マスターと皆さんに 一連の舞踊を 披露したいと 思います 最初の踊りは ダオワドゥン踊りです この踊りは 天国の天使に 関連しています この天国のレベルが 「ダオワドゥン」です 歌の歌詞は すべての天使の 美しさと幸福を 説明しています 二番目の踊りは 「ロップブリ」です この古代の踊りは ロップブリと呼ばれる 時代の踊りです この踊りは ロップブリ時代の 仏像の姿勢を真似た 仏像の姿勢を真似た 踊りでした これはとても 美しい踊りとして よく知られています どうぞ踊り手を歓迎し お楽しみ下さい みなさん  スプリームマスター チンハイを 歓迎致しましょう

私達の修行仲間の 一人の体験を 共有したいと思います

親愛なるマスター こんばんは 皆さん 私はマスターの 弟子になって ほぼ三年になります 私の最初の体験は 音の瞑想を している時に 起こりました 私は音楽のような 美しくて 大きい音を 聞きました 頭の中で 聞こえるようでした その後は 穏やかで 心地よく感じました 自分の体が存在して いないようでした 私が感じたことは 言葉で説明するのは 難しいです その瞑想の後は 私はいつも 内面の音を聞きます 瞑想中に起こります 現在 私は毎日 美しい音楽にとても 幸せを感じています 瞑想中でも ベッドから起きる時も どちらもです

別の機会ですが 瞑想中に 何らかのエネルギーが 体内から ここら辺まで 出てくるように感じ 前へ前へと 突入してきます それは部屋を越え 壁を通って 突入しています これは 自分の体を 持ってないように感じ ただ継続的に 前へ突入して いるように感じます 部屋を出ると 私は美しい場所へ 行きます 今までに見たことが ない程美しい場所です そこは説明が できないぐらい 美しい場所でした しばらくの間 動き回って 私は戻りました このような状況が まだ 継続的に 起こります 毎回の瞑想の 時間によります 長い時間 瞑想したら それが長く起こるのです

それも私が瞑想に 対してとても幸せに 感じている理由です どんなに忙しくても 私は常に時間を作って 瞑想をしています これらの話している 小さな 体験の他に 物質的な変化が 見られました 印心後 健康状態はどんどん 良くなっています 昔は よく友人に 「薬の保管庫」と 呼ばれていました それは私がいつも 薬を持ち運んでいて 私は小さい頃から 不健康な 人だったのです そして今より もっと痩せていました 十年 二十年間 そうだったのです

しかし 印心後 健康状態は より良くなりめったに 医者に行きません それに 体重も増えました  人は菜食になると 体重が減ると 言いますが それは違います 菜食になって  私は数キロ増えました その瞑想からの 体験は 観音法門は 解脱に導くという ことを 私に 納得させてくれました マスターは常に 私とともにいます 内面的な体験の他に 人生全てが より円滑になり 何をするにしても 速く感じます ありがとうございます

これが 私達の 修行仲間の一人からの 体験です

では皆様お待ちかねの 時間になりました これからスプリーム マスターチンハイの 講義をお聞き下さい 皆さん どうどスプリーム マスターチンハイを お迎え下さい

ご機嫌いかがですか 昨日はタイの国王の お誕生日でしたか それではしばらく 国王陛下の ご健康と功績と タイの人々と タイの国を 繁栄と平和な 未来へと導くことに 成功するように 祈りましょう ありがとうございます ご機嫌いかがですか 皆さん幸せですか

今日は扉を 開きましょう

私達が 開こうとする扉は 最も重要な扉です それは解脱の扉 自由の扉 人生の扉です この扉が開かないと 私達は常に この幻想の 苦しみの世界に 転生してしまいます 天国と涅槃(最高の 天国)を知るのは この重要な扉が 開く限り とても簡単です さもなければ 解放 涅槃つまり天国は 私達にとって ただの童話であり そこに達したり 天国を知るなど決して 夢みないでしょう 多くの宗教と 異なる修行者は 古代から この扉のことを違う 名前で呼んでいました ある人は「第三の目」 ある人は「天眼」 ある人は「仏眼」 ある人は「扉無き扉」 ある人は 智慧眼 などと呼んでいます

しかし一つしかなく 出来るのは 私達の誰もが この能力を所有し この扉を開き  向こうの世界に入り この世界の 幻影の存在の上にある 何かを理解すること つまりこの世の知識を 超越したものです はるか昔から 異なる国 過去 人種 信念 宗教を持つ  異なる人々が この扉を開き智慧眼を 知ろうとしました この扉を知るために 多くの人々が 生活や快適さや 贅沢な生活や 愛する家族の  愛のある関係さえ 犠牲にしました

例えば父母  夫や妻 子供や友人などをです それは開悟している マスターや 開悟している 友人の所へ行き 彼らに導いて もらうためです こういった人々は 扉が開かないと 智慧の知識がないと 永遠に苦しみ続ける ことを知っているから それは彼らが どれ程裕福であろうと どれ程多くの快適さが あろうともまたは いかなる社会的地位を 持っても関係ないです 例えばシッダールタ 王子のように 彼は仏陀になる前 僧になるために あらゆる喜びを 放棄せねば なりませんでした 将来の王位 美しい妻 息子をです

