと 私にとっては 何の違いもないと 言いました 私が驚いているのは 物事は国によって こんなにも違うのか ということです その違いはこんなにも 大きいのです ある国では 一日で 彼らは 私の前の経歴も 知らない状態で 私が少し 言葉を発しただけで  私を活き仏と呼び 別の国では五年も 六年も七年も 懸命に仕事しても 成功できませんでした そこで私は 西洋の人達は より 大らかだと思いました

私はアメリカに このような開放的な 国土に戻って来て とても嬉しかったです 大きく深呼吸をし 解放感を感じました けれども困難に 遭ったからといって 中国やフォルモサ (台湾)を諦めた わけではありません ただ皆さんに国に よって大きな違いが あると言いたいのです 皆さんの国が 開放的で 自由な国であることを 祝福します 生命は尊重され 全ての宗教は各々 自分の可能性を十分に 発揮しています

私はアメリカに このような開放的な 自由な国土に戻って とても嬉しかったです 人間の価値が尊重 されるところで 全ての宗教は 人類に貢献するために その力を発揮していて 私は呼吸しやすく 感じるのです 私はフォルモサ (台湾)とか中国を 去る理由は 決してその国が 開放的でないからでは ありません

アメリカ人や ご在席の皆さんが よく分ってくれたので 嬉しく思っている ということです 皆さんがこんなに 自由な国に住んでいる ことを嬉しく思います

さて 私達は神から 人間まで話しました ここで終わるのでは ありません 今朝ステージに 上がる前私は 「神様 あなたについて 何を言えば いいのでしょう 全てご存知かも 知れない」と考えて しかし私はやらねば なりません 既に今日 手配されている事です 私の弟子と 修行仲間たちは 私の出席が どうしても必要だと 思っているのです もしかしたら 皆さんの善良な本性と 潜在能力と 最高のパワーを喚起し 希望を捨てないよう あなたがすでに この道にいるとしたら 二度と忘れないよう 喚起できるかもしれず なぜ是非 神を覚えている必要が あるのでしょう これは 唯一の あらゆる 苦悶と全ての圧迫感と 意気喪失 悲しみ 苦しみを離脱する 方法です いったん神を知ると 私達はどんな事にも 動揺せず 私達を恐れさせる事は 何一つなく 非常に安全感があり 愛され守られます

ここに来る前に 私はこのステージに 上がって何を話したら 良いのかと言いました 観衆の皆さんはすでに 分かっているかも 知れません 彼らはすでに自分の 内面の仏性や神の 王国を見つける方法が 分かっているかも しれません 壇上で何を言えば 良いのか 退屈したらどうしよう

しかし私はやるしか なかったのです この国の弟子達が 私を招き 私はそれに 応じて来ているのです 壇上に上がるだけです 私が壇上に上がり 同じ事をもう一度 話すのも悪くないし 場合によっては まだ自分の仏性や 神の王国を見つけて いない人がいても 再び思い出し 二度と 忘れずにいられるかも 知れないと思いました 皆さんが すでにその過程を 見つけた人は 後ずさりしないで 忘れないで欲しいです 神に感謝することです なぜ神を覚えてないと ならないのでしょうか それは 神を覚えていないと 私達は孤独で あらゆる生活の 惨めさに圧倒されます 堪えられなくなるまで 圧迫されます 神を覚えていれば ある日私達が開悟し 自分の仏性や 神の王国を知ると 私達を圧迫するものは 何もありません 何も私達を怖がらせる ことはできず  後ずさりさせられず 苦しみもなく そう簡単に私達を 揺さぶれません 従って 幸せになり 自由自適な感じを 得たければ必ず 神を覚えている事です 常に神が私達を助け 守ってくれていると 思うことです しかしそう考える事が 難しい時があります 私達が自分の内面の 神がどんなものか 仏性がどんなものか 実際に見なければ 時には 少し動揺することも あります 従って私達は毎日 瞑想して仏性の特性を 研究せねばなりません

私たちがこの目で 自身が持つ神や 仏性を一回か二回 見ていない限り 少なくとも時々 いわゆる 神や仏性の最高の パワーを一見しない 限り 神を信じるのは 難しく 神や 仏性に対し 揺ぎない 信念を持つことは 難しいと思います だから私達は 神を忘れたり 信念が揺らぐのです だから 開悟が必要で  神と直接につながる 必要があるのです 信念は神と接する 第一歩です 第二歩は 最も重要で 直接神と繋がる事です これは私達の両親が 私達に沢山の財宝を 残してくれたことを 知っていますが  見ていないと信じられ ないのと同じです 人にこれを話す時も 慎ましやかで  依然として貧しく 一文なしで自信もなく 立派でもありません 自分に財宝がある事を 人に 信じてもらえません

