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智慧を培う最高の方法 2/5 一九九二年二月二八日 インドネシア スラバヤ(インドネシア語)    
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彼は瞑想を始めると 即座に落ち着けると 言っています

誰が彼に教えました? ここの僧です

彼らは呼吸法を 修めています 呼吸法 分りました それで?

彼はすぐに落ち着くと 言いました でも   雑音を聞くと 乱されるそうです 分ります 乱されると 再び 落ち着くのは 難しいそうです 彼が尋ねているのは なぜ一度目は 容易に落ち着き 二回目は困難なのかと いうことです

自分の師に尋ねて 修めている 法門によりますから 分りますか ある宗派の 修行をするならば その宗派の先生に 尋ねるべきでしょう 私が言う事と その先生の言う事が 違うといけませんから そうなったら更に 混乱するでしょう あなたが歩く方向が あるなら その道を 行くべきでしょう 急いでやたらに こちらに来ると 道に迷いますよ 観音法門を 修行したいなら 他の法門と 混ぜこぜにしては いけません 足を片方ずつ 違う船にかければ 海に落ちます 暫くすれば 落ち着くでしょう

ベジタリアンになって 印心を受ければ 落ち着けるでしょう 穏やかになる方法を お教えします 私達の法門のパワーは 違います 呼吸法は 呼吸によるものです それはまだ物質的で 永遠ではないものです 私達は死ぬと 息をしません 又は気を失えば 息をしません つまり そのパワーは 強力ではないのです でも私達のものは 永遠の内在のパワー 仏性 仏陀のパワーに よるもので 永遠で強力です 瞑想をする時 ビジョンを見ます それは心が創り出す ものですか イエスでありノーです 頭脳は極楽浄土の ビジョンなど 創り出せません できますか 釈迦牟尼仏は 「一切は心が創る」と 言いました その意味は 心地良く生きているか どうかは  善良かどうか 或いは 過去に善行を為したか どうかによるのです 残念ながら頭脳では その様な極楽の世界を 創り出すのは 自らの仏性を 見つけない限り 困難なのです

すると どんな 世界も創造できます

瞑想すると 非常に穏やかになり 良い境界がはっきりと 現れます 分りますか 私達がこの境界を 創るのではなく 既に 存在しているのです 再発見するだけです こういった 境界を通って上昇して 仏性を見出すのです これは単に 途中の風景です

釈迦が言う様に 天国や地獄が 頭脳で創られるなら それは 観音法門の 修行者と同じものを 見るのでしょうか そうかもしれません 私達が地獄と関係が あるとか そこへ 親類や友人を救う為に 行かねばならないと したならばですが 観音法門の修行者で それを体験した人も います ええ 地獄へ親類や 友人を救う為 或いは 私について 彼らを救う為に 行った事があります 時には 天国も見ます 彼らがそのレベルに 到達したからです

私達が そういう 境界と関係があっても かまいません

観音法門を 修行すると 中には そういう 天のレベルを凌いで 高次の境界へ行く 人々もいますから より心穏やかなら 高次の所へ上がります 天国や地獄は 自らが 創りだすと言う事は 正しいです そして また自分で創るわけで ないというのもです 例えば 地獄は 否定的な考え方の人が 創り出し 自ら罰すので 彼らにとり 地獄はあります でも善良な人々には 地獄は存在しません 存在しないなら 地獄にいる人を どう救い出せますか 地蔵菩薩は 衆生を どう地獄から 助け出せると いうのでしょうか ね つまり 存在はします でも天国も地獄も 心が創り出すのも 真実なのです 例えば 地蔵菩薩は地獄に いても 心は地獄の 状態ではありません

彼は仏土にいる様に 感じています 地獄の衆生は苦しみを 感じても彼は違います 心が善良なら もちろん 天国は 近いと感じ  天国へ 行くのは容易です つまり 天国も地獄も 自分で創れるのです 誤った心が 創り出すのであって 真の心ではない という事ですね 偉大な心から物事は 創造されます それは智慧とは 異なります それが私達の智慧です 小さな頭脳ではなく はい それは「心」の 定義によります 「心」が頭脳だと 思っているなら 誤りです もしも「心」は 偉大な 仏性である 本性であると思うなら 正しいと言えます インドには多くの 修行者がいますが なぜインドは 貧しいのでしょうか

