輪廻する前 私は どこから来ましたか

あなたは 前世のカルマ(報い) から来ました あなたが普通の存在で あればですが あなたが仏陀であれば涅槃(最高の天国)から 来ました あなたが天使であれば 天から来ました 地獄で罰せられたなら 地獄から来ました それがあなたの運命で あれば 動物や石や 木からも来ます 私達が 無知か 開悟してるかによって創造の異なる 道から 来ました あなたの人生を見れば あなたがどこから 来たのか分かります

私は障害者です 希望を持てるお言葉を 頂けますか

体に障害があることは 大した事ではないです それは戦争や災難 あるいは 前の人生での失敗から 生じたことでしょう それは私達に 関係のある人や 一緒に暮らす人の共同のカルマ (報い)の結果から かもしれません 最も重大な障害は 無明であることです したがって心配する 必要はありません この体を離れたら 私達は完全で 癒され 美しくなり カルマがもう私達に 到達できない 世界に住みます たとえ観音法門を 修行しなくても この人生で 神聖で 徳があれば 体を離れた後 ある程度 仏陀の光を 受けます ですからどうか 体ではなく 自分の 道徳 魂のことを 考えてください 今はもう体を救うには 遅すぎるので 魂を救ってください いずれにしろ体は数年 しか持ちませんから ノストラダムスは 言いました

世界の終わりについて そうですね 私も既に言いました この世界を去った後に 私達が行く所について 心配した方が良いです

世界がここにある間に 世界を去る準備を することを気に 掛けた方が良いです 世界を 遅かれ早かれ 私達は去ります 私達は次の世界への 準備をすべきです

祖先を礼拝する必要は ありますか

はい 大丈夫です

観音法門修行者は そうする必要は ありません 印心後 私達修行者の 先祖全員が 超生します 一つ二つ 例外があり 悪いカルマ(報い)が重すぎれば より時間がかかります ですから私達の感謝や 思いを示したければ 礼拝できます しかし 皆が去ったら あなたの供え物を 食べたり 礼拝を見る 人は誰もいません 他は 礼拝したければ できます でに大部分の いわゆる私達の先祖は そこにはいないので 礼拝を見ていません 彼らは遠くの天国に いるか 人間世界や 他の異なる世界に 輪廻してるかも しれないからです

ありがとう 彼らはすでに 私達の家族に生まれて いるかもしれません 兄弟姉妹や娘や息子 かもしれません そこに私達の供え物を 食べたり私達の祈りを 聞く誰がいるでしょう これはやはり仏教の 理論によることです カトリックでは 祖先の礼拝は 許されません ですから とにかく そうした全てのものが 必要ではありません

人間と神は 共存しますか

もちろん 彼らは共存します 神がいなければ 人間がいないからです 人間がいないと 神に何の意味が あるでしょう 誰が神を認めますか しかしこれはただ 低レベルの解釈です これらすべてのものを 超越すると 神と一つになるのです そうでしょうか あなたが超越すると 神とあなたは 一つです あなたが仏陀で 仏陀があなたです

プラナヤマ (ヨガ式呼吸法)や 中国式のプラナヤマで 解脱できますか

何であれあなたが 信じている法門を 選んでください あなたにとって 相応しくて 快適な法門を 私はここに 観音法門を説明する ためにいます 私は それを試し信じてます 他の方法は 自分に答えるために 自分で経典を 参照してください 私は他の修行法に 反対したり 言及したくありません 私が良し悪しを言うも 自分が何が一番好きか 知る必要があります

マスター あなたは もう悟りを得ましたが 将来 死にます そして 凡人は 悟りを得なくても やはり死にます 何の違いがありますか

私は悟って死にますが 貴方は悟らず死にます それが違いです 私は永遠に死にません 体だけが変わります 悟った人は ただ体だけ変わって もう一度 別の体に 生まれ変われる 必要はありません 魂は永遠に存在します その人が 別の体を選んで この世界へ戻って 人類を助けたかったら それもできます でも 天国とこの世を 選ぶ自由があります 悟らなかった人は 選択の余地もなく 輪廻させられます それが違いです

人間はもともと 仏陀ですが いつ無明に なったのですか

この無明の世界に 落ちて 色々なことを 学ぶことにより 汚染されるからです そして自分達が 仏陀であり 高尚で あることを忘れ 私達がしたり 学んだりする 他の事で自分達を 認識します

誰がこの宇宙を創造し なぜこの創造が 存在するのですか また 人間の究極のゴールは 何ですか

宇宙が存在するのは たぶん私達がそれを 欲するからです 私達皆が望んだのです さもなければ 人間のいない 星や月のない いかなる様々な 境界もない宇宙を 想像できますか それはあまりにも 退屈ではありませんか 万物が存在するのは 悪くありませんね

世界は まる劇場のようです そこで演じても 見ても構いませんが もう帰る時間です もう時間です 世界にあきた人々 世界に疲れた人々 彼らは芝居を見あきて 家に帰りたいのです そうした人は 開悟を求める人々です 他の人々はまだ それを演じたかったり 見たいので 残ります それはあなた次第です

朝鮮半島を どうお思いですか 朝鮮半島は神から 祝福されていますか 神の祝福の国ですか

韓国は 選ばれた国ですか そうお思いですか 選ばれた国ですか

あらゆる国が 選ばれた国です どの国土も その国の人々によって 祝福されています その国の政府の 英智な統治体制に よります 国家が今 繁栄して平和なら もちろん仏陀 神が 祝福していることを あらわしています 聞くまでもありません

