マスターチンハイを 燕京図書館に 歓迎したいと思います ここに来て下さり 非常に光栄です 今回がアメリカ講演 ツアーの皮切りです マスターは一九八九年 十月以来ボストンでは 講演をしていません ですからどうぞ皆様 一緒に歓迎しましょう

皆様を歓迎致します この集まりにいらした 皆様が 実り多く喜びに満ちた 午後のひと時を 過ごされますよう 願います これから マスターに 果物と花束を 進呈したいと思います これは時代を超えて マスターに 尊敬と感謝を示す 古い伝統です

ご来場の皆様 マスターチンハイを ご紹介したいと 思います おはようございます 緊張をほぐすのに 笑い話をしましょう 昨日 私達は空港から 到着しました 滞在する場所や 何もかも全て用意して あるはずでした 花束やもちろん果物も 精巧で美しい ベッドカバーや 柔らかいソファーなど 本当にあらゆる物が 準備してあると 思っていたのです ところが寒い所から 来て 冷たい所に 到着しました 家は空っぽで 何もなかったのです

水もなく 花もない ベッドも椅子も カバーも全く何もなし 全てなくなったとは 知らなかったのです ええ 仕方ないです ここに留まるべきでは ないので移動しました 他の修行仲間が 軽い食事などが できるように 私を家に 招待してくれました それも良いことです それから彼らは 私が初めの家に戻って また最初から道具を 揃えるべきか ボストンの他の家に 行くべきか決めました 彼らは長時間に渡り お互いに色々な事を 話し合いました

最終的にボストンに 行くことに決めました 他の人々は 知らなかったので 皆それぞれ違う方向に 違う家に 行きました 最終的に全てが一緒に 集まった時私は 最後の一分でその 状況に飛び込まねば なりませんでした でないと皆が違う 方向に向かうでしょう 人々が離れ離れなのは いいのです でも機材は一箇所に あるべきです でも あるものはそこにあり 他の物は東海岸 そして働き手は 西海岸にいたので 探し出して 一箇所に集めるのに 大変な思いをしました

皆食事して安心でした でも私は違います なぜなら私は ツアー中いつも皆が 一緒にいるように 働かねばなりません そうです 彼らは マスターは全能だと 信じているのでただ リラックスしています それは構いません マスターでいることは いいものです 皆が 十分に強くて健康で 忍耐強く活力に満ちて いればの話ですが 講義については 何の心配もないのです 面倒を起すのは その他の事です

そして彼らは 私が何でもできて 全ての面倒を見て 彼らの手を握るのと 同時に目を覗くと さえ考えます あまりにロマンチック この世界の人々は とてもロマンチックで 実際的ではありません それに彼らは マスターはいつも そこに座って微笑み 彼らの所にやって来て 「私のいい子」と言い キャンディやケーキ 花や果物をくれるのを 期待するのです マスターは 他にする事はなく そこに座って 人々が祝福と共に 来るのを待つだけだと 時に私達は実際的に なる必要があります

世界の人々が 愚かだとは思いません 彼らは ロマンチックで あまりにも幻想的です 人々は働いたり 認識したり 実現する努力を することなしに 多くの事を想像します 私達はいつも夢の中に 留まっています 長年に渡る探究の末 私にとって この世界の全ては 夢のように見えます ちょうど長い夢から 覚めた人のように 私達もまた 死後 目覚めます ある人は美しい環境の 世界に目覚め ある人は奇妙で 風変わりな世界に 目覚めます ある人は まだこの世界 同じ環境に 身を置いていて 目覚めますが 異なる身体 もしかしたら 同じ身体でも ただ違う感覚 違う動きや 異なる身体機能に なっています

そしてある人は 苦しみの世界に 目覚めます ある人は 非常に暗くて 耐え難い環境に 目覚めます それはちょうど この世の人のようです 夢から覚めて 自分が日常の世界の 異なる状況にいるのに 気付くのです どんな人生を導き 出すかは 彼次第です 例えば 彼が重要な 責任者でしたら 彼はとても美しい 夢を見るでしょうが 起きた時  彼は様々な 責任に 直面し 様々な質問を 解決せねばなりません そして 男性は 実業家は 起きた時 沢山の投資問題に 直面します 銀行預金口座 新しい相場 世界の財政危機などを 考えなければ なりません

