智慧の言葉
 
心の平安はどこから来るか 第一部/2  一九八九年十一月十一日 サンパウロ ブラジル(ポルトガル語)    Part 1
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ご覧頂いているのは 智慧の言葉 「心の平和は どこから来るのか」 スプリームマスター チンハイの講義より ブラジル サンパウロ 八九年十一月十一日

殆どの人々が天国を どう探すか聞きます 天国は私達の内面に あると言いました 「ええ それで」と 彼らが聞きました 「なぜ探せないのか」 聖書で言われています 「天国は汝の中にある」 「汝の体が寺院であり 神は汝の中に 宿る」と 仏教経典でも やはり同じことを 述べています 皆に仏性があり 仏性と 仏陀は皆の中にいると それはつまり私達が 仏教徒でもキリスト 教徒でも自分達の中に より高次の理想と パワーを見つけられる ということです でも見つけられません なぜでしょう それは自由意志 ゆえにです

神が人間を 創った時 自由意志を与えました この世を より低級な知識を 選択する自由意志と 天国やより高等な 智慧を選択する 自由意志です この自由意志 ゆえに 神 つまりいわゆる 高等な智慧は 私達を神のパワーと 無理やり調整する ようなことはしません つまり神が無理やり 私達を神と 調整しようとしても 神にはそう出来ますが 私達に選択する自由 意志を持たせたのです 私達の頭脳には 沢山の いわゆる 区域があります

私達がそれを使ったら 神と自分達を 繋げられます 神とは私達が頭脳で 想像できるものでは ありません 仏教では 神のことを 仏性と呼びます キリスト教や 他の宗教では 「神」とか 創造主とか 中心の力とか呼びます パワー これは「神」で 私達が神と呼ぶ いわゆる存在 あるいは パワーは実に偉大で 私達の想像力を超え どんな言葉や 知性でも 形容したり理解したり できません しかしそのパワーや その神 偉大な存在は確かに 存在しているのです その存在や神を 認識するために 私達はそのパワーと 繋がらねばなりません

頭脳にはある区域が あって 調整できたら 私達は神と 繋がれるのです または私達が 仏性と呼ぶもの あるいは本性と 呼ぶもの より高次の本性 とか 道とさえ呼ぶものと 様々な人々が様々な 名前を使って この 偉大なるパワー偉大な 愛の存在を呼びます 人々が愛する人を 様々な名前で 呼ぶように ある人は マイダーリン ある人は マイハニーパイ ある人は 私の シュガーキャンディ ある人は 私の可愛いお花 ある人は マイスイートハートと 実はみんな一緒で 「私の愛する人」 「私の最愛の人」と 様々な名前で呼びます

私達が 神や仏陀の存在を 知らないのは 私達が内面の道具を 開いていないからです ちょうど テレビ局や ラジオ局があっても テレビやラジオの チャンネルを つけなければ そのテレビ局や ラジオ局の ニュースや番組を 楽しめないのと 同じです 神と繋がるためには 沢山の 道があります ある道はわりに遅く ある道はわりに速く ある道はわりに安全に ある道はわりに難しく 危険な道もあります たとえどんな道を 選ぼうとも 瞑想と呼ぶものを 含めねばなりません ほとんどの人が 「瞑想」という言葉に 馴染みがありません

しかし瞑想は何ら 新しいものではなく それは一種の 集中です 自分のしたい事に 集中するという事です 例えば 毎日 瞑想してるのに 自分ではそう感じて いないことです 子供たちが 白昼夢を見る時も 瞑想と言えます 彼らはアメ お菓子 おもちゃ 熊の人形に瞑想します 時々 お母さんが 留守の時 お母さんに瞑想します 「瞑想」とは ある主題 ある問題 ある理念に対する 深い集中 深い思考です ほとんどの人は 祈りや礼拝のことは よく分かっています 私達が祈る時 いつも神に 加護や 導きを求めたり 物事を望んだり 保護を求めたり とにかく欲求や願望の 実現を祈ります

でも私達は 何かを祈ったら 返事を待つべきことを 忘れています ですから神に 導きを祈ったら 静かに座って 聞かねばなりません それが瞑想です 神に瞑想するのです 神が私達に与えて くれる理念に 神が私達に授ける 指示に 神が私達に授ける 加護に瞑想するのです たとえ私達に仏陀や 神が内在していても 私達はいつも忙しくて 仏陀や神を 無視してます それで 神や仏陀には 私達に何をすべきか 伝えたり 私達の問題の解決法や より高い智慧の 学び方を指示する 機会がありません 瞑想は 一種の教育であり 一種の学習過程です

