アラー 仏陀 イエスが 今 生きていたら「環境 保護主義者」ですか 「グリーニー」とは 環境意識のある人で 惑星は望まない けれども

分かりました

それは新たな 環境を保護する 団体ですね  そうかも ええ 私達自身のために 可能な限り 緑を守らなければ なりません しかし  木が人間より 大事であるような 自然崇拝者に なってはいけません はい 木は 人間のためにあります 木が必要な場合 空間 時間 人数が 許される場合  それらを 守るべきです 従って その場合 おそらくイエス  アッラー 誰であれ 賛成するでしょう 私自身も 自然保護者です 私達全ての修行仲間も 勝手に木を切ることが 許されません

ただし 必要な場合 木を切って 人間のために より良い 施設が作られます ですからいつも人間の 快適さを考慮せず 自然を守るという ことではありません はい 場合によって どこか いつか どの位守るかを考えた ほうが良いでしょう おっしゃった通り 悟りは私達に 何もかも無視する ようになります  例えば 富 病気  あるいは 高い社会的地位など 富に関しては あなたに賛成しますが ただ病気に関しては どうでしょう 毎分でも苦しみます

病気は我慢できない 痛み 惨めさを起こし どう無視できますか 悟りを開く前より それほど苦しみを 感じられないのです それだけです 私達はできるだけ 体を大事にして 体に快適さを 感じさせて 必要な治療を 与えます しかし 私達は 病気に苦しむとは 感じられません 私達の辛抱強さ 忍耐力が強くなり ゆえに 病気は 私達をそれほど 困らせないのです 完全に無視するの ではなく それほど 私達を困らせない ということです

しかも 悟りを 開いた後 沢山の病気はただ 消えてしまうのです これは神通力ではなく これは私達自身の 超能力を目覚めさせ 体を調整させて 悪い部分を 洗い流したからです ですから沢山の人が ガンが治ったことを 発見したのです にもかかわらず  彼らは既に 手術台に送られ 麻酔針さえも 刺されました それでお医者さんを 驚かせることに  ガンが消えて しまったのです それで また彼らは 外に追い出されました ですから 病気を 無視することではなく 病気は悟りを開いた 人を無視するようです

全人生をより霊的に したいと思いますが 回りの否定的な力と どのように戦えば いいのですか 霊的な傾向があれば 全てに対して 辛抱強く 耐えられるでしょう 否定的な影響 そして 人生に対する否定的な 考え方を含めてです 考え方を含めてです もっと寛容になり 理解力が増すでしょう 私達の肯定的な 自性はいくらか輝き これら癒しの力は 否定的なエネルギーを 治すでしょう

私達は真の霊的な 修行者である限り 何もかもする 必要はなく 自然にある程度 好転していきます 誰か私達に助言を 求めたり 彼自身ももっと 向上したいなら 私達は何をすべきかを 教え 提案することが できる立場になります

あなたは 昔私達は 完璧であったが 今はそうではないと おっしゃいました このような状況に 陥るのはなぜですか サーカスで迷ったので 私達はサーカスに 夢中で自分の家さえ 忘れました それである人が来て 私たちの肩を叩いて こう言います

「ここはあなたのいる 所ではない 十分です あなたは飢えと寒さに  悩まされ ここに執着しないで 家に帰って 快適に過ごしなさい」 親愛なるマスター 人間は常に未知に 対して不安を感じます どうやって観音法門が 正しい道であるか 確信できますか もちろん 試さないと よく分かりませんね しかし ご存知の通り 私達の基本的な戒律を 見てみれば 仮に 観音法門があなたに 何の利益がなくても またはその利益が 確定できないとしても 一つだけは 確信できるでしょう

それはあなたに何も 害がないことです 菜食をしても 何の害もありません 少なくとも健康的です 何も霊的な慈悲が 信じられなくても 菜食は健康に良い ことは既に科学的に 証明せれています 世界中のすべての 病院は肉食者のために 建てられています よく知っていますね 結局大部分の肉食者が 病院にいるのです だから一つの観点です そして  いわゆる五戒は 心の不安から あなたを守るためです あなたは一人だけと 恋愛関係を持つべき です

自分に属さないものは 取らないこと 自分と他人と家族を 悲惨にするだけの ギャンブルは しないこと あなたの精神と視力を 朦朧とさせる お酒は飲まないこと あなたに有害な麻薬は 摂らないこと これら物質面の明白な 指標を考えてみて 少なくとも 私達の教えと法門は あなたのためになると 分かるでしょう あなたは少しずつ やり始めれば もっとよく 知るようになります 少なくとも私達は 開悟の何らかの証拠を すぐ与えることが 出来ます 少なくとも私達は 一切お金を取りません

