マスター 私は 仏陀の名を唱える時に 集中できません 代わりに  悪い考えが浮びます どうすればいいですか 仏陀の名前を 唱えている時に 仏陀に繋がれないなら 集中するのは 難しいです だから私は観音法門を 修行するほうが良いと 言いました 観音法門は 私達が まず仏陀と繋がったり まず聖霊と 繋がるのを 手伝うからです そうして集中できます ベルナデッタの話と 同じです 彼女はまず 聖霊と繋がって すべてを知りました

たとえ聖書を 暗記していなくても 聖人になれました 分かりますか 他の人々は 聖書を暗記でき イエスキリストの名を 唱えましたが 聖霊の体験は ありませんでした 彼女のように自由 つまり解脱してません マスターどうやって 瞑想中にとりつかれる ことを避けられますか あなたが観音法門を 修行しているのなら とりつかれません 他の法門を 修行しているなら それをどう防ぐかは 私は知りません 一度とりつかれれば それはあなたです

あなたが観音法門を 修行するなら 絶対に取り付かれない ことを保証します 他の法門を 修行しているなら そのマスターに 防ぎ方を尋ねて下さい 避ける援助ができない なら その師に  従わないのが最良です マスター 人は心の 悪いカルマ(報い)を どう取り除けますか 取り除けないなら なにか他に 救済手段はありますか 唯一の法門があります 観音法門です 音と光の力は 無限の過去の 蓄積された 悪いカルマ(報い)を 何度も転生して 蓄積された 悪いカルマ(報い)も 最近の悪いカルマ (報い)も浄化されます この一切が印心中に 浄化されます 良くないですか (いいです) マスター 菜食が 脱力感を感じさせ 健康が優れなかったり 強くないなら どうすればいいですか 質問者は 既に菜食を していますか

まだ菜食者でないなら 菜食をすることは あなたを弱くしないと 保証します 私の出家した弟子を 見て下さい 十分丈夫でしょう 皆血色が良くて 丈夫です みんな 全員立って 見せてあげて下さい あなたの目の前に 立っている人たちは 毎日沢山働きます お話しますが その人たちは 鉄柱を設置し 洗面所を建て 屋根を 張り 穴を掘りました 分かりますか 車を修理したりなど 沢山の事をします 何でもできます 彼らは何百人もの人々 または数千人のために でも料理できます

出家した後 私達が もう働かないのでは ありません 間違っています 私達にはやるべき事が 山ほどあります それに言わせて貰うと ある動物 例えば 象 馬 キリン牛などは 大きくて強いです 彼らは皆 草食動物でそんなに 「小さく」ありません そうではありませんか なぜ恐がりますか 菜食者であることは 不健康にはなりません それはあなたの 想像にすぎません 健康上の問題を 引き起こすのは肉です だから肉を食べれば 食べるほどより多くの 病院を建てるのです そうですね(はい) あなたは知っています

マスター どうすれば 中学校と高校に通う 子供達が優しくて 両親の愛を理解し 彼らの両親に 疑いを持たないように 訓練できますか

これは彼らのカルマ (報い)によります 以前 親切だった 子供は出かけると 外の世界で影響を 受ける可能性があり 現代社会は子供には それ程良くありません あまりに多くの暴力的 映画やポスター上に 肌もあらわな女性が います これらのすべての ポスター 映画 暴力が 子供に影響します その上 学校には 倫理を教える過程が ありません 倫理の科目が ありませんね たぶん変化はあります たぶん 政府は学校に 倫理の科目を加えて 子供に一日一つの 道徳物語を教えるか 彼らに一日一時間か 一時間半 瞑想する ことを教えます

それで 子供たちは 向上するでしょう インドにはそのような 体制が既にあります この頃は 西洋の いくつかの大学にも このような科目が あるように見えます 学生たちに三十分の 瞑想をさせます 彼らはこの方法で 学生がより賢くなり 彼らの心が より穏やかであり 教師に対し より礼儀 正しいと発見しました そんな訳で私は子供は 変化すると思います 私達は外面から直す のではなく内面から 直す必要があります また 社会では 皆が 一緒に働かなければ なりません 私はいつも 自身の 性格の面倒を見るべき だと言っています