これは私達に沢山の 財宝がありますが それを見ていないし 開けて見ていません 従って人に これを話す場合とても 慎ましやかで自信も ありません 自分には 金があると言っても 大富豪の振る舞いは できません 大富豪は自信に 満ちた口調で話し 人々は彼の話を すぐ信じます しかしお父さんから 財宝を受け継いで いることは 知っていますが 見たことがない場合 その話をしても 説得力がありません 説得力がありません 従って自分の財宝を 必ずみてこそ 少しは自分のために 使うこともできれば 違った振る舞いも できるのです

いったん 両親が残してくれた 財宝が見つかると 私達は自信に満ちた 振る舞いができる だけではありません 人と接するとき自信に 満ちた態度をとる ためではなく 財宝は 私たちに役立ちます 様々な面で役立ちます 宝物を 奥にしまっておくと 何の役にも立ちません 飢えて少しばかりの お金のために毎日 働かねばなりません 同様に 財宝の偉大な力は あなたには想像も できません それは 内面にあり 私達が 使うのを待っています この世界で ごく少数の人しか このパワーを使わない としても この世界を すでに天国に することができます ただ極々少数の人しか この力を使いません ごく少数の人しか 使っていません仏陀や イエスやソクラテスや クリシュナ ムハンマドなどです ごくわずかです 近代にも 何人かいます スリラマクリシュナ ヴィヴェカナンダ パラマハンサ ヨガナンダなどです これらの偉大な人は 自分の偉大な力の 使い方を知っています それが一般人と 違うところです 大多数の人はそれの 使い方が分かって いないために 凡夫で 不幸で 無力なのです 自分も他人も助ける ことができません 違いはこれです

私達と仏陀 その他偉大な人達の 違いは 彼らは自分の仏性を 運用でき 神が いわゆる内面の 神の王国が または 内面の仏性が 私達に与えてくれた 力の運用方法を 知っているのです でも私が言ったように この世界で何人かの人 一部の人だけでも その力の運用方法を 知っていて その智慧の運用方法を 分っていれば 私達の 世界はとっくに天国に なっていたでしょう この世界の人が全員 その力の使い方を 知る必要はありません ほんの一部で十分です 残念ながら余りにも 少ない人しか自身の 本性の運用方法を 知りません ほんの 一握りの人だけです 例えば 仏陀 イエス ラマクリシュナ 近代では ヨガナンダ ヴィヴェカナンダ ラマクリシュナです オゥラック(ベトナム) にも何人か聖人がいて 例えばつい最近の カオダイ聖人です 以前にも 仏陀がいました つい最近 預言者 フイン フー ソーや その他の聖人ファム コンタックがいます つい最近の預言者で もっといます 他にもいますか ココナッツ聖人です ココナッツ聖人ですか 素晴らしいです ココナッツ聖人は既に 仏陀になったのですか

素晴らしいことです オゥラック(ベトナム) 人で仏陀になった 人がいて大変 素晴らしいと思います 彼はとても有名だと 聞いています 素晴らしいことです 嬉しく思います

オゥラック (ベトナム)にも 在世の聖人が何人か います その一人を 現代のココナッツ聖人 と呼びます なぜココナッツ聖人と 呼ぶかというと 彼はココナッツの 木の下に住んでいて 社会との交流が ありません 自分を分かる人は誰も いないと思ったのです そうですね

たぶん彼は誰も自分を 分かってくれないと 思い ココナッツの 木の下で孤独に 座っていたと思います 私達が 道を得た場合  本当に孤独を 感じます この世界で 道を得た人は そう多くはありません 何を言っても 分かってくれる人は 多くありません 中傷しないだけで もう良い方です

だから私達の世界は いまだに深い苦難と 紛糾でもがいています 私が皆さんと 自分が学んで 熟達している秘法を 分かち合えば 皆さんが自分の偉大な 力を運用する方法を 知る手助けができて 皆さん自身と友人 皆さんの国の助けに なるかもしれません 最も重要なのは 宇宙全体にも 有利です 私の開悟の目で見ると 全宇宙は 宇宙の全ての存在は 互いに関わりあって いるからです 私達の本質は同じで 私達の本質は同じで 私達は一つなのです 私は本で読んだのでは ありません この目で見たのです 従って あなたが 苦難の中で生きてると 思うとしたら 生活がうまくいって いないと思うとしたら 神に見捨てられたとか 自分の目でまだ神を 見たことがなければ 助けさせて下さい 私達と共に神を見ると 神が見つかり あなたも私や 私達の修行仲間と同様 幸せになります これを私たちは 複数回試しています すでに数千人が 試していますが 失敗者はいません 私達が伝授した法門で 失敗した人はいません 従って私はますます 誰でも信念をもって 私達の所に来て 修行すれば 数日で ひいては 一日で大きく 変わると 確信しています あなたにはすでに 良い法門と 良いグルがいて すでに開悟して 神を見ていれば それは素晴らしい事で めでたいことです まだなければ まだ疑わしければ 私達の法門を試して 見て下さい 以上です

