皆さん どうぞ スプリームマスター チンハイを 歓迎しましょう こんばんは お元気ですか 十分暖かいですか はい

こんばんはマスター こんばんは ご来場の皆さん 私は自分の体験と 霊修の旅について 皆さんと少し分かち 合いたいと思います 私はスプリーム マスターチンハイの 指導の下 観音法門に したがって 二年半が経ちます 十五歳のころから 私は疑問を持つように なりました 殆どの 人々がその年代に持つ 人生についてです 人生には何の目的が あるのだろうか 何のためにここにいて 私達はどこから 来たのだろうか 死後 どこへ 行くのだろうか 私は両親から姉から あるいは伝統的な宗教 からも満足する回答を 得られませんでした

三六歳の時私は死ぬ までこの回答について 知る事はないだろうと あきらめ本当にこれで 心を患うのは止める べきだと思いました 死について 霊的にも行き詰まりを 感じていました 私が出席した 最後の説教の内容は 神の王国は汝の内に あるというもので 「まず自身の 神の王国を求めなさい さすればあらゆる物が 与えられるだろう」と イエスは言いました 「神の王国は 汝の内にある」 そこに座り 自身に言いました 「ええ でもどこに? どうやって 接触したらいいの」 常に私達はそう 教えられてきました

でもどうやって そこに行きつけるのか その間にオゥラック (ベトナム)人の 仏教とキリスト教の 背景を持つ夫は 私と共に教会へ 参加しました 彼に私の教会を どう思うか聞きました 彼は言いました 言葉の効果「神父は とてもカリスマ的だが 彼は在世のマスター ではない」 私はびっくりして 彼の方を向き直り 「在世のマスターを 探しているの」と言い 彼は「ああ」と そしてそれは私には 斬新な考えでしたが 同時にそれは 見知らぬ概念でした

でも私のような 西洋人にはこのような 概念を紹介されたのは 初めてでした 数カ月後私達は スプリームマスター チンハイを テープと書籍を通して 紹介されました 二カ月後私達は カリフォルニアへ 印心のため飛びました 賢人は言います 「生徒に 用意ができた時 マスターは現れる」と 本当に個人の体験を こうして得ました 印心の時 私は神の王国を 自身の内面に 見つけました そして私は子供の頃 夢見て大人になって 探し求めたその美しい 土地があることを 知っていました

でも それは地球上の地では ありませんでした 印心以来 私は内面の 光と音の両方の 体験がありました そして内面の体験は 大きな愛と 壮大な神 無限の慈悲 想像を絶する 神の智慧の 体験だったのです この時点で 私は感情的な苦悶を 痛みを感じ天国を求め 泣き叫びました 「私が感じたいのは 愛されている事だけ」 愛を求め叫んだ後 元気なく世俗の仕事に 戻りました 二十四時間後 私の未解決な 感情的なドラマに 捕えられましたが 今それに腹を立てて 巨大な愛の大海に 浮いているように 感じ始めました

私は非常に軽く 重荷がなく 至福を感じ始めました どれくらい長い間かは 分かりませんが ものすごい愛の包囲は 何時間も続くかの ように感じたものです しかしながら私の心は 非常に気分が良い事を 不思議に思いました 私が怒る役を演じる ことになっていた時 怒り 感情的になる ドラマの役割の時です それで二十四時間前の 私を地球上に 私を蘇らせるという 要求は 叶えられたのです 私の夫はマスターと 神の後に続く 私の霊性の発展の 司令官は 少なくとも彼はそう 思いました

私が 瞑想修行において より勤勉に取り組めば その時点から 更に私の霊性銀行には 功徳が積まれ要求は 即座に二四時間後では なくかなえられる事を 厳しく伝えてきました 私は彼が正しいと 信じられます おかしなことに あまりに多くの至福は 耐えるのにも難しいに違いありません しかし私が霊的銀行で 本当に多くの功徳を 持つなら私はより長く 幸福の大海に浮く事が できると信じました もう一つの体験は フォルモサ(台湾) 苗栗の禅四に参加した 時に起こりました

マスターが話していて 私はそこに座っていて 一種魅了されていて 彼女の 言動の明瞭さと 驚くべき智慧に 愕然となりました 私は書籍から知る 全能の神の力と直接 接触しているように 感じましたが私は一切 実際肉体の体験が ありませんでした 真の智慧の源を 見つけたことで 私は心の知的な部分が 満足感の頂点に 達していました 私は面と向かって 在世の霊性マスターの 全知全能の 側面を見て 私の高次の真我は それを認識したのです

