スプリームマスター チンハイは 小さな集まりで 言語の異なる各国の 私達の団体メンバーと 語り合うことが あります 一九九二年 マスターチンハイは 中国人のメンバーと インドネシア スラバヤで話しました

では菜食について お話ししましょう 私は色んな所を 旅行したり 数日間 出張する こともありました

私の元夫は医者でした 仕事せねばなりません 時々 病院に泊って 家に帰れなかったり 会議に出席する 期間が長い こともありました しかし 彼はそれでも 菜食を続けました 私達が本当に求めれば 仏陀は 手配してくれます

中にはどんな 菜食なら食べられるか 分らない人もいます

中国人にはいつも 対応策があります 彼らは饅頭とか パン 又は乾燥した 食べ物を持ち歩きます 中国にはそのような 食べ物が多いのです

時には数日も外に いることがあります すると缶詰を食べます それもいい食べ物です また自分で作った 物を持っていって 外で温めて食べます 一日や二日ぐらい 冷たい物を食べても かまいません

食べたければ いくらでもあります 時には 出かけて 中華料理を 注文できます 菜食料理を 作ってほしいと 言えばいいのです 様々な料理が あるのです 例えば 肉の代りに 豆腐をいれて欲しい そう言えばいいのです 焼きそばに豆腐を 入れるとか  スープを注文する時 肉の代りに豆腐 またはグルテンと 醤油 塩 砂糖を 入れてと 注文するのです

いくらでも 美味しい 料理が食べられます そういうこと! ご飯と野菜だけで 十分です

それに豆腐ですね ここにはありますか? 豆腐を買って 外出の時 少し 持ち歩いてもいいです 菜食のものが 見つからない時に ご飯を買って豆腐に 醤油かマギーソースを 交ぜればいいですね 食後は 果物を少し食べれば 陰と陽 熱いのも 冷たいのも揃います

そしてサプリメントや  朝鮮人参のスープを 飲めば充分です 簡単です 毎回贅沢に食べる 必要はありません 食習慣は 変えられます 菜食するのは とても簡単な事です

それに中国人は どこででも豆腐が 買えるし 安いです

肉の代りに豆腐を 買って醤油を少し かければいいのです 白い豆腐や豆腐花 絹豆腐に醤油を かけても おいしいし 栄養価も高いですね 生野菜が 足りなければ 果物を 買えばいいですね 色んな果物で 野菜の代りに すればいいのです そして家に帰って もっと美味しい食事で 補えばいいのです 外出の時は簡単に すればいいのです

菜食の惣菜を 買うのもいいですよ 二、三日の場合は 缶詰を食べるのも いいでしょう 私が以前ドイツで 生活していた時は もっと大変でした ドイツには 中国人があまり いなかったのです

そこのレストランは 全部非菜食の レストランでした 豆腐やグルテンを 売る店は一軒あった けれど 豆腐は中々 手に入りませんでした 毎日あるとは 限りません たまに豆腐を 並べておき  売れ切れてもすぐには 補充しないのです 時には数週間 待っても 豆腐が おいてあるかどうか 分りません それに私は 遠くに住んでいて 三、四時間かけて 一丁の豆腐を買いに 行くので 毎日は 行かれません グルテンがないので 自分で作りました 作り方を 知っていますか 知らない? パンを作る小麦粉で 作ります 知っていますか 塩を少し入れます 塩を入れます (卵) 卵は入れません 塩を入れてから 水を入れて 軟らかく捏ねます 暫くおいてから 澱粉を洗い流します すると蛋白質だけが 残ります かす状のものが グルテンです それから丸や棒状など 色んな形にします これがグルテンです

自分でグルテンを 作ったのは 蛋白質が 豊富だったからです

豆腐に グルテンを混ぜても いいです それに 野菜 例えば人参や 大根 キャベツ カリフラワーなど 一緒に入れて さっと炒めます 良質の油を使います

そこに塩 砂糖 醤油と水を入れます 蓋をして 二十分ほど 加熱します ご飯と一緒に 頂くと 栄養たっぷりです それでも 栄養の事が気になる 場合は 豆乳を一杯 飲んで下さい それで十分です または果物やお菓子に または果物やお菓子に お茶一杯飲みます

