智慧の言葉
 
神を愛することは神の戒律を守ること 1/4 一九八九年十一月二九日パナマ(スペイン語)   
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皆様 こんばんは 今夜 マスターチンハイの 講義を始める前に 伝統にのっとり 果物と花を 贈呈致します これは毎回 マスターが講義を される時に 弟子が捧げることです では果物を 提供致します それでは 献花を致します 皆様 スプリーム マスターチンハイは オゥラック(ベトナム) カトリック教徒の 家庭に生まれ 祖母は仏教徒でした ですから東洋と西洋の 両方の世界の最高の ものを得たと言えます 若い頃から マスターチンハイは あらゆる衆生に 思いやりを示しました

動物に限らず 植物にも思いやりを 持っていました また大変幼い頃から ベジタリアンでした 通常子供が 読めるようになる頃 既に読み方を 知っていました マスターのお父様は 自然療法医で 非常に興味深い書斎は 哲学の本で いっぱいでした マスターは 七才になる前に 哲学の作品を 読み始めました ある日お父様は 彼女の読んでいる本は 全部理解できるのかと 尋ねました するとこう答えました 「分らないなら 単に読み続けることは できないわ」 その頃から すべての偉大な 哲学者に触れるように なりました

そして大変高潔な 生き方をしました 戦争中 助手として 病院を手伝い 患者と負傷者全員を 手伝うよう努めました 後にヨーロッパに渡り 赤十字の通訳を しました そこで多くの難民に 接しました アフガニスタン オゥラック(ベトナム) そしてアフリカ諸国 からの難民などで それで人間の苦しみに 気付きました この期間 マスターは高潔な 生き方を続け とても厳しく 菜食を守りました 後にヨーロッパに いる間にドイツ人の 医師と結婚しました 

そのドイツ人医師も 菜食になり それから 二人は一緒に 生活を共にしました ですがマスターは 真理を探し続けました 全人類を助けられる 真理を探すために 自身のエネルギーを すべてつぎ込むべきと 感じたときに 夫の元から去り 夫の元から去り 真理と開悟を 求め続ける 決心をしました 観音法門を見つける迄 何人ものマスターから 多くの法門を 試しました 観音法門を通じて 大きな開悟を得ました マスターは常に 自身の謙虚さと 大変陽気な性格で 知られていました

そして「面白い聖人」と 呼ばれています マスターはフォルモサ (台湾)と縁があった為 フォルモサ(台湾)に 滞在しました フォルモサ(台湾)では 最初はご自身の メッセージを公に したくなかったけれど フォルモサ(台湾)の 偉大なマスターは 生けるマスターだと 明らかになったために 人々がやって来たので マスターは彼らに 印心を授けました 要請にも係わらず まだこの仕事を始め たくありませんでした ですが多くの人が 印心を授けることが できると明かされた 人々から強く勧められ マスターは 数人の弟子に印心を 授け始めました

そうやって マスターは光と音の メッセージと 残りの世界のための 真理をもたらす仕事を 始めました マスターは世界中の 多くの地域で講義を しました ブラジル アメリカ  アルゼンチン コスタリカ インドネシアや マレーシアと多くの アジアの国々でも 最後に今年六月に コスタリカを訪問し そしてついに パナマの人々に 良い知らせを届ける為 パナマに来ました それでは サンホセにいる マスターの弟子の 一人に少し体験を ここで話して貰います

その真実はマスターの 弟子は皆直接 マスターの元に行く為 私達を導いた多くの 経験があるからです ありがとうございますありがとう こんばんは 今夜はマスターと 出会った体験を皆様と 分かち合いたいです 十九年前 私は 様々な法門で 真理を探していました 私はハタヨガを十八、 十九年修行しました またヒンズータイプの 瞑想を九年 禅仏教の瞑想を 十年修行しました ですが どれも私の求めている ものを与えられません 大変残念に思いました 時には絶対に得ないと 自分に言い聞かせて 殆ど不可能でした

でも同時に 光を失うことは生きる 感覚を失うことです 去年の六月に 六月四日に マスター チンハイに会いました 最初の数分間 マスターの目が語る 言葉を通して 私のマスターは 彼女こそが長い間 探していたマスターで あると明かしました その後 印心を授かり 一連の驚くべき 体験が始まりました 印心のとき 私の心と頭脳は 何が起きていることと 速く同化することが できませんでした 私は泣き始めました しばらくして 何とかマスターの 導きに成熟しました 現在人生は滑らかに 感じ自由に感じます

私は身体に縛られて いるのを感じません 私は物質的なことに 執着していると 感じません 私は他者への愛を 感じますが 人に愛してくれと 見返りは期待しません 観音法門は 私が求めていたものを 私に与えました この法門を通じ 神へと導かれる力を 与えられました 私は神と一つになり 真我に気付きました そこから知識は 現れます そこから真の智慧が 出現します 本からではありません 私はしばしば個人で マスターに尋ねること なく知っていました 私の内なるマスターが 伝えてくれたからです

今夜皆様にお伝えしたかったのは以上です 有難うございました 皆様  光栄にも 大変光栄にも 今夜 チンハイ大師 スプリームマスター チンハイの メッセージを 皆様にご紹介致します ありがとうございます こんばんは 私の兄弟姉妹の皆さんこんばんは 今夜 私の兄弟姉妹に 会える名誉をあずかり 神に感謝します また皆さんの貴重な 時間と愛ある注意に 感謝します この神聖な集いに 来る前に 私はナザレのイエスの 生涯についての 本を読んでいました

そして読み終えて いないのに イエスの生涯 智慧と犠牲は 私の心を最も高貴な 感情で満たしました またこの高貴な 集いに来たので 私の目はまだ 涙でぬれています その涙は ナザレのイエスへの 計り知れない愛と 敬意から来たものです 人間の歴史において 私達はイエスのような 高潔で貴重な存在とは めったに出会える ものではありません 何がイエスを 数百 数億もの 何世代にも渡って 人々の心で不滅で いさせるのでしょう イエスが行ったことは 奇跡ではありません

それはイエスの智慧と 思いやり 慈悲と 高徳の 彼の教義でした イエス行った 奇跡は 短命だったからです またたとえ彼らが 偉大であっても 私達の知性に 多くの印象を 作れませんでした ですからイエスを 人々に愛され 尊敬されるように したのはイエスの論理  智慧と思いやりでした 人々の病を癒すには それができる人が 大勢いるからです ある人々が 音楽や絵や 文章を書く等の才能に より多く授かるように そんな癒す力を 授かった人もいます 一般の医師の中にも 他よりも才能がある 医者もいます ですから

イエスが病を治したり 盲目を癒す時 人々はとても 大いに驚きました でもそれらのことは 私達がよく考えると 不可能ではありません ですからイエス自身も 断言しているように どんな奇跡があっても 幾つかは イエスより前にもあり イエスの後 未来の他の人々も 持っているのだと ではイエスの伝説を 一緒に調べましょう そして彼の教理に 従うよう熱望し いかなる苦痛 誤解からも解放される ために そうして 神に近づくのです

イエスは言いました 「唯一の偉大な神」 この神は永遠に慈悲 深く 賢く 愛情があり 彼は 「私の父」と呼びます または「私達の父」と ええ その神は 私の父でもあり あなたのでもあります よって同じ父を持つ 原則によって私達は 兄弟姉妹になります あなたの信念 信仰や 理解や 社会的地位は 関係ありません 皆 異なる信念があり 異なる思考があり 時に 彼らの 限られた智慧や 周りからの 影響に よるからです

