智慧の言葉
 
神の意志に従えば自由である‐第一部/2 一九九三年三月九日シンガポール    Part 1
Download    

皆さんの沢山の愛に 感謝します 私に英語を話して 欲しい方はいますか 手を挙げて下さい 英語の方が多いですか それとも中国語ですか どうしましょう では どうか 皆さんの一人が立って 勝ったら中国語で 私が勝ったら英語です OK いきますよ ジャンケン  さあ 誰が勝つか 見なければなりません 私が勝ったら英語で 彼が勝ったらその時は 中国語で いいですね 皆さん私が公平だと 知っていますね はい ジャンケン ジャンケンポン 私の勝ちです 時々しなければ ならないことですね 私が皆さん 全員に勝てない時には 私は弟子にも 同じようにします 彼らは私が偏ってる とか偏見があるとか 不平を言いません

今私達にはこの多くの 偏見がありますね 多くの いわゆる先入観です 生命について 悟りについて 宗教や 人生を いかに導くかについて 信仰のある人々は どうあるべきか 悟ったマスターが どのように自身の 人生を導くべきか マスターはどのように 着るか 食べるか 話し方さえもです 私にも多くの 先入観がありました 悟る前も 後もです 悟る前はもちろんで ほんの少し 悟った後は ほんの少し減ります それは日に日に 少なくなります 神は私を 日ごとに どんどん謙虚にして 私の考えはもう あまりありません 神の考え以外には そして 完全に神の望むことを するようになりました 皆さん同様間違いから 学ばねばならなかった

ずっと前に抗議も 諦める事を学びました それは 役に立たないからです 遅かれ早かれ  神は自身の意志で あなたにそうさせます それが好きかどうか  今日するか明日するか 関係ありません 早く克服すればする程 あなたは良くなります そういうことです それは人がいくらか 負債があるのと同じで それで 今日払うか明日払うか 関係なく  払わねばなりません 早く支払うほど 少ない利息ですみます 支払いを延ばせば 利子が上がるので より多く支払わねば なりません それでその時から 私は天の意志に対し より謙虚で従順に なることを学びました

そして時々  そうすることで  また人々から 誤解も受けます でも私は これを 切り抜けるまでは 他のことができません 私の好き嫌いは もはや関係なく そして私の その評判が良かろうが 悪かろうが関係ありません 私はもはや 選べないのです その場合 あなたは 私に聞くでしょう 私達は悟った後 こう思います 私達は自由になり 望むことは何でもでき 人生ですることを 自由に決められると ええ 私達は自由です とても自由です なぜなら私達はもはや 自分の肩に責任を 背負わないからです すべては神意によって 手配されます

そして私達のために 手配されたことを するために心配する 必要が全くないのです そのように 私達は完全に自由です それで私達は 神意を知ります 宇宙の大計画を 知ります 私達は円滑に それに従えます いかなる障害も 難しい感覚とか 心で拒絶したりせずに 以前は私達もまた 神意を行いましたが 知りませんでした それに たくさん抗議します 多くの騒音を立てます そして義務と行動を 遅らせます 明日やったほうが良い と考えるからです

これの代わりに ああする方がよい等と なぜなら私達が こうしようとするのは それが好きでないとか 違う方法があると考え その方が私達の習慣や 先入観にとっては 相応しいから良い などと思うからです 多くの問題と 教訓を重ねた後で 私達はようやく  最高の神の意志に 身を委ねるのです それを仏性 全能の神 神あるいは 何であれあなたが神を 崇拝するに相応しい 名前で呼んでください 私達は時々 自分が この世の行為者と考え それゆえ 私達は すべての重荷を その肩に背負うのです そういう訳で私達は 消耗し 疲れるのです

そして時には 私達は 何もなしえていません 私達が悟れば 最も偉大なパワーの 使い方を知ります それはすでに私達の 内面に備わりそこから 私達は来て帰って行き そしてその中で生きる のだと知っています それで私達の混乱は より少なくなります 日に日に少なくなり 神の意志を行う以外に それ以上混乱が 私達の心に残らなく なるまでになります イエス キリストも 言いました 私は行う  しかし 私ではなく 私の中の父が行うのだ ヒンズー教も常に こう言及しています 私ではなくあなただと 全ての宗教は同様に 述べています

