今までのところ この世界の住み心地は まだ あまり良くなく もちろん 私達は この世界を愛してます 地球を創造するのは 非常に困難ですから 私達はそれを大切にし 愛し 保護すべきです これは正しいのですが 現在 私達の その保護方法は 間違ってます 残念ながら 各国が 自国だけを心配し 各家族は自分達だけを 心配し 他人を気に 掛けなければ 恐らく この地球は醜くなり 利用し尽され 私達に提供される 新鮮な資源は もうなくなるでしょう 私達が余りにも速く 消費してるからです それらの増加は私達の 使用に追いつきません それで私達は 多くの国が戦争や 飢餓に見舞われたり 物資不足を目にします ある国は 物資が多すぎて ある国は不足してます それでそれらの 不足している国は 多く所有してる国から 略奪しようと考えます それで多くの災難や 戦争が起きるのです 私達修行者のように 皆が観音法門を 修行するなら これらの事柄は 起こりません 毎日二時間半瞑想して 彼らの心は 穏やかになります 毎日 彼らは宇宙の 偉大なパワーと 繋がっていて 恩恵 啓示 慈悲深い愛を 受け取ります そしてこのパワーで 彼らの悪いカルマ(報い)を浄化します ですから彼らは 穏やかで良くなります 彼らは五戒を順守する 必要があり それで いかなる衆生も 殺したり他の衆生を 傷つけたりしません

彼らが殺生を 控えるだけでなく 他のいかなる衆生 植物動物も含めて 傷つけないのです 戒律を厳格に順守する ことで もちろん あなたを傷つけません 彼らはどのように 盗みをしない戒律を 守るか明確に分ります なぜ盗みが良くないか 彼らに話す マスターがいます 彼らは良く理解します それは彼らが 内在する智慧を 見つけたからなのです それで彼らは深く 明確に理解したのです 「私は戒律を守って 殺生 盗み 虚言 飲酒はしない それで十分」と言うだけではなく そうではないです 彼らには 内在の智慧があり 開悟しています それで彼らは本当に すべき事すべきでない 事を理解しています 殆んどの人々が戒律を 順守したいのですが 失敗します 彼らは善行をしたいの ですが 失敗します 彼らは本当に理解 した訳ではないからで 善行をすることで 功徳を得ることを または悪い行為の結果 自分や他者への 影響について本当には 理解していません 彼はあまり正確には 理解していません 開悟した人々だけが 本当に戒律を 理解しているのです ちょうど 私達 観音法門 修行者のように 五戒を守り誰も殺さず 傷つけることもなく 生命を救い 他者を助けるのです 彼らは 動物の命を守るために ベジタリアンです 彼らは動物をも 守るのです 人間だけでありません 彼らがこれらの戒律を 守るなら もちろん 戦争を起したり 人々の国や財産を 侵略したり 人々の命を傷つけ ようとは思いません 彼らはまた 盗みもしません 彼らはその財産が いかに大切か知り 満足しています 貪欲ではありません しかし言うは易し 行うは難しです そうするには本当に 開悟せねばなりません 彼らが開悟して いないなら これらの言葉は 片方の耳から反対側の 耳に通り抜けます こんなような感じです 非常に残念なことです 多くの人々が戒律を 順守したいと思います けれど彼らの智慧眼は 開眼してなく 開悟していないのです 彼らがいまだに 自らの偉大なパワーを 開発してなければ 彼らはとても弱く 落ちこぼれ 戒律に違反し 人々を 傷つけるでしょう 恥ずかしく感じますが 彼らは逃れられません また修行者は 嘘もつけず 人々を騙せません たとえ仕事であっても 正直であるべきです 私達は人々に それを作るのに いくら必要か知らせ 価格に同意させるべき 「では売りましょう」と 騙してはいけません 良い物ならそう言い 品質が良くなくても 真実を言うのです

それこそ私が弟子に 教えていることです 良くない物を良いと 言うべきではないです 私達はこう言えます 「この品質は良くない それで安くしますと これはより高価です より高品質ですから あなた次第です」と それで大丈夫でしょう 私達は人を利用しては ならないのです 人にずるをしたら それは彼らが愚か者と 思っているからで それはお客さんに 対する扱いでは ありませんね 彼らを友人や 賓客のように尊敬する 義務があります 彼らは遠くから 私達と話しに 物を 買いに来たのです 彼らを遠くから来た 賓客のように扱う 義務があります どうしてそのように 扱えるのですか それは人間の やり方ではありません だから 私は弟子に そう教えて もちろん

