こんばんは 修行仲間の皆さん 私にとって皆さんの 素晴らしい国と シドニーの素晴らしい 街にいるのは 大いなる喜びです 皆さんは当然のように ご自分の国が どれほど美しいか 理解しています ですが私は 初めて来たので きっと皆さんよりも ありがたく思います 本当に美しく 清潔で 友好的です オーストラリアの 人々は少なくとも 地上に外的な楽園が あるのでとても 幸運だと思います さらに私達は 内面の楽園も 得るべきで そうして 私達は完璧になります 私達は 完全な状態になり 他のどんな天国に いたいとも思いません

皆さんが貴重な時間を 割いてここに来てくれ 幸せで また嬉しく思います それで私達は互いに 知り合えるのです 私はそんなふうに 来るような願望とか 来たいという 願望は全くありません たとえ私が豪州を 好きだとしても 招待されただけです オーストラリアの 修行仲間から 繰り返し求められ ここに来る名誉に 預かっただけです それでも 気持ちの上では いつも 皆さんと私は 何の違いもないという 強い確信があります 私達には どんな違いも ありません そして 私は皆さんに 神が私達に与えた愛と すべてを交換する以外 教えることは まったくありません

でも何人かの オーストラリアの 修行仲間は 非常に愛深く 私に来訪するように という要望に 非常に熱心だったので たぶん私は弟子の いわゆる弟子の愛と 神の意志により 連れて来られたのです 私は皆さんの国を 知ることになり 少なくとも 私のささやかな存在を 通して互いに 繋がるかもしれません きっとそれが 私がここにいる 唯一の目的でしょう それにしても 私が招待された所の どこへ行っても たぶん謙虚な態度の 人々か たぶん 自身の起源をつまり 自身の神の王国を 自身の智慧を 忘れた人々が 常にいるのです

そのために 自身の内面の仏陀や 神やキリストを 探す方法についての 質問が 常にあるのです ですから 私が来る目的は その人達の故郷で 私が集めた 私達自身に内在する 自身の智慧に あるいは無上の力に 戻る方法に ついての知識を 分かち合うためで あるようです 私は何度も スプリームマスターと いう称号の理由を 尋ねられました 私は自分自身を スプリームマスターと 呼ぶほど尊大ですか 私は言いました「いえ それは父の名前です」 ちょうど皆さんが スミスさんなら あなたのお嬢さんも スミスさんのはずで 私達の 皆さんの 父親と同じ名前です ですから皆さんも 自身を「スプリーム」と 呼べるのです

私は実際それに関する すべてを忘れました でも人々がただ私に 気付かせるのです 現在 この世には 沢山の苦しみと 幸せもあることを 知っていますし ほとんどの人々は なぜ苦しみがあるのか いかに幸せを探すのか 知りたがっています 私への質問は それほどの多くの 苦しみを除くことでも より多くの幸せを 得ることでもなく 無上の力を 得ることです ただお芝居のように 私達が幸せと苦しみを  見ることを通してです そうして私達は ただ映画を観るように 人生の出来事を見ます 私達は映画の 登場人物を通して 少し感情を 持つかもしれません  でもその感情に 圧倒されたり その感情に溺れたりは しません

ですから いわゆる 開悟した人と 開悟していない人との 違いは その強さであり この世界や 超世界の 異なる現象に対する 見解の違いです 私達が 「超世界」と言うのは 実は正しくありません 超世界というものは ないからです どの世界も 私達の内面にあります また「内面」と言うのも 正しくありません というのは「外面」も 「内面」もないからです でも人間の言葉では どうにかして 私達は内面の感情とか 内面の直感的理解を 表現しなければ ならないからです 実際 開悟した後は不思議な 感覚があります

なぜなら皆さんは 誰もがあるがままで 大丈夫であると感じ 誰もが 自身の内に 無上の力があるとか 自身の内に 仏性があることが 分かるからです  皆が知るといいのに ですからそのため 人々は内外からの 苦しみによって 自身を確認します でも そのせいで 世界中の多くの人々が 悟りを探したいと願い それで知ることが できるのです 開悟した後も 皆さんは以前と 全く同じです でも一つだけ 違いがあります それは 皆さんが来るもの すべてを受け入れ 与えられたものは全て 神聖で 他の誰もが 神聖だということです

たとえ おそらく 教えや導きの 過程であったとしても 開悟した人は それは神の王国の後で 真理の探求者にとって たぶん役立つ ある方向を 示すかもしれません ですから 私達はおそらく 菜食とか 聖書の十戒や 仏教の五戒などに ついて聞いたことが あるのです それらは 真実の探求者にとって 役に立つ要素であり そうして探求者が より早く結果を得たり いわゆる解脱を 最も安全に獲得する 方法かもしれません 私達はすでに解脱して いると知っていれば おそらくそれらは あまり必要ではない ですが 殆んどの人は 自分達が解脱している とは知らないので そのため私達には 瞑想修行や菜食 道徳的戒律といった 幾つかの道具が 必要なのです

