神話のように 聞こえる 輪廻を理解することに 熱中する人もいます 死後何が生まれ変るか 説明してください 個人的な「私」個性 体を知っています 環境的で 文化的な心は 生まれ変わりません それで又何がしますか 生まれ変わるのは 個性です それでさえあります

輪廻とは 同じ体で二度と 戻って来るという 意味ではありませんが 今生で 解決できなかった 何かへの 私達の考え  欲望 執着は もう一つの体に 一緒に詰め込められて 再び戻って来ます それが言わゆる 輪廻です  そしてその体は たぶん異なる体で さらに異なる形の体で 後に残された または今生からの 残りものは 何でも楽しみ そして 苦しみ続けるのです たぶん今生であなたは 黒人であり 来世で白人 黄色 または赤色人でしょう あるいは今生では 人間の体にいますが 来世では皮を被った 動物の体のような 異なる体の中に いるかもしれません 考え 話し 欲求し 執着するすべては エネルギーがあるから それは一種の非常に 具体的な雰囲気でそれ 自体を明確に述べます それからその雰囲気はすでに存在する すべてこれらの具体的 形態を成し遂げる 強度を弱めるため 異なる環境 異なる状況に 再び進化します 存在するすべては 何らかの形で 破壊されて変形されて 果たされなければ なりません これは輪廻が 意味するものです 例えば 植物を栽培し そして植物は花を 咲かせます 次に どうにか自然はある日 花を壊します それは存在して来たし それから暫くして それは分解されなけ ればならないからです それで 私達の考え 執着そして欲望が 今生で成就することが できなければ来世で できねばなりません 非常に論理的です 不可解な事でないです 妻が菜食主義者で 夫がそうでなければ 彼のために 料理しませんか

すべきことをしますが 影響しません あなたが医者なら 薬を飲む 必要はありません でも患者には薬が必要 患者に それを与えます しかしあなたが ベジタリアンで 高潔な生活を送るなら あなたの夫にも 徐々に興味を持たせて 内面から高潔な生活を 求める願望を鼓舞し それであなたと一緒に なるかもしれません それは完璧でしょう

目に見えない 強い衆生の話ですが その一部は私たちに とって有益や 幸福ではなく 否定的な影響をします 私の質問は内在の音は 神であるか悪魔か その違いはどのように 区別するのですか

区別するのは簡単です

神が私たちに話す時 人間の言語 この声を 使うのではありません 私が話した 「神の声」 それはある種の非常に 心安まる 抵抗できない音楽です 一種の音流でもあり 私たちが賢明に 正確にこの世で 活動するために必要な すべての智慧と教えが 含まれています 悪魔の大部分の声は 私達のような 言葉を使い 社会秩序に反する 倫理道徳に反する 悪いことを教えます あなたは区別する ことができます 一番いいのは あなたが宇宙の中に 善悪の力を 管理する能力のある マスターを持って いることです あなたが悪魔に 遭遇した時 自身で 戦うことができない時 この場合 あなたが そうすることが できないなら このようなマスターに 助けを求められます このようなマスターが いないなら 心から神に祈る こともできます 助けを神の パワーに祈り またはイエス 仏陀 観音菩薩 あるいは あなたが 信じている人 例えば ムハンマドなどに 祈ってください そして これらの 肯定的な力は誰かを 気づかないうちに 助けに行かせます 時々あなたはこれらの 目に見えない衆生が 来て 暗黒のパワーを 散らし 消し 悪を 追い払ってくれる事を 見ることもできます