お金がない事を 意味するなら 貧困と いう事になりますね でも お金や 物質的な基準で 計らないなら 貧しくありません インド人は非常に 幸福で 苛立っている 人は珍しいです 生活は貧しくとも 幸福です 彼らは微笑み 仏名を 毎日 唱えています 私が真理を求めて そこへ旅した時 時々 小さな村や 森を通りかかり 現地の人と 親しくなりました 例えば 彼らと 食事をした場合 彼らに お金を渡します でも彼らはお金を 受け取りません インドの家庭を 訪ねると 客人を 神の様に待遇します 神が時に貧しい者に 姿を変えたり 通りかかり テストを すると考えています 彼らはその人に よくしないと問題が 起きると考えます その人に よい待遇をすれば 福報が得られると なぜこの様な話や 伝統があるのでしょう

実は こういう話は 道理に適っています インドには多くの 修行者がいます そして誰が聖人か 真理に到達した人かは 分りません 釈迦牟尼仏が 在世の時 普通の僧衣を 着ていました インドのバラモン僧が 着る修道士の 衣服をです 釈迦牟尼仏が 現れる前には いわゆる仏教はなく あったのは バラモン教で  これは今もあります 釈迦牟尼仏が毎日 托鉢に出かけた時 誰が彼を悟っていると 気づいたでしょう 彼が戸口に来ても あなたは彼にお金を 渡すのを拒否した かもしれません 食事を布施するのを 拒否し 追い払った かもしれません ただの物乞いだと 思ってです インドでは物乞いは 僧と似た衣服を 身に着けています

僧が着る僧衣は 卑しい物乞いの 衣服と似ています インドの修行者は こういった服は 修行に耐えさせ 謙虚にさせ 簡素な生活にさせて 修行を助けるものと 考えています 自分を他者より 劣る様に見せて 贅沢な生活を放棄し 真理を 探求するためです ですから彼らが貧困か どうか分りません 肉体の死後 私達の心に道 (タオ)があるなら より良い肉体になって 戻れるでしょう 私達はかまいません どこに生まれても 関係なく はかないのです 今日はインドに生まれ 明日は 米国に生まれるかも しれないのです

この人生で貧しくても 来世では 裕福かもしれません 因果によります ただ来て 去ります 深刻な事は 何もありません インドを愛す人は こう言います 「どんなに金銭を要し 条件があったとしても インドに生まれたい マスターを見つけ 霊的雰囲気に近づく 機会を持てるように」 こういう人がいます 代価を払う 必要はありますよ 「代価を払って」 交換するために 支払わねばなりません 望むものを得る為には 状況に 耐えねばなりません

例えば 釈迦牟尼仏は 王子でしたね 真理を求める為に 豪華な服を脱ぎ 美しい髪を 剃りました 馬も  美しい服も捨てて 歩きました お金も持たずにです 長年 物乞いの様な 辛い生活を送りました 真理を求めて 勤勉に修行しました

真理を求めて 苦行し 多くの法門を 修行しました 貧しく生まれた わけではありません 修行中 彼は自分が貧しいとは 思っていなかった でしょう 悟りに 達した後も 毎日食物を托鉢しに 出かけましたが 貧しいとは感じて いませんでした 貧しい憐れな生活だと 考えていたら 息子に 僧になる様 求めなかったでしょう そうでしょう 実際 九歳の息子に 僧になるよう 彼は求めました つまり 僧の生活が 良い事を 知っていたのです それで 将来王になるであろう 一人息子に  そう求めたのです 考え方が他者とは 異なる事を意味します 豊かで輝かしい 生活と考えたのです それでそうしたのです 人はそれぞれ 考え方が違うので 分りませんね 国によって 風俗習慣が異なり 人によって 考え方が異なるのです 例えばあなたが大きな 家に住んでいるとして 又は大きな家は良いと 思っているとします

私達は自然な環境と 新鮮な空気を 好みます

これはただ 考え方の違いです 簡素な食事と テントに住み 例えばですが それも快適です でも大邸宅に住み 更に大きな家を 望む人もいます 車があるのに 更に 車を欲しがるのです 幾らかお金を持てば 更に欲しくなり 満足を感じないのです 仕事に縛られ 資産に縛られています だから自由でも 幸せでもありません

つまり自由で 満足しているのが 富むということですね そのとおり! 足るを知り 満足に 感じるべきです 私達は自らに 満足すべきですね

自分自身に満足を 感じるべきなのです 自分に満足すれば 富者となるのですね そうです この事から 貧困は必ずしも悪い カルマ(報い)では ないと分ります そうとは限りません 裕福も必ずしも 悪い カルマ(報い)では ありません それは 自らの 富と人生の 見方によるのです 裕福である事も 悪くないでしょう