彼らは理解しています 友人を訪れたとします それで私達は 彼に騙されました 傷つきますね では騙さないことです この正直な方法で お互いを扱えば しばらくして  私たちは彼の紳士的な 振る舞いに慣れ 再び紳士になり そして 世界は変わるでしょう 林語堂の書いた 物語を読みました

彼の本には短編小説が 沢山あります 彼は旅をしたと言い 彼ではありません 本の中の人物が 旅をしたのです とても不思議な方法で 商売をする国を 訪れました 売り手は 最も低い価格で提供し 買い手は最も高い 金額を払いました この物語を 覚えていますか

これは「鏡花縁」という 題名の本だと 思います 読みましたか いいえ これは中国の物語で オゥラック(ベトナム)のではありません 私は騙していません その物語は  売り手は買い手に 安く売りたいのですが 買い手は高い金額を 払いたく それで 売り手は十分な利益を 得るのです 売り手は高く売るのは 間違いだと思ってます 二人は口論になり 一人は安く売りたいが もう一人は 高く買いたいからです 高く買いたいからです 私達の世界は違います 全く反対です 林語堂はとても ユーモアのある作家で 私達の世界が良くなる よう願っているのです 恐らく彼は修行し 開悟してたのでしょう 分かりますか 彼は皆が親切だとは 納得できず この物語で彼の理想を 伝えたのです だから彼の物語は とても愉快で  有名で 外国でも 知られています

知ってた方がいいです こんなにも有名で 良い中国人です 彼を誇りに 思うべきです

中国人でも外国人でも 良い作品を作った人は 応援して 褒める必要があります 私達 修行仲間は もちろん ここでの 全部の戒律について 話す時間は ありませんが 重要な点は 私達 観音法門の修行者は 人類に 宇宙に 社会に そして私達の隣人に そして私達の隣人に 影響しているのです 彼らはあなたを 傷つけたり 騙したり 妻や夫を 誘惑したりしません とても尊厳があり 潔癖で正直で 良い隣人です 彼らは動物も 傷つけません 植物を慎重に扱い 必要がないなら 切ったりしません もちろん私達は そんな隣人が好きです 違いますか 強盗をしたり 嘘をついたり 浮気で 夫や妻を 誘惑するような 隣人は望みません

そうですね はい 私達観音法門修行者は 皆さんの隣人に とても親切です 皆さんを守るだけです 皆さんの所有物を 盗んだりしません 決して生命 植物 犬や猫 夫や妻 または子供達を 傷つけたりしません 彼らは可能な限り 皆さんを助けます 助けにならなくても 皆さんを傷つけません それに酒も賭け事も 麻薬もやりません こんな人々は決して 悪事を働きません 隅に追いやるからです 分かりますか 賭け事はしません 賭博師は時折 やむなく行き詰まり 多くの悪事を働きます または麻薬依存者は 麻薬を切望して とてもイライラします 痛みに耐え切れず 盗んだり 強盗に 加担したりします 観音法門修行者は 飲酒も 酩酊もせず いつも穏健です 彼らが何をしようと 他者を傷つけません 泥酔して 帰宅して 配偶者や子供達や ペットに暴力を 振るったりしません ですから私達 観音法門修行者は 本当にとても 良い人々なのです 社会に対して良い事を する前から 彼らは 既に非常に良いのです 分かりますか 全ての人が良くなれば 社会は自然に 利益を受け 進歩します 大袈裟な事を言ったり 大層な論説を書いたり 自分達がいかに 愛国的で偉大か どれだけ国を助け 隣人を愛し 慈悲深く同情的か 宣伝したりする 必要はないのです そうではありませんか 口先だけではなく 行動することによって 心に何があるか 示すべきです 戒律や慈悲の 教訓のほかに 修行仲間は戒律を よく守っているか 毎日常に自分自身を チェックしています これこそ私が弟子に 教えていることです また毎日の生活の中で 彼らを助ける 彼ら自身の至高の力を 見出すための 瞑想の仕方を教えます 仏陀は私達の内にいる 仏陀は 自らの心の中にいて 天の王国は内在し 神が私達の内に 宿ると聞きました ですから私は 内なる神や仏陀を 目覚めさせ 生活の世話をするため 出て来るように いかに神を招くか その方法を教えます それで物事は円滑で 戒律はよく守られます 内なる仏陀が 私達を助けるからです 私達は良い行いを 円滑に行います この内なる神が表れて 世話をするからです 混沌とした人の頭脳が 行うのではありません 修行仲間が進歩し 良き隣人として 彼らの国の非常に良い 市民として自分自身や 社会に利益を与え より良い人になるのは 不思議もありません ですから全ての国が 私達に観音法門の 弘法を許し 全員に一緒に 瞑想をさせれば その国は確実に 良くなると思います