それは皆さんが 大学に行って 自分の教授や先生に 質問をして 指導や智慧を 静かに座って 聞かねばならないのと 同じです 学生が 大学に行って 教授に何か尋ね それからすぐに 他の事で その場を離れたら その学生は賢いですか ですからたとえ 教授が目の前にいても 何も身につけません 教授に話す機会を 与えないからです 瞑想は私達の生活の 他の学問と似ています 私達は学ぶべきで 私達に与えられる 智慧を受け取るよう 意思を持つべきです 他のあらゆる 科学や研究のように 聞いたり 実践して 身につけるのです

私達が沈黙の中で 静かに座れば 沢山の情報や 加護 愛 エネルギーが私達の 存在に注ぎ込まれます 瞑想後に 違いを感じます またより長い間 より長く瞑想すれば より智慧を得て より平和に なるのです これがこの世がより 平和になる方法です 平和は一人ひとりに 一個人から 始まるからです 皆が平和なら 世界には戦争も 対立もありません 私達は多くの平和運動 いわゆる和平会議を 協定を ありがたく思いますし 共に座って話します 私達はそうした人々の 努力と誠意に 感謝しますが ほんの一握りの人々が 地球全体のために 平和を決意できません

皆さんはどうですか 同意しますか ええ 私達一人ひとりに 和解する 平和に近づく 異なる方法があり 私達は尋ねられないと 尋ねません そして神も知ってます 神は地球に 平和をもたらす方法を 決めるのに最高な人で 私達の内面が 平穏であれば 平和は得られます では例を挙げましょう 毎日 皆さんは通りで 仕事で 商売取引で 大勢の人に会います たまたま 穏かで その日 幸せな人に会えば 自分も大変穏かで 幸せを感じ 自分の仕事や 取引もその日 スムーズにいきます

突然 とても怒っていて こんな顔をしている 人に会ったら 皆さんも突然 不安に なり ためらいますね

私がブラジルに 初めて来た時 今回が二度目ですが 私はとても幸せです 至る所で 人々が常に微笑んでる のを目にするからです 人々が幾らお金を 持っているのか どんな大きな商売で どんな職業でどんな 地位か知りませんが ただ微笑んでるのを 見て 私の気分は 良くなります ブラジルの人々は大変 神に近いと感じます ブラジルの人々は ほとんどの人は とても純粋で 肯定的に感じます いつも物事の 良い部分を見ます 逞しく自身の人生を 送ってると思います

彼らは勇敢に 人生に向き合い 大変幸せで 肯定的で 国内の貨幣価値や 物価の上がり下がりの 変化が 大きくても 人々はなおも 威厳と 肯定的な態度で それに耐えます 皆さんはとても 神に近いと思います これが最も開悟した 人々の人生を送る 方法です これが 神に近い人や 仏陀に近い人の殆どが 人生を送る 方法です さて 開悟には多くの レベルがあります 皆言うかもしれません 自分は開悟してないと 開悟とは何か 分からないと また 天国のことや 神や涅槃(最高の境地) 仏陀の事を 知らないと言うかも しれません

でも知っているのです 皆さんの人生の送り方 を見れば分かります 開悟とは 必ずしも ある天国を見たり 神になったり 聖人に 有名な聖人になったり 講義をしたり 何か慈善事業をしたり 教会か何かを運営する ことではありません 開悟とは 非常に高いレベルの 思考であり とても肯定的な生き方 とても平和的な 生き方なのです 高いレベルの 考え方です 穏やかな 生き方です 私達が とても穏かで 愛深く 優しく 肯定的な人に会えば その人はどことなく 開悟してると分ります その人は大変 神に 近いと分かります あと一歩で 非常に高貴な聖者で キリストや仏陀の様に なるでしょう

皆さんの国は ここにやって来た 他のどんな国の人にも 大変親切だと 聞きました たぶん 日本人が来て 中国人が来たら 皆さんは 彼らに土地を与えて 快適な生活と住む所を 与え 彼らが 発展し 落ち着くのを 手伝うでしょう これが神の愛であり これがこうあるべき 神性なのです あるいは 仏教で呼ぶもので これは菩薩道と 呼びます 「菩薩」とは 聖人 愛深い者 開悟した者の事で サンスクリット語の聖人の意味で 開悟した聖人です また仏陀は キリストと同じで ただ異なる国で 異なる称号を与えて 同じことを示してます ブラジルにいると 私は大変幸せです

私は皆さんの国と その愛深い人々を 調べた後 思いました「当然だわ 私がここで幸せなのは 不思議じゃない」と 皆さんが 自分自身と非常に 似ている環境や 同じ環境にいて 幸せなら 水の中で幸せな 魚のようなら それは水が魚に 適してるからです また野生動物は 山の中や深い森にいて 幸せなのです 深い森や山は 野生動物に 適していて 有益だからです 彼らは動物園にいたら 幸せではありません ですから仏教では 集合カルマ(報い)を 信じます

