私達の生涯の初めに 全人生の初めに 私達には 選択肢があります 内在の声が言います 「こちらが最良これは 良い これはだめ」と でも時に私達は 遊びたく思い 両親が 教えた通りに従いたく ないと思う子供たちの ようで自分自身を 傷つけたりします それが問題です 時に 両親は言います 「火から離れなさい ここで遊ばないで そこで遊ばないで」と でも私達は好奇心から それをしてしまいます いいでしょう 神は 私達を学ばせます 厳格な方法で容易な 方法で私達次第です 従って幾らかの人々は 神聖で健全なままです

でもしばらくの間 道に迷う人々も またいるのです 彼らは結果に 苦しみます そしてそこから 目覚めてその苦しみを 通じてですね 再び健全に戻ります 正しい方向に向きを 変えられるのです 従って 時々 人々が 苦しみもまた形を 変えた神の恩恵である という事は 正しいといえます でなければ常に私達が 幸せで全てを人生で 持ち合わせ 順調ならば 感謝もせず 神の意志を聞こうとは思いません 本当にそうです

いいでしょう ここに 今 リーダーズ ダイジェストを思出し 今朝 六階の高さの 井戸に落ちた ある少年の話も 読みました 中は水がなく泥でした 彼は全智慧を使い 彼は全智慧を使い 再び上へ戻るために 力を使いました 誰も彼を助けてくれず 事件の後 彼は全てに おいて彼の生活に どれほど感謝したか 清潔なベッドのシーツ 兄弟姉妹 彼の家の前の花々 美味しい 食事などについて なぜなら彼はそこに 六日間も留まり 全てが泥水だらけの 所だったからです

生き延びるために 汚い泥水を飲みました 井戸のコンクリートの 壁を掘り つま先で 上って出るのに 六日間もかかりました 彼がいかに 全てに感謝したことか 食事もおいしく 衛生的な環境も清潔な ベッドのシーツも 私と同じ 私は海の 近くで育ちました ええ オゥラック (ベトナム)の国境線に 長い海岸線があります 私は一度も海水を 大したことだと 考えた事はありません そして私はここに来て 私は常に家にこもって ばかりです 実際 私は海のために来た わけではありません

時には私は海岸を 歩きます 幾らか運動のために 薬は私を緩慢に させますから 一日中眠れません それで私はスタッフの 一人と海岸へ行き 何人かの人々がただ 海岸に座っている所を 見ました 子供達 犬 猫も 家族一緒にです ただ海を見つめていて とても魅了され陶酔 していました それで スタッフに「彼らは 何をしてるの」と聞き 彼は「ええ 生涯で 一度も海を見たことが ない人々もいます」と 彼は言いました 例えば中国のように 彼は中国人でした 「大きな中国大陸で 生まれ非常に奥地に 住む人々は 彼らの生涯で 海を見たことが ありません これ程大きな水の 集合体を知りません

私は「まあ本当に そんなことがあるの」 私はかつて海に感謝 した事はありません 海の近くで生まれ常に 人生の中で海を見て きたからです 私の名 さえ「海」がつきます それは大した事でなく 当然と思っていました でも今気がつきました 多くのお金を苦労して 節約して 支払いをする 人々がいるのです ハワイへ行くために 例えばですが ただ海を見るために 彼らは生涯一度も海を 見た事も たぶん再び 見ることもないのです これほど大きな水塊は 彼らにとって 驚きに違いないです

彼らはそこに一日中 座って見つめています そのお金に見合います そしてそれは時に 恐らく 苦しみの影響です 苦難の間 私達はより 内面に向かい 私達は更に祈ります その時私達はそれが 何であれそこに何かが あるのを知ります それに頼るべきである ということを またノストラダムスも 言いました 恐らく多くの災害が やって来る 時期があり 今世紀の前に 多くの災害 問題が起き 以前は 全く神を信じなかった 人々さえ 神や聖人に 祈り始めるように なるだろうと そう彼は言いました

おそらく そういう事なのです 神は私達を助けようと 私達の心を全ての 恩恵の源 永遠の命に 戻そうとします たとえあなたの生命が 終わっても心配無用 何も失いません 私は既に言いましたが 人生はジョークです 私達はその辺で遊ぶ様 設置され何でも私達の 興味があり学びたい ことを学ぶのです それにうんざりした時 神が助けるでしょう 神が地球を 壊したとしても 私達は心配無用です 当然地球を救うように 努めます 美しい惑星 今現在私達が持つ 唯一のものです でも神がそれをすべき 時は関係ありません

