智慧の言葉
 
霊性は逆境の中で輝く1/2 一九九九年六月七日ダブリン アイルランド(ゲール語)    Part 1
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こんにちは 皆さん ここに立てて 本当に嬉しく また 大変恐縮しています 私は 三年前に 私達の人生に 起こった事で マスターに感謝します 私の家族は 私と三人の子供達です 医者から 私が 余命いくばくもないと 告げられ 私達は 呆然としていました 奇跡に他ならないと 私たちは分っています 私はそれほど 霊的な人間ではなく その時 瞑想など 一切知りませんでした 地獄を潜り抜けました ある日バーナードとメアリーと話しました 私は惨めな状態でした するとバーナードが 私に小冊子を見せてくれました 「即刻開悟の鍵」です 私は一度もマスターの 事を聞いたことがなく ただ恐れと恐怖の どん底にあったのです 医者は私に六カ月の 化学療法を課しました そして 間違いないと 告げたのです 「やり残した事を やりなさい それほど 長く生きられません」 私は病院に 座っていたのを 覚えています 私は六ヶ月間の 化学療法を始めました それは大変苦しく マスターは私と共に いて下さいました 私は片手に彼女の本を 持って読んでいました 彼女が誰か自分が何を してるか分らなかった 医者は半身に化学 療法を施していました ちょうど私のこちら 側が闇で こちら側が 光のようでした 大変混乱していたので 分らなかったのです 続けていくに従い 私は恐れを手放し始め 怒りや絶望が 治まっていったのです 私はこれらの言葉を まるで栄養を 摂るように 読み始めました すると 変化が 起こり始めたのです それで 医者は なおも当惑し 混乱していました

ジェームス病院の デイリー医師や 看護婦全員です 化学療法の副作用で 大きく開いた 傷口が全て 消え始めたからです 私はたった三ヶ月の 化学療法だけでした いずれにしろ 実際 化学療法は 私の体を 破壊していたのです それが判明したのです 化学療法を受ける間 いつもマスターの本を 読み続けました ただ本から目が 離せなかったのです すると 副作用が消え始め 私は元気になり始め 良くなってきたのです 抜け毛が止まり 皆が 唖然としていました しかし 私は心の中で マスターのお陰だと 感じもっと知りたいと 思ったのです バーナードの所に 戻ると 彼は私に別の本をくれ 私はマスターの 修行仲間や弟子の 事について読みました そうして 私は 瞑想を始め 肉食を止めました すると 素晴らしい変化が 私の人生に 起こり始めたのです 私は皆さんに知って 頂きたいのです 医者や誰かが何を 言おうが構いません 私に起こった事を 私は知っているのです 真心を込めて話をし 他の理由で話して いるのではありません 神の愛 神の力 マスターが皆さんを 加護するのです 皆さんが彼女に求め 誠心誠意と愛を持って 彼女の下へ来た時に 信じる用意が出来た時 それを感じるでしょう ただそれが分るのです それ程の加護なのです 私は全然知りませんし この事件前にはあまり 祈りませんでした

私はしばしば マスターに会えたらと 神に祈りました 実現するとは一度も 思いませんでした 彼女はとても沢山大変 遠くに旅するからです 数日前 私は彼女が ここに来ると聞き 彼女に会えるなんて 彼女の臨在の中で 彼女への愛の深さを 告げられるとは 信じられませんでした マスターの事神に感謝 私は貴方が大好きです ありがとうございます 単にマスターの愛の 一つの例に過ぎません マスターの愛は 非常にパワフルで それに触れた人は 誰でも命が 変化してしまうのです 驚くべきパワーです 皆さんがビデオで見た ものは 彼女の能力の ほんの一部です 私達に見える肉体を 持つ彼女は 普通の人間として だけではなく 霊的な贈り物 霊的な智慧や教えを 携えているのです

皆さん スプリームマスター チンハイを ご紹介します

本日の講演は ヨーロッパツアーの 十七番目です 南部スペインから マスターは始め ヨーロッパを通り ロシアの国々に行き ギリシャに下り スカンジナビア半島の 国々を周り エジンバラを通りここ ダブリンに到着して 水曜日には 最終講演が ロンドンで行われます マスターを紹介する際 彼女に対する感謝の 思いを表現する言葉や ここアイルランドに おいて彼女を知る 全ての人に流れる 彼女の愛を表現する 言葉も 見つけられません 四、五年前 ホノルルで マスターは大変 権威ある賞を受賞し そこの市長ファシ氏が これに対し次のように コメントを述べました これらの特別な言葉に 付加できる他の 言葉などありません 彼はマスターを次の ように表現しました 「憎しみのある所に 彼女は愛を運び 誤解のある所に 信頼を運びます 闇のある所に 彼女は光を運びます」 彼女は本当に 世界の光です マスター チンハイ アイルランドに ようこそ ありがとう ありがとうございます 本当にありがとう

こんばんは 友人の皆さん 私の母であり父であり 兄弟姉妹の皆さん ご機嫌いかがですか 大丈夫ですか(はい) いいでしょう 初めてアイルランドを 訪れて大変素晴しいと 思ってます 皆さんの国について とても沢山聞きました

素晴しい映画を通して 大変良いニュースも ここにおいで下さって ありがとうございます 私は皆さんの国の 平安と繁栄 そして 霊性の復興を 喜んでいます 傾向として災難の後で 私達はより霊的に 深くなります それは悲しい事ですが イバラの茂みの中にも バラは咲くのです 同様に 最近の事件では コソボ紛争が あります そして 人々はより絆を深め 愛深くなり互いに 与え合い より理解 し合うようになります また神知識を 求める傾向を 更に強めています 大変肯定的な側面です 私達が日々耳にする 非常に悲しい知らせ にもかかわらずです しかし平和が訪れつつ あるという希望があり まるで大丈夫みたいに 最近のニュースを 見ましたか 昨夜の まだですか 人々はまだ何も 調印してないですか もう少し懸命な祈りを 待っているのかもね ええ 私達はこの後 ロンドンに向かいます 欧州と世界のために より一生懸命祈らねば ならないのでしょうね 私達の団体がです もちろん皆さんも 家で参加してください 誠心誠意で十分です 神は全てのことを 知っていますから 私達の中に 神が知ってることを 知らない人がいても 神が知っています 時々不確かになって しまうこともあります 神は常に私達に彼が 知っているかという 印を与えてくれる 訳ではないからです 私達がそのような印を 見られない理由や 神の慰めの 言葉や忠告を 耳に出来ない理由は 私達の霊的能力が 阻まれてることが あるからです 私達がこの物質界に 来て以来それは 阻まれているのです