観音法門はこんなにも 利益になる法門です 歓迎すべきです そうですね 本当の愛国者なら 何が国にとって 利益になるかを知り 歓迎すべきです 私達はその状況を待てませんし 今 人々は無料で 提供するため 扉の前まで来ています

この世界と 通じ合うのは 本当に難しいです

ではゆっくり行きます のんびりと 遅かれ早かれ 人々は 法門が良いものなら 「嗅ぎつけ」ます そうでしょう 彼らは望まなくても 嗅ぎつけるのです 例えば 時々私達は 香水をつけ他の人は つけませんが 彼らも 匂いを嗅げます 隠せないのです この香りを隠せる 方法はありません 私が五十名ほどの 出家者と在家の 弟子を連れて 中国本土に行った時 宣伝も何も していなかったのに それでも 人々は割り込んできて 私達に質問しました 私が剃髪した僧だから 質問をしたのでは ありませんでした 最初はそう思いました でも違いました ある日 私は普陀山の 寺を訪れました 普陀山は仏教の中で 非常に有名で過去に 訪れた事があったから

ただ楽しんでいました

普陀山へのフェリーで 座席の切符が 買えなかったので 八人の出家者と 私は階段の所で じっとしていました 暗い隅に座ったのです そこに座って 何もしてませんでした この様にただ座って しばらくすると まあ フェリーに乗っていてフェリーはこうでした 窓がありました ええ ガラス窓です 階段はボートの 壁際でした 私達はそこにいました 階段を使ったり 窓際を通る人々は 私達を 見ることが出来ました 退屈だったので私は 座って瞑想してました しばらくして私は突然 目が覚め人々が私達を 取り囲んで凝視して いたのに気付きました 窓の外の人々もまた 鼻をガラスに くっつけて私達を 見つめていました 人々の長い列が私達を見つめながら 階段に 立っていました 私達は人々に 取り囲まれました 全ての窓から何十もの 目が覗いていました

彼らは私達を親し気に そして敬意を込めて 見ていました 私はむしろ恥ずかしく 「何を見ているの」 と尋ねました 彼は「尊敬するので あなたを見ます」と 私は「皆さん 僧侶を尊敬します」と 私は自分の考えを言い 「百人以上の 僧侶が上にいます

登って彼らを見て」 偶然に 台南からの百五十名の

僧侶も普陀山に 巡礼に来ていました 私は彼らに僧侶を 見に行くよう勧めても 彼らは動かないで 私達を見つめました 私達がどれほど特別か 分かりませんでした

私が特別な服を着て いたから 彼らが私を 見たのではありません 違います 私は同じ服を着ていて それでも私を見つめて 私は不思議でした 私達が出家者だからと 思って それで彼らが その一五〇名の 出家者にも同様に 対応するのかどうか 確認しに登りました いいえ 彼らの一群は あちこち座っていても 誰も彼らに注意を 払いませんでした 人々はまるで彼らを 一瞥さえしないように 周りに立ちました 彼らはただ私達を見て 多くの事を聞きました 騒動を心配して 私は弟子に言いました 「あなた達は皆 どこかに行きなさい 彼らが質問したら 他のどこかで話して 私の近くで話さないで ここ 私の側で 本を 配布したり何かを 言ってはいけません 少し休ませて下さい」 そして帽子ですっかり 覆って眠りました しばらくして 覗き見 するために私は帽子を 持ち上げましたが  人々はまだ見てました

私達がどこに行っても 人々は私達を「嗅ぎ つける」ので 宣伝する 必要はありません 意味が分りますか 霊修行者は 人々を引き付ける 特別なオーラを 発しています したがって 観音法門修行者は 本当に突然  あなたの周りに大勢の 人が集まりますか 以前とは違います 人々は来てあなたに 何か尋ねるのが好きで 時々彼らは 何を尋ねるべきか 分らないので ただ 近くに来たいのです 本当の 霊修行者は まるで 開花して  自然に香りを発する 花のようです それは隠すことが できません ある霊修行者は 光を放ちます 彼らはそれを隠したい のにできません 彼らは故意ではなく 自然に光を放ちます そしてそれは 隠すことができません ちょうど誰かが恋を しているようで誰でも それに気が付きます 隠すことはできません そうでしょう

