会場のみなさま スプリームマスター チンハイの 開悟した智慧を 体験する時間です ありがとうございます 私をマスターと 呼びますが 皆さんが マスターです  忘れているだけです 私達が一つになる時 私達が 宇宙の統一性を 思い出す時 私達も含めて 神と一つだと 遍在の知性と 一つだと思い出します これを忘れて しまった時 私達は全てを 忘れてしまうのです そして 他の方法で 思い出そうとします 例えば祈りや経典 ヨガや瞑想のような ものを通してです これらは良いものです 私達にとって良いです ある日 私達は 皆がマスターだと 本当に思い出します この部屋にも 他のどんな所にも マスターでない人は 存在しません 私達は遍在している マスターと 離れ離れには なれないからです 私達は その遍在の中で 一つなのです それが私達を創る 唯一のものです 私達の存在を 創り上げているのは 神の本質 最も 偉大なものだけです

私達は宇宙の 最も偉大な存在を 真理 智慧 神  女神 仏陀と好きな ように呼んでいます それは 私達と一つであり 私達皆と一つです ですから 死の時には いわゆる私達自身 肉体は ただ 地面かどこかに 横たわっているだけで 動きません なぜなら 全ての動きや 活動の本質が この時 肉体という 道具を去る選択を したからです たぶん 他の道具を 探すためかもしれない 私達が神と呼び 事実 私達と 一体である この偉大な存在の 無限さ 広大さを 体験するために いったん 再び この遍在する 知性と愛との 一体性を 見出せば これを開悟と呼び これを神の認識 自己認識と呼び 仏陀への到達と呼ぶ 様々な国において 別の語で知性 智慧 最も偉大な愛と 名付けていますが それは人々が 異なる言語を 話しているからです たった一つだけ 存在します 同一性は 私達自身も含み 全てを取り囲み 私達が努力しても 決して 同一性と離れ離れに なりません この同一性から 離れてしまったと 感じる唯一の理由は 一体性を忘れることを 選んだからです ゆえに私達は偉大さを 再体験できます 完全忘却を通して 私達自身を 再生できるのです 天国の至福や 神との一体性を 再び思い出せます

それは私達自身で 最も偉大な本性 例えば 多くの人がいつも 私に尋ねます 死んだ時 どうなりますかと 私はいつも答えます 死んでないので 分りませんと でも私達は最も深い 祈りや黙想の最中に 死の感覚を 体験できます 最も深い祈りの中に ある時 私達を含め 周囲のものを すっかり忘れて しまうでしょう 全ての悩み事が 離れてしまうのです これがインドの ヨガ行者が言う サマディです この瞬間 私達は神と一体感を 体験します ちょうど死んだ時と 同じようなものです それで聖書では こう述べています 死ぬ事を学べば 生き始めるだろうと また ある聖者は 私は日々死ぬと 魂のために肉体を 捨てる者は皆 神を 見出すであろう等 どう肉体を忘れ 捨てるのでしょう 毎日 生活や 生きていく上で 多くの問題があります 私達の周りで見る どんな些細な事でも 暮らしの中で出会う どんな事でも 私達に常に 私達は肉体を持った 衆生であり 単なる肉体で  弱く脆弱な人間だと 運命の前で無力だと 喚起しようとします では どう忘れられますか 私達は忘れられます 修行すれば  方法が分ればできます 非常に簡単です 私達みなが行えます 六歳の子供たちから それより幼い 五歳の子もいます

既に神との一体感を 体験しています 肉体を捨て 魂と一つになったり 生存中に天国を 訪れるというような 珍しい感覚を 体験しています ちょうど私が皆さんの 美しい国を訪問しに アフリカに来て 明日 明後日と 他の国に戻って 行くようなものです 私の家がある所に 戻るようなものです それほど簡単な事です 私達は天国を訪問し 地球に戻って来ます 肉体ではなく 私達の存在の 本質によってです それを魂や霊と呼び それはいつも 神と一体なのです 肉体は単に 焦点のようなもので 肉体的な体験を 集めるために 魂が体験したい事を 集めるために 魂は全意識をそこに 向けられるのです そして一時的に彼は 魂が彼なのか彼女か いずれにせよ 言わねばなりません この物質的存在内で 何か体験したいと 望むと 魂や偉大な 神の存在の一部は ある場所に焦点を 定めねばなりません しっかりと定めるため 魂は神と一体なことを 完全に忘れられます その瞬間 私達は生れます 物質的世界に生まれ 肉体を得た というのです