私は自分の様々な 宗教の知識を 誇示したいのでは ありません ですから 少しだけ話します 私があなたの宗教まで 言及しなかったなら 許してください シーク教 イスラム教 仏教 道教など 私は敬意をもって 誠実に 子供時代から それらについて すべて学んできました それで私は言えます 私はほとんどの有名な 宗教を理解していると それで私は全宗教が 同じ真理を指し示す ことを知っています それは内面にあり 私達が所有する 同じ無上のパワーを 指し示しています 唯一の違いは 時々 この無上のパワーを 内面に見る事を私達が 忘れていることです

そしてその代わり  過去のスプリーム マスターを崇拝したり 教会で神を 崇拝します 教会 外の教会や モスクや寺院は 私達に内在する 神の王国の象徴で 私達に自身の寺院を 思い出させるために 建てられたものであり キリストは言いました 神の寺院と 聖なる魂が 内に宿ることを あなたは知らないのか 神が内在するなら 私達に仏性が 内在するなら それなら自身の中を 探すべきであるのは 大変明白です そうではありませんか

どこを探すべきですか 壁の上を 探すべきですか マスターチンハイの ポスターの上ですか あるいは 神を探すために 天井を見るべきですか 内面です いいですね でも大抵の人は どうやって 内面を見ればよいかを 知らされていません 腎臓 肝臓 心臓の 内側でしょうか キリストや仏陀が 言わんとするのは 物質レベルではなく それは私達の意志を 超越したものです 全てのものを愛し養う 最高のパワーに対し 延々と語ったり ブツブツ言ったりせず  それを讃えるのに 相応しい言葉は 見つかりません この世界のパワーなら 私達にはあります

この世界の人々も 色々な奇跡的なことを 起こせます でも皆が それを知っています 皆が英雄や 偉大な王や 何か良いことをした人 慈善団体など 偉大な人類の恩人を 思い出すのです けれど私達は 偉大な慈善行為を 思い出すのを忘れます 宇宙全体を養い 持続させる 偉大な愛のパワーです また どの経典も 私達にこのパワーが 備わるとさえ言い 私達がこの力を保持し 神が心の内に宿る 仏陀が内在すると 説いています 私達は全てを読んでも 自分達が どれほど偉大であるか なぜこんな凡人である 私達が偉大に なれるのか知りません

神は私を 大変謙虚な人間で 欠点として 独占欲の強い 道具として造りました それはどんな人も 神と一体になれるのを 理解させるためです あなたを元気付け 私より優れているなら より早く 神と一体になれると 理解させるためです それこそあなたが なぜ私の欠点を見るか という唯一の理由です 私が皆さんの期待に 添えない服を着て 喜ばせなくても あるいは  あなたの高い要求を 全く評価などしません それが唯一の理由です それは 神の視点によるもので  皆が神の子で 皆が偉大だからです

また時々 私には この体験があり  本当に 皆が私より 優れていると感じます どうして神は こんな謙虚な 完璧ではない者を 神の道具として 選んだのでしょうか たまにじっくり考え そして後に知るのです ただ私が本当に 理解したのは いかに謙虚になるか いかに多くの他の人が 自分より優れていると 知るか もちろん 彼らもまた 神と一体になれます こんな私のような者が 神と一体になれたなら 他の誰でも そうなれるのです それが神が私を選んだ 唯一の理由です 分かりますか ありがとうございます

開悟の過程において 印心後は毎日 多くの教訓を 学びます 失敗を通して 偏見を通して人々の行動や 人々の風貌 他の人々の生き方に 対する私達の 先入観ある意見を通し 開悟する前 もちろん 私も心に批判を 抱いていました どのように他の人々が 生きるべきかについて 好き嫌いもあり また この世界の 多くの物事について 意見がありました たとえそれが 私に影響せず 私を傷つけず 私に全く関係が ないことであっても こうして私達は人生を 忙しくしています

ですが 世界を非難し 人々を正しく させようとすることに 疲れた後 私は自分だけが 向上すべきだと ようやく気付きました 他の事はすべて 問題ないのです 神は私達を失敗から 教訓から 他の人々の例から 学ばせます そういう訳で 古い中国の格言で 私達が二、三人の 他人と歩くと 他人と歩くと 中の一人は少なくても 我々の師となるか その価値があると 言うのだと思います そうやって今まで 私は学んできました それはたとえ 他人の失敗でも 私達の内面に 記憶させ また私達が 過去にした事柄を 思い出させ 忘れないようにさせ またそこから学んで 自身を向上させるべき だからです

