スプリームマスター チンハイ 真理を求める全ての 衆生に悟りを開いた マスターの生きた 経典としての講義 「阿修羅の衆生」を お届けするのを 承諾頂きまして 心から感謝します これらの縁ある者が 苦海から解放され 阿修羅界まで 上昇することを お祈り致します

人生が終わるとき 私は死を見つける おお持って行くものに 何を選ぶだろうか 陰が私を飛び越える時 私の旅が始まる おお持って行くものに 何を選ぶだろう 名声と富は 持って行けない 愛する仲間を 持って行けない 家や庭は 持って行けない 城や峡谷は 持って行けない

生と死の話題は 地球それ自体と 同じぐらい古く でもこれは人間が 存在する どの瞬間にも 直面している ことなのです ほとんどの人は話題を 無視し  この世界を 去る時その時を 思い出さないようにと 願っています まさに「今後」または 「来世」の概念は 人々の根拠の無い 論争を刺激します 人間には一つの人生 しかないと信じる人と 物質的な人生は はかなくて 本当の人生だけが それを超えて存在する のを信じる人がいます たとえお葬式でさえ 違った一族や人種の 死後の信念によって 変わるのです

愛する人の 死に対して 嘆き悲しむものや パーティーや音楽で 祝福するものもあり 彼らの信仰での死とは 戻ることで旅立ちでは ないからです 死体を土葬する 宗教もあります 海に死体を流す 宗教もあり 火葬する宗教もあり 防腐する宗教もある 仲間がハゲワシが 消費するために死者を 捨てる種族がいます なぜならば 土葬すると 体が腐って ウジでいっぱいに なるというのが 彼らの信仰です ある地域では 愛する人の死体を 食べることがあります

彼らの信仰によると 愛する人の肉と骨が 永遠に 彼らの体の中に 残るからです 実際 人生ははかなく 肉体は単なる外側の 衣服に過ぎません 私達がこの世界から 旅立つ時 体は腐ります でも魂はどうですか 死が全てを終わらせる のは真実ではなく 魂は違う世界へと 運ばれ 他の意識レベルへと 移行するのです 神や仏陀の光に 満ちた場所に 解脱した人は 生死の輪廻から 逃がれられるのです 一方  地獄や阿修羅界の 暗い地域に 沈む人もいます

それでカルマ(報い)の ために地球に戻って カルマの負債を 返す人も 中にはいます 本日はスプリーム マスターチンハイの 言葉の智慧を ご拝聴頂き皆様が心を 開くようお招きします 皆様が生死 霊修行の意味を 完全に理解し そして真偽の 区別をして  最終的に 生死の輪廻から 解脱しますように お祈り致します

死の暗い 高速道路を ぶらつくとき 私の魂の 隣には何もない 使い古した人生の スクラップブックを 最後に見るとき 私の魂には何も 隠すことがない

それではスプリーム マスターチンハイの 講義からの 抜粋をご覧下さい 題して 「阿修羅の衆生」 一九八七年三月十三日 フォルモサ(台湾) 台北にて

この講義は スプリームマスター チンハイが一般との 活動を始めた初期に 収録されました 従って音質は 現在の収録基準を 満たさないことも ございます ご理解頂きますよう お願い致します フォルモサ(台湾) だけでなく 私がドイツに居たとき そのような状況を 経験した 沢山の人々に 逢ったことがあります 真のマスターに 従ってない人々で 彼らには内面の音が 四六時中聞こえ 本物の素晴らしい 超世界の音ではなく うるさい会話で 彼らを寝たり食べたり させないように するのです

彼らが聞きすぎると 疲れてきて 寝ることができません 精神的な問題を 起こすこともあります 実際 神秘的なことは なにもありません 阿修羅の衆生は 沢山います 彼らが何か 知っていますか 死んだ後 大きな 功徳がないと 天国には行けず 天の衆生や菩薩に なれません 大きな功徳を 持っている者だけが 菩薩になれ 数少ない者だけが 仏陀に到達できます しかしこれは今日の 話題ではありません そんなに福報が ない人でも 重大な罪を 犯していない人は 死後 地獄に行くか  幽霊としてうろつき 家ではない所を 走り回ります 