そして 魂や神意識の一部で ありながら なお肉体の焦点に 集中するのです 魂が集中しようと 選んだ肉体にです 私達はそれを 彼や彼女と呼びます 人間や某という風に 呼ぶのです 実際 魂の一部は 私達は個々の魂と 呼びますが 決して全神意識から 離れません ですから 決して 生れることも 死ぬ事もないのです しかし 私達は 神について完全に 忘れることを選び 私達の全統一性を 忘れることを選んで 肉体的存在に焦点を 当てているだけです そうすると 決して 神を体験できません しかし 目覚め 思い出すことを選べば 私達はできます しばらく自身の 注意力を捨てられ 肉体的存在には 焦点を当てません 統一性に焦点を 向け直し そうして 神を見出せます 私達は決して 神から離れていなくて 神と一体であると 常に決して神と 離れないと認識します それは宇宙における 秘密なのです 私達自身の 意識以上の何ものでも ありません それらが常に選択 させているのです

私達は人間になる ことを選択し 肉体に焦点を当てて いるので  人間を体験します 全ての悲しみや 苦しみ 幸福 肉体でする冒険 快楽 苦痛をです 肉体的な体験を 十分したと感じた時 私達は何か違った 体験をしたいと思い そのため 別の選択をします 天神になるのを 選ぶかもしれませんし ひょっとすると 花になる体験を 選ぶかもしれません それも可能です そうやって 生れるのです 輪廻転生の論理です 異レベルの存在へと 霊魂が 輪廻する論理です しかし 実際 私達は 決して どこかへ 行ってしまう 訳ではありません 永遠に宇宙の生命力 内で漂っているだけで 神レベル内に永遠に 存在しているだけで その中で永遠の己の 快楽や楽しみのために 違った焦点を 体験しているだけ しかし 私達が肉体でいる間 自分の智慧を 忘れてしまっている ことがあります それゆえ ここに やって来る前にした 自分の選択を 忘れてしまうのです その選択が ある痛みや苦しみへ 導くことがあります

そしてとても沢山 不平を言います 私は苦しみが 嫌いですから 肉体は苦しみが 嫌いですし 頭脳は ストレスが嫌いです しかし 魂が体験したいのです 魂がストレスを 体験したいのです それで 魂は 再び神意識の 自由に感謝できます 魂が苦しみを 選択したいと思い 再び永遠の至福に 入った時に 千倍もの喜びを 感じられるのです そういう理由で 私達はここにいます もっと神を知るように 私達自身を知るように 古代の国王のように 時々 王は 普通の人に 変装して 本当の国民の姿を 理解するために 人々の中に紛れ込む ことがあります そして帰って来た時  自分の地位に より感謝するのです 快適な宮殿や  仕える召使い全員や 持っている全権力に 対してです 一般人に 変装している時は あらゆる困難を克服 しなければならず 全ての一般的な事を 各々が彼の課題で あるようにです 彼は 自分が国王で あると明かせません 実際 身分を 隠さねば ならないのです そうすることで 本当に国民と 交われて 彼らの日常生活を 体験できます