私達は 似たような 境遇や 考え方 また似通った 知性レベルの人や 同じ家族 同じ国に 生まれた人なら 誰でも信じます またそれが 家族の全体の雰囲気や 国の全体の 雰囲気を 作るのです ですから時に ある国を訪問すると その民族を その国を 自分のとは 何か違うものがあると とても独特だと 感じる事ができます たとえ私達が人類は皆 等しいと言っても 全人種は神の目には 同じだと言っても 民族には 違いがあります その国の 風俗や習慣の せいだけでなく 人々全員の振動力の せいもあります 私は常にブラジルと コスタリカでは幸せで 智慧は内から 出るものです

気持ち 感情と 人々との交流は 内から来ます そして内側と外側を 私達は両方を 感じられ そうして 完全な人間になります 私達に 喜怒哀楽と 愛しかなければ 私達には内なる智慧は ありません それでは 半人前です それで聖書では 私達に喚起しています 「天なる父が 完全であるように 汝らも完全であれ」と 完全になるには私達の 本質の半分が必要です 知性 智慧 私達が仏性と呼ぶもの 或いは内面の天国 殆どの人は地球の 平和を語ろうとし 平和な雰囲気を 構築するために 協調を試みますが 私達はささやかな 知性で行ないます 私達は神の智慧では 行ないません そのため常に失敗し そのため私達には まだ戦争があるのです

私達の中に平和を持つ 一番の方法は まず内面にある 平和な天国と接触 することです それで 世界を救えるのです 自分達で 地球上に平和を 築くのに熱心な人々が 平和であれば より良いでしょう しかし そうした 人々が内面で平和 なのかは分かりません どう思いますか イエスそれともノー 頭を振りましたね 賛成です たぶ 違うかも でも そうした人々の 内面が平和なら 皆 神の王国を 自分自身の中に 見つけています それでも一握りの人が 惑星全体のために 平和を作れないのです 私はこうした努力は 良くないと言いません

意図からして とても良いのですが 私達のそれぞれが 地球上に天国を 持ちたいのなら平和を 見つけるべきです 多くの人が尋ねます 「パワーがあるなら なぜ 明日にでも 地球に平和を 作らないのですか 超能力を使って」と 分かりますか 「私達は人々に平和を 強制できません」 これが問題なのです そうでなければ イエスも出来たし 仏陀も 出来たでしょう 老子 孔子 ムハンマドも ソクラテスもです

時にコーヒーを好み ケーキを好むのは 良いですが 友人は好みません 中国人は中華料理が 大好きですが ブラジル人は違います 時に 中華料理を 食べられますが 毎日ではありません 香港の僧侶を知って いますが 彼はドイツで産まれ 仏教徒の 僧侶になり 香港に二十年間 住んでいます 彼は厳しい僧侶で 自分のためには 料理をしません 彼は完全に神や仏陀の 恩恵に頼っています 彼には数枚の洋服しか なく 誰も望まない 非常に荒廃した所に 住んでいます お金を もらったら 彼は本を印刷したり 貧しい人にあげます 誰かから 食べ物をもらったら 彼は食べます 彼は料理をしません

しかし 問題は 香港の人はたいてい 彼に米を与えます 中華料理です 彼はパンが好きです ジャガイモが好きです 殆どのドイツ人は ジャガイモが好きで パンが最高です 沢山の種類の パンがあり 非常に健康に良く 非常に栄養があります 貧しいドイツ人の 僧侶は たいてい お米を食べます 誰かが彼をヒンズー レストランに連れて 行き彼にパンを買うと 彼はいつも感謝します 人間には 異なった特質 異なった背景 異なった好みが あるのです 私は 若い時から 哲学を読むような 家庭に生まれました 祖母はそれが好きで 父も好きでした

それで私は生まれた 時から影響されてます こういった 哲学的な観点にです 自然に 成長し 霊的な道を 追求したのですが 皆がそのような家族に 生まれる訳ではなく 誰もが仏教徒キリスト 教徒に生まれません ある人は 非常に 離れた場所で生まれ イエスや仏陀 あるいは 哲学者の名前など 一度も聞いたことが ないのです この物語は 禅宗の六祖 慧能の話です 慧能は 六または七世紀の 有名な禅僧です イエスの後です 彼は無教養な人で 無学でした そして 辺ぴな所に暮しました 毎日 木材を切り お米と食料に交換し 自分と母親の世話を していました

