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「神と一体になることは為さずして為すこと」1/3 一九九三年三月十四日 オーストラリア メルボルン    
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新しい「オールド」 首相を迎えたことを お祝い致します 貴国は多くの国々から 羨望の目で見られます これは私が初めて 空港に到着し 一時的な住まいまで 車で移動した時に 受けた印象です とても清潔で 新しく 大きく広くて  人々は近くに住む 圧迫感を感じず 暮らしています 本当に清潔で 人々は 大変友好的で 空港の 警察官でさえとても 親しみ深く 誰が誰か よく熟知している みたいでした 単に法を遵守し いわゆる 法を守っている良民を上から目線で見たり しないのです 彼らが私達を見た時 何も問題は起らないと 一目で知り 何もチェックされず 荷物検査を通過する ことができたのです これは私達のような 団体では非常に 稀なことです 沢山の 人々 機器 ワイヤー マイク イヤホン等 全てがあるからです ええ それは本当に 暖かい歓迎を受けたと 空港で感じました 私は世界中を 沢山旅しているので この事は大変稀だと 思うのです それで私は何人かの 警察官 今日ここに お越し下さっていれば 感謝を述べたいです いなければどうか あなたの国の人々の 善良さをこのまま 喚起して下さい 世界中のどこの国も オーストラリア同様に なれば私達はそれほど 心配しなくても 済むようになります そしてまた あなたの国は異なる 宗教における信教の 自由が尊重されていて 嬉しく思います 私が最初に来た時 第一日目 多くの人々が私を訪ねて来ました 彼らは地元出身者で または貴国に移民した 人々でしたが 完璧な英語を話しました

彼らがあなたの国に 異なる信仰があると 教えてくれました この国には異なる 瞑想を修行する団体 異なる信仰 異なるいわゆる宗教の 宗派があります オーストラリアの 人々が非常に霊的で 心が広く全ての事柄に 良い影響を与えている ことを示しているのが 分かります そして彼らは私に どの種の宗教を 教えているか または提唱するかと 既に聞かれている時に 私は空港で警察官にも 尋ねられました 彼は興味を持ちました それで私は彼らに 私は何も特別な宗教を 提唱をする意図がない ことを言いました 私が集めた情報で 私がここに来る前から 貴国には十分な宗教が 既に存在している事を 知っていましたから そうでしょう 皆さんの笑顔で 本当だと分かります それで彼らは私に 「何の為に来ましたか」 と尋ねました 私は「まず貴国を 知りたい事 沢山の オーストラリアの事を 聞いていましたから 非常に興味深く 魅力的な国であると 多くの人々がその事を 知っていて 私は幼少時からそれを 聞いていましたが ここに来る機会が ありませんでした まず貴国と人々を 知りたいです 二番目に 私達が知っている事と 彼らが知っている事を 分かち合いたいと 思うのです」と ここ数日私はまた 学ぶのに 忙しかったのですが 共有する機会を 得ました 今日は私が皆さんに 共有できる機会です 既にご存じの事かも しれませんが 知らない方もいると 思います この時代は非常に 進歩していますね

通信システムは 殆ど西側諸国の人々 例えば米国 オーストラリアでは 瞑想 信仰心の 沢山の体系を 知ることができます それで宗教が私達には 十分にあるという 訳なのです 全ての宗教は人々を 善良で善行を 神を 仏陀を思い出す ことを 奨励しています 従って 私は再びその ことを思い出させよう とは思いません 私の弟子が ここ美しい国に 私を招待した 理由は 彼らは これほど 平和な国に住み オーストラリアの 人々にこの 幸せと自由の 時には この国には ないものに恩があると  思っています それで私に紹介する

ように望みました それが 観音法門による 瞑想を通して 得られる幸福を 共有する事なのです 観音とは中国語の 言葉です 私はフォルモサ(台湾)で始め どこかで始めるべきで ですから それで殆どの用語が 時に 非常に仏教のようで 少し中国風なのです しかし 西側諸国では 私達は何ら この用語を区別する 必要はありません つまり観音とは 中国の言葉で 振動を 観察することです 私達の内面の「言葉」を 観ることであり この言葉は聖書の中 でも言及されています 「始めに言があった 言は神と共にあった 言は神であった この言は始めに 神と共にあった」