決して人を 非難してはなりません 実際に開悟は修行と 他の人々との やりとりから得られ けれども 心の中では 神は私を更に謙虚にし 毎日全ての状況から 学ぶようにさせていて 一切を神の真意と 受け入れさせています こうして私は以前より 全世界を世話する事に 疲れた時でも 更に自由なのです 米国人哲学者 エマーソンは 彼の本のうちの一冊で このように書きました 「神に宇宙を任せれば 私達から大きな 荷が下りるだろう」 しかし 私達は常に 全てを管理し 神さえも管理します そうではありませんか ええ そうです

祈りの言葉を見てみて 私達は寺 あるいは 教会に来て  すぐにこう述べます 「神よ 私の 会社がもっと儲かる ようにして下さい」 「どうか 私の子供を 罰して下さい 彼には 勇気がありません」 「お願いします 妻は浪費し過ぎて います  止めるように言って」 そして「お願い」 あれもこれもと 私も同じ事をしました 皆さんを笑いません 私自身の愚かさに 笑っています 私は運転免許が とれるよう 神に お願いしていました ええ  最初のとき 合格できなかったので  私はイエスに怒り 困らせた事もあります ええ 私達はこれらを 通して学ぶのです

失敗をしてもいい 人と違っても 違う宗教を選んでも 自らの聖典を 深く学び 自分の宗教が何を 教えようとしているか わかれば構いません あなたは大丈夫です 教会や寺は私達の 神に対する信仰心の 非常に神聖な 象徴だと思います どんな宗教でも 教会 モスクあるいは  寺を通るたびに  私達はこの崇拝の 象徴に対する敬意を 本当に 呼び起こすべきです この寺 教会 或いは モスクに来る人々が 内在の神を この寺でも 本当に見つける ことができたら より良いでしょう れんがの寺だけでなく 真の神の寺で 見つけられたなら そのほうがより良いと 私は思っていました

私は一度も新聞や テレビのニュースを 見た事がありません 全くではありませんが めったに見ません 飛行機に十三 十五 二十時間いる時を 除いてです  退屈だとわかりますね そんな時は見ます ニュースなど そして毎回ニュースを 見ると思います 内容があまりないと 良いニュースは無く またはとても少なく 悪いものの方が多い そうではありませんか

毎日 新聞を読んで いるなら本当だと わかりますよね ええ 良いニュースは いくらかありますが 悪い方がより多いです 時に 新聞を 読まなければ良いと 思ったこともあります それが習慣だとか 嫌って読まないのでは ありません 読む必要がないと 感じたからです 例えば  着る必要がないと思う 洋服や 或いは 家にあっても 必要のない 家財道具と同じです それぞれ異なります しかし それでも 世界でなにが起きて いるか知っていました ただ わかるのです ただ分かるので 時に それに応じて行動する 世界の状況に 応じて行動し また 

全世界の発展に 応じて行動します よって 私は時代遅れ ではありません しかし 私は シンガポールにいる為 定期的に新聞を 読み始めました ですので どうか 報道関係者の方 私を怒らないで下さい 今 読み始めましたよ 新聞を読むなと人々に 主張していませんから ただ 以前は めったに新聞を 読まなかっただけです シンガポールにいる為 何日か前から新聞を 読み始めたのです そして それを読む時 非常にゆううつな 気分になります 世界の多くの 未解決問題について 読むとです そして世界中の 政府が 常に最善を 尽くして その国 また隣国の環境をも 改善するよう 試みています

また 彼らは 互いを交渉するよう 最善を尽くしています また 以前 関係が順調では なかった国とは 本当に心から 互いに仲直りをし 互いの生活水準を 改善するよう 試みています とても良いことです しかし 新聞の 情報によると 私達が 思っているほど多く 希望はありません 物事はあまりに 遅く進んでいるため 時に 国民は 失望を感じます そして 彼らは路上で デモ運動をし これやあれやと 抗議をします しかし 概して世界は とても改善したと 私は思っています そう思いませんか

現在 私達は 異なる国々との神学に ついての不一致が 非常に少ないです よって 各国は 互いに歩み寄ろうと 最善を尽くしています 非常に良い事です しかし これらの ニュースを読みながら こう思いました 実際 世界の問題を 本当に解決するには  私達皆に 悟りが 必要なのです よって 私もそう 考えた後 いくらか 悟りを開きました なぜ神が私に あれやこれ 美しい 洋服を着る事も含めて やらせるのか分かった  と私は思いました そうすれば  私達は皆が美しく  優雅な黄金時代に 戻れるのです 