そこには沢山あり 宇宙は広大です 私達は多くの惑星に 行け 放浪できます 心配ありません でも善良でいて下さい でなければ私達には 特権さえありません それが問題です たとえ神が非常に 中立的だとして 男女もなく 善悪もなく 批判もなくても 私達が物事を行った それ自体の結果です 意味が分かりますか とにかく両親が私達を 愛するように 私達が 悪くも良くても 彼らの愛は絶えません でも私達が 悪事を行えば両親は それにより警告します 私達自身の身の上に 傷害をもたらします 時に災害を引き起こし 時に傷害を 時に破壊を 私達の美に対してです

しかしそれでも 後に私達が損害を 受けても両親は私達を 愛するでしょう 彼らは更に私達を 愛しますがそのことは 助けになりません その愛は死にませんが 自身で破壊します それだけが問題です 従ってただ私達は 善良でいるべきで 高潔で神のようでいて 自身の恩恵となるため 神に近くなれるのです 神は私達を愛します 私達が何をしても 関係ありません 彼らは私達を愛します いいですか ただ私は皆さんに 自身の恩恵のために 善良でいてと教えます ではここに 記事があります 13ページです 13 皆に見てもらいたい 記事です

いいえ 女性は記事を 見たいのです 13「女性は何がより 良くできるか」ほらね 九四年四月版 これは今年のなのに とても破れていて 昨年のと思いましたが はい ここを見て 女性は何が得意か 女性の方が言語を 上手く習得できます 女性は 男性より器用です ただ見出しを読みます 皆さんが読みたいなら 買って下さい 女性はより社交的で 才能があり笑いがあり 快活などです ええ 女性は指導するために 生まれている でしょ 女性が指導者である 時代はより良いと 言われています 彼らは他の人々の 最良な点を認めるよう 奨励します

彼らの最高の部分を 引き出すのです そして男性の殆どは 支配的で他の人々に 従属させていると 感じさせます ここはそういう事です いいですか 更には スポーツにおいては 女性は水泳が得意です 冗談です 唯一 女性が一九七八年 イギリス海峡を泳ぎ ええ男性はあえて そこで泳ぎません ええ私は「作り話」か 何か自作はしてない です 読むことができますよ はい 他にありますか マスター 質問があります 私が聞いた幾つかの 質問に対して  話が終わったかと 思いますが 質問があります 今 沢山の人が 現れています あなたがマスターと 人々に認められてからですが

マザーミラのように マスターのような グルがいて 開悟した 人がいます あなたの 弟子は「スプリーム マスター」と呼び それを理解したいと 思います 観音瞑想に ついて一カ月前に 私にメッセージが 届いたからです それは今までに 聞いた事がありません それについて 何も知りませんでした ここに呼ばれて 今日いるのです 違うマスターから どう離れたのか まだ理解できません 私達の誰かもマスター になれて 知らないか それを使わずにですか もっと理解したいです 「スプリームマスター」 の意味は何か または 特別な何かを 学べるから特定の 人々が一人の マスターに引き付け られるのですか

多くの人はビジョンの 中で信じています 瞑想をする時  マスターが何かと 知っているのです 私は介入できません いいですね なので彼らの好きな ように 私は呼ばれ あなたが好きなように 私を呼んで下さい いいですね そして スプリームマスターは 私達皆がそうです ただ自覚していないか ひどく厄介な仕事を するために呼ばないか 幸せになるべきです 呼ばれたら 逃られませんからね 遅かれ早かれ 現れねばなりません 意思に反してもです いいですね ノストラダムスを 信じてる人がいます

例えば マスターを 探す方法  内面で彼はこう 説明したからです 世界の救い主は 何か 何なのか 何なのか それを図る印が 幾つかあります 沢山いるからです でも全てのマスターは 良い人ですね 例えば教育分野にいる 先生は皆 良い人です 一人が一つの事を教え 他の人は他のことを 教えます 私達は 皆を尊敬すべきで 誰であれ確実に感じ 魅力的に感じ 最愛を感じる 人から学ぶのです いいですね 私の答えに 満足しましたか(はい) 良かった 

ありがとうございます ここにいられて嬉しく 光栄です 私もですよ ありがとうございます 何年も瞑想をして 私は 絶望的な状況に いる感じがします 近づいている地点が あることが分かり 内面で開悟している のが分かります 頭では大きなことだと 分かっていますが 感情的に感じてません 私はまだ 奮闘していてテレビで あなたのビデオを 見た時 あなたは皆に 戻ると言いました 「私が 開悟を 光と音を皆さんに 与えます」と言い だから私はここに いるのです (はい) 他の質問は私にとって 無意味です