私達の内在の 智慧を沈黙し観察する ことにより私達は 神と接触するのです そういう理由で 私達の全ての幸福 全ての欲求に終わりが 来るのです 私達が欲求から 離れるのではなく 私達の欲求が 離れていくのです ある人々は 「内在の無上の力」と 呼びます イエスが地上に降りた 時 彼は宣言しました 「私の内におられる 父がその業を 行っている 誰であれ 私の名によって 何かを祈るなら その願いはかなう」 ご覧なさい なぜ 当時 人々はイエスを 通して祈ったのですか なぜ直接でなく彼の 名を通したのですか それは当時 人々は いまだ自身の内在の キリストを発見しては いなかったからです しかし後に 彼は弟子に 最高の智慧を授け 彼の弟子達に再度 その事を教えました 「何であれ私ができる 事は汝もできる 汝は更に良くできる」 なぜマスターより 良いのでしょう それは単に どのマスターの本質で 非常に謙虚で 人々を 彼ら自身の足で立てと 励ましているからです 彼らの偉大さを知る事 それは 彼ら自身の内なる神を認識することであり 彼はこのように 言及したのでしょう またなぜより良いのか それは 彼は次世代のことを 知っていたからです 宗教に対し自由で 宗教の信仰が広がり 彼が生まれた時代より 素晴らしい時代が 来ることを 彼は 彼の弟子が 彼らの体験を通して 彼の名の下に話し 臨在するマスターの 偉大さ 同様に 彼らが体験した天国の 神について表すことが できる自由がある事を 知っていたからです 知っていたからです

いかに偉大なイエスの ようなマスターで あっても関係なく 自身を称賛することは 彼らは謙虚すぎて 言わないのです しかし 弟子達は 彼よりも良く話しが できるのです より 自由にマスターを 称賛できます でもそれが マスターが自身を 称賛しない理由で またマスターが神と 共にあるなら マスターは自分の事を 宣言などしないのです 彼が真のマスターなら マスターがしている 感覚などないのです イエスや他の救世主 地球に恩寵を与える その者を信じるなら 私達は知るべきです 自身が偉大であり 私達は神の息子 娘であり 自身が 最高のマスターで あることを しかし 私達は自身の この内なるパワーを 見つけていないために 疑問を持ち 懸念し 欲求があります それは私達が内なる 神の力と 繋がらない限り 完全には果たされない 事なのです 私の弟子が私に ここに来るようにと 誘う理由は皆さんと その最高の神と 連絡をとる方法を 共有するためです その神は 皆さんの中にいる よく聞かされてきた 御方です 全ての聖書 それぞれの宗教で 記載されている方です 私はあなたの信仰や 信条を変えるために 来たのではありません あなたを仏教徒にとか クリスチャンにとか イスラム教徒などに するのではありません

あなたが信じる宗教は 何であれ 正しいからです あなたが 自身の宗教が基づく その最高の力と 連絡をとる機会が なければ 私達はそれを認識する 手伝いをします それはとても気楽で 愛する友達から花を もらうように簡単です

常にそこにいるからで 「神を知ることは 非常に難しい」 ある人は私にそう言い でも私にとってそれは まったく実に簡単です 子供のゲームのようで 私がいつも意外に 感じるのは  その最高の力に 波長を合わせない 人々と会った時です 私はいつもそのたびに ビックリします どうして彼らは それを知らないのか どうして彼らは 自身の偉大さを見捨て 否定的な感情や 苦しみで 人生を送るのか 自身がどれほど 偉大かを知らずに 印心した後で 私の多くの弟子は 私を仏陀とか マスターなどとか 神の娘と呼びます ええ受け入れます でもあなたも同じで 子供から 老人に至るまで同じで 私と違う人など 一人もいません 私が持っているものは 皆さんも持てます 私が得られるものは 皆さんも得ます それはすぐに 証明されます  あなたが象徴的な過程 いわゆる印心を通して 自分の偉大さを 受け入れた後で 私の全ての弟子がその 真実を証言しました

よく言われるように 木の良し悪しは その結ぶ実で分かると 私達が話すことが ただ人づてに聞いたり 理論だけだったり 話によってとか 推理によってとか 議論によるなら それは真理の半分だけ 私達は自分が話す事と 聞いたことを 証明せねばなりません そういう訳でイエスは 人々に言ったのです

「見てはいるが 知覚せず 聞いてはいるが 理解していない」と 私達が見ても分らない という理由は 私達がただ肉眼で 見ているからです

それは神の創造物の 一部分に過ぎません 私達は創造主に会わず それらすべての 素晴らしい創造物の 背後にある意味も 後ろにある意味も 神は愛であり 神は全能であり 神は遍在であることも それらの本当の意味も 完全に知覚しません

