智慧の言葉
 
天国を創造する 第一部/2 一九九二年三月三日 シンガポール    Part 1
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こんばんは 友人の皆様 私が経の講義に行く先々で 人は私に聞きます 何歳ですかと 悟りを開いているかは 聞かないで 何歳なのかを 聞くのです

ある人達は聞きます あなたは 子供に見えますが どれだけ 知ってるのですかと 私はこう答えます 多く知りませんが 皆さんを天国に連れて 行くには十分ですと 実際天国は私だけに 属するのではなく 天国や涅槃は 仏教徒だけに 属するものでもなく キリスト教徒だけに 属するものでもなく ヒンズー教徒や 私達がこの世界の どんな宗教にも 属するものでは ないのです 天国は 平穏で 無欲で 全てが自然に 満たされる境界で 涅槃とも言います

実際 釈迦牟尼仏が生存中 人々の天国に対する 間違った概念を 壊すために 天国を 多くの異なる境界に 分けました それで 低いレベルの天国と 高い天国があるのです そして釈迦牟尼仏は 最高の天国を 涅槃と言いました これは 神の王国とも言えます 神の王国とは 何でしょう 仏性とは 涅槃とは 何でしょう これは遥か遠く 奇妙に聞こえます ほとんどの 修行に関する神話は 例えばヨガや瞑想 宗教の苦行などは 瞑想は難しいと 人々に 神に到達するのは 難しい 仏陀になるのは難しい と感じさせます

実際は違います 真の宗教は 大衆に属します 神は全ての 衆生に属します それを 仏性と呼んでもよく 仏陀の境界と 呼んでもよく 好きに呼んでいいです これは皆の 共有財産なのです

ある衆生には 地獄が彼らに属し ある衆生には 涅槃と 天国だけが つまり 神の王国だけが 彼らに属し 地獄は他の人に 属します ある人にとっては 地獄と天国両方を 持っています またある人は 地獄のしかなく いわゆる地獄について 後で説明しましょう

では次に 理解してもらうため 科学的論理的方法で 説明してみましょう それで遥か遠い 天国の神話が この地球におろされ いわゆるこの場所を 人々に詳しく 見せられるようにです 地獄と天国 あるいは善良に 例えられます つまり 肯定的エネルギー それはエネルギーです さて宇宙において すべては 万物は エネルギーにより 創造されました  これを「創造のパワー」 「造物主」と 呼びます

このエネルギーが 宇宙の 様々な場所に 散らばりました そして異なる世界と 異なる衆生を創った これらの衆生は それぞれのレベルの 考え方と 意識レベルを 習得します そして互いの 作用によって 別種の エネルギーを 生み出します この種のエネルギーは 二部類に 分類できます 一つは 「肯定的」エネルギーと 呼ばれるもので 「神性」 「天国のパワー」又は 「仏性」とも呼びます 二つ目は 「否定的な力」 「邪悪」「暗黒」 と名付けています

あるいは 「善と反対のもの」です 善と 肯定的な力は 否定的な力と 並んでいます

どんな衆生でも天使でさえも 地球人 世俗の人々 善良と 寛容 慈悲心 互いの協力で あっても これらのエネルギーは 善 神のエネルギー 肯定的な力に 分類されます このように 考えるほど 多くの衆生が この種の善良さを 発揮すればするほど 私達の雰囲気と 世界に もっと肯定的な力が もたらされます 私達か  いかなる衆生が 憎悪や悪い考え 否定的な傾向 言動をする 時はいつも 大気の否定的な倉庫に それを足して行きます それを 邪悪の力と言います この力は より多くの憎しみ 戦争 不調和を 私達の世界や これらの人々が 住んでいる世界に もたらします

これが理由です 私達がいつも 良い事を考え よい言行をし よい事を言うべきだと そうなのです 善を収穫するために 私達は善を蒔くのです そういう訳で 聖書に書かれています

「蒔いた種は 刈り取らねばならぬ」 仏教の経典でも 同じ事を言っています

善行をすれば よい報いがあり 悪い事をすれば 悪い報いを受けると 殆どの経典で 同じ事を言っています 今皆さんは 天国に達するためには 私達は善良を選択し この世界の 肯定的な面を 選択せねばならない ことは論理的だと 分かったでしょう 善良に向かって 歩めば歩むむほど 善良に近くなり 天国の品性と 融合するほど 天国に近づきます 否定的な力が 周りにあっても 影響されません 例えば 家の中に 電灯がついてると 家の外が 真っ暗であっても 私達が家に一歩 足を踏み入れ そこにいれば 本を読む事も 仕事を する事も遊ぶ事もでき 愛する人や周りの 全てが見えます

屋外の暗がりは 屋内の明かりに 何の影響もありません これは極めて 簡単で基本的な 善と悪 天国と地獄の たとえです 否定的な力が 強すぎると 一種の濃縮された 雰囲気が 作り出されます 自分の行動により その力に 引き込まれた場合 誰でも 地獄を経験します そこは非常に強い 苦しみ 後悔 罪悪感が 彼らを  以前の悪い考えや 悪い行為を 清算するまで 苦しめる場所です 私達はそれを 避けることが出来ます  地獄と呼ばれる所を 避けることが出来ます 今 善に変換すれば 避けることができます 天国は 二種類あります 一時的なものと 永遠のものです