この職業のせいで 時に 彼は町に出て 教養のある人や 裕福な人々と 知り合いになりました ある日 裕福な家の 前を通った時 誰かが金剛経を 朗読してました 金剛経は 仏教の非常に有名な 教典の一つです さて教典の一文が 聞こえてきて 彼は自分自身の中で 開悟しました つまり 彼の考え方が突然 変わったという事です 恐らく 彼は以前 いつもお金を稼いで 母に役立つ事だけを 考えていたのでしょう そして今 その一文を学んだ後 彼は開悟することを 考え始めたのです 神を見つけたいと 仏性を 見つけたいと これがいわゆる 開悟するという事です

しかし これは 知的な開悟の中の 開悟だけなのです 他の開悟が あります それは 直接的な開悟であり 知性を通しての 理解ではありません それは直接 神を見る 仏性を見ることです それ以上に説明する 必要はなく 他の人に説明する事も できないのです 神は何か 仏陀は何か 考えずして知ってます それを直接的な 開悟と呼びます それは高レベルの 開悟なのです 従って 彼が知的に 開悟した後 禅宗の六祖慧能は マスターを探しに 行きました 二種類目のより高度の 開悟を 得るために 神の直接的な 知識や仏性です 殆どの宗教的な 理論と説法と 経典は 私達が 最初の種類の開悟を 得る助けとなります

すなわち 神の存在を 仏陀の存在を 理解し 気づくために 私達の物質界よりも 高位なものがあります お金を稼いだり 家族の世話をしたり 国を救ったりする こととは別に 私達にはするべき 他の事があります 学校の知識や科学的な 功績以外に それを超える 何かがあり 私達が発見し 学ぶ より高い何かがです やはりそれで私達は 気づくのです 世界の悲惨とは別に サマディー 涅槃(永遠の至福) または天国と 呼ばれる状態の 喜びと幸福が あることをです

天国を見つけるには サマディーにいるには 涅槃(永遠の至福)の 喜びを味わうには 勤勉でいるべきです 私達が この世界の仕事に 勤勉であるほど 天国と至福の仕事に 勤勉でなければ なりません 天国は内在しています 祝福 幸福 涅槃は全て 私達の内面にあります 多くの人がそれを 見つけました 多くの人がそれを 楽しみました 彼らは天国や 涅槃に行くために 死ぬまで待ちません 今 それを楽しみます 天国 或いは涅槃を 見つける法門は 沢山あります しかし 私は最高で 一番安全で 一番速い 方法は観音法門だと 信じています

あなたがそれを自分で 見つけたなら おめでとうございます 見つけなかったら 私がお手伝いできます あなたが 同意するなら 私の無条件の提供を 受け入れるなら 「無条件な」とは 何もあなたから期待 しないという事です あなたの愛 あなたの崇拝 あなたのお金 あなたの財産 あなたの時間 あなたの献身 何も要りません 要りません ただ一つだけ 瞑想だけです 皆が平和と愛 そして 内在の天を望むなら 毎日 自分の時間を 一、二時間 捧げるべきです そうすれば 内在の天が分かります それだけです 条件は 私が作る料理を 味わいたいなら 食べねばなりません

私の所に食べに来る 必要さえありません 自宅で食べられます 私は家に配達します 皆は食べるべきです 私が与える物を楽しむ 時間を作るべきです 理に適いませんか 十分論理的でしょう それで 同様に 私に会いに来るのに 家や妻 仕事 お金から 離れる必要はないです 皆 家にいて 瞑想します 心の中で平和と祝福を 楽しんでください 私達が食物と飲み物を 楽しむために若干の 時間を作り そして 確保しなければなら ないのと同じです 私達はパンと命の水を 楽しむために若干の 時間を作るべきです 天のパンです

政府が気候変動を 止めるためビーガンの 食事を勧めたら その反応のレベルが 想像できます でも私達が政府や 他の誰かが流行を 作り出すのを 待つ余裕はありません ですから今始めなさい まず自分自身が個人で ビーガンになって そうして皆にそれが いかに簡単で利益が あるか知らせるのです

スプリームマスター テレビジョンで 今週土曜日一月十九日
ある人はこう思います 「私には時間がない 時間がありません」と 皆が空腹なら 食べる時間ありますか 皆が疲れているなら 眠る時間がありますか するべきです それで 私達が 内在の天国を感じない 理由は 私達が それを楽しむ時間を 確保しないからです 瞑想は神や私への 義務でありません あなた自身の為です 食べないなら 食物がどれ位良いか 分かるはずがないです そして空腹だと 不平を言います 食物がレストランとか 遠くにあるなら 言うかも知れません