私たちの智慧と 思考を高めることで 私たちは自由になり 全ての先入観から 先入観のある 思考から 自身の無知から 自由になるのです 私達を自由にするのは 奇跡ではなく 私達が理解し 従うべき 教義なのです 私達はただサマリア人 女性とイエスの 物語を思い出そうと します イエスが人々に教えた教義の 一部を 調べるためにです イエスがこの女性から 水を欲しがった時 水を欲しがった時 女性は彼に言いました 「あなたが ユダヤ教徒なら 水をあげたり 話す ことは許されない」

しかしイエスは彼女に たとえ容姿が 異なっても 皆同じ 父なる神であり 兄弟姉妹が お互いが必要なとき 面倒を見て 助け合うのは 義務であると 神は 気を悪くします 彼がのどが渇いて いる時 姉妹が 水をあげるのを断る 場面を見たなら とても簡単な 哲学に思えますが とても深いのです 全ての人種 カースト 異なる国と 異なる信念での 人々の間の違いを 一掃させる からです 常にこの原則に 従って行動すると 決して間違った人生は 送らなくなるでしょう この原則は何を 提示しているのですか 人間の兄弟愛の 原則でしょうか 私達が皆を 兄弟姉妹のように 扱ったら すぐに すべての違い すべての憎悪 すべての誤解が 消えるでしょう それで私達が毎回  行動を取るたび 神が私達の行動を どう思うかを 反映させるのです 神を喜ばせるなら 私達がしている事は 正しい事です どんな行動が神を 喜ばせるでしょうか

兄弟姉妹を助ける どんな行動でも良く 苦痛から和らげ 彼らの言葉 身体 思考を悟らせることが 神を喜ばせます また兄弟姉妹に 害を与えない どんな行動もです 皆さんは知っています しかし時に 多くの人々にとって 知識を 実質的な行動に 移すのは難しいです ですから戦争があり 憎悪があり 沢山の殺害や 悲しい事が世界中で 起こっているのです 私はイエスの人生を 読んで とても 感銘を受け  また彼の人間に対する純粋さの展望にも 感激しました

もちろん 彼の高潔な考えが すぐに終結するのは 悲しかったです それでもなお 彼は私達に従える 永遠の原則を 残してくれたのです この原則の 最高位で 最も前にくるものは 「最初に神の王国を 求めよ すると すべての物事が 汝に加わるだろう」 「すべての物事が 汝に加わるだろう」 これは最高の道徳で 最高の原則だと 思います 同様に仏教では 仏陀もこう言いました 「まず開悟して 仏陀になり そうしたら人々に 奉仕できる」と 例えば  中国人哲学者の一人 孔子は言いました 「まず  自分自身を知り  自身を磨けば  家政の世話ができて そして国を 統治でき そうして世界を 平和に出来る」

同じような考えが 異なる国異なる言語で 表現されています ほとんどの 大多数の宗教で 見ることができます 最高の原則は まず 「自分を知る」ことで つまり私達の中にある 神の王国を求めること 聖書には「神の王国は あなたの中にある」と 述べられていて 私達は 神の寺院であり 神以外の何者も 内在しません 仏教の教義も 同様に述べています 「仏陀はあなたの心の 中に住んでいる」と あなたの内という意味 では この仏陀や 神が中に居ることを 忘れたら  もちろん私達は 沢山の不幸や悲しみに 直面します

自然の法則を 無視したせいで  神から私達に贈られる 智慧の不足の せいなのです ではどのようにして 内の神が無知の私達に 引継ぎを許すのですか どのようにして 中に眠る仏陀が 私達に沢山のいわゆる 悪行を取らせるのか 私達が元々の栄光を 忘れているからです 神を忘れ 私達はこの世界の 状況に影響され 過ぎていて この劇の中での 自分を失っています この智慧と栄光と 本性を 取り戻したら 再び 人生を統治できる でしょう

智慧によって得た物は何でも 永遠に私達に影響し それは本性から 自然に来ているから 自身の本質から 来ているのです 神の王国とは この 智慧という意味であり すべてを知っていて すべてを調整でき 最も高潔な 思考と感情で それ自身で 表現できているのです 表現できているのです 神の王国を 知ったとき 法則も知るでしょう 法則を知らないで 間違った行いを したら  自分自身に 問題を起こします 例えば  この国に住んでいれば 国の法律を 知るべきです

法律を破ったら 問題がおきます 私達の人生は 危険にさらされ 妨害され 困難な状況になります 神の法則を 分析すると 例えばこれらは モーセや 聖書やイエスによって書かれ 彼らは私達の 期待と理解によって できていることを 知るのです 仏教や他の偉大な 宗教も 同じ法則です 人々を守ろうとし 人々を啓発し 人間の純粋さを 保つなら どんな法則でも 神の法則であり 神の法則は決して 人間に反していません

神は 宇宙の中の規則を 制定した際に 遵守しねばならない 一定秩序を作りました それは 私達が 高速道路を作る際 あるいは多くの道路を 交通と輸送を 便利にするためですが 人々を守るため 運転手 歩行者を 守るため 一定の 交通法律を作り 社会に強制施行し 取り締りを しなければなりません これらの法律に従って 運転すれば 事故に遭いません 従わなければ 事故に遭います ケガをし  命を落とすかもしれず自分自身と 親戚や 友達に苦しみを 招くでしょう

ですので この世の 全ての苦しみは神に よるものではなく 神は私達を試しません 不幸と苦しみは私達の 信心と献身を試そうと 神から送られません いいえ 私達自ら作りました それでこう言います 「自ら蒔いた種は 自ら刈ることになる」 どこでも 私は人々が どんな事でも神を 責めるのを聞きます あなたの事故なのに 交通法を作った人を 責めるのと同じです 少し多く飲んで 右側ではなく 左側で運転したら それは政府の過ちでは ありません

私達の過ちです 法律では 飲酒運転を禁ずると 言います 法律では左側ではなく 右側を運転することと 言います 私達は法律で 守らなければ トラブルが起こります 法律は 「殺してはならない」 と言っているのに 見て下さい 祖先が 多くの国々でした事を 私達の一部の兄弟が 未だにしている事を 神の名 イエスの名の下でさえ 彼らが敢えてお互いに 戦争をすることは これは非常に 残念でなりません これは神の意思でなく イエス キリストの 意図でもありません

ある人は他人を殺し 他人は彼らを殺し 子ども達は彼らを殺し 他人の子ども達は  復讐する このように 終わりがありません 戦争はその国の中に 沢山の災難をもたらし 戦争は 国の経済構造を弱め 人々の体力を弱め 彼らの道徳性も衰え 彼らの信心も低下させ 多くの人々が再び 神を責めます 彼らはこう言います 神がいるなら どうして神は 戦争を進行させ 人々の殺し合いを 無視するのか などと
今 現在起こっている 事があります

例えば  私達の世界に影響した 天気の変化 食糧不足 あらゆる病気など 一部の 殆ど信心のない人々は 再び神を責めます 私がどこに講演に 行っても 聞かれます 神がいたら そうしてあれこれ あれこれの災害が 起きるのでしょうか けれどその人々は これらすべては 神の仕業ではない事を 思い出すべきです 私達自身がこれらの 苦しみを作ったのです 例えば いくつかの国がいつも 原子爆弾と水素爆弾の 試験を行い 大気の構造を乱し 地球の安定性を 揺さぶります 彼らは空気に 打ち出しただけだから 問題ないと考えるか 海の中でやれば 問題ないと考えますが

やはり問題を起します なぜなら宇宙は 多くの種類の材料で 構成されているので 固体の物質や 見えない物質 それで見えない物質を 乱すことにより 宇宙の安定性と 自然界の自然な進化も 妨害するでしょう 例えば 家を建てたとして 窓や ドアと いくつかの空室付きで 一つの場所が壊れたら 部屋の温度が 変ります 夏でさえも 夜になって 空いた穴が 修理されなかったら 非常に寒いです なぜなら時々 冷たい風と冷たい雨が 入る事があるからです 神は原子爆弾を作れ とは言いませんでした

