この世は私達の 所有物ではありません そうですが 多くの人々はそれを共有せず 共有を好みません ほら  実際にこの世界は 動物も含め 全衆生のものなのです そういう訳で菜食の 方針に従います なぜならこの惑星に 存在する者の思考力の 影響によって この世界が 存在するからです

この場所が欲しいです だから動物も含め 皆が存在するのですね でもこの世界にやって 来ると 世界は私達に 属すると思いがちです 誰もが自分のものだと 思っています ですから 異邦人を 排除し始めるのです

赤いの 黒いの 黄色いのなどをです

赤いのは白いのを 排除したくなります そして白いのは 黒いのを排除したく なり などなど そして黒いの 白いの 黄色いのは動物などを 排除したくなるのです

そして 私達は この世界の単独所有者 ではなく共同所有者 だという事を忘れます そういう訳で 動物を 殺してはならず 食べるべきではなく そして もちろん 特に他の生きものを 殺すべきでないのです けれども政治 または 愛国心や 宗教の名のもとに 時に私達は殺します ええ 私達は殺戮を 多くの飾り立てた 言い訳で弁明します 実際 これは正しくは ありません 今日殺したら来世で 殺されるからです ですから 戦争が 私達の世界でいつも 続いているのです そして 私達はなぜか 不思議に思います 何も不思議に思う ことなどありません 驚くことはありません 何かの種をまいたら その果物を収穫します  そうですね 聖書でさえ言ってます まいた種は 刈らねばならないと そして 私達は 戦争や争いなどの 影響で苦しんでいない 人達は  暴力の種を まいていない ということなのです 私達がそのように 続けていったら たとえどんな瞑想法を 修行していなくても 神を崇拝してなくても つまり正式に 登録していなくても 再び 安全で  安定して 健康的に  生まれて来るでしょう 私達は損害の種  戦争 暴力の種を 持っていないからです

実際 私は誰でも 自身の智慧が すでに内面にあると思っているので 互いに気づかせますが 教えたり話しすぎる 必要はありません 私達はベジタリアン ハウスの隣にいるので ベジタリアンの方針も 覚えているでしょう なぜ最高の方針ですか それは 私達が動物を 殺さないとお互いに 気付かせられたら もちろん どのように 人を殺すかは 知っていますが 戦争は自然に根元から 排除されていきます 実際 それが 原理のようなものです 私達には希望があると 思います 最近 米国では ベジタリアンに なることが流行です (ええ)夢ですか いいえ事実です(本当) たぶん動機は健康です そうですね(はい) ある日 誰かが私のために 運転してくれました 私はこう言いました 今では至るところで 菜食が 見つけられます 簡単になりましたね たぶん二、三十年 前より簡単です 十年前でさえ困難で 私は言いました わあとても良い事です 私は高速道路に沿って 運転していて サンフランシスコ からの見事な橋を 運転していたからだと 思います ここに来る前に サンフランシスコに 到着しました そして 思いました 米国人を尊敬してます

彼らの力に 彼らの決断力に 仕事熱心な精神は 二百年以内で 彼らは全国家を 大国に築き上げました 広大な国なのに  少数の人々で つまり小さくて 人口の多い他の国と 比べた場合です 私はとても感動し 私はアメリカに 到着すると 常に感動します 今回サンフランシスコ だったせいです 町は非常に心地よく ええ まるで フランスのようでした

また 橋も道路も 非常に広く  とても良く整備され 手入れされていました 感動して言いました 何ということ アメリカ人でしょう 彼らが世界を先導する 国家なのは 無理もないと 彼らは懸命に働き たった二百年で 歴史を築きました 多くの国は 二千年 五千年でも 進歩がありません