印心後 一つは 本当に真実霊的な マスターに面倒を 見てもらっています ほんの些細な事も そうです 西洋人は日々の生活の 奇跡について認識する のが非常に遅いですが 偶然の一致については すぐ非難します しかし印心後 あるべき事を偶然は ないことを知りました 私自身の体験は今年 初めに起こりました マスターの 米国ツアーのときで 長い話を 短くまとめますと マスターはシアトルに 寄り私は長い間 行くことを迷っていて 先延ばししていました 前日までシアトルまで 航空券を予約しては いませんでした

ええこの意味を皆が お分かりだと思います その航空券は非常に 高くヒューストンから シアトルまで 約一千米ドルでした そして もう終わりだ ヒューストンに残ろう と思いました 一方私の夫は私には できない状況の中で 物事を成し遂げるのに 独自の能力を 持っているようです それは一種私のエゴを 時に刺激します 彼が旅行会社へ電話し 二〇〇ドル前後の 航空券を見つけました 航空券が届くまで 私はありえないと 思っていましたが 旅行会社の人が 言いました 「ええ ほんとうに 不思議なことです

この航空券がどこから 来たのか分からない 通常航空券を 前日に予約するなら 非常に高く大体 一千ドルが相場です でもコンピュータを 調べた時この航空券が 画面に」と言いました これが話の終わりでは ありません 私は単独でシアトルに 到着し初めての訪問で 少し神経質になり 本当にどこへ行くのか このイベントの スケジュールも 知らなかったのです 私は全ての弟子が 滞在するモーテルに タクシーで向かい そこはさびれた 所でした ホテルの予約受付は ここにはもう部屋が なく満室なので滞在 できないと言いました

どうしたらいい でも恐れはなく 突然オゥラック (ベトナム)人の 紳士が現れマスターの 印心のバッジを つけた人だったのです 私はその人に近づき 状況を説明しました 彼は「来て早く時間が ない」と言いました マスターの講演が そこですぐ始まります 私達はそのホテルへ 車で向かう道すがら 彼は人々を一日中 送り迎えを繰り返し これで今日仕事が 終わりだと思ったと 説明しました 彼の英語はブロークン でしたが理解でき 彼はマスターが再度 もう一回戻って 空港にいる女性を 連れて来てと言った ということでした

彼はその女性を見つけ ようと思いましたが 見つけられません 私は一人で考えました 「ああ 可哀相な 老女は空港で 迷ったに違いない」 すると突然 ペニーが落ち マスターが私を拾いに 彼を送ってくれたのだ と理解したのです 私の西洋的な頭脳は 最初考えに拒否し 「状況を思いこみ過ぎ ているに違いない」 しかし ホテルのホールの 最前列に 急きたてられ 数分後マスターが 到着し山の様な 舞台の前に特別に 最前列を見下ろし 微笑まれました 心が揺すぶられました

「神よ」思いました 「同様に他の事も調べ 私が無事にここに着き また教えました」 「ほらあなたの面倒を 見ていますよ」と 私は十分お話できたと 思います 最後に言いたいのは 観音法門を在世の 霊性のマスターから 印心を受けるということは 私に元々の 生死の質問の答えを 回答を得られたので 私がここにいるという 訳なのです 私の義理の兄が 彼の疑問である天才は どこから来るのかの 質問を知りたいと 思うなら マスターは言います 「彼は開悟すべきです 答えは簡単です」と 実際 回答は本当に 沢山ある事柄について 非常に簡単になります 開悟した後は ありがとうございます

素晴らしい話でした 初めて聞きましたよ ありがとう博士 次の講演者は 先程お話された事は 今日から始まります 彼は私と同じ 問題を抱えていました これは一種話をするは 困難ですあなたが ある一定期間泣いた ことがなければ この事に耐えられる なら彼はこのことを 通し成し遂げられる ことでしょう

こんにちは 私が二〇歳位の頃 私はどれ程辛かったか 認識しました 私の幼少時代は非常に 困難でした私はひどく 対処に苦しみました それで二〇代最初に 東洋哲学の書籍を 読み始めました カトリックとして育ち 霊性のマスターの 重要性を 即座に気が付いた ものでした そして 一、二年できる限り 世界中の様々な マスターの書籍を 沢山読みました そして私の確信とは 私の痛みと苦しみを 和らげるには霊性の マスターの存在が 重要だという事でした

しかし頑固で誰かに 人生を左右されたくは なく何をするかも 言われたくなく特に 霊性のマスターには 私は知っていました 聞かねばならない事を 私は特に特権の形が 嫌いでした それで私は非常に 反抗していました そして二十五年の間 私が印心する前 三年になりますが 私は二十五年間自分で 研究をしてきてそれで 私はこう思いました 例外がある事を 読みました 霊的な マスターが不要な 人々がいると そして ああ私がその例外の 一人であるといいのに と思いました

