皆がマスターであり 皆の内面に マスターがいます 誰一人内面に マスターがいない人は いません 彼らが印心している いないに関係なく 彼ら皆の内面に マスターがいます 彼らの面倒を見るのは マスターの世話を するのと同じです いいでしょう 今日は皆さん 永遠の命について 聞きたいですか 永遠の命について 何か知りたいと 思いますか(はい) 皆知りたいですね もちろん この世は 苦難に満ちていますが それでも八百年生きた 彭祖のように長生き したい人はいますか 何年間 生きたいと 思いますか まず教えてそれから 私は魔法を使います 彭祖と同じくらい 長生きしたいですか マスターと同じくらい 私と同じくらいですか

これはいわゆる 「短命」ですね 「長寿」ではないです ある人は早く去る 必要があり ある人は 永遠に生きたい でも私達は皆 永遠に生きたいのです ここでは永遠に 生きたくないだけです ここに永遠に 生きたいと思っても 私達にはできません 釈迦牟尼仏は 仏教のマスターです

彼が他界する前に 側近の弟子阿難に ヒントを与えました 彼は「阿難 私は 永遠に生きられる種の 法門を修行した それで私はこの世に もう少し長く留まる ことが許される それが一劫か二劫かは 関係ない」 一劫の意味は「計測 不能の時間」を意味し 小さな劫 大きな劫が あります 時には一劫とは 数千年もあります 仏陀は彼の弟子に 三回繰り返しました 彼が言わんとした事は 阿難が彼に更にいて くれるよう懇願すれば 彼はこの法門を使い 俗世に長く留まれると 彼は衆生を救い 更に弟子を助けられる ということでした

でもその時 阿難は 魔に覆われていて 彼は仏陀に長く留まる よう頼みませんでした 彼は三回繰り返して 言った後も阿難は 何も言いませんでした 彼は「よしこの世から 私は去ることにしよう この世から去る」と 言いました 何と残念な ですよね 私達が阿難なら 彼に長くいてもらう ように頼んだでしょう そうですね 私達が阿難なら 彼に懇願したでしょう (はい) 阿難は本当に愚かで 残念です どうして彼はまだ 釈迦の最も近い弟子で いられたのでしょう 実際 阿難はそれほど 愚かだった訳ではなく それは運命でした それでも 釈迦牟尼仏はそれを 変えたいと思いました でもできませんでした 仏陀でさえ運命を 変えられませんでした

しかし私達は多くの 人々が長い間彭祖の ように生きられるのを 聞きました 彭祖は八百歳まで 生きなかったですか また 聖書の中にも 他の話があります 一つだけではなく 多くの話があります これこれの人が 八百歳まで生きました というような 例えばノアは長生き しましたね 七百歳でした 自身に尋ねます なぜ 彼らはそれほど 長生きしたの 私達は 百歳足らずで死ぬのか 皆さんは 長生きしたいですか 誰かそのことを 教えてもらいましたか

私達のこの身体は 魂で作られています 魂は宇宙から 来ています あらゆる 全ての衆生のパワーは 宇宙にあります 宇宙のパワーは すべてを創造した時に 消失したりします 消失ではなく 消散です 説明は困難ですが 多くの人々が 人はどこから来たのか 尋ねます どのように宇宙が 創造されたのかと 説明するのは容易では ありません でも私達が修行した後 分かります 宇宙は時々 すべてを戻します 完全にすべてです そしてすべてが なくなります 眠っているように これは私達が言う 「宇宙の夜」 「天と地の夜」の ことです それから 長い長い時間がたち 突然 再び目覚め 動き 創造の中で衆生として 再び生まれる こととなり 再び変わるのです その時人間は 再び生まれ変わります 私が意味する「人間」 とは何でしょう

