智慧の言葉
 
愛こそ真の生命の本質‐1/2 二〇〇〇年四月三〇日、マレーシア クアラルンプール(マレー語)    Part 2
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皆さん 私達の多くが 長い間探し求め  今日希望を膨らませて ここにやって来ました 熱心に真理を 探求してきた人達は その耳に音楽を聞き この探求が終わった ことを知るでしょう 私達の前におられる スプリームマスター チンハイは 遠路はるばる ここに やって来られました 私達に 名誉も富も 何も求めていません 唯一 求めているのは 瞑想を 忠実に行うことと 自他ともに 傷つけないことです スプリームマスターが もたらす愛の メッセージを生まれて 初めて聞くように 耳を傾けましょう 皆さん どうぞ スプリームマスター チンハイを お迎え下さい

どうもありがとう 皆さんとこの国に 神のご加護を 大変美しい国です 大変美しいです とてもきれいで とても繁栄してますね 今日空港から市内へと 観光をしてきました 前にマレーシアを 訪れてから久しぶりに なります 皆さんの 国は発展しました より沢山の建物が建ち より繁栄しています 全てが良くなってます 私はとても嬉しいです タクシーで言いました 皆さんの為に嬉しいと 私の実の国では ないのに ここの人々が幸福で 豊かで自由な生活を しているのを見て まるで自分が マレーシア人のように とても嬉しく思います 本当にそうです

神 仏陀 アラーに 感謝せねばなりません 私達の国を ここの人々を これほどまで加護して くれているからです ここの人々は 大変規律正しく とても高尚です それで私は一体ここで 何をすればいいですか 皆さんが全員 すでに仏陀です 再びマレーシアに戻れ とても光栄に思います ありがとうございます まず神に感謝し マレーシアの私達の 兄弟姉妹に感謝します 彼らは 大変気持ち良く 寛大に私達をここに 招待してくれました そして今宵 神と 人類への愛と貢献への 覚醒を実現するために とても一生懸命 働いてくれました 私のために 彼らにも 感謝して下さい

もちろんマレーシアの 修行仲間だけでは ありません 彼らは フォルモサ(台湾) アメリカ オーストラリア シンガポール タイ 日本からも来ています とても沢山の国の人が 今宵 集いの準備を 手伝いに来ています やはり彼らにも 感謝しましょう 私達は兄弟姉妹で 実際は一つですから お互いに何をしたかは 関係ありません 自分のためにするのと 同じなのです 私達は 愛し合っていますから それこそが命の本質で 命の本質は愛なのです 神 仏陀 アラーの 本質は愛なのです 愛以外 何もありません 私達が愛を選択した時 それこそが 最高の選択で 最も高貴なる選択で それは私達の 本性なのです 

私達は 神や仏陀を非常に 身近に感じるでしょう 私達が人生において 出来る選択は沢山あり どういう選択を したかによって 私達はその選択が現す 存在になるのです 時を超え繰り返し  何度も私達は異なった 選択をしてきました 人間や天使になったり 天神になったり 神と一つになったり また再び 人間の生活に 戻って来て 全過程を再び思い出し 学んだりするのです 私達が思い出した時 私達が神から やって来て 私達の内に 仏性や聖霊が 宿っていることを 再び学んだ時 その時に 私達は 悟ったと言うのです 沢山の経典があります

過去のマスター達の 沢山の聖なる教えが 私達は神の子であり 神と一つであり 私達は仏陀である などと言っていて 私達一人一人が その事を知っています しかし 思い出すのは また別のことです 私達の聖なる品性 神的本性を 思い出すには 話したり 聞いたり ただ信じたり するのではなく 知り 見て 実際体験をすることが 必要なのです それで本当に解ります 単に愛を語っても 愛を知っている訳では ないからです 水のことを語っても 水を味わった わけではないのです 砂糖の甘さを話しても それがどういうものか 分らないでしょう