私は考え 言いました アメリカ人も 難民だったと 何だったのかではなく 今がどうなのかです それで違いが生まれ 何になるか変わります そうですね

本当にアメリカ人は 元々欧州から来たのだ と思いました

彼らは当時  暴力や 宗教戦争 そして争いによって 追いやられていました 彼らは自身の信仰を 守りたかったのです それは非常に高潔です

私は言いました アメリカ人も難民です ご覧なさい いかに 彼らがたった二百人で 歴史を築いたかを 非常に若いです 何もない所から 始めました 頭脳だけ 精神だけ 神に対する 誠実な信仰だけでした ご覧なさい 彼らは 荒野を 大きく 不毛の土地を  国家に築いたのです 私は非常に感動し とても尊敬し アメリカという土地へ 足を踏み入れました 以前アメリカへきた時 感傷的ではありません でしたが 今回は 少し特別でした

人はこう言います まあ アメリカ人は 少し物質主義の ようだと 私は「いいえ 違う そうであるべきです たった二百年です 彼らはそうあるべきで この国を築くために 彼らの心をすべて つぎ込んだのですから でも今 くつろぎ始めています  彼らは全てを手に入れ 全てを築きました 彼らは安全で健全です もちろん 彼ら自身の ために その後の 世代の子供達のために 家を建てる必要が  ありました 道路を見てください

何千キロの長い道を 見るだけで 砂漠や海を越える  道路を見るだけで 感じます

尊敬の気持ちで 彼らが懸命だったと 感じるでしょう 私は言います 「そうに違いない 物質主義ではなく 懸命だったのだ」と 当時 未知の  敵対的な地で 現実的になるために こんなにも友好的な 繁栄している楽園に そして 世界の多くの 人々がうらやむような 国に育ったのです 全世界がアメリカに 来るのは 彼らもまた この地に来たとき 開拓者の驚異を 感じたからでしょう そして 彼らは 何もない所から築き 地球上で 最も強力な国家に 作り上げたのです だから私は彼らは そのはずだと言います

物質主義ではなく そうすべきなのです 最初に 家を建てる ためにどこかに 来ます そして 電気 水を引き 都市の安全を確保して それで精神的なことや 菜食主義について 話せるのです あなたがここに来た時 豆腐もなく どうやって他の事を 話せるでしょうか アメリカ人にとって  必要な物は全て 揃ったと思います そして今 彼らの 根源は霊性であるため 彼らは必ず 霊性に目を向けます どれ程多くの人達が 瞑想に注目しているか 観音法門にと言って いるのではありません 手の届くものなら 何でも掴むのです なぜならそれに 餓えているからです

何でも修行します アメリカ人の 問題点はここです 何をするにしても やり過ぎてしまうこと もう出来ないという 所までやることです

何にでも 機会を与えますね そして時間もかけます

とてもとても公平です

その事はアメリカ人が 最初からとても  霊的であるという事を 証明しています

彼らの根源は霊的です その霊性ゆえに ここへやって来ました 第一の理由 この土地へ落ち着いた 動機は霊的な 理由でした 故に その種は滅びません また彼らが 霊的である故に 自分たちの土地を 強力に築けました 霊的な人々のみが 真に強く知的で いられるのです ですからその様な 見方はしません 私達はアメリカ人を 物質主義者とは 思いません それは本当ではない 霊的な人も物質主義で あります 物質主義的ではなく 現実的です

何故すべてにおいて かたよる必要が あるのでしょうか 極端なのは良くない それは狂信でしょう

そして私が言います 今彼らは改心しました この世の存在としての 快適さを 全て手に入れたので やっと彼らの 準備が整いました 今彼らはとても 霊性に向いています ですからアメリカには これほど多くの 菜食家庭があり 多くの人  何万人もの人々が 菜食主義者なのです

車に乗り合わせた人は 健康のためにそうして いるのだと言いました

違います と私は言いました 多くが知っています 例えば喫煙ですが それは健康を害します 全てのタバコの箱には 健康の害になると 書いてあります 健康に危険であると 健康を脅かすのだと 一つ一つ 箱の全てに 書かれていても まだタバコを吸います 日に二、三箱も ですからアメリカ人が 健康のためだけに 菜食すると 言うことは出来ません