そうして 彼は霊的知識を追求し 解脱できるのです 彼は 開悟した後でさえ 息子にも 霊修行を追求する ように話しました この世の王に 留まっている 代わりにです それは沢山の 重要な人物が 歴史の中で 同様に行わったことで 究極な智慧に 到達したのです この世界では 何千人もの人々が 毎日死んでいます 死後どこに行くか 事前には知らずに また彼らは この世から次の世界に 移動するその時に 目的地を管理する こともありません 多くの道徳的な人々は 時に彼らの一時的な 「死」を迎え そしてその後幾らかの 死後の世界を体験し この世に戻って来て その話をしています

これらの人々の殆どは 非常に道徳的な生活を 送っていたり 少なくとも心の中で 非常に謙虚で 神へ畏怖の念を持ち 仏性を知りたいと 思っている人なら 彼らの出発の時とか 一時的な出発の時に 彼らは多くの 素晴らしい天国の ビジョン 光 音楽を 体験するでしょう でもこれらビジョンを 見るためや涅槃つまり  天国を発見するために 死ぬまで待ったり 一時的にこの世界から 離れるのを 待つことはありません 私達は存命中 健康なうちにできます

仮死状態になった人々 あるいは医者が 「臨床的な死」という 人々や再び復活した 人のほとんどは この世界からの 一時的な脱出の間に 天国と天国からの光を 体験した後 幸福感や 至福のような 変化に 関連しています 異なる国々の 多くの医師の 研究によれば これらの人々は その一時的な死の間に この肯定的な変化を 体験します 彼らはこの宇宙の 高い境界からの光を 見ることが出来 音楽を聞くのです この種の光と 音楽のような教えは 私達自身の仏性であり 私達自身の智慧であり 各自が所有するもので それを私達は常に 日々の生活や私達の 解脱のために使えます

この世界の人々を 目覚めさせ この光と 神や仏陀からの 教えを知らせるために 多くのマスターが この世界に来て 彼らの永遠の教理と 無条件の愛で 地球を加護します 彼らの犠牲と 慈悲のおかげで 私達には幾らか偉大な 教理が今日残っていて そういう訳で 私達の惑星は進化し 誰もが住むのに良い 場所に発展したのです こういった偉大で 賢明な過去 時に 現代の教師は 常に世界の向こう側 存在の向こう側の 言葉に表せない程の 壮大さついて 私達に教えています これを四界 五界 七界 九界と 科学的な用語で 呼んでもいいです

私達の地球を保ち その霊的な意識を 向上させ続けるために またこの地球の人々の 智慧を向上させるため 私達はマスターの 仏陀の道を 修行すべきです つまりこの世において 高潔で良い人と なるために 智慧を開くことを 学ぶべきです この肉体の存在と 霊界との間を分かつ 幻想の扉を 開けるためです 様々な国々において 多くの霊的な センターがあり 多くの尊敬に値する 教師は公共に向け 多くの方法で 開悟に到達する教え この智慧の 扉の開け方を 提供しています どの国にも独自の 宗教があります 各国の大部分が 一つかもう一つの 宗教に従っています

過去のマスターが 残した教理を読んだり また宗教の 儀式的な 教会 寺院 モスクで 修行する他にも 多くの開悟した マスターがいて 人々に自ら 開悟の方法を教えたり 天国を 神の王国や 涅槃を知る方法を 彼らの存命中に 教えています なぜならこの開悟した マスターの寛大さに よって 何百万名の人々が より自身を 覚醒するようになり 開悟した聖人の 人生に導かれ 彼らの智慧が 開いた後 家庭や社会において 多大な貢献を するようになります

けれども全ての教師や 人々が修行する 全ての法門が 最高の智慧へと 導く訳ではありません 従って たとえ私達がすでに ある種の瞑想法を 修行したとしても まだ私達の心には 解脱の正しい法門を 選択したか どうかという 疑問が残ります 答えはこうです 私達が勉強したり 今勉強している 法門が 短期間に 心を平穏にさせたり 超世界の知識を 私達に与えたり 提供してくれるなら またとてもとても 愛ある慈悲の心が 芽生えるなら つまりその教理により 私達がより良い人に 変わり 凡夫から いらいらした人間から 聖人に変わるなら その法門は正しいと 言えるでしょう

そうでなければ どれほど長い間 修行していたり 誠実でも関係なく おそらく最高でも 幾らかの 神通力の 治癒の力の 未来を占う力の 壁を通し透視する力のその種の いわゆる天眼の力や 過去や未来等を見る レベルに到達する 程度です それだけです そしてこれら すべての力は私達の 勤勉な瞑想を通じ ある程度得られますが それはまだ不安定で まだ過去の カルマ(報い)に束縛されており 私達が内面で認識する 真の幸福を感じる事は 稀です 私達が完璧な法門 完璧に涅槃(最高の 天国)に到達できる 法門を見つけられない限り無理です ですから 神通力があっても 私達の人生は 無意味で 空っぽで 時に 非常に落胆し 私達が望まないような 悪習慣を 克服するのが 非常に困難です 例えばある人は ギャンブルが好きで ある人々は 麻薬をやるのが好きで 例えば ある人は 止めることもできない 深酒をします これらの神通力では 私達の惨めな 悪いカルマ(報い)から救えません

壮大な第二天は

喜びと宝石の場所

帝釈天は

ダイヤの矢を持ち

神の戒律の順守に 抜かりがない

敵である阿修羅は 破れた

彼のくびきの曲がった 二輪馬車は美しく

精巧で 空飛ぶ玉座

威厳ある獅子の装飾が 周りに施されている

御者は 王の車に乗る

全力で速く駆ける 風のように