実際に水を飲んだり 砂糖を食べたりして 自分で味わえば その時 本当に 知ったことになります ええ私はとても幸せで とてもワクワクし とても驚いています 皆さん全員が神で 仏陀なのです でも 中には 知らない人がいます 神を知り 自分自身を 知ることは 手の平を 返すのと同じです そういうことです 前を見るか 後ろを見るか というようなものです 前を見れば 私達は神を見 自分自身を見ます 後ろを見れば 世俗的な人間 肉体を 持った存在を見るだけ これをどう説明して いいか分りません 皆さんを愛しています 皆さんが本当に神で あるという認識を私に 与えてくれたからです

とても簡単です 皆さんは この知識を消せません しかし皆さんがそれを 無視する選択をし 神や仏陀であることを 忘れるのを 選んでしまったのです はっきり分りますか 私が言うことが 分りますか (分ります) 少くとも自分が神だと 受け入れてくれました 神様 ありがとう 今皆さんが 手の平を返せば すぐに自分が神だと 分るのです そうは言っても それが難しいことは 分っています しかし 不可能はありません 私に分ったのですから 皆さんにも分ります 修行仲間に出来るなら 皆さんにも出来ます 私達の中には 神以外の何も 存在しないからです 全経典がそう言います

今 思い出したいか 否かは私達次第です 皆さんが思い出すのを 助ける為ここにいます 神は 何千もの太陽を 一緒にしたものよりも 明るい光で あらゆる幸福と 充足感で 私達の魂を 満たしてくれる 旋律です 私達がどこにいようが どんな人種や国籍でも またどんな生い立ちで どんな宗教を信じて いても関係ありません 神に触れたいと思えば 私達の一人として 神は姿を現す こともあるのです 例えば イエス 仏陀 ムハンマド シークグル マスタークリシュナ等 彼らは皆 神の 個別化した 化身なのです 私達が愛し 見 触れ 信じられるようにです

こうしたマスター達の いる境界まで 意識を 高められれば 依然 彼らと接触できます そこはこの惑星の 物質的意識よりも 高いのです 私に出来れば皆さんも 修行仲間に出来るなら 皆さんにも出来ます 今も起こっています 千年前の事では ありません 良き知らせとは私達が この体系と一つであり この神と一つであり 私達が見 私達が夢見ていた 想像でき得る すべてのものと 一つであることです 私達がそのものです 私達が この会場の観客の 一人でありながら なおも全聴衆と 全体を成すのと 同じです 私達は個々で ありながら 同時に ここに集っている 人々と 全体を成して いるのです

それで神を見神を知り 神の事を話すことでも 私達にとっては ごく普通の事です いいでしょう さて 私達の中には既に 沢山の選択をした 人がいます 無知な人になる選択を することもあります 私達が神と一つであり 神が私達の内に宿る ことを忘れる選択を することもあります 時々私達は いわゆる 神的ではない事 愛とは正反対の事を してしまう選択を することもあります そうやって私達は 色々な事を選択します しかし今回は より高い覚醒 自分達についての より高い記憶を 選択 する時かもしれません あらゆる低レベルな 事をしてきたからです それで 慈しみ深い 兄弟姉妹が 再び 自身の偉大なる本性を 思い出す事を選ぶなら 皆さんに奉仕できて 大変光栄に思います これこそが私がここに やって来た目的です

どこに意識が あるのでしょうか 意識はどこで無意識は どこにあるのですか それは全てここにあり 自身の中にあります

私の望みを 叶えて下さいますか 私は中国出身で貴方に お目に掛かりたいです 中国で会うことですか

それは大変良い 要請です

それはそこに 行くという問題でなく 私がそこで何が出来る のかという問題です 私がそこでこんな風に 全く堂々と友好的に 皆に会え 皆の家で 出来るなら結構です この地球上のある 所ではそれが必ずしも 可能とは限りません

