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開悟したマスターの一瞥で解脱する 2/2 一九九〇年一月十二日屏東 フォルモサ(台湾) (中国語)    
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私たちはこの世界で 生老病死を 避けられません 沢山の悪いカルマ (報い)を植えて その実が 熟したからです 実が熟すると 落ちてきます しかし重要なのは 未来のことです

仏陀は私達のために その樹を切ります すると将来 実りません ただ すでに実がなり そこにある場合 それを無くすことは できません 分りますか 樹に花が咲き 実がなり 皆に それが見えるのです しかし 将来 実がなりません 仏陀は凡夫のように 慌てて何かを するのではありません 彼は落ち着いて 楽にやります 何もしていない ように見えますが 沢山の事をします 沢山の事をしますが 何もしていない ように見えます だから老子は「するが しない」と言うのです

これに達するには 仏陀になって エゴを無くさねば なりません 仏陀は無数の化身を もっています しかし どこにも 行きません だから仏陀を 「如来」といいます 来ることもなく 行くことも ないからです 分りますか どこにも行きませんが 私達はどこでも彼を 見ることができます だから彼を 如来と呼ぶのです これが如来の 意味です もし誰かが 遍在であれば 彼を如来と呼びます 彼はどこでも 行けるが どこにも 行かないからです

多くの修行者は 如来の意味が 分っていません 彼らは釈迦だけが 如来だと 思っています これはあまりにも 悲観的です 悲観的すぎます 誰もが如来に なれるのです 衆生を救うことが 私達の運命だとすると 私達は如来になれます 衆生を救う運命で ないとしても 求めれば 私達は やはり仏陀になれます ただ 私たちが 仏陀であり 菩薩で あることを知っている人はごく少ないです この方がいいでしょう 仏陀になることは 大変難しいからです

たとえ自分には 苦しみがないとしても 皆が苦しみを自分に もたらすのです 普通の人間でさえ すでに多くの 苦しみがあるのです  一人の苦しみだけでも 苦しくてなりません ましてや全宇宙の 衆生の苦しみが 自分のものになった ことを想像できますか 面白いでしょうか (いえ)面白くないです 従って 仏陀になった人は 静かにしています 彼らを責めては いけません 偉大な釈迦でさえ 仏陀になった後 首を横に振り 言ったのです「いや  私は衆生を  救いたくない 難し過ぎる」と 彼は首を横に振り 涅槃に入ることを 願いました つまり サマディに入って 静かな安らぎ 涅槃を 楽しみたかったのです 涅槃に入るとは 首を切って肉体を 離れるという意味 ではありません そうではありません 涅槃とは 私たちが サマディに入った時 悩みもなく 高い境界を楽しむ という意味です これは小さな 涅槃といいます

大涅槃に行くことは 私たちがこの物質の 世界と因縁関係を 断ち切り 永遠にこの肉体と この世界を 離れることです これを大涅槃と いいます もう二度と戻って きません しかし 戻りたければ戻れます ですから 釈迦は慈悲心が ないのではなく 余りに難しいことを 知っているからです あの時代 インドの人々は 大変善良で 長い間に渡って インドは聖地でした そうですね 多くのインド人は 菜食者で 小さい時から 修行方法を 知っていました 彼らは真言や 仏陀の名を唱えたり 神仏を 拝んだりして沢山の 法門を修行しています

インドは 霊性の国です それにあの時代は いわゆる 「像法」時代でした 今は「末法」の 時代と呼びます あの時代 人々は とても善良で 物質的に豊かでは なかったので 人々はとても 純粋でした 又釈迦はインドにいて そのような国で 衆生を救うことは やりやすかったのです あの時代は 衆生の救済は しやすかったのです それでも彼は首を 横に振ったのです 今はなおさらです 今の時代は 仏陀になった人が 自分は仏陀だと 人に伝えられますか 間抜けな 仏陀だけが そうします だから私も 前は 外に出て自分を 宣伝しませんでした

今は時がきたのと 人々が私に出てくる よう押し出したので こうなっています 皆さんはずっと 私が出てくるよう 祈り続ける 梵天  阿羅漢 護法なのです  それで私の情報が どんどん知られる ようになったのです 私のレベルがどうで 私は誰か などです これらは私にとって 新しいことで私自身は それを分りません 私はただの 平凡な人間ですが 皆さんが私にこれらの 肩書きを嵌めたのです もうこうなった以上 このポジションを 受け入れます 皆が同意 したのであれば 大統領選挙と 同じです そうですね 皆が同意したら その人は大統領に なります 私は皆さんの利益の ために働きます 皆の利益のために 皆を救うために 皆の幸せのために 皆を助け 保護する ために何でもします