どの聖書にも 神は人類に このようなものを 作るような教えはなく その神は人類に 武器を作って殺し合う ように教えません 皆さんこう言います 経典のある部分には 戦争があり その戦争は 神が その子供達の敵を 滅ぼすために 作ったものだと しかし 神は そんな本質ではなく その子供達の敵も 神の子ども だからです 私達は皆 神の子供です

嫉妬深く怒りやすい 神として紹介されたら 真実ではありません 普通の人間でさえ この神より 慈悲深いし 決して 怒らない人もいるし 嫉妬とは何か知らない 人さえいます 誰か神を人間より ひどく描いたら 崇拝できないでしょう 私達 普通の人間でさえ 怒りと嫉妬はよくない ことを知っているのに たとえ時々 過ちをしても 怒ったり嫉妬したり すると恥ずかしく感じ 後悔します ですから 神 天父 最も権威が高く 最も慈悲深い 最も愛情のある 最も全能なものが このように 自然を汚したり その子ども達に対して 戦争を起したり 時には ある小さな 過ちで 神の 数千もの子供達を 殺したりしません

それは本当の 神ではありません これは想像に過ぎず 人間の特徴です ですから私達は 真の神に戻るべきです 真の神はすべての愛 智慧 許しであり そしてこの神を イエスは信者の前に 示したかったのです 私も皆さんにこの神を 思い出させたいのです その真の神は私達の 中に住んでいます 神以外に 神はいないのです

オーストラリアだけで 成人の70%が 他者の飲酒によって 悪影響を受け その43%が肉体的か 言葉による虐待の 影響を受けている

百人以上の英国児童が 毎週ホットラインに 電話をかけ両親の飲酒 薬物使用について 相談をしている

呼吸を規制する肺細胞 DNAを傷つける
真の神はすべての愛 智慧 許しであり そしてこの神を イエスは信者の前に 示したかったのです 私も皆さんにこの神を 思い出させたいのです その真の神は私達の 中に住んでいます 神以外に神はいないのです いかにこの神を探すか その教義に戻ることに よってです つまりすべての愛 許し 全ての慈悲と 全ての智慧の教義です 以前 無知で犯した 悪行を悔い改める ことによってです 二度と同じ罪を 犯さないと決意し このような真の悔い改めによって 神の光が 再び芽生えてきて 私達の過去の罪は 許されるでしょう

それが真の洗礼であり 水によるものでなく 聖霊によるもので 論理的な智慧の光に よる洗礼です だから私達が 水での洗礼を受ける時 神からの光が 何も見えず 罪と苦しみから 高揚した感じが しないのです なぜならその教義は 私達に強いることなく 智慧は私達のために 開かれてないからです 魂の中で 深い悔い改めが 起こらないからです 真の洗礼の時 或いは私達が言う 「印心」の時 神の光が見え 神の言葉が 聞こえるでしょう つまり はじめに言があった 言は神と共にあった 言は神であった

ですから真の洗礼は この言葉 すなわち この神と繋いで してくれます それは真の洗礼と 一般的な洗礼との 違いです 水を使っても 使わなくても 違いはありません 重要なのは 洗礼者が 私達自身の内面にある 印象を喚起する事です ですから 洗礼者ヨハネが 人々に洗礼を施したり イエスが 説教したりすると 人々は 他の聖職者が 同じ事をする時より 利益を得ます それは洗礼者ヨハネが 霊感や神への 誠実さや献身を 持っていたからです

そしてイエスが 彼の教理を 説教する時 それは彼自身の 深い信念と悟り そして神への愛 とても純粋な愛であり 純粋な智慧で それは当時の 一般的な聖職者とは 全く違うものでした イエスの愛と智慧は 他のいかなる世俗の 利益やこの世界の 女性や権力への いかなる欲望も 混じってませんでした 彼の生活は 素朴で真実で 彼の説教のあらゆる 言葉に真実でした 彼の説教は 有名になったり人々の 尊敬を得たりする ためではなく 神への真実の愛 神から 人類への真実の愛 人々に本当の光をもたらしたいという 彼の本当の望みでした

つまり人々の苦しみを克服するためです ひとたび私達が何故 苦しむのか理解すれば 私達は変われます 私達は理解して いない時だけ 苦しみ続けます ちょうど医師が診断し どこが病気なのか 分かれば 治せるのと同じです でももっと重要なのは 患者自身が 日々をどう生きるか 知るべきという事です 長い間 健康でいるためにです さあ身体を健康に 保つために 私達は幾つかの衛生の きまりを知るべきです

私達は何を食べ どんな運動をするか 知るべきです そうすれば殆どの 病気を予防できます 霊的に健康でいるために 私達は神の法や 自然の法が どんな物か知るべきで そうすれば健全な 智慧を保ち神のように なることができます 神はご自身に似せて 人を作ったのですから

聖書に書かれています 「完璧でありなさい 天国の父なる神が 完璧であるように」 さあ殆どの人々が 聖書の この助言に従えば 世界はずっと前に 天国になったはずです でも殆どの人々は これに従わず 神の法を尊重せず だからその代償として 自分達や多くの国々が 苦しむのです 一つ最も重要な 法があります それは 「汝殺すことなかれ」 そして私達はそれを 誤解しています

聖書に書いてあります 聖職者が 神に捧げるために 感謝際に 多くの子羊や 羊や山羊や去勢牛を殺し 聖なる寺院の その場所で それはなされたと 神の居場所を 食肉解体場にしました 神でさえ抗議します 神は言いました 「誰が全て羊や山羊を 私に供えるために 殺すように言ったか」 「あなた方自身 これらの無垢の血で 洗い流すべきであり 再び同じ罪を 犯してはならない 罪を悔いるべきだ」

皆さんは 想像できますか 偉大で壮麗な柱や 輝く屋根 大きな建物 広大な中庭 華麗な構造の 美しい寺院 そこは最も崇高な 智慧と礼拝が 集まる場所で あるべきです でもその中は 食肉解体場になっていました そして聖職者達は皆 血の臭いを嗅ぎ 肉を焼く煙を 嗅いだのです 私は知的な人々が それを非常に神聖だと 言ったとは思いません モーセは「汝殺すこと なかれ」という 神の法を定めました でもそれでさえ 彼らは破りました

ですから世界が時々 苦しまねばならない 悲惨さに対して 神を非難はできません 私達の尊敬や 愛に値する 神が生き延びる為に 牛や子羊や羊の 焼き肉に頼らねば ならないのなら 私達自身の汗や 労働や あまりにも貧しくて 自分達のため肉も 賄えない人々からの 想像できるでしょうか どんな類の 恵みや祝福を 神が与えられるか なぜならその神は 依存する神だからです 普通の人でさえ そんな依存はしません どうして神がしますか 良い心根の 親切な人々の多くは とても純粋な無条件の愛で 他の人を助け 見返りは一切 期待しません それではどう述べる ことができますか いつも金銀や 焼き肉を要求し 見返りとして 何も与えもしない神を 神が何か贈り物の前に 肉を要求するのです

これは聖職者達からの 策略で神からの ものではない筈です 神が本当に 私達が神に 全ての牛肉や鶏肉や あらゆる物を 与えても神は贈り物を くれないでしょう 「それでもOKです 十分に公正です」 でも神は与えません 見返りは何もないです そんな神です その証に 捧げものをする人でも 普通の人と同様に 病気  悲惨な状況 悲しみのため 苦しんでいることです 教会の神父ですら 普通の人と同様に 苦しまなければ なりません だから 神を ばかにする人が います 神にとって不公平です