そして 病院の患者は 起きた時 再び痛みを感じ  鼻の周りには様々な チューブや 耳には 針が差し込まれ 他の針がここにもあり ベッドに縛られていて 回復するかもしれなく より健康になるよう 彼は楽しみにしていて より良い視界があり その日 退院できる かもしれません 皆さん それぞれ いつか夢から 目覚めます およそ百年間の 夢からです 長い夢です 短い人もいます 幸運を祈ります 運がいい人です いつか目覚めるのは 知っていますが 準備ができていないと 目覚めの段階の 準備ができていません だから当惑し 恐れるのです

自分の人生の 次の日の準備ができて いたら 推移は 痛くなく 反対側に何があるか 私達は 予期しているのです 例えば 男性がとても 平和な人生を 送っていて  務めがあり  愛情があり 毎日 起きると 素晴らしい 空気に 多かれ 少なかれ直面します どの様に調整するかは 彼次第です この世界を去った後は 死にません 恐れる事はありません とても平凡で 普通の人生を送ってる なら大丈夫です しかし 恐ろしい 錯覚が私達を 待っています 神の戒律を 無視したときです 規則は世界の 動きによって 作られているのです

規則につかせるために 様々な方法で 人生を 歩むのです 実際は罰のためでは ありません しかしこの法律を 守らないと いわゆる 矯正な調整が 必要になり それは永遠ではなく 永久的ではありません どうか これで 否定的な想像を しないで下さい 誰かが法律に 短い間でも  一時的でも  従わないと 永久に罰される訳では ありません 怖くはありません 地獄は限られています 誰もがそこの 永住者になるのでは ありません 神は 皆さんを 永久的な地獄や 醜悪なことを 世界に望んで いないからです 従って 何をしても それに対して 短い間だけでも 補うのです

しかし 短い間の 苦痛でも  私達にとって とても 痛いことです 私達が苦しむ時間は 永遠なのです この苦痛の時間を 乗り越えるには長い 長い時間が必要です 理解するのは とても簡単です この世界に 居るようにです 寝ているとき 幸せです 時間が 過ぎるのが速くて 朝は起き上がることが できません まだ 寝る時間だと 私達は思うからです または 愛する人や 友人といる時 時間が すごく短く 感じます では 問題な時や 誰かを待っている時 不安なとき 痛い時 体または 精神的に 永遠に終わらなく 感じますね 同じ状況が地獄で 起こるのです 

いわゆる地獄です 地獄は 他の考えの 状態なのです 私達は 身体的に 精神的に 不幸すぎる 苦痛すぎるのです 例えば この世界で 私達が病気や 不幸になった時 それが少しずつ 増殖し 恐らく もっと増えます それを地獄と言います 精神的な 混乱や不可視な 苦痛のプレッシャーの 状態なのです この世界での 苦痛を避ける方法が 幾つかあります 例えば 退屈で 不幸に感じたら 外に出て 踊ったり 映画を見たり 劇場に行くのです ある人は 瞑想に行ったり 隅に行ったりして 自分の内心的な 幸福を見つけるのです 彼らの内面的な 神の王国を 見つけるのです 私がコスタリカと パナマにいたとき 毎日英語を話しました

オゥラック (ベトナム)に来た時 私はオゥラック語を 話せませんでした 今では 上手に ベトナム語を話せます でも今は 英語に 変わっています 今では 英語が 難しく感じます 薬物を摂取している 人々や幻覚を得る人 そしていわゆる 薬や飲酒などで 一時的に 幸福感を取る人と 高潔な人との 大きな違いはないと 私は感じます 瞑想を通して 内面的な陶酔や 自分自身で 悟りを開くことを 求める人と 比べるとです もちろん 終わりは 違いますが 多かれ少なかれ 動機は同じです 薬物や飲酒または いわゆる安い 代用品で幸福感を得て 人生の悲しみを 忘れる人を 私は軽蔑したり しません