中には 生まれて 三 四 五歳ぐらいまで なおも全てのことを 覚えている人がいます 他の町や 別の国での 過去の存在を 記憶している 事さえあります 皆さんは時々 新聞で読んで そういう事を ご存知でしょう 私達の多くは なおも 神を覚えています 私達が生まれてから 数年間までは 依然 神の臨在の中に いるのです しかし それから 私達が長じるに従い 暮らす世界が 自ずと 周囲で混雑してきて 私達は沢山の事を学び 始めねばならなくなり 人間の責務 振舞い 義務社会の全ての物が 私達の上に積み 上がっていくのです そして 私達が 天国を去って以来 常に持っていた 神の展望を手放し 始めてしまうのです ですから 私達の多くが 神が本当に存在する ことや神との話し方を 忘れてしまうのです それは残念です しかし 聖書でも言っています 「私達が幼子に戻れば 神の王国に入れる」と 子供に戻る過程は 過去の多くの 聖者が用いた 過程でもあるのです 私達は 自分の中にある 神の王国へと 内に意識を向ける ことによって 再び私達の純粋さ 無垢さに戻っていけ 一時的に 世俗的な 悩み事や責務を 忘れられるのです それは 自分の仕事を 離れねばならない という意味ではなく 家庭や愛する者を離れ ヒマラヤに行くとか ではないのです

皆さんはどこにも 行く必要がなく 自分の居間やキッチン トイレでさえも 神を見られる ということを 皆さんに教えましょう すみません でも それは本当のことです 私達が自分の心を 一分一秒でも 静かにすれば どこででも 神と意思疎通が 出来るのです 文字通りです たとえ神が 形がないとしても 私達が 彼の力や顔を 決して見抜けないと してもです

神の顔です 聖書で 述べられているように 神は人を自分の姿に 似せて創ったので 私達は時々 神を人間の中に 見出せるのです 神が自分をそうした 方法で明かすのが 相応しいと思えばです 人間の姿を通してのみ 私達自身が天なる父と 一緒であると 確認できるからです 神は私達に 似ているからです また 人間の姿を通してのみ 私達は神と意思疎通が 図れます そうすれば 神からの愛を感じ また私達からの 愛も感じます それで私達は本当に 天国の子であると 分るのです 神が人間の姿になって 現われる事はどの様に 起こるのでしょうか 神は私達に愛する子を 送って下さるのです 例えばイエスです イエスの姿を通して イエスの人間の 姿を通して 彼は当時 私達と 意思疎通したのです 言語を使い 肉体を持ってです 聖書で言うように 聖霊が肉体に下り 人の内に 宿るということです これは 神が 自分を物質的に 人間の姿に 変える時に 起こった 物理的なケースの一つです もう一つ 神が私達の 前に姿を現す方法が ビジョンです それも人間の姿かも しれませんが 物質的な 形ではなく 超自然的な姿です 神は私達の前に イエスキリストや 仏陀の姿で あるいは 信じる他のマスターの 姿での出現を選択する かもしれません そして 神は私達と 意思疎通を図り 彼は 私達と話せるのです また 神は 別の方法で 直感で 私達と話せます 神は 私達からのある 祈りに対する答えや ある問題に対する 忠告を知らせるのです しかし 殆んどの場合 しかし 殆どの場合 形を取った神を見ます

光の形を取った神です モーセのように 彼は在世中 燃え上がる柴に 神の出現を見ました それも私達は見れます それ以上のものさえ 見られるのです 私達が神の家へ 入って行った時 神は何千もの 太陽を集めたものより 明るいからです 高次のすみかに行けば 行くほど 神の光は ますます明るくなり そのわずか一本の髪が それが人間の 髪の毛だとしても 何千もの太陽の 光を発するのです そうした素晴らしい 栄光に戻って行くには ある方法があるのです

望めば いつでも再び 私達の家を訪問できる 方法があるのです それは キャンディや オレンジを食べるほど 簡単なことです ただ私達が忘れて しまっているために 私達には全ての事が 神秘的で難しそうに 思えるのです それで時々神が私達の 祈りを無視している とか 彼が存在しない かもしれないとさえ 思ってしまうのです 神を知る為のあらゆる 手段を試してみます 何時間も跪いたり 何日も断食をしたり 一晩中祈ったり 時には 自分達が とても罪深いと思って 自分自身を 罰したりします 神は私達の様な罪人の 元には訪れないなどと しかし実際 こうした事は全て 闇のパワーが 私達に押しつけた まやかしに過ぎません 私達を物理的存在に 服従させ抑圧するため なぜなら神の子は常に 神の子だからです 過ちにせよ 無知からにせよ 彼が犯した事は全て 常に天なる父によって 許され得るのです いったん彼が 天なる父を知れば 全てがはっきりとし 許されるのです その時より彼は二度と 天なる父を見失う事は ないのです こうして私達は 幸せになり より加護され より愛深くなるのです 神の王国で 心配なくなるからです 今 肉体にある 間もです そして 死んでから 行く場所がはっきりと 分っています 第一に私達がその道を すでに知っていて 毎日天国と地上を 行き来しているから 文字通りです 肉体でではなく 魂で天国に上って行き そして 再び 肉体の神殿に 下りて来るのです 私達は望めばいつでも 去って行けるのです その後 私達は神の 本当の存在を決して 忘れなくなります 神は毎日 私達に喚起し 毎日私達に 姿を現すからです 私達の何人かにとって 彼らの強く求める 思いと誠心誠意が 心の中で燃え盛れば 神は二四時間 姿を現します 皆さんは神と共に食べ 眠り 歩き 運転し あらゆる事を するのです そして加護された 魂には 地獄も死も 恐れるものはなくなり この世のどんな物も もはや再び彼を 恐れさせられません 私達に出来るのです 私達皆に少なくとも 私達の多くが望めば そうした霊的上昇を 得られるのです それには毎日少しの間 静かにする 必要があります 働くとは言えません 私達が行うのは ただ静かに座り 神の 訪れを待つ事だけです 神はすぐに訪れます 印心の瞬間でさえ 神は即座に訪れます その後 神は毎日訪れます 即座の人もいれば 若干時間が かかる人もいます