問題は私達の誤解です 神が無慈悲で 貪欲だから ではありせん 神は法を作り 私達は守るべきです 神のためではなく 私達のためです 英語ではよく 「神のため  あれこれ やらなければ」と 言います 違います もう一度 言いますが 私達は 私達のため あなたは あなたのためにします だから その言い方を 変えるべきです 私は知りませんが あなたの国でも 「神のためこれをやる」と言いますか やはり言いますね 申し訳ないですが  真実を言うべきです 神は私達から 何も必要としません

生きる必要があるのは私達です 平和で幸せを感じる ため 秩序のある 社会を必要とするのは 私達です だから 私達のため 法律を守り 正しい行動を 学ぶのです 私達の生活を守り 心身の福祉を 高めるためにです  例えば 病気になった 時 医者に診てもらい 医者は薬を 処方し タバコを少なくし コーヒーを飲み過ぎず もっと睡眠を取り 沢山散歩して 新鮮な空気を 吸うようになどと 教えてくれます それは医者の ためではなく  私達のためです 同様に 神の法律は 宇宙の秩序 宇宙の調和のための ものです

この秩序の中にある 全ての衆生の平和と 幸せを確保するための ものです この法律を知らず この法律を破ったら 故意か 無意識かに かかわらず その結果のため 苦しむことに なります これは仏教徒が言う 「カルマ」のことです 因果の法律です これは聖書が言う 「蒔いた種は刈らねば ならない」ことです 同じことです だから 神の法は 私達を守るため 私達のためのものです 法律を覚えるべきです 神の法に反して 何かの過ちを犯した 何かの過ちを犯した としても 救済方法があります 懺悔しもう一度 やってみるのです

これが全てです すると 再び 神の王国に 迎えられるのです 私が言った すべての事は真実です 私の言葉の真実性を 試し 本当なのか どうか 懺悔は効果が あるかどうかを試し たいと思うなら その 証拠を提供できます それは印心の時 あるいは「洗礼」 「真の洗礼」と 言っても いいですが 私達は本当に過去の 無知を懺悔し 真に神に戻りたいと思ったら 私達は神の前に 行けます  しかもとても速く だから 「即刻開悟」 あるいは直ちに神と 繋がると 言っています

神の光が見え 神の美しい 旋律的な声が聞こえ それは私が皆さんに 言った証となります 懺悔の力ついて 美徳と神への真摯な渇望の力は 真摯な渇望の力は 全ての悲惨さ 全ての過去の罪を 浄化できます 私達は水の下に 立ちたいと思った時と 同じです 私達は埃と色々な 不潔なものに満ちて いると知っており その水は私達を 全てのものから 洗浄できます それらの汚れと 不潔なものは 何日 何か月  何年も 溜まっていたとしても 滝の下にほんの短い 時間さえいれば完全に きれいになります

私達はそれが起きる ように願い その汚れ と不潔から離れたい と思っているからです ですから全能の神の 恩恵と慈悲を 疑わないでください 私達は真摯に懺悔し 真摯に 神の王国の智慧を 求めるべきです すると本当に何でも あなたにやってきます 私は聖書 あるいは 仏教の経典で読んだ から 私は仏教徒 だから いつも他の人 説教する通り 説教しているから こう言っている のではありません 違います こう言っているのは 私はこれらを経験し これらは真実で これらの事実を自ら 検証したからです だから 私は喜んで それを打ち明け 皆さんに この希望  この美しく光栄な 体験を伝えたいのです

人生に飽きて 疲れ果てて 神の恵みを 得ようとするなら そうすべきです 何の疑いもなく 無条件で なぜイエスの話は 彼の時代の司祭らより 印象的でしょうか それは彼に内在する 信念であり 彼の内面のな 体験であるからです 従って「私の名の もとに神に祈る」と 言った時 人々はそうすれば 結果が得られます それはイエスがとても 誇りに思ったり傲慢と いうのではありません 彼自身が深く 理解しているからです それは彼の名前で 彼の信念 彼の 内在する力 彼の 最高の智慧が人々を 思い出させることです

最高で 高潔な理想が 思い出された時 彼ら自身の最高の理想 信念及び 智慧が 呼び起こされるのです そうすると彼らは 成功するでしょう イエスは自分の名前が 最高だと思っている わけではありません イエスが自分の名前 彼自身を尊敬して崇拝 することを望んでいる わけではありません 私達はイエスが非常に 謙虚だと知っています とても無私であると 彼はいつも言ってます 「全ては私を通して 父がやっている」 父は常に神のことです 父なる神です しかし彼の名で 祈るしかありません 矛盾していません

彼はとても影響力の あることをよく 知っているからです 個人的な影響力が 非常に大きい人に 内在する力です だから 私達は歴史を 見れば分かるでしょう 多くの賢明な人は 人々を栄光と 智慧の道へと導きます 一方 多くの邪悪で 無明な人は人々を 破壊と暗闇の方向に 導いてしまいます これは個人的な 個性と影響力の ためなのです それを知っていますかそうです 従って 高貴な人に なるのは私達の義務で すると 他人に影響を与えたり 正しい道へと導く ことができるでしょう それゆえ 彼は 「まず 神の王国を 求めなさい そうすれば全ては汝に 与えられるでしょう」 だからこそ仏陀は 「先ずあなたが 仏陀になりなさい すると 衆生は 救われるでしょう」と だからこそ 孔子は 「まず自分の身を 修めよ」と言いました 身を修めることは スペイン語で 表現できますか はい その意味は 自分自身を浄化させ 自己を鍛えることです

人と呼ばれるために 立派な人になるように 尊敬すべき高貴で智慧 ある人になるように それはいわゆる 身を修めることです ですから 孔子は 「天下を収めるには 先ず自分の身を修め 家庭を平和にし 国を治めれば 天下は治まる」と 教示しています 従って  高潔で 称賛に値する 活動を行うのと共に 例えば人を悟らせること 道徳のことを 人に唱道すること 寺を建てて神と 仏陀を礼拝すること 貧しい人々と 病人に慈善を施すこと 全ての国に平和を 呼びかけることなど その一方 自分自身も 治めるべきです すると 全てが 効果が得られます 人々に間違いなく 影響を及ぼすことが できるでしょう そして 全てが 成功するでしょう 今の時代では 私達は とても幸運です

どんな信仰であれ どんな神を礼拝する ことであれ どんな教義に 従うことであれ 多くの国の法律に よって尊敬され 支持されています イエスの時代とは 違います 彼は孤独で無力で 多数の無明な人々 及び非常に狡猾で 残酷な司祭職と 戦ったのです 彼を守る法律さえ ありませんでした ですからただ今 神やキリストのように なりたいなら 良いチャンスです この機会を失うべき ではないと思います 来年あるいは百年後 この世界はどうなるか 誰も分からないだろう そしてどんな運命が 子供を待つでしょうか 私達の次世代のために 私達の子供のために 未来世代のために 良い基礎を築かねば なりません

全ての良い親は 子供の明るい未来を 願っていると思います ですから  子供達に快適な 生活を提供するために 彼らは一生懸命働いて 全ての力と 若さ及び智慧を 犠牲にしています でも彼らを教育したり お金を与えるほかに 平和と調和の世界を  彼らに残すべきだと 私は思っています ですから仏教の教義を 説教したり キリスト教を伝道 したり 私の宗教を 信じさせようとは 思わないでください 違います  私はただ次世代 及び現代の人々に 平和な雰囲気を 貢献できるように 努力したいだけです

