親愛なるマスター 衆生の肉を食べる ということは 前世での私達の 両親の肉を食べるのと 同じかどうか 説明して頂けますか

釈迦牟尼仏は そう言いました すべての衆生の中で 世々代々少なくとも 一世で 彼らのうちの 一人は親類か友人で あったに違いないと 言いました どんな方法で私達の 内面の魔を取り除く ことができますか 霊修行が必要です 観音法門が 一番早いです 他にもっと早い方法を 知っているのなら 早く修行してください 私達の内面のいわゆる 誤解した考えを洗う 内面の仏陀のパワーを 使わないと その魔を 退散させることが できません

魔は幻想です 魔は正しくない 間違った考えです 全ての宗教が一つなら 仏陀はどうして人々に ベジタリアンを 要求しましたか 仏陀によると 人は殺さない場合だけ 仏陀に なることができます けれどもなぜ他の宗教 キリスト教イスラム教 または道教では 人々が菜食になる 必要がないのですか それは現在 私達にはあまりにも 多くの誤解が あるからです 聖書にたくさんあり こう言っています 肉を食べてはいけない 酒を飲んではいけない 聖書には あなたは肉を食べたり 酒を飲む人と交じる べきではないとさえ 書かれています サンプル小冊子で なぜ菜食であるべきか 説明しています 聖書はいかに人々に 菜食になるように 助言するか話ました 帰ったら注意して 読んでください

肉食をする人にとって たぶん彼は 良い人間であれば 十分だと信じています 他の人が既に 動物を殺したので 彼は肉を食べます 彼は自分で 動物を殺しません 彼はどんな戒律も 破っていない 彼はそう思っています

あなたが 五戒を守るなら 殺生しない 盗まない   邪淫をしない 嘘をつかない 賭け事 麻薬を摂らないなど そして社会で 悪いことや 法律を破らない それならあなたは 人間に 良い人間に 普通の良い人間に 戻ることができます 殺したなら 結果は より深刻です

聖人になりたければ 悟りたければ 仏陀に なりたいと思うなら 菜食者にならねば なありません 慈悲を 持つべきだからです 例えば全ての人は イエスではありません イエスは悟りを開いた 素晴らしい人です わかりますか 彼の レベルは非常に高く 彼は神と一つになり 「私と天の父は一つ」と 彼は言いました しかし彼の信者が皆 イエスと同じものを 食べなかったので イエスのように 神と一つであるとは 言えません イエスも人は菜食者に なるべきと教えてます

聖書で神は「全ての 青草と木々 果物が 汝の食べ物である」と 肉は汝の食べ物だとは 言っていません 動物を殺し食べるべき とは言っていません 彼は果物と木々が 汝の食べ物だと言い 第一章は菜食者に なるよう すでに話しています 多くの種のカトリック 教徒がいます 私の信仰者にも 多くの種類の人がいて 印心をした者も いれば 方便法を修めている 人もいます 方便法さえも 修めていない 人もいます 彼らはただ 私の写真を持って帰り 崇拝して お金を祈願します

彼らも私の信者で あると自称し 私をゆがめて伝えます でも彼らも信心があり それも結構です それは気にしません 私は区別しません でも私が彼らを教える という意味ではない 分りますか私が彼らに 世間の利益のために 写真を崇拝することを 教えるとは言えません 私はそれを教えません 彼ら自身がそう信じ   彼らはそれが好きです 彼らを止めることが できず 誰が何をして いるか知りません 彼らの人数があまりに 多いので 私は彼らを 止められません しかし彼らもやはり 私の信者を自称します 私の本当の信者は しっかりと 五戒を守る者です

彼らは少しの肉や卵も 食べることができず 一滴の酒も 飲むことができず 賭博できず 薬物を使えず タバコさえ吸いません 彼らは一日に 少なくても二時間半 瞑想すべきです 善行をし 慈善を行い 人々を愛し 互いに保護し合い  他の宗教を保護し  動物を含むすべての 衆生を愛する 必要があります 必要でなければ 彼らは草または木さえ 傷つけません 彼らは盗みません こういった人が 私の本当の信者です しかし多くの人も 私の信者を自称します 彼らはやりたいことは 何でもやります 私に何が言えますか 同様に多くの種類の カトリック教徒と 仏教徒がいます 彼らの何人かは 剃髪して 僧侶になり 仏陀を模範として 修行して 禁欲的生活を送ります 他の人は自宅で修行 しますが 菜食者です 彼らはしばしば