彼らは悪霊には なりません その代わり 彼らは 阿修羅の衆生になり 阿修羅界に住み そこは地球に最も近く 天国はやや上です 阿修羅界は 二つのレベルに分かれ 最初のは 地獄 もう一つ高いのは 天国なのです しかし天国と地獄は どちらも多少なりとも 同じです 両方とも 阿修羅界だからです 地獄にいる人は 自由がなく 刑務所の 囚人のようですが 天国は自由を 楽しみ 望む場所に 行ったり来たり することができます 彼らには神通力が ありますが 

争いや 他をからかうことや 人々に厄介を もたらすことが 好きなのです 人々にあれこれ するように言えますが 本当は 時にただ 人々をもてあそんで 楽しんでいるだけで 傷つける意味は ありません ある人々は より繊細です 彼らの魂は より繊細です 誰にでも魂 つまり 真我があります 時に 魂が出て 身体だけを 残したとき 阿修羅の衆生が  しばらくその体に住み 恐らくそれは何か 俗世の悪いことや 楽しいことを しようとする 意図があるのです

時に 人の肉体は 沢山のこのような 衆生に占領される ことがあるのです それを悪霊に憑かれた といいます 彼のものではない 様々な声で彼が話して いるのを聞けます 時にそれを言いたく ないことがありますが 彼は口を制御する ことができないのです 彼は色んな 声を発します その時は 沢山の阿修羅の衆生が 彼の体を借りて やりたい放題 やっていますが 彼は それを抑制できません 中には わりといい 阿修羅もいて その人としばらく 遊んでから 離れて行きます それで問題ありません

しかしある阿修羅は とても貪欲で 人間の体を使って いつまでも 自分のものにしたがり 出ていきません

人が空き家に入って 住み着き 追い出しても 出て行かないのと 同じです 独占欲が強いのです 敏感な魂の持ち主や 正しくない修行法を 学ぶ人 または よいマスターについて いない人 保護して くれる力のない人は 阿修羅の衆生が 入り易いのです 入られても それに気がつきません 時々耳元で話している 声が聞こえますが 誰も見えません 時々見ることも あります あなたがどれだけ 敏感かによります 幽霊と魔を見ることが 出来る人は 阿修羅の衆生が 見えますが

阿修羅の衆生が 来るときは 自分達の 本当の姿を見せません 彼らにも神通力が あるのです 彼らは自分達が 神聖に見えるよう 化けることができます 例えば釈迦牟尼仏や 阿弥陀仏に化けます 私の姿に化ける ことさえできます けれども 真のマスターに従って 修行する人は すぐにそれの真偽を 見抜くことができます 例えば 阿修羅の衆生が 光輝く私の姿に化けて 「私はマスターの 化身であなたと話して いる」と言ったと します 私の弟子なら すぐ見分けられます でも私について 修行していない人や 開悟したマスターの 指導のない人は 騙されて 彼らの化けた 姿を本物と信じ 本当の阿弥陀仏 仏陀 イエスキリスト 観音菩薩や他の 仏陀だと思います 本当に仏陀を見たと 思い込み 彼らをとても尊敬し 彼の前で 平伏します

そして彼らの 言いなりになります 彼らはめちゃくちゃに させます そして他の人達に 印心を与えなさいとか いろんな手まねを させて 人は興奮して 飛び回ったりします または耳元で いろんな事をするよう 指示します いずれも 無意味なことです それら偽物の仏陀でも 預言することが ありますが ほとんどの場合 間違っています 例えば 明日何かが起こると 預言しますが 起こりません ほとんど間違ってます そのうちの1%は 当たることもあります それらの幽霊が 私達に近寄る時 真の修行者は 見抜くことができます