彼らは間違った方法を しているだけです 哀れです 彼らが他の方法を 知っていたら 違った方法で幸福を 味わったでしょう 他の終わり方に 変えられたでしょう もっと速く 悟りを開くことが できたかもしれません 彼らは どの目標にも 速く変われたでしょう どんな意味で彼らを 幸福に変えてもです これらの人々は 悪い情報または 誤報の犠牲者だと 私は感じます 従って 私達の任務は いわゆる  まだ起きていて 知能がある人は 責任を問う代わりに 救うべきなのです

私達は彼らの真実の 切望を知らないのです 彼らの心の中が わかりません 幸福の切望が あるのです 神ではないとしたら幸 福と愛情はなんですか 神を憧れ そして 誤報します そして終わりを 間違ったことに 使ってしまうのです これらの人々は 出家の状態に 僧侶にとても近いと  感じます 人生を 放棄しているからです 彼らは自分の 架空の幸福を求め この物質的な 一時的な はかない人生を 拒否しています 例えば 私達 他の人は ささいなことで 幸せになります

毎日仕事をして 人生の世話をして 妻の世話 夫の世話 子供の世話などをし これらの人々は この普通の人生に 不満があるのです 彼らは耐えられません これを望んでいません 彼らには不十分です 分かりますか

それは彼らが 高潔という意味です 悪くはありません それから逃れる方法を 彼らは 知らないだけです 彼らは多分どんな 僧侶や尼僧よりも 人生に飽きるでしょう 彼らは多分 最も出家した 人々でしょう ただ彼らはどのように 本当の良い物を見つけ 真の幸せをえるか 分らないだけです 従って私達はいわゆる 悟り又は涅槃 (最高の天国)あるいは 幸福を得る 多くの方法を 見つけるのです しかし よりよい 方法はもちろん 努力を通して 悟りを通して 神への 適当なチャンネルを 通してです 薬や酒の ような物質的な代用品 他の不自然なものを 通してのではないです

従って 幸福を 渇望している あなたや他の人々に この非常に 安全である瞑想法を 紹介したいと思います 多くの努力を 要求しなく 生活の変更を要求せず 少しの代価も 要求せず あなたが提供できない もの何も要求しません 実際 あなた自身の 宝 本当の長続きする 幸せを見つけるために 内面を見つめるほかに 全く何も要求しません さもなければ 悟りなしでは  世界で 最も金持ちの人でさえ 全世界の王様でさえ 幸せではないのです 悟りなしでは 誰も本当に幸せで あることはないのです 悟った人は他の人と 同じように見えるかも しれません

同じ品性 同じ個性を 持っているように 見えるかもしれません 時々怒っているように しかし 彼の怒りは もはや本当ではなく 憎悪がなく 恨みも深くなく 弱まった雲のように 心からの感情なしで 速く行ったり 来たりします あなたがそのように 怒ることができると とてもリラックスです その怒りは海の 波のようで 全く海に 影響を及ぼしません 波は海から来ますが しかし 海ではない 海であって海ではない それはただ風によって または地球の自転に 起因します たとえあるとしても それは実在しません

さて悟ってない 凡夫は 彼らが怒る時 彼らの怒りは 彼らの存在の全部の 基本を揺るがして 理性を失います その怒る瞬間 永遠ではなく もちろん 時々熱狂に 落ち込み 制御できなくなります それは 彼らの心 精神  情緒 肉体を 傷つけます 意味が 分りますか 悟った人は 怒っている時でも 怒りはただ 外面だけです そんなに傷つきません その上 怒りの力は相手を 傷つけません 憎悪や本当の感情で 出たのではないから 意味が分かりますか 時々 悟った人は 外面では怒りますが 内面では笑っています 舞台で演じている ようです 

自分の 役が分ります たとえ観衆のために 非常に本物のふりを するとしても ただ 彼らを楽しませる為に 彼らを幸せにしたり 悲しくしたりするだけ 従って 開悟と 開悟していないのには 違いがあります たとえ悟った人と 悟ってない人と ある意味同じように 見えるとしても 私達も悟りを開けば 分ります その人が同じではない ことを感じることが できます ただ感じるだけです 表現できません 彼らが同じ鼻が 真ん中にあって 両側に目があり 耳もこちらに あります