この新しい肉体の 衣服 この「衣服」は 布で作られていますね これは「衣服」で 肉から作られています 真の存在は内面にあり 肉体の衣服を着てます 宇宙の衆生がいます 全能のパワーから 分散したものです この肉体を着ている その人はそれを その道具を上手く コントロールできない かもしれません この肉体は 私達の内面にいる その人の道具です 宗教的に言うなら 私達の元々の自性で 真我 仏性 天と地の 子供のことです それは天と地から 来ているからです それで「天と地の 子供」と呼ぶのです 彼はこれらの衣服を 使うか 道具として用い 衆生と接触を持ちます

この外側の衆生は既に 作られたものであり そうして 彼らは体験を通し学び 彼らと楽しむことが できるのです その後しばらくして 私達の内面のその人は 恐らく私達が「魂」と 呼ぶその魂とは 誰にも明白ですか 私達の魂はもはや 体は支配できません 恐らく 道具は壊れるか 指示が聞こえなく なるのでしょう 本当に長い間遊んで しまい外からの影響を 受けて 彼の指示に 従わないのです

そして身体を離れます 私達がこの肉体を 離れる時 「亡くなる」と言い または「死ぬ」とか 「他界する」と なぜこの種の現象が 起きると持ち主である 内面の私達は体を 離れるのでしょうか それはこの身体と 魂のためです 私達はそれもまた すべての衆生の魂の 一つといえます 霊的なエネルギー 霊的なパワー 全能のパワーは 摩擦があり その魂はひとりでに できたその道具との 間でもがきます この肉体は それにコントロール されたくありません 創造のパワーから 小さな部分として 分かれ 小さな魂になり そしてこの魂の中には 同じ種類の偉大な 同じ品質の同じ力が あります

それからそれ自体が 使う身体を作りました 意味が分かりますか 非常に聡明な 科学者がいたと します 彼自身が使うための 道具を彼の脳を用いて 発明しました 飛行機だったと しましょう その科学者が 飛行機を発明した時 最初その飛行機は 飛びませんでした 文書を調べたら そのことが分かると 思います そうですね 最初の飛行機は今日の ように開発されてなく 安全でもありません 最初の飛行機はまるで 小鳥のようでそれほど 開発されていません 飛行するや否や 直下降して しまうのでした

非常に危険だったので 彼は破壊しました その科学者はしばらく それを使いましたが 使い物になりません 彼は飛びたかったのに 再び落ちてしまいます 従って 昔の科学者は 模型を作っては 壊していました それから彼は完全に 新しい模型 異なる 模型を作りました 理解しましたね 彼は飛行機の操縦の 仕方を発見できず それは飛行する事なく 墜落ばかりして いました 結局その模型が 更により良くなって いったのです 今日の飛行機は 更にどんどん開発され もっと安全になって いったものです

私達が飛行機に乗る時 ずっと快適ですね 以前は誰も飛行機に あえて乗りたくはなく 同様に 同じ状況です 私達の魂はその道具を 作り出し遊びます そして外の世界を 体験したいと 思うのです しかしそれはそれほど よく出来てはいなく 魂はずっと作って 作り続けます 体の後またその身体を 最終的に 最も安定した身体と 最も開発された 最も美しい完璧な 体となるまでです 同様に私達の体は どんどん変化をとげ 毎回の生まれ変わりの たびに ある日完璧で 最適な理想的な身体を 作り出します

そして長生きします 最も長く生きた者が 仏陀となります 仏陀の体は決して 生まれず 破壊される ことはありません なぜ私達人類は百年後 死なねばならない のでしょうか 百歳以上亡くなる 人々もいますが それは身体が完璧な 道具ではないからです 役に立ちません 医者の仕事をするため   身体を使うとします それは医者の仕事を するだけのものです 他の仕事ではなく それはUFOなどを 発明できません 他の人々が住む家も 建てられません

ただ一つか二つの 仕事を行えるのみで 最高の人でさえ 最も有能な人でさえ 一度に一つの 仕事しかできません そうですね (はい) たぶん 最高でも 二つ位の仕事でしょう 例えば私達が医者だと して状況によって 車を修理できますが 専門家ではないです 私達は何か建物を 建てられますが例えば トイレとか 家族が使う貯蔵庫の ようなものをです でも私達は美しく 安定した感じには 作れず大きな家も 作れません 意味が分かりますか まず私達の才能には 限界があります