この前も 途中でも 後でも取りません いかなる条件も束縛も 一切ありません 後で私たちを 必要としなくなっても 私たちはあなたに 対して何もしません だから どの面でも あなたは何も失わず 得るだけです

これは象徴的なことに 過ぎません しかし あなたは 自分の直感力と智慧で 自分の従うべき道を 見極めなければ なりません 重要なのは 私の言葉ではなく 重要なのは あなたが 理解し 自分の内面に また好きな誰でも 神 イエス  アラー 仏陀に祈り 助けを求めるべきです 私たちへの強い 吸引を感じたら これはあなたのための ものだと知るでしょう そう感じなければ あるいはこの世界への 強い吸引を感じたら あなたにはまだ準備が 出来ていないことです とても簡単です マスターは偉大な 「白色同胞団」と 関連がありますか

「白色同胞団」は元々 非常に高いレベルの 霊的存在のことを 指しています もちろんその意味で 言えば  私もそれに属します しかし私たちは 全能の力  私達自身に属します これは一番確実です これはあなたに 与えられる 一番明白な答えです 私達はあなたを 自身をもっと良くし  あなたをマスターに 成長させるグループに 属していて あなたが 黒くても「白色同胞」に 成長させます

あなたの弟子たちは あなたを非常に崇拝し あなたを神  無上の存在だと 思っているようです あなたに対する彼らの 崇拝の態度に対し 何かご意見が ありますか 意見はありません 彼らの意思でしてます 崇拝するかしないかは 彼らの自由です 私を含めどんな人を 崇拝することも 推奨しません いつも言っているのは 「偉大なのはあなた達」 どんな奇跡が 起こっても どんなことが 起きても それはあなたが 霊修行の道を歩んで 自分を訓練し 自身の偉大な智慧が 目覚め あなたを 助けたからです

彼らは私を崇拝しても 崇拝しなくても  私に何の影響もなく 他人を止められません 彼らを止め 一人ひとりの所に行き いつも同じことを 繰り返すことは 出来ません 一般的指標しか 与えられません でも 彼らは自らの やり方でやっています 彼らは成長し その 状態から抜けられます 心配は要りません

でも それは彼らの ためになります 彼らは一点集中です 私は彼らを傷付けず 彼らが私を思うのは 悪魔を思うより 良いでしょう

セックスのことを どう思いますか セックスを非難すれば 泥を非難すべしです しかし蓮の花は どこから来ているか 忘れないでください あなたは他人の言葉を 繰り返していますね あなたの言葉でも 受け入れます でもあなたはいわゆる 他のマスターの言葉をくり返したのでしょう セックスを非難した ことはありませんね 私が自分の講演で セックスを非難した ことはありますか ご自分の観点を披露 したいだけでしょう ただ それはあなた 自身の観点ではなく 他人の観点ですね あなたはまず開悟し それでご自分の 意見を持ったほうが いいでしょう

私はセックスを非難 したことはありません でも いつも人に セックスを意識させる ような教えや 励ましは推奨しません これくらいのことは ほかの動物でも 出来ます 非難なり 崇拝なり するほどの大したこと ではないでしょう 取り上げる価値すら ないと思います これを教理のテーマ あるいは重要な話題に する必要は 全くないと思います 重要ではありません セックスを 非難するなら 私は ここに存在出来ないし  両親も存在出来ません 仏陀もイエスも決して 生まれて来ません

どうやって自分自身を 愛すことを学びますか

学ぶ必要があります 悟った後に 私達はすべてが 大丈夫だと分かります それが私が言える事で 「あるがままで 大丈夫だ 私が自分を愛するか どうか分からないが  ただ私は大丈夫だと 知っていて問題ない」

あなたの本で 私が持っている サンプル本の 四十ページについて  質問で ただ疑問です 「聖書の中には決して 動物はあなたの食べ物だという記述が 見つからない」と

さて 聖書の マタイの福音第十五章 十七節によると イエスは言われた 「あなた方もまだ 悟らないのか すべて口に入るものは 腹を通って 外に出されることが 分からないのか しかし  口から出て来るものは 心から出て来るので これこそ人を汚す 中に入ってくるものが 人を汚すのではなく その人の心から 来るものが人を汚す」 それで 言行録からの 別の大きな参考に 移りたいのですが 私はあなたが それをよく知っている と確信しています