一時的な天国とは 善行を積み 悪を避け 宗教的 苦行をし 自身が信じている 宗教の神々を信仰し 祈りを捧げ 経典を読み そしてできるだけ 経典に従って生きる 事によって得られます もう一種の天国 または究極の 神の王国と 呼ばれるものは 永遠で 永久に存在するもので これはさらなる努力と 万能の神や 仏性 仏陀の 恩寵が必要です 仏教徒にとっては 仏陀が最高で クリスチャンにとって 神が最高ですが

実はこの二者は 同じなのです 私達はこれについて 論争したくありません 私の弟子達が 皆さんのために 書いた本の中で 私はもっと詳しく もっとはっきり 説明しておきました ここでの  二、三時間の間に それについてさらに 論争したくありません ただ皆さんの生活を  よりよく より充実したものに するための方法を 提供したいです 仏教徒 クリスチャン シーク教徒 ヒンズー教徒で あっても構いません 善はあくまでも善で 悪は悪です 

これは全ての宗教人  衆生にもそうです 暗闇は全ての国の 人にとって暗闇であり 光も全ての国の人に とって光なのです イギリス人と アフリカの人の 光に対する 認識と 暗闇に対する 概念は同じです 例えば 同じネオンを イギリス人の家の中に 置いてもアフリカの 部族の家においても 彼らは皆それが 光だと分かります 両者が互いに やりとりしても しなくても 光である事を説明する 必要もありません 彼が外に出て ジャングルに入ったら 暗い事が分かります 彼は違った言葉や 用語で説明するかも しれませんが暗い 事には変りありません

同じく善良 天国の品性 仏性といったものは 全ての人にとって 同じです 私達が 天国の生活を望み 更には 神の王国に至ることを 望むのであれば 沢山の方法が あります

最も簡単なことは 自分の宗教を信じ その教えを確かに 実行することです 実践することです 空論と説教は無用です 自分で実際に 実践することです クリスチャンであれば 神の戒律を 守って下さい 在家の仏教徒であれば 五戒を 守って下さい その宗教に従って それぞれの戒律を 守って下さい 先ず戒律を守り それを実践し 善行を積み 慈悲と愛を実践し 布施することです シンガポールは大変 いい所に思えます

全ての宗教が 互いに調和し合い 皆が自由に 仕事をし 自分の宗教を 信仰する自由があり 誰かに統制されたり かき乱されている 感じはありません シンガポール政府は 実に賞賛に値します 賢明な管理システムが 現在この国に 行き渡っています この国はとても 清潔で素晴らしく 緑が多く 人々は幸せです

私は 全ての国が シンガポールのように 仲良く暮らすべきだと 思います 少なくとも地球人は そうすべきです すると戦争も 憎しみもなく 問題も起こりません 国民が 納めた税金は 市民の共通の 利益のために 使われるべきです 例えて言えばそうです

すると人々は幸せです これはシンガポールの 人々は本当に自分の 信仰している宗教を 実践していることを 示します しかしこれよりも 更に進んだ 宗教の修行があります 一部の

集約的な真理 または神を求める人は 普通の修行では 満足しません

こういった人々には 私達は観音法門を 提供できます これは 内面のパワー 神のパワー または仏性を 瞑想する方法です この仏性は 一種の 音でない音と 振動のない 振動力と 光でない光で現れます なぜならその光は 影がなく 全てがはっきりして 互いに衝突しません その音の中で 智慧だけを聞きます

実際は 「聞く」とは言えません なぜなら耳で聞く わけではないからです 道徳経に曰く この「道」と呼ばれる 「道」は 耳を使わずにして 聞こえ 目を使わずにして 見えると なぜならこれは 光でない光であり 影のない光であり 音のない音だからです ですから 耳を使わなくても 聞こえるのです これらは 聖書に述べられて いますが 私達は それを体験しません なぜなら それに至る方法が 分からないからです 例えば キリスト教の聖書にも ある聖人は 神を見たとあります

そして神は 大きな炎のようだとか 大きな光または 天国から降りてきた 白い鳩のようだとか 神は 雷のような音で 話をし 沢山の水が 流れる音だとあります 聖書にはまた 天地創造の時 音がありこの音は 神と共にあり この音は神であり 全てがこの 音によって創造され この音で 創造されていない物は 何一つないとあります ではこの 音とは何でしょうか この音は さっき言った 音のない音であり 振動力であり 神の声であり 雷の音であり 沢山の水の 流れる音です

適切な指導により これらを聞けます そして炎のことですが 神は炎のような 光で現れます これも適切な指導で 聞くことができます 私達はこれを本当に 真理を求める人に 提供したいのです それらの 意義ある人生を 神に捧げたいとする人 聖書に書いてある 自身の中の神の王国を 探すために 捧げたいとする人や 仏典に書いてある 自身の中の仏性 仏陀を捜し求める人に 提供したいと思います これらは聞いたことも 読んだ事もありますが 体験していません それは 古代において 通信システムが 完備されておらず 普及してなかったのと 各大陸間では互いを 知らなかったのです

しかし現在は 私達は進んだ 文明通信 システムを 利用して 互いに自分が 知っていることを伝え 互いに利益を もたらすことができ 地球人の意識水準を 高いレベルに 高揚することが できると思います 地球を 天国にすれば 私達は別の惑星や 涅槃 (最高の楽園)に行く必要もありません 私達の世界を 楽園にし 全ての人が 聖書通りに生き 自身の内面の 神を見て 神の光と 神の王国を見て 神の声を聞き 仏性を 聞く事ができれば この世 私達の世界は 天国になります