皆さんにとって 良ければいいのです さっき私は 皆が 仏陀になれると 言いました しかし 皆さんは 衆生を救う 運命ではないので 静かに仏陀になれば いいのです 静かに仏陀になるのが 一番いいです 私たちに功徳や力 道徳があるとしたら それを隠して自慢 しないのが一番です それを自慢するなら 仏陀ではありません 黙っているべきです または偶然 私達が何かの力や よい資質があると 知ったとしても 人々に知られない方が いいのです 古代から 聖人はみな たいへん謙虚でした 分りますか 自分は徳が高いと 思っていません 自分は道徳的で 仏陀だと 思っているとしたら その人はまだ 仏陀ではありません とても奇妙で 矛盾して聞こえます

衆生を救う運命の 人は 必ず人々が 見つけ出します 分りますか どこに隠れようと 無駄です  人々が捜し出して 人に紹介し 仏陀と呼び 称賛し ちやほやします しかし本当に 仏陀になった 人だけがこのような 待遇を受けるのです 分りますか もし仏陀になって いなければ これは起こりません 対応できないからです 例えば 自分が 大学を出ておらず 知識がないと どんなに 多くの人が紹介し 称賛しても 自分には できないと 分っています 後から人々も 正体が分ってきます 分りますか いつまでも人を 騙すことはできません 従ってこういった事は 望めば起こるとか ある団体が  作り上げると 起こるといった事でも ありません これらは造物主の 手配によることで 宇宙の計画の 一部分なのです

一旦選ばれたら もうおしまいです 個人的な時間や 個人の見解 個人の職業や  個人の感情など何一つ 持てません

全宇宙が自分のもので ありながら何も自分の ものではありません 全宇宙の衆生を 助けねばなりませんが 助けてくれる人は 誰もいません

これはとても 怖いことです

そんなに孤独な人を 想像できますか このような人を 仏陀と呼びます 従って誰かが このような「有名な」 仏陀になった場合 彼を哀れむことです 何も羨むことは ありません 孤独による苦痛の 他にも 人々からの 羨望 嫉み 中傷 誤解 仕事の妨害 などの苦痛を受けます 人々の中傷を 聞きながらも するべき事は 続けなければ なりません 誰も分ってくれません それでもやはり その仕事を続けます しかしそんなに 苦しくはありません やはり辛抱できます

私はただ皆さんに 仏陀になった状況を 少し話して 皆さんに 幻想を抱いて 欲しくないのです 仏陀として もちろん 彼は ずっと天国の 高い境界にいて 最高なのですが やはり物質世界に 留まっていて 物資世界と 繋がっています 肉体がある限り 数え切れないほどの 苦難と 数え切れないほどの 苦しみを受けます しかしそれを凌ぎます もし普通の人が 彼の仕事をして そのような苦しみを 受けたとしたら その人は初日に 灰になって しまいます

毎日 灰になるのでは ありません 初めの日にもう 耐えられなくて 灰になってしまいます 私達は皆ミラレパの 話を覚えています ある人が彼を 嫉んで毒薬を 飲ませて彼は 死にかけていました 毒薬を与えた その人物は  とても謙虚に同情する 振りをしたのです 泣きながら 言いました「マスター 貴方は偉大な人です 死んではいけません 苦しみと痛みを この卑しい 弟子の私に移すと よくなると思います」 分りますか 「貴方の代りに私が 苦しんで 私が 代りに死にます」 その人は そう言ったのです

ミラレパは答えました 「いや 耐えられないよ お前には 対処できないだろう」 その人物はずっと 懇願しました ミラレパにできないと 思ったのです ミラレパが 苦しい振りをしていて 痛みを自分に移す 神通力などないと 思ったのです 余りにも長く 懇願したので ミラレパは彼に 試させました ミラレパは先ず扉に 痛みを移しました すると何が起きた でしょうか 扉は粉々に なってしまいました 完全に壊れたのです そうですね それでもその人物は ミラレパのパワーを 信じず 言いました 「痛みを 扉にではなく 私に移せば 痛みがなくなります」