私は決して 仏教 キリスト教 ヒンズー または どんな「宗教」の 排他性を説きません 私はそれらのすべてで 善良さを見るからです 私はまた殆どの人々が 詳細に彼らの宗教 信仰に従わないのが 分ります それで この世界の 市民の一人として 私は 人々に彼らの 教理を忠実に守って 彼らの隣人にとって 良くなり そして 敵を愛せよと 思い出させ 人々に神の法則と 永遠の原則を思い出さ せる義務があります

それで 現在の世代の 苦しみを少なくし 未来に円満な雰囲気を もたらします 永遠な法則は 私達が 神から来ている事で それは唯一無二と 愛と全能の神であり 私達は皆兄弟と姉妹で あるということです それで 私達がどんな 信仰を信じているかは 重要でありません 私たちは互いに愛し 互いに尊敬し 互いに助けるべきです 可能な限りの能力で 毎日神を思い出すのを 忘れないでください 私達が神を思い出せば 思い出すほど 私達の生活は さらに平和で 滑らかになるからです
永遠の原則は 私達が 神から来ていることで それは唯一無二で 愛と全能の神であり 私達は皆兄弟と姉妹で あるということです それで私達がどんな 信仰を信じているかは 重要でありません 私たちは互いに愛し 互いに尊敬し 互いに助けるべきです 可能な限りの能力で 毎日神を思い出すのを 忘れないでください 私達が神を思い出せば 思い出すほど 私達の生活は さらに平和で 滑らかになるからです

神を覚えていることは 戒律を守ることを 意味します 「汝が私を愛するなら 私の戒律を守るべし」 ですからそれが 私も 人々に菜食に従うよう 強調する理由です それは 他のものの生命を 犠牲せずに私達の 生命を支える 最も平和で最も愛情の こもったやり方です 非常に新しく聞こえる かもしれませんが 聖書で そう言われたので 新しくありません 旧約聖書には こうあります 「神は野にすべての 草と果樹を作られた それは汝らの 食物となる」 聖書は述べています

「神は人間の協力者で 友人とするために 動物を作られた」と 彼らを統治しますが 彼らを統治しますが 殺すべきでは ありません なぜなら戒律は「汝殺すなかれ」 とあるからです 何でも生命がある ものを奪うのは 殺生を意味します 私達が肉食を 常食とするなら 私達の食欲のために 他の人々が 殺し続けるでしょう 従って間接的に私達は 殺生を支持するのです たぶんこれを 受入れるのは難しいと 知っていますが

私の意見でありません 私の法則でありません それは神の法則です それは聖書に非常に 明確に述べられてます また 仏教の教義にも ヒンズー教の教義と イスラム教の教義にも そうあります

毎日聖書を読みますが 私達は どこを読む べきか気付きません

時々そのような事を 言うのは難しいです 人々に多少 不快感を与えることに 気づいています しかし誰かは真実を 言わねばなりませんし 勇敢でなければ なりません 必ずしも権威と無知に 屈するとは限りません 神は私達に 天の神のように 完璧であるように 命じないのですか 天の神はどんな意味で 完璧なのですか 神は賢明で 慈悲深くて いつも優しくて創造的です それで私達が神ほど 完璧になりたいなら 智慧を求めるべきで 無知を放棄すべきです

私達は賢者から 本当に神聖なものに それを求めるべきです 私達は愛情深くて 慈悲深くて 非破壊的でなければなりません そういうわけで 神は 私達に創造の権利 子供を作る権利を与え 私達は子供を作ります 私達はこの地球上に とても多くの 美しいものを作ります 神はその計画の中で 創造的な案に対する 権利を私達に与えます 私達は神の協働者では ありますが  まだ神の智慧に 達していません ですから私達は 神の計画とデザインを 尊重すべきです なぜなら神が最高のボスだからです

神は何を残すか 何を 取るべきか 何を修繕 すべきか 何を破壊 すべきか分っています たとえ彼が破壊すると しても 再び作ります 私達が壊す時は再び 作ることはできません それが問題なのです 私達が十分に賢くなく 十分に強力で ないからです 私達がある日  神の理解に達するなら たぶん  自身の手で破壊と 創造について 話すことができます ですから 私達は 神の創造的な計画で 一切衆生を尊重します 彼らが苦しみと死に 抵抗するのを自分の 目で確かめられます

ゆえに動物を殺したり  殺されるのを見る時 彼らは苦しんでいて 逃げようとします それは神が 彼らに生存の本能を 与えたという意味です 私達が彼らの生命に 干渉し 奪うのを 強制するなら 私達は 神の意志を妨げます 自分が扱われたいのと 同じようにすべての 存在を扱うべきです そうして私達の人生は 恩恵 長寿 智慧で 加護されます 「蒔いた種は 自ら刈ることになる」 そうして私達は 決して不幸なことで 神を非難しなくなり  なぜなら不幸が少なくなるからです

より自分を磨くほど 言葉 行動と考えが より良くなります 私は自身の経験や 私のいわゆる学生 つまり修行仲間の 経験から これを知っています 私達は毎日 神と接触するからです 印心の過程を経て 私達は再び 神と接触しています 毎日神を思い出すと  毎日神が私達を 覚えていることを思い出します それで神と私達は 即座に一体となり 同じ目標をもち 同じ方向に向かいます それが私達の問題を 解決する方法です それが地球の平和に 貢献する方法です それは神の法律を 守る方法です

ご静聴 ありがとうございます

私が関心があるのは いくらか人間の対立の 一因となる報道 ラジオやテレビの 役割についての あなたの印象や 個人の見解なのですが

本当です 同意します

彼はマスコミや テレビが 世界の対立の いくらかの一因で あると言っています 私はある部分で 彼に同意します なぜならマスコミ テレビやラジオなどの 通信システムは  人間のサービス  人々の心の悟り 人々の娯楽にとって 一番良いもの だからです 彼らは既にやりました その義務の一部分は 果たしました しかし他方では  この通信の力には いくらか不注意な 操作があるので 時々間違ったニュース 誤解 歪曲された ニュース ある種の 暴力の映像や 非常に悪い公演が テレビや  ラジオまたは劇場で 上演されます

この間違いは  修正されなければ なりません なぜなら 国や団体間の また教派間の敵意を深め 平和を 促進しないからです この問題について 私はこの紳士の見解に 同意します 私達はマスコミラジオ そして通信システムに 彼らの 高潔な責任を 思い出させるために 尽力すべきです この世界の部分的な 感情や名声に 屈しないようにです 彼らは健康で教化性を 持つものを選んで 人々に見せるべきです 有害で 暴力及び 悪影響のものを放棄し それらを一般庶民に 見せるべきでは ありません

私は彼らが実話を 報告してはならないと 言っているのではなく 彼らが フィルム ニュース  文字の中に 世界の暴力の性質に より多くの暴力や 想像された暴力や 一切の悪を 加えてはならないと 言っているのです それは子供達にとって 良くありません 子供達に悪い影響を 及ぼします 皆さんは同意しますか はい ありがとう 私達はいかに速く 神の認識に達しますか 助けて下さいますか はい それは私の 光栄であり喜びです 印心の際 あなたはすぐに神と 繋がります なぜそうなのでしょう

神は私達の内面にいて あなたはノウハウが 不足しているだけです 私がそのノウハウを あなたに示します ですから即時の悟りは 驚くべきではないです 私達の内面にはいつも 光があるから あなたの内面の光に 留意しなさい すると暗闇でなくなる 聖書でそう述べました あなたが光を再び 見付けるを助けるのは 光栄であり喜びです 光はいつもあります 神は常にそこにいます 神を見つけるために 悔い改め 間違った 幻想を浄化しなければ なりません 神を見付けることは 非常に簡単です 