二つ目に私達には 唯一の体しかなく それは千や百の体に 猿王孫悟空のようには なり得ません 彼は一本の毛を取り 噛んでそれからプーと 吐き出し沢山の 孫悟空を作りだせます それでも こんなふうです これらの孫悟空は 偽者です 五分後には 皆消えてなくなります 未だ違うのです 彼らには多くの事は できません 私達はこの肉体の体に 執着する必要は ありません なぜ百年後には私達は 去るのでしょうか

それもまた良い事です なぜなら私達は この世界に留まっても 役に立ちませんから 私達はまず何かを学び 一つの道具を使います 何か学んだその後 私達は年老い 身体は弱くなり 壊れてもはや 使えなくなります そして破壊され 私達は再び戻ってきて 他の体を作り出し 何か他の事を学びます その後またこの身体は 再び故障して 再び破壊されそれから 私達は戻り他の体を 再び作り出し私達が すべてを学び終える それまでです それから私達は 「いいでしょう何もこの世で学ぶ事がない 更に上に行き他の事を 学びたい」と言います

その後私達は上がって そこで何もかも学び 私達は偉大な先生に 偉大な指導者に なるのです その時私達の体は 永遠に存在します 私達がどの世界に 存在しようと 自らの肉体を 保持します 私達がこの物質世界で 心に決めた事がです 私達はこの世俗の 世界において生き物を 更に救う事ができます 私達はこの惑星に 更に貢献することが できるのです 自らの体を保持し この肉体を保ち 続けるのも可能です ある日私達は既に この宇宙で何もかも 学んだとしたら私達は 永遠に身体を保持でき 私達が千年をも この体を保持したいと 思っても それは問題ないのです

それでなぜ殆どの 人々はこの肉体を保持 できないのでしょう それはこの世界では 既にそれは役に 立たなくなり保持でき なくなるからです それはそれらの 飛行機の発明と 同様なのです それらはあまり高く 遠く飛べませんそれで 壊すべきでした その後試行錯誤を 繰り返し他の模型を 作ります 完璧で 使用可能な飛行機と なるまでです 私達がこの世で長生き したいと思うなら 私達は高次の科学を 学ぶ必要があります それは誰にでも 最も有益なものです

そして私達は長い間 ここに留まれますが 私達はこの物質的な 世界に留まる必要は なく他の世界へ行き 永遠に生きられます 百年後に死ぬ必要は ありません 五百年 五千年後 死ぬこともありません その時 永遠に生きられると 言えるでしょう 殆どのマスターはこの 世を去る選択をします 彼らは肉体に長い間 留まりたくはないの ですが長く留まりたい マスターもいます 先ほど話した 釈迦牟尼仏の話を覚えていますか 彼は長く留まりたいと 思えばできました

彼は永遠の不死の 法門を学びましたから 彼にはただ 短期間のこの世との 縁でしかなく彼が 滞在したいと思っても 彼はその機会を得る 事はありませんでした 弟子は彼に留まるよう 頼みませんでした 彼の弟子が懇願しない なら留まれないのですそのようなことです 彼は誰かが懇願した時 だけそれができます 分かりますか 法とはそのようなもの 誰も私を招待せず 講演の依頼がなければ 私は ここに駆け込んで 来ることもできず 一人舞台に座り一人の 人に講演を行うことも できなかったでしょう 世界はこのように 科学的なのです

誰かが求めねば それはできません 仏陀と 同じです それで今私達は この世に長生きする 人々のいる理由が 分かりましたね ある人々にとっては もっと衆生に 恩恵を与え 彼らの健康 体の問題も 軽減させ得ます これは私達の この世でも同じ事です 例えば仕事で 多忙なら 私達は幸せに感じます 私達には問題 不服も それ程ないでしょう あまり忙しくないと 問題を抱え 身体の状態も 悪化します そうですね (はい) 僧徐允が 「徐允師の 説法と法語」の 講義の間 彼は言いました 昔々の西王母と 王の息子の話です