あなたはサタン 悪魔 デーモンのような 邪悪な力を信じますか

信じています すべて 私達が作り出しました 何のために 何かのためではなく 何かから作ったのです 否定的な考えから 残酷な思想 行動 無知からです 全ての考えは創造力を持ちます そして 遅かれ早かれ それは 何らかの形で現れます 前向きな考えであれば 天使と幸せを 招きます 否定的な考えであれば 悪魔 暗闇と 惨めさを作ります 善と悪は全て私達 自身が作り出したと 信じています もう一つの質問は 輪廻に関してです 魂は輪廻するしないを 選べますか あるいは それを選択することは できず 自然に 起こります 全ては 最高のパワーによって 支配され決定しますか 選択できるし  選択もできません 一般の人々にとっては 選択はありません 仏陀 聖者 キリスト なら選択できます 彼らは意識的に 両親 生年月日 出生地及び  没年月日 この世から去る期日を 選びます 彼らは選べます 彼らは母親の子宮の 中にいる時 既に 意識を持っています 彼らはこの世に来る 前に意識があります 選んで来たのです 地球を救うために 友達を助けるために 援助を祈る人々を 助けるために 来たのです 彼らは選べます それ以外の人では 自身の行為 前世の行為によって 輪廻します

先ほど話したように 私達の考えと習慣は 一種のエネルギーに なります それは私達を異なる 環境に行かせて 実現し消去します 必要な時に この既に作られた 具体的なエネルギーを 希薄化します カルマとは何ですか カルマと悟りとの かかわりは どのようなものですか カルマの概念の中には 即座に 悟りを開くような事は ありますか 「カルマ」はいわゆる 因果と言います 「まいたものは何でも 刈り取ることになる」 聖書にあります それがカルマです 種をまくことができ 刈ることもできます その除去もできます したがって イエス 仏陀は地球に 来てこの恐しい負債を 払うのを助けるために 自身では払えない 負債です それをカルマと言い 多くをまけば 多くを収穫するのです そのためある人々 天なる父 息子  あるいは仏陀が無量の 功徳 無限の功徳と 共に降りてきます 彼らは必要とする 全てを与えてくれます 債務を払ってくれます なぜなら 神は 慈悲深く無限の恩恵と 加護を持っているから あなたが求めるものは 何でも手に入れます 叩けよ されば開かれん 多くの人は尋ねません ノックしません ただ自分の頭を壁に 打つだけですので 多くの恩恵や加護を 得られません そして神は慈悲深く ないと思います 神は慈悲深いのです 神は常にイエス 仏陀 クリシュナのような 使者をこの世に 派遣しています 私達を救い 家に 連れ帰るためにです 悪いカルマ(報い)にも かかわらず 多額の 負債にもかかわらず 家まで送ってくれる ことができます  こういった人の恩恵に よって私達が悟りを 開くことができます

例えば 私達は非常に貧しい 家庭に生まれます 私達の家族は 世々代々貧乏で 裕福になることや 社会でより良い地位を 得ることなど  少しも望みません しかし やがて 王子 あるいは官吏が来て 彼は非常に裕福で たまたま私たちの 家の前を通りかかって 私達のことが好きに なったり 娘の事が好きで彼女と 結婚しようとします それで 家庭は変わります 地位は変わるでしょう 隣人とか 地主に 多額の負債を 負っていたとしても 彼は自身のお金で 返済し それで宮殿に 連れて行ってくれます さて神は非常に 裕福な億万長者の ようです 彼を訪ねる人は誰でも 神は全ての罪を洗い 天使にして 神の ようにしてくれます なぜそうできるのか 神にとって 不可能なことは ないからです 神が宇宙全体を創造 できるなら 家まで 送ることもできます 神が望むなら でも私達は神がどこに いるか分りません 神と私達の間には いわゆるカルマ (報い)という 非常に厚いカーテンが 存在している からです それで神は私達 人間に良く似た人を 派遣して カルマを すり抜けて私達の手を 握り「さあおいで」と 言うためにです