ミラレレパは 彼にほんの少し 痛みを移してみました するとそれだけで 彼は地面に 転がりました その時彼はミラレパが 本当に苦しんでいて 嘘でないことが やっと分ったのです 多くの 仏陀になった人や 開悟したマスターは 自分が経験した 苦しみを あまり語りません 話すとしても 面白く言って 大した事ではない ように感じさせますが 苦しくなかった わけではありません 私たちにあるのは 個人的な苦しみと カルマ(報い)だけですが 仏陀は 自分を犠牲にして 全世界の苦しみを 自分の苦しみに 変えるのです

こうして初めて 世界は高揚し 発展できるのです いわゆる人々の心の 障壁が仏陀によって 溶けなければ ならないのです 分りますか 原因があれば必ず 原因があれば必ず 結果があるからです 原因の種を 植えたなら その実がなることは 避けられず 仏陀は誰が蒔いた種か 関係なく その実を 食べねばなりません そういう人を 仏陀と呼ぶのです 仏陀にも色々な レベルがあって 同じではありません しかし皆一つです 仏陀になれば皆 人による レベルの高低は つけません レベルの違いは 確かにあります 大学や学校に 沢山の教師がいるのと 同じです 分りますか しかし中には 年長者で経験深い 人もいれば 卒業して教師に なったばかりの 人もいます 校長になる人も います そうですね 彼らは 最高のランクです 仏陀の間でも こういう事があります 彼らはそれを 区別しませんが 違いは分っています

しかしこれは基本的に 凡夫の見方に よるものです 仏陀自身は このような 区別をしません 分りますか 誰もこうは言いません 「私は古参の仏陀だが あなたは 卒業したばかりだ」 またはこんなことも 「私は経験深く 無数の生において 多くの衆生を 教えてきた 貴方はデビューした ばかりで 弟子は そんなにいない」と そんなふうには 考えません 時々彼らは 役割を変える こともあります だからさっき 男性の修行仲間が 文殊菩薩は 元々十方三世仏の 先生だと 言ったのです

釈迦が この世界に来て 法(真理)を 広める 番になった時 文殊菩薩は 釈迦の弟子と 護法になって 釈迦が方々で 法(真理)を 広めるのを 手伝ったのです 従って誰が誰だか 誰も分りません 私たちの無明は 恐ろしいほどです 分け隔ての心が ひどすぎます なぜ仏陀たちは 役割を変えるの でしょうか それは彼らには やる事がなくて 退屈なので 何でもしたい事を するからです 彼らには地位の 概念がありません ですから私達のように 選挙で人々に お願いしますと 言う必要はないのです 彼らはどの地位が 良いとか悪いとかは 気にかけません

ある人が衆生を救いに 物理的な世界に 行きたいのなら あらゆる所にいる 仏陀が彼の弟子に なって 彼を支援する でしょう 或いは 彼の部下や無明な 付き人などになって 分りますか 家庭での年長者や 彼の弟子や 護法になって ポスターを貼りに 出かけたりします 誰も気にかけません しかし結局は 皆が 自分は仏陀であると 分るでしょう 多くの衆生が私達の 助けを必要とします しかし私達が仏陀に なるよう訓練するのは 非常に難しいのです かなり長い間 ここにいるために 自分達の地位を 忘れているからです 次から次へ続く人生で 私達は普通の人間です それで突然ここへ 仏陀になる為に来ても 非常に困難なのです

己を受け入れられず 難しいのです 出来ません! 仏陀ではないという ことではないのです 忘れているだけです 印心を 受けたばかりの人は  考え方を完全に 変えていないので  まだ自信がなく どう衆生を 救うかという 自己信頼が足りません それで あらゆる 仏陀がここへ降臨 する時 自分の補佐を 連れてくるのです 分りますか 悟っている マスターを非常に 支持していて 彼の教えが 菩薩行であることを 理解している人 菩薩とは そういうものです 同じことで 先哲も異なりません 古代の菩薩もまた こういった人々に 似ていました 違った振舞い方は しませんでした

ですから 釈迦の弟子達は非常に 悟っていましたね 印心直後 彼らは 阿羅漢や ある種の菩薩に なりました そして直ちに 彼を助けて 各地にへ 法(真理)を 広めに行きました それは彼らが これらの教えを 学んでいたからです それで私達は 菩薩や仏陀で あるかも しれないのです ですから自己卑下は しないでください 自分達で見つけ 出さねばなりません ただ私を信じる だけではいけません やってみるべきです 自分が本当に仏陀か どうか そうですね 自分が誰かを 知る機会を失ったら 実に大きな 損失だと 思いませんか? 私の話が本当かどうか 知るのです    このマスターは 正しいかどうかを それともまだその事を 色々考えたいですか?

