智慧の言葉
 
輪廻は存在する‐第一部/2 一九九二年二月二三日マレーシア(マレー語)    Part 1
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私があなたに 出来る事はありますか 私はただ 瞑想の方法に とても関心があり けれど どんな方法も 何も知らないのです 例えば あなたの教えなど 簡単です 弟子でも 教えられます 実は 最初に 尋ねたい質問は 考えていませんでした あなたに会った事が なかったので 会いたかっただけです たぶん瞑想について 一般的な討論を したかっただけです 多くの導師が 瞑想に 確かな方法がある と言います けれど 例えば クリシュナムルティ等 私も本を読みました 本当ですか (はい) ヒマラヤに行く 以前ですか そうです

本当ですか 違う論点も研究した 事があって どれが 一番私に適切なのか 確かめました わかります それなら あなたも 探究者ですね さまざまな考えや 学派の思想を研究して それから一番 好きなものを 選ぶのですね そうでもないです ウィンドウ ショッピングなどとは 違い そうでなくて 本当に何かを 決断する前の 一種の準備です ええ こういう人に 触れて  哲学を知るのです どういう訳か 自然に あなたの所に来て ある日 気づきます 「私はこれが好き」と はい 時々 神や仏が さまざま人々に さまざま方法で 手配すると思います

ある人の場合 神は一人のマスターに 直接案内したり 探究心の強い人には 神は 様々な本や さまざまな哲学 さまざまな マスターを送り その後 彼は 選択します はい クリシュナムルティは 人は 自身の先生でも 弟子でもあり得ると 言いました その通りです 彼はそう言いました ええ それではお尋ねします この事を どう理解しますか 人には自身の 意見があり 自由に表現できます 多分 当人には それが良いけれど でも皆には良いとは 限らないのでは もし 自分は 天才だと考え 天才である事が 証明できたなら マスターは不要です

それでも結構ですが けれど私達の殆どは ガイドが必要です マスターや導師でなく人々が 「マスター」とか 「導師」と言う名前で 呼んでいるだけです 実際 それは単に 友人かガイドです そうですね 旅の途中で 付き添う人です 登山したい場合と 同じように 多分 友人か 誰か道が分る人を 連れて行かなくては なりません そうすれば 時間の浪費もなく 道に迷う事もないです あぶない道や 落とし穴の場所など 知らないので 危険な目に あうかもしれません それだけです 他の惑星への道も そうです 内なる意識 内なる理解レベル 達成レベルへの 道は 非常に 率直に言って 同じく多難で落とし穴 危険が一杯です

道が分っていて  導いてくれる 誰かがいないなら 時間を沢山浪費し 見つけられないかも しれません そして 多分 一人で 出て来られない 危険に陥ったりします  従って この場合 導師が必要です 大丈夫なら いいです 誰もあなたを 強制できません つまり  導師がいると 助けになるが 強制ではないと? 私は殆どの場合 必要だと思います 先生から英語を 学ぶのと同じで 何か  数学とか  ピアノでも何でも 先生がいると 多分 より正確に より速くできます けれど 運が悪く 良い先生に 出会えなければ そんな人は 絶望的でしょうか いえ そうではなく 望んでいないのかも かもしれません

誰もが英語を学びたい 訳ではありません はい マレー語か中国語が 話せただけで 満足だったり さらに知識を広げる 必要があると 感じていないのです はい 大抵の場合 本当に そうだと言えます 多くの人々は 瞑想したくないのです 悟りたくないのです 彼らは満足してます それで良いのではと はい その様に簡単です けれど 例えば仮に 真剣な探求者がいたら その人は 偉大なマスターを含め 誰にも 影響されたがりません 例えば 様々な導師の教えに 精通していても そのような人は 自分自身で 悟りを見つけるのは かなり難しいですか 難しい? はい そうと言えます

そうと言えますか そうと言えます ええ なぜですか なぜ? 私達のほとんどが すでにあらゆる思想と 社会の習慣と偏見に 影響されている為です 分りますか はい するとどれが正しくて どれが間違いかを 知るのは困難です

すでに分っている人が あなたに話し それを理解したら こう言います 「ああ そうです」 見つけられない 訳ではありません 時々 すでに 分っている人が あなたの理解を 確かめる必要があり それで安全に感じます でないと自分で試すと 長くかかり過ぎます 人生は短いのです それだけです 数百歳生きられたら 多分 一人で 到達できるでしょう けれど それでも 独りではありません 多くの導師を知り 多種の哲学を 知っていたら すでに 影響されています それで多分 あまりに多くの 学派の思想に影響され さらに厄介な事に なるでしょう 分ります

すると貴方は悟りへの 近道を教えていると 仰るわけですね はい いろいろ近道が ありますね あらゆる種類の けれど私が言うのは あなたがおっしゃる 内容のことです 先ほどの話で 導師を望まない人は どちらかと言えば 悟りに至るまで より長い時間が 必要という事ですね はい 全く到達できない かもしれません 多分です はい だから多分 確実に悟るとは 言えません そんな場合 導師は非常に 役立つと思いますか 大変役立ちます とても必要です 分ります 私は瞑想についての  あなたの見解を 知りたいのです 話されたように 様々な導師が 多分 様々な解釈を 持っています ええ 私の瞑想は何か そうですね(そうです)