神はとても抽象的です 現れたとしても 見ないでしょう

私達は幻想を見るのに 慣れているのです 私達は具体的な姿を 見るのに慣れています 神が現れても 分りませんし 気がつきもしません ですから教えてくれる 専門家が必要です 「ええ そうですよ 昨日あなたが見たのは 神です」 とか「一瞬だけ 神をお見せします」 とか「5分でも 神が見れますよ」 「神がこれこれ このような姿で このような力で このような智慧で 現れれば 分りますよ」と それで理解できます それで確かに 即座の開りが 得られます 全くそうです 即座に神が 見えます なぜなら 神は内在するからです 「汝が神の神殿で 聖霊が内にいることを 知らないのか」 と聖書にあります 神が内在していれば 必ず すぐに見れます 方法の問題です 違いますか 呼吸の瞑想をする時 長く集中できません なぜでしょうか 瞑想をうまくするには どうしたらいいですか 神や仏陀に 集中できるよう 長く祈ってください 以前にも言いましたが 呼吸ははかないもので もっと恒久のものが 瞑想には必要です そうすれば 長くできるでしょう 二十四時間 眠っているときでも 食事のときでも 入浴中でも 車の事故に遭い 意識不明の ときでさえも 様々な境遇で 瞑想を続けられます 高次元の意識で 瞑想し 頭脳の次元では ありません 頭脳は認識するか 呼吸に集中する だけです 高い次元の智慧で 瞑想します その方が恒久的です またより簡単です どう瞑想しますか 毎晩十分から二十分 瞑想しますが 思うように早く 進歩していません 十分から二十分では だめでしょう 1日二、三時間 どれでもいいのでなく 効果的な方法で やってください 確かに あなたを平穏で 平静にする方法は たくさんありますが より早い方法が ありますちょうど ベンツがディーゼル車 より早いのと同じです ベンツとディーゼルの 車は比較できません 飛行機は列車より 早いので 飛行機を選べば早く 行けます 瞑想方法も それぞれで異なります ゆっくりのものも 早いものもあります この方法はかなり早く 最速です ジャンボ機や ロケットのように 最速です

早く進歩したければ 方法を変更しては どうですか 座って瞑想できない 場合は どうすればいいですか なら瞑想しないで 立って しばらく散歩して 顔を洗い シャワーを浴びて 少し歩いて 戻って またやってみて下さい諦めないで ええ 私は時々 一般論を話します あなたは全く 経歴からすべて 違いますので おそらくあなたは 自分の瞑想の方法が 好きなのでしょう 全く構いません ですからあなたに代り 私の方法でなく あなたの方法に ついて話しています あなたを改宗させ ようとは思いません あなたの強い希望で あなたの方法で 進歩させるお手伝いを したいだけです 毎日瞑想すれば 毎日できなくても 疲労回復しよい結果を 得るでしょう  でも毎日 いつでも 瞑想しなければ なりません なぜなら 神の恵みは 私達に降り注げず 私達と約束することも できません 例えば「明日あなたを 平穏にさせに来ます 明日 あなたの前に現れます 明日第三界に連れて いきます」などと いいえ いいえ それはいつでも ある一瞬で 全く予期していない 時に来ます ただひたすら どんな方法でも精進し 瞑想し内在の神性に 私達を導き 援助し 支え 祝福してくれる ように祈って下さい 毎日 結果を考えずひたすら 瞑想してください

いつか 明日 次の瞬間かも しれません 成就するでしょう 決して諦めない下さい 簡単ではありません 例えば店を開いて ものを売買するとき いつ客が入るか 全く分りません そうではないですか 店は一日中開け 来客の有無に関わらず 開けたまま 待たねばなりません 時々最後の客がきて 店中のものとか 店のものの半分ほどを 買うこともあります 違いますか 神に接近する 第一歩とは 何ですか 神が存在するなら 祈らなければならず どうぞお導き下さい  お助け下さいと 自分の宗教を守り 信じている教主に お助け下さいという ようにお祈りします キリスト教徒なら 神 イエス 聖母 マリアにお祈り下さい 仏教徒なら 仏陀 菩薩 観音菩薩  阿弥陀仏等に お助け下さいという ように祈って下さい それが第一歩です 第二歩は 聖書 仏教経典または 他の宗教経典に 定められたような  高潔な生活を 送らねばなりません 人々に 悪いことを教える 主要な宗教など 見たことがないので  自分の宗教倫理に従う 道徳を守るのが第二歩 第三歩は とても大切なのですが 神を知って悟っている マスターを見付ける 必要があり  私達を指導してくれ 彼らがが得ている富を 私達と共有します 例えば  英語を話したい場合 第一歩は何ですか 先生が受けとる お金を準備すること それで英語が話せる 先生を見つけに 行きます スペイン語を話す人を 見つけても だめです