そして 私達と同じ ように食べ 話し 寝たり各種の義務を 行いますが 内面では 彼らは完全に自由です 私たちはよく自由に ついて話しますが 様々な自由が あります 外面行動の自由と 内面の自由です 内面の自由は 最も深く 何もそれを 揺るがせません そして 異なる体制や 異なる環境または 異なる身体的能力で 外面の自由は 常に変えられます しかし 内面の自由は 永遠に変らないのです 一旦手に入れば 常に有します ただ毎日ますます 多くなるだけです 私達は自由を表すと いう終わりのない 可能性を発見します ところが 外面の 自由は非常に制限され そしてより多くの 責任があり しばしば 自由がないより 多くの責任を負います 例えばイエスに関する  映画があります

それは長年マスターを 探す男性についての ストーリです 彼は全ての財産で 三つの異なる宝石を 買いました マスターに会うまでに 大事にしまって そして 彼は 供養します それは 彼の全ての財産でした とうとう彼はイエスに 会いました 彼は 宝石をイエスにあげる はずだったのに もう遅過ぎました その間に色んなことが 起きました 彼はマスターに会った ことはなく 点々と イエスを追いかけて いましたがいつも 何かが起こるのでした 彼は偉大なマスターと 顔を合わせたことは なかったです 

これは 重要ではありませんが 彼には奴隷 つまり 使用人というか そのような人がいて  彼のために 長く働いていました ある日その人が マスターに自由を 求めました 彼は「どこまでも 付いてきましたが 一銭ももらえない」 などと言いました 「自由になりたい 自由になりたい もうあなたのために 働きたくないです あなたはもう私の 主人ではない」と マスターを探していた はずのあの人は 「よろしい  離れて行きたいなら  行けばいい」と 言いました その人は離れました

彼は外に行って自由を 楽しんだ後  彼は考えました 「結局私は本当に 自由が欲しいかどうか 分らない 主人がないことは 恐ろしいことだ」と 彼は今何でも自分で 世話をしなければ ならないのです 彼は それに慣れていません 例えば牢獄にいるのが 好きな人が 大勢います 皆牢獄にいるのは 良くないと言いますが 自由ではないし 好きに動けないし 定刻通りに眠り 定刻通りに起き 何でも指示通りに せねばならないから でも 多くの人は 余り多くではないが 牢獄にいることが 好きな人もいます

どんな仕事を見付け どんな仕事をし  誰が子供の教育をし 妻のために宝石を買う ことなど 彼らは考えなくて いいからです ただ目覚めるべき 時間に目覚め 眠ると指示された 時間に眠ればいいです 指示されたことを すればいいから  とても自由に感じます この人たちは悟りを 開いたかもしれません 私は知りません その人たちが牢獄から 解放されたら  外に出て仕事を見付け なければならないけど 容易ではありません 特に牢獄の記録を持ち 多くのスタンプが 押された場合 人々にどう見られるか 良い仕事を 見付けるのは困難です

何か仕事は見つかるが 余りいい仕事ではなく 全ての責任を取らねば ならず 税金とか 請求書とか 用紙に 記入したり 煩雑な ことは沢山あります 私は自分でこれら全て 複雑なことが出来るか どうか分りません 多くの人は僧侶と 尼僧は 出家者と言いますが  皆さんこそ本当に出家 出来る人だと思います 皆さんは  単純さ 単純な生活を送る 幸せ  心配の無い生活の幸せ 神に奉仕する幸せを 捨てたのですから 皆さんは税金 電気代 請求書 子供など 煩雑なことを世話する ために これら全てを 捨てたのです まあ子供の世話からも 少し幸せを味わえる かもしれません

子供の世話自体は 煩雑ではありませんが 子供にまつわる ことが煩雑です これらのことを 世話せねばなりません 子供が病気になったら あなたは眠れません 子供が学校で 良くなかったら  気分が良くないです 子供が大きくなったら 誰が彼女で  誰が彼氏なのか 誰と一緒にいるのか 麻薬を乱用しているか などどんなことでも 無限のトラブル 無限の心配があります まるで家に この瞬間にも 爆発しそうな爆弾が 二、三あるようです だから皆さんこそ 本当に放下した人です 本当に皆さんの 勇気 忍耐力  粘り強さと 雑事に対する献身さに 感服しています