とにかく 時には 思考回路の 奥にあることに 着目するべきです

それが誰のでも 見えている部分が常に 問題や質問の 真の答えであるとは 言えません

例えばですが 本当に多くの人が 飲酒と喫煙がガンの 原因だと知っていても まだ続けます

台北にある 最大級のホテルの オーナーの娘さんの 話しです 彼はガンで 家族皆がそれを 知っていました 彼も知っていました 家族全員が 彼は肉を 食べてはいけないと 知っていました 医者が肉を食べるべき ではないと言ったから おかしなことです ガンになり 肉を 食べれなくなったのか 最初から肉を食べる べきではないのです とにかく 私がお伝えした事は 正しかったのです 彼は今 肉を食べる べきでないとわかり 医者が肉を減らした 食事を指導しました 肉なしは彼には 耐えられない事です 彼自身が知っています 苦しみますがそれでも ステーキや他の好きな物を食べます つまり人々にとって 健康を案じるから 菜食になるというのは 簡単に できる事ではないです 簡単にできません

魂の根源の最奥に 何かがあるはずです 彼にそう思わせる 魂の何かが 内側で囁くのです 「この方がいいよ より調和的だよ この方がより平和的で 世界平和に 貢献する事です ですから 菜食主義でいよう」 静かなるその声を 彼は聞くのです 健康以外のことです 多くの人達が 健康上の問題を 抱えています しかしコーヒーも ウイスキーや何かも 飲むことを止めません そうですね(はい)ええ

禁止されている 食べ物ほど 美味しいのです  誰かに ウイスキーを 飲んではいけないと 言ったら二本ボトルを 買いに行きます(はい) これが人間の心理です アダムとイブが私達に 問題を起こした 理由はこれです

神は元々 ただ 私たちが増えることを 望みました 多様になるように 私達が色とりどりに なるように もともと神は そう願っていました 人生がカラフルで もっと楽しくなるよう 良いのと悪いの そして中間があり 最悪があります 神は劇を見るのが 好きなのです 私達が映画を 観に行くのと同じです すべての登場人物が 同じ役を演じるとは 思わないでしょう そうです  皆が同じ役を演じたら そんな映画 見ていられますか ですから 脚本家は 色々な事を書くのです 良い人に 悪い人 ここには面白い人 あちらは泣いてる人 神様も同じです 神は退屈です 神は孤独です だから私達が たくさん子を産み 彼らが走り回って 騒ぎを起こすのを 神は楽しみたいのです 神はもともと そう仕組んだのです でも神はそうとは 言いませんでした 最も身近な者にすら そうです アダムと イブにも言いました これをしてはいけない したら死にますと そういった途端に 彼らがそれをすると 知っていながら 神は言ったのです これが問題です ですから元々  私達は罪深くないと 私は言いましたね 悪いカルマ(報い)もないのです 悪いカルマ(報い)は すべて 神のものですから だいたい なぜ  神はアダムとイブを 造ったのか でしょ それからりんごの木を 庭の真ん中に 置いたりして それは一体 何のために それはたった一つです 人々に 食べては ならぬと言うのです 我々の祖先がサルだと 神が知っているなら 果物を造るべきでは なかったのです 庭の唯一の木です そしてそれを 食べるなと言うのです 信じられますか 誰だって約束を 守れないでしょう

秘密をお教えします  私が幼く とてもとても小さく 幼かった時 私達の庭には 果物の木がありました 私は肉が嫌いでした

庭にあるすべての 果物の実は 実に魅力的でした

いつ頃になれば どの実が食べごろか 私にはわかりました 半分熟したのか 三分の一か完熟か 私は計算した上で いつも実を 摘んでいました

家族 皆が 分け合い それを 食べる権利が あったにも関らず その機会はありません なぜなら実が決して 一度に熟さないから 一つ二つずつ熟し 私がいつも一番に 食べてしまうからです ええ 私がいつも 果物を食べることを 考えていたからです 私は肉が好きで ないからです