息子の名は 光緒です 光緒皇帝は亡命先を 求めて行きました 恐らくその時 戦時中でした 彼らは歩いて 亡命先を求めました 彼らは長い間歩き 何も食べ物を見つけ られませんでした そして彼らは農夫の 家に立ちよりました 農夫はあまりお金を 持ってなく皇帝が 食べる食べ物も持って いませんでした 彼は米を炊き さつま芋の葉を料理し 醤油をかけました 分かりますか この農夫は特に さつま芋の葉を沢山 彼らの食事のために 料理しました

皇帝は言いました 「わあこれは何だ とても美味しい」彼は それ程美味しい物を 一度も食べた事がなく 彼が宮殿にいる時 彼は宮殿での多くの 良い食事を楽しむ事が なかったのです そこでは食欲はあまり ありませんでした 彼は食べ過ぎて 毎日 胃を壊し 食べ物は美味しい味が しなかったのです 彼は長い間歩いた末 そこに辿りつき疲れ 空腹を抱えていました 彼らはさつま芋の葉を 彼の為に料理しました 彼は言いました 「最高の食べ物だ」 最高の食べ物は決して 以前食べた事がない 物で当然ですね 誰があえてさつま芋の 葉など皇帝に料理して 宮殿で出すでしょうか 宮殿で彼らは さつま芋の葉など 決して考えつきません

そうして皇帝は 宮殿の中で甘やかされ ていたのです 彼にはする仕事も それ程なくただ高位に 一日中座っているだけ です それ程動かず よって彼の食は 進みません そして彼は外に出て 少し運動をしたなら さつま芋の葉さえ 美味しくなるのです ちょうど 私達の体が更に恩恵を 他の人々に与えるなら 私達は健康で 長生きするような ことなのです しかしこの物質的な 世界では物質的な 局面においての恩恵は あまり受けられません 理由はなぜなら私達が 最高の医者だったと して私達は単に 小さな団体の人々を 助けられるだけで 他の人々を救うことは できません

私達が最高の科学者 だったとして 発明する道具には 限界があります 世界全体を 変えられず非常に 文明化することや 快適にすることに なれません 私達の物質的な力を 使うなら 限界があるからです 私達がより人々に恩恵 を与えたいなら他の 法門を用いるべきです 最も効果的な方法を 使うべきですその意味 は私達は霊修行すべき だということです ところが  いわゆる修行法は 沢山あります 最も多くの利益や 最も高い力を 得たければ 最高な方法を 修行すべきです

皆さんに お知らせしたいのは 最高の方法は 観音法門である事です 観音法門は すべての宗教の聖典に 言及されていました この「観音法門」は 実は法門ではなく 只の手段にすぎません より科学的な手段で 私達の内面にある 最も偉大なパワーを 開けさせてくれます それはまた 私達が生れる前に 分割された創造的で 一番原始的なパワー でもあります 自分のパワーなので 開いて使えます アラジンという 映画を見た事あります 彼の不思議なランプは 本来この魂が壺の中に 封じこめられました

その小さな壺の中に 封じ込まれました ある日誰かが 偶然開きました その魂が外に出て 背が高くて大きく 皆怯えました それを見ましたか いいです そんなに大きい人が 沢山のパワーがあって あっちこっち飛び回り 多くの事ができるのに 小さな壺に封じられた なんて信じられません 同様です 私達自身を とても弱くて とても普通な人間で 面白くなくて 皆同じ ように見えますが 私達の内面には 信じられないほど 神のパワーがあります ただまだ開いて 使っていないだけです