なんて 快適な生活でしょう

私達が本当に自分を 改善したいと望み 仏陀の 慈悲博愛の 精神を学び 動物を か弱い子供と同様に 愛するとしたら その死体など食べたく ないでしょう 例えば 死んで 二、三日経った 人間を見た場合 それを食べますか 虎でさえ食べません 虎は 死んだ動物を食べません

聞いた事ありますか 本当です 分りますね   私達は虎より劣ります 私達は死んで 何日も経つ動物を 食べているのです 肉が腐っても それを食べては 美味しいと思うのです 自分で自分を騙して 醤油など沢山の 調味料を使って 何とか食べるのです もし 誰かに 腐ったビフテキを 出され すぐ食べろと 言われれば  きっと吐き気が するでしょう

私の元夫は医者でした 会議で外出した 時などは 本当に 不便でした

それでも彼は 菜食をしたのです 背が高く 体が壮健な ドイツ人でも 菜食できました

私の弟子には大勢 皆さんのような ビジネスマンがいます 彼らも とても忙しい 時があります マレーシアに 華僑の弟子が います 彼はずっと ホテル暮らしです 色んな所を回らねば ならないためです この夫婦は 各地を回るのですが それでも毎日 菜食しています ホテルで菜食する ことは難しいですよ 知っていますか 大きなホテルでも 菜食料理がない 場合もあります

彼はサラダやレタス ご飯とパンを 注文して食べます 菜食料理は 何でも 食べます 誰でも菜食をしよう とすればできる ものだと彼は言います 彼には家がありません 過去五年間 彼は ホテルからホテルへ この国から別の国へと 転々としていました そうせざるを得ない ビジネスだったのです そういった生活を している人もいます 彼は過去五年間 ホテル暮らしでしたが ずっと菜食を続けて いると話しています 彼は 痩せも しませんでした ハンサムで背も高い 中国人です 背が高く 体が大きい 若い四十代の人です 従って菜食できない ことなどありません 違いますとも 卵は食べられますか

卵? いけません 健康に よくありません それに卵は否定的な エネルギーを引き寄せ 純粋になれません 霊修行をしていない 人には分らないと 思いますが  している人には 分ります 祈祷師の中には 卵を使って悪霊を 引き出す人もいますね 知っていますか 彼らは卵を使って 否定的なエネルギーや 悪霊を引きつけます ですから卵を食べると 体に悪霊を入れるのと 同じです 私達 霊修行者は 純粋であるほど よいのです お金のために道を 捨てて構わないのか? よくありません 経典には善行だけを するよう 書いてありますね しかし お金を 稼がなかったら どう布施しますか 十分なお金がなくて どうやって戒律を 守れますか お腹が空いているのに 盗まずにいられますか どうやって 戒律を守りますか 論理的ではありません 釈迦が存命の時 彼の弟子は殆どが 在家の人でした

今も同じです 皆さんが お経を唱えるのは 仏陀の教えと 仏陀が教える 道徳的な事を 知るためです どこででも 唱えられます 仏陀は 家で唱えては いけないとは 言っていません 家で唱えられ なかったら どこでできますか 公園に行って  やりますか 在家の人が どうやって毎日 時間を割いてお寺に 行き お経を 読むのでしょうか それに遠くに住んで いる人もいるし 読経に長時間 かかることもあります 出家者にならない限り 毎日 寺院に行って お経を 読む事は無理なのです だから家でするのです 静かに座って 唱えればいいのです 仏陀の教えを 読み上げたら 仏陀が教えた事を 実践することです それが お経を読む利点です 

どこででもできます そうすると財運が 私達の所に来なく なると言っています そんなことありません 私は今以前よりずっと お金を持っています 私は金剛経 だけでなく  色々なお経を読みます 弟子達に 説明するためです 研究が必要です 分りますか 私は前よりずっと 経典の勉強をして 前よりもずっとお金を 持つようになりました 使い切れません それで人々を助け 経の講義をし 道徳についての 本を印刷します 私は助けを 必要とする人を助け 絶えずもっと多くの お金を稼ぎます 問題ありません