今日まさしくその事を 皆さんの国の 道を走りながら 言ったのです タクシーの運転手に 「ああ何て自由な国で 発展した国でしょう マレーシア人である 事を感謝すべきです」 私は彼に言いました 「マレーシア人である 事を誇りに思うべきで こんなに素晴らしく 自由な国ですから 誰もが信じたいものを 信じ 全てが自由で あなたはここで非常に 良い待遇を受けていて 国はとてもきれいで 素晴らしいです 必ずしもこういう国に 生まれられるとは 限らないのですよ」と すると彼は嬉しくなり 言いました 「そうです 当前の事と思ってたが 本当にそうです マレーシアは 素晴しいです」と ここに来るまで高速を 走って来ましたが まるで ヨーロッパか アメリカのようでした 高速道路はとても広く 整備が行届いてました すべての国が こうであるべきです 皆さんの国のために 神に感謝しましょう

親愛なるマスター 目を開けたままする 瞑想をどう思いますか ええ それは目を 開けてする瞑想としか 思いませんが そう思うだけです 目を開けてしようが 閉じてしようが 自分の本性や神が 見れるような方法で 瞑想する方が いいのです 目を開けるか閉じるか という問題でないです でも なぜ私達が目を 閉じるか説明します その方が集中するのに より良いからです 肉眼では よく見えないからです 私達は 魂の目で 智慧眼で 見るべきなのです それが真の見る事です 同時に両目が 機能していても 構いません

私達がそのレベルに 到達すれば 目を開けたままでも クッション等に あぐらをかいて 座らなくても 神が 見えるようになります 運転している間も 皿や服を 洗っている間も 下校の子供を 迎えに行ってる時にも 神を見られます しかし初期の段階では 私達にとって 私達の集中にとって 耳や目など すべての肉体的器官を 閉じた方がいいのです

世俗的な事への散漫を 最小限に抑える為です ここに座って 「よし瞑想しよう」と 言っても このように 目を開けていたなら ブラザーが 上がって来たり シスターが 降りて行ったり 色々 走り回ってたりしたら 集中はとても 困難になります 初期においてはです 親愛なるマスター 神が全能全備で 全く完璧であるなら なぜ神は完璧な世界を 創らなかったのですか そうすれば 全人類が 天国で暮らせるのに 神がより良い世界を 創らない理由ですね そうすれば誰もが共に 平和に暮らせるのに そうです そうです

そうすれば 何の 楽しみもありません それこそが 創造の目的なのです 私達が皆同じとします 「どの星から来たのか」 という映画を 観たことがありますか 観たことはないですか まだマレーシアでは 公開されてないですか そうですか これから 公開されるのでしょう

一種のSF映画ですが 本当にあるとしたら その星では 皆がそっくりです 女性は存在しません そういう場所に なって欲しいですか 男性だけしかいなくて すべてがそっくりです 皆がそっくりなのです 車が全部そっくりで 家が全部そっくりです 服も全く同じなのです それでいいですか そうです 可能です ええ 選択肢が あるのですね そういう場所を 好めば可能です 私達がここで提供する 瞑想をして下さい そうすればもっと沢山 選択ができます 今は 私達には多くの 選択肢はありません 自分が神であり 創造主である事を 忘れ去ったからです

自分が望むものは全て 創り出せるその力を 忘れ去ったからです ですから 自身に戻り 悟りを開き 神なる 本性になりましょう そうすれば沢山の物を 創り出せます ですから 皆さんが 平和な世界を望めば そのようになります 皆さんは意識の 平和なレベルへと 上がれます そこでは全てが平和で 苦しみという言葉すら 聞くことはありません 彼らの辞書には 苦しみ等という言葉は 存在しないのです でも私達がこの物理的 惑星のここにいるなら 私達が選択できるのは 単にここに ある物だけなのですね はい 創造にはとても 沢山の段階があります