とても簡単です 私達は悪を作りますが 神は悪なしで 存在できますか 悪なしで 善が存在できますか 神は悪で善というのは 本当ですか 善は悪で 悪は善と いうのは本当ですか いいえ 善は善です 悪は悪です しかし  より高いレベルには 善も悪もありません

それは 善も悪もない という意味です このような意識に 達すれば 全ては平和と 静けさです 何が悪で 何が善か あなたに 分かりもしません それは自然そのもので それで善もなく 悪もないと言うのです 古代のマスターが 言ったことを 誤解しないで下さい

彼らは自身の成果に ついて話しました 私達は善は悪 悪は善 とは言えません できません そうしたら 警察から逮捕されます

それを信じるのは 安全ではありません 危険 お願いします 悟りとは何ですか あなたは 悟っていますか

確かに悟っています それは何ですか 毎日悟っています

どのように私の体験を あなたに話せますか 共有することが できるだけです 印心の際 悟りは何かが 分かります あなたは私の体験を いくらか得ます それで毎日 さらに 発展させていきます 毎日 奇跡があります 毎日 神の臨在の中で 生きます 神は永遠に二十四時間 あなたを保護します 即刻開悟の法門と その喜びを 説明して下さい

この法門は沈黙の中で 伝えられ 沈黙の中で それを得ます だから それについて 話すことは 難しいのです ただこう言えます 私がこの法門を あなたに伝えれば あなたはすぐに 神の存在を体験する ことができますと 神の素晴らしい輝きを 見るかもしれません

神は光です 愛です 神はすべてのものを 支えるもので 楽しみ  希望に溢れるものです それで印心を受ければ 愛 保護 智慧 すべてを得ます

皆さんは既に智慧を 有し より直接的で より高い智慧を得ます 今 聡明でありますが 智慧はちょっと 少ないかもしれません 智慧と聡明さは 違います そしてあなたは 毎日 神からの指示 聞くかもしれません 内在の振動力を 聞くかもしれません この振動力は生活を 支え あなたに必要な 全ての智慧と愛を 与え 毎日の苦闘を 経験させます それが得るものです 法門については この法門は マスターのパワーです 実は具体的な方法は ありません  それを得れば 沈黙で 伝えることができます

この法門を得ないとき それについて話すのは 難しいことです この法門は 超越の法門です 人間の言語では 話すことが できません  たとえ誰かが この 法門を話すとしても 彼が内在の智慧と力を 得ていない場合 それをあなたに伝える ことはできません 悟りはありません だから実際この法門は マスターパワーです このパワーを 認識している人は 言語を使わないままに あなたに伝えます でもあなたは得ます 全て得られます 沈黙で何も得られない のではありません いいえ 違います あなたが悟りを開き 神の光を得て 神を見ることが出来 または過去のマスター イエス 仏陀などを 見ることが出来 そして 智慧と得て そして安心し そしてイエスや 仏陀のように 偉大になるために 全てを取得するのです そして次第に イエスのようになり 仏陀のようになり 仏陀になり あなたは 神と一体になるのです 神とイエスに 近い境界に達したら 他の方法で教えたり 自分自身で 十分に到達するのは 実際責任を 引き起こすことに なるのでしょうか あなたが教えたいなら 教えて下さい 教えたくないなら 黙って 自分で 楽しんで下さい イエスや仏陀のような 境界に達した 殆どの人は教えるのを 望んでいません なぜでしょう それはレベルが とても高くて 無明の衆生の集団を 見て 無力を 感じるからです 「彼らは理解しない」 と言うのです ええ 正しいです そうです ですから

