いいでしょう では 何かご質問が ありますか ある時 私は非常に 軽く感じ とても・・ その時の感じは 素晴らしかったです そしてとても強くなり 私は進み 私の体は動いてました 本当です 制御できなくなって それで分かりませんが 少し恐くなりました (観音)使者に尋ねると 彼は「心配無用それは なくなる」と 確かに なくなり 止みました けれど今は寂しいです その感覚がなくて それはあまり・・・ 同じではないので ちょっと心配で ええ どうしますか

あなたが良い体験を 得たり 何であれ 体験した時はただ 冷静でいて下さい でないとあなたは 不平を言い 神も 「ああ 彼女は望まない いいだろう よし」と それを引っ込めます 持てなくなりますよ いいですか あなたに害のない事は (観音)使者に 尋ねてはいけません あなたが軽く 幸福に感じる限り それは良い体験である はずです それを保持し 沈黙していなさい 全く大した事ではない 事を大袈裟に興奮する のは良くないです 神はあなたの内面に いるからです あなたの望む事は皆 神には聞こえます 保持した方が良いです または次の時 それが 度を越すなら ただ 祈ります いいですか 楽しいなら話さない 方が良いでしょう 時々 そんな風でもあります 他の人々に あなたの良い体験を 共有しても 彼らがそれを好まない こともあります あなたがそれを得た ことが嫌なのではなく ただ重く感じます 「なぜ 彼女にはあって 私にはないのか」 そして 否定的な力が 彼女から発生します 彼女は落胆した感じや 嫉妬の波動を その時 または後で 送ります それも私達の瞑想の 障害になります だからマスターは 話すことを禁じてます いいですか マスターが 「命令的」なのでも 不当でもありません 「なぜ良い事なのに 共有できないのか」 良い事は必ずしも共有 できる訳ではないです あなたはご主人を 誰かと共有することは できますか あなたに良い事です

いいえ また良い事は 人々の意見にも よります あなたにとって 良い事でも他の誰かに とっては良くないかも しれません それで体験は 話すべきではないと 言うのです 不快や不安な時を 除いてはです そしてもちろん私達は マスターや教師の 指導を求められます 良い事は保持します 心に納めておきます そうでないと 沢山の障害を招きます 多くの人々に教えれば それだけ更に 問題を招きます 霊修行も同じです それは真実です 一旦 脳か何かに 記録されると それは 信号を送るようになり 「それは良くない 私にとって良くない 彼女が私より良い物を 持っているのは 私は嫌だ」と あらゆる種の物質的な 所有物と同様です あなたに車があり 隣人が持ってないなら 彼らはまたあなたに 嫉妬を感じ 時に やきもちの雰囲気と なり 感じられます いいですか それが理由で私達は皆 同じ霊体験が 得られないのです いったん 暴露してしまうと いいですね どう致しまして でも再び得られますよ 安心して下さい もっと瞑想し 内在の マスターに祈ります 今日からあなたは 得られますよ 毎日でなくとも あなたがした その方法で そして 更にです もっと それは最高の体験と いう訳ではありません とにかく 心配しないで下さい あなたにお会いできて ありがとうと言わねば なりません マスター あなたの本を 二年前に読んだ時 あなたの本を更に どう見つけ接触するか 分かりませんでした 私は生涯かけて 待っていたような 感じがしたものです あなたに会う前の 私の人生は 皆が私の生活は良いと 思っていたものですが 私は落胆していました

家族に多くの問題が あると思っていました 夫と娘の面倒を どう見たらいいかと あなたの本を 読んだ時  問題は自然に去って 行きました あなたの本と教理を 読んだ後です 泣きそうになりました あなたに会いたくて それで今日会えて 私は最高に幸せです (何をしたのですか) 二年前エジンバラの 展覧会へ行き あなたの本 小冊子を 手に入れました 他の書籍を更にどこで 買うか分りません でしたが それから 二年程待ちました 私は再び展覧会へ行き さらにあなたの書籍を 幾つか買えました それで更に理解できる ようになり 私の人生 疑問 問題のすべてを あなたは話してました それで私は「これが 人生だ 更に人生が 理解できる」と そういう訳でした 私は「マスターは それを私に教えてくれ 子供達の面倒の見方を 教えてくれました 私は耐えるべきで 彼女はたった三歳だ」 とにかくあなたは 沢山教えて下さった ありがとうございます 今はすべて より平和です 神のおかげです (私は前より幸せです) その子のために 私もとても幸せです 素晴らしい本 瞑想も助けて下さり とても素晴らしいです あなたの雑誌が来ると 私の娘は言います 「ママはいつも その雑誌と一緒ね」 彼女はそれが誰なのか 尋ねます 私の夫と娘は 私が マスターに似ている と言うからです (あなたの方が可愛い) 夫がこう言いました 「ああ 君達は 姉妹のようだね」と それ以降 彼も瞑想しています

すべてが 夫も家族も 何もかも以前より ずっと幸せに 感じられます 良かった 良かった 彼には障害があり 忍耐がなくなります 私はどう面倒見たら よいのでしょうか

あなたの七~八巻の 本を読んで すべてのことで 多くを学びました ありがとうございます 人生の問題の解決の 方法を教え 子供達の 夫の 家族の愛し方を 教えてくれたのです 私の本が ご家族の 助けとなったと聞いて うれしいです