マスターに 二つ質問があります どうぞ教えて下さい 一つ目は 印心後 株を 買う事はできますか 必要ならば買えます 必要ならば買えます 必要でないなら 買わない方が いいでしょう 印心を受けていない 人であっても 開悟したマスターを 信じていれば 問題に直面した時 そのマスターに 助けを 求められますか よろしくお願いします この質問は弟子にして 下さい  彼らの方が詳しいです 蘇さん 教えてあげて下さい すべきことを教えて 皆さんがどうするのか 私には分りません 私は自分で助けを 請うた事がないので 分りません マスターの名を 言うだけ 簡単です! マスターの名を 言うだけで十分です 何か問題があるのなら ただ内側に 助けを求めてください

マスターお尋ねします 私はカンフーの小説や 漫画が好きなのですが 印心を受けられますか こういう本は 戒律に反する ものでしょうか 悔い改める方法は? 印心すれば そういったものを 退屈に感じるように なるでしょう 今そういうものを 読んでいるのなら 読んでいていいです さしあたり 瞑想をしてください 真我とは何ですか? 蘇さんに答えて もらいましょう

真我とは何か 色々説明していたので 分っていますよね 人の真我は 最も偉大なもの 遍在する力です 知っているようですね 私達の真我とは 悟ってこそ 修行を始めてこそ 分るものです 誰もそれを語れません ごめんなさいね! それは これが 私達自身であるから 誰が自分以上に己を 知れるでしょう そうですね 自分自身を知らないで 誰が 答えられるでしょう 不可能です 道理に合いませんね マスター チンハイ 人が誤りを犯したら どうすべきでしょうか

瞑想し 読経して 自分の誤りを  償うべきですか アドバイスを お願いします 何か誤りを したとしたら それは 無知であったからです もちろん それを 償うべきです しかし 同時に 悟るべきです さもないと 今日 この誤りを悔いても 明日また 他の誤りをします 全ての誤りは 私達の 無知によるものです ですから やはり 印心すべきであり 自分の智慧を 見つけるべきです なぜ 法(真理)を 知っている人でも まだ間違いを するのでしょう 頭脳を変えるのは たいへん困難なのです でも大丈夫 毎日 やり直すのです 私達はやり直して 再び正しいことをして 再び変化するのです

親愛なるマスター 観音法門と縁のない 人々についてですが 彼らの信心が 変わらぬようにできる 便利な方法が あるものかどうか  また縁が熟した時に 彼らは大法の 入り口に 入れるものでしょうか これについて 教えて下さい

あります 便利な方法が たくさんあります 仏陀の名 真言や経を 唱えてもいいですし 悔悟してもいいです

マスターチンハイ 私は苗栗の養豚 研究所で働いています コンピュータ部門で コンピュータ管理と データ分析を 担当しています 印心を受けたいなら 転職すべきですか 養豚のコンピュータ システムですか なぜコンピュータが 養豚に必要なんですか おかしいですね (コンピュータ管理) 殺すことは 伴いませんが あなたの生活はやはり 殺生に関連する 仕事に頼っています オーケー まず 印心して その後 仕事を変われば結構 こうすれば 気持ちが 少しは楽になって より清潔なお金を稼ぐ ように感じるでしょう そして良心が より 平安になるでしょう

お尋ねします マスター 人間のやり方と 天のやり方の違いは 何でしょうか 人間のやり方とは?