もちろん それに気付いた 人もいます なぜなら現代は 通信網が 素晴らしいからです すべては 社会全般に 公開されます それで体系の多くが あなたに あなたの国に そして 異なる国の他の人に 紹介されました それでおそらく あなたは私達の教えに 類似した幾つかの教え  またはあなたに 神の王国を示すことが できる法門を 知っていたのです 私が「法門」と 言う時 それは全く 法門でありません 私達が 光と音を伝授する時 私達はどちらも 話さないからです 神の王国を お見せするためには 人間の言葉を 必要としないからです 聖書にも同様に 言及されています 神を知るということは 通りで または隅で 大きく祈る事によって ではなく 騒ぎたてる ことではありません しかし秘密の隅で あなたが祈ると 父なる神は貴方を知り 秘密に行うことを知り 父なる神は公然と それに報いる 私達が秘密裏にする事 それは何ですか それは私達が 瞑想する時 智慧  私達自身の秘密の隅に入ります それから私達が その部屋に入れば 入るほど それは知性として 智慧として 慈愛として 仕事の効果として さらに表れ この世に奉仕します

現在 私の弟子は皆 または彼らの殆どは 生活の中で 多くの奇跡を 経験しています ほら 私達の多くは 奇跡が好きです 私がどこに行こうとも 人々は聞き続けます あなたは奇跡を起こす この男性あの女性を 知っていますか こういうことや 他のことすべて 私は常にそれを聞き 「この治療者について 知っていますか 最も偉大な治療者で 手をあなたにかざし あなたは癒されます」 等など 私は言います

「それは素晴しいです それなら 全世界は もう病院を 必要としません」 皆は奇跡が好きです それは 私達の内面の弱さです ええそれは正しいです それで私は時々これら 何人かに話しました これらのすべての 治癒力 奇跡は あなたのものです あなたがそれが欲しい なら それを得ます どんな奇跡を起こす人 どんな治癒者さえ崇拝 する必要はありません

彼らの行いは偉大です でも あなたは同様に することができます イエスは約束し 私達は現在イエスが 言ったものが真実か どうか確認します 私は確かめました

私の弟子の多くは 世界中の彼らの数千  数万 数十万が 確かめました 自身で確かめたいなら それはあまり 難しくありません そしてそれはまもなく 行われます 私達の弟子の大部分は 私達の修行仲間は 私は通常彼らを「修行 仲間」と呼びます 彼らを「弟子」とは 呼びません あなたに話しては 忘れるからです 私は彼らを 「修行仲間」「兄弟」 「姉妹」と呼びます それは私達が互いに 呼ぶことです しかし彼らは私を 「マスター」呼びます 私はわずか一人で 彼らは余りに多いです 私は勝てず それで 時々私は忘れます 私も自身を「マスター」 と呼びます しかしこれは 高慢心でありません ちょうど非常に自然で 自発的な反応です あなたを「マスター」と 呼んでも構いません ただ あなたが聖書の 言葉と光である 天国の光と天国の音に 集中する修行を通して 生死の道を マスターした後でです 私達はすでに人生に おけるそれほど多くの ものを知っています

私達の多くは社会で 高い地位があり 科学 生物学と その他のものに ついての大きな知識を 備えています しかしこの世には もっと学びたい事が あり 私達は発見の 世間のレベルで立ち 止まってはいけません しかし私達は 神の王国のさらにより 高い次元に入り 続けねばなりません それで 私達は この物質界を去った後 どこに行くか選びます まるで あなたの国への移民の 多くのようにあなたの 土地を選びました そこは平和であり おそらく彼らの国より 彼らの本国のいくつか よりもっと安全で より愛情に 満ちているからです 同様に  私達の世界は美しく でもこの世界を超越し この上なく美しい 全く素晴しい 世界が存在し 私達は 選択する事ができます 神の王国には 沢山の大邸宅が あるからです 私達が印心後 修行すれば この法門を修行すれば 私達は即座に この王国の一部分が 分かります 私達の殆どの弟子は これを知っています こういう訳で彼らは 同じ幸せを他の人と 共有するために 常に私をあちこちで 招待したいのです 彼らは それは独りで できないと思いました 彼らはできます でも 私は多分それについて 良く話せると思います しかしそれは時々 彼らの間違いです しかし人々が私に あまりにも繰り返して 要請するなら 断ることができなくて 来なくてはなりません さもなければそれぞれ 皆さん一人ひとり 神を知った後 神の王国を知った後 皆さんにもそれを 他の人と共有する 力がうまれます するかしないかは あなたの自信に よって決まります あなたがより長い時間 修行した後では  より大きな自信があり そしてより大きな 知識を得ます それであなたは何を 話してるか分かります