私の夢はかないました 霊修行において 私達が自身を 内省しないなら まだ非常に自分勝手に 違いありません ですから 戒律を 覚えているべきです 崇高な思考 偉大な愛 偉大な仕事 偉大な犠牲を覚えて いるべきなのです そうでないと 全てが 私達を邪魔します 私達は自由になるため 即座に破壊 するかもしれません けれども それは真の「自由」ではないのです 恐らく一時的には 自由になっても 後に そうではなくなります 今の状況が どうであっても ただ耐える方が 良いです いいですか できなければ・・・ 最善を尽した後ですね それが避けられない なら 耐えて下さい 自由になるために物を壊したり 人を傷つけないように 自由になれない からです 良心が 生涯私達を 邪魔するでしょうから ですから皆さんへの 私の忠告とは  印心している いないにかかわらず 以前そんな事をしたり たとえば 良心に反する事などを もしも したなら 今 自分を許して下さい 今はもう再びしないと 分かっています 過去の過ちは 何であれ再び犯す事は ありません それが重要な事です 誤ちはそれ程悪くない 再び同じ過ちを 犯さない限りです それを 認識できる限り 終わりにします 聖人は言います 「過ちを犯すのが人間 間違うのが 人間 そして後悔 するのが聖人」と 誤ちを犯しては ならないというのでは ありません 悪事を考えても 許される訳でもなく 時々コントロール 不可能なのです でも少なくとも私達は人間です 頭脳があり 智慧があり どちらが自らに 良い事か知るべきです そして 常に 最良の方を選ぶのです 私達の選択は 自身に よってできる事です より崇高で愛があるか 下劣で愛に欠け 惨めで無駄な人生を その存在で 送りたいかという それで私達は常に 選択する前に 考えるべきなのです それが 戒律を守り ベジタリアンの 食事や その他諸々の ことをする目的で 私達に より崇高な 選択をそうすべき事を 覚えておくためです そうでなければ 私達の生活の中で 何でもできるでしょう 警察が私達を 捕まえるか否かは 問題ではありません

これはただ あなたがこれほど 優しく美しい女性が プレッシャーにより 状況によって 否定的な存在になる ことを示しています それで私達は常に 自らの状況や圧力に 問題をかけられない様 面倒を見るべきだと いうことです

常にどこへ行くか 何をするか 分かっているべきです プレッシャーの下で あっても やはり 知っておくべきです 智慧があるからです それで瞑想を 修行すべきなのです 瞑想すれば 一切 悪く考えず 悪事を 再びしないという ことではありません まだ考えます 習慣だからです でも少なくとも 智慧があるので コントロールできて 最良の選択が分ります 一番崇高で もっとも 人間的で 聖人らしい ものが選べるのです いいですか カルマ(報い) 状況 プレッシャーは人間の 魂に対し恐ろしいです 私達はこの種の社会の 圧力と雰囲気の中 必死に生きています 私達は常に気持ちを しっかり保つべきで でないと 常に 壊れかねず 崇高な 目的も忘れるでしょう 時に人々は 何かせねばなりません それは難しく 大変そうですが 実際は 彼らにとって 良い事だったりします 彼らの魂を修練し 頭脳を訓練し 身体を鍛え それにより成長します ですから実際 人生に おいて熱狂的すぎては いけなかったりします でないと 私が 野菜にも感情があると 言ったら 私達は どうすべきでしょうか 印心後 私達は皆 飢え死にします 息さえもしません 分かりますか 空気中にも 生物がいますから 眼に見えないウイルス 微生物など 息をしたら 全部殺してしまいます 地面を 踏み歩くたびに 何か生物を 殺します そして 手を洗うときは 消毒をして多くの 肉眼で見えない生物も 殺しても いるのです いかに両者を行うか? ヒマラヤへ行き 自身を凍らせ バイバイしますか 私達は各状況下で 生きねばなりません 自身を追いこまない 程度にです 始まる前に心を静めるために それを使います いいですよ いくらか エクササイズを行って 息を普通に整えます 例えば何回か 深呼吸をしてみます 大丈夫です でも呼吸に集中 しすぎないで下さいね いいですか それはまだ物質的で 永続的ではないです

私の顔に笑みを 灯して下さり 感謝致します 私は幸せになりました 本当ですか 以前私は とても惨めでしたが 今では笑顔になれます なぜ でも今幸せなのですね 泣きそうです ええ 泣きなさい 私にして下さった 全てに感謝致します マスター 自身に感謝すべきです 人生でこのような 贈り物をもたらした あなた自身にね 自分に感謝しなさい これほど賢く崇高な 修行の道を選択し 私が助ける事を許した 自分自身に 感謝することです 私達を助けるように あなたを地球に送った 神に感謝致します そうです 私達は時々そうします ここに来て 何かをします (愛してます)有難う あなたの愛を受けます そうです 反応を 聞くのは良いです (有難うございます) 大歓迎です ありがとう 私にとって いつも反応を聞くのは 良いことであり 励みになります たとえ時々 緊急な情報や 差し迫った質問の ある人たちによって 私に時間が ないために できなくてもです すでに幸せな人々には 私は通常 省略します こう言います「はい もういいですよ ご質問は?」 私が話したくない からではありません ただ時々 人々が すでに幸せだと思えば 放っておきます それでいいのです