私達の瞑想は幾つかの 戒律から成ります まず 全ての生命を 愛する事です 基本中の基本です それで向上します はい つまり不殺生です 間接的にさえです 肉も食べず 同様に 殺生を 促しもしません 自身も生命であると 考え 永遠の生命を 望むからです どんな命でも短くさせ れば 命の一体性を 傷つける事になり 自身を傷つけます ですから 愛の見本を 作り 命を傷つけない ようにします 私達の愛を 動物にも 植物にも広げます でも 生きるためには 若干の植物を 食べねばなりません ただ それは最小かつ 最低限の苦しみです 動物はより苦しみます 植物の意識は より低いのです それが基本的な事です

それから 戒律を守り 昔からの伝統と 良い社会秩序を 保ちます 例えば 妻や夫は 一人だけです ね 貞節です また 他人の財産を 取りません 頂いたものでなければ 一本の花さえもです こうやって 他人の 財産を保護します また 正直に お金を稼ぎます 他人が与える物に 頼りません そんな感じです 私達の出家者のように 自身のお金を稼ぎます そして 毒を摂取せず 酒を飲まず 性的な映画を 見ません そんな感じです ただ社会の 良い秩序と 基本的な道徳を 保つだけです 私達の子供が 学べるようにです それから 後に 瞑想があります 瞑想には マスターが必要です 内面の力を持つ為で 技巧ではありません 内面の力は これをあなたに伝え あなた自身にある 仏性を 神の力を 呼び覚まします

それが印心と称する ものですか 印心です そうです その後 すでに これを見つけたら 準備万端です それから教えます 瞑想の時 もし何か 何か 何かを見たり 何かを感じて ある程度まで 進歩したら 何に注意を払わねば ならないかとか 何を知るべきかとか 今どこに向かうか 発展の程度や 何に注意すべきかとか 教えます 実際それは技巧でなく 内部の悟りであり 瞑想の時 それが分かります 印心の後 それが分かり 天国が見えます 或いは光を見たり 美しい光です 神は光です 仏は光です

あらゆる仏像に 光があるのを見ますね だから 光を見たら 悟りの境地に 近いと分かり 仏性に近く 自身の仏性に近いと 分かります 他のどの仏陀も どのマスターも 崇拝するのでなく 自身が仏陀であると 徐々に分かります 崇拝の必要がなく 仏陀もあなたも 仏陀だからです なぜ仏陀が仏陀を 崇拝するでしょう あなた自身もまた ある程度 マスターです ただ忘れているだけで 今 再度思い出せれば それを発展させ 自己を認識します それが私達の瞑想です あなたはそれを 本当に技巧とは 呼ばないと おっしゃいますが 幾つかの書物で これを観音法門として 言っているのを 見つけました

はい 何か名称を つけるべきでしょう ええ 分かります 何らかの概念を 人々に持たせるため 彼らは何かの目的で 来てます でなければ 何もないと言ったら 彼らはどのように 私を理解しますか はい そうですね 誰かを愛した時と同じ そうですね 女性か男性を愛したら その人に言います 「愛してる これが私の愛」と それから その人に 彼にバラをあげたり 彼女に宝石をあげたり 何かをあげます ダイヤモンドが 愛ではなく それはあなたの愛です そうやって愛を表現 しなければなりません 愛自体は 表現できないからです

それで何らかの方法で 示さねばなりません 彼女と結婚するのは 結婚で彼女を 愛せるのでも 結婚後に 愛せるのでもなく 単に表現方法なのです ということは あなたがおっしゃる 鍵となる要素は この瞑想の修行は 方法や技巧ではなく 人のエネルギーを 瞑想に導く真剣な道 という事ですか はい そうです やはり自己認識の ようなものですね はい そうです 自己の力を 呼び覚まして 理解し 利用します 神に祈って 何も起きない代わりに 自身の神を呼び覚まし 何をすべきか尋ねます 自身が神だからです

目覚められないなら たとえ神がそこに 千人いても 何の役に立ちますか はい 内部に力がなければ やる事を決められず どの道が正しいかを 知る智慧を 得られません 日常生活で また 日常生活や 社会にも 役立つことでです 千人の仏陀がいて 一体何が良いのですか ですから 仏陀は人の仏陀であり 私達は私達です 私達に何もできません 祈っても 誰にも届きません 仏陀が内面にあるのを 知らないからです 唯一 役に立つ仏陀は 私達自身です 目覚めさせてください それで働き出します 仏陀は崇拝の為でなく 使うためにあります 人類に 私達自身に 役立つためにです それを目覚めさせれば 誰かに祈る必要は ありません 仏陀は ここにいるからです 自分の仏陀を作ります

私達のレベルに従って 神を作ります ここまで上れば 考えます 「ああ 神は知性が高い 神は智慧だ」と もう少し上れば 「神はそれ以上で 愛を含んでいる」 更に上れば 「ああ 神よ 私は何も言えない 神は全てである」 だから 神は 自身が築いたものです 仏陀もそうです 分かります それでは瞑想において 勤勉に修行することは 非常に重要であると 言えますか 人々のレベルは違う そうおっしゃったので より真剣な人もいれば 全くそうでない 人もいます ええ でも精進すれば 誰でも到達できます そしてやはり 誠意があるべきです