人々に 教え回る 義務はありません 怖れないで下さい 自由に選べます 人々に教えたいなら 教えて下さい 教えないのなら静かに 普通でいるのです それがより安全です その方が長く生きられ 健康になります 人々を 教えれば教えるほど 健康は堕落し 時には 名声も堕落します あなたが歩き回り 人々に「私は神を 知った 私は神だ イエスだ」と言ったら 人々はあなたに トマト等を投げつける こともあります 本物のトマトではなく 言葉で 中傷されたり 時には 物質的に 精神的に攻撃されます これは簡単にできる 仕事ではありません しかし 神によって これらを経験し 仏陀の保護と 恩寵によって そして 社会に対する 自身の恩義を 誠実に返す事によって 私の面倒を見 私を気にかけ 小さい時から食べさせ 家があり 洋服を くれる人によってです あなたなしで 成長できませんでした この親切心を返すと 決めたのですが あなたが望まないなら 誰も強制しません 毎日神の恩恵を 楽しめます そのほうが良いです あなたは悟りを開いた と言ってくれた 先生は今まで いましたか  自分で知りますか 自分で知ります 当然のことです しかし  ある試験も 乗り越えました 神の試験です 天使 仏陀 聖人でも 神はあなたに一種の 不可視の証明書の 試験をさせます 神があなたに 指示をし あなたは それをするのです 仏陀とイエスの 違いは 何ですか キリスト教の行き先は 天国です 仏陀の行き先は 天ではなく涅槃です 違いは何ですか イエスキリストとは 仏陀で 仏陀とは キリストです

キリストとは ヘブライ語の仏陀で サンスクリット語で 仏陀はキリストです 分かりますか

人々は決して この言葉を自分達の 言語に翻訳せず ただ原語を使い それで 争っているのです それだけが 違いなのです では 例えば 「グル」と言う 言葉がありますね 西洋の言葉ですと 「開悟したマスター」 または「悟った魂」 と言います そうですね しかし それでも 「グル」と言う言葉も 使い アメリカ語に 合体しているのです 今では皆が「グル」を 知っていますが 今後の世代は インドのマスターと 接点がなくなり 「ああグル 私にはグルはいません 開悟したマスターしか いない」と言います そして その後の 世代は今再び 聞くでしょう 開悟したマスターと グルの違いは 何ですか と そして また厄介になります いつも人間の言語の 不全が原因で 問題が起こり 多くのマスターは 違う宗教の 先入観で 争います 私にはありません いいですか 全ての 宗教は良いです 全ての宗教マスターは 良いのです 真理を話し あなたを真理へと 導いています 自身の宗教の過去の マスターにしがみつき 信心を 持っていなさい この現時点で 自分の宗教で良い マスターを見つけ られたら それは 運が良いのです そうでなければ  他の宗教の中で探し  そのマスターが 良いかどうか見て 生きているマスターを でもその一方 自分の宗教に 信心を持ち  そのマスターの宗教に 変えないことです そのマスターは そのようなことを 教えないからです そのマスターは全ての 宗教は基本的に 神から来ていて 宗教の指導者もまた 神から来ていて 別の時間と別の国で メッセージを運んで いるのを知っています キリスト教の天国と 涅槃については 話し難しいです 実際 「天国」という 言葉を私達は 誤用しています 現今 人々は「天国」 と言うと 私達は キリスト教だと考える 傾向にありますが 実際 涅槃は天国の意味です 涅槃は地上に 存在するものには ないものなのです

私達の世界には ないものなので つまり天国のようです しかし理解して 明瞭に 説明したら 涅槃は神の王国を 意味しています いずれにせよ 同じことなのです 神の王国と 涅槃には 違いが ありません 天国は 恐らく 少し低いのです でも最高の天国 第二天国 第三天国 第四 第五天国は 違うのです それは理解の 違いであり 違いはありません あなたが言っている ことによりますと 瞑想だけが 仏陀や開悟に 達するという事ですか ええ 仏陀が瞑想してるのを 見ましたか イエスのを見ましたか 彼は瞑想しました 最後にした時は砂漠で 四十日間です 今 瞑想した事のない 人が 急に 砂漠へ行き 四十日間も 瞑想できますか いいえ  良く経験している 人だけがそのような ことができるのです それだけで  小さな情報だけで イエスが瞑想を しているのを知り それが最後にした時で 最終の時 外へ出て 世界に 教える前にです 仏陀は六年間ずっと 瞑想していました しかし 最後にした時は 四十九日でした

