キリスト教の修道士 仏教の僧侶 仏教の尼僧は 剃髪して  キリスト教の尼僧は 髪を隠します

隠しているのです 髪を短くもしますし あるいは隠します ええ 隠しています それで私は・・・ 理由が知りたいですか ええ はい 伝統です いいですね インドではこの世を 捨て 出家したい場合 一日でも二日でも 許されます それで その放棄を象徴して 師または その儀式の責任者が 髪を剃って くれるのです しかし その後 再び伸びてきたり 永久的に 修行僧になった後でも それでも 一度剃った後は 髪を伸ばすことが できるのですが 髪を剃らない 修行僧もいます 彼らは気にしません インドの修行僧は 本当に理解しています 髪が長かったり 短かったりと 彼らは気にしません 僧侶の精神を 知っています だからキリスト教徒は 髪を剃らないのかも しれません そうしたらいいのに 彼らはイエスに従い 分かりますか キリスト教徒と イエスは髪が長いです だから 彼らは そうしているのです そして 仏陀には 髪がありません 頭を剃ったからです わかりますか 彼の僧侶は全員 頭を剃っています その時期は 仏教に従っています 出家を象徴するために 人々が剃髪するのは ただ指導者に 従っているのです でも単なる伝統です いいですか 深く 本当の伝統を 理解しない人も 中にはいます それで彼らはいつも 剃髪するように強制し あるいは剃って かっこよく見えるから 常に剃っている人も 中にはいます 実際 インドでは 一度限りです 出家を象徴するためで その後はどれだけ 頻繁かは自由なのです 数日間 または 数カ月 数年など この世を放棄したい 時はいつでもです 一生涯  僧侶になるための 義務的なことでは ありません 決して 一生涯を 丸刈りの頭にするのは 必須ではありません 決して 自分次第です しかし インドでは とても柔軟です 広く開放的な精神で   皆が満足しています ほとんどの僧侶は 満足しています 彼らは髪のことを 気にしません 髪を伸ばしている 僧侶も中にはいます

歩いていると 電車のように 後ろに引きずっている 人もいます 時には  牛の排泄物と一緒に 泥を髪に入れます そうすればハエや ノミが髪に繁殖せず 彼らは決して 髪を洗わないのです それは独自の出家の 方法でもあるのです あるシーク教徒は 出家する前に 髪を長く 残したりします 男性でさえ 髪のてっぺんで 束ができるのです それが出家なのです シーク教徒は顎ひげを 伸ばさねばなりません 女性はしませんよ 心配しないで下さい 顎ひげを伸ばすのが 彼らの出家です 例えばのことです それはただ彼らの 宗派の象徴で 人々は彼らをみて 「この人は仏教徒だ」 と分かるのです それは昔の考えでした しかし  仏陀の死後 仏教を学ぶための 別の宗派 生きている教派を 見つけねばなりません 髪を剃りたいか 剃りたくないかは すでにご存知のように 違いはありません 印心後に 証明されるでしょう こんにちは マスター フランスからですか いいえ イギリスです イギリスですか(はい) 前回 あなたを フランスで見ました 同じひげと髪型で 口ひげでした はい 続けて  あなたにこの質問を して良いのか 分かりません (なぜですか) 昔の ある仏陀の弟子の話を聞きました 彼はマスターは永遠に この世界にいるのかと 聞く機会がありました (ええ)でも彼は その機会を逃しました 阿難と釈迦牟尼仏です ええ なぜ自分がそう 考えたのか分りません それで考えていて・・ なぜ起こらなかったか 私が説明しましょう それが知りたいの ですね そうでしょう 私が説明します いいですか(はい) それも神の仕事です 魔によって 邪魔されても そうである べきなのです 想像できますか 仏陀が永遠に ここにいたら  皆 修行をしません それが永遠に続く限り 何でも 当たり前のように受け 簡単に近づけます 簡単に得て 忘れます