釈迦牟尼仏のように 托鉢に行く 必要はありません

彼は王子から 物乞いになりました

たぶん生れながらの 菜食者 なのかも しれません そう 私達の内にある この本能が 子供の多くは 肉が嫌いだと 気付くでしょう

私達が無理やり 食べさせるのです 時に子供は 食べないのに 後から食べることに 慣れてしまうのです そうでしょう(ええ) お子さんがいたら 分りますね 確かにそうです 私達全員 同様の ことが言えます

そして 恐らく 釈迦牟尼仏は自分が 肉食が嫌いだという 直感があり しかし彼は皇子であり 彼は何でも入手できた ただ皇子であるために 食べなければ なりませんでした

良い運命には  悪いカルマ(報い)が つき物です

しかし良い事について 話すとき 時に 考えねばなりません 皆さんは既に 知っていますが 中には知らない人も います 良い物は 本当は良いもので ないときがあります 皆 知っています 例えば タバコやお酒 または 肉や魚は私達に沢山の 問題を作りますね しかし私達はそれらの 「うまいもの」に執着し 良い物だと思ってます

だから人生には 沢山の問題があります 菜食の食事に 変えた人の中には 顔がすぐに 変わった人もいます   観音法門を修行して いなくてもこの違いを 見る事ができます

彼らの表情の 違いに 気づくことが出来ます 軽くなり 重荷が なくなったようです あるいは彼らの表情は より明るくなり 楽観的になっています 話し方も軽くて より楽観的なのです そして彼らの物事の やり方も違ってきます または 自分の内で その経験することが できるかもしれません

あなたの人生です あなたの魂 生き方です 自分が なりたいものに対して 責任があるのです 私に責任はありません あなたがしたい事をし 心から来るものなら それは良いのです 私が影響を与える 必要はありません あなたは一人でも神で あなたの内に神がいて 私にも神がいます あなたにとって何が 最善か尋ねない限り 私があなたに何かを 言う必要はありません 尋ねれば私は答えます あなたが尋ねなければ 私は何も 言わないでしょう 簡単なことです よって 実際 私達がすることは 自分に責任があります

誰かを責めたり 答えをくれる人を 探す必要はありません 実際はありません グル マスターを 敬うことさえ または そのようなものは 私達の進歩を邪魔する ことになります

マスターの所に来て 何でも聞きます なぜなら既にそれを 持っているからです

既に知っています

恐らく彼らと 確認したいのです

自分の決断をより強く 信じられるように なぜなら 二人が 賛成すれば  物事はより速く より肯定的に なる傾向があります それだけです そうでなければ  準備できてなくても もっとこの世で長く ふざけていたいなら 私が影響を与えても 効果ありません

私は決してできません 神でさえできません

人々は変わりたいと 望みます そして人々が 変わりたいとき 彼らは変わります  アメリカ人のように 彼らは変わりました 彼らは菜食者に なりたくて そして 瞑想し 沢山の事を 学んでいます 望んでいるため  準備ができています 彼らは自身の国を 築いたのです 彼らは自由な アメリカの 設立の基盤を 築いたのです 今彼らは自由です 彼らの手は自由です 心は落ち着いています 彼らは もとの 人生の動機に アメリカへの旅を 追求できます

霊性のため彼らは ここに来て やっと 成し遂げるのです それだけです

私はお寺に 通っていました 僧侶はいつも私に 女性は決して男性より 悟りを開けないと 言いました(あらそう) 男性は女性より 啓発されていると それについて どう思いますか

自分を男性や女性と 思っている限り 決して仏陀に なることは出来ません いいですね

ところで これに関連して ここだけの話ですよ ある仏教のスートラに 経典の王と呼ばれる つまり聖書があります 「スートラ」とは 仏教の聖書のことです

仏教の聖書に 法華経と いうものがあります その経典には 文殊師利菩薩 当時仏陀と共に 天国の最高位の 弟子の一人であった 彼が その時に 弟子たちの集会で 物語を話しました 仏陀もいました