皆さん分りますか? 天のやり方とは何です 分りますか? この質問をした方 人間のやり方や 天のやり方とは何か 私に教えてください そうすれば  違いが何かは すぐ分るでしょう 私に尋ねる 必要はありません 人間のやり方や 天のやり方が何かを まだ 理解していないなら  印心を受けたほうが いいです 私が教えている 法(真理)と道(智慧)は 全てを 含んでいます 天 人 仏を 含んでいるのです また私は どの様に 善良な人になるかを 次に 天を越えるための 方法を教えます 仏陀のやり方と 仏陀になる方法を 教えます 人間の方法を 学ぶだけなら 天の 方法に達することは 無理かもしれません 天の方法に達する だけなら 究極の 仏陀の方法に達さない かもしれません それで全てを知る 必要があるのです

親愛なるマスター 私は印心していません 数日前 私の部下の 一人が 取りつかれました 私は心配して 彼の首に マスターの 写真つきネックレスを かけました しかし私の行動が 取りついた霊を 激怒させ 私を窒息 させようとしました 幸運にも マスターが 私を窒息死から救って 下さいました 貴方の助けがあるので 恐怖はないですが私の 行為は 見えざる友を 傷つけたでしょうか

いえいえ 将来 何をするにも  悪い意図がなければ 彼はあなたに 危害を加えません 彼を追い払うのでなく 内在のマスターに 彼を助けるよう求める べきで そうすれば 貴方を傷つけません 何をするにも 愛の心があれば 他の人を傷つけず 彼らを  助けるでしょう 誰でも 私を 知らないとしても どんな衆生でも 私を知らない 幽霊でも神でも人でも 貴方が私を知っていて 彼らを助けるよう 私に祈るなら 彼らを助けます ただし怒りや憎しみの 心を用いたり 人を 脅かすために 私の 写真は使わない事です

マスターチンハイ いわゆる霊媒は 仏陀の現れですか 私に何を言って 欲しいのですか 真実を 嘘を? (真実を) 多くの仏や菩薩は 純粋です 分りますね 私が知る仏陀の 多くは非常に純粋です 彼らは肉を食べたり 酒を飲む人の体には 入りません 更に彼らは 人々が自分で コントロールできない むちゃくちゃなことも させません もし 仏陀が人の体に 入りたければ 人が認識するように 入ります 彼は人を倒して 意識不明にさせて 意識が戻った時に 分らないようなことを いろいろ 言ったりしません 彼は 人の体を 破壊したり 自分を 切りつけさせるなど 怖いことはさせません 仏陀は 衆生を 非常に 穏かな方法で助けます 人々の心に適した 人々が耐えられる 方法です 彼らはやりすぎて 人を傷つける ことはしません 普通は 人の体に 入ったりしません 分りますか そうしたければ 超自然的な 体で来ます

マスター 現在私は 大聖禅気功を しています 印心を受けた後 どうすれば良いですか

それは 病気を治すための 気功ですか そうですね 私のある弟子は 気功をしていました 彼は人々を 殴ることもできるし 非常に強力でした 彼がここで殴ったら 貴方が倒れるのです

彼は気脈を通す こともできました 彼は私に 従い始めてから すっかりやめました そういった方法は あまり高等ではないと 分ったのです 彼の経験を言っている だけです いいですね 私達が観音法門を 修行すれば 気脈が みな通って 全ての力が 沸いてきます 他の法門を 修行した場合は 力の一部のみが 培われます 意味が分りますか 例えば 治癒を学べば 人々を癒すこと のみができます 風雨を呼び出す 方法を学べば それのみが できます 気脈を通す方法 のみを学べば できるのはそれのみ

私達の観音法は 万能です 気脈を含む すべてを通じさせ あらゆる病気を治し 更に私達の過去の 全人生のカルマを 消すのです この法門はより完全で 修行する 価値があります しかし皆さんは 自分で選択して下さい 私に従って修行を したければ従い 気功を 修行したいならば そうして下さい 聞かれたので 言いますが答えるのは 私には難しいです 気功をやめて 私に従わせたいと 感じさせたく ないのです あるいは あなたは 気功を修行して マスターした後 印心を受けに 来ることもできます いいですね そのときまだ 生きていればね 昨日鳳山であなたの 講義を聞きました ゆうべ眠りにつく前に あなたの姿が 私の頭に 浮かびました 幻想でしょうか 良い感じだったなら 幻想ではありません 悪い感じがしたならば それは幻想です

人は仏陀になるために 開悟したり 修行をする 必要がありますか はい ほかにどうやって 仏陀になれますか 無知でいながら? 一つの魂はいくつの アリに変化できますか もし 魂が多くの アリになったら その変化したものは 全て一緒になって 初めて 転生できるのですか