お金持ちでも良いです 修行者が貧乏である 必要はありません でも貧しければ そのように生きて 裕福ならそのように 生きるだけの事です

神が望むように するのです 仏陀の手配によって 生きる事です もし裕福なら そのお金を書籍や 経典の印刷や 助けが必要な貧困者の ために使えます お金がないなら 自分を救う事です 自らの面倒を見て 自分の徳を 訓練する事です つまり仏陀は 人が 外に出て苦しむ事を 望んではいないのです 自分の面倒を よく見ればいいのです もし裕福ならば 多くの責任が かかります 神は私達に与え他者に 分配させるのです 私達が分配しないなら 他者に分かち合わない ならば 問題を 抱える事になります 一円でも 人々に 分け与えるべきという 意味ではありません でも与える機会が あれば ためらわない ことです

例えば もう自分の家を 建ててある人は 慌てて建てる必要は ありませんね ゆっくりで かまいません しかし私がここに 来たので彼らは即座に 仲間の利益の為に ぐずぐずしては いられません 彼らは高価な絨毯さえ ここに敷く為に 購入したりします 人々がそれを嫌えば 取り払います 怒ったり 面倒がったりしません ここに人が大勢来ても 厭う事は ありません これこそ 奉仕の精神です 裕福な事も 貧しい事も 悪い事ではありません 対処の仕方に よるのです 気にしないことです お金を嫌う事もないし 貧困は悪い事だと 思うことも ないのです 自分次第です 古代の中国に 在家の 修行者でパンという 名の者がいました

彼は裕福でした

また 仏教徒でした ある日 仏陀が 言うのを聞きました 「富は毒だ」ね 彼は即座に全財産を 船に積み込み 海に出ました 全て海に投げ捨てる つもりでした 彼は財産が人々を 束縛し 彼らのためにも 霊修行のためにも 良くないと聞いたため 財産を船に乗せ 投げ捨ててしまう事に したのです 海に出ると 五百人もの海賊が 財産を奪おうと しました 彼は言いました「おい 私はこの毒から縁を 切ろうとしているのだ なぜ欲しがるのだ? 欲しいなら 持って行くがいい どうせ捨てる ものだから」 彼の言葉に 海賊は ハッとしました 彼らはこう思いました 「彼は大金持ちなのに これをいらないのだ 奪うのは 俺達にとり 良くないに違いない」 後にパンはそのお金で この五百人を養い 彼らは出家して 阿羅漢に なったそうです いい話でしょう お金が捨てられたら 役に立たなかった でしょう それを人々の修行の 支援に使う方が ずっといいのです 財産があるなら それも良いことです 捨ててはなりません

多くの貧しい人 寡婦や孤児には それが必要です 捨てないで下さい しかし 貧しい人への 寄付が唯一の 方法ではありません 別の方法は 今 私達がしているように 多くの人に道徳の話を 聞かせるため 場所を提供すること お寺のようにです この行為の功徳は 絶大です 良い方法はお金の寄付 だけではありません 彼らに今 食べさせられても その後は やはり 食べられません でも人々に場所を 提供し 道徳の話を 聞かせれば  その話を長い間 覚えています 彼らは生涯 また 来世も その利益を 受けられます 彼らの子供も社会も 利益を受けます

帰って 彼らもまた 多くの貧しい人  無明な人を助けます

その利益は大きく 事業のようにどんどん 大きくなります だから  釈迦牟尼仏は 寺を建て人々の修行を 助けるのは 無限の 功徳を得られると 言ったのです 人々に経典を聞かせ 人々に経典を聞かせ 修行を助けるため お寺を建ててこそ 無限の功徳を 得られるのです 見せびらかしにお寺を 建てても 梁武帝が 菩提達磨に沢山お寺を 建てた自分に 功徳があるかどうかと 聞いた時と同じ答えを 得るでしょう 達磨は「何の功徳も ない」と言いました 修行をせず  悟りを開かなければ お寺を建てても 霊修行の面では あまり功徳を 得られません 少し福報は得られる かもしれませんが