「わあ怠惰で歩けません お腹が空きすぎて 歩けません」 しかし 食物は 家にあります 私達に必要なのは ただ座って 食物に 全時間を与える事です 同様に 日々 神の 恩恵と褒美は常に そこにあります でも私達は楽しまず 神を非難します 神は私達に話しますが 皆 忙しすぎるのです 祈るのに忙しく 働くのに忙しく お金を稼ぐのに 忙しく 取引に忙しいのです 私達が教会に行くと 会話と祈りに 忙しすぎて 私達は聞きません それはこのように 常に続いていて 私達は言います「ああ 私は神が本当にいるか どうか分かりません 神も仏陀も いません

私は何も見えません」 たとえ奥さんが 家にいても 皆さんが忙しすぎたら 彼女にも会えません 眼鏡でさえも 時々 それを 手に取っては 何かを探すのに 忙しすぎて 言います 「私の眼鏡はどこ どこですか 眼鏡はどこですか」 そうではありませんか ですから瞑想は 神の恩恵を楽しむ 時間を確保する事です 神の恩恵を楽しめば 楽しむほど 人生は より円滑になり 精神的に より健康になり より知的に なります それは 古今を通じ 賢人や聖人 菩薩 仏陀が 賢く 愛深く 平和になる方法です 毎日 彼らは 天の至福を楽しみ 命のパンを食べ 甘露水を飲み 魂に滋養物を与えて 魂を養うからです

彼らは神と 仏陀と接触して 彼らの智慧を維持します 神が私達のために 何をするかが問題では なくて 私達がそれを 受けるかが問題です 神や仏陀は常に私達を 助けたくて堪りません 非常に心から 無条件に私達を 助けたがっています でも私達にはただ 助けと恩恵を受ける 時間がないのです それゆえに 私達の人生は 多くの問題と 惨めさに遭遇し 解決できないのです それは私達に内在する より高い智慧である 天国の援助を 求めないからです ご存知のように 私達は 脳力の95を 使っていません この95%の 脳力の中には 沢山の秘密 多くの宝物 多くの至福 幸福 智慧が置かれています 秘密を開けましょう 宝を開けましょう ラジオを開けましょう 私達の内在の偉大な 宝を見つける若干の 時間を確保しましょう 自分で見つけられたら 大変良いです まだであれば快く あなたを助けさせて 下さいますように 親切なお気遣い ありがとうございます

彼女は聞きています 彼女はヨガを習ってて アーサナを修練する だけで 観音法門が 修行できるか 知りたいそうです

はい できますが プラーナヤーマも 呼吸法もダメです ハタヨガを修練する なら 大丈夫です 呼吸法を修練すると 全体のシステムを 妨げます

それは観音法門に 適していません 観音法門に合わない という意味ではなく それはあなたの進歩を 遅らせます

他の方が聞きています 妊娠してますが 観音 法門を修行できますか はい はい はい それはあなた方 両方に良いです 彼女は妊娠していても 印心を受けられるか 知りたいそうです はいできます

彼女は 修練すると 五分したら 寝てしまう理由を 知りたいそうです どの方法ですか パドマーサナです 別の方法で 観音法門ではないです それは多分疲れすぎて いるからです また多分 方法が 十分に強力でないか あなたに伝達を 与える先生が 十分なパワーを 持っていないからです それで 四つの理由が あります 彼らは この瞑想を 修行するのにどれが 最も良い方法か 知りたいそうです 観音法門です

私はあなたに 五分後に寝てしまった 四つの理由を 話しました 疲れているのであれば 起きて 顔を洗うか冷たい シャワーを浴びます 顔や 手 足や 全身シャワーを浴びて 運動をしたり 新鮮な空気の中 散歩 したりして 戻って もう一度瞑想します 方法が自分に適して ないと感じたら 別の方法を 見つけねばなりません そして 三つ目の問題 あなたのマスターか 先生が十分に パワフルでなければ 向上させる力を十分に 与えられないなら そう感じるなら それが原因と 思うなら 別の先生を 見つけましょう あなたにある問題を 見て それに応じて 解決してください あなたの体が あまりに弱ければ ビタミンか 栄養ある食物を 食べねばなりません 食物も修行に 影響します だから 食べる物に 気をつけて下さい 彼女は 瞑想修行には どの方法が最も良いか 知りたいそうです 観音瞑想 また印心とは どんな意味ですか