時に人々は交渉し続け こう言います 「印心したいけど 戒律も守らず 菜食もしてません それでもいいですか」 私はこう返事しました 「あなたが 他の人と サッカーをしたいのに テニスボールや テニス用具を 持って行っても 構わないのです

それでは全く サッカーはできないし それで試合は台無しで あなた自身も サッカーの試合を 楽しんでないだけで なく めちゃくちゃな 状況にいるだけです」 私達がまだ 無明な頭脳の状態に ある限り 開悟として このようなことが あるのです それはつまり 私達は自分が開悟して いると知らないので 私達には開悟が 必要なのです 何のための開悟ですか 私達がまだ 自身に内在する 平和と幸せを 探していて この幸せを他の人に 与えたいなら 開悟が必要です 私達はこの世が そうあるのが 完璧だと思い 次はどこにいるのか 同じように生まれ 変わるかどうかなど 気にせず 続けるべきですか もちろん 必要ありません 私達がこの世の幸福を この地球の平和を まだ気にするなら もちろん 開悟が必要です 私のいわゆる 開悟の前は 私はいわゆる 非常に良い生活をし 調和していました 一〇〇%ではなくても

他の調和した生活と くらべたらです それに私がまだ持って いないもので 必要としたり求める ものはなかったのです でもどういうわけか この世には 豊かさや名声 健康や幸せな結婚 友人など 沢山のものがあっても 私達の心の虚しさを 埋めるためのものの ようには思えません それは私達が 自身の無上の智慧の 認識に 欠けているからです 自身の超越した智慧を 発見した後も 恐らく私達はまだ 引き続き 家庭生活に貢献し 結婚を楽しみ 子供達を育て 社会的な責務を 全うします

しかし展望は以前とは 完全に異なるように なります 私達は満足します その満足感とは 私が先に言及した ようなものとは 同じではありません 美味しい食事を 食べた後とか またはたぶん 良い友人に会ったり 楽しいパーティー等に 感じるような事とは なぜならこの満足感は 永遠のものだからです どこのパーティーへ 行こうが行くまいが 結婚していようが 未婚であろうが 良い地位について いようが 地位がなかろうが 裕福であろうが 裕福でなかろうが 健康であろうが 不健康であろうが 病気になっていても 心の安定 この幸福感は 自分自身にあり 私達が開悟に到達した 時だけに訪れます 全ての苦しみの理由は 外側の状況を通じて 来ているのではなく 本当に私達自身の 姿勢によります

ちょうど 例えば 多くのインドの僧が または他の国々の僧が 簡素な生活を 送っていますが 彼らは恐らく 洞窟 テントに住み またはどこか 眠れる所で眠りますが 彼らは非常に幸せで 満足していて 何も求めたり しません

しかし 凡夫は このような状況を 過ごすように 強いられるなら 非常に不幸に 感じることでしょう そして彼は永遠に 更に裕福になるように 更に有名になるように 心の欲望は何でも得る 努力をします 同様にまた 修行でもそうです 私達が最高の方法を 見つけていないなら 最速で一番高い開悟の 目的に到達する道を 見つけていないなら 私達は永遠に霊的な 体験をずっと 求めることでしょう それは他の多くの 方法が私達に開悟を 提供しないという 訳ではなく ただ恐らく 時間がかかり 苛立たせるのです

長く待ちすぎて何も 起こらないとかほんの 少ししか起こらず 私達の神への切望を 全く満足させません それを神と呼ぶなら 神とは何でしょう 多くの人々が聞きます 「それは人か 人格の ないパワーですか」 私は常に両方ですと 答えます 人として現れ あなたの切望が 満たされるなら それでいいでしょう そうでないなら あなたは直感的に 神が何であるか  知覚するでしょう 神は私達の 願いを 約束を かなえてくれる者だと 私達は想像しています 真実です たとえ神が 何なのか表すとても 物質的な方法でも そこに座る人のように 神を見つけられません

私達に毎回キャンディ ケーキを与え 私達が望む時に 自動的に人生が 満たされるように しかし私達は キャンディなしでも 満足します これは神への逆説的な 方法です 神とは自身の 成就した真我であり  自身の本当の真我です 私達が本性に到達する なら私達は決して何か 欠如すると全く感じる ことはありません これら全てのいわゆる シディ(パワー)即ち あらゆる種の神通力は 私達の所に自動的に やってきます ほとんどのマスターは 超能力を 推奨したりしません 私達が自身を 霊的な実利主義に 執着させるのを 恐れるためです それゆえ 私達は更に高い認識の 境界に入るための 十分な関心と強さを 持てなくなります

インドの王様について 物語があります 彼はとても良い王で 彼の臣民に対し 愛のある人でした さて ある日 彼は彼のすべての 財産 宝物を 大勢の国民に分配する 手配をしました 誰でも必要な人は来て 彼らが 満足するものを その展示場で見つけ 何の条件もなしに 与えられました なぜなら王には 子供がいなく 家族の 絆もなく それで 国民を自分の家族の ように愛していました