光で 救ってくださいますか 音で救って 下さるのですか 私が開悟したり 私の内面で 知っている所に 連れて行けますか 私の目標は あなたが 言うように「そこで 生きている」ことです このことで 「有難う」と言います 問題ありません だから私はいるのです 明日の朝 時間があるなら ここで印心を 行えます 人生は重要ではないと 言いました 重要ではないですか 説明してくれますか いつですか ただすべてのことを 説明して下さい 私達は人生を体験し 大した事ではないです 人生で何も変わらない ことが 大きな事です

人生は冗談ですか 前にも言いましたね 今夜です たぶん  私は誤解をしました いいえ 違います あなたは完全に 理解してないだけです 私が言いたいのは これは物質的な人生で 短く 病気 苦痛 悲惨に満ちていて 不満でいっぱいです 本当に重要では ありません  この後の人生と 比べたらです 分かりますか 本当の人生は 陰がありません そういうことです しかし もちろん この人生で生きてる 限り大事にするのです 私はその男性に そう言ったのです 彼の命は戒律より 重要なのです それで分かるべきです 一つの言葉に しがみつかず 執着しないことです

命はある限り 重要なのです ないのなら 問題ありません まだ良い人生があるが それはより良い人生の 準備をしていたらです 様々な人生があり 瞑想をしたり 神と近くなったり より良くなります この命を 活用するべきです それが終わりです 分かりましたか すっきりしましたか まだしませんか はい 分かりました 良いです 私達の命は  神を見つけるまで 重要なのです そうでなければ 無であり 生まれて 死んで 誰も気にせず 何も成し遂げてません この命を使えず この物質的な命で 神を知らなかったら 本当に無駄です また命を得ることが できるか分からず 同じ人生で 物質的な 命かも分かりません だから  命は貴重なのです でなければ無です 誰かが生まれ 誰かが 死にます それは 数十年の生涯です それは無駄です 沢山の苦痛を経験し 多くを辛抱して それは本当に無駄です 満足していますか 全て順調ですか 必要な事を全て 聞いて下さい  軽くなって 消化して 帰って下さい

マスター これまでかなりの間 一つ或いは別の理由で この衝動に駆られます いつも内面の問題の 処理法に満足しないと この衝動に駆られます 内面のです 剃髪したいという 衝動があります もう十分ショートです それで私は 修行をしていて 何も得られないという この記事を読みました 今夜私はまだこの 衝動に駆られています なぜならそれはある種 それから得ようとする 浄化だからです 尼僧ではなくても 弟子が剃髪するのを 賛成されますか

あなたの髪であり 私には何の権利はなく 私はあなたの髪に 特許権はありません あなたがきっと美しく 見えない以外はね あなたの責任ですよ したい事をして下さい 切ったり剃ったり (はい) 今私の髪は長いです あなたはショートです いいですね したい事をして それでしばらく あなたが幸せなら 前世で尼僧だったので そのサイクルに 戻りたいのです 構いません 必要ならして下さい すぐにまた伸びますよ 気にしないで つまり ある人々は  外見に 大変執着するので 私が剃髪しなかったり 黄色い袈裟を 着なかったら 彼らにはそれでは 神聖ではなく 決して 仏陀や神に達しないと 思っています これは切らねばという 執着です 髪ではなく 或いは 「髪ではない」ではない しばらくの間 本当に気分が良くなる なら切っていいです 構いません 私が切ったのは 単に人々の考えです いいです私はしました 赤い袈裟を着ました

ノストラダムスに 興味をお持ちなので 映画ノストラダムスの 生涯 があります かなり古くオーソン ウェルズの作品ですが かなり良いです

非常に細かくて 全ての四行連句に沿う 素晴らしい映画です ええ ありがとう 正確に製作したと 願います なぜなら ノストラダムスの 予言を解明した 人々ですら 私は占星術や そんな物にはあまり はまりませんでしたが 大変素晴らしい人です 本当にその名の 価値があります 大勢はそうでないです 良い千里眼を持ち 徳の高い人でも ありました 私は実際には 未来の知るべきことは ありませんが 彼は正確だったのです そして人々が 彼の事を話し 私に 本を貸してくれました 昔から彼の名を 知っていましたが