最良なのは方法がなく 観音法門の修行は 非常に簡単です 六歳の子供さえ できます 非常に自然な方法です ただそこに座って リラックスして 何もしないようです そして毎日 より 多くの幸福と法悦と より多くの智慧を 感じます これは非常に容易い 方法です  それは私達が 瞑想のない瞑想と 呼ぶものです 非常に自然な方法です 私は何をするべきかを 印心の時に 教えます 実際には 何もしませんが 私は天国への道を 教ねばなりません 多くの意識レベル 歩き方 飛び方 天国にいる時 どうするか 悪魔に遭遇したら どうするか その全てをあなたに 教えねばなりません しかし 瞑想は することがないです まさしく静かに座って 神の恩恵や自分自身の 智慧を受けるのです 智慧を開くのです

印心とは私を通して 神のパワーで あなた自身の宝物 あなた自身の 智慧を開くのを助けることです 私自身のではないです しかし 実は 神は私達の真我です 神は私達の中にいます 神が私達の体に宿る なら ここに神以外の 何者もいません

それで あなたは歩いて 寝て 食べて 神を語ります しかし あなたは 自分が神である事を 知らないため 知るのにまだ十分 成長していないため 毎日 食事をする 必要があります 王子のように 成長して自分が王子で ある事を知るまでに 食べねばなりません

ですから 私はただ 王子であるあなた 自身の身分 素晴しい 身分を認める方法を 教えます

別の簡単な説明では ラジオチャンネルを 開けることです ラジオを持っていても チャンネルの開け方が 分からなければ 私が開け方を教えます そうすれば 毎日 望む時いつでも開き メッセージを受け 歌を傾聴し 神の 指示を受け取ります はっきりしましたか ありがとうございます 貴方は良く悟ってます 彼はなぜ 人種間に違いがあるか 知りたいそうです

花のようでビジョンを 喜ばせるだけです ある人はこの花が 好きで ある人は その花が好きです ある人は白が好きで いいじゃないですか

黒も美しいです 黄色も素晴らしいです 理由はないです 命はよりカラフルです

もし白い花しか なければ 素晴しくないでしょう

退屈になります ですから 黄色 白 黒 赤があるのは 良いことです 赤を見たい時は 赤い皮膚の人を見ます 黒が好きな時はいつも 黒人を見ます 白が好きな時 アメリカに行って アメリカ人を見ます

黄色が好きなら 私を見ていいです 彼らはなぜ観音法門が ヨガ瞑想より良いか 知りたいそうです ヨガの種類は豊富で 彼女はどのヨガを 尋ねていますか 座禅です 座禅ですって 座禅はヨガでないです ヨガは大部分が インドの呼吸法とか 運動法 マントラでの 静かな瞑想を指します 座禅は日本語に 由来する言葉です 仏教徒のある種の 瞑想を表します たいてい彼らは 一文または 一語で尋ねます 公案と呼ばれます

例えば 「仏性とは何か」 「私は誰か」 「誰が仏陀の名前を 聞いているか」 「誰が仏陀の名前を 暗唱しているか」 「空虚とは何か」 「無とは何か」 等 ですからそれは非常に 典型的な仏教徒の 瞑想を表します

今 私が言いたいのは 「観音法門がより良い」 という事です 以前 私は以前禅を修行 しましたが 何の結果も なかったからです 少なくとも 観音法門のように そんなに早くないです 座禅を修行して 既に自分の仏性とか 自分の仏性の光を 見ていれば あなたは成功です あなたにとって 座禅は功を奏し あなたが従っている 座禅のマスターは 力があるか とても悟ってる ことを意味します

それで 観音であるかどうか 心配しません 座禅を修め続ける ことができます 見つけたいものを 見つけていなければ 自分自身に 満足してなければ 平和 神または仏性を 見つけていなければ 私は観音法門を 薦めます

実際 観音について 更に説明しましょう それは実に方法でなく 神の力です どんな人を通じても 働きます イエス 仏陀 老子 あなた 私でも 一旦 自分の内面の力 神の力に  接触すれば この力を他人に 伝える権限を 与えられます そして 観音法門を 教えていると 言えます しかし法門はないです それは全てあなたの 秘密の智慧を開ける マスターに頼ります  マスターは いわゆる 観音を伝える時 何も話しません 何もしません あなたに何かをせよと 全く言いません それは 静かな力 記録しない 方法のためです したがって 法門と言われますが 見えない 記録しない方法で 言語も使いません どんな手段でも 内面の神の 光と音に 接触すれば  あなたは 観音法門に入ります そして 観音法門の 修行者として 成功します

そうでなければ 即時の神の光や音を 得るのを手伝える 先生の所へ 行くべきです

それはいわゆる 観音で それは振動力 音 ことば 神の指示について 観察することです そのいわゆる 「神の声」 「沈黙の声」 「神の音」は 私達自分の仏性 振動力 智慧です