心配する必要はなく ただ困っている 人々なら 私は知るべきです それだけですよ でもいつも 反応を聞くのは 本当に良いことです

聞けるのは嬉しいです とても私にとって 励みになります だから皆さんから 反応を聞くのは 常に良いのです 印心者にも良いです 同じものを得て それに 励ましも得ますし 得ていない者が いても 大丈夫です より誠意が持てます 「彼女の救いになった 私も救われるはずだ」 新しい人たち 本当にありがとう 私達 新印心者にとり マスターは母親です 私達は マスターに養われ 肯定的なエネルギーを 得たり 癒されたり それらすべてを 得たことに対して 何をお返しできますか どうもありがとう 分かりました あなたの良い思いが すでに癒しです 私にそのような 良い思いを送れます それで結構です 人々があなたを 良く思うときや 心配するとき あなたのために祈る時 それが癒しの力です いいですか だからこそ 私達は互いに親切に すべきで すると人は あなたに肯定的な エネルギーを送ります 誰でもそれができます マスター ここに 来られて感謝します 私達はお会いするのを 長い間待っていました ビデオを ビデオを見始め あなたを待ってました 現実的観点が好きです 他のマスターが いる時は 人生に描かれた ロマンチックな風景が あります 彼らは痛みを感じず すべてが優雅で この上ない喜びです でもマスターは ご自身の痛みを話され 他者と関係し・・ そのことに感謝します

(私は正直なだけです) 真実を家に もたらすからです

本当に感謝します 私は神に誓って 常に誠実でいます それだけです マスターでいることを 美化しません

お話ししておきます それは宇宙で 最も困難な仕事です でも構いません

皆理解さえもしません 皆は私を理解すると 言っても とにかく 気付かない いいです

私には痛みがあり 喜びがあります 

皆にあるものはすべて ありますが ただ その本質を知っていて それらを尊ぶか 特定の目的で使います 私を制御させたり 引き下ろさせたり させないのです それだけです それが私達皆にとって 智慧を修行するときの 目的です 私達と周囲の人に より良いものを 選択できるようにです 私がマスターになって 全情熱を捨て終わった という訳ではないです それでは仏像のことを 話しているみたいです

ありがとうマスター 妻は三年九ヵ月前に 印心しました 昨日 国際電話で 妻と話したときに 私はこう言いました 「今日印心するよ」 妻はすぐに泣きました どうして?幸せだから 妻は長い間 ずっと待っていました 三年と九ヶ月間です あなたはずっと 取り引きしてたのね 来年 来年 来年って 奥さんに良い事ですね あなたにも良いです でも考えるのに 時間をかけて 行く道が正しいと 確信して はじめて 維持するのです 事実 私が妻に 言ったのはそれです 息子も昨年 フォルモサ(台湾)で 印心しました それでうちの家族全員 実際 今はすでに 家族全員です おめでとう 実は 質問があります いつも 特に冬の間は 街には ホームレスが たくさんいます 私達の分かち合いを 彼らに示したいのです それで 時には お金をあげたり 時には他のものを あげたりします でも時には  どうも飲み屋に行って 一杯飲むための金が 必要なだけみたいです その時  相手の意図が 悪いと思えば お金をあげません かわりに 一袋のパンや クッキーやお菓子を 持っていたら あげます (ええ 結構です) でも問題なのは 路上には 本当に大勢の ホームレスがいます 私はサンタみたいに 沢山袋を持ってません 私達はどうすべきか 教えて下さいませんか

あげたいものをあげる 自然にです 私はいつもポケットに 硬貨を用意しています ホームレスに会えば 一つかみ上げます それをどう使おうと 気にしません あなた次第です もちろん 与えて 気分が悪くない人なら 誰にでもすべきです だから私があげる時は 考えません 私は常に この名誉を 私自身への名誉を また相手への名誉を 与えてくれる人に 敬意を払います 私に愛深い 親切の名誉を 与えてくれる人を 否定的に考えたり しません 考えずに与えるのです 結果を考えないのです (ありがとうマスター) そう相手のことを神に 祈り 神が与えるかの ようにあげて 神が神の金でしたい ことなら何にでも 費やすようにね あげていいですよ 問題ありません すべての人に 親愛を送るのに 自由思想を費やす カルマ(応報)の影響は どんなことですか それをするのに 何か責任はありますか そして それを薦めますか 私達が瞑想するとき すでに頭脳に 大変高潔な目的を もっています それが瞑想の理由で  神を求めているのです それこそ 世界中の 誰にでも送れる 最も多くの親愛です

人々は自動的に 利益を得ます でもある場合は 自身のために良く 私達はこう感じます 「そうだ  彼らに親愛を送ろう 特にこの人に 特別な贈物を より個人的に」と それでも構いません 人々は常にとにかく 大変愛深く 好意的な振動から 利益を得ます でも瞑想そのものが すでに良いことです 常に心の中で 神のことを考えたり 繋がっていれば 自動的に 恩恵がやってきます 神は何を世話するかを 知っています その時 私達は 送る必要はありません でも もちろん 誰かが病気のときや 病気で私達の助けや 祈りが必要なら それに向けて送れば とても早いし ためになります 少なくとも自分にとり こう考えますね 「私って親切だ」 少なくとも 義務を果たすので 心が安らかです いいですね 与えるものは皆すぐに 自身のためになります ありがとうマスター どう致しまして 私は印心して とても嬉しいです お尋ねしたいのですが 近代科学について どうお考えですか 私は情報科学の 研究をしています 今では 大勢の人が 仕事をし 学術的な研究を しています それは単に遊びです 私の仕事は 必要ではなく 単に遊びだと思います 私が論文を書いて 国際会議に 出席すると この遊びは 良いと思いますが 役立ってません どうしてですか なぜ会議を 開くのですか そうですね