そして 彼は出かけ 世界に教えたのです よって瞑想なしで誰も 涅槃または神の王国に 到達していません なぜ瞑想をするか 高い世界の 天国または 神の王国または 仏陀から 教えを得るために 心を維持するためです いつも祈り 頼んだら 「智慧を下さい あれを下さい これを下さい」と 仏陀が話したいことが ある時 彼には 話す機会がありません

私達はいつも忙しく 話したり 頼んだり 話したりして 聞いていません なので 瞑想は 聞く時間です 例えば 私に 質問をした時 少しの間じっと 黙っていたら 私はあなたに 知る必要のあることを 話す機会が出来ます 瞑想はそのようです じっと座って メッセージを受けます そうでなければ 神があなたに何百もの 事を話したいのに あなたは聞く 時間がありません あなたは祈ったり 歌ったり 平伏したり 頭を下げたり 数珠で あまりに忙しいのです それでも構いません これは悪い事だとは 言いません これはとても良いです しかし 時には 黙る必要があり 神に会話をさせる 機会ができるのです これが瞑想です

理解しやすいです 私は輪廻を 信じていませんが 輪廻が本当なら 再生した魂は 過去の人生のことを 知っているのですか 時々は知っていますが めったにありません 高レベルな魂 成長 した魂を除いてです ほとんどの魂は 分かりません ですから瞑想の修行を する必要があり なぜここにいて 過去の人生どこに いたのかを 静かに 信じて 聞くのです 例えば瞑想の技術を 修行をして 私達の技術のような 例えば 違ったレベルへ 行った時 過去の人生で 何をしたか  とても良く見え  疑う事がありません しかしいつも尋ね続け 疑ったら 決して どこにも行けません 疑っても良いですが 見つけねばなりません 今から で 輪廻があるか ないかを見つける この技術を提供します 練習をしたら 自分のために分ります でもそれは何も 望むものはありません それはとても低い レベルだからです 違う惑星または 思想の次元へ 行きました そして 自分の古い 記憶を思い出す だけなのです そして 全ての 過去や現在 将来の事が見え 全ての魅力 原因 状況が見え 今あなたが耐えるべき 影響がわかります さらに 修行をしなかったら 戻って 次回に 耐えるのです もっと修行したら それを乗り越え この記録のレベルを 乗り越えられ それを乗り越え それらの記録は あなたに影響しません

将来苦しむことは なくなるでしょう 高い次元へ行くのです 文明化した 国へ移民し 安全な仕事があるのと 同じことです とてもひどい政府の 元で苦しむ 必要はありません 仏陀は 創造者や神は いないと言いました それについて どう思いますか 仏陀が言ったことが 私達に何が分りますか 私達は彼の言葉を 繰り返し 考えているだけです 彼は自分の レベルで話していて 自分で理解し やり遂げているのです 私達は彼の意味を 理解するまで 長く 待たねばなりません 例えば あなたが瞑想の 技術を修行している時 そして ある段階へ 入ったとき 智慧と理解の 異なる 霊的なレベルがあり 全ては私達で 創られていることが 見えるでしょう その時に 大声で言うのです 「ああ 神なんて いない」と 誰かがあなたの 隣に座り コーヒーを飲み あなたの言う事を 聞いて「何ですか 神がいない 創造者が いないとは何ですか」 彼は尋ね続けます しかし その開悟した 人にとって 隣でコーヒーを 飲んでいる人に説明 するのは難しいのです なぜなら 彼は 経験してないからです 彼には神が見え 創造主が見えるのです