両親として 私たちは 自分の子供を変える だけでなく自身をも 変える責任があります 私のマスターの息子で 彼は父親に関する 話をしてくれました 彼が三、四、五歳の 頃からいつも 両親が本当に早く起き 瞑想することを 見ていたと言いました その時瞑想する方法を 知らなかったが彼も そこに座っていました ですから小さい時から 彼は瞑想を学びました 当時は何も 分りませんでしたが  彼も早く起き そこに  座って 両親と共に 瞑想したものでした

そして彼は多くの徳の 高い人々が毎日両親に 会いに来るのを見て 多くの修行者が来て 彼の両親と 瞑想をしました また両親がどのように 修行仲間に大いに 愛のこもった世話を したかも見ました 両親がこれらのことを しているのを 幼い頃から見てました 両親は毎晩 毎日 そして毎週日曜日に 家族全員に 経か徳の高い経典を 暗唱したものでした それから 彼らは瞑想をしたり 録音テープを聞いたり または良い話か神聖な 経典を読みました 彼は幼い頃からこれら すべてをしていました

後に 彼が悟った  マスターになったのも 不思議はありません 現在 彼はインドや世界中で よく知られています ですから 子供を 非難しないでください 私たち父母も時として 過ちを犯します たぶん私達の衣服に 威厳がないか 私達の 性格が十分高傑で ないか または十分 徳が高くありません 学校に頼るだけでなく 家庭から子供の世話を する必要があります 私たち父母は 最も偉大な教師であり 最も基本的な教師で 最も重要な 教師なのです どう考えますか これからは家に帰って 自分の面倒をよく見て もっと威厳ある服を 着てください これほど短い服は 着ないようにね

でも また短いものも 結構です 私たちが昔の 伝統に戻るのも いいですね 昔は 人々は互いを貴賓のように 尊敬したり それに彼らの衣服は 威厳がありました この頃は 街で このように体半分しか 覆わないような  短い洋服を着ている 人々を見ます 寒い冬の日でも 彼らはまだ半分の丈の 服を着ています 彼らがカゼを ひかないか心配です 年をとると関節痛に なるのは無理もなく ええ 関節炎です 女性はよく多くの 病気にかかります それで 多くの薬を 飲まなければならず 沢山のお金を浪費し 病気に苦しんでいます

時にはそれは彼らが 自分達を十分覆って いなかったからです とても寒いのに彼らは 半分の丈の洋服を着て バイクに乗っています 家に帰ってカゼを ひいても当たり前です 彼らは年をとると 病気になって 痛くなったりします その上 そのように 自分の姉妹や 両親が他の人々の 欲求を刺激することが ありえますし 他の 人の両親や姉妹が 私達の欲求を刺激する こともありえます 人々はお互いの 欲求を刺激して  私達にとって 良くない考え方に 影響されるでしょう 私達はお互いに 思い出させるべきです

それは私達が 道徳的な側面で互いに 思い出させなかったり 霊性の側面で互いに 助け合わないからです その代わりに私達は 人間の感情に集中し 縛りつける人間の 感情に集中します それが問題の原因です 今日の出家も免疫力が あるというわけでなく 彼らが外に出かけて それらの状況に 遭遇すると彼らには 厄介なことにもなり ですから霊修行は 簡単ではないのです ですから子供の世話を する時 私達はまず 自分自身の世話をする 必要があるのです マスター 私は仏陀に 帰依しましたが 私はまだ悟ってなく 仏陀のことが 分っていません

どうぞご教示下さい よろしくお願いします 仏陀に帰依することは 生きている仏陀  生きているマスターに 帰依することです 霊修行の方法を 学ぶことは いわゆる ダーマ(真の教え)に 帰依することです 霊修行者の団体と 修行することは いわゆる サンガ(僧団)に 帰依することです あなたがそれら全てを しなかったらあなたの 帰依は価値がないです あなたに少しの体験が なくても当たり前です 釈迦牟尼仏が地球に まだいるうちなら 仏陀に帰依するのは 有効です