その類を読むことに はまりませんでした 興味ありませんでした 後になって 何もすることがなく ある少年がオゥラック (ベトナム)語の ノストラダムスの本を 貸してくれた為読んだ それだけです そうやって私は彼の 予言を知ったのです たとえ予言を 解明した人でも 既に起きた事を 正確に解明している だけなのです 彼らは知っています 「ああ なるほどね これとあれは」 そしてすべてを 絵に収めます でも起こりうることは でも起こりうることは まだ知らないので たとえ一行一行 訳しても なぜこのようなのかは 不思議なのです 分りますか

でも貴方が観音法門で 瞑想すれば それを読んだ時 私は 彼がまさに伝えた事は 自分だけの為に書いた かのように分かります 理解するのは 非常に簡単で私には よく分かります でも人々は彼が 意味するあれこれに 疑問を抱いています 「どうして」と 分かりますか 分かります 私は四行連句は大変 比喩的に書いていると 言おうとしていました それで時間が経ち 三度四度 解明しました おっしゃったように 解釈は時が経つにつれ より明確に より正確になりました (ええ) また殆ど後の祭りと なりました

ことが起きなかった 例えば 私は ここまで読みましたが 彼は二十世紀の 救世主まで 予言しましたし 全ては明らかです まるで鏡を見て いるかのようです 人々はまだそこにいて 不思議がります「誰だ どこに なぜ」 大変明確です それを読んだ オゥラック(ベトナム) 人には明白で まるで2+2=4 みたいにです でも本を書いた 本を編集した 人たちには まだ不思議です 確かだと思いません たとえ 例えば 多くの印が 失われているので 最近大変 有名なマスター十人を 一緒にしても誰だか まだ分かりません

ありがとう 幾つか質問があります 一つは「旅人の鍵」を お持ちですか 私はマスターが 「旅人の鍵」を渡された と信じています その理由は 私も霊的な団体に 属しているからです (ええ それで) 私が信じる人も 神秘的な旅人の鍵を

持っています そうなのですか 私は「即刻開悟の鍵」の 本に鍵があると 信じています あなたが話してるのは そのことですか (そうです)分りました でもこの鍵は お見せできません 私は扉を開けるだけで その鍵を見せることは できません それが私の質問の 明らかな答えです (そう) 別の質問ですが 印心者になる この印心とは何ですか あなたのおっしゃる 瞑想やビーガン食 すべての他のことは 別として 私達が学ぶべき 本もありますか (本ですか) 学ぶべき本は ありますか 実際に自分が読みたい 本を読む事ができます 私達が学ぶ 本は何かありますか いえあまりありません 弟子が私のどこかでの 講演を編集した 本はあります 興味があるなら それを読めますし 他のどんな読みたい 本も読めますよ 私の本或いは 他のマスターの本を 読むべきだなどと うるさくないです どんな本であれ あなたの霊修行に 栄養を与えるなら 選べますよ

分りました でも 課題図書はないのです いえ 私は不公平を するのは嫌いです 教理みたいに 課題図書の 教理みたいに (いえいえありません) それで私達は毎月 読む必要があるとか

好きな本なら良いとか 何もないです 全く 興味深いです なぜ邪魔するの いえ素晴らしいです 私達はそれらの本を 読むべきでだからです  それで私は 頭が痛いのですか (ええ事実)分りました

きっとあなたは既に 本を手渡しましたが 彼らは知らないのです 彼らのミスではなく あなたのミスです ずっと 幼稚園に 居続けたいなら 積み木などで 遊ばねばなりません そんなような事です 先生はあなたが そこから離れない限り 他に何も提供できない はい また別の異なる 境界があります

異なる境界があります でも私達は 結婚や そういった事に 注意しません では私達が印心者に なったら どの境界に 連れて行くのですか あなたの願いに よります (因果の境界)いいえ 私達が実際に行く所 連れて行って下さる所 様々な境界が あるのですか 一番高い所です 一番高い所ですか 最終的には 最終的に すぐではありません すぐではないのですか ええ あなたの 背景 カルマ(報い) 熱意次第です まずこの地球の上の 境界に入ります はい 分りました 誰か先に入って 話してくれますが 記録はしていません

なので話すには どの領域かを どのように判断するか 私が教えます その中に合図があり 例えば どんな 光を見たか または 最初の領域や 第二の領域や 第三の領域でどんな 音を聞いたかを 好奇心のために 認識できるのです 領域にいることは 分かっていますが どの領域かは 本当は分かりません では どのようにして 認識するのですか 先生は教えて くれないのですか 私が彼のことを 書いたら 既に 話しているでしょうが 書いていません 私に言って 欲しいのですか 秘密にしますか (はい) あなたは自分の 内面の体験を人に 話してはいけません (分かりました)