この世の多くの教授 一部の研究科学者は こういう類のことを しています 私は大勢会っています  英国の大変有名な 教授や科学者です

つまり 彼らは 自身の仕事をしている それでこの世の 科学について どうお考えですか 私達が考えるべき事は 科学に関することでは ありません 科学を運用する人に 関するものです 科学は広大で 私達はもちろん 人類の利益のために 多くのことを追求し 研究すべきです でもある人たちは そうしなかったり 博士号のために ちょっとの間する だけの人もいますが それは各自の選択です 人は より高潔に より献身的に なることを選ぶか  あるいは ただ無明で 利己的であることを 選ぶことができます 私達に何ができますか それは科学ではなく 個人の品性です いいですか はい 問題なのは それら作業全般の すべての人の・・・ 例えば 教育にとって 若者にとって 現代は大勢の学生が 勉強しています 科学の勉強により多く 時間を費やしています 恐らくそれらは 霊性の生き方と比べて 役に立ちません この世は良くないので 私達は高いレベルに 行くべきです (ええ そうです) なるほど分かりました 分かりました 霊的な人々も やはり食べ物が必要で 薬や衣服 何もかもが 必要です それが科学の仕事です いいですか それにもちろん 科学の学生全員が 最高になるとか アインシュタインや 他の偉大な科学者の ように偉大な科学者に なることは望めません でも 少なくとも 学生は例えば 手の洗浄や 実験室の消毒 細菌が試験管から 喉に飛んで 入らないようにする などの方法を 知っています

すでに役に立ってます 文学のクラスで 学生全員が 後に文学教授に ならないというような ことです 何か別のことを するでしょうし 学校で学んだことは 何でも利用できます 私達はただ中道を ゆくべきです すべてが正しいのです 科学は良いものです 霊性も科学です そして物理科学が あれば それも 人々に役立ちます 大勢の人は 霊修行をしないので より物理科学に 依存せねばなりません 一切を切り捨てるなど できないでしょう それで構わないのです 構いません たとえ千人のうちの わずか一人だけが 傑出した 科学者であっても それが世界と いうものです それがダイヤや 金というもので 石やちりや 石やちりや 森林の葉っぱでは ありません こんにちは マスター エゴと自信との 違いについて お話し頂けますか 「自信」とは 自身が何者か また 自分の得ているものを 知っていることです 「エゴ」とは 何も知らずに 自分の方法で行うのを 主張することです 例えばです いいですか 「自信」は単に 事実にのっとり 「私はこれができる それを習った 以前にしたことがあり もう一度できる」です 問題ありません それが自信です 事実を 自分にある能力を 述べているだけです 「エゴ」は・・・ そうです  誰とでももめたり 全ての答えに 要求にノーと言い 自分が正しくないと 分かっていても ただ「ダメだ そんなの無理 嫌だ」と言います そんな感じです 事実や 知識によって 議論するのではなく 主張するために 議論するからです

他者の利益のため 単に議論の 公平さのため それが自信です 自分が知っている事に ついて話し 自分ができることを 保障します エゴは 大変厄介なだけで トラブルメーカーです すべてを否定します 良いことでも すべてを傷つけます たとえ自分にとって それがどれほど 役立つか知らない 場合でもです 絶えず あるいはほとんど常に 正しいと主張します どんな事実も 知識の利益にも かかわらずです 自分が本当は そうではないのに 自分が最高と思い 自分は何でも 知っていると思い そうではないのに 何でも知っていると 公言します 例えばそんな感じです これがエゴです

こんにちは マスター 英国に来て下さり 感謝致します(ハロー) 印心する前 私は 呼吸の訓練をしていて それらは集中の助けと なりました (ハタヨガですか) いえプラナヤーマです (プラナヤーマですか) 視覚化し 観察します (はい) それらはかつて私には 役立ったものでした 印心以来 それらは 霊修行上 弊害を もたらすと言われたの ですが この理由に ついて説明頂きたいと 思うのですが 私には大変助けに なったからです

数回の 深呼吸ならできます それで十分なはずです なぜなら 智慧眼以外の 他のどこに集中する ことも有害となる からです 霊修行上の 弊害になります あなたは今 意識の その本来の場所への 集中を取り戻そうと しています 魂の根源へです それなのに 鼻孔 のど 更に低いレベルの チャクラに移すのは 時間の浪費と いえましょう あなたが 今 一時間 狂ったように汗をかき 智慧眼の集中に 努めて そして半時間後 再び鼻孔に集中し そして明日には 再び戻すとしたら あなた自身困惑します 智慧眼に注意を 持って来るだけでも 非常に難しいのです
キリスト教の修道士 仏教の僧侶 仏教の尼僧は 剃髪して  キリスト教の尼僧は 髪を隠します