仏陀もそのとき 参加していました 彼は八歳の女の子が 即座に仏陀になった 話をしました その女の子は 人間でもなく 龍の一族だったのです

他に質問はありますか

実際 私達は十分に 会う時間がないですね あなた達は常に 質問があるでしょう 何の質問もなくても なぜ 質問がないのかを 尋ねるのでしょうね 人生を楽しむだけです

いい子でいて下さい そしてできるなら 菜食になるよう努めて そして良い人生を 送るのです 神が私達に与える物は 何でも楽しむのです 私達は家を所有します 世界を所有するのです 考え事をするのです 思考力でこの世を 創造したのですから 楽しむのです いいですね ですが共有を試みて 私達の財産を 損ねないようにね 思考力を疑う人は 皆 魔法の力を 持つ人々について 思い出すべきです アメリカの 一人の人は 自由の女神を 消す事さえできます 五分もの間です それが思考力です

皆さんもバラバラに 物事を分解できます 形あるものを それらが個体になる 前の元の状態に 戻せるのです 私達のように  存在し始める前に 私達はどこから来たか ええ 私達は 元の源にいました 私達は物質の 家にいました 私達は 未来形成工場にいます そうですね そう だからこそ 人々は目に見えない 術を学べるのです

または 飛行技術や 具体化したもの 非物質化したものの 技術です それはとても簡単です でも それらは まだ思考の 知力の レベルなのです

思考を超越した 高いレベル 頭脳の存在を超越した レベルがあります それは思考の過程と 思考のパワーが 存在に入る前です それは高いレベル 神のレベルで 全能者のレベルです すべての衆生の もともとの家で 私達の魂と すべての 衆生の魂を含みます それは私達が 古代のマスターから 習った 光と音の法門によって 到達できるレベルです より高いレベルです

ですから この本来の力を使って すべての物質の存在を すべての結果と原因を 超えて行けるのです そういう訳で 私達は自在になれます それで悪いカルマ (報い)を超えられるのです

それが唯一 価値のあることです いいですね ええ あなたが仏陀に なりたいかどうかは 女性だからですか あなたは先ほど 二百年前にやって来た 米国人の霊性について 話しましたが インディアンを殺し またアメリカ先住民の 土地を盗んだことは どう思いますか

土地は神のものです 誰でも来て 留まることができます

戦いがあり それは避けられません

双方の人種に 誤解があるのです そうですね

先に来た者達との 文化の違いによる 衝突があります もちろん好みません 良くないのです

でもそれは この世界の問題です 決して分かち合わず 共に同時に 発展しないせいです

マスター お会いでき うれしいです 第二に 皆にソウルメイトは いますか もしそうなら 解脱できる前に ソウルメイトを 見つけるべきですか ええ あなたは見つけ ましたか(恐らく) 良かった おめでとう

いえ 自分のを 見つけたか分りません ええ いわゆる ソウルメイトは ええ きっと あるソウルメイトは すでに解脱していて ここで探すことは できません あるソウルメイトは まだこの辺にいます だから待ってて下さい 実際にこれは 理論の一部です もう望まなければ あなたの心に もう欲がないなら たとえソウルメイトが 天国や地獄にいても 関係ありません

あなたは目覚めて 無欲のレベルに 到達すべきです そしてソウルメイトは どこにでもいて また存在もしません あなたはどこでもいて 遍在だからです あなたが遍在なら ソウルメイトの存在は 不要です ありがとう

マスター 食に関して 話をしましたが 興味深い 質問があります どんな霊的な食べ物を あなたは信奉者に 与えていますか 彼らはあなたの智慧と 教えを とても切望しています あなたは広く 釈迦牟尼や老子 孔子 聖書と全ての経典を 読みました 霊的な食べ物とは どんなものでしょうか