なぜそんなことを? もう人間なのですから 早く仏陀になるように 修行すべきです なぜアリの事を 質問するのですか アリは書けないので 彼らに代わって 聞くのですか  アリの事は私に任せて アリのことは あなたとは無関係です アリには アリの方法で教えます 皆さん人間とは 関係ありません マスター 三界とは何ですか なぜ三つの世界に なるのですか 三界とは様々な 境界のことです 例えば 第一の世界は 第二の世界より 少々低く 第二の世界は 第三の世界より 少し低いのです 私達の社会のように より知識の ある人もいるし 知識の 少ない人もいます また より裕福な人もいるし 貧乏しい人もいます そんな感じです 自然に そうなるのです

この世に何があるかは 私達のカルマ (報い)次第です 今生でのレベルは 過去世でどれほど 修行したかによります 人には もともと 仏性があるのに なぜ人々はこの世界に 来るのですか 貴方が仏陀になったら お答えします でも それは既に 「問答録」という 私の書いた本に 説明してあります 私のテープでも 話したものが沢山 あります そうですね

こんばんは マスターチンハイ 観音法門は 心と からだ共に 修行する つまり 「性命双修」ですか

なぜ「性命双修」? なぜ そんなに 複雑なのですか 私達はただ 本当の 自分を見つけたいです 分りますか 心とでも 命とでも 何とでも言って かまいません ただ真我を 見つけたいのです 私達の偉大な万能の 智慧を見つけたら 対処できなかった事が 処理できるし 分らなかった事も 理解できるように なります 仏陀が人間の悪い カルマを担った事で かかった病気は 薬や医療によって 軽くしたり 治すことができますか 悪いカルマからの 病気だったら 医療は無理です

普通の病気 例えば 働きすぎの疲労や 話しすぎたことからの 肺の衰弱等の病気なら 治療ができます 肺のための薬や  のどの薬を 飲めばいいのです しかし 仏陀が人間の悪い カルマを担ったら その症状を解消する 薬はないのです 時間が経てば 自然に治るものです

マスター どうすれば 中傷に耐えられますか また 中傷する人を 憎まない方法は? 中傷する人を憎まない ために 何をすべきか という意味ですか

はい はい 放っておくことです 長く修行すれば 中傷と称賛は 同じに見えます 何の影響もありません 讃えられても うれしいことは ないです 中傷されても 別に大したことだとは 思いません 修行すれば この段階に達します 修行しなければ 難しい事になる訳です 他人の中傷を無視する ことはできますが 憎まない心を持つのは 不可能です ですから 修行する ことが必要なのです 修行する人が多ければ 多いほど この社会は 良い社会になります というわけで 私は 修行する人が 多ければ多いほど この世界は浄土に なると言うのです  もし みんな 互いを許すならば 皆が修行すれば 他人を中傷する人は いないでしょう そして 怒る人も ないじゃありませんか 分りますか

偉大なる マスターチンハイ 私はアルゼンチン 在住の中国人です 八八年十二月二十六日 アルゼンチンで 家族旅行中に 車の 事故にあいました 妻は亡くなりましたが 妻の腕に抱かれた 6ヶ月の娘は 生き残りました 妻が今どこにいるか 元気でいるか 教えて下さいませんか 又 彼女がより高い 境界に行くために 私にできる方法は?

印心を受ければ 分ります そして 彼女を助けられます

マスター マスターは 瞑想を重要視しますが 禅宗の第六祖は座禅に なぜ反対したのですか 「六祖壇経」にあります 生きている時は 座る方が寝るより長い 死んだ後は寝て 座らない この不潔な体に功徳を 立てる事が出来ようか 彼の言う意味は 多くの人が 瞑想はしても ただ座るだけで 真我を見つけられ なかったという事です だから役に立ちません 百年 千年 一万年 座っていても 分りますか 私達が修めるのは心で 体ではありません ただ座っていれば 体は落ちつきます しかし私達が 修めているのは 体ではありません 観音法門の修行者は みな知っています 瞑想している時だけ 修行しているのでは ないと そうでしょう しかし行 住 座 臥は 皆 禅なので やはり座るべきです でないと一要素欠けて 行 住 臥だけになり 座がなくなります 他の人が こう座るので 私達もこう座ります

初心者にとっては 座れば 心が 穏やかになります 分りますか また サマディに入った時 簡単に 倒れません だから座って 瞑想するのです 座って瞑想すれば 悟れると いうのではありません 彼が言う意味です 分りますか しかし 六祖慧能は 瞑想しました 彼は間違った法門を 修めることに 反対したのです