なぜなら この光と音は 私達を聖人にしてくれ 仏陀にしてくれます 仏陀が住む世界は 涅槃(最高の楽園)で 聖人が 住む世界は 天国 神の王国です 他の多くの惑星は この種の天国の 雰囲気があります なぜならそこの 衆生達は皆修行し 神のパワーと 繋がっていて 全ての欲求が満たされ あらゆるパワーを持ち 自身の内面が平和で 隣近所とも平和に 接しているからです これらの惑星は 善なる雰囲気だけ 発生します 地球のような否定的な ものはありません 私達の地球は 宇宙の唯一の惑星 ではありません

宇宙には沢山の地球に 似た惑星があります 地球より発達した所も 立ち遅れた所もあって 今これらを語る 時間はないので 先ずは私達の地球に ついて語りましょう これは最も現実的で 必要です

大気のことが 分かれば 軽いもの 全ての 物質的なものは 軽いものが 上に上がりますね それはさらに 上層の大気で 例えば熱か 物などです そして 重いものや冷たい物は 大気の下の部分に 留まります もしくは 重力で下がります 同じように善は 否定的な事の上に 位置しています しかし私達の世界は 善と悪が 共存しています 善はもちろん上ですが しかし決して悪がない わけではありません

私達はそれと 隣り合っていて すぐ下にあります 他の世界は 善しかありません

そこは 天国または 神の王国と呼びます 私達は そこに到達することも 訪れることもできます 私達がそこの惑星の 人達と同じ品性と 同じ振動力を 持つのであれば ですから 神の王国 涅槃(永遠の至福)を修行することは 神話ではなく 確かで 大変科学的な 生き方なのです このような生き方を 望むのであれば 難しくありません 私達が選択した 行き方に過ぎません 私達がこの世界で 平凡な生き方を 選択するのと同じです タクシー運転手として 生きる事を選択したり 会社員や 経営者 政治家のとして 大統領として 生きる道や 最高の銀行家としての 道など あらゆる 職業を選択できます 選択した職業と 分野に向けて 努力すれば そうなれます

医学の分野において 医者になることも 看護師に なることもできます 同じように 霊修行においても 私達はただ 普通の宗教の 信者になって 教会に通い 善行を積み 仏像に供養し 寺院を建てたり 出家者に供養し できるだけ 戒律を守りますが

しかし自分は 菜食していない といったケースです 私達はこれを 方便仏教徒と呼びます 大変便利です これも結構です ただしそれは 仏陀やイエスの 生き方と違います 私達が仏菩薩や 聖人 仏陀 イエスの ようになるには もっと努力しなければ なりません 自分自身を 具体的に訓練し 真摯に 真剣にならなければ なりません 私達は必ず 仏陀やイエスの 存命の時の 生き方でもって 自分が生きて 行かなければ なりません 釈迦が 存命の時 彼は瞑想していました

彼はあらゆる瞑想法を 試してみました 無理して苦行するなど 彼は飢え死に するところでした 肉体を痛めつけると 魂を得ると 信じたからです 数年後 臨死体験からそれが 真の道ではないことを 悟りました 極端な苦行は 誰にもできません

ですから 彼は切り替えて 他の方向を見つけ とうとう成功し 後世に修行に関する 手本と教えを 残してくれました ある人が釈迦に 「成仏して仏陀になる 方法は何ですか」と 尋ねたとき 釈迦は答えました 「観音法門で 自身の内面の本性を 観るのだ」と 釈迦はまた言いました 内面の聞く力を 仏性を聞く方向に 切り替えなさいと 法華経の中で 釈迦は言いました 観音法門を 修行する人は 様々な音楽の音を 内面と外面両方から 非常にはっきり 聞くことができます

外面の音楽だけを 指すのであれば 例えば太鼓 鐘 シタール フルート それなら 内面とか 外面に言及しない ことでしょう 観音法門の修行者は 上は天国から 下は地獄までの 音を聴く事ができます 内面からも外面からも 様々の音を聴きます 釈迦は私達が 天国の音楽というと 分かってもらえない 恐れがあって 内面と外面の話を したのです

その意味は 内面の太鼓の音と 外面の太鼓の音とは 異なるということです 太鼓の音や 雷の音などは何れも 高い意識レベルの 音ではありません 更に高いレベルの 音があります これがいわば 観音法門で仏典に 書いてあるもので 私達はこれを 聞くことができます それの 周波数と振動力に 合わせれば 悟りを開きます 私達は決して 光が見たい 内面の天国の音楽を 聴きたいという 訳ではありません  これらを見て 聴くことによって 私達の気分や智慧 全てが高揚され 大変幸せな状態になり 違った見地で 人生における 全ての責任を 果たすことができます

私たちは世間を より黄金の光で より前向きな見解で 見ることが出来ます そして より効率的に仕事をし 考えも よりはっきりします また私たちの前にある 異なる宗教の あらゆる経典について 教師がいなくても 理解することが できます 一般に人々の経典の 解釈の仕方は 常に 真の正しい方法という わけではありません 観音法門を修行すると 違うことが分かります 本物と偽物が 識別できます そしてあなたは以前 決して知らなかった あなた以外に知る人は いないであろう他の 多くを知るでしょう 神の王国を 修行する人以外は 誰も知ることが できません