数分余計にかかったり 三〇分長くかかる事も あるという意味ですが ほとんどの場合私達の 注意が揺れ動いて しまうからです だから 神を見るのが 難しいのです 神がそこにいないと いう事ではありません 私達は生存するために 世俗的なあらゆる 種類のことをすべく この世界で 働いてきました 私達の貴重な時間を 単に生計の為に 費やしてきました 時に 相応の結果が 得られない事さえある 神のために働く 所謂 「神のための仕事」とは 真の加護であって全く 仕事ではないのです 私達が休憩したり テレビを見るような ものなのです 外的なテレビを 見る代わりに 私達は真の天国の 輝きを伴った内在する テレビを見るのです そうすればキリストと 話せたり仏陀や私達が 信頼している誰かと 話せるかもしれません 私達の愛する 亡くなった人とさえ 話せるかもしれない こうしたものは私達が 内面に常に持っている 才能なのです 私が教えようとしてる ものは新しいものでも 皆さんが知らない ものでもないのです 買うべきものでも 決してありません 私が皆さんに 奉仕する限り皆さんは 決して自分の王国の為 何かを犠牲にする 必要はないのです 私は単に一番前を歩く 人でしかないのです その道を教えたいです その道は 私達のものだからです 天国の家は 私達皆のものであり 神 天なる父は 私達皆のものなのです 実際本当に血を分けた 兄弟姉妹です 単に見かけや国籍や 私達がこの人生で 習得した習慣などが 私達を多少 隔てているのです しかし いったん この聖者の輪の中に 入ってしまえば 神の王国に入り 皆が間違いなく 繋がっていることを 感じ 分かるのです 以前には 理解できなかった 比べものにならない 方法で 私達はごく自然に 信頼し合い 愛し合うのです あらゆる憶測 疑い 不安が 掻き消えてしまいます たぶん 初日に あるいは 最初の週か 最初の月にです それは 皆さんの 神を求める心の強さと 神と座っている時の 修行の誠心誠意さに よります

また皆さんと神の間に 習慣的に「走り回る」 頭脳を介入させない 決心次第なのです それこそが 皆さんと 神の間で問題を起こす 唯一のことなのです それ以外 聖書が 述べている通り 「これこそが唯一の 寺院で神は私達の内に 宿る存在」なのです 神がここに住んでいる なら論理的に言って 正しい方に注意を 向ければ私達は神を いつでも見ることが できるのです ただ 私達は 今あちこち見ていて 真の神の王国を 思う代わりに あらゆる外側のことを 考えているのです 一旦 私が皆さんに 注意を向ける方向を 教えたなら皆さんは 神を見られます 神は 常にそこに存在します それは皆さんが私を 見たいと思えば すぐ ここにいる私を 見るのと同じですね 皆さんが天井や後ろを 見ていたら もちろん 私が 皆さんの隣にいても 皆さんには 私が見えません 「ほらすぐここをご覧 なさい」と言うだけで それ程 神を 見る事は単純なのです 私は簡単にそれを 見出したので 時々私も驚いています なぜ私にも他の誰にも 分からなかったのか つまり私の前にも 後ろにもなぜ誰にも 分からなかったのか 本当に簡単なのです 簡単すぎて皆さんは 驚きます 常に私達は 神に祈りを捧げ 神を知りたいと 思ってきました そして私達はとても イライラしていました それは皆さんが注意を 間違った場所に 向けてきたからです それだけなのです 私がここに座り 皆が あちらを見ている様に 私を見られません ダブリンがここにあり 私がずっとロンドンに 行きダブリンに一度も 来ないようなものです

非常に簡単なことです ですから あらゆる点で私達は 皆が歩く神なのです 皆が神の子なのです しかし私達はあまりに 卑しく 貧しい 時には 非常に惨めに 物乞いのように暮らす ただ私達は自分の中の 隠された宝物を 忘れているだけです それでこの後 数分で 神を知りたいと 思うなら 私達は何の問題も 複雑なこともなく 実質的に お教えしましょう そのために 私はここにいるのです まっすぐに 遠回りなどせずに 私は明日まででも 話し続けられますが 皆さんは 直接 体験して 神を見る方が いいでしょう 私達は二つの グループに分けます 神を完全に見たい人は最高の天国までですが そのために何でも 用意できる人には 完全な印心を授けます 例えばまだ 菜食などが 続けられるか 心配な人には 「半分の印心」を 授けます それを 気にいるかどうか 試せるのです できれば可能な限り 菜食を試して下さい 出来るようであれば 後で完全なものが 得られます アイルランドは欧州で 最も素早く経済成長を 遂げています ですから霊的にも 更に成長する その時が来ています 私は沢山の聖書 仏教経典を読みました その前は 全く 皆さんのようでした 過去の聖者や 瞑想修行者の あらゆる体験に対して 私は自分の知らない 天国というものが あるのか 別の惑星や境界が 存在するのかと 不思議に 思っていたものです そして 仏教経典の中には 天国が幾つか 描写されていて 地面が純金で舗装され 全ての家がダイヤや あらゆる種類の宝石で 造られていると あります

皆さんは そうしたものを 若い時に読み それはおとぎ話で 私達には起こらないと 思い ヒマラヤの 老ヨガ行者のみに あるいは仏陀の時代に 起こるものだと 思ってしまうのです またイエスと 彼の弟子の聖者達が 第二界の天国に行き 神の声を聞いたり 天国に轟く トランペットの音や 天使ガブリエルの声 など聞いたと読むと イエスの時代だからだ と思ってしまうのです

私達には そう考え 夢見ることだけで 決してこの種の体験を 得られません この方法を試すまで そう考えていましたが 自分の意識を内面に 向け 神に対面すると 聖書の中の言葉は全て 真実だと解りました それは常に真理だと 私達はこうした体験を 全て 今すぐ この現代に 得られるのです その事を考えてみれば イエスの時代 今ほど多くの 楽しみもなく 霊修行や 現在のような文献に 出会う方法も 十分なかったのです 十分な情報伝達手段も 交通手段も ありませんでした 今 当時よりもずっと 多くのものがあります 仏陀もイエスも 歩かねば なりませんでしたが 私達はずっと多くの 物質的楽しみに 出会えるのです ですから 私には 現代と過去の時代の 人類との間に違いが 見つけられないのです 私達の方が より知的であり 論理をより理解し易い という点を除いては 私達は 比較でき 自分を励ませる とても沢山の 霊的情報を得ています ですから私達が イエスの弟子と同様の 体験を得られるなら 実に理に適っています 論理的でなければ 信じる必要はないです まず見るべきです 百聞は一見に如かず だからです 神の言葉を聞くとは 信じることです 神の光を見るとは 信じることなのです その時 私達は 信じられるのです ですから 私は神の 存在証明を提供すべく ここに来たのです 同様に神を知る喜びと 幸福を皆さんと 分かち合うためにです