聖書の中でイエスが 言っているようにです 「天なる父の家には 沢山の部屋がある」と 部屋とは 意識レベルのことです ここでは私達は物理的 意識の中にあります ですから私達は自分を 人間だと思うのです 他の選択肢はなく 天国とか いわゆる 地獄とかへの 他の 接近手段はないのです しかし私達が他の道を 「魂の道」を使えば 私達は天国に上れます 生きている衆生の違う 段階を知り 地獄へも 降りて行けます そこで苦しんでいる 人々を助け 連れ上げるためにです これらは 悟りに到達した時に 出来る選択です ありがとうございます
マスター死んだ時に潜在意識も 持って行くというのは 本当ですか ええ 私達は 常に潜在意識を 持ち歩いています 生きている間もです もちろん 死んだ時 それだけが 唯一残るものです  いわゆる「死んだ」後 私達の頭脳の意識は 失せてしまいます ですから 死の瞬間 私達は自分 自身を騙せないのです 私達が生きている間に したどんな事でも 私達の潜在意識が すべて記録しています 世界の誰一人知らない としても潜在意識が 知っています それで私達が死んだ時 肉体の殻を捨て去る時 すべてが透明になり 私達は間違いなく すべての事を知ります 皆が知るのです

全宇宙が間違いなく 私達がしたすべての 事を知るのです ですから 私達は 他の誰も知らなくても 自身の身口意を清浄に 高貴にしておくよう 心掛けねばなりません 第三の目はその能力を 向上させ 神の光を 見る為開く必要がある というのは本当ですか そうです そうです 本当です 実際 それは単に 言葉上の事なのです 智慧眼は常に開いて いるのにそれを使って 見ることをしません 私達が通常使っている 肉眼 物理的な耳 肉体は 天国の能力を忘れて しまっているのです それで私達は自身の 事が解らないのです

あなたの認識では 私達はどこから やって来て どこへ 行くのでしょうか ええもうお分りですね 私達は天国から来て また帰って行くのです 親愛なるマスター 一日二四時間 神に 完全に目覚めている ことは可能でしょうか ええ 可能です 完全に神と同一体の レベルに到達すれば 私達は常時 神の意識でいられます というのは 私達は 頭脳を使いませんから 心を使わないのです 私達は魂を使います 私達の真なる本性 神と同一体である 本性を使うのです ですから二四時間誰が 覚えているでしょう もう同一体なのです そして一方で 私達は 運転や 家事や仕事などの 俗事をするために いわゆる頭脳の注意を 分けられるのです マスターチンハイ 真のグルや師は どう見つけ出せますか

それを見つけるのです あなたは今生も死後も 導いて下さいますか ええ あなたの許可を 頂ければです はい あなたが完全に 独り立ち出来るまで 離れたりしません 助けを呼ぶうちは まだ助けが必要なので 私は必ずあなたの為に そこにいますが あなたが自由になれば 完全に自由になれば あなたはもう自由です ありがとうございます マスター エドガーケイシーが 私達はこの世界に戻り 過ちを正し完全を求め 神にもっと近付くべき であると言っています それは本当ですか 人間一人一人の運命は なぜある人のはとても 大変で 又ある人のは  とても楽なのでしょう

ええ ケイシーは正しいです 運命について言えば 大変なものや楽なのが あります 私達がそう 選んでしまったのです それぞれが この世に降りて来る前 違う役を演じるために 選んでしまったのです 創造を彩り 活発にし 変化に富んだものに するためにです でも 私達がその 演じる役を選んだ時 自分達の神性を完全に 忘れねばなりません 自分の役を演じる為に 私達の持てる力の すべてを忘れなければ ならなかったのです それで ある人には 大変に見え別の人には 楽に見えるのです

それは 私達がした 選択ゆえなのです マスター 瞑想中は 一定の姿勢を保たねば ならないのでしょうか その方がいいです そうすれば より良く集中できます あなたがずっと 動いていたら 初期のうちは 注意散漫になり 一点集中に 到達するのが困難で  そうすると肉体を 超越して上昇するのが 困難になります ずっと静かにしてれば その方が楽です でも後で 自然に 出来るようになります 自然になり 座ると すぐに入れます 静かにしている努力は 不必要になり 静かで その体だけが唯一後に 残るものだからです

そこに死体のように 座っているのです 魂は天国に行って 楽しんでいます 親愛なるマスター お話になりたい音とは どういうものですか それこそ創造の力です 相応しい言葉がなく 音と言わねばならず それは音楽によく 似ているからです 違いと言えば楽器を 用いないことと肉体の 耳を使わないことです