これらは徐々に 実現することであって 最初の段階つまり 印心の時に 初段階の いわゆる神の王国 仏性を体験する ことができます その日から 毎日引き続き 修行していけば 異なる境界の音を 聴いたり 光を見たりします 修行を積めば 積むほど ますます幸せを 感じます 人生が全ての面で 順調になります 霊的な面だけではなく 世俗的にも順調です それでコーランで 言及されるのです 地球のよき客人となり 裕福に生きなさい なぜなら 神を信じる人は貧乏で あるべきでないと 神はご自身を信じる 者を罰したり貧しく させたりしません

神はこの地球に 貧困を与えません 神は地獄を創りません 私達のミスと お互いの相互 作用の中で 決定的な瞬間 間違った行為を 選択したため地獄を 創ったのは私達です ですから今 それをよく考えて 天国 少なくとも 一時的な天国を創って 少々休息をし この世界の 負担から 暫く自由になって 次は何をしたいか 考えることです 地球に再び 戻って来たいか 更に最高の 天国を求めたいか 決めることができます

一時的な天国に 行くには 善行を積み 神を信じ 祈りを捧げ 過ちを真摯に 懺悔し 常にできるだけ 社会のために 私達自身で 良い事をし 出来る限り菜食をする ことで達成できます 冗談ではありません 多くの人は私達の 法門を習いたいと いいながらステーキを 手放す事ができません 私は皆に度々 豆腐を お勧めします 安上がりですし 消化しやすく 罪悪感も罪も カルマもありません カルマとは 蒔いた種を収穫する という意味です 因果応報の 法則のことです 以上は 一時的な天国のことで 今自分で創る ことができます

クリスチャンであれば 瞑想の時神を思い イエスを思い 仏教徒は 瞑想の時 仏陀を思い 観音菩薩を思い 阿弥陀仏 その他の自分の好きな 仏陀を思うことです イスラム教徒は アッラーに瞑想します 私が思うに イスラム教システムが とてもいいと思います 毎日五回祈りを捧げ 少なくてもいつも神を 思っていることを 示します 私達の多くは いわゆる仏教徒は 一日何回仏陀を 思うのでしょうか 寺院に行く時だけです その場合でも仏陀を 覚えていません

ただ中へ入って 線香をあげて 外に出て友人と おしゃべりをします

寺院に少しばかり 布施しては 願い事のリストを作り これを助けてあれを 助けてと祈ります これは一種の取引です 本当にこうなのです

皆さんは皆さんなりに よい面があります 一度も見たことが ないのに 仏陀を信じるため 最善を尽くします  素晴らしいことです 仏陀を見たければ 私がお見せできます なぜなら私は 仏陀を見たからです 神を見たい人は 私がお見せできます 私は神を見たからです しかし 神を見たくないとか 仏陀をそれほど 見たいと思わない人や 永遠に天国にいるのを 望まない人は 一時的な解脱と 天国に留まる ことができます 自分が信じている 宗教の戒律を守り なるべく 良い事をし 悪い事を避けるのです それを避けるべきです

自身の信仰している 宗教に基づき 改善したい所の リストを作ります 人生の目録です 自分が改善したい面 更に発展させたい面を 並べて下さい 例えばあなたは 思いやりがあり よく人々に 布施するとします 貧しい人達や水害に 遭った人達にです それを知っていれば もっとその面を 発展させるべきです

自分が神を信じ 神と繋がりたい人は 神や仏陀を 瞑想することです 瞑想法が 分からないのであれば 私達が方便法を 提供します

できるだけ 菜食をして下さい 菜食は宗教的な 生き方だけではなく 世界の飢餓と 貧困を救う道です 多くの研究はこれを 立証しています 私達は沢山の 人間と地球の 生産物と資源を 牛や豚の飼育の ために浪費しています 長年飼うために 大量の薬と 蛋白質と豆と 各種野菜を 浪費しています それを食べることに 瞬間的に五分です 五分もかかりません 五分はゆっくり 食べる場合です ある人は 一分で食べ終わります ですから 菜食は ただ宗教人だから だけではありません 本当に世界を 救う事ができるのです

世界のいくつかの 地域は貧困で飢餓も あります  私達がお互いを 救うために 互いに働いて いないからです 多くのいわゆる 慈善事業と 救済事業があります 疑問の余地はないが 問題の根本では ありません 食物の不足は アフリカだけではなく いくつかの アジア諸国にもあり その原因は 肉食にあります 世界の大衆に より良い貢献を すべての人々のために より優れた栄養を分析 検討する代わりに 肉を育てることに 全てのエネルギー 全てのテクノロジー そして 多くの他の 知的な活動は 注がれています

これまであなた自身が 知っているように 科学者は菜食が非常に 健康であるという ことを証明しました 全病院は誰のために 作られたか肉食者です そこの全ての人が 非菜食者である事を 見てないのですか 彼らのほとんどです 今私達は 自身が 毒を食べます それで病院の機器で 自身を治療しなければ なりません 私達は自分に対して 二重に面倒を起こし それは私達が治療し なければならない根で 枝ではありません 救急隊員を助けるため または貧しい人に 食物を寄付することは 世界の飢餓問題の 解決ではありません

根は私達各人にある 私達が助けるべき 私達が私達の兄弟と 姉妹にエネルギー 世界資源のいくらかを 守らねばなりません 発展途上国は先進国に タンパク質製品を 売るかもしれません 例えば彼らは 牛を与えます そして 発展途上国は 飢えます