神は 常に私達を見付けたい 今までに私達を 捜したいのは神だけ それでは50%です 片道です 私達は世界を捜すのに 忙しいのです   でも今私達は帰ります 私達も神を探したい ので 必然的に両者は 会わねばなりません 何も神秘はありません なぜ あなたはよく 仏陀に言及しますか 神が遍在するなら 仏陀と神の間で どちらが 違う哲学ですか 仏陀は 神の代表です 肉体での 神の化身です イエスが神の 代表であるようにです

「仏陀」は梵語で 「キリスト」を意味し 「キリスト」は ヘブライ語で 「仏陀」の意味です それだけのことです 「教授」と「老師 (先生)」は同じです 単に言語の違いです お分かりのように 私があなたを仏教徒か キリスト教徒に変え たいと誤解されない ために 私は両方とも 言わねばなりません いいえ 私は公平です 私は真理の本質を 言っているだけです 宗教ではありません ただ大半の人が仏陀や キリストのことを よく知っているので 私は彼らに言及し 彼らの教えを用いて 私が伝えたいことを 伝えています とても論理的です 有難うございました 私は彼ら二人とも 愛しています マスターはこの国で どのように観音法門を 伝えようと 計画していますか これは目下 大変困難な状況にある 私達にとってとても いいことだと思います 励まして下さって ありがとうございます 最善を尽くします 私は初めて来ましたが 皆さんの大きな愛と励ましを 頂きました

もしかしたらこれから 私達はもっと多くの このような事をする 機会があって 貴国の平和と 秩序のために 貢献できると 思います これは私一人の義務で なく皆さんの義務です 皆で頑張りましょう きっとできます お分かりのように 今日私が ここに来たのは 貴国の人々の要請を 受けたからです 彼らはすでに 私について学んでいて 人々に真理を 思い出させることは 貴国にとって 有利であると思って 私を呼んだのです 分かりますか これは協力関係です 私個人の栄光でも 私達双方の栄光でも ありません 

実は神の意思なのです 私達が誠心誠意 神に祈ると 神は助けてくれます 神は純粋な道具を 使って神の子を 助けるのです 神の道具に なりませんか あなたも私もですよ 神が本当の私達の中に あるとしたらどうして 悪い人が多いのですか これは神の法を 誤解したからです 私達には自由意志が あり 選択できます 時々 私達は この世界に降りて来て 環境の影響を受け 多くの情報と 経験を集めます とてもよく 役に立つ ものもありますが ある情報と 経験は害があり 役に立たないものです

意思が弱くて 悪いものを残し よいものを捨てた場合 もちろんバランスが 崩れてしまい もっと悪い方に 傾きます 悪い方に傾けば 傾くほど もっと 悪い事を引き付け さらに悪い状況に 陥ります 私達の高貴な魂の力は ますます弱まり 悪に完全に 包囲されるまで 神の法に反する 行いをするに至ります ですから慎重に よい情報を選択し 霊性の力を 取り戻すことです 神に頼り 神の加護を祈り 善行を積む機会を 与えてくれるよう 祈ることです 問題なのは私達が 神を忘れていて 神の助けを求めず 何でも自分で選択し 何でも自分で 決めることです

親の言う事を聞かない 子供と同じです しかし変えられます どんな悪も変えられ どんなに誤解して いても私達が分かった 瞬間変えられます 私達が再び神に 頼りたいと思う瞬間 再び智慧を 求めたいと思う瞬間 再び道徳を 求めるその瞬間 その瞬間悪は 私達から遠ざかります 従って再び 神に戻りたければ 自分の弱点を知って 懺悔すればいいのです すると 機会は現れます あなたが神の 許しを確認したければ 印心を受けてください きっと証明されます どんな悪事を働いたか 過去にどんな悪い人 だったか関係なく 神は永遠に私達を愛し 私達を許してくれます そして即座に 神の光を見て 神の声を聴きます これは神の無条件の 愛の証です いいですか 現在世界には 実際何人の偉大な マスターがいますか 何人欲しいですか あなたにとって一人は 足りないですか

あなたに言えるのは まず目の前の マスターをとって 試してみてください あなたがこれに 不満足なら 更に探すことです この世界に多くの マスターがいても ここにいないことには 何の意味がありますか あなたの 限られた頭脳で どれだけの智慧が 吸収できますか 私は偉大でもなく 偉大なマスターだと 称する事もできません しかし私は神の許可を 得てあなたに真の家に 帰る道を示せます ですから 現在の皆さんにとって 私で十分だと思います あなたの愛に 感謝します 罪をどう思いますか 罪が実際にあるとは 思いません

それは単なる 誤解だと思います 状況が人に 好ましくない決定を させたのです また神の戒律を 知らないからです 時に 皆さんは神の 戒律が分らないため 戒律に反する事をするのです ですから 神の戒律を 知っている人は 人々にこれを分らせる 責任があります 自分に この責任があると 称する人の大半は 責任を完全には 果たしていません 彼ら自身が戒律を 分っていないからです 以前イエスの時代の 祭祀者について話した ことがありますが 彼らは法の守り役と されています しかし無知な状態で 彼らが人々に何を もたらせますか 多くの人が彼らを 尊敬し 崇拝し 供養しました 彼らから智慧と 加護を求める ためにです

しかし彼らは人々に 何の加護と智慧を 与えたのでしょうか 何もありません これがこの世界の 悲しいことです 分りますか すべての普通の人が 時間がありあまって 神の戒律を学ぼうと するのではありません また彼らにはそれを 理解するための十分な 知性を備えていません ですから 誤解と無知は 避けらません しかしいわゆる法学者 聖職者 僧侶達は 理解すべきです 彼らには学ぶ時間が あるのです そして自分達を供養し これらの戒律を学ぶ 時間を与えてくれた 人々に 説明して あげねばなりません 人々が聖職者と 僧侶を供養するのは 彼らに仕事を させないで  神の戒律を学ぶ時間を 与えるためなのです

イエスの時代の 寺院の最も地位が高い 神父の 話を読むと 彼らは最も崇高で 最も尊く 最も智慧を 備えた神聖な神殿で 神と交流できる人だと 思われていた 人達です しかし実は彼らは そうではありません 彼らは政治的動機で ローマ当局に 指定された人達でした 彼らは神殿に来て ただそこで休んでいる だけで時間になると 帰宅するといった 具合でした 彼らはそこに瞑想や 神と繋がるために 行ったのではないです 儀式のために そこにいたのです 人に見せるためです さもなければ彼らが 本当に神と繋がれると したら彼らはもっと 賢かったでしょう 少なくともイエスの 半分の智慧はあるはず しかし 世俗の名声のために 謀略を めぐらしたのです

このような 最高の聖職者が その下の聖職者に教え この聖職者がまた その下の聖職者に教え 一番下の聖職者が 一般人に教えます 一般人が最後に どんな智慧を学ぶか 想像できますか 一番下の 最も低い部分です ですから一般人が 無知だとか罪がある などと責めることが できるでしょうか 私は一つの例を 挙げただけですが  皆さんは視野を 他の分野や他の宗教 他の時代に 広げることで 私がなぜ 本当の罪は 存在しないというのか 分かると思います すると皆さんも いわゆる罪人を 許すことができます 分かりますか 私達は欺かれ 騙されています 本当にそうです 私達は無明の状況に 引き込まれ 世々代々それを 受け継いでいます

私達にも責任が あります 自分の 論理的な知性を 呼び起こしていなく 時間をかけて 考えるのではなく ただ人から与えられた ことを受け入れて それの「奴隷」として 甘んじているのです 喜んで誰かを尊敬し 彼らは自分より 素晴らしいと思い込み 彼らのいう事は何でも 真理として認め 思考せず 分析もしないのです 私達の過ちでもあり でも希望はあります これは変えられます 神の目には 全ての存在は平等だと 私が思い出させます 他より 優れている人は いません