そして物事を上手く  効率的に行うのです ゆっくりと しかし 非常に首尾よく いつもジーンズで 走り回り  通勤中に サンドイッチを 食べたり  仕事前の眠気覚ましに コーヒーを 一口で飲んだりする 必要はありません 多分 私達はまた 輝かしい夢を みるべきです 私達は神と人間が 一緒に住む 古代の黄金時代に 戻るべきなのでしょう 全ての妖精が私達の 言葉で話してくれ  そして私達に より良い人生の価値を 指導してくれるのです

皆が人生の 自然な形として 悟りと智慧に ついて考え 私達の世界を加護する ために来た イエスの ようなマスターを 誰も疑うことはなく また 二度と あのような 偉大な人物を 批判することがなく また 地球を加持する どんなマスターへの 疑いも心に持たない ような時代に なぜなら マスターは 私達自身だからです この夢が現実に なることを私は願って います また 私達の 皆が女神 神 妖精に なる事を願います そうしたら 私達の 惑星は 悟りを開いた 賢く 優雅で 美しい地球人の 光輪で光輝くでしょう

私達は長い間 不平と貧困に 暮らしていました 私達は黄金の  雰囲気を味わうに ふさわしいと思います 誰もが上品で 気高く美しい  古代の女王や 王のように  王家のような 高水準の生活を そして 彼らの威厳 美徳は神に適います 私達はなぜ貧困を 表すのかわかりません

神が私に違いを見える ようにしたのです 彼は言いました

「あなたは天国の 栄光を象徴するのです 少なくとも栄光と恩恵 何らかの象徴を」 なぜなら 天国の全ての妖精は 美しくて優雅です 観音菩薩は あらゆる種類の 宝石とドレスで 美しく装飾しています 私たちは 天国に到達して 栄光と豊かさ 永遠の幸せ 喜びを見ることができ 何もかもが 全く地球と違います だからたとえ天国に 到達したいとしても 内側からするのです でも外側からでも たぶんできます それでも良いでしょう

大方の人は外側から しかできませんから 外側から始めます 内側で調和できるので あれば もちろん 人々は自らの智慧で それを感じ 気づいて 受け入れます 人の智慧は だませないからです というのは それが最高の裁判官で 最も知的で 最も 正しい判断だからです 外側は 人をだませても 内側はむりです ですから時に 私達は人生上の経験で 気づくのですが 何か取引をする時 巧妙に 競争相手をごまかす 策略を立てたとします ほんの僅か 自分の取り分を 多くするためです

でも 彼らを 騙すことができないと 気づき 驚きます 誰も私達の 計画を知らないのに どういう訳か  計画はダメになり 取消され 思い通りになりません 彼らの内部の神 彼らの 内部の智慧が 理解しているからです それが不当であれば また蓄積されたカルマ (報い)でないなら  実行されません だから実際 時には 世の中で 不当な目に合っても 実は必ず不当である  とは限らないのです それは多分 私たちが過去の 前の経験でこの世で 不当なことをした為 教訓を学ぶ為に 今その報いを受けねば ならないのです

聖書にこうあるように 「まいた種は 刈らねばならぬ」 智慧を使わなければ 地球の多くの物事は 人類にとって より良い利益のために 手直しはされません 自身のコンピュータの 脳の力だけを 使っていると 何かできても 完璧な事はできません 天の意志に従った 完璧な事は できないのです 完全な智慧を得て いないからです 自らの完全な智慧を 再発見して いないからです それで 私達は時々 天の意志に抵抗し 物事を要領悪く あるいは 逆の方法で行い 自分の義務を 完全な方法で 実行していないのです

ですから私達が悟り 本当に 人間の脳ではなく 智慧によって 全体図を見れば ただ自然に 物事を行います 自動的に正しいのです なぜそうしたかが 分からなくても 常に正しくなります そういう訳で 悟りが必要なのです そういう訳で 古来 あらゆる 賢人や聖者が  私たちを励まし こう強調するのです まずは汝の 神の王国を求めよ  すると全てのものは 汝に与えられる それで 古代の 中国の賢人は こう言ったのです 「まず身を修めよ すると家族の 面倒を見られる そうして 国を治められ それでこそ天下を 平和にできる」と だから私は 孤独が好きなのです

昨夜 皆さんに 告白しましたね でも出て行き  大衆に会う仕事を するよう 神に 命じられました 私の意志 頑固な意志に反して でも今は完全にそれを 受け入れています ですから 私は 何でもします 心身が 健康である限り 私は世界中に この体を運び このメッセージを 皆と共有します そうします インドネシアの ある記者が私に インタビューしました なぜ 人生を楽しまずに この種の「経営者」に なったのですか 他の幸運な 女性のように 面倒を見てくれる 夫がいて 家庭生活を楽しみ とても平穏な 女性にとってより良い 普通のありふれた 生活をせずに これには賛同します