座ってるだけでなく 本当に見つけたい 本当に自身の力を 見つけて 自分自身や友人や 社会を助けたいと すると 神が助け 神がやって来ます でも何らかの動機では ないのですか こう言う人がいます 「瞑想を修行したい 開悟に達したいので」 ええ います そういう考えは 開悟の助けになる というよりも 障害と言えますか そこには個人の 動機が含まれていて 「開悟に達したい」と 言います 場合によりますね 言葉では 人々が 内面で考えている事は 一切 表せません ある人は言います 「私は開悟に到達 したい」と でも 本心ではありません

ある人は何も言わずに 本当に望んでいます また「望む」と 言った人でも 望む方法が 障害になります 他の人々もやはり 「開悟したい」と 言いますが 彼らは 障害を感じません その人の心の感じ方に よるのです 望むだけではなく 望みには あらゆる 段階があるので 私には白黒はっきり 言えません でも時々 私は 弟子達に言ったり 講演で言ったりします 「ええ あなたが開悟を 望み続けるならば 何か障害になるかも しれません」と それはその人だけ そのグループだけ 又はその日だけの事も あるのです 分かりますか(はい) 生きた教理が マスターです

従って マスターが必要で 模範にし「彼ができる なら 私もできる」と はい そうですね 私達は 例によって 学ぶ傾向があります はい 例で学びます そうです ですから どちらでも いいと私は思います 私達は人々に 論理だけを勉強させて 模範を勉強させない ようにはできません 彼らは選択します ね ええ そうです 私に規則や規範が あっても それは単に ガイドラインにすぎず 人々を束縛しません 「これだけをすべきで 他にはない」と ある友人が 輪廻転生に 関する質問をしました 輪廻転生について 私は何も知りません とにかく私は 友人の代わりに 質問したいと 思います

輪廻の見解はいかが でしょう 事実ですか はい 私は輪廻転生について 多くを話してきました それは事実であり 非常に科学的な事です 私達は沢山の経験を 蓄積しすぎてきて 今生で これらの体験を 生きたり ある欲求を ある意図を ある夢を ある計画を 完了させたいのです なぜなら その学習と経験の 蓄積を通して 交換し合い 私達はまた その沢山の経験や 多くの事をしたいと 思っているからです そしてすぐに死にます ええ 体は別の境界へ 行ったり 即座に 別の体に行くかも しれません

そうです これらの経験 欲求 計画は 実行されねば なりません 私達には 内面のここに記憶する コンピューターがあり これは物質的なもの ではありません 一種 電気の様で 高次の電子です 社会の中にも 電気の様なものがあり 例えば そこに座って リモコンを持てば 家の明かり 電話 ドア ガレージ テレビなど家中それで 操作できますね

さて 私達の心は 高次の電子体系に 属していて 形がありません 内面の頭脳の中に 形作られていますが それが全てではなく 頭脳が全てではなく 私達には高次の電子 「コンピューター」 つまり 私達の望み 知覚 視覚 全てを 記録できる 一種の 装置があります 今作動させるべきです こうして 人間になる方法を学び それで 各人が互いに 異なるのです ある人は多くを学び ある人はあまり学ばず でなければ どう 説明しますか 皆 二つの目 一つの鼻で 同じ様に生まれるのに なぜ彼は より愚鈍で 彼はより知的なのか なぜ彼はより道徳的で 別の人々は より邪悪なのか 学習と経験が 異なるからです

今 この学習と経験は どこか空中に 留まってます 或いは 「コンピューター」 「電子」と言えます そして私達の死後 それが肉体に 留まれなければ どこか 大気中に留まります さあ 私達の魂 これは永遠で 常に 私達が蓄積したものの 所に行き 執着します 「コンピューター」に 行くのです あなたが沢山の時間と お金と愛を費やして 買った車の所へ 行くようなものです なぜ他の人の車へ 行くでしょうか あなたが買った 車の所へ行きますよね 同様に 経験は 「好き」でも「嫌い」でも あなたが経験する事を 望んだので あなたはそこへ行き 再び生まれるのです ええ 分かります

はい 永遠の魂は 決して生まれません ただこうした全ての 一種目撃者なだけです しかし 電子頭脳は 再生 補充されたり 破棄されます これがカルマと 呼ばれるものです なるほど これがやり取りする 法則です 知り 経験し 蓄積し 追い払うという事です 原因と報いです 林檎の木を 植えたら 林檎の実を得るように オレンジを植えたら オレンジの実を得ます 物質の法則です それで この物質界に 生きるなら その物質の法の下 生きねばならない そういうことです その電子頭脳 しかし私達はそれらの ゴミを全て置き去り その上に行けます それを使わなければ 電子コンピューターは 役に立ちません

あなたを傷つけず 何を口述しても 記録されません あなたは中身を知る 必要もありません 置いて行けます 解放されるのです あなたが望めば そうできます これが印心の過程です 「コンピューター」の 全てを取り ボタンを 押し 何もかも消せば あなたはここへ再び 戻る事はありません コンピューターには あなたの処理を待つ ものはありません あなたは「仕事」を変え 他の高次の 「コンピューター」 高い種の教育を得ます ええ あなたが小学校に いる限り 小学校の教科書が 必要なだけです