同様に 私達は 神と一体でした その時 意識の上でですが 私達は決して神から 離れていません しかし今 意識的に 覚えていません それで 肉体的生活で 十分苦しみ 世俗的体験を 十分すると 私達は飽き飽きして ここには 楽しむものが 何もないと感じ どこから来たのか 神の創造した 広大なる宇宙に 他に何があるのか 知りたくなるのです 体験したくなります これがその時です この質問をした時 どういう事なのかと 思った時 これが 悟りを 体験する時です 私達にはその準備が 出来ています ですから 今回 人間になるために 別の人間になるために 皆 やって来ました 時々 私達は 一つの焦点や 一人の人間の存在に 焦点を当て 肉体的快楽や 肉体的冒険が 十分でないと 感じると 再び 別の人間の 存在へと 焦点を当てます そうして飽きるまで 更に続けて行きます ですから 実際 準備が出来た人は 神の光や  神との一体 開悟が 体験できるのです このように とても簡単です 皆の選択だけです

皆さんは忘れるのを 選んで来て今 思い出すのを選びます 皆が再び思い出す 選択をしようと するなら もちろん 皆に仕えるため 私はここにいます 神はそうする許可を 私に与え 命令したからです たぶんある日 皆さんが 自身のことを 全て思い出したら 神はまた同じように 言うでしょう 息子よ行きなさい 娘よ 行きなさい 私の子供達のために 自身のために 奉仕しなさいと 私達は決して神と 離れないからです それを覚えていてね 覚えて いないにしても 私を信じて下さい 神意識の内以外に 私達に行く所は どこにもありません たった今 神の家以外に どこにもないのです この宇宙の至る所で 神は全衆生を 取り囲んでいます 全ての花 太陽 月 星 惑星 銀河は 全て 皆 神の内にあるのです 神から免れるものは 何もありません

ですから たとえ 悟らなくても 大丈夫です 実際 行けるような 地獄はありません 意識ある魂にとって 地獄のようなものは 存在しません 永遠の過程において 一時的通りすがりの 体験として 魂が 通らねばならず 成長するために 再び幸福を 理解するために 魂が いわゆる 苦しみの体験を 選択したからです 全ての魂が  神の小さな部分でも 神の別の面を 体験するために 別の道を歩く 選択をします 全人類 全衆生の あらゆる体験は 神の全体性の中で 創られています イエスは言いました 隣人を愛しなさい 敵を愛しなさい とまで言いました 皆が私達だからです その役割を演じる事を 選んだに過ぎません 敵は存在しません ただ私達が神の別の 焦点に過ぎません 人生を より豊富に 多様に より違ったものに より多彩にするため 私達を違う皮膚色に 創ったのと同じです それで 互いに 楽しめるのです 私が黄色いコーン フレークのようで 皆はチョコレートの  ように見えます 彼は砂糖衣のように 見えます

クリスマスの砂糖衣 神は多彩ですから 全ての違う花々を 様々な色に したのと同じです 果物もそうです 同じ土から 私達は沢山の違う 果物や 花々を手に入れます それは皆 違った 色をしています アフリカの人々は 常に多彩な服を着る 選択をしてきました 内面で非常に 神に近いと感じて いるからだ思いますと 彼らは大変幸福です 

ですから神や私達の 本性を見出すことに 何ら神秘的だったり 難しいことは ありません というのは 私達は 神以外の本質だった ことはないからです 神と一体であり 神の子であり 神の子孫 神の閃光 神の一部でした 海の中の 魚と同じです 魚は海で生まれ 海で暮らします そして 死んで再び 海と一つになります

そういうことです 私達は決してどこにも  逃げられません 私が見出した朗報を ただお知らせ したいのです 行くべき 地獄などないと 永遠の闇や苦悩中で  責められることはない と知らせたいのです 永遠の苦しみなどは ありません 存在するのは唯一 永遠の愛だけだから 今の問題は私達の 考え方を変えねば ならないだけです 変えねばなりません 余りにも多くの 罪意識があり 全ての事で恐怖と戦い 成功を収めても 罪意識を感じます 人々は 私達が 金持ちになっても 罪意識を感じさせ 神が少し金持ちに してくれ 仕事で 成功させてくれても 人々は私達に 罪意識を感じさせます 奥さんが美しければ 人々は皆さんに 嫌な思いをさせる ことがあるでしょう   彼らは近づいて来て 尋ね どうやってこの美しい女性と 知り合ったんだいと または彼女に尋ねて あいつのどこを 見たんだい ヤツはとても醜いしと そんな事を言います それは全く彼らの 問題ではないのに 嫌な思いをさせます 大金持ちでも 罪意識を 感じさせます 政治的に仕事上で 成功を収めても 罪意識を感じさせます