イエスは癒し 目や 足の不自由な人を治し 他の奇跡も行いました それならなぜ 私達が他を癒すのは 間違いなのでしょうか 間違いではなく貴方が イエスでないからです イエスのレベルまで 到達すれば そう いう事が出来るように なるかも 今は全部の エネルギーを節約した 方が良く それで彼の レベルに到達でき 単なる癒しより更に 良い事も出来るのです 堕胎をすると どうなりますか 私達の祈りで 彼らは 利益を得ますか 赤ちゃんを堕ろせば もう赤ちゃんでは なくなります そうなります 彼らのために祈れば もちろん 彼らは利益を得ます

そういうことは悟りの 妨げとなるでしょうか ええ 彼らにした事 への説明を 彼らが 理解できればですが 私達が命を葬れば 必ず自分により深い 苦しみと害の原因を 作ることになります 殺された者が被害者 ではなく私達の方が 深く傷つくのです 全生命が一つだと 知らないからです 親愛なるマスター 私見を申し上げると あなたは実際私には 大いなる悟りを 開いたマスターです 私は心からこの質問を したいと思います 私達の世界では 陰陽のバランスが なければなりません 同性愛者も霊的成長を 遂げ悟れるでしょうか どうぞ悟りある お答えを下さい

もちろん問題ないです 肉体的にゲイなだけで 霊的にはそうではない と思います  同性愛者も人です いいですね ちょっと違うだけです 男性になる決心を 男性になる決心を した人がいます 女性になる決心を した人がいます 中間で止まって しまった人もいます そういう人を同性愛者 と呼ぶのです 彼らは 他の人と全く同じです ですから 悟りは肉体とは 何ら関係ありません 悟りとは 皆さんの本性の覚醒 なのです いいですね ですから 同性愛者で あるかないかで 何ら区別をしないで 彼らはちょっと違った 種で違った衆生で この世にやって来る前 別の目的で 違った 選択をしてきた人です 自分を同性愛者だと 思わないでください 自分を仏陀だと 思って下さい 同性愛者の仏陀かも しれないが 仏陀です ありがとうございます マスター あなたは 彷徨う魂を信じますか

私達の夢に入ったり 私達を助けようと意思 疎通したりするのです この問題に直面して います 助けて下さい ええ 私達が彼らと 縁があれば 彼らは そうする事もあります 祈って下さいね 神に祈り その魂に 言って下さい 彼らも自分達の 存在レベルで 悟りを求めより高い 意識レベルへと 上がるべきだと この物質界で ウロウロして 人に迷惑を掛けずにと 彼ら以外に 彼らを助けられる 存在はいません 彼らに言って下さい 彼らは理解します あるいは彼方が信じる マスターを彼らに 紹介すれば彼らは その人の所へ行きます 親愛なるマスター 神が私達の中にいる ということに賛成です

どうして貴方はいつも 仏陀やモハメットを 神と比較するのですか 彼らは実際 神の使者ですね 彼らは神の使者です その通りです でも彼らは何れにせよ 神と同一体なのです 神 仏陀 仏陀 神 私にはもう誰が誰だか 分りません ですからご自分で 彼らに誰が誰か聞いて 私達が神と 一体であるように 彼らは神から来て 神と一体なのです ですから私が 仏陀が神であり モハメットが神であり 貴方が神であり 神が 貴方であると言っても 大した間違いではない ありがとうございます 親愛なるマスター 私の瞑想中の 注意力はいつも メチャクチャです

何回も努力して みましたが ほとんど そうなってしまいます 完全に集中できる 最良の方法を 教えて頂けますか 貴方の写真の目を 見つめてもいいですか マスター 大変有益な お答えをお願いします 出来ます 暫くやってみて下さい 自分の好きな音楽を  かけてもいいです  穏やかなのをかけて あなたが好きな マスターの教理を かけておいても いいでしょう それがあなたの 神経をなだめ より集中し易く してくれるでしょう 暑く感じるようなら 水を一杯飲んで下さい 暑すぎるなら座る 場所を変えてもよく 時々 肉体的な不快さで 非常に散漫になる こともあります

