最初の質問です この会議の後 普通の生活に 戻る時の助言は どんなことでしょう 最初にやるべき事は 何でしょうか ああ・・・ それは 外の受け付けで 自分の名前を書いて 印心を受けて 悟りを開きたい と 言うことです それが まず すべき事です 二番目は そのための 必要条件を読むこと 三番目は 悟りを開くこと とても簡単です どうやって個人的に お会いできますか ここに滞在され 短期間か長期間 教えられますか  すぐに行かれますか ブラジルと アルゼンチンへ行く為 十一日に発ちます 世界ツアー中ですので でも本当に 緊急な事があるなら 私に会えます でなければ この後 いつか聞いて下さい 講演の後 個人的に 私に尋ねてもいいです 本当に緊急で個人的に 私に話す必要が あるなら 歓迎します

どうやって苦しみを 止められますか 幸せになることです 幸せの大いなる源は 神からの慰めで 悟りを開いた後 毎日繰り返して 悟り続ければ 幸せを与えられ 苦しみが減ります 医者が薬を与えると 痛みが 日々 減っていって ますます強くなる ようなものです 厳密に言うと 印心とは何でしょうか 印心とは 見えない プロセスです 言葉では 表現できません でも 私は何時間も 話しますが 皆さんが 伝授される時 何も話しません 私は どのように座るか どう集中するか 神の加持をどう 受けるか 毎日どう やって神聖になるか 落し穴をどう避けるか どのように信心を強め 毎日 よりよく より神に近付くか 日々の生活の中で どのように修行し 日々の生活に 神の加持をもたらすか それを話します

しかし この方法は 完全に沈黙です 全く無言の中で 伝授して 皆さんが 悟りを開くのです それがなければ 何も得られません 沈黙の中で 悟りを開くのです 私は沈黙の中で 伝授します 皆さんは 即座に 悟りを開き 神と連絡を取り 幾つかの体験 皆さんの信仰と 日々の信心を刺激する 何かを見る以外 何も多く 語る事はありません 神を 垣間見ることをせず その素晴らしい声を 聞かなければ 神を 知る事はできず 神が本当に存在するか 確信しないでしょう ですから皆さんは神を 垣間見るべきなのです  すると毎日 神の恵みを得ます 神は本当に存在するし  神は本当に愛され 祝福されることが 確実に分ります

この法門が 話される わけではありません 私は 集中についてや 座り方 祝福を得る方法 そして 日々いかに 瞑想するかについて お話しします ただ 法門は 沈黙の中にあり 皆さんも沈黙の中で 悟ります 皆さんは 悟りを得るでしょう これは神への 近道です 時間の節約です 次の質問です 愛とは何でしょうか 愛とは何かですって こういうことです 誰かに強く親しみを 感じ  好意があって 共にいたいとき ―それが愛です 自分のあらゆる 短所 失敗  エゴにもかかわらず  誰かが それでも 守り 導き 愛し 助け 祝福して くれると感じるとき それが愛です すなわち 誠実な友人の愛 妻や夫の愛  子から親への 親から子への愛 それは神の宇宙的な 愛のわずかな部分です

しかし 神の愛は この人間の愛の  数千 数百万倍 無限倍以上です 私は神の愛を伝える ことができませんが 神の愛に導きます 皆さんが自ら経験して そこに浸り 楽しみ そして 甘やかされるために そして この世には それに 匹敵するものが ないとわかるでしょう この人生で最も 幸福な瞬間でさえ 神の愛の中に 深く浸っている ときの恍惚感とは 比べものに なりません 願望がコントロール できないほど強いなら  それから  どう解放されますか これは とても良い質問ですね 私たちは欲望を 抑えません 私たちにはできません 神だけができます 私たちが印心の後 神の存在の中にいるか 神と接触しているとき この世のどんな 欲望も 徐々に少なく なるのを感じます 楽しみますが 望みません

内面の存在を 充足させます 何も必要を感じず それでもすべてが あるでしょう 私は一瞬一瞬 幸せを感じます 生活の瞬間瞬間に 充実と満足を感じます 神が 私に必要な 全てにより 内面の 存在を満たすからです 私が大きく美しい 寺に住んでいるので 幸福だと思うかも しれませんがNOです 私は森で テントに住んでいます 弟子も皆  テント暮らしです 皆 私が布施を多く 貰うので幸福だと思う かもしれません いいえ 私は布施を受けません 人々が来て地べたで ひれ伏すので 私は非常に自慢に 思って幸福であると 考えるかもしれません いいえ 私は誰にも 平伏させません こう言います「内なる 神に平伏して下さい 仏陀は中にいます 神は中にいます それを発達させ 自らを崇拝して下さい 皆 偉大なのだから」 自分が偉大であるのを 知ることと 自慢に 思うのは別のことです

自分がいかに 偉大かを知れば 非常に謙虚になります この世の中で どんな形でも誇るのは 一種の劣等感です 他の形での 劣等感です 自分の偉大さを 知らないので  たったそれ程だけ 偉大だと思うのです 自分は医師だと  思って  誇りに思います 教授だと 思って 誇りに思います いいえ 神なのです 自分が教授である ことを誇りに思うなら 自分を見下すと いうことです 神の宇宙の中での 自分の地位を 過少評価しています それで私は 無意識の  別の種類の劣等感だと 言うのです 悟りを知り  それを感じれば 神に向かう道を 終えたと 確信するのですか いったん悟ったと  しても まだ終わっていません ほんの始まりです 故郷に行く道を歩き始めただけです