神は私達が処理し難い 困難を迎えた時本当に 加護してくれるからで そうでなければ 私達は なぜ神が こういう事をしたり ああいう事を起こして くれないのかと 不満を言うでしょう 神はいつでも私達に 話しています 問題は 聞かないだけなのです 私達は何か 別のものを聞いて 自分達の意識を 外に向けているのです 一方通行なのです  神を聞く方に向き 見る方に向くだけで  私達はそこにいます 私達は子供がやる様に 今もそれが出来ます 皆さんが忘れてる事を 私が喚起しましょう すると全てが親しみ 深く思えるでしょう 前にやっていたから 私達は別の存在でも こんな事をしてました 創造が始まる前 別の創造が 存在しました そして その創造の後 そして その創造の後 別の創造が存在します そして時々 私達は 繰り返し何度も 繰り返し何度も 少し物理的な境界に 下りて来て体験をし 神の創造を楽しみます 神が私達をどこに 置こうが関係ないです 私達はゲームを 忘れてしまうのです 家への帰り方を 忘れてしまうのです 神はイエスのような 喚起する存在を私達に 送ってくれます 神は聖ペトロと共に 鍵を残しておいてくれ そうすると 聖ペトロは他の誰かに その鍵を残し 他の誰かもその 鍵を残していきます そうやって 知識は 世々代々 継承されていくのです 家に帰りたいという 思いが十分募れば その鍵を持った 誰かが来てその門を 示してくれるのです それだけのことです とても簡単です アイルランド人は 心がとても単純で 純粋で このことを 非常に論理的に 理解すると思ってます

アイルランドの人は 愛らしいと思います 彼らが非常に純粋だと 聞いていましたが 実際ここへ来てみて 驚いているのです

昨日来たばかりですが 私はタクシーに乗って 皆さんの町を 見て回りました 何件か喫茶店があると 教えてもらいました 教えてもらいました 紹介してくれたのです 私は「 行ってお茶を 飲みましょうか」と お茶の時間だったので 彼は車を止めました 私は言いました メーターを回して 待っていて下さい 戻って来ますから 乗せてって下さい それとも私達と一諸に お茶飲みに行きますか ご招待しますよ 好きな方を選んでね 彼は言いました タクシーに座り過ぎて 疲れました 一緒に行きます

彼はメーターを倒し 車を止め お店に入りました 結構です 私は思った 「OK 構いません 埋め合わせに後で 少し多めにチップを あげましょう」 その後 私が スコーンとお茶代を 払いたいと思うと 彼はそれを望まず 言いました 「貴方は 私の国に来られました 私が払います」 彼はそう言ったのです 私は言いました「私が 最初に招待しますと 言ったのです あなたではありません 私が払うべきです」 彼は言いました「いえ ここは私の国ですから 「私の国です」 彼は 母国語で言ったのです 私は言いました OKボス 分りました それは一つの例です 本当に素晴らしいです タクシー運転手や レストラン全部が どこでも人々が本当に 素晴らしかったです ありのままの表現で とてもまっすぐでした 下らない事がないし 遠回りしたりしません ふざけや何もないです とても気持ちいいです そして 今日ですが 私は 朝食も昼食も 食べなかったので ホテルに 私に 食べられる菜食の物が あるかと尋ねました 彼女は その人は すぐに言ったのです ええ もちろんです 貴方に相応しいものを シェフがお作りします 彼と話してみますので ご連絡致します もちろんですが 彼らは何かを作れます でも私は昨日 同じ様な物をちょっと 食べていたので OK 構いません ちょっとパンとバター 持って来て下さい

朝食風の物を 朝食の注文には もう遅すぎますよねと 遅い時間だったのです 2時くらいでした 私は朝食も 昼食も食べて いなかったのです 通常 出掛ける必要のない時 私は食べません 朝や昼食時には あまり食べないのです 出掛ける前だけ 何か食べます 長時間かかるのは 分ってますし ただ 真直ぐ立っているのに 肉体的エネルギーが 少し必要になるだろう 「もう朝食の注文には 遅すぎますよね 大丈夫ですか」 彼女は言いました 「もちろんです 遅いですが あなたのために 何かご用意しましょう 大した事ではない」と 心から愛深いのです 何の複雑さも ありません

彼女はそれをすぐ 運んで来てくれました チップをあげようと すると 彼女は「いえ いえ 私達はあなたの お世話をしなければ ならないのです お客様ですから 寛いでいてください これは私の仕事です お気使いなく」と 彼女は拒否し続けた ホテルでこのような 従業員を見出すのは とても稀です 見つけられる でしょうが 稀です 貴国にはとても 沢山の例があります 私はわずかな間しか ここにいませんが そういう事で とても 嬉しくなるのです 人々にとても沢山の 喜びと幸福を感じ それが私をとても 寛がせてくれるのです ですから あまり沢山 話す必要は ないでしょう 私達には このような 素晴らしい縁が あるのですから しかし 何かはっきり 解らない事があれば どうか皆さんの質問を 通してお知らせ下さい 質問を通して 皆さんの頭脳の疑念を はっきりさせられます
あなたはずっと 聖書について キリストのことなど 言及していますが 他宗教はどうですか 私は船員で 世界中を旅し ヒンズー教徒 仏教徒 イスラム教徒に 会って来たからです それらは皆一つだと 思いますか 皆一つの神を指し ただ違う言葉を 使用しているだけです だから混乱させます 私は本当にそれは人々自身だと 思いたいのですが ええ 人々が 魂ではなく 頭脳を使い 違いを生み出してます そういう訳です ええ

私達には二部分があり 一つが神で 神の魂の部分です もう一つが頭脳です コンピュータの別の 部分でこの頭脳が 問題を起こすのです それが 全情報を取り入れて 様々な状況における 柔軟さを無視して 同様に送りだします 親愛なるマスター 何が祈りの本当の姿ですか

