会場の皆さん スプリームマスター チンハイです スプリームマスター チンハイが今 彼女の 霊的お考えに基づき 講演をして下さいます ありがとうございます 本当にありがとう こんばんは 兄弟姉妹の皆さん お母さん お父さん ご機嫌いかが(はい) 気分はいいですか いいです おいで下さり ありがとうございます まず皆さんの 加護と愛を ありがとうございます 私はこの国に とても 深い愛を感じています 私が来た瞬間に 飛行機が着陸した 瞬間にです 私はこの地の人々の 純粋さを感じています

神も仏陀も ここで私達をとても 加護して下さってます 私は非常に幸せです この美しい国に 初めて訪問でき 大変光栄です そしてとても暑いので 驚いています インドのヒマラヤに 行きましたので 同じような気候かと 思いましたが ここは とても暖かいです ネパールの人たちの 心のように温かいです 実際 私達は 愛そのものなのです 既に温かさそのもので 智慧そのものなのです ただ忘れてしまって 忘れている人がいます 自身の本性 神性 仏性を 覚えている人のことを 「開悟した衆生」と 言います

そして  自身の本性を 覚えていない人を 「未だ開悟していない 仏陀」と言うのです どちらも仏陀なのです 宗教経典によれば 私達は愛であり 神であり 神の一部なのです 私達は神と同一体で 私達は仏陀なのです この知識に欠けている ために 私達は人生が 満足でない幸福でない 満たされないものだと 思ってしまうのです この地球における あらゆる惨めさ 対立 不幸せは 戦争や貧しさや 私達が暮す条件により もたらされたのでは ありません それは智慧不足から もたらされたのです

私達は単なる 人間の体以上の 存在だという知識の 欠如から起こるのです 私達にはよく分ります とても多くの国王や 指導者達 金持ちや 有名な人々が 幸福なのではなく 彼らはもっと 権力が お金が 所有物が  全てのものが欲しいと 思い続けて  依然幸福でありません しかし仏陀は将来  国王になるはずの 人物でしたが 全ての物を捨てました その時 彼には何一つ ありませんでしたが 彼は幸福だったのです 仏陀は自分が 本当は誰なのかを 思い出したからです

他の人は 思い出しませんでした また仏陀は言いました 「私はすでに自分が 仏陀であることを 思い出した そして あなた達は未来の 仏陀なのである」と なぜ私達がこの事を 知らずにいられますか 私達はすでに 将来の継承者なのです 私達はまだ 自分達が仏陀だとは 思い出してはいません どうしてでしょう 禅宗でも やはり 開悟と無明の差は 髪の毛一本ほどのものであると言いますそうです  ほんの僅かな違いです この差をどのように 通過できるのでしょう

本当に僅かだとして どうしたらいいのか 私達に出来るのか 答えは「はい」です 私達の内にある光は 決して 消えはしないからです その光は仏陀が 自分の弟子に 伝授したものであり クリシュナ シヴァが 持っていた光であり 決して消えることなく ずっと 一人から他へ 一つの国から次の国へ と受け継がれ続け 常に燃え続けて いるのです それを見つけ出しまだ 火の点いてない私達の ロウソクを合わせれば すぐさま火が灯ります

開悟と無明の差は 実際 全く 差とは言えません 唯一の違いは 注意でしかありません この体に注意を払い この物質的環境に 注意を払い この物質界にある すべてに注意を 払っていれば 私達は物質的な衆生で 私達は物質界に いるのです 私達の内なる本性に 注意を払えば 仏性に注意を払えば それらは常に内にあり 生まれ持ったもので 決して消えません すると仏陀になります これが唯一の差です この差を越えるのは 非常に簡単です 自分の仏性を 思い出すことが どれほど簡単かは 後で教えましょう

私達の本性に向かって 内面に注意を向ければ 私達は光を見 仏土を見 天国を見 私達を向上させ 幸福にし 賢くしてくれるもの すべてを見ます 自身の本性に耳を傾け 内面に向かえば 私達は仏陀や天国から 過去 現在  未来のマスターから 直接 教えを 聞けるのです それは言語ではなく 直接的なものです 汚染されたものでなく 永遠に続くものです この教えが私達に 私達が仏陀であり 神から来たことを 思い出させてくれます これは すぐさま 起こり得るのです

私達はすでにそれを 内面に持っているので それで 私達が仏陀であると 私達が仏陀であると 覚醒するのに 時間は必要ありません ただ自分達の注意を 内側に向ける 必要があるだけです ちょうど手を 翻すようにです 真の神の体験だけが 真の悟りだけが 真の真我の覚醒だけが 私達を充足した より幸福な賢い人に してくれるのです それで 仏陀は開悟してもなお 出家者として 通常の生活をし 放浪し続けました 彼は王国に 帰る必要もなく 国王やどんな支配者に なる必要もありません

そうする機会があった にもかかわらずです もちろん 仏陀は再び 国王にもなれましたし なおも開悟していた 彼が国王になっても ならなくても 何の差もありません 開悟した後 何をしようと 開悟したままなのです シリ ラーマはとても 深く開悟していたので 王国を継承し 国王になっても また 何千キロも離れた所に 追放されても 関係ありませんでした 彼は 幸福だったのです それでもなお 後に 人々は再び国王になる よう求めました すると彼は言いました それも良いでしょう それが 悟った人なのです

どんな執着も ありません 貧しさにも 出家にも 王国にも ないのです 悟った人は どんな事であれ 状況が命ずることをし 衆生に利益のある ことをするのです 内面で 彼らは幸福であり 平穏であり 愛そのものであるから 満足するのに 彼らには何ら物質的 非物質的な手助けも 必要ありません 開悟した衆生にとって 彼らのする事は皆ただ 他に利益のある事です 彼らがそれをしようと しまいと 何かを少し 取ろうと取るまいと 彼らが物を食べても 全ては他の衆生のため なのです