私達が唱える 経典を理解すると 徳性が現れてきますね 本当に経典を 理解すれば 修行したくなります 仏陀に 接近したくなり 智慧が高まります これこそが お経を唱える利点です すると もっとお金を 得る方法と お金の 使い道が分ります 以前  私達は道徳を知らず お金を稼げば ギャンブルや 不要な物に使って いたかも知れません 今は道徳を知り お金があれば 正しく使えます それで各地の 被災者救済に使い また 同胞や 困った人を助けます お金は役に立たないと 誰も言っていません 誰もお金を稼げない とは言っていません ご存知の通り お寺の人たちも お経を唱えています そうですね

私達は仏陀の 経典と教えを 理解するために 唱えるべきです それこそ お経を読む 真の意味です

私達は何かを 信じる前に それが 正しいかどうかを 判断し 分析せねば なりません ですね? そして証明し  どこがいいかを 探さねばなりません 人の話を全部信じる わけにはいきません いつも人の話を聞いて 自分の主張がないと 思考が人に コントロールされ 智慧は徐々に しぼんでしまいます そして 自分が持っている 知性に対し 益々 分らなくなります こうなると 迷信的になって  人の話をうのみにして  何でも 人の 言いなりになります すると多くの 問題が生じます

前にこのような話を した事があります ドイツかどこかの 国の市街地では 時速四十キロ制限 という交通標識が あります しかし 皆が時速 五十から六十キロで 走ります これでいいのです もし 誰かが本当に 四十キロで走ると 警察が来て調べます その人に問題があるか 車に問題が あると思うのです 分りますか 実際は誰もその規則を 厳守していません もし 誰かが本当に 四十キロで走ると 警察が来て その人を調べるのです そばの車も クラクションを鳴らし 頭がおかしいのかと 皆が 好奇の目で見ます

精神に問題があると 思うわけです ですから 私は時々 仏陀の真の 教えを話しますが 皆さんは長い間 これを 聞いていないか 違ったものを聞き 経典をあまり 研究していません 忙しいからです そこで人が話している ことを聞くだけで それを考える時間が ありません 私が本当の話をすると 皆さんは信じがたく 違和感が あるのです

女性が生理の間に お経を唱えても かまいませんか 大丈夫です

寺に入っていいですか かまいません 親族が死んだ時も かまいませんか 心が純粋であれば どこも純粋です つまり 心が善良で 純粋であれば どこも仏陀の 仏土になるのです

中国の諺です これは 自分が純粋であれば 周りも純粋だという 意味です 分りますか 体も純粋になります 人間の血液は汚く ありません ご飯や  野菜や栄養ある 食べ物は血液になる のだから汚くないです 血液が汚いとすると 私達が食べた物も 汚いと言えます 女性の体は 違うのです 子供を生むため 体内に卵子があります 卵子は使われないと 体内で分解します すると 妊娠しなくなります 卵子が分解すると 月経になります

卵子が分解すると 血液は体外に出ます その血液は元々 体内にあるものです 体内にあっても外に 出ても血液なのです では一体 いつ清潔で いつ汚いのですか 何も違いはないのです 分りますか 有難うございました 仏陀は狭量な人では ありませんでした 自身も女性から 生まれたことを 彼は知っていました

考えてみて下さい 血液はご飯や野菜から きていませんか これらの食べ物は 栄養なのです だから 血液が汚い わけがありません もしも 血液が 外に出なければ 体内にあるわけです 血液が汚いとすると 体内にあっても 汚いといえます 男性の血も女性の 血も同じです だとすると 男性も女性も血液は 汚いはずで 月経中 だけ汚いと言えません 論理的ではありません

ある友人からの 質問です 菜食もせず 修行もせずに 智慧を高める 方法はありますか あります 本当ですか 本当です 私が彼の代りに 菜食し 修行する ことです すると私の智慧は 高まります それは極めて困難です 彼も修行できます まずは簡単な方法で 例えば 方便法の修行です ただ できるだけ 菜食を することです というのは肉を 沢山食べると 重いカルマの障害で 智慧の発展を困難に するからです 例えば 汚れた グラスに ものを入れると 味が 変わるか有害になる 可能性があります だから修行や 瞑想をする人の中には 魔に取り付かれたり 精神的に不安定に なる人が多いのです 方法が 間違っているからです もし  方便法をする場合 あまり長くしては いけません 二十分から 三十分で十分です もっと長くすると 問題が生じて 智慧もあまり発展 しないかもしれません

