こんにちは 皆様 皆様に私がマスターに 出会った経緯について お話したいと思います 印心後は 生活が変わると 言われています 私の外面的な生活は 全く変りませんでした でも内面はまったく 違います 本当です 私はより多くの 平和と愛と 美しさを感じています 私は常に恋をしている ように感じます 私は恋をしています 常に神の全能の パワーを代表する 私のマスターにです 全宇宙は 愛と幸せに満ちて いると感じるからです そういうことです 愛しています ありがとうございますこんばんはドイツのミュンヘンの 多くのチェコの人々を 知っています とても友好的で とても寛大です 中でもとても特別な 人を知っています 彼は中華料理店を 経営しています チェコ人ですが 中華料理店を所有し 彼は中華料理も 作ります それで 私が彼の店に 行くたび 彼は 私のために 特別に スパイスを入れます 私を本当の中国人だと 思うので 味を少し ピリッとさせます 実に私を愛してました 食事後 彼はいつも ギターを演奏しました あらゆる美しい伝統的 チェコスロバキアの 歌を歌ってくれました 彼はレストランの 店主でした いわゆる金持ちで 親切でしたが 大変謙虚に見えます そして態度は とっても控え目です 彼の国について 私に話してくれます

友人のことや 全ての 美しい歌を歌ってくれ すっかり皆さんの国に 恋してしまいました でも彼が大変控え目に 見えるので 皆さんの 国がそれほど壮大で 美しいと想像しません 昨晩到着したばかりで そして大きな広場に 座りました とても有名な広場で 大きい教会が空を背に とても高くそびえ とても美しいです ライトアップされて 教会はまるで 銀のように見え 水銀のようです 私はゾクゾクしました 想像できませんでした まるでお伽話のよう アメリカの友人に 電話して言いました 「必ずここに来て チェコの国を 見なければならないわ お伽話のようです」と 私は彼に話します チェコがなぜ欧州で 他の都市より 有名にならかったか わからないと  それはとても壮大で 私の想像力を越えます 非常に美しいです 私はとても幸せです 皆さん国の政治情勢は 私がこの地を 訪問するこの名誉を 許可してくれました そうでなければ この地球で最も美しい 場所を訪れる機会を 逃がしたでしょう その上 すべてが ここの生活費は とても安価です 少しのお金で 長い間 ここに滞在できます

アメリカのお金で たぶんこの国は 違うのでしょうが 世界旅行者である私は 他の国と比べると ここの生活費は とっても低いと 思います 私はタクシーで街の 全体を走り回りました 美しいこの国を ただ巡り回って 確認しましました それで私はおよそ 十ドル支払いました

それはとても安いです アメリカで十ドルでは そんな長距離を走る ことはできません

ではチェコの友人へ  話を戻すと彼はとても 謙虚でとても平凡です

想像できませんでした 彼がこんな素晴らしい 背景から来たとは 例えばあなたの国  首都 それはとても 魅力的で美しいです 殆どのチェコの人々が そのようだと思います 彼らは外面から自分を ひけらかしたりせず より内面的です 彼らの価値は より内奥にあり それは私達が 元々やって来た 浄土のようで つまり天国です 自身を見るとき 私達はとても平凡で とても謙虚です 私達が来た背景など 想像することが できません もちろん聖書の記述が 真実だとは 想像できないのです 「体はまさに神の神殿 神だけが我々の 内面で生きている」と たぶんある人はそれを 信じるでしょう 神は 隣か 内面にいますが 神を見つける方法を 知りません 従って こんなに苦しみます 物質的で 低い振動の この世界の圧力の 苦しみのために 私達は生活で もがき続けます 時々 私達の行為が 良き判断に 逆らうこともあります それで時々 国家間でも 宗教間でも 宗教の内部でも 戦争と衝突でさえ 起こり得るのです