私は神の王国を 知る前に  常に良いことをしたり 仏陀にお辞儀したり 教会に行ったりすれば これで 十分だと 考えていました しかしその後心の中は 何かが足りない ように感じました 理由を話すことの できない何かが私を もっと知るように それ以上に知るように 押していました 前に  私は教会に行っても 何もそんなにたくさん 聞きませんでした 私は神にあなたが 存在するなら私に 明らかにしてあなたの 偉大さを知らせて 下さいと祈りました 仏陀にも 同じく祈っていました その時 仏陀は 現れませんでした 神は私を気に かけませんでしたし 仏陀も無視しました 非常に苦しんだり 泣いたり 真実を祈願した後 これを得られました しかし伝達を通して 観音法の修行を通して 私たち自分自身である 音や振動を  観ることを通して これが得られたのです 私たちの世界は よりよくなっています なぜなら今までの歴史 中そのような貴重な 法は公開されなかった からです これは当然 マスターが世界で それを人々と共有する ことを望まなかった というわけではなくて 昔は迫害がありさらに コミュニケーションが 難しかったためです

今は私たちに テレビもあります 新聞もあります ラジオもあります さらに今は たくさんの人々が 古代は秘密を通して  困難を通して 長年の 検索を通してこそ 得られた この貴重な法を 修行しています 私はこの法を広げる 唯一人ではありません さらに何人もいます 現在の私たちの世界に 神の王国を知る 聖人の生活様式で 生きている 悟った たくさんの人々が いるのです という訳で 私たちの世界は よりよくなっていると 思います 国家間のすべての 不一致さえゆっくり 最小となっています 全世界を悩ませた 政治的な戦いの 政治的な戦いの 多くでさえ 非常に短い時間内に より少なくなりました 私たちが天国の 智慧を修行すれば その理由があるのを 知ることになります なぜなら 多くの人々が悟り そして 人々の健康のための 霊的な幸福のための さらに 経済の成長のための たくさんの新しい 発見があったからです すべては より良く約束され より多くの人々が 天の方を向くなら 全ての癒力や 魔法のファンタジーと 接触するようになれば その時世界は 天国になります その時私たちはたぶん 他の惑星や天国へさえ 行くことを切望しなく なるでしょう

なぜなら天父が私達と 一緒にいるからです なぜなら 私たち全員が父と ひとつになるからです それは素晴らしい 夢のようですが 実現するかも知れない 世界の終わりを恐れる 必要がありません 私達はこちらを 天国に変えるからです 神は私達の世界を 破壊しません 世界が神の子供達が 住むのに相応しく より良く 素晴らしい  場所になるなら 家がぼろぼろになる時 それだけを壊して 新しいものを 構築するのです さもなければ 家が 修繕されて無傷で あるなら それを 倒さないでしょう 多くの人々は世界の 終わりについて 私に尋ねます 私はそれを信じますか それが怖いですか それに何をしますか 私は言います「はい 私はそれを信じます」 私は言います 「神には創造力があり 世界は彼の子供たちの 住む場所として 不適合であれば  神はそれを破壊します しかし いいえ 私はそれを恐れません 私のポケットの中に 神の王国がある からです 今生あるいは死後 どこでもそれを持って 行けます 私の天国を 決して失いません ですから 世界が 終わるかどうかは 重要ではありません 私には関係ないです」 でも何をしますか 私は何もしません もちろん あなたが 尋ねてくるなら それを恐れる必要は ないと気づかせます 私達が死ぬ時 この世界の末日です そうでしょう それで世界はいつでも 終わるかもしれません 時々 事故でさえも それで 私達が 心配するものは 世界の終わりでなく 私達自身の終わりです 私達が天国への 長い旅行の準備 できていないなら 心配すべきです さもなければ 神の意志のほかに することは 何もありません

すでにキリスト教の マントラを学んだが 変えねばなりませんか 変えなくていいです あなたに有利であれば そのマントラを通して 本当に神と 接触できるなら 神の光を見る ことができ 神の声を聞くことが できるなら 変える必要ありません 光と音を通して 明らかに 神のパワーを 体験できないなら あなたが望むなら 変えねばなりません 望まなければ当然 変えなくていいです 「神を畏れる」とは 何を意味しますか

神を畏れるの意味は 神の法律を尊重し 神の戒律を尊重します 神を怖がり あるいは神を怖がる 意味ではありません 神を畏れるとは 全ての創造者である 神を尊重する意味です 神つまり私達の本性を 喜ばせるために 公正で徳が高く なろうとします 神を畏れるとは 神を尊敬することを 意味するからです 私達は智慧があり 決して間違ったことを しないという意味です 神が非常に恐ろしく 神と離れた所にいる という意味ではない なぜ 悟るために 一日に二時間半 瞑想しベジタリアンに ならなければ ならないのでしょうか 悟るために ベジタリアンになり 一日に二時間半の 瞑想をする必要は ありませんが 悟りを保つにはそう しなければなりません 悟るにはそうする 必要はありませんが 続けてそうしないと 悟りを保てません 私達に内なる素晴しい パワーがあります このパワーを開く時 混乱や不安をもたらし 私達の体と心に 強烈な経験を もたらす事があります このパワーを保ち 耐えるには 浄化して 準備すべきです

