なぜ 人々はあなたを マスターと呼びますか いいではないですか とても多くの マスターがいます

科学のマスターの 位もあります 金属工芸のマスター 宝石のマスター 機械のマスター 様々なマスターがいて 私が彼らに何かを 教えれば それで 彼らに効果があり 彼らの生活はより良く より円滑で より 美しく より祝福され より楽しくより幸せで より嬉しく より賢くなれば なぜ私をマスターと 呼んではいけませんか でもそれは私には 重要ではありません あなたは私を兄弟姉妹 と呼ぶことができます ある人達は私を 小さい姉妹と呼び ある人達は私を小海 とか 阿海と呼びます 彼らは私を 多くの名前で呼びます ある人達は私を ママと呼んだり いろいろに呼びます 私は気にしません あなたと私の違いは 何でしょう ないことを知ってます 唯一の違いは 恐らく あなたは 天父から 授かった 最も 素晴らしい特権である 自分自身を否定した ということです あなたはそれを否定し それが唯一の違いです

マスター あなたから 印心を受けると その人のカルマ (報い)は悟りの過程に 影響を及ぼしますか はい ある程度は 影響があります 潜在の意識の中に記憶される カルマ(報い)は 私達は マスターパワーを 用いて除去します それで将来の転生の時 その痕跡が残りません しかし 私達は現在のカルマ(報い)を 経験すべきです さもなければ 私達は印心直後に 死ぬでしょう この世で取ったり 与えたりしなければ 私達は存在できません したがって 私達が現在のカルマ(報い)に つまり 今生ですでに 書いてあるものに 私達は 耐えるべきです しかし私達が目覚めた 後で 私達の中にある 最高のパワーの 恩寵のおかげで それを円滑にし 整え または最小にさせるか 夢だけで経験します 例えば あなたが誰かに 刺されてひどい重傷を 負うはずだったとして でも印心後 あなたは それを夢に見るだけで あなたの生涯にはない でも目が覚めた時 負傷した箇所はたぶん まだ痛いでしょう それを忘れたら 理由が分からなくても 悪いカルマ(報い)が 消えたようで そんな感じです 悪いカルマは何らかの 形で支払うべきです たぶん マスターは あなたから取ります その一部または 全部ですが あなたが それに堪えられるか どうかによります それでイエスは犠牲に ならねばならず 彼の多くの 弟子の罪のために 彼が治療した人々や 彼を殺した人々の 罪のためにです でも彼は人々を許した ですから彼は苦痛に 耐えねばなりません 多くの師はそうでした 今もそうです 磔の形をとらずとも 形は異なっていても 激しい苦痛 身体の不快 蔑みや あらゆる種類の 弟子からや 一般社会からの 犠牲の要求があります 例えば 師の犠牲がどれ程かは 重要ではありません 人々はどんどん 要求し続け 師を苦しませ続けます いずれにせよそれも はりつけの一種です 十字架上ではないけど 日常生活において 師としての任務の中で 現れます あなたが師になるまで これはわかりません

人が肉を食べながら 初回の印心を受けて その後高い導きを 感じたとしたら 次の 印心も受けられますか 私が代わりに二番目の 印心を授け 初回時の ものを差替えます 準備が整うまで待って それから来てください なぜ自分に強いますか 肉が神より良いなら 待った方がいいですね 構いません 神は自由意志を与え 思い煩わないで下さい 神は怒りませんし せかしたりしません 私達はしたいことを 選びますが 成功したければ 心をこめて行います 好きな女性に こうは言えませんね 僕たちはまず 結婚したふりをしよう 夫婦のことを いくつかやった後で 落ち着いたら また結婚しよう いいね 世俗でさえこんなこと 出来ませんから 神には絶対に しないでください 神に対しずる賢くなり 過ぎたと思います そういう訳で神は神の 頭を振りそこへ座った 神はここには降りて来たくはなかった あなたからの印心後 弟子がすべき 修行について 教えて下さい