その代りに 私達は 分担し 互いを助け なければなりません しかし もちろん 私は政治家ではなく 私自身の僅かな能力で それなりに助けるよう あなたに言うしかなく 世界の指導者達は 自分の国だけでなく 全ての国の幸福に 関心があるなら 一緒に働かなければ なりません

しかし 私達が既に 自国の面倒を見るのは 十分に良いことです

どんな国でも繁栄し 清潔で聖人のような お互い調和の中で 暮しているのを見て 私はいつも感謝して 幸せです 無限の幸福です たとえば シンガポールのようで 私はここに到着した時 非常に幸せを感じます 以前 講義のために 来た時でなく  何回もここに来た時 私は幸せでした

私はこの国が 他の国 少なくともアジア 諸国の良い手本と なれると感じます

面白いことに 私が英語で講義する ように予定される時は いつも 一日中 私は中国語か オゥラック (ベトナム)語か 他の言語で 話さねばなりません 私が中国人と 話すために 演壇に上がる時 私が中国語で話すと 思われたが 一部の英語で話す人が ちょうど一日中来て 私の舌はよじれる ようになります この世では いつも完璧なことは ありません したがって 私達に 観音法門があるなら 一つの言語だけで 内面で話します そして私達が互いに 会う時は 時々 話すこともしません 私達は理解し合います あまり話す必要が ありません 私達に智慧がある時 各自がどこで いつ 何をしなければ ならないかが わかっている時は 本当にあまり話さない ことになります

まさしく昔の年取った 賢明な皇帝のように 統治することなく 王国を治めました 私達はこう聞きました 彼らは 統治することなく 国を治めました したがって 「天下に すべて憂いなし」 私達はそのような 中国の古い格言を 聞いた事があります 良い国王  良い統治者がいた時は 昔の大部分の国は 同じでした そして 今それはまた 起り得ます 私達はキリスト教徒の 方法 仏教の方法 本当のヒンズー教の 方法などで 生きる事によって 再び黄金時代に 入ることができます 道義的責任の 面倒を見て 私達はできるだけ 隣人を助けます

世界の発展を助け 他の貧窮する兄弟と 姉妹を助けるために 私達の一部の財産 私達の口の欲求を 犠牲にします このように私達は 将来の世代のために  より良い国を構築する 努力を貢献します それは損失ではなく それは私たちの子供 孫 甥 兄弟および 姉妹の子供の 利益のために なるでしょう それは失われません

私達は現世代だけの 世話をする必要は 全くありません 「世界は後でより良く なるが私達は死にます そこから利を得ない」 と少しも考えることも 私達の子供達は得ます たとえ私達に子供が いないとしても そのような小さな事を 考えてはなりません でも他の人の喜び 私達の後で生まれる人 このような平和な 調和な豊富な世界に 暮す人のことを 考えねばなりません それはどんな物質的な 利益でなくても 私達に十分な喜び 十分な報償を与えます これが君子の やり方です

これは何千年前から 老子 孔子 仏陀 キリストが 努力して衆生に 教える方法です 私が教えるのは 新しいものではなく それはあなたが忘れて 生きようとしなかった ということです 全てでなく何人かです 私達はそういう人生を 送ろうとしなかった為 私達はそれとつき合う 方法を知りません それは今できます 明日にでもできます そして事がどう動くか どれだけよく感じるか 私達の国と世界の 全体にどれだけ有益か よく観るのです

そして行動には 智慧と良き行いと 良き思考を伴うべきです 話す言葉には 瞑想によって 神の質が伴うべきです 瞑想をすることで 神の質の宝庫に波長を合わせる方法が わかります さほど難しい事でなく 私達は毎日三十分を 私達は毎日三十分を 瞑想に使えます より良い人間になり より知的で よりリラックスし 病気も悩みも少なく 心がより平和に なるためにです

この瞑想によって 私たちは一時的に 地上に天国を 創っています

そして私たちが死んで この世を離れた後に 「類は友を呼ぶ」 「類は友を呼ぶ」 という理論により 同様の振動の 互換性のために 引かれあって 私たちが天国と呼ぶ そのような意識の 状態にするでしょう 別の次元での 存在で 私たちは地上の天国に 生きることができます その天国は 私達の現在の行為 思考 言葉に よります ですから私たちが今 良い行いをするなら 今 良い状態なら 今 知性的であれば 良い場所に 引かれて いくでしょう 肯定と否定 善と悪がある この地球よりも もっと知性的な場所に 天国には より多くの 善良さとより少ない 陰性の質があります

さらに上の 神の王国とか 涅槃(最高位の天国)では 純粋な善だけがあり その善良さや 純粋さは消滅できずに 永遠です 陰性である はかない質で 汚染されるときだけ それは死ぬことが できるのです

それは物質です 光でも霊的でもなく 純粋でもないものです すべてのものが 純粋なエネルギーで 純粋な善で永遠です すべてが何らかの 邪悪に汚染されている 否定的な質は再生され フィルターに かけられねばならない つまりそれらは再生 しなければいけない 私たちが転生と呼ぶ 再生をしなければ ですから私達には 生と死からなる 転生があるのです

純粋で光があるなら 上にだけ滞在します ほんの少し重いなら 中間に滞在します 重すぎるのなら 下へ下がります

私たちの行い 思考 言葉のすべてが 一種の見えない エネルギーと力を 持っています そしてそれは この世界に生きている 時や 来世で着いて きます その力は 目に見えず壊すことも 出来ないからです しかし今これから離れ 善良に変わり 善から行えば 純粋な善の元へ 昇華します 否定面から 純粋な善へ昇るより 楽に行けます