でも一旦高校に 行ったら 学んだ全ては どこかに捨てても 保存してもかまわず 使う必要はありません ですから印心とは この世界からの解脱や 経験や蓄積された 物事のサイクルからの 解放を望む人々を 助けるものです これが輪廻転生です 望まないなら 抜け出せますが方法を 知る必要があります 何千年もの間 蓄積されてきた ものを消すのは 容易ではないですが ただ消すのです 方法を知るべきです コンピューターの様に 消し方を知らなければ たった一つレッスンを 記録していても それを消せません 何も無かったようには できません

ですから 印心とは 非常に強力なものです 一種の見えない技術で カルマ(報い)を 消すのです 輪廻転生を あなたを来世で 待っている経験を 消します それがなければ戻って 来る理由がありません 「コンピューター」と おっしゃいましたが それは人間の 集合意識か何かの ようなものですか この世で 人間が生きてきて 恐らく 私には分かりませんが 百万年位でしょうか あなたが話された 「コンピューター」は そこから 出るべきだという 人間の集合意識に何か 関連があるのですか 出るべきとは 人はこの人間の 集合意識から 出るべきというか それがあなたの言う カルマ(報い)ですか 人間の集合意識の ことですか

人類の集合意識 それは 集合カルマ (報い)です ええ カルマ(報い)の 大きな束ですね 皆 一般的な形で 何か共有しています しかし 個人の カルマ(報い)とは あなたの「好き」 「嫌い」であり 自身の判断です それは個別で 輪廻を作り出します 欲求を満たすために 計画を終了させる為に 前世の肉体で 機会に恵まれず 知りたいと思った事を 経験するためにです 多くの宗教が善悪に ついて話しています あなたの教理では 善悪をどのように 説明なさいますか ええ 善悪は 簡単なことです あなたにも他者にも 善い事は善です

あなたや他者を 害すものや 両者を 害すものは悪です 非常に簡単です 善を試み 悪を回避してください でも 比較的・・・ できる限りです しかし 繰り返し 詳しく見るべきです ただ「これは善」 「これは悪」と言うほど 簡単ではありません 一般には こうです

「自分がしてほしく ない事は 他者にも しない事」簡単です 従って この面で 私達は肉食をしません やはりそのためです 私達はまた 殺されたり 傷つけられたくなく それで動物に自由を 与えるのです 菜食になれば 仏陀になれる訳では ありません 違います 牛も菜食ですが 彼らは決して 仏陀にはなりません ただ愛の原則で 生き物が好きなので 彼らを率先して 救いたいのです なるほど ですから この場合 私達が教理の 見本です それで私の教理は 他の古代の各教理の ようなのです 例えば 仏陀の 「殺生すべからず」です

イエスも言いました 「生あるものを殺すな」 聖書では十分 言及しています 「肉を食べるな ワインを飲むな 生き物を殺すな」と でも人々は無視します 読んだだけで よく理解していない のかもしれません

それで 人々は善良に なりたいと思いますが 未だ非常に凡庸です これは仰るように 実は高い智慧を 望んでいない ということですか 「善」にも 多くの レベルがあります 善を何により 定義できますか もし 隣人を愛し 子供達を愛していたら 良い父親で 良い隣人です もし 自国を愛し 責務を果たしたら 良い市民です 兄弟姉妹を 助けたなら 良い兄弟 と言えるでしょう でも もしも 全人類を助け 彼らをみな開悟させ 道徳や他者を害さない ことを教えたなら 世界の良い 教師ということです もし善良で 人に教えられれば 神に 天国の存在に 多くの宇宙に 多くの惑星にも 教えられれば 善なる 宇宙の師なのです

ですから「善」には レベルが多いのです どのレベルの善かは 選択次第です あなたの場合は 今のあなたになられた 理由を知りたいです 最高のものを望んだと いうことですね もちろん 最高の ものを求めました はい 私の仲間たちは 単なる善人に なりたいのではなく 聖人になりたいのです 聖人はより良い「善」の レベルがあり 異なる 「善」のレベルがあり 聖人 或いは 仏教の菩薩と 呼ばれるに値します とにかく良い聖人は また良い人間でも あるでしょう そこに含まれます しかし 良い人間が 良い聖人であるとは 限りません

大学の教授のような ものです 彼は小学校の良い 先生でもありますが 小学校の先生が 大学の良い先生である 訳ではありません 聞いた話では あなたの教理 この瞑想では 光が見え 様々な音が聞こえる そうですね ええ ええ ええ 私には一種 正反対に思えます 心の静寂と音など そういった皆がです 騒がしすぎると? OK お話しします その音はあなたの耳を 傷つけません 完全な沈黙です それを沈黙の音と 呼びます 正反対ですが それは 起こりえるのです

それを聞けば 聞くほど 心は 静かになります 「静寂」とは何もない 空という意味ではなく 不必要な 重荷の静寂さ 不必要な 偏見の静寂さ ありとあらゆる 無意味と欲求 不可能な熱望の 静寂さなのです 奉仕するための 静寂さ 知識を 純粋なる 知性を現すための 静寂さです そして その純粋な 知識を 自分のために使えて 天国へ行き地獄へ行き 人々を解脱させ 社会の良き人間となり 人類の良き師となり 自分にとっても 良き師となるのです 「静寂」とは 空という 意味ではありません もし空っぽなら 私に 瞑想は不要です 全てを取り出して 空になった瓢箪の ようではありません それでは使えません