彼の弟子達だけが 仏陀に ダーマ(真の教え)に そしてサンガに 帰依すると 言うことができます 彼がこの世を去った後 私達は他のマスターを 見つけねばなりません それこそ本当の献身で 私は帰依する 私は帰依すると 話しても空しいのです たとえあなたが 百年間 帰依するとしても 役に立ちません マスター 南部では デング熱が流行ってて とても多くの 蚊がいます 駆除せなばなりません

マスターには何十億の 化身があるので  私達の殺生を抑える ために それらの蚊を 追い払うために 力を使えますか どこまで追いかけるの たとえ彼らがどこに 行こうとも 同じです 南から北まで 追いかけるのですか 他の人に害を加えます ええ 私は蚊を 追い払えます はい このデング熱を 追い払えます あなたは私にそれを 追い払って欲しいの 何人の人がそうして 欲しいのでしょうか 手をあげてください そんなに多くではない ならまだ堪えられます

あなたが私に デング熱を追い払って 欲しいなら 皆さんが 南部に来て私と 観音法門を修行すれば この病気は 即座になくなります デング熱がどこから 来るか知っていますか 殺生の悪いカルマ (報い)です 南部は  最も動物を虐殺する ところです 屏東では多くの人々が 鶏とブタを育ててます 実際 南部全体で 人々は多くの家畜を 育てています ただ家畜を 育てているのではなく  育ててそして殺します ですから殺生のカルマ (報い)が危害を加える ために戻ってきます

追い払いたいと 思うなら 慈悲深い 本性を取り戻すべきで 殺生を止めるべきです 悪いカルマ(報い)を 変えようと しなければなりません それで 私達は追い払わずに 蚊はいなくなります 私達修行仲間の多くが 以前 彼らの家に 多くの蚊とゴキブリが いましたが 取り除くことは できませんでした しかし彼らが霊修行を 始めると病害虫は いなくなりました 決して殺すために 何かを使ったりせず 皆さんは古代の人も このようにしたと 知っています

彼らが霊修行を 始めた後 危険な 動物は彼らに害を 及ぼさないのです そうでしょう これら小さな蚊は 言うまでもなく 彼らはあなたの死を 恐れるだろうし あなたに近づいたり あなたに帰依し お辞儀もするでしょう 広欽老和尚が 霊性修行をしていた時 人々が彼を 追い払ったため  彼には住む所がなく それで彼は 山に登りました 結局 山の洞穴の中には トラの家族が 住んでいました トラが帰って来て そこで彼を見たとき 何もしませんでした

彼女は 彼がただで そこで暮していいと 広欽老和尚に知らせ その後トラの家族は皆 広欽老和尚と平和に 暮らし始めました 従って私が言ったのは 非常に論理的です 私たちは内面から 変わって 自分の貪欲 怒り 無知 暴力及び 悪い性質を 取除く必要があります それで悪いカルマの 影響は私達に取付かず 私達を煩わせません

マスター 仏教に従う 人は虐待を我慢せねば なりませんか 言い換えると他人から 中傷されても 我慢 せねばなりませんか 受け入れる方がいいか あるいは論法で人々と 議論する方がいいのか 私達は報復をしては ならないと思います でないと どうしたら 循環的な復讐を 終えられますか マスター 経典で 言及していますが 釈迦牟尼仏は 菩提樹の下で 金剛宝座に座って 東方を 見つめているうち 悟りを開き 仏陀になりました しかしこの頃 瞑想を教える人々は 鼻と心に集中する ことを教えます

どちらの霊修行が 正しいでしょうか 両方とも正しいです それらの人にとっては 正しいですが 私にとっては 正しくないです 経典では 釈迦牟尼仏が星を 見詰めて悟ったと いうことでですね 「星」は実は内面の 星の境界を意味します 私達は仏陀がいる所に 到達するためには 星 月 または 太陽などを 越えねばなりません 観音法門を修行する時 私達は皆 そういう内面の境界を 知っています 釈迦牟尼仏は 星を見詰めているうち 仏陀になりました 彼は東方を 見詰めることによって 仏陀になる必要がなく 西方 北方または 南方を見詰めることも できます