私は読書し研究を 二十五年間行いました 何千冊の本を読み マスターは言いました 私のような知的便秘な 人がいると 全てのニューエイジ 哲学を 教えを勉強し 私は多くの事を 探求しました 時には進歩しましたが 頻繁に スライド的に 後退したりしました 二十五年の間 私はかなり聖人の 存在として住む限り 私の人生を 懸念していましたが それから 私はイライラしそして 飲酒に落ち込みました 私は中毒に陥りやすい 性格だったのです 私は様々な行動に 及びました

数年後 私はもはや霊的な 進歩もみられなく なりました 私は菜食主義を したりしなかったりを 繰り返し フットボールの時期は ビールを飲み 喫煙をし サラミの サンドウィッチを 暫くの間終わるまで 続いたものです これらの年月を通し 私は一切他の人々と 接しませんでした 私はすっかり痛み 感情的な痛みですが 子供の頃私は 他者といながら 他の人々を愛する事に 困難な時期があり 私が他人と 共にいる所では 常にパニック 症候群になりました 数人の他人が部屋に いるだけでです

印心前まで私は パニック症候群でした これは五歳の頃から 始まりずっと そうだったのです 非常に厳しかったです 全てのビタミンBが 無くなったら私は すぐに一、二週間は 病気になりました 回復するのにそれは 長い時間を費やし この発作は本当に 深刻でした しかしマスターから 印心を受けて以来私は 何の発作もパニック 症候群にもなりません 他の事では 私達の通俗真理として 十二のプログラムと ブラッドショーと 全ての内在の子供の 働きが行われていて その感覚が感情的に ブロックされたり 防具をつけた感じに 関連づけできます

私の幼児期は非常に 困難でした暴力と アル中の家庭 私自身 防具を着けていました 誇りを持っていました 私は生涯スポーツを 行い私の体は とても堅いですが 実際私はとても痛みを 感じ私自身防具を身に 纏っています マスターから印心を 授けられて以来私は 柔らかくなり始めて 私自身自分が内外とも 柔らかく感じられます そしてそれには ある一定期間かかり 六か八カ月です 印心の時 私が外に出てサインを すると何人かの人々が 来て耐えるように そしてそれは 進歩するのに 六~八カ月かかるから と言いました

私は耐えて本当に 進歩したと思います それは六カ月もの間 本当に沢山の変化が 私の人生に 起こりました この感情の閉塞は 私にとって約一年 かかりました 私は瞑想に 留まりました

しかしこの期間中 私の主要な事柄は 私が印心した時でした 私の子供達は皆二〇代 前半でした 私には三人の子がいて 彼らは二〇代で私は 彼らから疎んじられて いました 非常に難しい家庭で 育ち分かったのは 私は一種自分が虐待 され育った為我が子は 決して虐待せず厳しい 親でいましたから そうすべきと思い 彼らに厳しくし彼らは 良くなると私は厳しく 彼らを愛さずには いられませんでした つまり私は一切彼らを 抱きしめキスなどこの 種の事ができません

ただできませんでした 私が厳しくなる事で こうして私は彼らを 愛していると思って いましたが彼らは私を 疎んじました 彼らは 私に話しかけたり しませんでした 私は彼らに話しません 実際は 始めたのです 彼らは私の基準で 生活していないのに 気付いたのです そして 印心後 数ヶ月掛かりましたが 気持ちが落ち着き 子供に近づくことが できました そして特別旅行で 印心したフェニックス に行きました 子供はそこに住んでて 私はそこで育ち 生まれました 

そして 彼らを引き戻しました その週は毎日 子供のことで泣き 彼らへの育て方に 対して 私は謝ったのです でもできませんでした  今 しました そして私と子供との 関係は良くなり 家族との関係も とても良いです 夕日を楽しんだり そのようなことを 彼らは言い 私は本当にそれを 経験しました 私はとても武装してて わずかな時間でした 痛みを感らじれて 6パックを 走ったりもできました

帰り道は長いです 印心して 三年ですが 他の人を愛する 能力があります 沢山ではありませんが 時々できます 私と家族との関係は 素晴らしいです マスターの弟子でいて 人生が広がったように 感じます 家族が戻っただけでは なく 良い関係でいて 修行仲間の 沢山の友人も できました 最後に 言いたいのは 印心するのに 怖れたのは マスターが私の 人生に入り マスター チンハイが本物だと 気付かない時です