全世界がとても 多くの事に罪意識を 感じているのです そのように教わって きているからです この教理は全く 間違っています イエスもモーセも 私達を自由にするため 来る必要があり 自己犠牲だけでなく 神とは全愛だという 教えにより 私達を 自由にするためにです 叩けよ  されば開かれん  求めよ  されば与えられんと どこを叩くのですか

私達はもう叩くこと さえ出来ません 弱すぎるのです 私達は 執念深い 神の罪と恐れを 背負っているのです そのような執念深い 神など存在しません 神が執念深いなら 神は私達や皆さんや 私のようです 戦争の神です お前は私に何か 良い事をせねばならぬ これは神ではなく そんな神を 想像できますか そんな心の小さな 狭い人間を 崇拝する 必要はありません 神が一人の人間で  そんな神がいたら 神を崇拝することで  思い煩うべきでなく それなら 単に 権力を乱用する者の 一人と同じですから この惑星にでさえも それを考えて下さい 皆さんには 子供達がいて 妻や夫がいます 時に 妻が 間違いを犯したり 夫が少し 道を逸れたりしても それでも 彼を許し 彼を抱き締めます OK 許します 二度としないでねと 子供が沢山の迷惑を 掛けることがあり 頑固だったり 言うことを 聞かなかったりして 皆の頭痛の種となり でも皆は彼らを許し 彼らを愛します 両親は出来る限りの 最高の愛を与えます

お金や全ての事を 犠牲にして それなら 神 全宇宙における 最も偉大な父母なら どうして執念深く いられるでしょうか 皆さんを地獄へと 追い込めますか 単に皆さんが人間で より良いものは分らず  時に 間違いを 犯すからといって この種の恐れは 世々代々と 私達に押しつけ られて来たのです ですから 私達は今 自分自身が弱すぎて 祈りに応える神の 存在さえ 信じられ ないと思っていて それで 私達が祈る時   心の底から 祈りません 私達の祈りが 聞き届けられると 確信が持てません しかし 聖書では 叩けよ されば 開かれん 求めよ されば与えられんと そういうものです 神とは 本当に そういうものです 何をするかに関係なく神は常に 祈りに応えています ただ聞かねばならず 私は神の声を聴く 方法を教えます これは自分の考え方を 変えねばならず 今日から神は許しと 愛に満ちた存在だと 信じねばなりません 神が許しや愛に 満ちてると信じられ なくても イエスが 皆のために犠牲に なった事は信じます

それで 私は彼が 言った事は真実だと 示そうとしてます 神が本当に存在する のを示そうとして 神なる父 神なる母 仏陀 誰であれ 皆が信じている存在 アラーもそうです 皆さんが全ての愛  全ての美全ての信心を 込めて神の名で呼ぶ 誰であろうと それは神です 常に愛に満ち 決して一瞬も皆を 非難することは ありません 常に神の方を向けば 皆さんが人生で どれほどひどい事を したかに関係なく 彼はドアをすぐさま 開きます ですから 私達は この方法を即刻開悟 と呼んでいるのです 即座に起こるからです そして 今生で 得られる唯一の ものは神であり 神はどこにでも 存在すると 皆が 完全に思い出すまで 繰り返し 修行できれば 皆さんは幸せになり 神の光を 見た初日から 幸せになるでしょう 既に初日からです 今日からかも この奉仕に応じるほど 私を信頼すれば すぐに手に入れます 何の問題もなく 何であれ聖書に 述べられている事は 一〇〇%真理であると 分るでしょう