最後にあなたが内面の 境界に達するとき あなたは悟ります ですから鼻を見つめる ことを なぜ それも 正しいと言いますか それは 真理を 誤解した人々だけに 正しいのです それらの人は 釈迦牟尼仏の像を 見ていたのです そうですね または菩薩の像です それらは 半分閉じた目で 鼻を 見つめてるようです それで彼らは「私達も 同様に修行します」と 思います 彼らは ただ外観を 見ているので  このように考えます 彼らが修行すれば 目がなぜ半分閉じて 半分鼻を見つめてるか 分かるようになります それはサマディーに いる人がそのように 現れるからです
分りますか

私たちが観音法門を 修行すると それが分りますか (はい)そう 私たちは   自性を見つめます 私たちの弟子を見ると 彼らの目が 自然にこのように 現れるのを知ってます 彼らの目は  半眼を示します このようです そういうわけで 後に 人々は仏像を見て 自分もそのように すべきだと思います 彼らは仏陀が 何をしたかを  誤解したからで自身が 内面のサマディーに 入らなかったからです  それが全ての原因です そういうわけで 彼らは誤解しました

それでこれらの方法は 彼らには正しいですが 修行して理解した人は 彼らが間違っていると 知っています マスターある人が既に 印心を受けてても家に お酒を残している場合 マスターは五戒の 一つがアルコール禁止 であるとおっしゃった 以上どうすべきですか お酒でお客を もてなせば カルマ (報い)を得ますか あるいは誰かに 与えるべきですか どうすべきでしょうか はい 悪いカルマ (報い)を得ます どぶに流して下さい 過去 私たちは アルコールを飲んだり 他人に供したのは それが毒であることを 知らなかったからです 今 毒だと知っていて どうして 他人に 与えられますか どぶに流して下さい

マスター この世界は 魔に属すると 言われますが  全ての科学的な製品は 利益をもたらします つまり 世界に多くの 快適さと便宜を もたらします これらの発明で生活を 楽しむことができます たとえ時々 副作用をも つくるにしても このようであれば なぜ私たちは霊修行を してこの世を捨てる べきなのでしょうか 肉眼で見る この魔の世界は 多くの美しいものも 私たちに与えますから 美しいものも そうですね いいです 

居たければ 歓迎します この世界は良くない とは言っていません 私達の見方が正しく ないと言っただけです 人が苦しんだり 悲しんだりするのは このためです どのように 悲しみや苦しみから 解放したらいいか 知らない人々がいます 霊修行をする理由は ここにあります この世界は悪くないと 思っているなら 素晴らしいことです それなら 霊修行 しなくてもいいです でもいつかあなたも この世界を去ることを 忘れないでください これこそが問題です

私が去るように 要求するのではなく その日は自然に来ます その日は明日やって 来るかもしれないし  明後日 あるいは 今夜かもしれません ですから 重要なのは 準備しておくことです この世界は余りにも 苦しいと思ったり 実はこの世界は 完璧なのに 私達が 苦しく感じるなら 私達はこの苦しい 状況を変えなければ なりません この世界は 幸せだと思っていても ある日この世を 去らなければならない ことを覚悟すべきです 無知のまま 何も 知らない人のように この世を 去りたくはありません

この世を去ってから 私達はどこへ行き 何をするかを 知るべきです この世界と似た世界に 行くのか それとも  もっと苦しい世界に 行くのか この世界は自分に とって十分美しいと 思ったら この世界に 比べ全く耐えられない ほど苦しいもう一つの 世界があることを 知るべきです その世界は 宗教では 地獄と呼ばれます その世界について 何も知らないため 万が一 あるいは不注意で その世界に落ちたら 大変なことでしょう

ですから この世界を とても愛していて この世界は 素晴しいと思ってても 霊修行をすべきです 万が一後で戻って きたければ 戻れます 速かれ遅かれ 皆 去らねばなりません 私が観音法門を 教えるのは 皆さんの魂の準備を 助けるためです ちょうど荷物の準備を するようにです 後でこの世を去ったら より良い世界へ 行けます あるいは この世界に 戻りたければ それも可能です もう一つの暗くて 苦しく 逃げ道のない 世界に落ちなくて 済むようになります