私達自身の神性です それを見つければ 私達は賢くて幸せで 平和になります いいですか 彼女は 一世で 悟りを開けるか 知りたいそうです 知りたいそうです 一分かかりません 一秒です しかし完全に悟るため 生涯にわたり 成長しなければ なりません それだけです 印心の瞬間 あなたはすぐに 照らされ 悟りを開きます それが見られます 自分で証明できます 盲目の信心ではなく 自分の 内在の目で見 自分の内在の耳で 聞き すぐに 仏性 神性を 見ます だから即刻開悟と 言われます なぜそれは可能ですか 神は私達の内に いるからです

仏陀は私達の内に いますから 私達はすぐに得ます 例えば私がここにいて 顔の前に ベールを掛ければ あなたには見えません でも 私がここにいる ことを知っているので これを置くだけで すぐに 私が見えます 私達と神の間に非常に 薄いベールがあります マスターはその 捨て方を知っていて 私達は神とか仏陀を 見ることができます しかし私達の智慧の 完全な潜在力を発見し 使用するには 数年かかります 例えば 私達は多くのラジオチャンネルを 持ちどのチャンネルに 何があるか知るのに 相当な時間かかります

また私達は父親から 大きな家を相続し 各々の部屋を調べる のに長い間かかって どんな宝があるか 知るのです イギリスの女王 エリザベス二世は アンティークの 遺産のため非常に 裕福だと言われてます 今まで彼女は自分の 宝の全体さえ知らない と言われています 彼女はその一部を 知っているだけです 持ちすぎてるからです 同じように 私達は 内面に王国があります 内面に神の智慧が 仏陀の智慧が あります 私達にあるものを 発見するために 毎日ほんの 数時間の瞑想が 必要です 瞑想は発見のための 時間です

まだ中にあるものを 発見します 私達の 知性は別として お金を稼ぐ方法 子供達を育てる方法 数学を 教える方法 飛行機を製造する方法 私達はまだ他に 何を持ちますか それを私達は日々の 瞑想で発見します

それで イエス 仏陀 クリシュナ ムハンマド 老子など 偉大になるわけです

マスター達は偉大です 多くのマスターがいて 私は崇拝します 全マスターが好きです 過去も現在も あなたが崇拝する 全てのマスターが 私のマスターです 貴方がイエスを愛せば 彼も私の最愛の人で 仏陀を崇拝するなら 彼も私の師です クリシュナも同じです 瞑想の時 何を 考えるべきですか

神や仏陀を考えなさい あなたの選んだ理想を イエスかも 仏陀かもしれません 貴方が愛してる誰でも 彼らと同じくらい高く なることを切望して もう一度神と一つに なることを切望して 仏陀 クリシュナ キリスト 老子などに なることを切望して それが瞑想の 目的です 彼女は素晴しい音楽が 瞑想中に役立つか 知りたいそうです

はい 時々 時々です しかし大開悟の人には 必要ないです 高く行けば行くほど 必要ではなく この外の援助に愛着を 持つ必要はないです 時々 それは気が散る ことがあり得ますが 私達がまだ必要とする なら 使用できます ある人達には 香が必要で ある人達は音楽で ある人達は花で 又は静かで美しい場所 または寺院や 仏陀像 キリストの十字架です

何を必要としても それは貴方に良いです しかし 観音法門の 修行者は 人々に外部の物を 持つのを 奨励しません しかし時々 学生が 必要を感じるなら それは問題ありません

彼はマスターの助けを 求める時の接触する 方法を知りたいです 誰との接触ですか 私とですか(そうです) 私は今日と明日 ここにいます

印心したら 毎日何を するか分かります それはとても簡単で 私を必要としません あなたの内面に 神がいるからです 内面に自分の 智慧があるからです 私はそれを開き貴方が 毎日それを使います ラジオを開く方法を あなたに教え 明日 自分でそれを開きます そして 明日以後 または明後日にも 自分で開きます 私に頼る 必要はありません しかし もちろん 私は傍観しています いつでも どこでも 必要とする時はいます マスターとは この肉体ではなく あらん限りの力です あなたは自分の家で マスターの化身を 見ます そして 質問もできます 私がドイツにいても または夢の中で マスターの質問に 答えるのを見てもです

手紙や ファックスや電話で 質問ができます 今日の通信システムは 素晴らしいです マスターと結ばれる 必要はないです 微笑むことが人によい 理由を知りたいです 泣くことは苦しんで いることだからです 誰かが泣いているのを 見ると それは貴方に 良いですか 切ないと思うでしょう それで 答えは 非常に明らかです 誰でも好きです 私も微笑もうとします 貴方が悪く感じない様 またはこのような 顔が好きですか 好きですか 私はまじめでも いられますが それは 別の空気をつくります 人々は非常に緊張 していると感じます