モーセが神を見た事 イエスが 神と一体だった事 それで 彼は 彼は常に 神の子でしたが 唯一の神の子では ありません 私達もまた 神の子なのです 神は不能ではなく 一人の子しか作ら なかったのではなく 彼は沢山の子を作り ただイエスは 神と結びついている 最高の自己を 覚えていたに 過ぎないのです 彼が全ての事を 覚えていて 私達が覚えていない それだけです 王に二人の息子が いました 一人は国をあちこち ほっつき歩いていて 自分が王子なのを 忘れてしまいました もう一人は 父親といて 自分が王子なのを 覚えています 両方とも王子です 何の違いもないです ある日思い出せば 彼は戻って来ます 同じことです そう それで 私達は 神の迷える息子であり 娘なのです 私達が家に帰りたいと 思った瞬間すぐ そこに存在します 全ては思いだけで 創り出されるのです 例えば今 私達は 肉体の中にあるので イエスや仏陀の 教理を それほど 理解できません こう述べてます

何であれ求めるものは 天なる父があなたに 与えるであろうと 何であれ あなたが 考えたり 望んだり するものは叶えられる という意味なのです でも 信じられません 私達が肉体と呼ぶ この物理的束縛で 厳重に監禁されてる からです ですから 無限の 愛を体験するために 無限で 遍在し 無条件の 永遠の神の愛を 体験するために 肉体の上に浮かび 上がらねばなりません 私はその方法を お教えします とても簡単です バスの中でも 飛行機の中でも 公園でも どこでも出来ます 何の条件もなく あっという間に その方法を教えます そして 私はより深く 肉体を捨てて進む 異なるレベルについて 教えられます

より深く進みたいなら 更に知らねば ならない事があり それを説明するには 二時間ぐらい かかります しかし 悟り自体は 数秒で起こります 説明に時間が かかるのです なぜ説明が必要か 家で一人でせねば ならないからです それなら 全てを 知らねばなりません 面倒を見て 自分の マスターになります もう私をマスターと 呼ぶ必要はなく自分を マスターと呼び 厄介な事は不要です 私達は友達です 私達 皆が平等で 本当にそうです

ここには沢山の事が あり過ぎます ゆっくりして下さい 神はとても早口です 私は早口ではなく より高い境界では 話すことさえなく 私達は理解し 合っています 頭の中で   自分に話し掛ける ようにです

メッセージはとても 素早く伝わります 忘れることがあり 追いつけないのです

私達が神と 一体であることや 望む事や思い出そうと する全てが すぐ鼻先にあるのを 知らないのは この肉体に 束縛されているから なのです 肉体を超越するために その方法があります 私達はイエスや仏陀 ムハンマドにさえも 接触できます 物理的環境を立去り 別の境界に入った 過去のマスター 誰にでも 接触できるのです 彼らに会うため私達は 彼らの境界へ入り 彼らに会うのです とても簡単です 最多のアフリカ人に 会いたくて ここに来たのです イギリス人に 会いたければ イギリスに行きます 時に 私の所へ 来る何人かの イギリス人もいます 数人の南アフリカの 修行仲間がいます 私の所へ来ることも 極めて少ないですね 全アフリカ人に 会いたければ 私がここに来きます 皆さんが 全天国 神のレベル ある天界の住まいを 見たいなら 彼らの所へ上がって 行かねばなりません 私達はそれを思いに よって 非常に深い 思いによってします ここにある この門を出て いつでも随時 別の境界に 入るために 想念の力をどう 獲得するか教えます 修行すれば いつでもどこでも 出来るようになります