マスター 人は若い時 恋愛の悩みが あります 中年の時は 仕事の悩みが あります 老人になった時 孤独の悩みが あります しかしながら 人が即座に開悟したら 永遠に 生死の問題を 避けられますか それはなぜですか

問題を避けられるのは あなたの考え方が 変わるからです 成長した人間と 同じことでし 子供の時は 5キロのものを 持たせても 重すぎると感じますね 成長したら 5キロは 何でもなくなります

同じ重さなのに 何も感じなくなります それは彼が成長し もはや重く 感じないからです 悟りを開いた後 どんな苦痛でも 私達にとっては苦しく 感じられなくなります 本当にそうです 保証できます 私自身が 経験してきたからです 彼のもう一つの質問は イエスは言いました 「私は道であり 真理で 生命である」と モルモン教徒も 彼らの信仰は唯一 真のキリスト教だと 思っています ムハンマドも唯一の 真理だと言いました

真理は一つでしょうか 複数でしょうか 真理は一つで マスターは複数です イエス キリストは 開悟したマスターで ムハンマドは 開悟したマスターで 釈迦牟尼仏は 開悟したマスターです 彼らが地球にいる時 彼らは言っていました 「唯一私が 真理を教えている」と 彼らの時代には  他に真理を教える人は いなかったからです 分りましたか それが彼らの意味です 一人のマスターが いなくなったら もう 一人のマスターが来て 彼は唯一の真理だと 言います 正しいです ムハンマドは正しく イエス キリストも 釈迦牟尼仏も 正しいのです

彼らは正しかったです 彼らが地球で生きて いた時に限ってです マスター 私はもう 一年瞑想しましたが 何も感じません なぜでしょうか どう修行すべきですか 観音法門を修行すれば 体験を得るでしょう マスター 印心を 受けてから しばらく 瞑想を止めた後 再び 瞑想を始めたとします マスターは相変わらず 彼と一緒にいますか はい でも なぜこのように 取り引きしますか 修行するなら ただ続けてください なぜ「もし」ですか 何のためですか 仮に止まっていて 再び始めるなら もちろん 私は あなたのそばにいます

まだ止まってないなら 止まろうとしないで あなたに有害です 修行するなら 続けたほうが良いです 昔 孟子が小さかった時 学校に行きました ある日彼は家に 帰って 学校に 戻りたくなかったです その時 彼の母親は 布を織っていました 彼女はナイフを取って 織布を切りました 彼女は「このような 織物になるまでに 私は何日も 織っていました 今それを切りました これで大丈夫ですか 織物はまだ使えますか 元に戻せますか」と 彼は「ダメです」 彼の母親は言いました 「学校に行くのを 続けないなら 同じですよ

一日行ったり 二日やめれば その織物と同じように 使い物になりません」 世俗的な事を学ぶにも このようですが  まして魂の解脱に 到達するのは尚更です ですから真面目に修行 するように忠告します 私でも瞑想しなくては なりません マスター 私達が 調理した食物の中に 青虫を見つけたなら その食物をどう処理 すれば良いでしょうか それは食べられますか 食べるなら 不殺生の戒律に 違反することですか そのような食物は肉を 食べるのと同じですか いいえ 違います 私達の瞑想に 影響しますか それを償う 方法がありますか いえ 数えられません

故意にやったのでは ありません その青虫を取出して 食べても構いません 私なら それを 食べないでしょう 食べ物に動物が いることを見て食欲を 失ってしまいます 戒律に違反することを 心配するわけでは ありません 戒律には 違反していません 意味が分かりますか それが死んだことを 見て悲しく思い 食欲がなくなる そういうことです 食べられるなら 食べてください 食べ物をムダに するのも良くないです マスター 悟りを 開くには単純な心を 保たねばならないと あなたは言いました