それで仏陀は去ります 彼は死ぬべきなのです いつの日か いずれにせよ それは人類にとって とても良いのです 背けないのです 仏陀は違う形で やって来るのです 内面の真理を 切望する人は誰でも その時に 仏陀を見つけらます いいですね 人類について 心配しないで下さい 永遠に続くのです 次にマスターが来ても 彼らはまだいます そういう理由で 阿難が 仏陀に最も近い弟子が 仏陀の質問が 聞こえず それで 彼に請わなかった のです 仏陀が三回聞いた後 「お前は望むか」と 彼は暗示したのです 彼は言いました 「まあ 仏陀は永遠に この世界に居られる 知っているか」と でも阿難は求めず そして三回目の後 彼(仏陀)はもう聞けませんでした 三回目の後 仏陀が要求しても 何かを要求しても 返事をせず 応じず それで仏陀は それ以上聞かず それ以上 質問をさせず それ以上 説得させませんでした すべては内面にあり 三回が限度です 阿難は 仏陀の最も側近の 弟子でしたが 彼は開悟した 最後の人でした なぜ?結婚と似てます 当たり前のように 伴侶を選びます 毎日 その人を見ると その人の中の偉大さが 見えなくなります たとえ彼が  アメリカ大統領や  世界的に 偉大な科学者で あったとしても その人を 単なる父親 母親 夫 妻 彼女 彼氏などと 思っているのです 阿難も同じです あまりに 仏陀に近かったので 見なかったし 仏陀が言ったことに 注意を払いません 時には 気を配りませんでした 仏陀が永遠に世界に 留まれると仄めかした 素晴しい瞬間が 来ましたが 阿難はそれを逃し 二度と機会は巡って きませんでした だから去るしかない でも 良いことです 阿難を非難しないで 仏陀を気の毒に 思わないで下さい 仏陀にとって いい事です  第一彼は長く苦しまず 人類にとって良いです 人類が渇望心を もつからです また 仏陀が来て そして ある日 去っていくべきだと 知ります 仏陀がまだ 生きてる時に探して 仏陀の存在を 大切にしなければ なりません ですから人類にとって  非常によいことです 魔も非難しないで 下さい あまり長く留まるよう 師に求めないで下さい 必要ありません いいですか(有難う) どう致しまして 師はあなたに内在し マスターが去ったら もう一人が常に来ます いいですか 心配しないでください 世界に師がいない ことは決してないです 少なくとも一人か 時には二人 あまり多くはないです

はい 言葉が 正確であるかどうかは 分かりませんが マスターからの 甘露法語の 小さな本には 時々 魔も仏陀に なりうるとどこかに 書かれています 仏陀でなくとも 仏陀になれるという 意味もありますか この文があまり よく分りません はい いいでしょう 若干は分るけれど 確かではありません いいですよ 意味を言ってください まずあなたの理解を 言ってみてください 私の理解では 魔でさえも ある日 よくなったら 仏陀にもなれる 誰でも仏陀に なれるからです 悪いものでさえも それは仏陀が仏陀で あるという理由です その意味が正しいか どうかわかりません ええ  一部は正しいですが その意味は このようなことです 魔も仏陀なのです こういうことです

元々 すべてのものが 一つの場所から 来たからです

空です すべてのものの 起源です だったら魔はどこから 来れるのでしょう 神からでなかったら 仏陀あるいは 天国から 来るのでなかったら いいですか 原初 私達は皆 マスターだったか マスターの計画の一部 全創造の一部で 例えばアップルパイの 一切れのようです いいですか でも私達一人ひとりは 個々に異なる ものを持っています 例えばこれには トマトがあります 次のには マッシュルームが載り 次の一枚のピザには オリーブが 載っています そういうこと いい? ある部分は小さめで ある部分は大きめです 小さいのは 子供が食べます 大きいのは大人が食べ 例えばそんなふうです ですから元々は とにかく私達 皆が マスターです 少なくともマスターの 本質の一部ですが この世界で 楽しみたいなら 私達は自身を 分けねばなりません それぞれが 異なる役を演じます 一人は仏陀の役を演じ もう一人は仏陀の 正反対としての 役を演じます まるで芝居のようです  最初は すべての俳優 女優は 同じ劇団に属します しかし  主演する女優は これこれの美しさで これこれの体型で なければなりません そして 別の人は メイドを演じます 彼女はこれこれの 衣装を着て これこれの ように振る舞い これこれのスタイル 体型であるべきです そのようなことです 私達は皆同じです しかし  この世界のような 低い存在レベルに 下りてくると マスターとしての 地位を放棄しなければ なりません もう一つの役を 演じるためです それで あまりに長く その役を演じると 天国でしたすべて あるいは 自分が何であるか その偉大さを 忘れるかもしれません それでマスターは 内在すると言うのです