ですから聖者は 死ぬ事を学ぶべきで  それで生き始める と言ったのは  皆さんが 深い思いの祈りへの この深い黙想を学べば 私達は天界の 衆生の境界に 入れるからなのです 多くの人や 一般の人にとっても それは死の瞬間と 同じなのです 修行者 ヨガ行者 とか言う必要は ありません 一般の人でも良心が 澄み渡っていて 人生を 善の完全なる 手本として 過ごしていたなら 死んだ時 自分が 本当に解脱したと 分ります 自らが遍在し同時に どこにも存在している と気づくでしょう 存在しない所はない と気づくでしょう そして 何かを 望んだ時はいつでも 彼らの真ん前に 現れるでしょう 彼らが誰かのことを 思えば その人が 彼らの真ん前にすぐに姿を現します 言葉を変えて言えば 彼らは 望んだものや 会いたい人を すぐに自分の真ん前に 投影できるのです ですから 私達が 死ぬことを学んだ時 この肉体を離れ 一時的に死ぬと いうことですが 私達にもこの種の 体験があります

何であれ私達が 望んだ事は本当に 間違いなく分かります 神が授けたのです 神が与えたのです この肉体において 私達は余りにも 至天界の福や 神の愛に対し ろう唖であり 実に無力に感じます この肉体に入った時 私達は 最も無力です 箱に閉じ込められて そのカギを 川に 捨てられてしまった ようなものです 非常に無力です ですから 私達は愛の栄光を 体験するために この肉体的牢獄を 超越することを 学ばねばなりません そうすれば どこにいようが 関係なく 毎日幸せになれます どれほど所有して いようがいまいが 関係ありません 私達は常に満ち足り 幸せでいられます ですから イエスは 死に直面した時 動じなかったのです 彼は言いました 父よあなたはどれほど 栄光をもたらしたか 彼は はりつけを 受け入れ 逃げませんでした いつでも そう出来たでしょう その力と 知識のある人なら 何でも出来たのです 彼はしたくなかった なぜ 彼が逃げねば ならなかったのか ただ彼に より栄光と 幸福と自由を 感じさせてくれると 分かっていることから なぜ彼がこの小牢獄に 執着を感じなければ ならなかったか 天国の広大さを 知っている時に なぜ彼はこの肉体の 境界での親戚や友に 執着しなければ ならなかったか 天なる父に 会えると 分かっている時に 全ての兄弟姉妹 全ての親戚 友達は 結果的には 彼と一体だと 分かっている時に それが真の解脱です 神の認識での自由と 比較できる自由は 何も存在しません それが 私達が 探し求めねばならない 真の唯一の自由です

干上がる河川 湖と貯水池 気候変動の危険な 影響を受けている 状況の新時代に 世界の水がめは 急速に枯渇し 野生動物の生息地と 人間の文明に 危機を与えている 次に挙げるものは  失ってしまったか 失いつつある 海 河川 湖 地下水の蓄えで 何億もの人々の暮らし 動物 農業  生命 電力に 影響を与え CO2やメタンの 放出によって脅かし 気候変動を 深刻にしている世界の主な河川が 干上がり1/3が断流 またはその危機にある 三〇億人のための  地下水井戸は 枯渇しつつある 世界十大水系が 干上がり 減退している 中国のサルイーン川 欧州のドナウ川 南米のラプラタ川 北アメリカの リオグランデ川 インドのガンジス川 パキスタンのインダス アフリカのナイル川と ビクトリア湖 豪州マレーダーリング 東南アジアの メコンランカン川流域 中国の揚子江 ダムのため  過度の水採取 魚乱獲 気候変動による 主要な湖が枯渇または その過程にあり CO2 メタンや 他のガス放出といった 危険な副作用を伴う以下は生命維持に 最も不可欠であり 枯れかけたか 完全に枯渇した 最大水源の一例であるアフリカ ケニア山からの川 ケニアの大半の湖 アフリカ最大の湖 ビクトリア湖

同大陸で4番目に 大きなチャド湖 世界最長の川 ナイル川 世界で3番目に長い ニジュール川 ザンビア カオマの 川と流水 北アメリカ 米国とカナダの 五大湖 ミシガン ヒューロン スペリオル セントクレア湖 五大湖からの 緊急給水が 危険にさらされている カナダ エルズミーア湖北極池 カリフォルニアの サンガブリエル川 テキサスのキャニオンレイク アラスカの 一万以上の湖 コロラド川