自分の部屋を快適に しておいて下さい 明る過ぎないように とかそういうことです 自分の身体が 快適になるように 気を配って下さい そうすれば 更に良く 集中できます マスター 第三の目で 将来起こるであろう 事や 日々の生活の問題を 解決するため過去世を 見たり出来ますか こうするのには どうしたらいいですか そう出来ますよ 出来ますが それは自然な流れです 例えば あなたが 観音法門の瞑想を すれば あなたの 智慧眼ははっきりとし 何の努力も必要とせず そのために智慧眼を 使う必要がなく 自然に問題を 解決できるように なります

より聡明になるのです 日々の行動がごく 自然により良い結果を もたらすように なります そして より良い生き方を取り すべてに対しより良い 気分になります 神が存在するならなぜ 沢山の戦争や人間に 残酷な事がありますか なぜ神はこうした事 全て止めないのですか 戦争は 私達が神を 認識していないからで 私達が神の一部で あることを そして 私達が殺した同胞も 神や仏陀の一部である ことを認識していない ためなのです ですから 万人が 悟らねばなりません

そうすれば 私達皆が 一つであり皆兄弟姉妹 であることが分り もはや戦争は 起こらなくなります 戦争を止めるべきです 私達も神の一部だから でもそれが出来るのは それを知った時だけ ありがとうございます 親愛なるマスター 方便法と印心では 加護や効果に どんな違いがあるの でしょうか

こういう事です 印心はフルタイムの 仕事と同じで 方便法はパートの 仕事のようなものです いいですね 完全就業につけない 人はちょっとした 簡単な方法で日々 神を見ようと思って いるのです それも提供できます 完全に神を知りたいと 決心するまで 他の何を差し置いても 神を最優先にしたいと 思えるまでです それが違いです 違いは試食か 完食かという ようなものです また印心を受けた人の 五 七 八 九世代の 親戚縁者や 友人も 解脱することです

方便法の人は 本人のみが 解脱します マスター 沢山の 偉大なグルや教師が 肉食をしていたように 肉食をしながら  悟りを深められますか 肉食をしない 本当の理由は何ですか 私達肉食をしないのは 私達の慈悲深い 本性を発展させ 覚えていたいからです 仏陀や神は慈悲深い からです 私達が再び 神になりたいなら再び 神と同一体になりたい なら 近付きたいなら 私達は神の品性を練習 しなければなりません それは全慈悲であり 全愛なのです それだけが理由です

第三の目を使って 超能力を行えますか 出来ます しかし超能力は悟りを 得ようと学ぶための 理由ではありません なぜなら超能力は小さな理由だけです 小さ過ぎます 私達は悟ると 自分達が創造主で あることを思い出し 自らの創造力を 回復するのです そうすれば もちろん 私達は 超能力も持てます しかし全体から見ると 僅かな部分に過ぎず 奇跡のみに集中すると 神の更に偉大な面 全体への注意力が それてしまいますので 悟りを開く理由として 小さ過ぎると 言ったのです

親愛なるマスター 私は 霊的な 物事に対して 大変なひねくれ者です この道からどんな 証明が得られますか 私達に何か証明が あるかどうかですね 何らかの証明が ありますか 私はずっと ひどい ひねくれ者でした あなたにはここに友が います いいですね 彼もずっと ひねくれ者でしたよ 彼を見つけて 証明を 得るにはどうしたら いいか尋ねて下さい 私はここに何かを 証明するためではなく 皆さんが偉大であると 教えるためいるのです 再びご自分の偉大さを 思い出したければ 私がお手伝いします

それこそが唯一の証明 あなたが自分のために 証明するしかないです あなたが私に従って 南へ来れば あなたは 南を見るでしょう あなたが 北に行くと言って私に 南にあるすべての物を 証明せよと言っても それはちょっと 要求がすぎるでしょう いいでしょう ではまたさようなら 愛を有難うございます

 
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