それで私はすべての 紛争と奮闘の唯一の 解決策を見つけました 直接神を知らねば ならないことです 何が自身の生得権かを 知るべきです 私達が神の子供達で あるようにこの栄光を 取り戻さねばならない それがとても単純だと 発見したので  私は皆さんとそれを 共有せねばなりません 私達の誰もが 皆さんの誰もが今生で 神を見ることができ たちまちそうできます 望めばたちまち 方法を知りさえすれば 神を見られるのです 神を見る事ほど容易な ことはありません なぜなら 神は私達の内面にいて 私達自身だからです 神の一部分であり 神と一体です ただ物質世界の幻想が 私達を離ればなれにし 私達に感じさせます 私達が人間 私達が罪人で 私達が無力で 格下であるなどと 古代から 常に 神の王国に 戻る方法が あります 神を見る方法が 常にあります 方法を知らなければ その方法を知っていて 私達にそれを指し示す 誰かを知らねばならず すると花を見るのと 同じくらい簡単です

音楽を聞くのと同様に 呼吸や食べることや 人を愛するのと同様 私達は神を見つけたく 神が存在すると 信じたいのですが 神を見つけることが できないだけです 非常に不幸です これは私の特典です 神は私にこの知識を この地球の兄弟姉妹に 共有するように 命じました 地球で私の命が尽きる までそうします ただあなたの偉大さを 認めることがどれほど 簡単か人々に教えます 私達の中にある宝を 利用することは 何て単純なのでしょう 神と接触し そして天国のような 雰囲気の中で まだこの地球で 任務を続ける間 幸福に生きることは 神を知ることだけが すべての憎悪と 戦争を止め 人々の間のあらゆる 意見の相違を止めます 神を知ることにより 物質的な幻想を 一掃できます それは毎日 私達の存在を包み 弱いと感じさせ 絶望的だと感じさせ 無明だと感じさせ 従ってありとあらゆる 苦しみに屈するのです 私達がこの世界に 生まれる前に 存在さえする前に 私達がこの一種の 肉体的な存在にさえ 実体化される前に 神を知らねばならない と誓いました

けれども私達はこの 肉体の監獄にいると 忘れます そうして 私達は天に祈ります 私達がこの地球の この粗い物質的な エネルギーにとても 苦しむと天に祈ります すると神は常に 常に誰かを送ります 神から直接か 神が命じるか 神に権限を与えられ 方法を見せてくれる 人を送ってくれます そういう訳で イエスは来ました 仏陀は来ました 過去の他の偉大なる マスターも来ました 未来にも来ます 人類が 無明と暗闇に まだ屈している限りは マスターたちは常に 口頭での教理 または 非言語的な教えを 残してくれました 言葉での教えは 私達の頭脳と 知力を満足させる ためのものです 非言語的な教えを 見つけるのは 非常に難しいです 魂には直接認めるのが 非常に難しいのですが それで神が分ります この法脈 この非言語的な 教えの伝達は この地球に 常に存在しています 人類がまだ救済を 必要とする限り 本当の家へ帰りたいと 願う限り  非言語での教えを持ち  私達を待っている 導き手が常にいます 私達が伝達を受けた後 それを次に渡すことも できます いったん 十分な智慧のその レベルに達するとです

そのため この神からの非言語の 教えの伝承は 世々代々続きます 違う 生きている神の 道具を通じて それは 神に選ばれた人です 私は導き手の 一人に出会えて 幸運でした その人は この非言語的な伝達を 生かし続けています もっと幸運なのは 私がその許可を得て とても光栄なことに 神を認識したいと 本当の家に  天国に帰りたい人々と それを分け合うことが できることです 神が任命するなら たぶん後で 将来 あなたも同じことを するでしょう 神を認識することが 人生の唯一の目的です 他の全ては 一時的なものです 水が源に戻らなければ ならないようなもので 本当に幸せで 永遠に 至福であるためには 再び神と一つに ならねばなりません それから 隣に座る 誰でも神であるという ことを知ります 本当に理解します 私達は自身の目で それを見ます 私達はまさしく 魂でそれを知ります 誰もが私達の 一部分であり 神の 一部分であることを それでこれ以上 互いに戦うことは できません