権威主義の組織を持つ 先生はそんなに 多くいません 自分達の歩調で 成長させ 彼女は 放っておいてくれます 私達に対する要求が 少ないのです 彼女はとても寛大です 彼女は本当の 霊的マスターでないと 感じます 彼女は本当に 友人のように感じますそれだけです マスターの前に またはマスターが 来る前に もう一人います カレン オスボーンが 最近マスターが 与えられた 賞について お話します 感謝祭の お知らせを 受けました

マスターチンハイは 先月ハワイで 米国政府によって 世界平和賞を 受賞しました 彼女は米国にとって 名誉ある市民権を 受けました この賞を 受賞したとき マスターチンハイが 認められただけでなく 彼女が行なった精神的 活動を 米国政府が 称賛したのだと 私達は思いました 彼女が サンフランシスコに 到着して 市長は 彼女を称賛しました こう語りました 「スプリームマスター チンハイへ 世界的な 人道主義者 サンフランシスコの 人々に代わって 優秀な公務を した事を 認めます」

この世界平和賞は 本当に彼女の 人道的活動の 洪水の救援や フィリピンの 被災者や ロサンゼルスの 被災者に対する 人道的活動だけでなく 私達と一緒に行なった 全ての仕事にですで サンフランシスコ とても親切に して頂いた 二名にも感謝します ジュディスコンラッド とボニーコリーンです ここにいるなら 立ってもらえますか ええ こちらに きて頂けますか あなたのファンに 見えるように(どうぞステージへ) ステージに来て下さい 彼女はとても有名で 知ってるでしょう

ジュディスは マスターチンハイの 役に立っていて 彼女とラジオと テレビの 作業をしました スプリームマスター チンハイは 違いを生み出せると 私は言いたいのです

(有難う) それは 私のラジオとテレビ 番組のテーマです 「誰が違いを 生み出せるのか」 あなたと一緒に 過せて素晴らしくて これはラジオと テレビで二 三日 続きました ベイエリアで 変えたのです ありがとう ありがとうございます

良い感謝祭を ありがとう カレン これに耐えてくれた 皆さん全員に 感謝します

マスターが準備でき 皆さんもそうなら マスターチンハイ ありがとう 時間を伸ばしましたが 来てしまいました 皆さんにご多幸を 祈ります 良いことは何でも  必ず訪れます 良い感謝祭を ほとんどの人は沢山 質問があり そして幾つ答えが あっても もっと質問が あるでしょう 若いときは 両親に沢山の 質問をしました 決して答えてくれない ときもあります 成長したら 先生や友人や 賢い人に 沢山の質問をします 決して答えてくれない 人も中にはいます そして私がいわゆる 開悟した時でも 沢山の質問があります

そして悟開した 最初の頃は 重要でない 質問を沢山 ありました それは答えなかった ことはその後で わかるのです 例えば 履歴である 精神的な履歴の 最初の頃は 何人かの 私が知っている マスターや 会った事のある マスターに聞きました 「何で髪を長く 伸ばしていますか」 そして いわゆる 修行者は 幼い頃から 知っている彼らは 頭を剃っています 仏教僧などです それでも  ためらっていて 先生の事を聞いて  特に男性で長い髪の 先生に出会いました

でもご存知のように インドや沢山の国の マスターは 頭を剃りません ほとんどは 髪を 伸ばしているのです なぜなら 隠遁すると 髪が伸び たとえ剃ったとしても 伸びます それで 沢山の 質問がありました 全く重要でない 質問もあり 自分達に聞きました 私達は他の人に 加わって 彼らは 厄介を起すのです しかし 関係なく 本当に関係なくて いずれにせよ これらの質問は 消耗するでしょう 精神的に成熟し 高く成長したら 冷静になり 思考が平静に 人生での観点が 変わるのです

そして 人々は 私達を訪れ 沢山の質問をし 私は彼らが 満足するように 毎回最善を 尽くすのです しかし それでも 両方最良の 意志にもかかわらず 答えを理解するのに 難しい人がいます それは私達が 限られた理解力で そのかなたにある 何かを理解しようと するからです 私も以前は 多くの疑問を持って いました したがって 私たちに来て質問する 人々を私は非常によく 理解しています 彼らが十分な答えを 決して持てないように 思えますがこれが 私達の頭脳の方式です 私達はいつも好奇心を 感じています

私たちの心がいつも 知識欲があるからです それが悪いか良いか 区別なく毎日沢山の 情報を集める理由です なぜかと言うと 心は区別する能力が ないからです 大部分の私たちの苦悩 不満 偏見 私たちの間と人生の 主題との差別心は 心のこの好奇心のある 性質から来ます 心はすべての種類の 情報を収集し それを 処理して 自分自身の ものにします それで私たちは 何を 読むか 何を聞くかに 慎重であるべきです 他の人々の考えと 哲学を区分して 哲学を区分して 選択しないからです