ところが 今の社会は とても物質的で どうしたら外部の 世界に対応しますか はい 正しいです 今の社会では 単純な心を保つのは 簡単ではありません ですから いわゆる 悟りのマスターが 必要なのです 彼には力があります 不思議な力です 私達はどんな悪い カルマ(報い)が あっても即座に 洗浄できます このようにして 私達は子供のように なり 単純になります このようにして 私達には即座に仏光が 見え 内在の音を  獲得でき 観音法門を 獲得できます 意味が分かりますか けれども単純な心を 持っていれば 自然に 得られますね この観音瞑想はまさ ベルナデッタが体験 したものと同じです

マスター  衆生はどのように 阿耨多羅三藐三菩提を 得るのでしょうか ええ「誓いを立てる」と 言うべきですね 阿耨多羅三藐三菩提を 誓うことは 最高のレベル もっとも偉大な力 全能な力 「道」 神 天国のレベルを 獲得するように 誓うということです これは誓いそのものの 意味です これは 阿耨多羅三藐三菩提を 誓うことです 梵語では 阿耨多羅三藐三菩提で 最高の智慧を 意味します

マスター  あるレベルまで 霊修行をして その人が往生したら そのレベルで止まる のですか それとも 往生瞬間の意識に 左右されますか 死ぬ瞬間での 私達の思いは 私達のレベルで 決定されます 従って 完全に 分けられませんね ですから  あるレベルまで 修行したのなら 死ぬ時 そのレベルに 止まります このようです 観音法門を 修行していたなら どのレベルに止まるか 問題がありません 第三界を超越するまで マスターは そこから引き続き あなたを教育して 向上させます

第三界を超越したら どこへでも 自由に行けますし  もうマスターを 必要としません 第三界を超越するまで まだ マスターが必要です しかし 悟った マスターがいない 多くの人にとって 彼らはそのレベルに 止まり 再びこの 物質的な世界に陥る 恐れがあります 誰も彼らを守りません 三界以内は 安全ではありません

一万の法を 心次第で変えることが できると言われます それで私達の身体は どのように感じるか 変わりますか ただ 私達の気が変わるから 例えば 寒いと感じたら 私達の精神的変化で 寒く感じなくなり また暑くても それを感じなくなり 痛みがあっても 感じなくなりますか 私達がどう感じるか 変えることができます 時々 私達は変えられます 例えば私が話した ベルナデッタの話で 彼女がトランス状態の 間 または彼女が 聖母マリアを 見た時 彼女は キャンドルに触れ 彼女の手は キャンドルを覆って 炎に触れましたが 全く感覚がありません

彼女がトランス状態を 抜け出したとき 医師でも心配しました 彼女の手を調べだけど やけどはなかったです 分かりますか 私達は変えられます 時々霊修行者が トランス状態の 瞑想に入ると あなたが 呼んでも聞こえません あなたの声が聞こえず 寒さ熱さといった どんな感覚もないです トランス状態から 抜け出た後 外の天気が寒いのか 暑いのかを感じ 知ることになります 例えばこのようです 私達は変化し トランス状態は時々 身体に影響します

それは私達が 霊修行を始めた後 私達の身体は 聖なる体 霊体または とても敏感になり 精神的な道具になり そして普通の体では なくなります マスター以前瞑想中に 眠っていないのを意識 していましたが 感覚がまったくなく ただ眠っていないのを 知っていただけです そう感じたのは どうしてでしょうか

これはあなたが一種 空の状態に達したけど それが有益では ないことを示します あなたはすべてが 空っぽで感覚がなく それはほんの少しだと 感じました あなたが修行する時は この境界を超えるべき でないと あなたは まるで植物か 非常に 良くないかどちらかで 植物にも感覚が 全くないからです それも動きません あなたの体験は 修行からの 少しの結果があるのを 示します どんな修行方法を しているか疑問です マスターどうやって 自身の貪欲さを 減少させるべきだと 考えますか

教えたばかりの方法は あなたが一カ月に 二日 または一カ月に 一日または週に一日 実践できます その方法を試せます しかし観音法門は 一番安全 最速で 結果をもたらす 修行方法です 他の法門は そう簡単でありません マスター 観音法門は人の難聴を 治しますか または 近視の人はどうですか 観音をしてこういう 問題が改善できますか 時々難聴が治ることが あります 時々視力が戻ることが あります それはあなたにどれ程 カルマ(報い)が あるかによります