ペトロ イエスの 最も偉大な弟子の 一人である 彼は言いました 彼は恍惚状態になり 空腹になって 食べるようになった時 彼は天が開いて 大きな船が 彼の上に 降りてくるのを見た あたかも四隅に 接合された大きな シートが地球に 降ろされたようで そこには すべての種類の 地球の四つ足獣 野獣 這うもの 空を飛ぶ 鳥がいた ある声が彼の所へ来た 「起きよ ペトロ 殺して 食べよ」 しかしペトロは言った 「いいえ 主よ 私はこれまで決して 世俗の 不浄の物は 食べませんでした」

するとその声は 再び彼に話しました  二度目は 「神が浄化したものは 汝を 抱きない よろしくお願いします あなたもありがとう あなたが読んだ マタイの第一節には 肉について全く 言及されませんでした おそらく イエスは当時 何人かの人々が 豚を食べるか 食べないか またある食物は 食べないが ある食物は食べるのに とても執着してるので その時 イエスが それを言及したのです だから恐らく イエスはそれについて 言及しましたが「肉」は 全く言いませんでした

第二に ペトロが こういうことを見たと して 彼のビジョンの 中だけで神が神の力で 幻の啓示を通して 作られる何であれ それは本物ではなく 神が彼に食べて 欲しかったのは 肉ではなく 物質的な 肉ではありません 同様に 仏教経典において 楞厳経には ある一節があります 仏陀は言いました 「私の弘法の 初期には 異なる生育背景と 国から来る 多くの僧が いる 彼らは菜食を食べる のに慣れていない 従って 私のパワー 神通力を用いて 彼らにいわゆる 肉を表して 食べさせる」と しかし その後 肉食する僧はいずれも 私の弟子ではない 私が彼らに 表した肉は 本物の肉ではない」 この意味で 聖書と 仏教徒の楞厳経が 同じことを言ってると 推測できます

ええ 旧約聖書では 神は決して私達に  肉を食べるべきとは 言いませんでした 彼は言いました 「私は汝のために 野に美しい果実また 庭に草を 創造した これが汝の食物となる 私には二種類の いわゆる弟子がいます 一つ目は 早く完全な 悟りがほしい人で 彼らは菜食者です あなたが 菜食に 興味がなければ 私達も部分的な 菜食者である人々には 別の方法を教えます 私達は肉食者を 非難しません

仏教の経典で 仏陀は言いました 「音と光で 私を見るなら 仏陀を見ることができない」 しかし あなたの本に あなたは光と音に ついて語っています あなたの本にある 光と音と 仏教の経典にある 光と音との違いを 教えてください 教え 仏陀は「光」と「音」とは 言いませんでした 仏陀が言ったのは 「外見  現象の形式で 私を崇拝したら 私の現象の形式を 崇拝したら 仏陀を見ることが できない」です 仏性が見られないと いう意味です しかし彼は 肉眼で見えない光と 肉体の耳で聞こえない 音を指しているのでは ありません

それが違う所です これはあなたをより 賢く より平和でより 愛深くなるのを助ける 超世界の光と音です 仏陀の意味は 私達が仏陀の 外形に執着したり どんな風に地球に 現れようとあるいは 一種の偶像崇拝に 執着したら 私達は決して自分の 仏性を見つけられない ということです この光と音を 指していません 親愛なるマスター 神は人類を 区別すると お思いですか そうであるなら なぜ 皆に同じ肌と 髪の色 同じ言語を 与えないのですか

そしたら人間は言語に おいて問題がなく 肌の色の相違で 暴力闘争に 至らないでしょう どうか説明して下さい 神はあなたがさっき 言ったものを何でも 与えました でも 私達はこの二元的な 世界を選びました それが好きだからです 再び平等になり 誰もが同じく 神聖で美しく 見えるのを望むなら 修行者の団体に 加わって下さい そうです そうです そのために私はここに いるのです いかに 無差別の国に戻るかを 教えるためにです あなたは選択できます

この多彩な世界に いるか あるいは 性別 背丈 貧富と 膚色の間等々に 差別のない所に行くか なぜ神はこんな多くの いわゆる色を私達に 下さったのでしょう 神はとても 愛情深いからです 私達が欲するからです 私達が欲しいものは 何でも得られます 神は他の選択も 下さるので 私達には 多くの選択があります だから神はこの種の 世界とその他多くの 別の種類の世界を 私達に下さいます イエスが言ったように 「私の天なる父の 家にはたくさんの 部屋がある」と ですから この世界が嫌いなら 構いません