一つ質問があります 医者がマスターから 印心を受けたい場合 やはり五つの戒律を 守るべきですか なぜ守らないのですか 私が聞きたいのは 医者の場合 如何にして四番目の 「嘘をつかない」 戒律を 守れるかです 例えば  患者が不治の病で ある場合でも 患者に正直に言うべき でしょうか はい 患者は遅かれ 早かれ亡くなります なぜ秘密に するのですか 教えなくても  彼には分ります 自分の状況を一番 良く知っています 彼の魂も知っています 彼を騙したら 彼の 魂と仏性を騙した ことになります だから役に立ちません できれば命を救います でも嘘はつきません こう言うべきです 「貴方を救うことに 最善を尽くしますが 貴方の命は 薬や私の 能力ではなく 仏陀の  手に任されています」

中には  肉体的には ひどく病んでいなくて 医者も良くやって くれても 亡くなる患者もいます また 重病で 絶望的で 医者も藪医者で 十分に面倒を 見なくても 回復する 患者もいます だから 嘘をつく 必要はありません 彼が生きられるか どうかは分りません 最後の一分で 仏陀が助けて  生きながらえる かもしれません だからこう言うのです 「私はベストを 尽くして治療します でも あなたの運命は 仏陀の手配と あなたの 因果によります」 これが正しい方法です そうでしょう 彼は生きられるかも 明日死ぬかも 嘘を つく必要はありません 言葉を換えても 同じことです 嘘をつく必要は ありません 多くの場合  嘘をつくのはよく訓練 されていないからです 実際 嘘はいけません どんな場合でも  嘘はいけません ビジネスをする人も 含みますか

同じです なぜ嘘をつくのですか 商売で利益を得るのは 結構なことです 例えば 1ドルで 物を買った場合  法律ではその4倍で 売ることが 許されています 税を納め 商売を維持し 残りが利益です  法律ではこれは 許されています 誰が損を出すため 商売をしますか 買った額で売るなら 何でわざわざそんな ことをしますか 商売が低調な時に 備えて 少し蓄える 必要がありますし 時には運賃を払う 必要がある かもしれません 万が一 商品が 半分だめになっても 責任を持って ガソリンや運賃を含む 費用を負担しなければ なりません 商品には1ドルの 価値しかなくても 別の場所に輸送する 必要があります だから 車が必要です 車にはメンテナンス ガソリン 税金が 必要です 車はお金がかかります 2ドルで商品を売れば 1ドルを儲けますが 運賃は誰が払いますか 単なる例ですが 嘘はついていません お客さんに 価格を示すだけです その商品を買えば それもよし 買ってくれなくても 強制しません 誰も騙していません

合理的にして いるだけです 誰もだましません 例えば  商品が腐っていると 知りながら 良い物と言い 買わせ 食べさせようと したとします これだと お金を もらったが 商品は その値段の価値が ないことになります 良くない商品と 知っていますから 嘘をついています 商品が良いと 知っているなら 良いと言い 値段はこうこうで 「よろしければ どうぞ」と言います  買ってくれなくても 構いません 嘘はいけません なぜ 人に嘘を つくのですか もちろん  商売繁盛には 巧みな 話術が必要です 人とおしゃべりをし この食品には 栄養があると伝えます

どんな食品にも 栄養はあります その人の 状況によります 時には  強壮剤を与えても 死ぬかもしれません 各人の功徳によります 人とおしゃべりをして 製品を宣伝するのは 嘘ではなく 弁才が あるだけの話です その才能があってこそ 商売がうまくいきます 商売をするには 商売の 才能が必要です 何をするにも その分野での 才能が必要です  でも 嘘はいけません 悪いものなら 良いと言っては いけません こう言うべきです 「品質はこうこうで 値段はこうこうです どう思いますか」 人の信用を得れば 更に買ってもらえます 生地を売る あるインド人の 商人がいました

皆は 値段を高く 設定する習慣が あるので百ドルの 価値の物なら  四百ドルと言います

そして 値引かれる ことを待ちます それを面白いと思い 両方でだまし合うのが 楽しいと思っています 商人は 客をだまし 客は値引きの 交渉を続けます

客が百ドルと言うと 売り手は こう言います「だめ 二百ドルならいかが」

「ノー ノー ノー その値段じゃ 赤字ですよ」 すると 客は去るかも しれません するとこう言うかも 「分った!分った! 今日運が悪いな この値段で いいですよ」 そして どちらも 喜ぶのです 売り手は 客をだまします 価格は百ドルでした つまり 彼は 百ドル稼いだので うれしいのです 客も喜びます 安い値段で 買ったからです 四百ドルのものに たった二百ドル 払っただけだと 思うからです それでどちらも 値段の交渉で 相手に 勝ったと思うので 喜ぶのです インドでは 人々は 交渉して楽しむのです ある人が  布を売っていました