私は若い時から今日に至るまで 真理を 追求してきました 私はずっと生命の 意義について考え 自分自身に問います 生命とは何か 生命の意義とは何か なぜ私はここに いるのかと しかし 答えもこれに関する 説明も見つかりません 私は本屋へ行って あらゆる 人生の意義や 幸せや 心の平和についての本を買いました 私はかつてノーマン ビンセントが好きで 何でも読みましたが 私の役には 立ちませんでした 聖書も読みました プロテスタント教会に 行って洗礼に参加し 生まれ変わった クリスチャンにも なりました  これは神と一つに なって イエスが常に そばにいてくれると 言われたからです 生まれ変わった クリスチャンになり しかもこうしてこそ 始めて神と一つに なれると言われた からです これをしましたが 何の変化もありません 相変わらず 悩みが絶えず 毎日機械のように 十時間も働き 経済的な問題や 家族の問題 家族の不仲 子供や妻や 親戚のことで 悩んでいています

幸せは ほんの短い間の ことで 幸せの後はまた 悩みが 募るばかりで 生きていて 無意味に感じました そしてある日偶然 リッチモンドの本屋で マスターチンハイの サンプル本を 見かけました その時私は チンハイマスターは 誰で どこから来たか 国籍はどこなのか 知りませんでした 私は二冊いただいて 一冊は妻に もう一冊は自分にと 思いました とても きれいな本でした かなり費用をかけて 印刷したような きれいな 本でした瞬間 この本を読んだ 暗闇の中を 歩いている自分が 突然光に 囲まれているのが 見えました 私はその本を妻に あげました 彼女も それを読んだようで 翌日私が彼女に 「ねえ ぼく達 菜食しないか」と 言ったら彼女は 「いいわ」と答えました お分かりですね こうして私達は 一八〇度方向を変え 変更してその日から ベジタリアンに なりました マスターの 加護と教理が なかったら できなかったと 思います

というのは 妻は 今までの生涯 ずっと 肉を食べ 野菜には 手もつけない人でした 私達は もっと多くの マスターの本を読み もっと多くのビデオを 見てマスターの教理を 理解したいとしました 読めば読むほど ビデオを見れば 見るほど 深い意味を分りやすく 説明した教理に 崇敬の念を 禁じ得ませんでした 印心を待っている間 私達はサンプル本に 書いてあった内容に 従って瞑想しました 私はマスターの 化身を見て 彼女は私に多くの事を 教えてくれました 印心後 私は真に マスターが常に 側にいることを感じました 私が 困った事に遭遇した時 または弱いと 感じる時はいつでも 人間として 私が弱くなった時 在世のマスターが いることによって 再び生まれ変わる ことを強く感じます 在世のマスターなしに 私達は生まれ変わる という境界を 感じられません 印心後 私は マスターがずっと そばにいると感じます たとえ 数千里離れた フォルモサ(台湾)や アメリカにいても 常に私と一緒にいます 私は常に感じますし

マスターも私に 分からせています 私がマスターの 弟子になってから 最も大きな体験は 心が穏やかに なったことです 私は静かに暮らして います なぜなら 真理の意味が 真理の意味が 分かったからです 私達はみな 内面に神がいて 神性や 仏性があります この世界で物質的な ものだけを楽しみ 無意味に死んでいく ため生きるのではなく 在世のマスターの 指導の下で 神と一つになる修行を しなければなりません 在世のマスターの 指導の下で 今生で極楽または 涅槃の境地(最高の極楽)または 神の王国に到達できる これらはいずれも 私自身の体験です 瞑想すればするほど マスターに従い 感じれば感じるほど より幸せになります 世界中の数千万の マスターの弟子と 同じように 在世のマスターこそが 私達を助けて 真の家に帰り 仏性や 神性や 天国と一つになり 永遠に解脱できると 信じるようになります マスターチンハイの 弟子達が体験したのと 同じような 神の 祝福と幸せを体験する ことを祈ります ここで敬愛する スプリームマスター チンハイを 紹介することができ とても 光栄に存じます ありがとうございます
trackback : http://www.suprememastertv.tv/bbs/tb.php/download_jp/9508

 
 

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