今 再びマスターの 身分を取り戻したい なら内面を探す事です 長い間  自分の役や 目的を 成し遂げるために 外面で捜してきて 忘れたのです だから今こそ 自身の 偉大さのために 内面を見返す時です 魔は実際 創造のバランスを取る 目的で 創造に刺激を与える 目的で魔の役を 演じているのです 反対側がなければ どうやって片方を 認められるでしょうか 人生で 女性を 見たことがなかったら 自分が男性だと 認識しませんね 従って 魔と仏陀がいなければ ならないのです そういったことです そういう理由で すべてのマスターは 皆が平等で 皆が神の子供であり 仏陀であると話します 皆が 内面に 仏性を持っています それが存在する唯一の 真理です 分りますか でも それは  誰かが悪事をするのを 見て「それは良いこと」 と言う意味では ありません いいえ 悪は悪で 善は善です その目的のために 彼らは悪であり 善なのです 神はそのように それらを作り それで 私達は善を知ります 悪が全くなければ 善を認識しません 同様に 悲しみがなければ 幸福が本当に何を 意味するか知りません それで いわゆる 陰陽のような正反対の ものがあるべきで それで私達は自身を 見分けられるのです いいですか それぞれが他者に 彼らの偉大さを 認める助けをします それで問題ありません 理解できますか はっきり分りません はっきり分りませんか

ええと あなたは教授です 複雑な説明と本に 非常に慣れているので 私にとって それは難しいです 魔は仏陀です 原初 魔はいないからです 悪者を演じるために 魔の仮面をかぶった 仏陀だけがいます 試練がなければ 悪者がなければ どのように自分が 良いと証明できますか どのように 良いと認められますか すべての英雄は 状況から生まれます すべての薬と遺伝子は 病気から生まれました 病気がなければ 偉大な医者はいないし 良い薬もありません 大発見もありません 光と産業のための 必要がないなら 電気の発見は ありません 皆が善が何であるかを 認め それを 保てるようにと ただ悪の目的が ただ悪の目的が あるのです しかし悪い方は それをして来たし 皆さんが 偉大になるように その目的のために 変装しました 「これは悪い これをしてはいけない 良い事を続けるべき です」と知るのです というのは 比較するからです 「これは本当に悪い これは良い」と 比較する悪いものが なければ  分りませんから 方向と目的を失います それで魔がいなければ ならないのです しかし 彼らは 魔の仮面をかぶった 仏陀なのです どうですか(分ります) ああよかった 神のご加護を それは抽象的で 理解するのに とても難しいと  知っていますが 私はあなたを 非常に誇りに思います あなたの年齢で ベルギーの著名大学の 教授であるにも かかわらず 私にこの質問をして 分らなかった時は それを率直に 認めるほど 謙虚だからです そのことを称えます いいですか マスター 時間を共有 して頂いて感謝します 私は数カ月間 方便法だけ 修行して来ました 印心はしていません

私が何か光を見るか 音を・・ あなたは何か光を見て 何か音を聞くのですか はい それが本物か 偽物かをどうしたら 見分けられますか いいでしょう 目を閉じたとき 眼帯 アイマスク等で

目を覆うと 真っ暗でしょう その時は真っ暗です

飛行機に 乗るとき それがもらえますね 非常に軽いです

目を包帯で 括るのではありません

そしてそれを閉じると 真っ暗です そして 突然 閃光が閃きます または動いている 光の一点があります それに集中します すると とにかく 分かります 音はどうですか