彼もインド人です 彼は従来の方法では 提示価格があまりに 高いと思ったので 正確に価格を 計算しました 彼は もともとの価格に 想定外の損失と 輸送費を考慮しました そして言いました例えば  一割の利ざやなら 全費用をまかない もうけもある それで一割上乗せして すべての 布を売っていました 客が店に来ると 彼は定価を 提示するだけで どんな交渉も 拒絶しました 皆うんざりして 言いました 「この人は貪欲だ 沢山もうけようとする あまりにも がめつい 誰も彼とは違う 他では値引きするのに なぜこの人は定価に こだわるんだ」

面白くないから 皆 他の店に行きました 初めのうち 彼の商売は 最悪でした 誰も交渉を楽しんだり 彼から商品を 買いませんでした よその商品の方が 安いと 思ったからです 「もとの値段は 四百ドル さて! あなたは 親切そうだから 二百ドルで売ります」 そして 客は 喜ぶのです しかし この人は 定価で提供するだけ 彼は人々に 値引きさせないので 皆 彼の正直さを 疑ったのです ある日 一人の女性が 店で布を買いましたが 足りませんでした そこでさらに買おうと あちこち探しましたが 同じ布はありません 彼女が布を買った店は 品切れでした 同じ布を買うには 嫌いな彼の店に 行くしかありません 彼の店は 偶然 同じ布の 在庫がありました

それを買って とても安いことに 気がつきました 同じ品質の 同じ布でしたが 3分の1の 値段だったのです そこで彼に尋ねました 答えはこうでした 「私は利益が一割で  十分だと計算したので それに応じて 値段を決めたんです」 その時 やっと 女性は分りました 彼女は別の店で 同じ布を 買っていましたが 非常に高価でした それで理解したのです 評判が広まるにつれ 彼の商売は 徐々に 順調になりました 人として 私達は みな 本来の善良な性質を 維持すべきです 自分の魂 尊厳 道徳をお金のために 売ってはいけません そうしてこそ 真の自尊心を持てるし 人の目を 正視できるのです

真直ぐ見られて このように歩めば 私達があらゆる点で よいと分ります 貧しいかもしれません でも 正直で真直ぐで 幸せで 罪の意識など ありません 誰もがこのように 振舞っていたら世界は 浄化され とっくに 平和になったでしょう

マスター 大変重病の 老人がいました 彼が亡くなる前 医者は彼を だまし続けました 「大丈夫 手術を しましょう」などと 彼の親族も同様に 彼をだましました 娘は 彼が死ぬ前に 仏名を唱えることを 望みました そこで ある日 率直に話しました 「お父さん お医者は もう長くないって もうだめと言ってるの ここにいても 快方に向かいません 薬を飲んでも 良くならないわ 私はお父さんに 仏の 名を念じて欲しいの」 そしてこの娘は 阿弥陀仏や 南無観世音菩薩の 名を唱えることを 教えました

これは効果的でしょう 皆が彼をだませば 彼はまだ 生きられると思って 霊修行を したがらないでしょう でもこの父は できないと言いました 娘の善意にも かかわらず この父はショックを 受けて やがて 意識不明になりました そうして 彼は数日後に 娘が側で仏名を 唱えるなかを 亡くなりました 娘は彼の臨終の床で 仏名を 唱え続けました 彼女は棺のそばでも 仏名を 唱えました 今でも彼女が 感じているのは・・・ 罪の意識? はい

この娘は悪いカルマを 招いたでしょうか 彼女は 真実を話し 何か方法を・・・ 次の生涯がより良く なる事を 望みました でも・・ 分ります しかし 彼女の父は おびえていました ショックを受けた 父にショックを与え 彼は・・ 数日間 意識を失い そして亡くなった 間もなくでした

なぜ悪いカルマを 招くのですか? 真実を言うならば 悪いカルマ(報い)は招きません しかし 彼女は じょうずに 話すべきでした 彼の生死について 話す必要は ありませんでした 彼が死ぬことは明確 ではなかったのです 医者の間違いかも さっき言いましたね 人がいつ死ぬかを 予測すべきではないと どうして分りますか? そうでしょう? 医者でも 時には間違えます 私の弟子が病気で 手術を受けるために 入院したことが あります 医者は すぐに 手術しないと 命があぶないと 言いました しかし 彼は起きて 包帯をとり言いました 「家に帰りたい 私は病気ではない」 彼は私に祈願した後 家に帰れました 彼は手術を受ける 予定でした そして 手術のための器材は 準備されていました こういうことは よくありました だから医者は必ずしも 正しくはないのです