私達が 誠心誠意だとしても やはり自分の 行為や言葉 考えなど 清らかであるべきです でないと 誠意も台無しです 毎日熱心に瞑想しても 肉を食べると 功徳は 悪いカルマにより 差し引かれます 商売して お金を稼いでも 使い過ぎたり 多くの借金が あるのと同じです 沢山稼ぎますが 差し引かれます 何も残りません だとすると修行する 必要もありません

もう一つの質問です 説法が 好きな人がいます 善意からですが 分ります しかし経典を よく理解していない ために間違った事を 説法した場合  悪いカルマ(報い)を招きますか 彼は経典について よく分って いないのですか 深くは分っていません しかし確かに善意です 分りました 悪い意図は ありません

ただ経典にある話を 広めるのです 分ります しかし説明が 間違っています

彼はこれによって 悪いカルマ(報い)を 招きますか

はい 招きます 聞く人は彼が正しいと 思っているからです 間違った説法は 彼だけでなく 聴衆に間違った概念を 植えつけるのです 従って 彼は来世に戻って来て 何をするかに かかわらず その人たちが 全員開悟して 解脱するまでは 解脱できません 彼が何をするかは 関係ありません それが彼の 悪いカルマ(報い)です 盲目で 道も 知らない人が 自分と 同じ盲目の人を 案内するとしたら 両方とも むやみに 歩き回るわけです 目的地がどこだか 分るでしょうか どこにでも転げ落ちる 可能性があります 両方とも盲目で 道が見えないからです 自分は目が見えず 道が分らないと 自覚していれば 道を知っていて 見える人に 聞いた方がいいのです でなかったら 座って いた方がいいのです 自分が害を 受けるならまだましで 他の人に害を 与えれば悪いカルマ (報い)を招きます だから仏陀は こう言いました 「仏陀を信じていても 仏陀を知らない人は 仏陀を誹謗している」 まず自身の 内面の智慧を知り 直に体験することです それで初めて 私達の 話が人のためになり 悪いカルマ(報い)も 招かないのです

彼は なぜ夢に貴方が 現れたかと聞いてます それは 彼を別の所に 連れて行って学ばせる ためで 私は言葉で 教える他にもパワーが ある事を証明する為と 答えました それは夢ではないです 内面の 体験です はっきり 覚えているからです 普通の夢では ありません また聞かれました 「つまり 貴方について 行くべきか」と その必要はなく ただ 私の教えに従いなさい  と言いました 私をマスターとして 認める必要はないです 私は皆さん自身が マスターになる道を 教えます 皆さんに 生き方を教え 自身の力を知る方法 自らのマスターになる 道を教えます 自分をコントロールし 自分に勝つ事が もっと大事です これは極めて困難です 誰かの弟子や マスターになる事は 重要ではありません だから 決して 私に 従うよう強いません 私の 教えに従うべきだ という意味です 私の教えがいいと 思えば それに 従えばいいのです

マスター  この子は長い間 菜食していますが 何故時々肉が 食べたく なるのかと 聞いています 分ります とても肉が 食べたくなります 分ります すると突然 内面から 食べるなという 声がします 彼の内面には一種の 力があるようです その声はどこから 来るのかと 聞いています 肉を食べるな という声ですか いいえ 肉を食べないよう 教えることですか 彼は肉が食べたくて 我慢できず 肉を買おうとした ほどです

彼の心が教えたのです もう少しで食べる ところでしたが その声が 止めさせたのです 分ります ある種の力が食べるな と言ったのです

それが止めたのです その声が なぜ肉を 食べようとするたび 彼を支配できたのか 知りたがっています それは 守るパワーです 時々ある人が 霊修行することに なっている場合 その人のマスターは 出生時から守ります 分りますか マスターのパワーが 子供の時から 守るのです 時には本人も 知らないうちに 保護して その困難を 和らげます そして霊修行を する時が来たら 色々な方法で 気づかせます これは誠意のある 人に起こることで 彼らの過去世の 修行の功徳に よるものです なぜ肉を食べたく なるのでしょう

それは 習慣からです 彼は小さい時から 肉を食べたので それに慣れています 例えば 中国人は子供の 時から中華料理を 食べています 彼らにパンと フライドポテトを 食べさせると 一日や 二日はよくても 長くは続きません 同様に 西洋人もそうです 洋食に慣れています 彼らに中華料理を 毎日食べさせると 厭きてしまいます 分りますか しかし 時間が 経てば慣れます ただの習慣です そのうち彼は 菜食に慣れて  肉はもう食べたく なくなります 単なる習慣です これからは空腹時に 外出しないことです 食べ物を見ると 食べたくなりますから