私は自分の目で 仏陀の目で第三の目で 見たと言いました 全ての衆生は一つだと はっきり見ています 私は経典を読んで 皆さんに 話しているのはなく この目で見たのです ですから私は 人を助けることは 自分を助けることだと 信じています 人が苦しんでいれば 私も苦しいのです 全ては互いに 関わり合っています 数千人の 私の弟子達が この法門を修行して 開悟し 利益を得ています 初日に 二日目に 三日目に たった数日で ひいては一日目に すでに利益を 得ています これは彼らの レベルによります 利益を得ない人は 誰もいません 苦痛が少なくなって いない人は 誰もいません 開悟していない人は 誰もいません 従ってこの法門は 素晴らしい法門だと 私は信じています どなたでも すでに開悟し すでに真理を得て すでに内面の祝福を 得ていれば  嬉しく思います あなたは自分の先生や マスターのことを 研究する必要は ありません  自分がすでに 開悟したと信じ 幸せで 満足していれば それは素晴らしい ことです あなたが開悟してなく 依然として 自分の仏性を疑い まだ苦痛を感じ 内面の平和に 欠けていて 開悟していなく 仏陀の光と 仏陀のメロディーを 聞いていなければ 私達と学んで下さい 私達はあなたと幸福の 瞬間を分かち合い あなたの苦痛を減らし あなた自身を助け すでに他界した両親や 先祖を助ける ことができ あなたの 将来をも助けます またあなたの国や 宇宙に平和をもたらす 手助けもできます 私の話は 以上で終わります

これで終わります 私の話はここまでにし 質問を待っています ありがとうございます 結婚は夫と妻の 神聖な結びつきで あるとしたら そして夫は あなたの霊修行に対し 協力的であれば また多く聖人や マスター達は 結婚していながら 開悟しています なぜあなたはご主人 から離れたのですか 彼はあなたと共に 開悟することは できないのですか 結婚の形ではなく 少なくとも兄弟や 協力的な 仲間の形では いけなかったのですか おっしゃる通りです あの時私はまだ 開悟してませんでした 私は神を求めることに 夢中で 世間の苦痛を 減らしたかったのです 私は夫や多くの責任を 抱えては達成できない と思ったのです 全てを手放すと 神は私を同情し 私の誠意を分かって くれると思ったのです 全てを手放さないと いけないと思いました 皆さんはそうしなくて いいです心配ないです 手放さなくていいです さっきも言いましたが それでいいのです 私はこれでよくて 彼は彼で よかったのです 彼には彼の仕事があり 私には私の仕事があり 私はこれで人々に 奉仕するのが最良です 赤ちゃんがいると 皆はどう思いますか 経の講義をしながら 赤ちゃんにミルクを 飲ませるのですか それに夫の協力が あるとしても 夫としての要求が あるわけです 分かりますか

私は日夜 世界中を飛び回り 人々に奉仕することは できません 他のマスター達の ことは分かりません 私の場合は違います 人によって違うのです 在家の人でよければ 在家でいいし 全てを手放したければ 全てを手放して いいのです 世界には様々な人と 様々な異なる分野の 人達がいて 奉仕を待っています 夫と別れたのは 人々に奉仕する ためです 嫌だから ではありません 悪い動機では ありません 分かりますか 動機をみることです 何をしたか そして結果はどうかの 問題ではありません 私の夫は私を誇りに 思っていると思います 彼はそう言いました 今 彼は幸せだし 私も幸せです 一人や二人だけを 世話する生活は 私は好きでは ありません 私は 全人類に奉仕せねば なりません 彼は協力的ですが 今私一人の方がより 多くの事ができます 分りますか 在家ではどんな所でも どんな国ででもいつも やりたいことかできる わけではありません  在家の人の限られた お金ではできません 義理の姉妹や 姑に誕生日の プレゼントを用意する など こういった 雑事をしていると 皆さんに奉仕する 時間はあるでしょうか 私は有名になってから 毎晩仕事をしています 時には午前 二時三時まで 印心したり 人々の世話を しています そして五時には 起きて瞑想します 夫の世話をする暇も ありません 昼間は家にいないし 夜はずっと人々と 一緒で 朝は瞑想です 子供が欲しく 妻の世話を 求める夫にとっては これはいかがな ものでしょう 私は完全に人々に 奉仕したいのです

ええ菜食になることは この大問題に大きな 影響を与えられます それは生物多様性の 損失のことです
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