私の無知が私自身を 知らないからだと 思います 私自身を知ることと 仏陀になることには 何の違いがありますか ありません 自分を認識したなら 仏陀になります あなたが 仏陀ですから あなた自身が仏陀です なぜ心が 開悟の一番重要な 部分でしょうか いいえ 違います 重要な部分ではなく その一部に過ぎません 心は愛を代表してます 智慧は智慧眼から 来ます 開悟は光 智慧眼から 来ています 聖書に書かれています 「眼が一つになれば、 あなたの全身は 光で溢れる」と 「眼が一つになれば」の 意味は 第三の眼が 開いたら あなたの体が光で 溢れるということです いかに仏教を修練 すればいいでしょうか

仏教は修練できません 「あなたが仏陀で ある」ことを 理解すべきです どうやって幸せを 見つければいいですか 悟りを開くことです 「まず神の王国を 見つけよ そうすれば すべてが貴方の元に もたらされる」 聖書があなたに教えた 「まず神の王国を 見つけよ」とはつまり まず開悟する事です 他の全てが来ます いかに霊的平和を得て 深く神と一緒に 生きられるでしょうか まず悟りを 開くべきです そして 毎日瞑想します やはり聖書の 戒律に従って 生きれば 平和を得られます

たった今 世界への メッセージは何ですか 「まず神の王国を 見つけよ そうすれば全てが あなたにもたらされる」 聖書の言葉と一緒です まず悟りを開いて 内面の平和を 手に入れれば 世界は天国に なります 別の方法はありません

なぜ瞑想する時 ただ真っ暗の中で まったく色が 見えない人が いるのでしょうか

色のレベルにまだ 達していないからです 開悟のレベルは 沢山あります 最初は沢山のきれいな 色や光など 美しい ビジョンが見えます

時には 暗黒しか見えないかも しれません 暗黒を突破した後 再び光を見ます 以前よりもっと 偉大な光や色かも しれません 高速道路での 運転と似ています 時には トンネルを通ったり 海底トンネルや 時には 地下に入り 光は見えません でも通り抜けたら また光が見えます 何が見えても関係なく 続けてください 全身全霊で神を愛し 神に願えば 神に会えます 神と一体になれ 仏陀になります 他に何も願わずとも 生活のすべては 神が世話します 神を望めば 神は あなたの世話をします 世界を望めば 世界があなたの 世話をします しかし 忘れないで 神はすべての主です

世界の財産も名声も 神に属します ですから 神に願えば すべてを得られます すべてを得られます あなたが非常に 難しい問題に ぶつかっていて 解決の能力が弱い時 どんな態度を 取るべきですか いつもベストを 尽くして 解決せねば なりません しかし 同時に 神に明け渡します 神や 私達の内面に ある仏性に 成功か失敗かを 委ねます 時には成功は 私達にとって 最善ではなく 時に 失敗は最悪を意味しないからです だから明け渡すのです すべて神に委ね いつも感謝しなさい どんな事が起こっても 常に神に感謝しなさい それが最も私達の ためになりますから しかし最善を 尽くさねばなりません 誠実に問題を解決すべきです 誠実にやって下さい

速く解決するためとか もっと多く お金を稼ぐために ズルをしては いけません 神のやり方と違います

マスター 仏陀と神は 同じレベルですか そうです マスター 観音法門は 仏教に属しますか どちらとも言えます 「はい」なのは 楞厳経にも また法華教にも 書かれているからです 「いいえ」なのは 全宗教が仏教だからで 全ての事が 仏陀に属し また全ての事が 神に属します 神は仏陀です 仏教では 神を「仏陀」 あるいは 阿耨多羅 三藐三菩提と呼びます ですから 分けるべき ではありません 「いいえ」というのは 観音法門は聖書にも 書かれているからです 道徳経でも 触れられてるからです ヒンズー教の経典でも 他の宗教も観音法門に 触れています 悟りを開いたらもっと 沢山 理解できます

ありがとう 皆さん

あらゆる科学的証明に よると また あらゆる医学的な 最新の証明によると あまり時間がないです

今 すべきです まだ チャンスがあるうちに 私達は肉消費と 家畜の飼育を 止めねばなりません

そこでは動物は長く 生きられず 残酷に 大量虐殺されます ただ消費者の ほんの数秒の 楽しみのためだけに 温室効果ガスは 動物から 彼らのし尿から 農業流出水から 発生します これらの大規模操業に 関連した活動は 地球温暖化の 主要な 第一の原因であると 確認されました

スプリームマスター テレビジョンで 今週土曜日一月二六日

 
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