時々 外出する時 子供が お腹が空いたら パンか饅頭を食べ させたらいいです バッグに入れて 持ち歩くのです 饅頭は冷めても大丈夫 お腹が空いたら  食べさせます りんごやなしなどの 果物でもいいでしょう これで満腹になると 他のものは 欲しがりません お腹が空くと何でも 食べたくなります お腹一杯だと最高の 食べ物もいりません お伺いしたいのは 人は皆 三つの世が あるのでしょうか 過去世 現世・・・ 因果についての 話ですね  三つの人も 二つの人もいます

どう分るのですか 大半の人は三つの 世を持ちます 前世の生き方の 報いとして  今生があるのです また現在の 生き方は新たな 悪いカルマ(報い)を 作ります それで未来の 人生が決まります 債務の返済がまだなら それを返済しに 再び戻ってきます 望みが満たされ なかった場合 達成するために 戻ってきます しかし 観音法門を 修行したため 二つの世しか ない人もいます 過去の悪いカルマは マスターによって 洗浄されています 彼らのマスターが ボタンを押すと 彼らの悪いカルマは 完全に洗浄されます コンピュータと 同じです 

私達の内面は それと似ていて マスターはボタンが どこにあるか分ります 目に見えない 方法でやります 物理的にやりません マスターには 充分な力があって 今生の報いだけを 残し 他の因果は 全部なくせます 今生の報いは 過去世の原因に よるものです 今生でマスターは 彼らにどんな悪い事も しないよう教えて いるので 過去の 債務を清算できます 過去の債務を清算 できた時 倉庫に 格納された債務は 焼かれます

例えば  農家の種が全部 焼かれたら 野菜は栽培できません 分りますか 格納庫にある悪い カルマ(報い)は こんな感じで印心の時  私が焼き払います 今生のカルマ (報い)だけを 残します それは 過去世での産物です 彼らは悪いカルマ (報い)を償うと 同時に新たな悪い カルマ(報い)は 作りません 新たに悪いカルマ (報い)を作らざるを得なかった時は 瞑想を通して洗います 従って その種は 将来成長しません すると再び戻ってくる 理由がなくなります 過去と現在の 二つの因果しか ないからです 死んだ後は どうなりますか 来世はありません だから 一世で 解脱というわけで 観音法門を 修行してこそ 達成できます 開悟や解脱した後 他にやることは ありますか はい あります

釈迦牟尼仏のように 悟った後 彼は働きました 仏の仕事です 大人は 大人の 仕事をすべきです 悟れば仏陀の仕事が できるはずです 悟った人も 修行すべきですか 悟りを得ても なお修行する必要は あるのですか いいえ 必要ないです ですが 日々 衆生と関わりがあって 時々 彼らや弟子の 悪いカルマ(報い)を担う必要があるため 悪いカルマ(報い)を 除去せねばなりません 例えば あなたの ゴミを私の車に置けば 外へ移動し それを 捨てねばなりません 毎日車内に残しては おけません あなたのゴミを 引き受けてあげれば 私の車内はゴミで 溢れます 分りますか それで 出かけて 捨てる必要がありますそういう訳です 元々 彼の車には ごみがなく 悪いカルマ(報い)は ないのです 時々 修行するのは 衆生や弟子に 手本を示すためです ですが どこかの 境界で停止できず 退屈になるからです 真理は無限です

例えば悟った人は 学校を出た医者の ようなものです 彼は学び続ける べきだとは言えません けれども 彼は学び 続けねばなりません ただし 彼が今 研究しているのは 学生時代のものとは 違います 卒業して すでに 医者になったためです 彼が医者であると皆が知っています それでも学ぶべきです そうでしょう 医学は学んでも 学び切れませんから しかし 医学も一つの 分野にすぎません 悟ることなど もっての外です 宇宙は広大なのです 学ぶべきでないという わけではありません 学ぶべきです 意味が分りますか 有限のものはなく 全てが無限です 学びたいなら学び 学びたくなくても 構いません そこで止まっても 良いですし もっと 勉強を続けても 構いません 学習ではなく 研究と言えます ですが 彼の 研究方法は 医学生の それとは違います