時々 それは全く 正しいと言う訳では ないし それは私達の 心に沈んで私達の物に なる このように 思って 彼これと他の ものを受け入れるのが 私達であると考えます 後で他の異なった 情報が来て それが より正しくて 私達に より役に立っても 私達はそれを 拒否するか 疑います なぜなら以前 私達は 既に後の理論と 正反対のように見える 他の情報や理論を 記録したからです これはこの世界で 私達の生活の中で 直面する問題中の 一つです 

それは 私達は 多くの憎しみ  差別 衝突を 生み出します 宗教との間に 国家との間に 隣人との間に 人々との間に それで何を取り入れる せよ  私たちは最初にまたは 少なくとも後で これらの理論 教理 またはこれらの理想が 根拠があるかどうか 又は私達の日常生活か 霊的な進歩に役に 立つか調べるべきです さもなければ 私達は戦うことにとても 多くの苦労をします 理想との間で 集団との間で 異なった思考体系との 間で ちょうど今朝のように 私はテレビ番組の上で インタビューされて 記者は私に尋ねました 人々のために 印心したくないか できなかった人の為に 迅速で簡単な瞑想を 言うようにと 私は彼らに話しました そして その後 何か問題があるなら 何か問題があるなら 瞑想している間  神に祈る事ができると 彼らに言いました

時々家で瞑想しながら 教師の言う事を聞き それで結構です しかし 時々 あなたは教師が 話したことを忘れ 指示を忘れます またはいくつかの本や 伝聞の指示で 一人で瞑想します

そして 時々あなたは 困難に陥るでしょう 私は彼らに言います あなたが要求したので 私は情報を与え なければなりません さもなければ 瞑想は 私たちが安定していて そして成長するまで 継続管理なしで私達を 導く良い教師なしで 無作為に与える べきではありません そんな訳で生きている 友人 生きている 霊的な いわゆる 教師が必要なのです さもなければ 私達は 本や秘伝の教えから 学ぶことができます 大部分の 秘法 本当の秘法は 古代から 本当の瞑想のどんな 跡も決して残しません いわゆる 心を静める 適切な方法 方便法を 除いては それで私は彼らに 瞑想した後 または 瞑想の途中 とても短くて 簡単で さえしても あなたが どんな困難に出会うか または問題があるなら あなたは神に祈って 心を落ち着けようと すべきです やがて答えが来るか 助が来ます または イエスか仏陀や あなたが信じている 聖人に祈ってください

私達の教えは宇宙的で 各種の信仰に対して 分別がありません 分別がありません そして もう一つ 加えねばなりません

私は「あなたが全ての 聖者や神に祈って 助からない時あなたを 助けるために私を呼ぶ べきだ」と言いました でも私は言いました これは大変自画自賛に 聞こえますが 私は 全てを話さなければ ならないのであなたが 信じないならそれを 使わないでください しかし 私はまたなぜ そうか説明すべきです 私がより近くいるか 近い隣人は 遠い親類より ずっと良いからです とても簡単で 論理的です でも 多くの人は 友達あるいは先生が こう言うと 傲慢に思われますが 事実ではないです

だから 論理的に 説明せねばなりません 例えば 女王あるいは 国王には外の護衛が います つまり ボディーガードですね 国王 女王の地位は 護衛より上ですが 護衛に守られています 私はその護衛です こういうことです 私はもっと近いです 同じ地球の磁場の 中にいるため  私達のエネルギーは もっと簡単に連絡でき 交流できます エネルギーももっと 簡単に受けられます 私達はもっと近くに いて同じ振動周波数を 持っているからです

そして 自分で多く 体験し 霊的にまた 物質的に多くの利益を 得たら もっと固く 先生を信じるように なります あるいは その反対です だから  思考と検証なしで 信じるべきものは 一切ありません 全てのことは証明 されるべきで 霊的な ことでさえ科学です 最高の科学ですが 科学です 過去 現在 未来の マスター達は 科学者です 彼らは 宇宙の多くのことを 知っています でも 普通の人に とっては それらは 理解し難く  信じ難いことです でも マスター達は やはり私達に教え 科学に導きます 私達自身も未来は マスターあるいは 先生になります  少なくとも 自分のマスターに なります 自分の マスターになるのが 一番難しいのでそれが 出来るため 私達は 最高の力 つまり神の 力 生まれつき持つ 宇宙の智恵を 得なければなりません