隠しているのです 髪を短くもしますし あるいは隠します ええ 隠しています それで私は・・・ 理由が知りたいですか ええ はい 伝統です いいですね インドではこの世を 捨て 出家したい場合 一日でも二日でも 許されます それで その放棄を象徴して 師または その儀式の責任者が 髪を剃って くれるのです しかし その後 再び伸びてきたり 永久的に 修行僧になった後でも それでも 一度剃った後は 髪を伸ばすことが できるのですが 髪を剃らない 修行僧もいます 彼らは気にしません インドの修行僧は 本当に理解しています 髪が長かったり 短かったりと 彼らは気にしません 僧侶の精神を 知っています だからキリスト教徒は 髪を剃らないのかも しれません そうしたらいいのに 彼らはイエスに従い 分かりますか キリスト教徒と イエスは髪が長いです だから 彼らは そうしているのです そして 仏陀には 髪がありません 頭を剃ったからです わかりますか 彼の僧侶は全員 頭を剃っています その時期は 仏教に従っています 出家を象徴するために 人々が剃髪するのは ただ指導者に 従っているのです でも単なる伝統です いいですか 深く 本当の伝統を 理解しない人も 中にはいます それで彼らはいつも 剃髪するように強制し あるいは剃って かっこよく見えるから 常に剃っている人も 中にはいます 実際 インドでは 一度限りです 出家を象徴するためで その後はどれだけ 頻繁かは自由なのです 数日間 または 数カ月 数年など この世を放棄したい 時はいつでもです 一生涯  僧侶になるための 義務的なことでは ありません 決して 一生涯を 丸刈りの頭にするのは 必須ではありません 決して 自分次第です しかし インドでは とても柔軟です 広く開放的な精神で   皆が満足しています ほとんどの僧侶は 満足しています 彼らは髪のことを 気にしません 髪を伸ばしている 僧侶も中にはいます

歩いていると 電車のように 後ろに引きずっている 人もいます 時には  牛の排泄物と一緒に 泥を髪に入れます そうすればハエや ノミが髪に繁殖せず 彼らは決して 髪を洗わないのです それは独自の出家の 方法でもあるのです あるシーク教徒は 出家する前に 髪を長く 残したりします 男性でさえ 髪のてっぺんで 束ができるのです それが出家なのです シーク教徒は顎ひげを 伸ばさねばなりません 女性はしませんよ 心配しないで下さい 顎ひげを伸ばすのが 彼らの出家です 例えばのことです それはただ彼らの 宗派の象徴で 人々は彼らをみて 「この人は仏教徒だ」 と分かるのです それは昔の考えでした しかし  仏陀の死後 仏教を学ぶための 別の宗派 生きている教派を 見つけねばなりません 髪を剃りたいか 剃りたくないかは すでにご存知のように 違いはありません 印心後に 証明されるでしょう こんにちは マスター フランスからですか いいえ イギリスです イギリスですか(はい) 前回 あなたを フランスで見ました 同じひげと髪型で 口ひげでした はい 続けて  あなたにこの質問を して良いのか 分かりません (なぜですか) 昔の ある仏陀の弟子の話を聞きました 彼はマスターは永遠に この世界にいるのかと 聞く機会がありました (ええ)でも彼は その機会を逃しました 阿難と釈迦牟尼仏です ええ なぜ自分がそう 考えたのか分りません それで考えていて・・ なぜ起こらなかったか 私が説明しましょう それが知りたいの ですね そうでしょう 私が説明します いいですか(はい) それも神の仕事です 魔によって 邪魔されても そうである べきなのです 想像できますか 仏陀が永遠に ここにいたら  皆 修行をしません それが永遠に続く限り 何でも 当たり前のように受け 簡単に近づけます 簡単に得て 忘れます

それで仏陀は去ります 彼は死ぬべきなのです いつの日か いずれにせよ それは人類にとって とても良いのです 背けないのです 仏陀は違う形で やって来るのです 内面の真理を 切望する人は誰でも その時に 仏陀を見つけらます いいですね 人類について 心配しないで下さい 永遠に続くのです 次にマスターが来ても 彼らはまだいます そういう理由で 阿難が 仏陀に最も近い弟子が 仏陀の質問が 聞こえず それで 彼に請わなかった のです 仏陀が三回聞いた後 「お前は望むか」と 彼は暗示したのです 彼は言いました 「まあ 仏陀は永遠に この世界に居られる 知っているか」と でも阿難は求めず そして三回目の後 彼(仏陀)はもう聞けませんでした 三回目の後 仏陀が要求しても 何かを要求しても 返事をせず 応じず それで仏陀は それ以上聞かず それ以上 質問をさせず それ以上 説得させませんでした すべては内面にあり 三回が限度です 阿難は 仏陀の最も側近の 弟子でしたが 彼は開悟した 最後の人でした なぜ?結婚と似てます 当たり前のように 伴侶を選びます 毎日 その人を見ると その人の中の偉大さが 見えなくなります たとえ彼が  アメリカ大統領や  世界的に 偉大な科学者で あったとしても その人を 単なる父親 母親 夫 妻 彼女 彼氏などと 思っているのです 阿難も同じです あまりに 仏陀に近かったので 見なかったし 仏陀が言ったことに 注意を払いません 時には 気を配りませんでした 仏陀が永遠に世界に 留まれると仄めかした 素晴しい瞬間が 来ましたが 阿難はそれを逃し 二度と機会は巡って きませんでした だから去るしかない でも 良いことです 阿難を非難しないで 仏陀を気の毒に 思わないで下さい 仏陀にとって いい事です  第一彼は長く苦しまず 人類にとって良いです 人類が渇望心を もつからです また 仏陀が来て そして ある日 去っていくべきだと 知ります 仏陀がまだ 生きてる時に探して 仏陀の存在を 大切にしなければ なりません ですから人類にとって  非常によいことです 魔も非難しないで 下さい あまり長く留まるよう 師に求めないで下さい 必要ありません いいですか(有難う) どう致しまして 師はあなたに内在し マスターが去ったら もう一人が常に来ます いいですか 心配しないでください 世界に師がいない ことは決してないです 少なくとも一人か 時には二人 あまり多くはないです