修行しなければ また輪廻のレベルに 落ちることは ありますか その人が達した レベルによります 例えば 輪廻の領域に いれば そうですが それを超えれば そうなりません 皆が仏(悟った)の レベルに興味が あるのは知っています ですが どう話せば 良いのですか ここの床に 座っているだけで 天国を語ろうとします 話しても良いですが 固定観念をあまり 与えたくありません 皆が瞑想の時に 天国の様子をずっと 考えてしまうからです 考えてしまうからです それでは 自身を妨げます だから少しだけ話して 沢山は言いません 体験があれば 自分で分りますが 境界が見えるだけが 天国ではありません 時々 内面に 善良で純粋な心が 高じた時 貪欲さ 怒り 愚かさが 突然消えたり 欲望が消えたり 智慧が現れたりします それが天国です 昔 真理を 求める人がいました

ある師の所へ行き 言いました「今すぐ 天国と地獄の存在を 証明しないなら あなたを信じません」 師が言いました 「できない 説明の 方法が分らない 君に証明する 方法が分らない 自分で探すべきだ それで分るだろう」 例えば 私達は今 ここにいるのに 「早く台北を見せて」と あなたが言うとします できますか 自らは 行きたくない 霊修行もしない それでは無理です そうですね 霊修行をすれば 内面で見えるため 比較的 確信できます 他人が言っても 意味がありますか 例えば 釈迦牟尼仏が 阿弥陀経を説いた時 阿弥陀仏の世界には 瑠璃の家に 黄金の地 宝石の木々が あると言いました 聞いたことがあり 毎日 それを 唱える人もいますが 見たことはありますか ないですね

彼が見たものは あなたとどんな関係がありませんね 例えば あなたが食事をしても 私には その味が分らず 満腹にはなりません だから その師は 彼に言いました 「霊修行をしてこそ それが分る 君に証明できない」 その人は剣を出して 言いました 「もし言わなければ あなたを殺す」 そして武器を 師の喉に向けて 脅しながら 言いました 「もし言わなければ すぐに切る」 師は笑って言いました 「ああ 地獄が 今出現した これが地獄だ」 それを聞くと 彼はすぐに悟り 理解して  師に謝りました 跪いて 剣を折り 師の許しを請いました

彼は言いました 「すみません ひどいことをしました やっと分りました」 師は笑って言いました 「ああ  今 天国がまた開いた 天国はここにある」 分りますか 全ては心から 創られます もし 自分自身の 行動 言葉 考えを 正さないなら 仏土のことを尋ねても 意味がありますか 何の意味がありますか 私達はここにいる間 よく修行して 環境をきちんと整え 責任を果たすべきです すると 智慧を持ち 全てをうまく 処理できて 行動 言葉 考えを 清く保てます 殺生せず 盗まず 嘘をつきません 自分の 行動 言葉 考えを きちんと世話します

修行をするほど より智慧が現れ 大衆に奉仕できます すると天国に行く 必要などなくなります 何のためでしょう? 仏のレベルが どれ位大きいか 知る必要はありません その時 私達はただ 心地よく感じ 悟ったかどうか 気にしなくなります もしこの世界が良くて 互いに支え合い 皆が平和であれば 天国に行きたく なくなりますね どこにいても 同じでしょう 安らかで 幸せで 智慧があって 皆が平和であれば 天国に行く必要がなく 仏のレベルも 気にする必要は ないでしょう 仏土も同じく安らかで 幸せだからです 土地が 黄金か土か それも気にしませんね もし幸せなら 小さな家に住んでても 幸せです

でなければ お金を 沢山持っていても たいへん苦悩します 金銭のことで 自殺したり 争いや面倒にあう 人々がいます お金を持つ良さは どこにありますか だから私は 自身を磨くことが 最も大切だと言います すると 智慧を持ち 全ての状況が 明白に見えます どんな状況にも 耐えられて どんな仕事でも 簡潔に 明白に 賢く 迅速にこなせて 私達の愛が広がり 他人を理解でき 共感できます 他人に侮辱されても 我慢できて 彼らに良く接し 彼らを愛せます 彼を加護するよう 仏や菩薩に祈ります それが一番大切です その生き方が良いです 悟る事を渇望したり 彼らの仕事を 知りたいのではなく