その時に教えられた 瞑想を 続けることです そして道徳的な行いと 菜食を 続けてください 出来る限り多く 瞑想して下さい 戒律を守り 自然の法則を 故意に破らないように何か問題が生じたり 瞑想に障害が出たら いつでも 私に手紙を書いたり 内面で助けを求める これが弟子の行いです 彼らはまた 以前と同様に 日々の仕事を続けます おそらくもっともっと 愛情深く この世の 責任に気づくでしょう 影響力も増します なぜなら 内面にある元々の力に 満ちるからで 機械的な 頭脳ではありません 弱い魂と 悪い魂の 違いはどう 説明されますか つまり ある人は わざと悪いことを したのではなく 意志が弱く誘惑された ということですか 彼らは弱いのです 魂ではなく 意志が弱いため 同じように弱い人や 誘惑されやすい人と 付き合うのです だからもちろん ますます弱く なっていきます しかし意志が強く態度や 振る舞い 考え方が 高潔な人と付き合えば 彼らも強くなります 悪い魂など ありません 全ての魂は良く 皆神から来たものです 頭脳が悪いのです 頭脳という コンピュータは 多くの善悪の事を 状況に応じて 再生します さて人がいつも 良くない環境に 置かれていると 彼はそれ相応の 習慣がつきます 彼の頭脳は そういった 悪い習慣を記録します ですから後になって 同じ状況に置かれたり 多くの事を記録し過ぎ 毎日同じ情報を 再生します そこで人は あの人は 悪い人だと言いますが 本当は習慣が悪いと 言うべきです 魂は悪くありません 習慣の良し悪しは その人がどんな人と 付き合っているかに よります インド人は いつも大修行者を讃え 彼らと接することを 望んでいます 彼らは穏やかで目に 見えないエネルギーを 発し 誰でも彼らに 近づく人の 病を治してくれます サンスクリット語で サットサンガと言って 真理を知っている人 または真理を求める人 完全に真理を分かった 善知識と接する という意味です しかも人々は そういう修行者達は 真理 神と一体であり 無上のパワーと一体で 彼らを一目見るだけで 人生は変ってくると さえ言っています ですので善知識と 接する事は大変重要で いわゆる悪いとか良い 魂など存在しません なぜある人は神に あれだけ奉仕しながら 一度も神を体験した ことがないのですか

彼らは歩きにくい道を 歩いているからです 神はすでに私達に 神と通じ合う道を 教えてくれましたが それを拒否するのです 私達が見せてあげます 私達が皆さんに 見せる道は 神と通じ合う道です もしかしたら他にも 道があるでしょう この道を認めることが できなければ 他で捜してみて下さい どんな道でも神の 音と光を与えることが できれば それは正しい道です これらの体験は 天国の印だからです 私達の内面の 智慧の現れであり 私達を天国の家に 導いてくれます

生活における不安を どう克服しますか 神を認識しないと 多くの事は克服する ことは困難です 不安 だけではありません 以前私はシャイでした 皆 私を知りませんが 友人も作らず 口数も少なかったです いつも一人でいました 今もそうです 話しをして欲しいとか 合って欲しいという 誘いがなければ  ずっと部屋にいるか テントにいます どこにいても 外にでません 遊びに 出かけたりディスコや ショッピングに行く ことはありません とても恥ずかしがり屋 空港で皆と会ってから すぐに行かせて もらえないと 私は不機嫌になります 人と長い時間 会っていると 恥ずかしいからです 一刻も早く消えたい 気持ちです 以前 私は自分が 公衆の前で話す事など 想像もできなかったし 一度も話した事がなく 話し方も分かりません しかし神が私を今の ように変えたのです 神以外は誰もあなたの 不安を取り除くことは できません もしくは私達が 生まれながら持つ 神を見つけ地球を 加護する責務を果たす ことで克服できます これ以外は難しいです

文殊菩薩の剣を 毎日の生活の中で どう応用したらいいか 説明お願いします 文殊菩薩の剣とは 無上の智慧のことです 智慧の剣のことで 仏教の経典に 載っています それは智慧を得ると この世界に対する 全ての執着と束縛と 障碍を断ち切ることが できるという意味です だから智慧を剣に 例えて全てを断ち切る という意味です 実際に剣が存在する のではありません 智慧は全てを断ち切る ことができます よって 二度とこの 世界に縛られません それは一種の例えです 文殊師利とは サンスクリット語で 菩薩という意味です