ですから 満足するには 内面で 平穏に幸福に愛深く 本当に幸福になるには 皆が本当は誰なのかを 仏陀や 他の偉大な マスター達のように 思い出さねばならない とても沢山いて 全員を挙げられません インドの偉大な師の 一人カビールですが 彼をご存知ですね そう いいでしょう 彼が何をしてたか 生計を立てるために 何をしたか(機織りです) 機織りです そうです 彼は非常にお金持ち でしたか 違いますね そしてミラバイが彼に ダイヤをあげました

宝石か何かです 価値ある物でしたが 少しも気にしません 貧しかったのです 王女ミラバイは 彼にとても高価な 贈り物をしました 彼女はそれを屋根の どこかに隠してました そして何年も経って 彼女が帰って来ると 彼はまだ貧しいままで 生計を立てるために 何でもしていました 彼女は言いました どうしたのですか なぜダイヤを売って 自分のために 使わなかったのですか そうすれば そんなに 一生懸命働かずに済む 私があげたダイヤは どこですか 彼は言いました  あなたが隠した所です 開悟した人にとって 貧しいことは 何でもないのです 彼はまた 望めば 金持ちにもなれました

彼にとって 金持ちも貧乏も 同じだったのです カビールもとても 貧乏である日 彼は チャパティを作るのに わずかな小麦粉と妻を 交換しようとさえして 私達の中には 妻や夫が 第一の所有物なので 他の誰かにあげられ ない人もいます カビールにとっては それも構わないこと 彼が妻を愛してない からではなく 彼が非常に深く 開悟していたから なのです こうしたマスター こうした偉大な衆生は 何を持っていようが いまいが もはや 執着はありません 彼らにはすでにこの 世界のすべてが真実 ではないと分っていて すでに神の王国を 知っているのです

ですから そうした充足や平穏を 感じたいなら 私達もまた 内面を 探査し真の偉大さを 見出さねばなりません ネパール人には全く 問題がないと思います 問題ありません 皆さんがすでに 思い出していても 私は驚きません まだ思い出す選択を してなくても 私はやはり驚きません なぜなら内面では すでに自分に仏性が あるのを知ってるから 皆さんの中には時間を かけてのんびりと後で 仏陀になる人もいます でも皆さんが 私達と一緒に 今夜思い出す 選択をしたら 共に楽しむため 私は喜んで皆さんに 奉仕しましょう

より真剣な 修行者で もっと修行したく 早く より完璧に 自分自身を知りたい 人がいれば 私達は フルタイム用を提供し まだ ちょっと 遊んでいたくて 少し しかしたくない人には パートタイム用を提供 フルタイム仏陀とは 毎日完全菜食をする ということです パートタイム仏陀は パートタイムで菜食 ある仏教国ではとても 面白い状況があります ある人が私の所へ来て 言います 私はすでに 何年も菜食をしていて 完全印心を受けねば 私はいいでしょうと すると後で 誰かが私に言います いえ彼女は菜食でなく 彼女は朝だけ 菜食なのです

おや まあ 私は朝食など 食べもしないのに ですから 彼女は朝 仏陀になれて 昼にちょっと休みをと 思っているのです とにかく いずれの方法にせよ 皆さんが喜ぶものを 提供すべくここにいる 皆さんは仏陀なのです こうした 名誉ある仕事を頂けて とても光栄に思います 自身を思い出すのは とても簡単なことです 呼吸をしたり食べたり 話したりするより 簡単です 唯一私が驚くのは 私が以前  それを知らなかった 理由であり  またとても多くの人が 知らない理由です

今 私は悟りと 忘却の差を 知っています それは ほんの 髪一本分の違いです ですから 私達自身を 思い出すために すべきことは 外界を忘れ真の世界へ 戻って行くこと だけなのです 方法を教えましょう パートかフルタイムか 皆さんの要望に応じて 教えます ケーキについて 話しても それは ケーキではありません 食べるケーキを 差し上げるのです ケーキを配る前に 話さないのと同じです 宣伝は私達の要求を 満たしてはくれません 私達の食欲を 満たしてはくれません

本物が必要なのです 悟りとは 本物ですから 話したり紹介したり することでありません 宣伝すること でもありません 道路沿いに 沢山の広告を 見たことがありますか コーラや リンゴの広告 ケーキの広告です 広告を 見ただけで 満足しますか しませんね コーラは 素晴らしい リンゴは甘い と しかし 見聞きしても 何も感じません それは 本物ではないからです ですから 神を語り 神を広告し 内在の 光を紹介するのは 誰にでも出来ます

単に話しでしかなく 広告でしかないのです 私は皆さんに 本物を差し上げます 実際それは皆さんに 差し上げるのではなく 人間の言葉ゆえに こうなります あまり速く話し過ぎて 正しく表現できません 私が何かを皆さんに 差し上げるのではなく 私は 皆さんが 忘れているものを 見せるだけです ポケットの中の物を 忘れてしまっている ようなものです 皆さんはあちこち捜し 他の皆の話を聞きます ポケットにあると すでに知っていれば 私は言います ここにありますよ あなたのポケットに それを取り出すのに どれ位かかりますか ほんの一秒ですね それは皆さんの 仏性と同じです 既にそこにあるのです どこにあり どこを 捜すかを教えるのです そうすれば皆さんは 永久に開悟し 思い出すのです

皆さんが スプリーム マスターなのです ただ忘れているのです 皆さんが無上の衆生で あると教えるため ここに来ているのです 皆さんが偉大であると 無上の衆生の 一部であると また無上の衆生であり その一部であり 個別化したものです はっきり分りましたね