まさに階段のように 進んでいるのです 既に階段の上に いるのなら 上の階に行くのは より簡単ですが 外や地下室にいるなら 上の階に着くのは より難しくなります 階段が 全くないなら それは困難です それで この世界の 善良さは階段のように 行動すると  私達は他の領域の 純粋な善良さ  すなわち 神の王国に涅槃と 呼ぶものと私達が 繋がれるのです そして その間 私達は いわゆる 天国の異なった次元 異なる意識レベルを 経験するでしょう 私達が 思うこと することによって 私達はこれらの別の 世界 異なった所に 引き付けられます

それは私達の心の状態に従って存在し ちょうど医者のようで 彼は 生活の地位によって 例えば ごみ収集人とはちがう 家に住むでしょう 同様に 宇宙の中の 霊的な状態も それに似ています なぜ 涅槃が修行者と 良い人々のためだけに 予約されるのかと 言うのではありません 彼らはそれを稼いで それを稼いたのです 大学は高校を  卒業してない学生とか 幼稚園の子供ではなく  資格のある 高校を卒業した 学生の努力のたまもの それは非常に 簡単で論理的です 神はとても公正です 私達の期待どおりに なります

神も神の力が創造した 私達の良い本性 私達の慈悲心 私達の愛 そのものです ですからキリストは 神はあなたの中にいる あなたは神の寺院で 聖霊はあなたの中に 生きてることを 知らないのかと言い また 仏陀はあなたの 中にいると 仏陀は言ったのです 私達はそれを創造する ことができるので それを持っています すべての人間には 善良と悪があります ですから  私達は 他のことと共に 善良という 素晴らしい仏性の 一部を創造したのです

また否定面も 私達はそれを創造 するのを助けました たぶん私達の一部の 過去や現在の 否定面です そうしなかったら 私達はこの否定面を 作ったことなどなく いつも聖者でした それで いつも 宇宙の上の方の レベルにいたでしょう 私達 この上の レベルにいた人々は 時々  この地球に降りて  善良さ 知性 愛及び 慈悲をこの世界の人に もたらします

私達は彼らを仏陀とか または聖者と呼びます でも私達はこの分野で 勉強方法を 知っているなら この世で聖人の状態に 達することができます

これはちょうど 他の科学と似ています 何かを勉強したいと 思うなら  その分野で 卒業するでしょう

人生のこの科学には 私達は無料で援助し あなたの勉強前 勉強中 勉強後もです あなたにある唯一の 義務はそのために 努力すべきこと 毎日学ばねば ならないことです 2時間半 遊び ランニング 飲酒を犠牲にし アルコールのような 有害な製品 肉 毒物 ギャンブル  違法な男女関係を 捨てねばならないことです 結婚は大丈夫です

もう一つの義務は あなたはあなたに この智慧があり この力があり この 生き方から幸福を 得られるのを知らねば ならないことです それで あなたが たぶんありがたくと 思うでしょう 誰もそうせよと言い ませんが あなたは 自分で他の人々と共有 するとそう感じます たとえ共有すると 思わなくでもとにかく 共有するでしょう あなたはただ自然に あなたの店に その共感を 満ち溢れさせ ただ自然に 平その和な雰囲気を 作り出します

あなたのところに 来る人々に 至福の加護をもたらし 彼らは心地よく感じてあるものは突然病気が 癒されると感じられ あるものは突然 悟りを開き ある者は突然 天国を見て ある者は突然 光を見るでしょう あなたの 意識の状態により あなたの霊的な力 あなたの日々の 修行から取得している 神の力の大きさで  目に見えず 知らないうちに 彼らを祝福するのです だから これは私達が人類に することができる まさしく無私の奉仕で 非常に確かな奉仕です

皆それをすべきです もちろん あなたは言うでしょう 今日から この人生 ずっと菜食ですか それはひどい では徐々にそれをする 方便の仏教徒 方便の信者になれます あなたは都合の 良い日に 一部分菜食にします そして一日のうち わずかの時間を使って 努めて修行をします 観音法門のように 一日二時間半を 必要としません しかし三十分は 一時的な天国です 短期滞在 乗り換え あなたは選択できます しかし私達は皆 自分の方法で生活の 改善を図るべきです

国のためだけでなく いつどこへ行っても 私達はこの天の至福と 友愛の雰囲気の 中にいます それで周りの人々は 楽しくなります お金を上げて 喜ばせる 必要はありません あなたの存在だけで 人々は楽しく感じます ですから 観音法門の修行者の 周りで多くの奇跡が 起こるのです

仏陀が 在世の時のように 多くの人々は 内在の悟りの 奇跡を得ました 天の光景を 見たり 阿弥陀仏の 浄土を見たり あらゆる光を見たり 音を聞いたりしました そしてイエスが 在世の時 多くの人々が彼の 存在から恩恵を受け ある者は 病気が治り ある者は 神の光を見て ある者は愛を感じ ある者は安全を感じた これは 神の存在が 完全にイエスの内に 現れたからです 仏陀も同じです