しかし それを先生に 言っても良いです はい 分かりました ありがとうございます 私に言っても良いが 内密にし 人の前では しないで下さい 失うかもしれません 分かりましたか 霊的生活の中で 自分の精神的認識 または自分の神で 選択をしているのか それとも どんな 宗教でも特定な 選択があるのですか ここで考えている 限りで 私達には 特定の宗教を 人に勧めるのは ありません カトリックなら 「居て下さい」と言い 仏教なら「居て」と なぜなら 本当の所 私の理解として 認識としては 宗教は名前だけで 同じ事で  同じ本質ですが 長年人々は本質を 忘れているのです

仏陀の後 仏教と呼ばれ キリストの後 キリスト教徒と呼び なので信じることに 選択肢はありません 分かりましたか 何を信じていても 構いませんが  ただ信念の本質に 触れれば良いのです これで良いですか はい 宗教を変えたり 新しい宗教を 探す必要はありません 一度 ある弟子が テキサス州にいる 仲間で 神学について 学びに行った 人がいます 彼らは聖書について 議論したり 聖書を 説明したりします 彼女の家族の 背景には「聖書の」が あり その家族も よって彼女は 全ての質問に答え その修行について それが本当に 宗教の聖書に従って いるかどうかです 彼女はそこで 彼らと学びました 何度も 起こった事ですが 彼女は学生ですが 教授の質問に全て 明白に答えられて 彼女はいわゆる 場違いでした

彼女はすでに 開悟していて  恐らく 彼らは 開悟していないのです 聖書にしがみつくが 本質ではありません ある日 彼女を招いて 彼女に 質問をしましたが それは教授との 議論についてでは無く それは彼女がした事に ついてでした そのクラスに入った 人はどの宗教かを 言わなければならなく 彼女はなんて言って 良いか分からず 「チンハイ」と言い それがもっと厄介に なってしまったのです そして 彼女が言いに 来た時私は言いました 「彼らが尋ねるよう あなたに頼んだのは 不思議はありません あなたの宗教でない」

私が彼女に話しました 「私をあなたの宗教に しないで 私はただ宗教を より多く理解させる ための先生です たとえ何の宗教でも すべての宗教の本当の 本質が一つである事を 分からせます 神はたった一人です 仏陀の本質は一つ 仏性は一つ 他は何もないです まるですべての明り 螢光灯 冷蔵庫 アイロン テレビに 一つの電気のようです いいですか そして 彼女には 大いに笑わせられ 「チンハイ」と それはたぶんあなたに 問題あるでしょう あなたがどんな 宗教も信じないなら たぶん私の名前をつけ 私は全てに責任を 持たなければならない 私が死んだ後 恐らく 人々は寺院を建設する でしょう 

たとえ今 何も持たなくても イエスが生きていた時 靴を持っていなくて 靴さえ履かなかった 家もありませんでした 私がここにいる時 もちろん 家があり 人の家ですが 私がしばらく本部に 滞在する時 私はテントしか ありません しかし 私が死ぬと たぶん人々は寺院を 建てチンハイ教を 作り出します 私はそれに何も できません あなたに宗教があるか どうかを心配する 必要がないです 私達は大丈夫です 内なる神がいます 分かった いいですね 私はあなたと一緒です はい またあなたなの 熱しやすいこと マスター 子供達の ことで感謝します

あなたの世界に入る よう加護して下さい いいです あのね 仏陀のいとこでさえ 彼に背きましたよ 私には良い家族がいる から 運がよいです 皆が私を信じました そして私の両親 姉妹 姪 いとこのいとこ 甥を含めて印心さえ 受けました そのようなことです しかし預言者とか マスターや霊修行者の 全ての親族が 彼への同じ信頼とか 彼らのマスターへの 同じ信念を 持っているという わけではありません 心配しないでください 彼らは皆 神の子供です 神は適当な時間に 適切な方法で彼らの 世話をしますよ あなたと一緒ならよし 一緒に行かなくても 神について行くなら それもいいです 良くも悪くも 全ては 神の手中にあります いいですか まだついて来ませんか ベジタリアンですか 十分良いですね おやまあ 反対しない

ならいいですよ

ある人は私の所に来て 言います「マスター 印心を受けられない」 「なぜ」と聞きます 「子供達が菜食を 食べさせてくれない」 ええ 信じられません 夫 妻 子供たち 両親 誰でも 彼らは全世界と共に いるので 世界の 傾向は非菜食主義です そして「好きにして」 彼らは神を知りません ただ神に祈りますが 彼らは本当に 神の畏怖を感じません