奇跡は時々 起こります だから人に「あなたは すぐに死にます」と 言うことはありません

マスター 娘はそれは 言いませんでした 彼女はただ お父さん 医者と薬では あなたを救えない あなたは仏陀に祈り その名を唱えないと そう言ったのです そうですね それもよかったです しかし 父親は 仏名を唱えた事も 教会に行った事もなく それで できないと 言ったのです もしできないのなら 放っておくのです 恐らく彼は悪い 知らせを聞いて すぐに落ち込み その晩は 意識を失ったのです

恐らく 彼の時間が 来たので逝ったのです 彼女が 自分を責める 必要はありません 誰にも分りませんよ 彼の時間が偶然 来たのかもしれません たまたま 念仏の 話をして 父に仏陀の 事を考えさせましたが でなかったら更に悪く なったかもしれません その時が来たら 彼は自然に 意識を 失い そして徐々に 亡くなっていくのです 彼の娘がそばに いなくても 彼は 亡くなってたでしょう それはただの 偶然なのです 医者は 彼は間もなく死ぬと 既に言ってました 彼に言うのです 「あなたの為に 仏名を唱えます 私に続くか 心の中でただ 考えて下さい あなたの年なら いつ 去るかもしれません 医者が救ってくれる でしょうが 心の準備は必要です 万が一去る時は 楽しく行ってください 仏名を唱えるのは 良い事です 私も一緒にします」 たとえば 彼と一緒に仏名を 唱えてもいいのです 彼はしないのではなく やり方を 知らなかったのです

彼の為に唱えるとも  言えたでしょう 或いは 仏陀の物語や 高いレベルの話を 伝えてもよかった すると臨終のとき 彼は良い思いが持てた かもしれません

彼の役に立った かもしれません 彼女はそうしました それなら良いです 気にしないで下さい それ以上話さないよう 彼女に伝えて下さい 生死は大した事では ありません 数えきれない 生と死が毎日 起きているのです 話し過ぎても 何の役にも立ちません 生は本当の生ではなく 死も本当ではないです それは「服」を着替える 過程に過ぎません 次回着るために どの「服」を 準備したかに よるのです 今 準備しておけば もしお金を沢山 稼いでいたら 美しい 服を準備できて次回は 美しく見えるでしょう

準備してなかったら 服はみずぼらしく 雑巾のようです 当然  良い「服」を得られず 同じ古い「服」を 次回着る事になります そうですね よい「服」を準備して 霊修行をしっかり していれば 「服」を変える時に なっても 痛みを感じず 美しくいられます 死は恐ろしくないです 殆どの人は死後 天国に行きます 善良な人は 明るい境界に行き 美しい世界を楽しみ そこで休むのです この世界で 一生懸命働いて 良い行いをしたので 天国でしばし 休むのです 休暇に 行くようなもので  何も悪い事など ありません

しばらくしたら 戻って再び 人間になるのです それを望まないなら 観音法門を修行すれば 戻りません そうすれば  面倒な生死の循環を 繰り返さずに すみます その女性は 理解していません 理解するには 若過ぎます 彼女のせいではないと 伝えて下さい 遅かれ早かれ 父親は 亡くなったのです 彼女は悪くありません 彼女は 最高の娘でした 彼女は正しい事をし 父親の役に立ちました 自分を責めては いけません 亡くなる人は行かせて 命ある人には 生き 続けてもらいましょう あまり自分を 責めると 彼女は 精神的に傷つき 何も上手く いきません 彼女のために 良くありません ね 父親の仕事を 世話して 輝かしい 人生を送るべきです 父親もそれを見て 喜ぶでしょう それが最善の事です いいですね

皆さんの生活が 良いようで嬉しいです 物質面も良いし 事業も順調でしょう 自分の母国で なくても 信念が 道(タオ)にあります 東洋の道心は まだ堅固です これは とても良い現象です 中国人がどこでも 成功するのも うなずけます 少なくとも 良い報いがあります

それは 心が 道から離れなかった からでしょう 常に天地を敬い レベルの高い聖人や 仏菩薩を 尊敬しているからです それで自然に 良い報いがあるのです そうですね?結構です

とても希望が持てます  中国の伝統 中国の血統に とても良いことです これを続けて 子供に同じ事を 教えて下さいね お休み ありがとう! 皆さんの愛情と 忍耐心に感謝します
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