誰一人いません イエスや仏陀の他には 誰もいません 彼らはすでに 神を見つけているので 私達は彼らを尊敬し 彼らから学べます 分かりますか
私達が神の創造物で 私達も神だとすると どのレベルに 到達できますか 神に到達します 私達はイエスが そうだったように 神と一つになれます イエスは言いました 「私と父は一つ」だと 私達は自分の独自性は 失いません ただ間違った 独自性を失います すると私達は自分の 本性が分ってきます 更にはっきり言うと たいてい ほとんどの人は 自分の身体と 個性を認識します しかし個性は 真我ではありません 個性は 教え込まれたもので 私達はそれが自分だと 信じ込んでいます

実はそれは 経験の蓄積を経て 存在するもので 昔から世々代々 伝えられてきた 知識に過ぎません それはまた 社会環境の影響と 環境とその人の 背景でもあります  また教育にもよります ですから 例えば 同じ家庭で生まれた 兄弟でも 交友関係や 受けた教育 従事している 仕事によって どちらも異なる個性を持ちます 時には 個性は訓練と 違った教育によって 変えられます ご存じのように 教育を受けた人と 受けていない人の 振る舞いは 違うのです 飛行機の乗務員は いつも同じ 振る舞いをします

いつも礼儀正しく 笑顔です そのように 訓練されたからです そして私達は それは彼らの個性だと 思い込んでいます 彼女は素敵だ 彼女は 礼儀正しく 素敵だ 親切だ などと言います それは彼女達が 受けた訓練が 背景にあるからで 彼女自身ではなく 誰でも訓練すると そのようになれます 時間と機会さえ あればですが そうではありませんか 従って私達が神を知り 内面の神性を 認識すれば 今の自分は自分が 認知している自分では ないことが分ります 私達は真我を見つけるでしょう

実際前からありますが 新しく発見したのです そして私達は分ります 愛であり 寛容的で智慧に満ち 慈悲深く 神とまったく同じだと そして収集してきた 経験や 偏見と先入観のごみを 超越して 全ての間違った 考えと概念を 押しのけます それらはいずれも 人々や社会  様々な習慣が私達に 押し付けたもので  決して賢明で正しい ものとは言えません 私達は大声で言えます 私は天なる父と一つだ そうして私達は 真我を見つけ 解脱できます 全ての 間違った理解の鎖から 解脱できます その時私達は言えます 「私は 天なる父と同じく 完璧である」と ですから罪など 信じないことです

それはただの表象です 道徳と智慧を信じ 天なる父の遺産を 信じるべきです 即ち神の智慧と慈悲と 愛を信じるべきです キャンディーの 包装紙のように 包装紙は 様々ですが 中身はいずれも甘く 同じ会社の 製品なのです これらの本質が 分からないと 容易に敵を愛する ことはできません 人の罪も容易に 許せません 本質がいかに重要か これで分かりますね イエスが有名なのは 彼が起こした 奇跡のためでなく  彼の教義のためです 私も同じ教義を 強調しています 私が言ったことは いずれも古代の マスターが言った事で 皆さんに注意を 呼びかけはっきりと 分かるよう説明します

周りの悪い影響を なるべく軽減して 自分のよい面を 発展させる 最も科学的な方法は 何ですか 観音法門です この法門は私達を 神に会わせてくれます 「まず 神の王国を 見つけよ すると全て 汝にもたらされる」 ということです なぜなら観音法門は 直接 たちまち 皆さんを神のもとに 連れて行きます ですからこれが良く 最高の方法です 他の法門は あまりに時間がかかり 手間がかかり とても困難です 観音法門は とても簡単で たとえ 六歳の子供でも 学べますが すぐ効果があります

なぜなら即座に神が 見えて 神の王国を 見せてくれるからです そして毎日 神を得られます いったん手に入れると 二度と神を失うことは ありません 毎日ますます 神を見るように なるだけです 過去の すべての預言者と 偉大なマスターは いずれも男性でした 何故貴方にこの法門を 伝授できるのですか では神は男性ですか 教えてください ひとつお聞きしますが 教えてください あの男性の内面の神と この女性の内面の神は 違うのですか 違いますかどうですかどうですか 同じですね 

はい 神は二人いますか 男性の神と 女性の神ですか 神は一人だけです 私の神と その男性の神は どこが違うのですか 神は決して 女性には神が見つけ られず 女性の 内面には神がいないと 決して言っていません イエスもです 私がたまたま内面の 神を見つけたのなら 皆さんに話しかける それは同じ神です 話しているのは その女性ではなく 神が話しているのです 私は女性のエゴがなく どこにも女性ぽさは 見つかりません ただ違った服を 来ているだけです 分かりますか そう考えないで下さい

なぜ ほとんどのマスターが 男性か話しましょう それは社会に よるものです 女性があちこち 出歩いて 伝道することは 大変危険だからです ほとんどの社会規範は 女性を家に 縛っておいて 食事したり洗濯したり 子供の面倒を見る事で 外に出るのは 許されず 何かを学ぶことは 許されません 最近になって 女性は社会に進出し 何かを学んだりして 社会で活躍するように なりました ですから私の場合は この潮流のお蔭です 私は「必ず禁じられる 前に速やかに私の神を 見つけなければ」と 思いました

私はこれに成功し 神を見つけました 今の法律に感謝します ですから私は皆さんに 福音を伝えられました 私は神を見つけ 皆さんも神を見つけた 喜びを楽しむことが できると思ったから 神を見つけることは 男性だけの責任だとは 思いませんし すべての女性が 地獄に行き すべての男性が天国に 行くとは思いません マスター 今夜智慧を教えて頂き 今夜智慧を教えて頂き 感謝します 神の永遠のご加護を 神のさらなるご加護を 神がすべてだとすると 良きも悪しきも 神のものですか 違います 悪い方は人間のもので 良い方は神のものです

何事も神のせいに してはいけません すでに言ったように 法律の制定者は 交通の利便性のために 交通規則を作りました 動機はよく 国民のためです あなたが不注意だった とか飲酒運転した場合 これは相手の過ちでは ありません 神は私達にすべての 人を愛し 殺生せず 盗まず 嘘を言わない よう教えていますが 私達は正反対にします だから報いを得ます これは神が創った 状況ではありません 悪い事は全て私達ので 良い事は全て神のです あなたは私達が動物を 殺さないために 菜食をしなければ ならないと言いました

しかしなぜ野菜は 食べられるのですか 野菜もまた殺さねば ならないのに ほとんどの野菜は 私達は殺していません バラの枝を一本切ると 枝がもっと 沢山生えてきて 花がもっと咲きます バラの枝を切らないと 死んでしまいます 毎年バラの枝をすべて 切るなど手入れを しなければなりません そうして新たに強い 生命力を持たせます 野菜も同じです 例えば どんな野菜でも 枝を切ると 二つも三つも 枝が生えます しかし牛の頭を 切り取ると 頭が二つも三つも 生えることはないです また神は私達に 菜食を許しています 菜食は神の法律に 基づいています

旧約聖書で 神はこういいました 「私はすべての植物と 果樹と五穀を創って 汝の食べ物とする」と ですから神の許しを 得ていれば大丈夫です 神は肉食を 許していません 神は動物を殺して 神に捧げることさえ 許していません 聖書にこうあります 「誰が雌羊と雄羊を 殺して私に供養しろと 教えたか 汝は無辜の血を洗い 流すのだ そうすると 私は汝を許す」と 聖書にはまた 「肉を食べてお酒を 飲んで汝の兄弟を つまずかせることは よくない」とあります また「肉を食べ 酒を売る者を仲間に するな」とあります また 「肉は腹のため 腹は肉のためにあるが 神は肉と腹をどちらも 滅ぼす」とあります