どう得られますか 祈りの真の形は 私達が 神と一つになった時 神の意志が私達の 意志となった時 神が言う事は何であれ それを行います それが最も真実の 祈りだと言えます 私達が内面に入り 神自身が 私達に日々 天国の道を教える時に このレベルを 得られるでしょう

親愛なるマスター お酒は霊的進歩を 遅らせますか あなたの人生さえも 遅らせます 仕事も遅らせ 多くの事柄を 遅らせます ええいかなる時も お酒に触れれば 実際よりも短命に なる事を望んでいます そういうものなのです 体はこの種の強い 中毒性の物質には 向いていません そして それは神経を害し 知性を鈍らせ 寿命を縮めます ですからあなたの 選択によります 危険な人生か 穏やかな人生かは 沢山沢山の誘惑が あります 抵抗するのは困難です しかしもっと健康で もっと活動的で もっと生産的な人生を 送りたければ お酒を控える方が いいでしょう 親愛なるマスター 私達の存在理由とは 居るだけで 多くの活力がいります 私達の目的は何ですか 私も神を見出すまで 不思議に思いました そして神は私に全ての 事を教えてくれました 貴方も神を見出したら どうでしょう そして 神があなたに人生の 目的が何であるか 答えてくれるでしょう あなたの使命が何か 教えてくれます そしてあなたは自分の 道を問題なく歩いて 行けるでしょう 人間だけが 魂を持っている 種族でしょうか 人間だけが 魂を持つ種族では ありません 沢山存在します 輪廻が 存在しなければ 永遠の地獄が 存在するのでしょうか いいえ 永遠の地獄という物は 存在しません 存在するとしたら それではものすごく ひどい残酷な神に なります 論理的だと 思われますか 私達がどんなに 悪いことを  ひどいことをしようが 関係なく はかなく 一時的なのです 永遠の地獄でなぜ 判断されるのですか 神でさえ 限定的な行動が 悪いものでも 永遠の罰を どう判断できますか そうでしょう

親愛なるマスター 瞑想で 落ち込みや恐怖から 上がれますか ええ もちろんです 神が訪れた時 邪悪なものは  全て 消えてしまいます すぐに起こらなければ ちょうど良い時に 起こります あっという間です 親愛なるマスター 神が私達を愛す理由は なぜ愛さないのですか 神の愛に 値しないと思える 酷いコンプレックスが そんなにあるのですか 父親は常に  我が子を愛します  神は天なる父です 私達を愛しています 何の疑いもありません 親愛なるマスター 死後私達には  何が起きますか 答えは長くなります 何が起こるかは 私達が 人生をどう 送ったかによります 私達の内なる神が 死後 どこへ行くか 決める存在です 三つの選択があります 死の瞬間 通常 私達は 開悟した存在に 取り囲まれて 挨拶を受けます 天使や過去のマスター キリストや仏陀等です 彼らは皆 一緒に働いていて 皆 神の子です しかしその時の 私達の意識や私達の 良心にもよります 人生でひどい事ばかり やってきたと 思ってしまえば 私達の良心が この光の衆生達と 意思疎通を図れる 可能性を 覆い隠してしまい そして  何かの罰に値すると 思ってしまうのです すると 意識の より低いレベルに 沈み込みます たぶん そのことを 「地獄」と呼ぶのです 私達が人生で 全て正しい事をすれば 良心がより良い場所に 上がることを 許してくれます そこが天国です しかし天国にも とても沢山の レベルがあります 私達が通常の 善人であれば 通常の天国にいます 私達が 非常に優れていれば より高い 天国にいるのです 私達が イエスや仏陀のように 完全に開悟すれば 神の所に行きます ですから 死の瞬間 三つの選択があります どうなりたいかを 行動に移すことで 生存中にすでに この選択をするのです 私達が神のように なりたければ  愛深い人として  慈悲深く与え  理解し 許し 聖なる人のように 行動するのです 私達が神に反して 行動したければ 十戒に従わないかも しれません 例えばですが イエスの教えに反する あらゆることを やってみたりします

そして 死の瞬間 習慣的な考え方で そう考えてしまい この考え方が 私達がより高い 天国に行くのを 許さないのです 私達が 開悟の修行を する過程で 毎日 神の光を 見ていれば もちろん 光の元に行けます そこが 神のいる所ですよ 親愛なるマスター 私は光と音を 信じます あなたは キリストが神の 唯一の子だと 思いますか キリストは 神の唯一の子です キリストとは人ではありません 神から発せられた パワーなのです それが宇宙を創り また創造物を彼の下に 連れ帰らせるのです そしてキリストという このパワーが当時 イエスという人の中に 完全に姿を現しました ですから 彼を イエスキリストと呼び マスターイエス という意味です 釈迦牟尼仏陀は マスター釈迦牟尼です 仏陀 キリストは この卓越した 唯一無二のパワーを 示す 同じ名前で 「神の唯一の子」と 言えます  それでこの神の子 この唯一の力が この地球や どの惑星の いつの時代にでも 人類や他を救うために 姿を現す選択をします そして彼らの準備が 出来た時 天なる父の 下に連れ帰るのです 親愛なるマスター 内なる神を感じる 価値がないと思う時 この恐れを超越する 方法がありますか なぜ貴方が恐れるのか 私には分りません 天なる父を恐れるのは 非常に不自然な事です お解りですか 私達は 間違った事をする時 恐れるべきです 神が不在で孤独な時 恐れるべきですが 神を見る機会があれば 決して恐れるべきで ありません 克服して下さいね あなたの頭脳が 言う事ではなく ただあなたの心が 言う事をして下さい 頭脳はひどいものです

親愛なるマスター  あらゆる傷を癒せる 内在の旋律について 話されました これはどのような ものですか 時々 その音は 外在の楽器の音と だいたい似ています 例えば バグパイプ スコットランドの バグパイプですが ハープ フルート等も 内在の音に 似ています 違いは  外在の音は ある程度 私達のストレスや 悲しみを一時的に 癒してくれます 時には癒しません しかし 内在の音は 天国の内在の旋律は 一旦霊的な 耳を開けば ずっと 奏でられています いわゆる霊的な耳を 開けばずっと 聞けます あらゆる傷を癒し 宇宙のあらゆる智慧を 教えてくれます 外在の音楽は  一時的に幸せにして くれるだけで  賢明などんな事も 教えてくれず  私達がより賢くなり より愛深く より慈悲深い人に なれるような 変化を与えません ゆえに内在の音楽は あらゆる事をします 親愛なるマスター 私は恐れも闇もないと 信じています それらは単に 愛と光の 不在だと思います でも加護を無視すると 冒涜になります それで 私の理解で 人々に 危険を招かず 彼らをどうやって 加護できますか