私達の間で誰がより 良いのか知りません 時にはこう思います このような生活に 戻されこれらのことに 対処させられたら 私は多分出来ません 複雑過ぎるからです 毎朝五時に起きるとは 考えられません その一番良い眠りの時 ベッドが一番暖かい時 一番深い眠りに 落ちている時に 起きなければ なりません 目を半分閉じたまま コーヒーを 鼻で飲んだりして 目が朦朧とし はっきり見えないまま 何もついてないパンを 食べながら 眠る 雰囲気を保たせようと 毎日同じ時間に 起きねばなりません 時にはトイレに いるように感じます 毎日このようです

どうして出来ますか 私は起きたら ただ瞑想ホールまで 這えばいいです 遠くないです 仕事がありますが 私の仕事はそんなに 複雑ではありません 違う面の仕事ですが 皆さんの生活ほど 複雑ではないです 皆さんは楽しく 少なくとも表面的に 楽しくやっていますね 皆さんはどうして できるか分かりません 従って人生は 人それぞれです このような生活に 満足せず もっと純粋な人生を 送りたいなら または内在にある力を もっと永遠に持ちたく 更に宇宙生命に関する 細かい真理まで 理解したいなら 悟りの道を 見つけねばなりません

今の人生に満足して 百年か 六十年間後夢から 目覚めるなら それも構いません しかし夢から 目覚めた時 もっと良い環境が 待っているのを見たら それは素晴らしいこと ではないでしょうか 夢から覚め まだ同じ環境にいるか または更に悪い状況に 陥っていることより ましでしょう 意識的に又は無意識に 皆が寝る前に いつも明るい明日を 問題の解決や 商売の興隆 子供達が 可愛くいられるように 婚姻が円満になるよう 願っています しかし長い夜が 経ってもいつも 同じ問題が残っていて 状況も変わらず もしかして更に 悪いかもしれません 人生も同じです

人生という大きな 夢から覚めた時 同じ世界にいるのに 更に悪い状況に 陥ってしまうことを 見たら どんなに 辛いことでしょう このような状況は我慢 できないと思います だから多くの人が 死後 家に戻って来て 彼らの家族を 困らせたりすると よく聞きます 彼らがいるところは 愉快ではないからです もっとひどいのは 彼らは体がないので 人生の楽しいことも 体験できないことです 私達人間はつらい ことがよくありますが 楽しみもあります 少なくとも楽しい時は 一時的につらいことを 忘れてしまいます

しかし準備できてなく この世を去った者には 誰も導く人がいなく 迎えて来る 功徳もありません つまり彼らは非常に 平凡な生活を 送っていて 生涯に わたって善事を行わず そして神のことを 一度も考えたことが ありません 彼らはこの体を 離れたら 良い境界に 生まれ変わる チャンスが 滅多にありません 私達はまだこの体を 持っており 人生も それほどつらくなく 人生を楽しめて好きな ように行動できるかも しれませんが もう一つの世界への 準備をしておくべき 死んでしまったら 全てはおしまいだと 思わない人が 沢山いると思います

現代人は昔の人より ずっと賢い これについてよく 分っていると思います しかも現在は より多くの情報が あって 私達の生命は永遠に 生き続けることが 証明されています 生まれる前に 死んだ後に何か 起こるかに関わらず 私達の生命は 永遠に生き続ける 意識であり 死ぬことはありません 服を着替えるように 別の体に生まれ変わる かもしれませんが 死ぬことはありません

死んでしまうなら どうやって生まれるか 生まれる前に生命が なければ 私達は どこから来たでしょう 死んでしまったら 生命がなければ どうやって 生まれるのですか 「空」から来る わけがありません 科学によると 「空」から 来るはずがありません だから私達は 「空」から「空」まで 行くことができません 科学が進んでいる 現代 私達は 永遠の生命をもっと 信じるべきと思います

私自身も十分に 確信しています 修行を通して 分かっています これは真実である ことを皆さんに 知らせたいと思います 私の考え もちろん過去の偉大な マスターの考えにも よりますと 私達は いつかこの体を 離れた時の 「目覚め」に準備 しなくてはいけません 目が覚めて自分はまだ 死んでないことを発見 したらどうしますか この人生を送ったら どこへ行くでしょうか 手遅れになる前に 今からしっかりと 考えなければ なりません

気食主義者