中米

(ビーガンホテル) (レストラン)(パン店) (カフェ)等のオープン
幾つか雑誌の記事を 読めて十分幸運でした チンハイの雑誌の ことですが ほら 何人かが 体験を記述しています 彼らが美しい模様の 光を見た時のことや 素晴らしい音など そういった全てです では これについて あなたのご見解は ええ 彼らには 内在の智慧の体験が あるということです 光はあなたの心が 輝いているもので この人生ですることを よりよく考えられ より良くわかります あなたが見る惑星が 本物かどうか 更によく 識別させ そうして そこへ戻る方法を 思い起こさせます あなたが光のない所へ 行ったら どう道を 見つけられますか それであなたは再び 戻れるのです

そして音は 私達が 互いに話をするような 実際の音ではなく それは一種の優しい 振動力 音楽のようで 非常に滑らかです 心の静けさは 起きるものなのですか はい ええ それが あなたを導きます 一種のエネルギーで あなたは高い 高い 意識レベルに 押し上げられ そこで体験します あなたの高い考え 高い意識によってです あなたの体験する 世界は異なります より良い道 真の光です

例えば 盲目の人 あるいは 近眼の人で 眼鏡をかけて いなかったとしたら 彼は何かに つまずきます そして大きくて醜い 彼の妻を見ます 本当の彼女は美しく 可愛い女性である はずなのに 従って その真の姿を見るため 彼には眼鏡が必要です 今 私達の頭脳 眼は 本来の物事を見るべき ようになっていません 従って私達が 真の眼を使うことで 私達は真の姿の世界を 見られるのです 人生の真の状態です それだけです 彼らが見るのは 宇宙の本来の状態で 美しく 鮮やかな光があり 美しい音がして 異なる場所で 美しいものがあります 私達がこの世界で見る ものではないのです この世界を私達は 曲解して見ます 実際それは美しいです

それで これらの経験 私達が真実の経験と 呼べるものが現実で それがすべてです もちろん あなたが それを見たことも 聞いたこともなければ 言うでしょう 「世界はそんなものだ なぜ美しく明るいと 言うのか」と あなたが眼鏡を かけていなければ 議論できません 眼鏡をかけた状態で 見ていないと この世が美しいとは 言えません 唯一あなたが 知っているべきは 同じ問題があるとき 同じメガネをかける ということです 彼と同じように かけた場合 彼が何を 見るか分かります はい でしょ(はいそうです)

従って 私達の法門は 人々と議論したり 説得しません しかし望んで 入ってくれは私が見る ものをお見せします

はい ええ ある人々は 人生 良妻と幸福な 家族 および全ての 現状に満足しています 違いますか

いいです 私は何も言いません しかし どういう訳か 人生にグズグズとした 不満があるのが 見えます そして いいですか それが時々現れます 違いますか 一人の時 奥さんが休暇に 出かけたり とにかく 姿を消して 突然 一人とり残されます 人はそういう状況の時 なぜか人生は 完璧でないという 気持ちがあります それで 自問します 「人間は人生で 何をなすべきか」と それで そのような 人間にあなたは 何と言うのですか

彼らは人生が 完璧でないように感じ 良い仕事があると 疑わず 違いますか 何であれ ね 私も分かっています 私が悟りを求めたのも 何も私を満足させ なかったからです 良い家でも 豊かな生活も 良き夫でさえも 私の夫は とてもハンサムで 二つの博士号も 持った医者でした また私達はドイツで 素晴らしい生活でした その時 その前でさえ 何かなくしたと感じ その後失くしたものを 感じました その間 私は何か 失くしたと思い 主人でさえそれに 気づいていました 彼が言いました 「君はどこへ行っても ホテルにいるようだ」

そこに属していない 知っての通り 最も賑やかな宴会でも 彼は私の内なる感覚を 見破ったのです 私は言いました 「ええ この世界で 私に本当の真の幸福を 与えてくれるものは 何も感じられない」 私が夫を愛して いなかった訳でも 人生の安らぎを享受 しなかった訳でもなく ただそう感じただけ それだけです 金持ちになりたいとか

沢山の夫とか良い夫が ほしいのではないです 違います 違います 百人の夫を 与えられても 私はまだ不幸せです もっと財産を もらっても 私はより 惨めになるだけです 世話をすべきです それは 心の奥底で 私達は 物質的存在ではないと 知っているからです 潜在意識の中で 私達は 私達の 願望と経験で この体を物質化する前 私達は他の誰かで 素晴らしく 知的で すべてを知っていて すべてを充満させ どこへでも行け自由 だったのを覚えてます それから この体に 投獄されていると感じ 不満を感じます

私達が悟りを得れば 再び真の 自由な状態を 経験すれば分かります 「ああ それだけのこと だから以前 私は 不幸せだったんだ」と そう感じていたので あなたの状況が どんなに幸せでも まだ制限した生活を 送っていたんですね そう 制限です 確かに 分りましたね なぜでしょう 以前 あなたは違っていて 以前は自由で 優秀だったからです 従って 今がどんなに 素晴らしくても 潜在意識で 非常に 微かな記憶で覚えて いるものに比べたら 何でもありません わかりました それを信じているので 言うんですね