はい 言葉が 正確であるかどうかは 分かりませんが マスターからの 甘露法語の 小さな本には 時々 魔も仏陀に なりうるとどこかに 書かれています 仏陀でなくとも 仏陀になれるという 意味もありますか この文があまり よく分りません はい いいでしょう 若干は分るけれど 確かではありません いいですよ 意味を言ってください まずあなたの理解を 言ってみてください 私の理解では 魔でさえも ある日 よくなったら 仏陀にもなれる 誰でも仏陀に なれるからです 悪いものでさえも それは仏陀が仏陀で あるという理由です その意味が正しいか どうかわかりません ええ  一部は正しいですが その意味は このようなことです 魔も仏陀なのです こういうことです

元々 すべてのものが 一つの場所から 来たからです

空です すべてのものの 起源です だったら魔はどこから 来れるのでしょう 神からでなかったら 仏陀あるいは 天国から 来るのでなかったら いいですか 原初 私達は皆 マスターだったか マスターの計画の一部 全創造の一部で 例えばアップルパイの 一切れのようです いいですか でも私達一人ひとりは 個々に異なる ものを持っています 例えばこれには トマトがあります 次のには マッシュルームが載り 次の一枚のピザには オリーブが 載っています そういうこと いい? ある部分は小さめで ある部分は大きめです 小さいのは 子供が食べます 大きいのは大人が食べ 例えばそんなふうです ですから元々は とにかく私達 皆が マスターです 少なくともマスターの 本質の一部ですが この世界で 楽しみたいなら 私達は自身を 分けねばなりません それぞれが 異なる役を演じます 一人は仏陀の役を演じ もう一人は仏陀の 正反対としての 役を演じます まるで芝居のようです  最初は すべての俳優 女優は 同じ劇団に属します しかし  主演する女優は これこれの美しさで これこれの体型で なければなりません そして 別の人は メイドを演じます 彼女はこれこれの 衣装を着て これこれの ように振る舞い これこれのスタイル 体型であるべきです そのようなことです 私達は皆同じです しかし  この世界のような 低い存在レベルに 下りてくると マスターとしての 地位を放棄しなければ なりません もう一つの役を 演じるためです それで あまりに長く その役を演じると 天国でしたすべて あるいは 自分が何であるか その偉大さを 忘れるかもしれません それでマスターは 内在すると言うのです

今 再びマスターの 身分を取り戻したい なら内面を探す事です 長い間  自分の役や 目的を 成し遂げるために 外面で捜してきて 忘れたのです だから今こそ 自身の 偉大さのために 内面を見返す時です 魔は実際 創造のバランスを取る 目的で 創造に刺激を与える 目的で魔の役を 演じているのです 反対側がなければ どうやって片方を 認められるでしょうか 人生で 女性を 見たことがなかったら 自分が男性だと 認識しませんね 従って 魔と仏陀がいなければ ならないのです そういったことです そういう理由で すべてのマスターは 皆が平等で 皆が神の子供であり 仏陀であると話します 皆が 内面に 仏性を持っています それが存在する唯一の 真理です 分りますか でも それは  誰かが悪事をするのを 見て「それは良いこと」 と言う意味では ありません いいえ 悪は悪で 善は善です その目的のために 彼らは悪であり 善なのです 神はそのように それらを作り それで 私達は善を知ります 悪が全くなければ 善を認識しません 同様に 悲しみがなければ 幸福が本当に何を 意味するか知りません それで いわゆる 陰陽のような正反対の ものがあるべきで それで私達は自身を 見分けられるのです いいですか それぞれが他者に 彼らの偉大さを 認める助けをします それで問題ありません 理解できますか はっきり分りません はっきり分りませんか