他の世界に 行きなさい 私達は道を知ってます 案内できます そして他の世界に 行きたくない人は ここにいても かまいません ここに留って したいことをします だから私達は人々に 従うよう強制しません 私達はあなたのように その種の境界に 行きたい人に その機会を 提供するだけです

あらゆる世界 あらゆる場所には その制度と規則があり それで あなたがその 規制を守りたいなら その場所に留ります でなければ 他の種類の 制度と規則が あります 例えば豪州に 移住したオゥラック (ベトナム)人あるいは 中国人はやはり いわゆる中国人または オゥラック (ベトナム)人ですが オーストラリア政府の 法律を守らなければ なりません 好き嫌いを問わず なぜ右側でなく 左側運転なのか 彼らは決して尋ねる べきではありません 「私の国ではいつも 右側運転です

なぜこんな複雑な 左側運転なの」と でも規則はそうです オーストラリアに いたかったら ただそうします 単純に そうでしょう 仏陀の音について 教えて下さい これは世界の音楽の 音ですか それとも声ですか

それは音楽のような ものですが 私達世界の音楽と 完全には似ていません それは言い表し難く それは私達に言い様の ない影響を及ぼします それは内在する 智慧の象徴で 聞けば聞くほど 私達はより良くなり より賢くなります 声ではありません 話し言語ではなく 時にはそうですが 一般的には そうではありません 私達は瞑想において 良い結果が欲しいです あなたは私達が保護と 手引きのために本当の マスターから印心を 受ける必要があると お思いですか

印心を受けないで 瞑想したら どうなりますか あなたは聞いたこと あるでしょう  多くの人にトラブルが あるのを 経験豊かな ガイドなしで単独で 瞑想しようとする時 それは少し 冒険的です しかしあなたが一人で できるなら構いません 単独でできるなら あなたは開悟します ただ一般的には 先生を持つ方が 良いです 英語や拳法を 先生と学ぶように それはより安全で速く 多くの時間と 多くの不必要な 間違いと失敗が 省けます 私はあなたの本と 講義を読み通しました そしてあなたは 宗教間での差別を しないと分りました

あなたは常に イエス 仏陀と 他の本当の マスターからの 話を引出します 教えて下さい あなたの宗教を あなたは通常 ある宗教と 良い関係にありますか 私はどこででも特定の 宗教を提唱しません 私達には十分 宗教がありますから 仏教徒が仏教の規則と 経典を厳格に守ったら 彼はすでに 良い仏教徒です キリスト教徒が 本当に戒律に従って 生活するなら 彼はすでに 良いキリスト教徒です だからキリスト教徒 あるいは仏教徒に なるべきだと 私は提唱する意図も 必要もありません 私達には人々に仏教徒 カトリックかキリスト 教徒になるように 教えるのに十分な 教会と寺院があります しかし私達は仏教徒が 彼らの仏性を 見つけるのを助けます キリスト教徒が 天国を理解するのを 助けます 彼らが知りたかったら

それはただ 提供するだけです 無条件で 強制せず 完全にただです  印心の時 その前後も 何の束縛もありません

そして宗教的な背景 あるいは瞑想の経験も 不必要です 完全に無条件です

私が仏教か カトリックのような 一つの宗教に 属していて 印心を 受けたいと思うなら 私の宗教から 離れる必要ありますか いえ 必要ありません 私はすでに言いました 日曜ごとにまたは 毎日教会に行けます

私はあなたが教会で いかに直接神と話すか 教えるだけです あなたが望むなら 親愛なるマスター 私はどんな宗教も 信じませんが 誰にでも尽くし 努めて隣人を 楽しませています 私の父へも同じです それで私達が死んだら 天国へ行けますか もちろんです もちろん行けます

すべての宗教は こんな人であるように 教えています きっとあなたは 天国へ行きますが どれほどいられるか 私は保証できません あなたの福報にも 制限があります あなたが七十年 お父さんに 尽くしたとしたら 多分七十年 天国に居るでしょう そして後程 おそらく 他の福報を稼ぎに 再び戻らなければ なりません しかし私達が本当に 開悟したら ここにいる間に 神と直接接触でき 何でも要求できます 戻る事を望まないなら 再び戻る 必要はありません

皆さんの愛 皆さんの興奮と すべての質問を ありがとう 皆さんが喜ぶのは 私を皆さん自身だと 認識したからです 皆さんが興奮するのは 関心を持っているから

私の講義に関心を 持っているからです どちらも ありがとう ではまたね