しかし修行していない 人には分かりません 阿修羅の衆生に 入られた場合 または 暫くの間占められた時 彼らは私達にいろんな 事をさせケンカさせる ことさえもあります 八カ月前 私がドイツにいた時 ある寺院に 泊まっていました あるオゥラック (ベトナム)の婦人が ずっとその種の声に 騒がれていました 彼らは 彼女に いろんな事をさせます それらの霊は 彼女に 息子やお嫁さんは 彼女が病気の時 ちゃんと世話して いないなどと言います 実は事実ではないです

問題を作って ケンカさせたいのです しまいには 彼女に 職場に行きケンカする ように そそのかし ナイフを持って相手を 追っかけて殺すように そそのかしました 彼女は殺人には 至りませんでしたが いつも騒ぎを起こし 結局仕事を失いました 家にいても 穏やかにはなりません 彼女は 息子や お嫁さんが 好きではないため いつも彼らと ケンカをします 彼女は皆を疑います

彼女が皆を疑うのは 阿修羅の衆生が彼女に 誰々さんは あなたのことを 悪く思っていると言い これから五分後 彼女を襲ってくるとか 二時間後にやっつけに 来る と言います 魔に取り付かれた 女性は それを信じ その人とケンカします それはまったく事実で ないにもかかわらず そうします それらの霊は 人がケンカするのを 楽しむ者たちです 阿修羅の衆生は 好戦的な本質で 生前 好戦的な人は 死後阿修羅の世界に行きますが 引き続き好戦的な 性質も持ち続けてます

それで阿修羅の衆生は 敏感な人や すぐ人を信じる 人を利用して 互いにケンカさせてはそばで笑って 楽しんでいます 彼らは経の話もでき 彼の前に平伏するよう人に要求します それらしき事を 言います というのは 彼らは前に習った ことが あるからです 人間も習えるものです 彼らも当然できます 彼らは先に行って 経の講義を聴いて それを人に繰返します そして聴衆に 自分達を崇拝し 供養させます また結婚した人に 沢山の妻を めとらせます 自分が 女性が好きで 好色だからです

彼らには肉体が ないので世俗のことを 楽しめません そこで 魔に取り付かれた人に たくさんの女性と 関係を持たせ 肉を食べさせたり などしています 彼らは肉体がないので それで人の体を借りて 好きな事を楽しみます 気をつけないと こういうことが よく起こって トラブルを起こします

それらの阿修羅は 自分が仏菩薩であると 信じさせるのです もともと 私達人間は 判断力を持っていて 疑ったりします なぜ仏陀が こんなことを 楽しむのかと 仏陀や菩薩は 最も智慧に満ち 慈悲深く尊い存在の はずなのに なぜ 沢山の妻を欲しがり 肉と酒を欲しがるの だろうと 疑うのですなぜだろうと疑います しかし 阿修羅の衆生が 私達の体を使って 沢山話し それで 私達は信じるのです いったん彼らに 制御されたら 逃げることはできず 言いなりになります そして私達は 主権を失って ますます弱くなり 能力もなくなり すべて彼らに 頼ることになります

自分というものが 存在しないのと同じで 後には私達も阿修羅の 衆生になります 私達の主人が 体にいなければ 体は何の役にも 立ちません 「マスター」 または 魂 自我 智慧 つまり 「真我」のことです 「真我」「魂」 が 体にいなければ 体は何の役にも立たず 阿修羅の衆生の 道具になります この世界には 沢山の阿修羅と幽霊と 魔で満ちています 目に見える人は 皆が 人間とは限りません 見分けがつかないです 智慧眼が 開いていないからです それを見た場合 怖くなるかも しれません  その人は人間では ないことが 分かったからです もちろん阿修羅の 衆生はいくらかの 神通力があります 彼らは私達に天眼の 力を貸してくれます