音ですか あなたには まだ音がありません まだあなたには 音は聞こえません 音は 印心してからです それでは 必ず まず光なのですか あなたは 初心者だからです あなたは 菜食になる約束を しなかったか 決心しなかったからで ですから 私達は 味見をさせられます いいですか 質問してもいいですか もちろん どうぞ 死に対する態度は 常に深刻なもので あるべきですか 私達は死に対しどんな 態度を持つべきで しょうか 深刻になるべきですか 笑ってもいいのですか ええどのように 行きたいかによります 笑えますね いえ これはすべての 死への疑問です 医者にとって さまざまな状況の すべての死 すべての 事についてです 意味は分かります つまり毎日 死を見ている 医者としてですね 彼らがいかに 感じるかですね 医者だけでなく すべての死についても 私達は深刻になるべき ですか それとも なぜ死に向かい深刻な 態度に出るのですか 誰もというわけでなく 私は違います 何が私にとって 重要か そうでなければ あなたには重要ですか 生命 死ではなくて 生きている間は生が そして死は それが 来たらその事について 何もできません 深刻でも そうでなくても 役に立ちません 人生が続く限り 楽しむことです それが私の教えられる 事なのです 実際 死はありません ただ体が変わるに すぎません この肉体に 戻ってこない限り 素晴らしい感じが するでしょう 天国にいます 自由でいます 至福の中にいます 何も 一切 欠如していません この世界で生き この肉体で 生きるのとは違います 衣服を身につけ 養い 面倒を見て 薬を与え ワクチンを打ち 元気にさせたり その反対にします 全て 常にです

それは良くないです でもこの体は 死後 非常に軽くなり 輝き とても軽くなります

行きたい所へ 即座に行けます 何もなくして そうです そんなふうに ヘリコプターや 列車の切符など すべてが不要です また入国監査や 色々検査されること なくしてです はい それを笑えると いう訳ですね ハハハ そうです でも残念ながら その時あなたには 笑う筋肉もありません 皆殆ど同じように 死にます 唇を閉じて でも前もって笑顔を 作ることもできます 葬儀屋に こう言うのです 「二本の爪楊枝を 口の両端にさしておいて下さいますか」 というようにです 現代では 彼らは どんなこともできます 死化粧を施す 化粧師です 彼らはできますね はい ただ少しその二本の 爪楊枝分だけ余分に お金を払えばです 私は初めて ここに来ました 私もです 私も今までに来た事は なかったのです

数年前に体験した事を お尋ねしたいと 思います 実は 当時私は 人生で非常に難しい 時期を経験しました その時期から 抜け出した時 その事を数カ月後に いとこに 話したのです 彼女は当時も 瞑想に熱中して いました 彼女はマッサージして くれてから言いました 彼女の手から私の頭に エネルギーを 送ってあげると 私の額の前に 彼女がかざすと 私は スイッチが切れた様な 感じになり 列車の 中にいて 山の中を 円を描きながら 向かっているような 所を見ました どんどんどんどん 早くなっていき 全生涯を再び 体験しているように 感じました 悪い時期を (悪い時期ですか)

いえ 大きな危機を 経験しました (悪い時期だけ)

彼女があなたの前で 動いた時 あなたは あらゆる痛みの時期を 体験したのですか (はい そんな感じで) これは一種の 催眠術です(はい) 人々が治療で使います

はい 続けました 私はこんな風に目覚め ただこの感じから 抜け出したいと感じ (それはいいですね) いとこは言いました 「座ってこの白い光に 祈って」そして 私の前で本当にとても 強く感じたのが 紫の オパールの輪です そしてその白い光は まるで 基本的にはすべてが 同時に存在している 感じでした 善悪のようにです 過去のような苦しい 体験を取り戻そうと 思っていますか (いいえ)それは いわゆる体験ですか いいえ ただ・・・ 白色の光は 良い体験かなと 思っています 過去の影から 抜け出せば 白色の光は現れます いいですか 過去の体験に 執着しないでください 過度な期待は しないでください 期待すると心が そういう考えで  いっぱいになります 「あの体験が欲しい」と

ずっと思って 戦って 考えているのです すると 集中できません 瞑想の時 リラックスして 待っていれば 良い光はいつも そこにあります 光が訪れた時 意識を はっきりさせて下さい それだけです 白色の光は 第三界の光です 大したことありません その時 あなたは 第三界にいたのです その後再び 戻って来ました 人が寝ている時 魂が 体から離れてしまい そして戻る時 速すぎるので 怖い ように感じられます それで たぶん二度と 同じ体験ができない ことに関わっている のではないでしょうか これについて 説明して頂けますか