私達が修行してるのを 人々が知らないことを 心配しないで下さい ただ自分が修行しない ことだけ心配しなさい なぜなら 誰でも いいか悪いかを問わず 彼らの内面には 偉大な智慧があります 私達も同じです 彼らの内面の 偉大な智慧は 私達の偉大な智慧の 香りに気づきます 彼らの心 彼らの 良し悪し 人間の習慣 ではありません 彼らの習慣は 彼らの内面の智慧とは 無関係です この内面の智慧は 永遠に存在します 永遠に純粋で 清浄で 常に強力です それは不潔なゴミの 山に埋もれた ダイヤのようです それを掘り出すと 再び輝きます それは汚染されません 私達の霊修行の目的は 自分の内面の この通常の品性を 取り戻すためです 私達は仏陀の心 この偉大な智慧で 他人を待遇すべきです するとうまくいかない ことは何もありません なぜなら何であれ 彼らの偉大な智慧は 騙せないからです 彼らの人間の心しか 騙せないのです 彼らの仏陀の心や 内面の神を騙すことは できません 従って私達は修行して 自分の内面の天国 自分の内面の神 内面の仏陀を 見付けた後はじめて 神や天人のように 仏陀の心で 人々に待遇できます 天国の衆生が 互いに待遇する方法で 他人に待遇することが できれば 世界は変わります それでたとえあなたが 仏土や天国に行きたく なくて この世界に 留まりたいと 言ったとしたら 私は同意します しかし 悟りを得るためには なお観音法門を修める 必要があります それでも瞑想し戒律を 守る必要があります 自分の行動 言葉 考えをチェックする 必要があります 自分の頭脳と精神を 浄化し  地球をより美しくする 必要があります そうすれば 私達は よりよく生きられ 私達の子孫は私達の 残したものが楽しめ そうでなければ 私達は自分の子供達に 無責任になります 本当に良い両親では ありません なぜなら知っての通り 人の生活はお金だけに 頼るのではなく 感情と雰囲気 平和の国家と 平和の雰囲気にも 頼ります 生きるために愛を頼り 私達は子供達のために この愛を後世に 残すべきです 私達は子孫に 調和を伝えなければ なりません その時初めて本当に 良い父母であり本当に この地球を愛します 私はあなたが天国に 戻るか 仏土を切望 することは教えません それを望む必要は ありません 現世を浄化するだけで 結構です それこそある宗教が 人道は天道であると いう理由です これも正しく 私も同意します 私たちが完璧に 人間の生活を送ると  ここが天国になります 私たちが皆 義務を果たさず 身口意の浄化と 地球の雰囲気をが 浄化できないなら  私達はどんな政府  どんな「主義」雰囲気も 非難できません 私たちは多少なりとも 責任があるからです 私達は皆 地球の状態に責任が あります 私達は 誰も非難できません 時々 私達は誰も知覚 しないと思う多少の 悪い考えを持ちますが  それにはエネルギーが あります 私達の 考えには力があります 私達は皆 誰かと 口ゲンカをした後 雰囲気が非常に 不愉快だと分かります 私達は彼を見たくも ありません 彼により近づけば 雰囲気は異なります それは耐え難いのです これは「悪い雰囲気」と 呼ばれます 悪い雰囲気には エネルギーがあります その瞬間に 彼の考えは 私達の 考えと合いません この不幸な雰囲気は 本当に人々を圧迫する そうでしょう 「私は耐えられません この雰囲気は重いので 圧力はとても 重いです」と言います

私の結論は あなたが天国か仏土に 行きたいのか ただこの世界に留まり たいかに関わらず 皆が霊修行をし 瞑想すべきです 毎日 観音法門を 修行します それは 内在の天の王国と 繋がることを 意味します その時 適切に世事に 対処できます 私達はそれでも戒律を 厳格に守り 他人を 思いやるべきです しかし これら全て 戒律 慈悲 他人を 大切にすること 私達の行動 言葉 考えを点検することは 悟りを開いた後に  追求されるべきです その前に 話しても無駄です 実行はとても至難です 私達が開悟した後は 記憶は増加するし 何をすべきか  何をすべきでないかを 知るでしょう そうしてこそ私達は 本当に知ります 悟りを開く以前は