ええと あなたは教授です 複雑な説明と本に 非常に慣れているので 私にとって それは難しいです 魔は仏陀です 原初 魔はいないからです 悪者を演じるために 魔の仮面をかぶった 仏陀だけがいます 試練がなければ 悪者がなければ どのように自分が 良いと証明できますか どのように 良いと認められますか すべての英雄は 状況から生まれます すべての薬と遺伝子は 病気から生まれました 病気がなければ 偉大な医者はいないし 良い薬もありません 大発見もありません 光と産業のための 必要がないなら 電気の発見は ありません 皆が善が何であるかを 認め それを 保てるようにと ただ悪の目的が ただ悪の目的が あるのです しかし悪い方は それをして来たし 皆さんが 偉大になるように その目的のために 変装しました 「これは悪い これをしてはいけない 良い事を続けるべき です」と知るのです というのは 比較するからです 「これは本当に悪い これは良い」と 比較する悪いものが なければ  分りませんから 方向と目的を失います それで魔がいなければ ならないのです しかし 彼らは 魔の仮面をかぶった 仏陀なのです どうですか(分ります) ああよかった 神のご加護を それは抽象的で 理解するのに とても難しいと  知っていますが 私はあなたを 非常に誇りに思います あなたの年齢で ベルギーの著名大学の 教授であるにも かかわらず 私にこの質問をして 分らなかった時は それを率直に 認めるほど 謙虚だからです そのことを称えます いいですか マスター 時間を共有 して頂いて感謝します 私は数カ月間 方便法だけ 修行して来ました 印心はしていません

私が何か光を見るか 音を・・ あなたは何か光を見て 何か音を聞くのですか はい それが本物か 偽物かをどうしたら 見分けられますか いいでしょう 目を閉じたとき 眼帯 アイマスク等で

目を覆うと 真っ暗でしょう その時は真っ暗です

飛行機に 乗るとき それがもらえますね 非常に軽いです

目を包帯で 括るのではありません

そしてそれを閉じると 真っ暗です そして 突然 閃光が閃きます または動いている 光の一点があります それに集中します すると とにかく 分かります 音はどうですか

音ですか あなたには まだ音がありません まだあなたには 音は聞こえません 音は 印心してからです それでは 必ず まず光なのですか あなたは 初心者だからです あなたは 菜食になる約束を しなかったか 決心しなかったからで ですから 私達は 味見をさせられます いいですか 質問してもいいですか もちろん どうぞ 死に対する態度は 常に深刻なもので あるべきですか 私達は死に対しどんな 態度を持つべきで しょうか 深刻になるべきですか 笑ってもいいのですか ええどのように 行きたいかによります 笑えますね いえ これはすべての 死への疑問です 医者にとって さまざまな状況の すべての死 すべての 事についてです 意味は分かります つまり毎日 死を見ている 医者としてですね 彼らがいかに 感じるかですね 医者だけでなく すべての死についても 私達は深刻になるべき ですか それとも なぜ死に向かい深刻な 態度に出るのですか 誰もというわけでなく 私は違います 何が私にとって 重要か そうでなければ あなたには重要ですか 生命 死ではなくて 生きている間は生が そして死は それが 来たらその事について 何もできません 深刻でも そうでなくても 役に立ちません 人生が続く限り 楽しむことです それが私の教えられる 事なのです 実際 死はありません ただ体が変わるに すぎません この肉体に 戻ってこない限り 素晴らしい感じが するでしょう 天国にいます 自由でいます 至福の中にいます 何も 一切 欠如していません この世界で生き この肉体で 生きるのとは違います 衣服を身につけ 養い 面倒を見て 薬を与え ワクチンを打ち 元気にさせたり その反対にします 全て 常にです

それは良くないです でもこの体は 死後 非常に軽くなり 輝き とても軽くなります

行きたい所へ 即座に行けます 何もなくして そうです そんなふうに ヘリコプターや 列車の切符など すべてが不要です また入国監査や 色々検査されること なくしてです はい それを笑えると いう訳ですね ハハハ そうです でも残念ながら その時あなたには 笑う筋肉もありません 皆殆ど同じように 死にます 唇を閉じて でも前もって笑顔を 作ることもできます 葬儀屋に こう言うのです 「二本の爪楊枝を 口の両端にさしておいて下さいますか」 というようにです 現代では 彼らは どんなこともできます 死化粧を施す 化粧師です 彼らはできますね はい ただ少しその二本の 爪楊枝分だけ余分に お金を払えばです 私は初めて ここに来ました 私もです 私も今までに来た事は なかったのです

数年前に体験した事を お尋ねしたいと 思います 実は 当時私は 人生で非常に難しい 時期を経験しました その時期から 抜け出した時 その事を数カ月後に いとこに 話したのです 彼女は当時も 瞑想に熱中して いました 彼女はマッサージして くれてから言いました 彼女の手から私の頭に エネルギーを 送ってあげると 私の額の前に 彼女がかざすと 私は スイッチが切れた様な 感じになり 列車の 中にいて 山の中を 円を描きながら 向かっているような 所を見ました どんどんどんどん 早くなっていき 全生涯を再び 体験しているように 感じました 悪い時期を (悪い時期ですか)

いえ 大きな危機を 経験しました (悪い時期だけ)

彼女があなたの前で 動いた時 あなたは あらゆる痛みの時期を 体験したのですか (はい そんな感じで) これは一種の 催眠術です(はい) 人々が治療で使います

はい 続けました 私はこんな風に目覚め ただこの感じから 抜け出したいと感じ (それはいいですね) いとこは言いました 「座ってこの白い光に 祈って」そして 私の前で本当にとても 強く感じたのが 紫の オパールの輪です そしてその白い光は まるで 基本的にはすべてが 同時に存在している 感じでした 善悪のようにです 過去のような苦しい 体験を取り戻そうと 思っていますか (いいえ)それは いわゆる体験ですか いいえ ただ・・・ 白色の光は 良い体験かなと 思っています 過去の影から 抜け出せば 白色の光は現れます いいですか 過去の体験に 執着しないでください 過度な期待は しないでください 期待すると心が そういう考えで  いっぱいになります 「あの体験が欲しい」と