不意に開いたら 出てきますが 意図的に開くことが 出来ません たとえ意図的に 開こうとしても 無理です 両者の密接な関係に より 魂はその人を 見つけたのです それは彼が偶然 そうしたのではなく 時間が来たからです 神か誰かが 既に何百年も 彼を罰してきたので 今彼の時間が来たから 壺が開いたのです 私達がマスターに会い 観音法門を学んだのは 意外な事だと 考えるのと同様です それとも 私達は 好奇心あるいは偶然の 巡り合せで来ました それは私達の内面の マスター本来の存在が 分ったのです

彼は講演を聞いて 分ったのですが 私達の脳は恐らく まだ分っていません しかし ここに来た時 絶対に分るでしょう 内在する知的な存在は 脳がいくら彼を 騙そうが理解します 騙そうが理解します ここに来た以上 彼は他と違います どうして来たか 彼は分っていました 行き当りばったりで 来たわけではなく 彼の心に従い 心を 使って心をつかみます ハッキリ分っています 時間だと知りました ランプの中の アラジンも同様です 開けられたら一刻も 早く出てきました 私達の内面には この信じがたい 神の力があります

それはアラジンの力 よりもっと驚異的で よりパワフルです 想像を超えるほど それを開けて 私達を助ける人が いなかっただけです 壺を開けてくれる人が いなくて出られません 従って 何かのために祈る時 答えがないように 見えます 私達は仏陀 神がいた 魂があって菩薩がいた と聞きました そして イエス キリストが 非常に慈悲深い 仏陀は とても慈悲深く 私達のあらゆる望みを 実現させます 私達は 普門品を唱えると 観音菩薩は 最も慈悲深い と言います 私達が望むものなら 何でも手に入ります 火の海に落ちたら 火は私達を 燃やしません

海に落ちたら 水は私達を 溺れさせません 妙なことに 多く唱えるほど 興味が薄くなります なぜならランプの蓋を まだ開けていないので 全能のパワーは 出て来られません 小さな子どもが 蓋を開けた後 精霊は彼を連れて 山を登ったり 海を渡ったり 空を飛んだりして 彼に多くの不思議な 事をやってあげました 人間が出来ない事です いいですか 同様に 私達の内なる 万能のパワーを 開けたら 何でもできます どこにもいられ 永遠に生きられます 病気も治せますし 山を動かし 海をはかせます 私達の創造を超えた どんな事もできます

私達は 膝が骨折するまで ひざまずいて 見えない 触れない 想像できない 届かない神や菩薩に 祈るべきではないです 私達は何も祈る必要が ありません 全能のパワーは 何でもやってくれます 私達の需要が分るから これが 観音法門の利益です 観音法門は 全能のパワーを 開くための方法です しかし つい先ほど 言及したように 観音法門は 法門ではありません 時には 私達は とてもよく集中したら 蓋を見つけて 少し 開ける事ができます 時には 私達が家にいて とても注意深い時も やはり光を見えます しかし 私達は これが観音法門だと 分りません

時々 私達は もう一つのとても 美しい世界を見えます 菩薩や イエスキリストの様な 聖者を見ます それは何を意味するか 分りません 他の人に聞きに行くと 彼らはこう言います 「気が変です」 集中する時 私達は内面の美しい 音楽が聞こえますが 何なのか分りません 医者に聞きに行ったら 私達は耳鳴りだと 医者は言うでしょう それが彼らの仕事です 時折 私達は何気なく 蓋を取り 全能のパワーを 出したとしても その働きは分りません その 小さな子どものように 壺の蓋を開けたら 精霊が彼の前に現れ 巨大で でしょう

精霊は彼を 殺そうとしたでしょう 彼は「一回目 私は 誰か救ってくれたら 私は彼を手伝うと 祈りました 二回目も同じですが 三回目は その人を 殺す」と言いました 今その子どもを殺そう としたがその子どもは とても賢かったです 暫らくするその精霊を 管理する方法が分り そのパワーを有益な パワーに変えました 仮に私達は本当に 偶然このパワーを 開けたら気が変だ とも言えます なぜなら 時々 私達自身を 病的な人間に 変えることもあります このパワーの使い方を 指導する人が いないからです