どうして怖いのですか どうして怖いのですか いいえ  帰ってきた時の感覚で 時々 一瞬の間に 落ちるような感じです ここにいるのに ええ(それで) 問題はないですか 問題はなさそうです あなたはどう? いいえ ありません いいでしょう ありがとうございます どう致しまして 人それぞれ 天国での体験が 異なります 自分なりの体験を 楽しんでください 勇気を出して あなたは未知の領域へ 眼耳鼻舌身の五感を 乗り越えるような 世界へ入って行きます よく準備してね できるだけ早く行って 問題ありません いつも 存在しないことを  心配しているのですね 体のことは 気にしないでください たとえ体がなくなった としても放っておいて 親愛なるマスター 瞑想後 全身に 活気が満ち溢れて 来るような感じがして 時々どうすればいいか よく分かりません 走って走っているよう ええ とても強力です 元気いっぱいですね

とても強くて 健康的な感じです 分かりますよ 私の質問ですが マスターの本を読んで 歴史の本のように 感じました 古い歴史を持つ お年寄りが書いた 歴史の本のように 智慧と論理が 満ち溢れています 今日あなたに会って 若い女の子のようで (有難う)とても可愛い あなたにキスしたい ような感じです

情熱を感じます

とても可愛いらしい

皆があなたを 尊敬しています 皆は私と同じような 気持ちを持っていると 思っています  情熱はありますか 誰かがあなたを好きに なればどうしますか あなたは美しくて 若いし しかも世界中に 知られている マスターです

人々が 例えば 誰かがあなたを愛して 情熱を持ったら しかしあなたは どのように説明すれば 良いかよく分りません あなたも人間なので そして人間は・・・ ええ 情熱があるか(はい) はい もちろん (有難うございます) どう致しまして こんなに長く話して ただこの質問ですか

私が木材 それとも コンクリートとか 思っているのですか すでに言いましたよ 皆さんにあるものは 全て私にもあります 何も失っていません もっと智慧を得ただけ 圧力を感じていますか (ええ そうです) 数百万の人があなたを 愛してるので(確かに)

あなたの雑誌を 読んだ時 あなたは皆に言った やっと分かりました 分かりました 私が年寄りで 顔に深い皺がある ように思ったでしょう 皺はあります それほど多くないけど 長い鬚をつけてるとか 私も年を取っています そうですね たぶん顔はそれほど 老けて見えないけど 時には とても可愛いです プロの芸術家です 可愛いと思います それで人々はみな あなたが好きなのです 顔にいろいろ お化粧して いいえ それはどんな 種類の愛かによります ええ はい 分りました 率直に言いましょう それが一般的な愛で 私を尊敬し  いかなる条件もなく 私に何の期待も なければ それはとても美しく 円満で 私にとって 非常に幸せで それは加護です しかし利己的な愛が 私に課せられるなら 私はとても大きな 圧力を感じます 皆があなたを愛してて あなたに会いたがり 傍にいて講義を 聞きたがりますが ご自分の時間は ありますか 時々密かに抜け出して テレビや映画を見ます だからあなたが とても心配です (心配しないで) ありがとうございます 心配しないで下さい 私は皆さんに 憂いでなく幸せを もたらすべきですね 私は自分を世話でき 私は強いです

時々 落ち込むことも ありますが  それが人生です 山あり谷ありで いつも立ち上がれます 大丈夫です 苦痛な時 私は大声で叫び 幸せな時には 笑います ただ自然に任せます 問題ありません 神は決して私を 窒息させることはなく 私に酸素マスクを 与えます 死にかけると 神は 言います「急げ五分間 これを着けなさい」と 私はマスターを 天使のように感じます 天使ですか マスターは天使の ようだと私は思います 私は両方ですね 実際 私達は霊修行すると 若返り 活力に満ち 精神が高められます 精神が高揚し 肯定的になると  より若く可愛く見え 人々は そのような 元気な人が好きです 惨めで 緊張した人を 好きな人はいません そうですね 通常 私は皆さんと 一緒にいる時 とても幸せなので 私はこの仕事を 担当できることを 光栄に思います 私は皆さんの可愛い顔 愛の眼差しを見た時 そして私を見て 皆さんが満足の笑顔を 見せた時 その時 私は苦痛や悲しみを 私は苦痛や悲しみを 忘れてしまいます ですから大抵私が 皆さんにお話しする時 皆さんはいつも 私が 笑顔で幸せなのを見て そして私は 皆さんと同様に より若く 可愛く見えます  そうね ただ自然で とにかくあなたの 賛辞に感謝します