だから 昔からいわゆる 悟ったマスターは  ほとんど男性でした より適しています きつい仕事です 今は知っています 前は知りませんでした 前に分かっていたら 神に言ったでしょう 「嫌だ 死んでも嫌 したくない」と でも彼は私をだまし 私が全てを知る前に 半分だけさせました 構いません 彼は常に全マスターに そうさせるのです とにかく 私は記者に答えました はい 仰る通りです ええ 今は分かります その方が良いです

家にいて 愛情深い主婦になり 夫の世話をして 彼の気持ちや 望みに従順なら 生活は  より快適で幸せで 平穏になります 誰にも攻撃されず 誰にも愛されず 夫だけに愛されます その方が良いのです でもそれは 神の意志です 全く何もしない訳には いきません たとえそう望んでも 時には反抗もします ええ 私は神に 反抗するのです

そして弟子や全てを 断ち切り 再び山に行きました ヒマラヤでなく どこか他の山に 一人になって 着る物も簡素でした 古着のような 継ぎだらけのものです その方が良いのです 世話なしです アイロンかけは 手間がかかります 服をただバケツに入れ 足で踏みつけ 中を空けては又入れて 三度 川に入れます 石に乗せておけば 服はすぐに乾きます とても素敵な生活で 気楽です 時には 二、三ヶ月 そうします でもその後 神はまた 私を引きずり出し こう言います

もうたくさんだろう 君は遊ぶために ここに来たのではない 私の仕事をするために 来ているのだ すると私が答えます 分かりました 出ます こんな感じです   神は面白くもあります 彼は人ではないですが 面白いのです 今日はいろいろ 考えがありましたが ほとんど忘れました とても速く浮かぶので この世界は 物事が遅すぎて たとえ口に出しても 考えはすでに もうあって 言葉にするには 時間がかかりすぎます

科学的証拠と 動物の伴侶への ビーガンの良さを 話している 多くの個人的理由の 両方があります 活力の増加  長寿 発病率の減少 輝く瞳や毛並みという より健康な姿などの メリットがあります

スプリームマスター テレビジョン 三月二一日 日曜の 智慧の言葉で 「アイリッシュドッグ ジャーナル誌の スプリームマスター チンハイとの対談」を ご覧下さい

本日のスプリーム マスターテレビの 智慧の言葉で 「アイリッシュドッグ ジャーナル誌の スプリームマスター チンハイとの対談」を ご覧下さい

私が祈っているのは 世界の指導者達が 破壊的な食肉生産の 禁止に 迅速に取組み 逆に 排出ガスの 吸収を助ける 有機ビーガン農法に 助成金を 用いることです また 最も重要なのは 個人がこの星を救う 有機ビーガン食の 生活に代わるべきです 危機は高まり 時間が切迫して いるからです 私達の誰もが 今切り替えるだけで 私達の子供や 次の世代のための 未来を確保できます

三月二三日 火曜日の スプリームマスター テレビジョンの 智慧の言葉で 「アイリッシュドッグ ジャーナル誌の スプリームマスター チンハイとの対談」を ご覧下さい

本日のスプリーム マスターテレビの 智慧の言葉で 「アイリッシュドッグ ジャーナル誌の スプリームマスター チンハイとの対談」を ご覧下さい
分かりますか 人類の誰もが 悟ったなら 皆がただ家にいて 料理や洗濯をして

 
全ての番組を検索
 
 
一番人気
 道士 柴 鄭 珍の物語 2/2 二〇〇八年九月九日
 指導者の本拠のための吉祥地、世界平和への恩恵 1/2 二〇一一年八月二四日
 私達の未来を守る指導者たち:気候変動の速度と優先事項1/7 英国 二〇一〇年十一月三日
 黄金時代への人類の跳躍 -ワシントンDC気候変動会議 第一部/10  二〇〇九年十一月八日米国
 「子供達の健康と持続可能な地球」済州島国際会議 第一部/8 二〇〇九年九月二一日 韓国 済州島(英語)
 在世の生けるメシア 1/4 米 、ハワイ 一九九四年九月三日
 美しい星への解決法 1/9 二〇〇九年八月十五日 タイ ノンタブリー
 地球の結束:共に生命を救う 第一部/8 二〇〇九年十月三日 香港
 魂の再会 1/3 二〇〇〇年四月二七日 ニュージーランド 、オークランド
 国際人権会議 1/5 一九九四年五月二五日フォルモサ(台湾)台北(中国語)