原子力と同じです でしょう その使い方が分れば 沢山の国と市民に 利益をもたらします そしてそれで人を殺す 事にも使えます 電流と同じです 電流で電灯を点灯し 写真を撮り マイクを 使うことができます 最も高いレベルの教えを聞く時心地よく させてくれます しかし 幾つの地域で 人々は電流を使って 人を殺します 電流椅子のように 恐ろしい事のように 聞えますが実在します 同じパワーを使うと 多くの異なる事が 出来ます

それらいわゆる魔女達 黒魔術師もまた同じ 全能のパワーを 使います その違いとは 彼らが 神のパワーを使って 悪事をする点で それでその悪いカルマ (報い)が非常に重く 白魔術師達も同様に 神のパワーを使います 黒魔術師より 大分有益のように見え 黒魔術師よりましです けど完全に良いという 訳ではありません なぜなら彼らは 宇宙の自然の過程 自然のシステムを妨げ 交通渋滞を 引き起こすからです 分りますか 仮に私達は高速を 走っているとして 決められたスピードで 走るべきです

それで どんな事故も 起こしません 私達が交通管理を 担当しているなら 某高官や 私達のある友達を みたら赤信号を 通らせるでしょう 彼は忙しいと 話していたから 私が警察官で 私の友達を見たとして 故意に彼らの 赤信号走行を許します 彼らを止めなければ 災難を起すでしょう

彼に 赤信号走行をさせた時 よさそうに見えますが 車事故を起こします 仮にそうだとします あるいは 高速道路で スピード違反したり 他の車を追い越したり 他人を邪魔したりする 人を見ても  彼は私達の友達だから 彼らを止めずに 故意に無視しますが しばらくすると 高速道路が乱れ 車で行き詰ったり 渋滞したりしたら 全部その人が原因です 意味が分りますか 私達が 白魔術や黒魔術を 使うのと同じことです 宇宙のすべての 意識ある衆生の交通を 邪魔することです 交通渋滞を起し 一か所で行き詰るのは 全部一人の人へ 便宜を図った為です

それで 修行者として 絶対に神通力を使って 人を混乱させては いけません それはなぜ 釈迦牟尼仏が弟子に 神通力を使うのを 許さなかった理由です 彼も神通力を一切 使いませんでした 多くの人がやってきて 死んだばかりの 子ども達を救うように 頼みましたが 彼は救いませんでした 多くの病人が来て 病気を治すように 頼みましたが 彼は治しませんでした 彼の祖国に戦争が起り 弟子が両国の間の 悪い雰囲気の中で 調停をするよう 頼みましたが 彼は 調停しませんでした

彼はこう言いました それは悪いカルマ (報い)で清算すべきで 彼は介入できません 彼には神通力があって 介入できたのですが 一人の人で世界を めちゃくちゃに したくなかったです 私がつい先話した 交通渋滞 道路の障害物と 同様です 私達の都市でも 同様です 時々私達は神通力を 学びたがります いわゆるそれを修練 しようとする大多数の そういった人々は それらの神通力で 目が塞がれます 自分を失い 危ない所まで行きます 最も高いレベルまで 到達しません

仮に釈迦牟尼仏が 魔法を使って ある病気を治したなら 彼は下痢で 死ななかったでしょう どんな頭痛もなく 彼を殺す方法を 考える人は いなかったでしょう 彼は沢山の病気に 罹りました そして 食べ物は何も ありませんでした 三か月連続で 誰も彼に食べ物を 提供しなかったため 彼は馬の飼料を 取りに行かざるを 得ませんでした 彼はこう 「フラフラフープ」 石を米に 変えられます でもしませんでした 意味分かりますか 彼はこう 「フラフラフープ」 胃が痛みませんでした どうして彼は胃痛で 亡くなったのでしょう 私達はいまだに 彼は 本当に力があったか 自分を救えなったかに 疑問を抱いています 彼には出来ましたが そうしたくなかった 自然のままでした 彼は宇宙の法を 尊重しました

彼は一人の人のために そうしませんでした

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