釈迦牟尼仏の時代  彼は偉大な弟子の 一人でした 彼の名は文殊師利で 全ての障害と 何でも断ち切る剣を 何でも断ち切る剣を 持っています それを智慧の剣と 呼びます 密教を習う人が 女神を崇拝していて タントラを修行 しながら 観音法門を 習うとしたら修行に 影響がでませんか 影響はありません あなたはもうその道を 卒業したと思います 以前は感覚器官を 修行しましたが 今は 魂を修行する番です 高い境界を求めるなら 観音法門しか ありません

この世界には神が どれだけありますか

数え切れないほどです 皆さんを見てください 全員神です ただ 皆は知らないだけです

仏教には四つの説が あります 一つは苦しみで 次は 苦しみの起因です 三つ目は苦しみからの 解脱 四つ目は 救われることと 悟りを開くことです 後に釈迦牟尼仏は 完全開悟するためには まずエゴを 取り除かなければ ならないと 悟ったのです 自我否定です エゴが苦しみの 根源だからです 仏教では なぜエゴを取り除く 必要があるのですか 実際エゴは 人間の各段階において 生存と尊厳を保つのに 重要だと思うのですが

実際仏教は 決して私達が社会で 卑屈になって エゴを断ち切るために 成功をも 切捨てるよう 求めてはいません 実際 エゴは 精神修行や 観察または何かをして 断ち切るものでは ありません 天国と通じ合って 高いレベルのエゴを 味わってこそ これを断ち切れます より良いものを 知っていれば 比較的低いレベルの 物に頼らないはずです エゴを断ち切るとは 苦行をしなさいとか それに似たことを しなさいという事では ありません 何かを するとか 汚れた服を 着て 自分の内面の 高潔をさを表現し エゴがないことを 表す事ではありません エゴがないとは 神の王国に 浸っていて 何かを しますが  何もしてない境地です 病気を治しますが 実は何もしていません 全ては神の意思に 従って行い 自分の功にしません  社会での地位は そのまま保ち続け 同じ仕事をするのです たぶんこれが神の 意志なのでしょう 神がその責任 または仕事を辞めて 神のために 別の事をせよと言えば そうします こういう時エゴを 断ち切ったと言えます しかし個人の尊厳と 社会的地位は 失っていません 依然として 人々から尊敬されます 私達はただ完全に 神に服従し 多くの事をするだけで 自分でも分かりません 自分の功績にしません なぜならその時 私達は 全ては 神がやった事で 宇宙の最高のパワーが やった事で 私達は その一部であることが 分かっているのです これが本当の意味での エゴを断ち切る事です

人は死んでから生まれ 変るのを待つ時は どんな状況ですか

まずは今の生活を ちゃんとすることです あなたの行為が 本当に純粋で 考え方が高尚で 振る舞いが高貴で そしてこの世界に 利益をもたらし 智慧も明白であれば 当然死んでからどこに 行くのか分かります 今でさえ知ることが できます  座る時も座らない時も 天国を知っています 死んでからどこに 行くのかも分かります ついでに言いますと 印心を受けた人は 少なくとも死ぬ 三日前に知らせます ですから死んでどこへ 行くのかも分かります 死ぬ前に身の回りの 責任もしっかり 処理します その時にあなたは 自分の行き先や 何が起きたかを私に 教えるかもしれません さもないと私は今 それを知るよしが ありません 神はまだ 私が三日後に死ぬと 知らせていませんので 分りません 今の生活をちゃんと 面倒みて 生きている 間に自分自身の面倒を みておくと 死ぬ時の ことが分かります 私が答える必要は ありません  なぜなら人によって 状況が違いますし それぞれ行く道も 違うからです 自分の今を見れば 将来は何が待ち受けて いるか分かるはずです 今の生活が 道徳的で清廉で 全てに対し慈悲深く 高等な霊修行を 重んじるのであれば もちろん必ず 天国にいきます 死ぬ時 何も起きません すぐに天国に行きます その反対だと 死神がとっくに あなたの名前を リストに 記入するでしょう 比較的低い所 または 暗い所に行かせる 一人の人が 悟りを開くと本当に その六代の先祖が 恩恵を受けるのですか 詳しくご説明 お願いします 五代も六代も 同じことで それ以上あるかも しれません 強いては友人や 愛する人と同情する人 いずれも利益を受けて 解脱でき 福報を得ます 私はクリスチャンです 私の部屋にイエスの 写真をかけてあります あなたの写真を横に おいてもいいですか