私が観音法門の 印心を受けたら 日常生活に 何の利益がありますか 毎日どんな体験が ありますか

あなたは毎日 それがわかります 利益が多すぎて 計算することさえ できません しかしこれは ただ物質的な利益です 最も重要なのは 自分の智慧とパワーを 開いて世界を 祝福できることです

より高いレベルでは あなたは日常生活の 利益など気にしません ただ考えます どう世界に役立つか いかに世界を 助けられるだろうか より高くなればそれを 考えさえしません 私達は自然に 世界に役立ちます 私達は知ることもなく 考えもぜず 気にもしません これらは観音法門から 一歩一歩得られます

なぜ人間は 死にたくないのですか

死んた後 何が起こるか 分からないから 恐いのです 分かるなら恐れません 観音法門は 生きている間に 死ぬことを教えます そうしたら死とは どんなものか分ります あるカトリックの 聖人は言います 「私は毎日死ぬ」と この修行は 体を残して 座るか横になって 霊体で異なる世界に 行って 新次元で学ぶことを 修行します 死ぬことは素晴しいと この体の重荷なしで 私達は多くの 不思議なことができ 多くの奇跡があります 私達は自由で賢く くよくよしません 正々堂々とした生活を 送っていたら 決して死を恐れません

徳のある人は 往生した時 直ちに天国に行きます 美しい所 とても賢く 自由で 光栄になり 二度とこの世界に 戻って来たくも ありません アメリカで 死んで戻って来た 経験のある人々に ついて記録された 本が一冊ありました その内の一人は 彼女が死んだ後 天国のような 美しい所へ行ったと 述べています しかし彼女の時間が まだ尽きていないから 再び世界に 戻らねばならないと 美しい光り輝く衆生が 彼女に言いました この女性は言いました 彼女が肉体に戻って 再びこの世界に 帰った後 何週間も 泣き続けたと 彼女は 美しい世界を見た後 ここに住まなければ ならなかったからです 作者はレイモンド何某博士だと思います (レイモンドムーディ) 彼は医学博士で 数多いこの種の 死後復活したケースを 研究しました

誰か この本を読みましたか 読みましたか そう そう どうもありがとう

3人 4人 わあ そう 韓国語に 翻訳されると思います 医学博士と科学者と 心理学者の多くの 類似した本があります                             

私は何冊か同種の 本を読みました 彼らは 科学的な人々です 出家者でも ヨガ行者でもないので 信じることができます 彼らが出家者か ヨガ行者ならあなたは 思います「そうとも あなたは私を弟子に するか 寺に供養 させるか あなたへの 金を稼がせるか」とね でもそうではなく あなたはヨガ行者とか 出家者はみな 博士号がないので 彼らの言う事が真実か 確かめられないが これらは科学者や医者 なので信じられると 思うかもしれません 出家人とヨガ行者が 信頼できないと 言うのではありません

彼らは科学者より 信頼できます ただあなたが 彼らを信じない場合 医者を信じることが できます それで その女性がした 経験の種類は 私の知る限り それほど高いレベルの 天国ではありません ずっと素晴らしい 場所があります もっともっと多くの 異なる宗教間の戦いを あなたはどう お考えですか

それは誤解で 悟りを聞いていない 過程だと 私は思います 私達が開悟していたら この種の差別は まったくありません いかなる種類の戦いも 宗教ではありません 戦いを支持する宗教は 決してありません

仏陀あるいはイエスは 敵を殺しに行けと 言ったことありますか 仏陀は何と言ったか 「すべての衆生を愛せ 彼らは皆仏性がある」 イエスは何と言ったか 「汝の隣人を愛せよ 汝の敵を自分のように 愛せよ」 私達はどれほど多く すべての 宗教の信仰者を 愛すべきです 彼らは自分の方式で 修行しています 彼らは最善を尽くして 自分の方式で良い 神聖な人になり 神に 近づこうとしている 話を聞かないなら それは彼らの自由です 聞くなら  それは構いません 宗教的な人々は互いに 友人であるべきです 私達の友人で なければなりません

敵でさえ 愛すべきです どれだけもっと 友人を愛すべきですか 宗教は 社会道徳を 支える力です 各々の信仰ある人は 最善を尽くして 彼の宗教団体に来て 道徳的な 生活様式を 理解する誰をも 助けるべきです その仕事でもう 十分です 互いに 戦う必要ありません キリスト教で キリストを信じ キリスト教を信じ 十戒を守るなら それで十分です 仏陀を信じ 五か十の 戒律を 守るなら それで十分です どの宗教を信じても その宗教的な智慧を 自分の生活に 取り入れるなら それで十分です 皆を集めて 自分の宗教を 信じさせる 必要ありません

私達が本当の仏教徒 本当の キリスト教徒に なろうとしない時 自分の宗教を 理解できません それで私達は 戦うのです

あなたの弟子に なるのと 別のマスターの 弟子になるか あるいはただ自分で 修行するのと どんな相違があるか 説明して下さい それは どんなマスターに 従うかにより またどんな 自己修行をして いるかによります 別のマスターの レベルが同じで 修行の方法と 体験が同じなら 私達は皆同じです 自分で修行した場合 神の光がみられ 神の教えが 聞こえるなら 私達は同じです 神の光がなく 神の声 あるいは内在の仏陀の 声が聞こえなかったら どんなマスターに 従ったり どんな法門を自分で 修めても 私達は 同じではありません 重要なのは あなたが得る智慧です

ありがとう