彼の内の 仏性が完全に 現れたのです ですから 彼の存在で誰もが 恩恵を受けました そして誰でも 彼に思いをはせ 彼の名前と 教えを知るなら 遠くからでも同様に あるいは多少なりとも 恩恵を受けました これは 仏陀 イエス あるいは全ての聖人の 偉大なる達成です 私達は仏陀かあるいは 少なくとも半分仏陀に なる事を熱望できます 私達が半分 50%の 仏陀になれば ならないよりましです 仏陀が在世の時 多くの弟子がいました その弟子たちでさえ 神通力がありました

そしてイエスは 彼のしたことは 弟子たちにもできると 彼らに約束しました ですから私達は 人類のために イエス 仏陀と 同じ法門を修める 義務があります そして私が今日 達成したのは人類に 対する義務からです 私はそれを皆さんと 分かち合うべきです 喜んで皆さんと 分かち合います 誰でもそれを 分かち合いたかったら 喜んで私の時間  注目 エネルギー 健康と財産でさえ あなたに奉献し 何ら返報を 要請しません 皆さん自身と私達の 住む世界の利益の ために修行する 以外には 私はこの世界で 四十二年生きました

私は皆さんに 多くの借りがあります 皆さんの愛 食物 服 教育などの 借りがあります 私は英語も中国語も 話せます 今日まで 成長して来ました 私の滞在する ホテルの建物 歩く道 楽しむ美しいビーチ 何でも皆さんから 借りています だから私は 皆さんに恩返しを したいのです これはただの義務です ありがたく思う必要は ありません 皆さんが学びたいなら 私は非常に喜び 感謝するだけです さっき 私達は既に二種類の 天について話しました 一つは一時的なもので もう一つは永遠のです

その中のどっちかを 選んでも もちろん私達は 喜んで手伝います

それは私が今日来て 明日去るというのでは ありません 私は永遠にあなたと 一緒です 印心以後 あなたは内在の 援助と保護があり 外ででも接触できます 内面では 瞑想した時 マスターか仏陀が あなたを手助け しているのを見たり 光を見たり あるいは良く 快適で 至福を感じるかも しれません あなたは 智慧が日に日に発達し 愛が無限に 拡大するのを 感じます それは法門が成功し 非常に役立つと あなたが知る時です でなければ どう測定できますか 言われたことを 盲目的に信じ その通りにしたら 証明できません

私達は証明を与え あなたは要求すべき 印心の時に 証明があります 即時に そしてその後引き続き 毎日あります あなたは自分で 奇跡を体験します トラブルがある時 事故にでくわした時 助けてもらえる 所のない時 それが 神の力を知る時です それがゆえにあなたは 神を愛し 神を認識し 仏陀の存在を 知り 神があなたを 保護し愛している事を 知ります でなければ 皆さんは 私達は いかにして神の 存在を知るのでしょう 神は何の役に立つのか 神が見られなかったり 困っている時に その保護と助けが なかったら 私達は 毎日おそらく神が 来るのを求めませんが 必要な時そばに いるのを感じなければ なりません だから観音法門を 修めた後 キリスト教徒はより 神を崇拝します 神を崇拝します だからより良い 仏教徒になり より仏陀に 感謝します 私達は今仏陀を 理解できるからです

私達はいつでも 保護と加持力を 見たり 感じたり 体験したりします 今日に至るまで 私達はただ外にいて どのドアを ノックするかさえ 知りませんでした でも印心の後 私達はこの至福の 共同体 力強い聖人の 一団に入り  その一員になります そして神を体験し 認識します

でなければ 毎日祈っても 神を見なかったら がっかりします 必要な時 神を感じなかったら 私達の信仰は常に ぐらつき動揺します だから私はこの 法門を提供します そうすれば皆さんは 神の存在を知り 仏陀の存在を知り もっと神に 忠実になり 自分の信仰を もっと確信できます どの信仰においても 神を変える必要は ありません 神と仏陀を交換する 必要ありません あなたの信じるものを 信じ ただそれと 接触するのです 私達は方法を教えます あなたの内には 神がいますから あなたはただボタンを 押す所を知りません それだけです 他の科学のように 知るべきです ただボタンを 押す所が分かれば 自分を暗闇から 光へと移します

ボタンを押す それでそこへ行けます この世界の 多種類の 交通方法のように 自転車を使えば とても時間がかかり ボートを使えば 少し速くなり 飛行機を使えば もっと速くなります しかしもっと速い 他の飛行機が あります そして UFOさえあります 将来私達にも それがあります 購入する余裕のある時 例えばUFOを 生産して販売する 惑星からですが しかし今のところ 彼らは敢えて来ません 私達が彼らを 殺すのが心配です 憎しみからではなく 愛から彼らを殺すかも しれません まだいかに彼らを 世話するか知らない為 私達は彼らを 実験室に入れて解剖し 内身が何だか 見てみるかも しれません

或いは痛みを止める為 ペニシリンを与える 例えばですが 痛みを知らない彼らに そして 各種のワクチン注射を 与えて 病が何だか 知らない彼らを病気に させてしまいます だから健康で私達の 惑星に来て病気をして 戻るか死んでしまう それで彼らは私達との ビジネスのために 来るのをまだとても 躊躇しています でも将来私達はそう なるかもしれません すべての地球人の 意識が上昇し 文明化された時 私達の思想が より広大なセンス 広大な規模になった時 私達が 全銀河系 全宇宙を考え すべての意識と 理解と 知性を 拡張した時 ただ自己の家 自分の国家 自分の村を 考える代わりに そうしたら私達は この種の 銀河系間での 往来ができます そしたらより多く学び より速く成長し そして生活にもっと もっともっと多くの 安楽をもたらします 私達の欲するものは 何でもあります 他の惑星と 私達のあるすべてと 彼らがあるすべてを 分かち合い 生活を改善し 子供たちのためにより 良い世界を構築します これは実現します