誰もが自分自身で 神を見出す決心を すべきです 人々に論理と理由を 示す以外 彼らを説得する 方法はないのです  彼らが決定するのです ですから 神の加護で 理解しているなら 持ち続けて下さい たいてい 私達が人々に  自分の体験を話すと 恥をかき  疑われます その理由で人々は イエスを殺しました ですから実際   私も同修に 天国の体験を黙るように 話し過ぎないように 忠告しています ですが私は自分の 仕事をしているので その一部を皆さんに 話す必要があります 皆さんに話す事は 知っている事の 断片でしかなく 皆さんが知り  体験するであろう事の 断片でしかありません

少し話すだけでも  皆さんは有り得ないと 思っています ですから 皆さんが 私の知っている事を 分るまで待って下さい ですから たいてい あなたのような理解や 加護された内的 ビジョンの様なものは 私達は人に言いません 神が命令しない限り 命令すれば話します

あなたが菜食者だと 読んで嬉しく思います 人生で菜食になる 重要さを 説明して頂けますか なぜ重要かですね それは重要です 私達とこの地球上の 全ての生き物は 不可視の鎖で 繋がっているためです その鎖の一部でも 切れてしまえば 物事が誤った方向に 進んでしまいます それが不可視ゆえに 分らないのです また この地球上での こうした あらゆる災害や殺戮 戦争の説明が できますか あなたが内面に入り 神に瞑想すると 神があなたに  慈悲は非常に重要と 教えてくれるでしょう そして 慈悲は 全衆生に動物にも 広がるのです そうすればどれほど 重要か解ります 聖書も神は言います 「神は人を創り 私達の食物として 野のあらゆる草葉 野菜を創った」と また神は言いました 「あなたの友として あなたを助けるために 私は動物も創ったので 動物を治めなさい」と しかし神は動物を 食べろと言いません 親愛なるマスター クリシュナやイエスや 仏陀を同時に見る事は 可能でしょうか あるいは一人の明師を 見たい欲求の方が いいのでしょうか 彼らを同時に見る事は 可能です 同修の中には そういう人達がいます しかし 神はふざける 事があります 仏教徒が イエスを見 キリスト教徒が仏陀を 見るというようにです 少しからかっています そして彼らに 全てが神と共に働き 皆 神と同一体だと 理解する為です 親愛なるマスター 輪廻には何か 目的がありますか ええ 魂が何か 特別な理由でここに 戻りたければです 地球で更に 多くの経験を 積みたいとか 愛している誰かを 助けたいとか 今生での事が まだ未達成なのです しかし人が必ず 同じ場所に再び生まれ 変わるのは稀です 生まれ変われる 場所が他に 沢山あるからです

真理とは何ですか

真理は言葉で語れる ものではありません それは自身の体験で なければいけません 真理は神です 真理があなたに 神を知らせるのです 真理があなたに 神と同一体と 教えるのです 親愛なるマスター 天国へは感覚を通して あるいは論理を通して 到達するのですか あなた自身を 通してです それは言葉や 理由付けではなく 内面のビジョンで 天国を自分で見る ことによってなのです それで天国を知ります 親愛なるマスター 全ての苦しみや災難は 自由意志によりますか あるいは神が一部分を 負っていますか それは私達自身の 自由意志によります 私達が体に 相応しくないことを してしまえば もちろん 体は病気になります 例えば タバコを 吸い過ぎれば 肺に問題が生じ 私達の隣に 座っている人にも 副流煙の 害が及びます 例えば 私は 副流煙の 被害者です お酒を飲み過ぎれば 酔っ払って 二日酔いになり 頭痛がします  他にお酒を飲むことで 合併症などを 引き起こしますね そういうものです 無意識にしている 他の事もあります それも 体に影響し 病気として現れます こうした事は全て再び 神に向き直りなさい という喚起になり 神に私達の欠点を 癒してもらうのです 神の聖霊と愛が 内在すると信じてます また 神の愛と光が 私達の動物を通しても 輝いているのだと 信じます あなたは これを信じますか もちろん信じています それが解ります 親愛なるマスター 人が自分の時間と 経験を 報酬なしに 諦めるのは 非常に稀なことです

お忙しい週末に 時間を取って あなたの悟りを 分かち合って下さり ありがとうございます 私や私の家族 そして 特に困っている団体等 あなたの祈りの中で 記憶に留めて下さい ありがとうございます 本当にありがとう 親愛なるマスター 神が憂鬱や恐怖から 引き上げるそうですが 憂鬱や恐怖に 苦しんでいる人が どう癒されますか 再び神の所に 行くことで 皆さんが 内在する神の下に 行くことによってです 皆 様々な形で 沢山苦しんでいます 私達は天なる父との 接触を失ったために 様々な恐れを抱きます それは あらゆる加護 パワー 安全性の本源です 家に戻る事によって 私達は必要なものを 全て得るのです しかし 皆さんは 私の言葉でこれを 理解するのでなく 自身の体験により この事を知るのです 神の下へ再来する 招待をしています 皆さんが神を見る お手伝いさせて下さい 後に皆さんはずっと 神と一緒にいられます 皆さんには  私が必要なくなり 私は今日だけにいます そして皆さんを 神と共にしておきます 問題ありません だから皆さんがもう 何千もの質問をしても 単に知的な意味で 助けとなるだけで 皆さんの本当の 苦しみは癒せません 神のみに出来きます 親愛なるマスター この世に私達の人生の 意味があるとすれば 何でしょうか ここに来る事で 神を知れるのです それこそが唯一の 人生の意味です 多くの人は忘れてます