そうしたければどうぞ イエスは嫉妬しないと 思います  彼はきっと大丈夫です 私はすでに洗礼を 受けていますが  印心できますか もちろん 歓迎します なぜ出来ないですか 苦しみには何か価値が ありますか

大変価値があります だから天国に戻る 方法を学び二度と 苦しみたくないと思う 時には 神に加護を受け過ぎて 私達はそれを大事に しません 神の事も 天国に戻る事も 考えなくなります 大半の人は苦しい時 祈り 助けを求めたり

神を思い出します そこで私はこの前 メルボルンで 修行仲間と別れる時に 私を覚えてください 特に問題があった 時にと言ったのです

霊体と肉体が 密着している としたら 生きている間に どんな法門を習えば よいのですか そうです 正しいです いい質問です 私達はどんな物質的な 物も使用しません だから印心の時 一言も言わないのです 一言も言わないのです 印心の前に少し 話すかもしれません それはどのように 座ると楽なのかとか どこに集中すべきか 集中の仕方などの説明 そういうことです しかし印心の時や 自分の自性を思い 起こす手助けする時は 何も話しません いわゆる先生と学生は 両方とも 沈黙のままです しかし沈黙の中で 「道」を得ます いかなる物質的な 方法も使いません 物質的ではありません なぜなら物質的な物で 非物質的なものも 得ることができません  はかないもので 永遠を得られません ですから 体と関係のある 法門は皆 永遠のものでは ありません 印心とは何ですか

あなたが話して下さい 知っているでしょう

マスターが到着される 前にお話したように マスターはガイドで マスターはそこに 行った事があって 私達を高い境界に 連れていきます 何と呼んでもいいです 印心の条件については 外の受付の所に あります 五つの戒律があります

殺生せず 嘘をつかず 邪淫せず 盗まず 体に良くないもの 体に害になるものを 摂らないことです 殺生しないとは もちろん菜食を 含みます もう一つの印心の 条件は毎日二時間半

瞑想することです  時間を分けてできます

いっぺんに 二時間半という 事ではありません 朝一時間やって 昼三十分 夜一時間というふうに 都合に合わせできます これらはただ物質的な 次元のことです

印心とは 時間になって 自分の自性が 肉体より大事であると 認識し 自分の  偉大さをもっと知り たがることを指します 本当にこの地球に おいての 神からの責務を果たす ことを願うのであれば それは内面の 目覚めを意味します ただ物質的に あれやこれやと 戒律を守るだけでは ありません 自分自身が目覚める 時であり  自分は誰なのかを 知る時です これが本当の印心です つまり真摯に天国に ついて知りたがる 時でもあります 印心の条件の一つは 邪淫しないことですが 邪淫の定義は 何でしょうか 例えば妻がいるのに 満足せず 許可を得ずに 隣の奥さんを 分かち合うことです 許可を得ていれば 大丈夫です いい人は皆 天国に行き 悪い人は皆地獄に 落ちるとしたら 善悪半々の人は どこへ行きますか 真ん中に挟まれる こともあれば しばらく地獄にいて しばらくは天国に いるかもしれません 両方で遊びます

真ん中にいたり 人間界に 戻って来ます  彼らは天国にも 地獄にも属して いないからです 人間の基準に合います 人間界に戻って来ては 人間している間に 卒業できていない 科目を引き続き 勉強します