ずっと思って 戦って 考えているのです すると 集中できません 瞑想の時 リラックスして 待っていれば 良い光はいつも そこにあります 光が訪れた時 意識を はっきりさせて下さい それだけです 白色の光は 第三界の光です 大したことありません その時 あなたは 第三界にいたのです その後再び 戻って来ました 人が寝ている時 魂が 体から離れてしまい そして戻る時 速すぎるので 怖い ように感じられます それで たぶん二度と 同じ体験ができない ことに関わっている のではないでしょうか これについて 説明して頂けますか

どうして怖いのですか どうして怖いのですか いいえ  帰ってきた時の感覚で 時々 一瞬の間に 落ちるような感じです ここにいるのに ええ(それで) 問題はないですか 問題はなさそうです あなたはどう? いいえ ありません いいでしょう ありがとうございます どう致しまして 人それぞれ 天国での体験が 異なります 自分なりの体験を 楽しんでください 勇気を出して あなたは未知の領域へ 眼耳鼻舌身の五感を 乗り越えるような 世界へ入って行きます よく準備してね できるだけ早く行って 問題ありません いつも 存在しないことを  心配しているのですね 体のことは 気にしないでください たとえ体がなくなった としても放っておいて 親愛なるマスター 瞑想後 全身に 活気が満ち溢れて 来るような感じがして 時々どうすればいいか よく分かりません 走って走っているよう ええ とても強力です 元気いっぱいですね

とても強くて 健康的な感じです 分かりますよ 私の質問ですが マスターの本を読んで 歴史の本のように 感じました 古い歴史を持つ お年寄りが書いた 歴史の本のように 智慧と論理が 満ち溢れています 今日あなたに会って 若い女の子のようで (有難う)とても可愛い あなたにキスしたい ような感じです

情熱を感じます

とても可愛いらしい

皆があなたを 尊敬しています 皆は私と同じような 気持ちを持っていると 思っています  情熱はありますか 誰かがあなたを好きに なればどうしますか あなたは美しくて 若いし しかも世界中に 知られている マスターです

人々が 例えば 誰かがあなたを愛して 情熱を持ったら しかしあなたは どのように説明すれば 良いかよく分りません あなたも人間なので そして人間は・・・ ええ 情熱があるか(はい) はい もちろん (有難うございます) どう致しまして こんなに長く話して ただこの質問ですか

私が木材 それとも コンクリートとか 思っているのですか すでに言いましたよ 皆さんにあるものは 全て私にもあります 何も失っていません もっと智慧を得ただけ 圧力を感じていますか (ええ そうです) 数百万の人があなたを 愛してるので(確かに)

あなたの雑誌を 読んだ時 あなたは皆に言った やっと分かりました 分かりました 私が年寄りで 顔に深い皺がある ように思ったでしょう 皺はあります それほど多くないけど 長い鬚をつけてるとか 私も年を取っています そうですね たぶん顔はそれほど 老けて見えないけど 時には とても可愛いです プロの芸術家です 可愛いと思います それで人々はみな あなたが好きなのです 顔にいろいろ お化粧して いいえ それはどんな 種類の愛かによります ええ はい 分りました 率直に言いましょう それが一般的な愛で 私を尊敬し  いかなる条件もなく 私に何の期待も なければ それはとても美しく 円満で 私にとって 非常に幸せで それは加護です しかし利己的な愛が 私に課せられるなら 私はとても大きな 圧力を感じます 皆があなたを愛してて あなたに会いたがり 傍にいて講義を 聞きたがりますが ご自分の時間は ありますか 時々密かに抜け出して テレビや映画を見ます だからあなたが とても心配です (心配しないで) ありがとうございます 心配しないで下さい 私は皆さんに 憂いでなく幸せを もたらすべきですね 私は自分を世話でき 私は強いです

時々 落ち込むことも ありますが  それが人生です 山あり谷ありで いつも立ち上がれます 大丈夫です 苦痛な時 私は大声で叫び 幸せな時には 笑います ただ自然に任せます 問題ありません 神は決して私を 窒息させることはなく 私に酸素マスクを 与えます 死にかけると 神は 言います「急げ五分間 これを着けなさい」と 私はマスターを 天使のように感じます 天使ですか マスターは天使の ようだと私は思います 私は両方ですね 実際 私達は霊修行すると 若返り 活力に満ち 精神が高められます 精神が高揚し 肯定的になると  より若く可愛く見え 人々は そのような 元気な人が好きです 惨めで 緊張した人を 好きな人はいません そうですね 通常 私は皆さんと 一緒にいる時 とても幸せなので 私はこの仕事を 担当できることを 光栄に思います 私は皆さんの可愛い顔 愛の眼差しを見た時 そして私を見て 皆さんが満足の笑顔を 見せた時 その時 私は苦痛や悲しみを 私は苦痛や悲しみを 忘れてしまいます ですから大抵私が 皆さんにお話しする時 皆さんはいつも 私が 笑顔で幸せなのを見て そして私は 皆さんと同様に より若く 可愛く見えます  そうね ただ自然で とにかくあなたの 賛辞に感謝します