どんなに幸せな人に なり得ても 何らか 潜在意識は機会を 与えられていることを 教えようとすると それが何であれ 悟りなくしては 人生は不完全だと そうです 正しいです どんな罪も 悪事も 無知も 全て 智慧から来たのです どんな種類の間違いも どんな種類の 誤解も 犯罪もすべて 智慧から来たのです なぜかと言うと 以前 智慧があったからです まだそれはありますが ただ埋もれていて 忘れていて 使って いなかったのです 「智慧」は 私達が この体を物質化して この世でもつれる前 私達は賢明で 自由で優秀だった事を 意味します

私達が望む何でも 考える必要さえなく それは来ます 私達は優秀で より高い レベルの存在です 私達は何らかの理由で ここに来るかもしれず ここでもつれて 家へ帰るのを忘れます 現在 最も深い記憶の中で まだそれを覚えてます 私達は 私達の 目の前で 宇宙に すべてある事を まだ覚えています 望むどんな瞬間でも 全宇宙は 私達のものです 今 この世界に来て ここで私達は 何か少しばかり所有し それさえ持っていない かもしれません 家や 広い地所 豪邸や 高級車とか 美しい妻がいるかも しれず 二、三人とか 私は気にしませんが それはあなたが持って いたものではないです

何であれあなたが ここで持ちたければ 頑張らねばなりません それが逃げないように 盗まれないように 問題を起こさないよう それを保持し 保護 しなければなりません 生活が豊かであるほど 沢山の問題があります 人々は羨ましいのです 或いは妻が美しければ 一部の人々は 彼女をさらおうとして 問題を起こします それですべてが問題の 原因で それは物事の ほんの一部なのです そして私達が全てを 所有する事を思い出し 全てが欲しくなります 私達は望む すべてが持てます 意識の中に不足さえ なかったのです 私達は十分に満足し 何であれ全く欲求が ありません

でも それは私達が 空だという事ではなく ただ満足していて 不必要だったのです 金持ちの人のように 飢えが何であるか 決して分からないので 「飢え」という言葉を 知る必要はなく 決して切望しません ですから今 私達が ここに来て 抑圧され この種の存在を 強制されると ひどい気分なのです 背を向けられたような 感じがします そして 前に何かを 持っていたと感じます 私達は前に偉大でした 「なぜこれを与えない」 「それを与えないで」 「これは全部私のです」 それで どうにか 前に持っていたものを 取り戻そうとして 盗みをします 盗んだり人を殺します

彼らの望むものが 得られないからです 彼らは 皆が美しい 世界に住んでいた ことを知っていて 「どうして今 ちょっと美しい妻を 与えてくれないのか」 「それは私のものだ 私は何でも持っていた 全て持つべきだ」と それで 盗み 殺し 騙し 掴み取り 全てに貪欲なのです 全て智慧からです 非常に矛盾していて 非常に逆説的ですが そうしたものです もう分かりましたか はい 完全に見込みのない 人間なんてものは いないと言うのですか (いません)人が労を惜しまず 発見する限り 見つけられます 以前どんなに多くの 悪い事をしたと してもです そうです

どの聖者も過去があり 絶望的ではありません ただ彼らが 偉大だったこと 再び偉大になれる事を 知らないだけです 彼らが確信してる限り また彼らに 何をすべきで 彼らの偉大さを示す 方法を示せたら 誰でもそれができます たとえ九九人を殺して 百人にするために 仏陀を殺したかった  人でさえ 仏陀が彼を受け入れ 印心した後で 彼は阿羅漢になれ 菩薩になれたのです それでは あなたは 先生の役割とは おそらく 人間が何になれるか また人々の潜在力の 生きた手本になること だと思いますか そうです 彼らの偉大さを喚起し それが達成できる事を 示してください

私が達成できることは 皆さんにもできます 先ほど おっしゃった 生活への不満のため あなたは家族を 去ったとか 本当に不満ではなく 私が望んでた生活では ないと感じたのです 不完全ですね ええ 不完全です そうです 不完全です 生活が嫌とかではなく そうです そうです 違います 生活は実際 実に優雅 だったと言いました そうです そうです 最高ではないですが 沢山の人より良いです 私は暮らしが十分に 豊かではないとか 夫が十分に良くないと 思いませんでした 生活の標準に従い 全部が 十分に良いのです その標準が私の標準に 達しないだけです 生活がそれだけでは ないと感じるのです

更に良くあるべきで より良いと知ってます 出家をし 特定の衣を 着てる人々は どうですか 彼らを出家させて 下さい 彼らはその時の考えで 行動します 私がすべき事を したように 私は自分のためだと 思い ヒマラヤに行か ねばなりませんでした 誰もが自分の学課を 学び自分の人生行路を 選びます でも そうすることで 人々を励ましたり落胆 させたりしませんか いいえ しません ええ 彼ら次第ですね 彼ら次第 彼らには 自由があります それで もう 嫌になったら 家に帰れるんですね はい 無害です もちろん  彼らが僧侶であれば より私に従えます おそらく彼らはより 向上できると思います