だから苦しむのです 親愛なるマスター 私はイエスの教えに 従うことで 救済を 得られますか そうならなぜ 別の先生が必要ですか 皆さんが イエスが話したことを 全て理解し 実践しているなら 救済されるでしょう 私は 主イエスの 悟りのレベルが 時に 私達にとって 高過ぎると思います 皆さんが自分で 悟っていない限り そのマスターが私達に 教えたいと思うことを 理解できないのです 私はその方法を 提供すべく存在します そうすれば 皆さんは 教えを深く理解でき 彼の教えの 真の実用的な 面を得られ 人生に癒しと 愛がもたらされます 単にイエスの言葉のみ 私達が完全に 理解していなければ 真の救済を得るのは 困難でしょう あなたが十戒を 守っていて 善良な人だとしても 天国には入れますか 一時的なものです 親愛なるマスター 私の母は二カ月前に 突然亡くなりました どうすれば 彼女が成仏していると 判るでしょうか  彼女がより光の多い 天国へ行けるよう 私には何が 出来るでしょうか 今 彼女と 意思疎通を図る 方法がありますか 私達の同修の中には 瞑想中に 自分達の愛すべき 人達と 意思疎通 できる人がいます いわゆる 「彼岸にいる人」とです そしてまた 良き知らせがあります 印心を受けた人は 五から七世代が 利益を得ます その 本人が彼らを知って いようがいまいがです 例えば 皆さんの 亡くなったお父さんや お母さん 彼らが 亡くなったままで あれば 皆さんの 光の修行を通して より高い天国に 引き上げられます 血筋ゆえにです 皆さんの印心を通して 亡くした親戚縁者をも 加護するのです 最低 五から七世代が  開悟した 一人の人によって 救われます 親愛なるマスター 開悟した時 どういう 事が起こりましたか ムハンマドのように 鈴の音を聞きましたか ビジョンはありました 教えて下さい ええ そうです ほんの初期の頃に 鈴の音を聞けます 天使が話すのも 聞けます イエスや仏陀を見る かもしれません ムハンマドや 神を見る かもしれません 他のマスターを 見るかもしれません 光だけを見 鈴の音だけを 聞くかもしれません 鈴よりも高い 他の音を 聞くかもしれません

親愛なるマスター どうすれば人の神性を 表現できますか

あなたがそのことを 分った時だけ それを表現できます 自分の中に神が 存在するのを知った時 あなたは開悟し 自分の中の この神的品性と 接触するのです そうした時のみ 表現できます 知らないことは 表現できません 私達は認識してない ことを表現できません 認識しておらず その事を分って いなければ 実際所有しないものは 表現できません 

そうやってイエスは 自分の神聖さを表現し 彼は聖なる存在に なったからです 彼は神と同一体と なったのです マスター 天使や 守護霊は存在しますか 霊的向上にどれほど 重要なのでしょう 神よりも彼らと 意思疎通を図る方が 簡単なのでしょうか 彼らは本当に存在する まず第一に 彼らはどこにでもいる ただ私達の 霊的な目が 開いていなければ 彼らが見えません そして 私達が開悟すれば 彼らが見えます いかなる 瞑想を あえてしなくても 幾らか過去の体験が あったり 偶然他のマスターの 加護がある人がいて 彼らもまた天使や 守護霊を見ます ある範囲で私達を 助けてくれますが 神のみが全てを通して 助けられます でも最初の頃はたぶん 天使や 守護霊が側にいて 基本的な求めに対し ほんの少し 助けてくれるでしょう そして後に 私達は 自身のマスターとなり 神こそが私達の 唯一の導き手です しかし 天使達は 常に側にいます 何の問題もありません 私達の奉仕者になり 助手となります 親愛なるマスター あなたが私達の命が 世々代々引き継がれる そうおっしゃる時は 輪廻のことを 話しているのですか そうです しかし 私が前に述べたのは 知識の鍵が ある世代から次へと 受け継がれていくと 言ったのです

親愛なるマスター 私は 他人の弱点に 心を開く練習を 心掛けていますが 時々 自分の慈悲心と もがき イライラ してしまいます どうやって克服したら それに慣れるまで もがき続けて下さい 私達が 他人への慈悲心を 持つなら 無条件に持たねば なりません そうすれば 彼らから 私達の愛に見返りが なくても 傷ついたり しなくなります イエスがしたように 出来ます 修行して下さい 神の王国を 神を知ることを 神が与えてくれる物を 内面から与えて下さい 私達は消耗してると 感じなくなります 全衆生を等しく 愛するのは困難です でも最善を尽くして 自分の家族を愛して 下さい 心から 全身全霊から 彼らを愛して下さい そして 神の臨在を 修行して下さい そうすれば 後に 家族を愛するのと 同じくらい 人類を 愛せるようになります 親愛なるマスター 周朝の呉子は大いなる 分離を言及しました

呉子ですか 彼がどうかしましたか

彼は大いなる 分離を言及しました 前は 地球上の 様々な生命体が意識を 分かち合っていたと 意識を分かち合う 新時代へと進んでいる と信じますか わあ 感動ですね アイルランド人が 老子の前に 呉子を知っているとは いえ 彼はある比喩に ついて話したのです

創造が 命あるものへと 吹き込まれる前に 大いなる分離というの がありました 神が考えたからです そういう風になった 神は自分自身を分けた かったのです  それで私達は彼から 分かれました それで違った個々の形に 分けたかのように見え それで私達は神からの 分離を感じ取れます そうして この分離を通して その本性に戻るため 強い願望の力で 戻るべきです そうして望めば 私達は同意識の中で 一諸になります それこそが 私達が分けられた 意識を持ち 源へと戻って行く時 そして 新しい 黄金時代のことですね そうですね  それは私達次第です もっと多くの人が 自分の意識を より高いレベルへ 上げられれば もちろん私達は 新しい黄金時代へと 近づいて行きます そうでないと どうな るか分かりますね ですから 多くの先生や 私自身も 神によって命じられ このように走り回り 私の知っている 知識を分かち合って いるのです 神が私や皆さんに 知って欲しいと 思っている事です 万人が神の真の知識を分かち合えるように なるまでです そうすれば  もちろん黄金時代へと 近づいて行けます そうなるよう希望し そうなりつつあると 思います 沢山の人々が 今 霊的な方へ向き 沢山の人が菜食者に なっています 健康的理由のみでなく 慈悲や 宗教的観点からです 地球はどんどん 良くなっています ただ私達がより懸命に 働かねばいけません 例えば 私が心の中で理解する 真理を伝える方法が 分かりません 時々神に言います 大変難しいのです 神様 誰か他の人を 探して下さい あなたのことを話す 方法が分かりません 知っているだけで あなたを愛せますし 見られますが 大変難しいのです あなたの事を 言葉で伝えるのは 話せば話すほど  十分称えていない のではと思い 不完全さを 心の中で感じ イライラします と それは物事の有り様で 私はただ人々に 紹介すべきで 人がそれを選び取り 決心します そして 神の王国へ 入って行くのです そうして  自ら分るのです それが最高の方法です 言語は特に 神を説明する 最高の手段という 訳ではありません 神を知る誰もが この事を分っています ある瞑想法は 丹田(太陽神経叢)に 集中すると言います