毎日 歩くべきです 悟りとは これが 故郷に帰る 道だと知ることで  日々 道に迷ったり 道を誤ったりせず 歩き続けることを 意味します ですから 日々 神との この接触を 強化すべきであり 私もその方法を  お伝えするのです 印心は ほんの始まりです その後に マスターは新印心者 求道者の過程の 世話をする必要があり その人が 完全に成長すると マスターの仕事は 終わります 大学に入れば  博士号を手にするまで 教授は教えるべきで あるのと同じです その後 本人も教授に なるかもしれません 教授と同じレベルです 今日私たちにその道を 示されるのですか はい 時間が許して ご興味があれば だめでしたら ほかの 時間をアレンジします

この大学にどのくらい いられるか 分りませんから 時には時間が 限られますので待てないですか 待てません? 渇望しているのですね お気持ちは分ります よく分ります 空腹の時や 喉が渇いている時より 必死ですね 出来るだけご希望が 叶うようにしましょう ここにいられるのは 十時までです 印心を受けたい方が いらっしゃれば この後でも できますが 夜中を過ぎて 朝の二時三時まで かかるかもしれません それでもよろしい でしょうか  私のほうは大丈夫です だめでしたら   もっと時間がある時に 一日ゆっくりの 設定でもいいですね 明日の昼間などにでも 霊修行をしたいと 思います 独身で 子供と暮らしています あなたとお話し したいと思います はい イエスは  彼を通すのが  唯一の道と言いました どういう意味ですか 「私を通して以外は 誰も父の前に 行かれません」です イエスの言葉の意味と この言葉に対する ご見解は?

まったく同感です イエスの言葉の意味は  彼がこの世界にいた時 「彼は道で 世界の 光だ」という事です 実は こう言いました 「私が この世界にいる限り 私は世界の光です」 彼は「私が世界にいる 限り」と言ったのです その意味は 在世の マスターがいる場合は マスターの 光に従い家に帰るべき ということです そのマスターが 亡くなったら  伝承者である ほかの マスターに従うのです イエスが神の国に 戻った時 彼は その鍵をペトロに 渡しましたね 違いますか ペトロの鍵はここです 私が持っています このコスタリカで 如何にマスターの 教えに従うべきですか 違いはありません 私とイエスの教えには 違いはありません 皆既に その教えの 一部に従っています つまり十戒です 私が加えたのは 開悟です イエス 神との つながりで すると 直接 イエス  神と交流が出来ます 直接 尋ねられます 瞑想中や 印心の時 イエスを 見ることもあります 印心の時  座ってすぐに 見ることもあります

信心が十分に強ければですが 一部の弟子は 既に見ました 彼らは印心を受けて 何日も経っていませんよろしいですか 十戒はご存知ですね 十戒の一つが 「汝殺すなかれ」です 多くの人は人間だけを 殺してはならないと 理解しています しかし 神の言う 意味は違います 全ての生き物を 殺してはならない ということです 私達の弟や妹である 動物も含まれています 不殺生の もっと 深い意味を理解して いただきたいのです つまり 慈愛のある 生活を送り 聖書に こう書かれている通り 食べてはいけません 「食べる事で あなた方の兄弟を 躓かせ 落とすものは 食べてはならない」 覚えておいでですか また 肉を食べる人 酒を飲む人と 交わるなかれ これは不殺生の 真の意味です 動物も殺さず 食べないことです

私達が肉を食べれば  他の人が 殺すことになるので 間接殺生になります 私が唯一 皆さんに 注意を喚起したいのは 十戒の深い意味に 対する理解です ほかに何の新しい 教えもありません 内面の自分を 呼び起こすだけで 新しいことは 何も教えていません よろしいですか 聖書では 菜食する ように教えていない と言うかもしれません 聖書の多くの節や 言葉では 肉を食べず 酒を飲まないように 教えていると気づいて いただきたいのです 「腹のための肉も 肉のための腹も 神は両方とも滅ぼす その肉も腹も」 「肉食者と酒飲みとは 交わるなかれ」 どういう意味でしょう 聖書には 神は一回 怒ったことが 書かれています 神に肉を求めた 人がいました 

神は形質変換の マジックパワーを使い 彼らに 雨のように 肉を降らしました その後 神は彼らを 皆殺しにしました そうですね 聖書のほかの節では こう書かれています 「牛や羊を 私に捧げるために 殺すな」 私とは神を指します 「あなた方の罪が 許されるよう 無垢な 者の血を洗いなさい 罪を懺悔しなさい でなければあなた方の 祈りを聞きません  あなた方の手は無垢な 者の血に濡れている」 神が動物を殺して 自分に捧げることを 禁じるなら 私達に 自分のために 動物を殺すことを 許すでしょうか 人は神より偉大ですか ありがとう

人が神に近づくには 内面のエネルギーを 創造し それを 保つべきですか いいえ あなたがこの学校を 信じるなら 彼らに 従うでしょう 私達の方法では 何も 創造しないのです 内面の人間  内面のパワーを 呼び起こすだけです 生まれつきのものです 既にそこにあります 人間が作ったものは 全て人工的なもので 既に存在している 自然のものは全て 神が創った ものだからです