沢山の事をしましたが 殆ど達成しません 心が乱れて 私達がしたかった事に 集中することが できなかったからです 善い行いを完全に することもできず 悪行はさらに 悪くなりました

マスター 彼の最初の質問です 神と仏陀の違いは 何ですか  神とは創造主です 仏陀とは悟りを開いた マスターの意味です しかし  究極の仏陀は神です この仏陀がここに より小さい仏陀を送り ある時はインドに 釈迦牟尼仏陀 私達が 仏陀と呼ぶ人です ギリシャに送った時は ソクラテスと呼びます ユダヤ人に送られて イエスキリストと 呼びました 彼らは皆 私たちが神 または大仏陀 仏陀を生んだ 無上の母と呼ぶ 究極の仏陀によって 送られました

マスター この頃の世界は 災難でいっぱいです 彼は知りたいのです 楽園はいつ本当に この世に現れますか 私は既に方法を 皆に言いました 私達は自分から 始めるべきです それから私達の隣人に 影響を及ぼせるのです 私達の上品な生き方を 観察することによって 彼らはそれに関して 尋ね 従います 従って私達は彼らに この平和の方法を 教える機会があります 観音法門の修行のため ただ私に従って下さい 毎日 私達の智慧を発見し 内面の神または 仏陀を目覚めさせて 私たちを助け 私達の身口意を検査し 戒律を観察します そうして世界は 平和になるでしょう 尋ねる必要もなく 平和は明日 やって来るでしょう 皆が私が言ったように するなら 直ちに 平和になるでしょう 私は正しいですか 誰もそうしません 皆は人が最初にそれを するのを待っています 「そうねぇ あなたが 先ずそれをしなさい」 最初に唯それをします 隣人は気付くでしょう 誰もそれをしない時 私達がすべきです 多ければより良いです 人が多いほど良いです 早ければより良いです それはとても緊急です あなたはまだ尋ねます 観音法門は 仏陀の名前を唱える 浄土宗の法門ですか 含まれています 観音法門を 修行すれば 簡単に 仏陀 阿弥陀仏 観音菩薩と 浄土を 見ることができます だから内包されてます 観音法門は全ての 法門を網羅しています カトリック教 道教 仏教と他の全ての 法門を網羅しています 観音法門を修行すると あなたの宗教で 求めている 天国を観ることが 出来るからです 阿弥陀仏の世界が 好きなら 観音法門を 通じて そこへ 到達できます イエスキリスト 聖母 マリアと天国を愛して いるなら それらを  見ることができ 接触が出来ます グルナナク  クリシュナ  ムハンマド こういう マスターにも会えます 釈迦牟尼仏 あるいは 観音菩薩が好きなら 直接コンタクトを 取ることが出来ます 観音法門は全ての 衆生のニーズを網羅し 満足させることが 出来ます 「普門」という 法門です 全てを 実現させ 満足させる ことが出来ます 最高の法門だという 理由はここにあります もう一つの質問です 観音法門を通じて 解脱以外に 神通力を得ることも 出来ますか はい 出来ます しかし私は神通力を 求めないように 助言しますが それは人々を束縛する からで 子供が玩具に 縛り付けられるように 何も偉くはありません 分かりますか 私達は人を助けようと して 解脱を得て 私達が誰なのかを知り 宇宙のために なりたいのです 神通力で 遊ぶのではありません このような力は沢山 ありますが あなたを 面倒に巻き込みます 彼は密教で言う 「この肉体で 成仏する」という 言い方に対する マスターの見方を 知りたいと言ってます

この人生で成仏する ことでしょう 密教では いつも この人生で 仏陀に到達することを 言っています こういう方法があると 賛同します 観音法門は私達を 今世で仏陀に 到達させられます 密教はどんな法門を 修行しているかは 知りません 彼らが観音法門を 修行していれば  確実に今世で 仏陀になれます

九月十一日を追悼し 二〇〇一年 九月十一日の悲劇の 七回目の記念日に 多くの教会 大学と他の団体が 一同に会し 命を失った 三千人をたたえ 三千人をたたえ 祈りが捧げられました

ニューヨークでは 追悼式が 黙とうの時間として 開催されました