ある者は心臓に集中 などと言います 観音法門は第三の目に 集中するように言い 私は全部試した ある友人に 第三の目に 集中するのは危険だと 警告されました 何か助言を 頂けませんか 正しい導き無しに どこかに集中するのが 危険なのです 私達は自分について 大変多くの事を 忘れてしまっていて 再びABCから 学ぶべきです 丹田は 中国語です 太陽神経叢を表します それは お腹の辺りにあり おへその辺り おへそより低い所です このチャクラ 体の 中枢はエネルギーの 中枢でもあります 体内に沢山エネルギー 中枢があります 国に沢山の 発電所がある ようなものです 町全体 或いは国全体 賄う発電所です 私達の体には 霊的パワーや意志力を 集中させる 沢山の様々な 中枢があります 足の裏にも 膝にもあります 生殖器にも ありますし お腹のここ 太陽神経叢にも あります 心臓にも 喉にもあります ここにもそこにも そこにもあります 私達が死んだ時に この肉体から 抜け出す 最高の門が この第三の目 智慧の中枢なのです だから間違った所へ 行ったり 低い創造のレベルへ 下りて行かないよう 混乱を避けるべく 私達は生存中に この門を 行き来する 修行をするのです 神はここに座り智慧が そこに座っています ですから私は足から 上へと教えて 行くようなことで 皆さんの時間を 無駄にしたくないです 昔 人々は八百才も 千才も 生きていました 彼らは あらゆる 逆さま 反対の事をし 楽しめたのです 私達にはもう時間が ありません 寿命は技術の進歩に かかわらず どんどん 短くなっています 一瞬で出来るよう 私達は重要な所を 修行すべきです それは唯一の 体の出入口です より高い愛の レベルのためです ですから ここに 集中するよう教えます どんな中枢でも 正しく学ばねば 自分を守るために すべき事としては ならない事があります それで 皆さんと一時間か 二時間かけて座り 何に注意を払うべきか 伝えます 悟りは瞬時です 説明に一時間ほど かかります それで 皆さんは 家で毎日 どうすればいいかが 分かります

忍耐強く 誠心誠意で 有難うございました

皆さんの臨在に深く 感謝します 加護して頂きました ありがとうございます

二〇〇九年十月三日 香港での 気候変動会議が 私達のスプリーム マスターチンハイ 国際団体員により 開催され 私達には まだ気候変動を止める 時間がある 希望の メッセージを共有した 今日の 専門家から 学んだことによると 災害も同様にひどく なって来ています このような皆を脅かす 筋書きが増加する中 私達には幸運にも 恵まれたことに まだ自分達の命と 子供たちの命と地球の 共生生物の命を 救う時間があるのです

スプリームマスター テレビジョンで 香港でのスプリーム マスターチンハイとの テレビ会議の 再放送をご覧下さい 題して「地球の結束 共に生命を救う」は 今週金曜十一月二十日 智慧の言葉にて

Because after disasters, we tend to become more spiritual. It is sad, but at least in the thorny bush, we have roses. Similarly, in the late event, we have war in Kosovo and people tend to become closer together - more loving, more giving, more understanding.

 

God would not visit such a sinner like us, etc. But actually, all these are the tricks of the dark force to put us down, to pressure us into submission to this physical existence, because a child of God is always a child of God. Whatever he does by mistake or by ignorance is always forgivable by his Father. Once he knows the Father, everything is clear and forgiven.

 

It even slows down your life, slows down your job, slows down a lot of things. Yes, whenever you touch alcohol, you really want to live shorter than you should. That's the way it is. The body is not suitable for this kind of strong intoxication. And it damages the nerves, it dulls the intelligence, it shortens the life span. So it's up to you to choose to live dangerously or to live quietly. OK? There're so many temptations. It's difficult to resist. But if you would like to live a more healthy life, and a more active life, a more productive life, then it is better to refrain from alcohol.

 

No such thing as eternal hell. It would be a very, very, very, very terrible, cruel God who makes eternal hell. Can you think of the logic? Whatever we do, doesn't matter how bad, how terrible, it's short-lived, it's temporary. How can it be measured by eternal hell? How can a God who is so just, even, measure such an eternal punishment for limited actions, however bad it is?

 

We make this choice already while we're living by acting out what we want to be. If we want to be godlike, then we act like a loving person, - compassionate, giving, understanding, forgiving and holy, etc. If we want to act on the contrary to God, then maybe we do not follow the Ten Commandments, we try to do everything that is contrary to the teachings of Jesus, for example. Then at the time of death, the habit thinking, that we would think in that way, and so this thinking will not allow us to go into a higher Heaven.

 

All suffering and disease is our own free will. Yes, when we do something that is not suitable for the body, then of course the body gets sick. For example, if we smoke too much, then we sometimes get lung problems, and the person who sits next to us also has second-hand smoke problems. For example, me, second-hand smoke victim. And there's other things that we do unconsciously, which will also affect the body, and it bursts out in sickness. All these things can be remedied by turning to God again and let Hirm heal our shortcomings.

 

It is dangerous to focus anywhere without proper guidance. Because we have forgotten so much about ourselves that we should learn it from ABC again. So the highest gate for us to leave this physical body when we die, is the third eye center, the wisdom center. So, in order not to confuse and go the wrong way around, go downward into a lower level of creation, we should practice going and coming through this gate while living, because God sits there, the wisdom sits there. So I do not want to take up too much of your time by teaching from the feet upward, which you can do. In the old times, people lived until 800 or 1000 years. They can have fun doing all kinds of upside down, inside out things. We don't have time anymore. Our lives keep shortening despite our technology advances, so we make it quick. We must practice where it is important, where it is the only way to get in and out of the body for the higher level of love.

 
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