皆が来て 何でも好きな物を 取って行きました でも一人の少女が やって来て真直ぐ やって来ました たぶん この王の 所有物を展示した 部屋か場所の 裏まで来たのです そして彼女は王の肩に 手をかけて 尋ねました「あなたを 選んでもいいですか」 王はびっくりして 言いました 「なぜだ 私が外に 並べた物の中には 気に入るものが なかったのか 」 少女は「欲しいのは あなただけ」と言い そしてもちろん 王はとても幸せでした 彼だけを  宝物のためでなく 好きな人がいたのです もちろん 王は彼女の 要求に応えられ それで 彼らは結婚しました そんな感じで 以後めでたく幸せに 暮らしましたとさ 何が起こったのか 分かりますか 彼女は何も欲しくは ありませんでしたが 国全てが彼女のものに なりました すべての臣民と 物も含めてです ですから私達の法門も 神通力を支持したり しないのです

持っていないという 意味ではないのです 偉大な開悟の後 あるいは 小さな開悟の後でも 希望するいかなる力も 手に入れますが 沢山ありすぎで私達の 力がどれほどなのか 把握できないくらい なのです 家の片隅にしがみつく 代わりに家全体を手に 入れ そこには片隅も 含まれているのです ある人々は この即刻開悟の法門 天国の光と音の 法門を習いに来る 前に 多くの他の瞑想の 方法を試してきたり しました 彼らは恐らく幾らか シディ(パワー)に 到達していたか この遠くを見たり 聞いたりする パワーがありました 近くではない 所のことです 例えば私がここに座り 何がロンドンで 起きているか見えたり パリで起きている ことが聞けます ええ これがいわゆる シディパワーです またはたぶん 他の人の心が読めて 私達をどう思って いるかが分かります

スパイにとっては 007や 何かそういう事をする 人にとっては良いです しかし 彼らが印心し 私達の法門に入ったら これらの力はなぜか なくなります または このシディパワーを マスターに取り去って くれと頼むような もっと良い事を 見るようになったり より良い知識を 知るようになります これには二つの理由が あります まず恐らく彼らは高い シディパワーレベル より高すぎる所へ行き 自らが所有した以前の 奇跡の力を見渡す ことをしたからです 二番目に 彼らが この力を失ってはなく マスターに除去する ように頼む理由ですが

それは 彼らがまだこの力に どこか彼らの心の中に しがみついていて それでマスターは 彼ら自身に 取捨選択させるのです なぜなら 少し意識の 遠い領域に 高次の存在レベルに 行った後は これらのシディ いわゆるパワーは 霊修行を助ける どころか障害になると 感じるからです 従って私達は自動的に それらを使いたく なくなります サマディーに入定し 座っていたとします 非常に穏やかな 心理状態に入っていて 超意識の真我の状態に 入っていたとします あなたは完全に 天にも地にも 全く何の欲求もなく その時あなたは何が ロンドンで起きてるか 見ます 何かとても 陰惨な事をです

それについてあなたは 何もできません あなたは心地良く いられるでしょうか

(いいえ) あまり良くないですね その通りです はい より失望を感じ いらいらするように なります そして  心の平和を 得ようとして  そして今は 非常に失望と 悲しみを 感じています 何をすることも できない状態です または たぶん 他の誰かの心や 思想が 見通せるでしょう

または 妻の心が分かります 彼女があなたではなく 隣人を愛してることを  見て それで そのようなことは 私達の瞑想に 役に立ちますか (いいえ)立ちません

私達に多くの憎悪を 抱いている人がいると して それで 私達に彼の心を見渡し 霊的な力があったら それはお互いにとって 不愉快な感じを 与えます なぜなら 大部分の人々は 時々内面に 非常に制御不能の 感覚や感情を 持っています それは彼ら自身に 関係があっても なくても そしてすべての事を 知ったとしても 役に立たないだけです それから 私達は常にこの世俗の レベルを心配します 永遠に越えることが できず 自分自身を 偉大なる智慧の中に 融合できません 今世紀に 色々な超自然現象が 起きています 

ですから それは 私達に非常に良いです 内面的に素晴らしい 力のことをよく知って いるのはこの時代の 人々に非常に良いです しかし時々それも どの方向に従うか 私達を混乱させます 大部分は私達が いわゆる即座の証明に 誘惑されるからです 例えば超能力とか 霊的な力または 治癒能力とか  壁を透かして見るとか 空中を歩くこと など 私達は瞑想 修行の主要な目的が 何か忘れてしまったり 霊性を認識することを 全く忘れてしまいます 本当にいけません なぜなら真我や 内面の偉大なる無上の 智慧を認識する時 私達は全てを知ります

それは最高のはかりで 標準だと思います 私達がどの道に 行かねばならないかを 判断するためにです 故にイエスも言います 「まず汝の内面に 天国を捜しなさい すると他の全ては 付いてくるでしょう」 神の王国は 遥かな天の上に あるのではありません 今ここにあります それは私達の 心の中にあります ただその鍵を解除し 毎日使わねばならず それで私達は どれほどよい人になり どれほど賢くなって どれほど 愛の力を持って 人を満足させる人に なるのが分かるのです

イスラムコミュニティ 世界最大の 共同体の一つです イスラムコミュニティ 内の彼らの姿勢を変え 確信させられれば 地球を救う 多大な貢献となります