それが彼らに良ければ いいじゃないですか 彼らに良くなくても それも無害です 私の僧侶は 働く僧侶ですから お金をかせぐため物を 編まねばなりません 彼らはテントに住み 質素な食事をとり 人々から お金をもらわず 供物も受け取れません ただぶらぶらする事も できず毎日少なくても 五、六時間 瞑想し なければなりません 彼らは自分の仕事を する必要があります ええ 自分のお金を 稼がねばなりません ですから 違いません 彼らが僧侶であれば 何ら危害はありません なるほど ええ 良い事だけです それが良くなくても 無害です

私は より多くの規律 素早く働き 素早く反応し 多才な分野で働く事を 彼らに教えます 彼が秘書だったので ここに来ると 毎日 手紙のタイプだけを 頼むというのではなく 手紙をタイプする他 彼の能力により 私は他の事を教えます 運転を習いに行く様に 英語を学ぶように 智慧の本を読むように 水泳 技術 他の種類のものを 学びに行くようにと 私は彼に言います それで 私と共に 僧侶になった人は 何も失わず おそらく 利益を得るだけです それでそうした僧侶は あなたが言ったように 自分を支えています そうです 自助です そうすべきです

私達は 座って社会の 米虫になる人々を 大目に見ません 誰でも働きます 僧侶もそうでしょ 懸命に働きますが 余裕ある方法でです 彼には時間と智慧が ありどんなストレスも ありませんから 例えば 速く 稼がなければ お金がないとか そうではありません 彼は彼自身の選択で 働きます だから余裕があり ストレスがありません 悟りを開いたとき 人は学んだ事を 世界に伝えたく なるのは 必然です そうとも限りません そうとも限りませんか それとは逆に 彼は 伝えたくありません 例えば仏陀です 悟った時に言いました 「とんでもない 私の教えは至高で とても簡単だがとても 貴重で高いです

誰もがそれを受入れ られるとは思わない 涅槃(最高の天国)に 行くほうがよいのだ」 その後 第三界の 最高の神である 大梵天が自ら現れて 彼に出て来るように 請いました 私は仏陀か何であると 言いませんでしたが 神 神霊 または いわゆる現在の弟子に よって出てくるように 強制されました 私は掘り出されました 発見された後に  発見された後に  私はしばらく半年ほど また時々一年間遠くへ 行きもしましたが 彼らはいつも 私を引き戻しました

渡米さえしましたが 向こうでも 発見されました 私は身分を明かさず 有名なマスターの 影の下にいる  ごく普通の尼僧でした 私はトイレを掃除し 食事を作って 電話に出ました それが全てでした それから いわゆる 観音菩薩 または ある仏陀と呼ばれる 誰かが 米国人 黒人や白人が 現れて言いました 「あの寺に行って 見なさい」そこは 彼らは以前一度も 行かなかった所で 通りさえ知りません 彼らはその寺に 来る前に 長い間  求め続けました 以前中国の寺で 何かを一度もした事が なかったからです 彼らはそこへ出かけ 私に言いました

あなたは内面と 外面の鐘の音や あらゆる種類の雷声が 聞こえる観音法門を 私に教えるべきです」 そして彼らはすべてを 言いましたが ただ 体験はなかったのです 私は「なぜ  誰が 全てを話しましたか」 彼らは 「マスターです あるマスターが現れて 言いました あなたに 会いに行くべきだ」と 私は言いました 「私は何も教えません だれがこのくだらない ことを言いましたか」 その時 私は 教えていませんでした 私は ただ普通の人で トイレを掃除する  人でした

彼らは「はい しかし  私のマスターは あなたがそれをすると あなたから教われば 内面の鐘や雷の音 すべてを聞けると 言われました  光を見 天国も見る だろう」と言いました 彼らは全てを話し ましたがその体験は ありませんでした それで私はショックを 受け 彼がそれだけ 知っているなら本当に 違いないからです とにかく それでも 私は屈しませんでした 「私はそれを教える 人を知っています それはサンマット 法門と呼ばれています あなたに話します その人の所へお連れ します」と言いました

それで 私はこの 「夢想家達」を寺の 外の他の家に連れて 行って言いました 「この人はあなたが 言及した その種の 修行法門を教える  マスターの代理者の 中の一人です 彼女とここに留まり 彼女はあなたが望む 全ての詳細を説明し 印心を与えるでしょう 鐘とすべての音を 聞くでしょう」 それで私は去りました その後 彼らは 再び戻って来ました 彼らは「いいえ  そのマスターは  再び現れて言いました 彼でなくあなたです あなたは午後四時に 私を教えなければ なりません 彼は四時と言いました 通常  四時に瞑想をします そうすべきです」と

彼らは全て知っていて 私は「いえ そこに 帰ってもいいです 同じことです 私が教えても 同じなのです」と言い 彼は「そのマスター しか信じません 彼が来た時 全てを 教えてくれた」と言い 彼は「あなたが私達を 教えるその人です その人の所に行くべき と言わなかった」と 私に何ができますか いいでしょう とにかく その後 方法を教えました 彼らは毎日私に しつこくせがむので とても厄介でした 彼らがあまり 頻繁に来るので  問題が起きるからです お寺の人はみな 私のことを知り 彼らが来て言いました