目を閉じたり 半分閉じて 足を組んで座るのが 瞑想ではないのです これは間違いです それは間違った種類の 瞑想です この様に座るだけでは 決して 仏になれません 自身の仏性を 見つけるべきです それなら 座っても 橫になっても立っても 歩いても構いません 必ずしも座るべき だとは限りません しかし彼自身は瞑想 しました だから 法宝壇経で ある人が 尋ねたのです 「マスター 瞑想の時 見えますか」と  そうですね(はい) これは彼が 瞑想した事を示します そうでなかったら 人々はこう尋ねません そして彼はどう 答えましたでしょう 「見えたが見えない」 そうですね(はい) 体がそこに座って いるだけでなく 瞑想しているのは心だ と彼は示しました 彼は心を 修めているのです これを理解しなければ なりません 甚だしい誤解ですね

マスター 私達五人はあなたの 講義を聞くために 台北から来ました あなたより十倍も 大きい金色の光の環が あなたの体から放たれ あなたの後ろから ステージの下の花まで 輝いているのを 私は見ました あなたは衆生を救いに 来られた仏だと 今 私は確信しました 昨年のクリスマスの 前夜 印心を受ける つもりでしたが 仕事のため 果たせませんでした しかし三晩連続して あなたが足を組んで 講義なさっているのを 夢見ました 起きたあと あなたの話の要旨しか 覚えていませんでした 私とあなたは縁が ありますか 印心は 受けられるでしょうか 印心すると どんな レべルに達しますか 印心したら話します 皆さんはいつも見た すべてを話して しまいますね しかし少しの光も 見えない人がいます 多くの人は 光を見たと言いますね 光の見えない人達は 帰る時 悲しみますよ

マスターチンハイ 瞑想の時 頭のてっぺんに 穴があるのを感じて とても涼しく感じます これは修行に 悪いのでしょうか

そうではありません 修行を続けて下さい 心を穴に集中させて それをより大きく開き そしてそこから 出ていきます 悪い事ではありません 心配しないでね 私達の体には 多くの穴があります 一つ多くても かまわないでしょう? それは悪くないですよ マスター スワミ ラーマは あなたと一緒に 衆生の解脱を 助けていますか 彼は人々に印心を 授けませんでしたが マスターのような 強力な本を書きました なぜでしょう それがマスターの力と 何の関係がありますか 彼は只マスターの様な 強力な本を書きました しかし衆生を 印心していません さあ どうでしょう 彼は多くの 衆生を助けましたよ 彼は修行において 高いレべルに 達しました それで十分ですね

皆さんの愛を有難う

今夜は よく寝て 明日はたっぷり食べて よく働き そして夜 私の講義を聞きに 来て下さいね

神品性とは 原初の 愛の普遍的な力の 曇りない本質です この力は全衆生に 人間と非人間に 植物や木々 岩や鉱物にも 内在します 更にGQを衆生が得る 或いは回復すれば その衆生は ますます愛深く 無私に 気高くなるでしょう

地球を本来の 美しい状態に 戻すには 私達の神品性を どう向上できるか その答えは 五月十八日水曜日の スプリームマスター テレビジョンの 智慧の言葉で お届けする 「霊性の目覚めラジオ ジェームズビーン氏の スプリームマスター チンハイとの インタビュー」で

スプリームマスター テレビ 本日の 智慧の言葉で放送する 「霊性の目覚めラジオ ジェームズビーン氏の スプリームマスター チンハイへの インタビュー」を ご覧下さい

いかなる理由であれ 戦争を起こす人々は 誤って導かれたので 本当に哀れな人達だと 思います きっと若い頃から 誤って導かれ 伝えられ  教育されたのでしょう それでも もし 誰もが 或いは大多数が 今少なくとも 善の生き方に戻れば 戦争のような雰囲気や 戦争のエネルギーは 衰え 奇跡のように 平和は現れます

五月二十日 金曜日 スプリームマスター テレビジョンの 智慧の言葉で放送する 「霊性の目覚めラジオ ジェームズビーン氏の スプリームマスター チンハイとの インタビュー」を ご覧下さい

スプリームマスター テレビジョンの 智慧の言葉で放送する 「霊性の目覚めラジオ ジェームズビーン氏の スプリームマスター チンハイとの インタビュー」を ご覧下さい
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