それを食べるために あなたは印心を受けに 来なければなりません 私が話した事はすべて ただの広告です その食べ物の中には 与えられるべき 霊性があります 一つひとつの中にです はい あなたは幅広く読んで 全てを読みました あなたも読みました ええ それら全ての 経典は理解しにくく 特に中国の文学は 難しいです そうですか 簡単に思いますが

あなたに智慧が あっても一般の人々は 理解できません 来て 智慧を共有する ことに歓迎します それがその理由です あなたにこれについて すべての教理があれば 信奉者にとって 実に実りだと思います 霊的な食べ物は 話す事ではありません 実際に消化する事で 静かに吸収する事です ええ 話す事は広告で メニューみたいです 食べ物ではありません その食べ物は実際 沈黙の中でマスターと 弟子が分かち合います ええ 信じる者や 印心を受けたものは その全てを理解します 彼らには毎日 食べ物がありますね それでイエスは人は パンなしで生きられ ないと言ったのです それは 内面のパンの意味です 命のパンと水は 私達が永遠に生きる ために 共有し 消化すべきものです ええ そうです ありがとう マスター 今日は 残酷さについて話をしました 副産物は どうなのでしょうか 靴やかばんなどの ようなものや 手術するのに必要な 輸血は どうなのですか わかりました 必要ならそうしなさい 何かすべきなら そうしなさい 狂信的にならないでね 生存するのに 血液が必要なら 受け入れなさい

緊急事態なら 受け入れてもいいです いいですね

あなたが靴や 暖かい服を着ないなら あなたが生存できるか どうか私は知りません あるいは真っ直ぐに 天国に行くか それはあなた次第です でも 不快に思うなら 買わないことです 人工皮革の靴や そんな製品があって 暖かいですよ 私自身 レザーは嫌いです

ある人々は 霊的にとても敏感です もし彼らが着れば 彼らは動物が 殺される時の 苦しみをも 感じとれるのです だから 彼らは避けるのです それが自然な 成り行きによります

それはあなたが今 菜食をし 沢山瞑想するのと同じ そして今 あなたが肉を食べる 機会があったり 私が許可しても 私は何も言わなくても あなたはできません 嫌いなのです 私のような人々は たとえその製品が ベジタリアンでも 魚や肉に似せて 作られていたり 刺激する臭いがすれば 私は食べられません

たとえ それが百% ベジタリアンでも 臭いがすれば 魚に近い臭いがすれば 食べられませんでした

その似たような物を 思い出させる 敏感さのせいです

なぜ私達は神のとの 繋がりを忘れるほど 愚かだったのですか

ええ それはこの世の 無数の人々に影響を 及ぼします あなた だけに答えられません

人々は遊び呆けるのが 好きなのでしょうね そして彼らの時間は やって来ません まるで芝居の中の 人々のようです 元々はとても良い人 なのですが 悪役を 演じます いいでしょ

皆 何をしたいか 選択は自由です いずれにせよ神は常に 彼らの内にいて 忘れられないのです 彼らは自身の 神なのです この肉体という寺院の 中に住んでいます どうして私達は神を 忘れられますか ただ私達が選ぶのは 家に帰る代わりに 存在し続けることです

それだけですね 誰も神を忘れません 私達が神を忘れる 時には 私達は この世に存在しません その一方で 絶対に 神は私達を忘れません どうやって私達は 神から逃れるのですか 心配しないで 皆大丈夫です

大丈夫 愛してますよ (私たちもです) 私も皆さんの無私の 愛に感謝しています これは本当の 無私の愛ですね つまり私達は 何も求めません 愛だけですね(はい) ただあなたを愛し ただあなたは私を愛し それでいいのです 最高です 天国ですね いいですか これぞ本当の天国で 天国はこのようです だからあなた自身の 内に天国を持ちなさい 世界はあなたの天国 なぜならこの世はまた 宇宙の片隅だからです だからすべての場所が 天国になり得ます すべての場所が 宇宙の片隅です 一つの場所から他の 場所に天国を探しに 行く必要はないのです そんな感じですね だから聖書は説きます 神は汝の中に宿ると