しかし私達は この広大な考え方で 自分を 訓練すべきです これが 君子の道です 仏陀 キリストでさえ 二千五百年前 既にこのような 広大な考えを持ち 仏陀は地球だけでなく 阿弥陀仏の浄土 西方極楽世界 東方の瑠璃世界まで 説きました そしてキリストは 地球だけでなく 天国も説きました 「天なる父には 多くの邸宅がある」と 非常に多くの惑星 意識のレベルがあり 彼は私達をそこへ 導く事ができる と言う意味です 私達はこう 考えるべきです 仏陀 キリストのように 考えるべきです 私達は視野を 広げるべきです 将来に大きな 高い理想を 持つべきです  そしてすぐに始めます

観音法門により 私達はすぐに 他の惑星さえ 見ることができます

観音法門により すぐに他の衆生と 接触できます

まだしたくないなら いいですよ でも そんな事が 可能だと言う事を 心に留めておいてね 私は見ました 弟子たちもです あなたも見ませんか そして少なくとも 私達の世界を平和にし 浄化するために 最善を尽くします より純潔で より道徳的な 生活を送り そしてできるだけ 肉食を避ける ことによってです それは殺生の動機が 含まれているからです そして暴力的な映画 そのようなものは 子供たちに余り 見せないで下さい 暴力的な映画を たくさん見たら 発育がより妨げられ 人と動物が 殺される時の 苦しみに対して 苦しみに対して もっと 無感覚になります

ある国では その国の兵士が 敵を殺すのに 消極的だった時に 彼らは 暴力的な映画を 見せられ 殺人の場面を 見た後 無感覚になり 殺しに より抵抗がなくなり 敵を殺す姿勢が よりできました そして又兵士に より多くの肉などを 食べさせたら  より戦闘の覚悟ができ より狂暴になると 知られています

これらの兵士は 子供たちが テレビで見るほど 多くの暴力的な 映画をさえ見ません だから親の責任を 避けないで下さい 子供がテレビの 前に座って どんな番組でも 見させていないで 彼らと遊ぶようにし 子供の頃から 道徳を教えて下さい そしたら成長した時 悪い子になり 心配させることを 恐れる事はありません

昔 私達が若い頃 あるいは父や祖父が 若い頃 道徳は義務教育で 自然に学校の授業で 学びました 今日では少なくなり それで 子供たちは 子供時代から 良い道徳的基礎を 持つのではなく 色んな悪い影響下で 育ちます 木は地下に 健全な根があれば 成長した時 簡単に倒れません しかし木の根が 張ってなければ 少し成長すると 風やその他 大自然の力によって 倒されてしまいます

私は誰もが 兄弟だと感じます 私がどの国に属するか 認定できません

私はシンガポール人 あるいはマレーシア人 中国人 ドイツ人 英国人 アメリカ人と 一緒だと気楽です どこででも くつろげます 実際 世界は大きな家です 神は 様々な子供たちに 様々な部屋を与えます 実際自由に 旅行できるべきです

一つの部屋から 次の部屋へ行き 兄弟姉妹を訪問します しかし時には 国家間に 境界を設けています そしてある人々は 狂信的理由で 宗教間にさえ 防壁を築きます たぶん無知のため 個人の利益のため からでしょう これらのすべてを 削除し 変更すべきです 私達がより良い世界で 生活したいなら 今日何が起こったか 分りますか 弟子の友人の ドイツ人が 昨夜真夜中すぎに タイプライターと ファクスを 持って来てくれました 私達は持って 来なかったし 弟子が持って来た ファックスは 壊れたからです

彼は赤ちゃんがいて 一日中忙しかったので 真夜中すぎに 持って来てくれました 私達が人々のため 難民や貧困者のために 仕事していると 知っていたからです 急ぎの仕事のため 私は 真夜中過ぎても仕事しています 時々情報が入ったり 緊急事態のため 私は弟子達と深夜まで あるいは一晩中仕事を しなければなりません それで機械を買いに 行く時間がないのです 彼は持って来て 提供すると言いました 彼は私の弟子では ありません

私達は代金を払おうと しました 人々の為に 何もしていない時 かつてこのように 無料で物をもらう事は なかったからです でも彼は受取らず 私達は自分の為でなく 他人の為に仕事してる からと気にするなと もちろん何らかの お返しをしました でも私はとても感動し 弟子でない人も 世話するに値すると 感じました だから 今日皆さんに より高度な法門を 教えようと決めました 時間があり 今後更に私に 手伝わせてくれるなら 教えましょう でなければ 自分だけで修行したら 何か問題が発生しても 私は分からず 皆さんは 対処の方法が 分かりません

だから真剣に いわゆる方便法を 修行したかったら 明日一緒に 来て下さい 時間を割きましょう

こうすれば 私は 責任を取れる気がする それは高度な法門を 随意に 教えられ 道の途中で放って 置かなくてもいいからそれで私ははっきり 言わないといけない 私がこれを教えるのは 初めてです そしてより真剣に 霊修の道で 迅速な進歩を 望む人々は 今日から完全に 菜食になるべきです

あなたの国 人民と政府に 神からの 最高の祝福が ありますように ありがとう

 
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