偉大なマスターはどこ 彼らはこう言いました 「その人はフォルモサ (台湾)にいます」 あるいは「その人は 街に 中華街に出掛け 後で帰って来ます」と それから 彼らは 彼にお寺のマスターの 本を渡しました 彼らは「いえこの人は チンハイではない」と それで 彼らは私の 名前を作りました 彼らはうるさく 今度 お寺にいる全員が 知ることになりました 私は偉大なマスターに 突然なり  彼らを教えねばならず 静かにするように 「二度とここに来て 邪魔しないで」と言い サンマットとその他 全てを教えたいわゆる インドのマスターが アメリカに来た時 再度この団体を連れ 彼に渡して こう言いました

貴方に従う人々がいて この事を学びたいと 望んでいます  印心を与えて下さい」 既に彼らに渡し こう言いました 「さあ 彼に従って」 彼らはすぐ従いました そこに座り 暫らく彼の話を聴き お辞儀をしましたが また私の所に戻り 言いました「違います 私のマスターは あのマスターでなく 貴方に従えと言った」 わかりますか フォルモサ(台湾)から アメリカに 逃げても 問題が起きました インドに行っても 問題が起きました なぜかある人はいつも 私を見つけ出しました それで問題が起った のです 

いいですか 今までは 私の話です なぜ教えるようになり いかに出て来たか 分りましたね それで今は 逃げられません 様々な方向から より多くの力で 引っ張られるから 前は数人だけで 私は出て来なければ 休むこともできない 十分お聞きしたと 思いますので 他の友人が お話する時間を 残しましょう ええ 彼らが私に 聞きたければ 彼らは今 質問はありません 以前 学びに来た時 沢山の質問が ありましたが 印心後 二、三か月 または 一、二年 落ち着いた後は 質問が全くなくなり 突然何もかも はっきり分かります

或は これらの質問は 本当にまったく 重要でなくなります 考えもしないでしょう はい その通りです 他に質問ありますか よく理解できたと 思います なぜなら 私は ここに来る前 チンハイマスターと 法門 いわゆる法門等 全く 知りませんでしたが 今は 物事の整理が 出来たようで これ以上質問する ことがありません 仏教徒は クリスチャンでもあり つまり教えが違うとは 思いません 十戒と 仏教の五戒を 比べたら同じです 殺生しない 盗まない 嘘をつかない 酒類を飲まない 薬物を使用しない 邪淫しない そうですね

他のはただ 詳しい解釈か 弟子たちの 歴史上の出来事 彼らはマスターに 追随した時 マスターが在世の時 記録しました 聖書の中にあるように 多くの戦争と 部族間の戦争について 語っています それは教えには 属しませんが  そのマスターが 在世の時その事が起き たぶん弟子達をも含め 彼らはそれらを 記録したのです 仏陀が生存中のように 彼の部族と 他の部族の間で 戦争があり 弟子達は 両者を鎮静するよう 彼に言いましたが 「彼らの悪い カルマ(報い)だから そのままにしよう」と 仏陀は思いました でも弟子が強いるので 彼はやって来ました

でも成功しなかった すると 彼の弟子は 超能力のある 一人の弟子は たぶん 仏陀は役立たない事を していると思い 彼は自身の超能力を 使って 部族を 自分の托鉢碗に 入れました 時間が経過した後 それを開けたら もう大丈夫だと 彼らは戦ってないと 彼は考えました でもそれを開けた時 内は血だらけでした 彼らは内で戦っていて 内面のミニスペースで 彼らは内部で ミニ戦争をしてました だから同じことです 彼らはそれも記録し でもそれは仏陀の 教えには属しません 仏陀が言われた事では ありません

彼の人生では 他の多くの事が起き 誰かが彼を殺そうとし 辱しめようとする等 何でも記録され  私達はそれを 聖書と呼びます 皆さん満足しましたか 時間をさいて下さり ありがとうございます いいえ 構いません 喜んで 私が健康なら いつでも 人々に会いたいです 時々健康状態が 思わしくないし 話しすぎて 声がかれるのです みんな個別面会を望み そして もっと多くの人が 望んでいます でも彼らには 特別な目的がなく 「ただ彼女に会いたい それだけ」などと そして 私が 知りもしない 弟子たちは言います 「彼女に会いたいなら じゃあ明日 あなたは 彼女と三、四時間 面談します」とね

でないと 私の家は いつも人々が出たり 入ったりします 私は映画俳優のように なりたくありません なりたくありません 人々が来て サインを求め そして 出て行くようにね だから  目的のない 本当に 情報を捜すのでない これら人々とは 単独で面会しません 私の時間も 限界がありますから 私の声は講義のため 大事にせねばならず ここは二つ目の 国にすぎない 他の多くの国々へ 行かなければ なりません その場合に備えて 健康に留意します 人々に会いたくない のではありません

まさにこの仕事を しなければならない 私は公の前に出るまで いつも とても内気でした いつも恥ずかしがり 今でもやはりとても 恥ずかしいのですが 仕事が私をせき立て しなければなりません そして弟子たちの愛と 誠実な人々が 私の内気を 和らげるので 仕事ができるのです 私は驚きます とても驚きます 数千人の前に座って 恥ずかしさを 感じない事が ええ 私はそうする事が できなかった そして以前 話せませんでした

私は多くを話す人では なく 雄弁に全てを 表現できる人では ありませんでした 思いも寄らなかった だからとても驚きます そうです とにかく 神の手配です ええ それは完璧です

 
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