私達は愛するだけです 聖書はこう述べます 汝の隣人を愛せよ 汝の敵さえも 愛せよと でもそれは難しいです 私達は隣人と敵が どれほど偉大かを 理解していないので また自分がどれほど 偉大かを理解して いないからです これを知るため 実際的な愛を持つため 本当に隣人を愛せる ことができることを 自身で知るべきで それでまた私達は 隣人がわかります なぜなら私達はすべて 同じで 等しく偉大で 神の子供達であり 神の一部分であり 神そのものだからです 自身が平和になれない なら 神は地球に 平和をもたらせません 私達には力が あるからです 私達はここでの 神が代表者ですから ここに存在してるので ここのレベルでの ことをうまく 行なわねばなりません 自身の内面が平和で ある時だけ 平和を 創ることができます 自分の内面に神を見る 時だけ 他人の内面に いる神が見えます 神を見るためには 実際的な方法を 持たねばなりません こうは言えません 「私が神であり 神がいる事を知ってる 隣人を愛している 敵を愛したいです」 言うだけ 思うだけで 私達が望むように 振舞えるという 訳ではありませんし 私達が望む方法で 神を理解し 神を見ることができる という訳ではないです

何かをすべきです 私は方法を あなたに教えます 何かをするために 山を動かしたり 海を干上がらせる という意味でも 一日中苦労して 額に汗して  この世で働かなければ ならない訳でも ありません 違います それはとても簡単で 楽で まるで 眠ることのようです 神を見ることは 私を見るように簡単で ただ 異なる目で 見なければなりません 皆様はその目がどこに あるか知らないだけ 私がお見せしましょう この世では物質的な ものを見るためには 肉眼で見ます この世では物質的な 音楽を聞くために 肉体の耳で聞きます けれど天国の世界を 見るために 神の 無形の面を見るには 天眼で見なければ なりません 天耳で聞かなければ なりません 私は皆様がこれらの 道具を開ける お手伝いをします それで生きている間に 天国が見られるのです 神が見れない理由は 私達がどこか 他を見るのに 忙しいからです 生存に忙しくて 生計を立てるのに 忙しいからです ありとあらゆる 世間の言語と 知識を学ぶのに 忙しいからです 忙しいのはただここで 生き残るため 全ての 力の源を忘れました すべての天の恵みと 豊かさの源は 私達の内面にあります 私達がいったん 源を掴めれば すべてを手に入れます

その方法を皆様に お見せするつもりです あなたの内面的な宝と 接触できるように 聖書で言うように 「汝の財宝を 蛾が破壊できる  この世に置くのでなく 財宝は永遠 不滅の 天国に置くこと」  ですから 知りたいと思うなら 皆様に永遠の宝を お見せするつもりです 誰でも聖書がこう 言うのを知っています 「まず神の王国を 求めよ そうすれば  すべてのものは 付いてくるだろう」 まるでそれが哲学の 格言であるように 残されていますが 違います 私はそれが百% 真実だと話します まず神の王国を 求めれば他の全てが 私達の所に来ます そういう訳で 誰かが彼にユダヤ人の 王でありたいかどうか イエスに尋ねたとき 彼は言いました「いえ 私の王国はこの世には なく 天国にある」と 彼はこの物質界の はかない性質は 気にしないからです けれど もちろん イエスはマスターで 神を見るために極端に 走る必要はありません 家族 財産 仕事を   見捨てるような 神を見る事ができると 同時にこの世界を 楽しむこともできます

けれども 神を見た後に 神の王国を知った後で 初めてこの物質界でも より成功しより多くの 天の恵みを楽しむ ことができるのです そして 王国を 知ったあとで 生活は毎日どのように より良い方に奇跡的に 変わるかを見ます 毎日は奇跡です 私達は毎日 神の存在を見ます 神の愛も感じます 神を見られます 神と話さえできます 神に私達の問題を話し 神に解決方法を 教えてもらいます より深く神を知れば 知るほど 生活は よりよくなります より知的になれば なるほど もちろん より優しい 人生の 方向がよりはっきり 分るようになり そして より賢く 人生の衝突を解決する 方法も知るでしょう それは私達が 悟りを開くからです 聖人になるからです そういう訳で古代から 人々は聖人を 尊敬するのです 彼らはより賢く より優しく 私達よりよく 知っているからです 彼らは 普通の人々より 天国やこの世のことを よく知っています けれども私達は 聖人の一人になれ まさしくそうなります多少なりともです