もっと例を挙げる ことができますが 皆さんの方が 私よりもっと聖書に 詳しいと思いますので 皆の時間を潰しません

あなたは輪廻を 信じますか はい でないとなぜ 皆がイエスの再臨を 待っていますか 懺悔のことについて 言及しましたが 誰に 向かって懺悔しますか 神と 自分自身にします 人に見せかける懺悔は よくないです あなたの懺悔と罪 道徳を知りたいと 思う人は誰もいません 神とあなた自身 以外には 即刻開悟とは どういう意味ですか もっと詳しく ご説明頂けますか 即刻開悟とは 即座に開悟できる という意味です あなたが懺悔する瞬間 無知と悪行を 懺悔し 再び道徳の 道を歩み 神に追随したい瞬間 神は私達に恵みを与えます すると私達は 神を 光を 有し 神の光を見ます あなたの内面の情熱と 光を受け入れると 暗闇は消えます 従って皆さんは 内面の光を見て 内面の音を聴きます それは神です

しかしほとんどの人は この光をどう灯すか 分かっていません たとえ懺悔して 道徳と神を 渇望するとしても 経験豊かなマスター だけがそれを知って いて 人々を助ける ことができるのです 分かりますか だから先生が必要です 先生にやり方を 見せてもらえます すると後から皆さんは 自分でもできます 決してマスターが あなたに何か与えたの ではなく内面の神が 目覚めたのです なぜなら 皆さんはすべての ごみを捨てたので 真我が顕れたのです いいですか 人類の最終的な運命は 何ですか 最終的な運命は 神の境界に至り最高の 智慧を得ることです

ある人は早く到達し ある人は遅く到達し ある人は すでに到達していて ある人は将来達します 私達は自分の源に 至らない限り 決して幸せには なれません カルマ(報い)の法は 私達に 神の法律や真理に 反するように させてはいませんか いいえ カルマ(報い)の法は 自然の法則であって 私達に神の法則を 反するようさせません また神の法律を守る よう助けもしません ただ「蒔いた種は 刈り取る」ことです 私達が注意して よい種を蒔けば よい種は永遠に 神の法律と合致します 私達が日々の生活で 戒律を守っていれば 常によい種を 蒔くことであり 私達はカルマ(報い)の法則に 影響されません 例えば 私達は慎重に運転し スピードオーバーせず 飲酒運転しなければ 交通規則は 私たちに影響もないし 法は法であって気にする事もないです

私が印心し 神と繋がることに 興味があるとしたら どうすればいいですか とても簡単です 申し込めばいいです 外に出て あなたの名前を 登録すればいいです すると印心の日を 手配します 印心に興味のある人を 大歓迎します いずれも 無料で無条件です 印心の前後と印心を受ける際 にです ただ戒律を よく守ることです 印心申し込み書に 書かれています これらの戒律は 聖書によるもので 私達を守ってくれます 再び否定的な面に 陥る事を避け 神の 肯定的な面に引き上げ 神に近づくためです あなたが この戒律を尊重し 守れると思うなら 私達は歓迎します

菜食をし続けることです 少なくとも印心を 受ける時から この 世界を離れるまでです 皆にとってこれは一番 困難だと思いますが 本当に智慧を得たい 神のように なりたいのなら 神を愛する事が何より 大事だと思うとしたら 困難ではありません なぜなら肉なしでも 私達は死にません 色んな豆類や 野菜があり それには 蛋白質やビタミンが 豊富に含まれています 見てください 私の 弟子は皆菜食者ですが とても健康です 彼らは死んでませんね 沢山の仕事をします

彼はフォルモサ (台湾)の領事館で 働いています 広報部で 沢山仕事をこなします 彼女はバレーダンサー 彼は弁護士です 色々あります 彼はビジネスマンです 皆とても幸せで 健康です 医者もいれば 弁護士もいます 体が大きい人背が高く 太っている人もいます 体は小さいですが 幸せな人もいるし タクシーの運転手も 土木労働者もいます 私の弟子は 様々な分野から 来ていますが 皆菜食しています 何の問題もありません 原則は 私達は他の体を 犠牲にして 自分の体を養っては いけません それは私達内面の 天性の愛と 慈悲心に 反するからです 内面の神に 反することです 神は愛だからです

どうしたら 邪悪な音楽の影響を 受けずに済みますか 聞かないことです ご清聴ありがとう ございました

国連 地球を救うために 肉を絶とう 私達は今この問題の ある局面にいます それは廊下や奥の間で ずっと話されてきた 事ですが 公共政策の 重要な項目として 決して表に出ることは ありませんでした 今は前面に現れ 現在政府の交渉の席や 国連のシステムに かなり取り上げられて きています

国連環境計画機関が 発表した報告は 世界的にビーガンに 移行することが 気候変動の最悪の 影響を避けるために 不可欠だと述べている

特定の肉製品における 家畜の生産は 資源の消費の 観点からいって 非常に深刻なものです ですから パネルはこう言います そうだ 私達の 生き方を変えよう 肉の消費の削減は すぐに九〇億人になる 世界人口の 解決策の一部です

世界の政策立案者に 提示されたこの報告は 壊滅的な結果を避ける 断固たる処置を 強く要求している

「排出と土地利用の どちらも食事に 強く依存している 動物性食品 つまり 食肉と乳製品の両方が 概して植物に基づく 代替の選択肢より もっと資源を必要とし より高い排出を 引き起こしている」

「化石燃料だけでなく 農業活動は 広大な土地面積を占め 膨大な量の水を 使用することで 直接 生態系に 影響を及ぼしている」 「畜産物が重要なのは 世界の穀物の 半数以上は 人ではなく家畜の餌に 使われるからである」

以下の声明によって 研究結果は締め括る 「相当な影響の削減は かなりの世界的な 食事の変化 つまり 動物性食品を避ける ことによってのみ 可能である」

今こそ このような報告が 政府と 至る所の事業体が 分析と決定をするのに 役立つ時です

国連は話しました ベジになって エコを実践 地球を救うために

確かに 肉の消費を制限する 考えを 真剣に 受け止めるべきです

専門家は 肉食を減らすことは また私達の環境への 影響も最小限にし 温室効果ガス削減にも 役立つと述べています メッセージは明確です 気候変動は私達の健康 地球の健康についての 問題です 皆が共生しているから

未来にむけた農業

世界が経済的苦難と 迫り来る職不足に 直面しているとき エコ革命が 人を招き寄せる いえ エコエネルギー 革命ではなく エコ食革命です 有機 農業の未来

私達は世界と 自国の経済を力強く 健全に 活力あるよう 維持できる

事例研究 ペルー

南米の国 ペルーでは 有機穀物の農業が 全国の農業従事者に 少なくとも三万三千の 職を生み出す ペルーのアドルフォ デ コルディバ ベレス 農務大臣によれば 農業従事者は 有機栽培が 伝統的な栽培法より 利益が多いと気付き 実践への関心が 増加し続けている それに加えて農務省は 有機の生産性を 強化するために 九八〇〇人の 農業従事者への 支援を提供している

一つめの動機は 私達の環境により良く またこれを通して 消費者に健康な製品を 売ることができます

本当に 私達の同胞に 伝えたいです 私達は有機製品を 消費すべきです それらは健康的で どんな病気も 持ち込まないからです

改革に参加して下さい

ベジになって エコを実践 地球を救うために

未来への農業をしよう 有機農業をしよう

 
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