しかし視力のために 私のところへ 来ないでください 私達にはもう一つの 目がありこの二つの 目よりもっと力があり 智慧眼と言います または仏眼 または第三の目 または菩薩の目 天眼などといいます 全部これを意味します ここにあります それは私達の 肉眼より強力です それは何百万キロ 離れてても分かります 天国や地獄が見えます それを気にすべきです この目の面倒を 見なければなりません この肉眼に 注意する代わりに その目を見つけたり 保護すべきです この肉眼は 最高でも 百年使えるだけです

しかしこの目は 永遠に使われます どうして智慧眼が 盲目かどうか 心配しないのですか 今すっかり覆われても あなたは心配しない 代わりにこの 小さな目を恐がります この二つの目は鏡で 見るだけでいいです 何百万もの鏡を持って いてもその目は 見ることができません 悟ったマスターだけが その目を開けられます 一旦開けられたら 永遠に開いたままで それに決して眼鏡を 必要としません その目は決して 眼鏡を必要としません その目はすぐ癒やされ 永遠に癒やされる ことができます 分かりますか その目は癒やされます

肉眼の物質的な目は 放っておいてください そして耳も同じです あなたに見えない もう一つの耳があり それは何百万キロ 離れても音が聞けます それは天国と地獄と 仏土の音を 聞くことができます それは全部聞けます その耳を難聴にさせた ままではいけません その耳の面倒を見て 開けさせるべきです ほんの百年しか 持てない この一時的な耳は 放っておいてください 分かりますか(はい) マスター  六祖慧能が 公式に 修行方法を教える時に 二人の喧嘩している 僧侶に出会いました 一人は言いました 旗は動いていた もう一人は言いました

旗は風のために 動いていたと 六祖慧能は言いました 「あなた達の心が 動いているからです」 彼はマスターに尋ね 心が見つからないなら どう安心できるのかと 心が見つけられない なら どうして 安心できないのですか 心がないなら つまり安心する 必要がありません そうでありませんか 寒いと感じないなら コートを着る必要なく 心がないなら それは素晴らしいです あなたが心を見つける ことができないなら あなたを祝福します この「心」を見つけない なら それで どんな「心」で この質問をしますか

あなたに心がないなら なぜそのような 問題に注意しますか 六祖慧能の 時代から 数百年たっています あなたの心は長生きで それを見つけられない と言いました それは真実ではなく ええ 心はそのように 長い生命を持ちます あなたは現在の 面倒を見ません その代わりに 慧能の時代から 今まで困り続けて います わあ この心とは 本当に恐ろしいです その心は海に 投げ捨てるべきだと 思います それで問題はなくなり 全ては心で造られます そういう訳で 慧能は言ったのです 心が動いた時 世界が 動くのを見ました ちょっと前に 私もそれを言いました 見方が違うから世界が 苦しみや痛みで 一杯になります

正しい見方を すれば 幸せであると感じ そして世界に 問題はないと感じます 何であれ構いません 何の問題もありません 皆さんの忍耐に 感謝します 皆の愛に感謝します お休みなさい 今夜 熟睡できますように あなたが浄土を 信じるなら 阿弥陀仏の名前を 唱えてください チベット仏教を修行 するならオム マニ ペメ フムを唱えたり どんなマントラでも イエスキリストに 従うなら もっと 聖書を読んでください 老子に従うなら 道徳経を 読んでください あなたが道に到達 したいなら どんな 宗教を修行していても 家へ帰ってから  よく至高の力について 考えてみてください あなたは早くこの道を 見つけねばなりません 成功をお祈りします

隣人に酒を与える者は 災いである ~預言書 隣人に対して 罪を企てるなかれ ~預言書 隣人を欺くなかれ また盗むなかれ ~レビ記 トーラー 正義を曲げるなかれ 貧者に肩入れせず 偉人を選り好みせず 隣人に対しては 公平に判断せよ ~レビ記 トーラー 隣人の生命に 危害を及ぼす何事も してはならない ~レビ記 トーラー 遺産として受け継いだ 主である神の授けた 汝の土地の隣人との 境界にある置石を 動かしてはならない ~レビ記 トーラー