米国最大の貯水池 ミード湖 バージニアのジェームズ川 エレファントビュート およびカバッロ貯水池 コロラド川流域上部 サウスカロライナ サムレーク湖 ウィスコンシンの ブリュレ川ポップル川 パイン川メノミニー川 北カリフォルニアの 貯水池 レイクメンドシノ湖 カリフォルニアの フォルサムレーク湖 貯水池 米国 フロリダ タンパベイ付近の水源 米国 オガララ帯水層 メキシコの レルマチャパラ サンチアゴ河川流域 リオグランデ (リオノルテ)川 中央及び南 アメリカ チリの氷河湖 テンパノ チリのカチェット湖 アルゼンチンと ブラジルのユネスコ 世界遺産イグアスの滝

ボリビアのポオポ湖 パラグアイの 河川の水量の減少は 緊急状態を示す ペルーの帯水層は あまりにも早く排水 ウルグアイの4大 貯水池が危機的低下 ヨーロッパ 英国ティーズデールの グレタ川の干上がり 英国のマージー川と セバーン川の低下 英国とウェールズの 川や湖 河口と 帯水槽の減少 ドイツのエルベ川 ドイツのライン川 ハンガリーの バラトン湖 (欧州最大の淡水湖) キプロスの 貯水池は枯渇し ギリシャから水を 輸送する必要がある ギリシャ北部の コロネイア湖 ロシア シベリアの 1千以上の大きな湖が 干上がり 下の 永久凍土融解に 流れている恐れがある トルコで二番目に 大きな湖トゥズ湖は 現在砂漠化している トルコの湖と コンヤ流域の湿地帯が 干上がる トルコの多くの 大型湖 トルコのコザンリ湖 トルコ ジャヴスク湖 トルコ マケ湖 トルコ最大の クズルウルマク川

オセアニア 豪州のマレー ダーリング川流域 豪州ビクトリア州 最大のコラク湖 近代史上 初めて干上がる 豪州のボロク湖 タスマニアのクレイグ ボーンダムが空になる ニュージーランドは 河川の水位降下により 節水制限を行なう タンザニアナトロン湖 タンザニアの マニャーラ湖 中東 ハモウン湿地帯は かつてアフガニスタン イラン パキスタンを 繋いでいたが現在 乾燥平原地帯となり 人々は余儀なく移動 イラクの有名な沼地 (エデンの園と 信じられている)は 干上がっている ヨルダン川は消失の  危険にさらされているアジア アフガニスタンの ヘルムンド川 アフガニスタン 北部チェムタル地区は 長期の干ばつに苦しみ 児童は登校せず 水汲みを 強いられている 世界で四番目に 大きな内海のアラル海 ウズベキスタン カザフスタン

モンゴル852河川が 消失 1160の湖と 水資源が干上がる ネパールの クリカニ貯水池 パキスタンのインダス 川の水量が9割減少 東南アジア最大の 淡水湖 カンボジアの  トンレサップ湖 インドの聖なる川 ガンジス川は氷河の 消失で干上がっている インド ハリヤナの 多くの湖が枯渇した インドの ガンビール貯水池 ジャールカンド州の 地下水位の低下 インドのソン川沿いの インドラプリ貯水池 インド シッキム州の 最長の川ティースタ インド ケララ州を 横断する貯水池 インドのボパール 上部の湖が縮小する 中国で二番目に長い 黄河 中国の長江 中国東部のカン江 中国西部 居延海 艾丁湖 マナス湖 中国北西部 最大の湖であるロプ湖 中国の 広東省の北京川 広東省の北京川 チベットの マドリ地方4077の 湖の5割と中国の 河北省の1万520の 湖の9割以上が喪失 中国 長江流域の 1万3千平方キロの 湖が消滅  そのうち800の湖は 完全に消失した 中国へナンの ルハン貯水池 タイの  チェンマイを流れる メコン川 オゥラック (ベトナム)を支える 二大河川 メコンデルタ