彼らには肉体がなく だから私達より 自由です 自由に速く 飛ぶことができます 彼らには無形の 衆生が見えます というのは彼ら自身 無形だからです 時には 人の心が読めて その人が 何を考えているか 当てることもできます これは何でもないです いつか彼らが離れたら 私達は 前と同じで 何も知らず もっと愚かになり 前よりもっと弱く なるだけです なぜなら私達は 自分の体の使い方を 忘れたからです 阿修羅が私達の体を 使っていた時は私達の 魂を退けたのです 私達はまるで 死人と同じになります 魂は横に立って すべてを分っていても 手を出せません 体は彼らに 統制されたからです 私がさっき言った ように 多くの人は 魔に翻弄されています なぜなら彼らは繊細で 無知だからです

阿修羅の衆生に 利用されやすいのです 利用されやすいのです もう一つの場合は 修行者でも 良い法門の保護がなく 彼らを導ける 良いマスターの 指導がないか または 修行の動機が 純粋でなく 早く目的に達したいと 焦せったり 神通力や 大きなパワーを 求める場合です 彼らの目的は 神通力を得ることで 有名になり人に 崇拝されることです この場合 阿修羅の衆生は喜んで 彼らの体に入ります そして超自然の パワーを見せたりして 信じさせます

そしてこう言います 「私は仏菩薩だ 天界のどこそこから 来ている あなたが真理のために 修行しているのを見て 訪れてきた」と 彼らも経の話ができ いろんな事を教えたり 偽の境界に人を連れて 行き 面白がります 例えば 偽物の 極楽世界などです 阿修羅の衆生は 想像力があり 思うことは何でも 目の前に現れます 福報が多い 阿修羅の衆生ほど 神通力が大きいのです 彼らはごく一部の 極楽世界を模倣しては 人にそれを見せて 面白がっています 一般の人は 本当の極楽世界を 見たことがないので それが本物かどうか 分りません

これは 酒に酔って 催眠術に かかったのと同じで 人の言うことは 何でも同意し 智慧と 判断する明晰な 頭脳がありません 自分が見たのは 本当の仏陀かどうか 分からず 彼らの前に 平伏します 私達は遠くにいて 彼に近づくことすら できません 偽物の仏陀は あなたはもう仏陀に なった あなたには 人を教え導く 使命があるなどと言い 方法を教えては それを皆に教えるよう 指示します だから今多くの いわゆるマスターが いるわけです 人はそれを学んで 感応する事もあります

跳ね回ったり 揺れたり 手まねを するなど または 耳元で話し声が聞こえ 明日 明後日 何かが起こるなどと 預言したりします 阿修羅の衆生が病気を 治すこともありますが ごく一部の病気です 彼らの力は 限られているからです 信じれば信じるほど 彼らの言うことを よく聞くようになり 時には阿修羅の衆生はUFOつまり 宇宙船を作り出して 一人か二人 中にガイドをつけて 人を乗せて回り 面白がります 私達は本物のUFOに乗った 天国から来た 人だと思います

実は楽しみのために 私達をどこかに連れて でもそれらの場所は皆 阿修羅の世界です 阿修羅の世界も 大変美しいので 私達は天国に または 永遠の涅槃(最高の 天国)に来たと 錯覚します とても美しく 本物と 見分けがつきません 彼らの世界は 私達の世界より百倍も 美しく 女性達も とても美しいです 従って真のマスターの 案内がなければ 道に迷ってしまいます 自分でそこに 行ったか 阿修羅が連れて 行ったかに関らず そこが本当に 素敵な世界だと感じ 彼らを信じるとしたら 死ぬ時彼らが 来て連れていきます 生前何の福報も 積んでいない人は 死ぬとすぐ地獄に落る

少し福報のある人は 「一流の地獄」に行き 即ち 阿修羅の世界の 天国です 「二流の地獄」は 本当の地獄です 両方とも地獄です 阿修羅の 世界だからです 阿修羅の世界でも 長く生きることが できます 千年 二 三千年 数百万年 生きる人もいます あるいは百万年です 問題ありません そこが最高の 永遠に存続する世界で  西方浄土だと 感じさせます 更に高い境界がある ことを知りません