智慧の言葉
 
在世のマスターの力によって解脱する2/2 一九九二年三月一日インドネシア スラバヤ(インドネシア語)   
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ありがとうグレイジー 二十年 十五年前は イタリア語を 話すことができました 今は少ししか 理解できません 何でも練習しないと 忘れます 神の品性も 同じことです 私達はみな聖書で 私達は神の子であり イエスキリストに  よって救われ 清らかになると 読んでいます しかし時々私達は それを忘れます だから時々思い出す 必要があります ところで こんばんは 皆様が その毎日と人生を 楽しみますように 今回私は再びローマに 戻って来たことを 非常に楽しんでいます

昨晩私は私の友人と 電話を通して 話しをしました それは私がイタリアを 離れてだいぶ経って いますので私は特に ローマがいかに美しい ことか忘れそうになり 実際どうやってこの 壮大な建築やこれらの 美しい環境のローマを 忘れることが できるのでしょうか どう忘れるというのか そしてここの人々は 格別極めて温かく もてなすことさえも 忘れていました これはまるで初めて 私がここに来たのが 初めてのようです そして全てが驚きで ワクワクして 興味があり もちろん楽しめます

私が驚いたのは この首都の町で 人々は非常に忙しく まるで他の 首都の町のようです 人々は生活が もっと慌しいので 忙しいのですが あなたが何か必要な時 彼らはあなたと 話す時間を取ります 指導が必要なら 彼らは時間を取って あなたを教えます 彼らはあなたの要求が 満足するまで時間を 取って世話をします そしてそれこそ 私が今回ローマに 着いて まず経験しました 交通量の激しい道でも ゆっくり道を渡ろうと している一人の よそ者の私のために 車が私のまん前で 停まってくれました

それはホテルの中でも レストランでも お店でもなくもちろん 広告宣伝のためでなく 彼らはいつでもします 経験ありますか どうですか はい それがイタリア人です そしてだいぶ昔 私が初めてイタリアに 来た時電車の中で ある人に会いました 年配の女性です すると彼女は私を 彼女の家に招待して 数日間彼女の家で 最も重要なお客様の ように私を扱いました 家族全員が 同じことをしました 何のためでもなく 何の理由もなくです 彼らはただ思いやりと 愛と共に生まれました それで私がイタリアに 戻った時これら全ての ことが再び起こり そして私は長い間 ここにいなかったので 忘れていました

まるで初めての ように感じました 同じように私達は皆 再び天国に 案内されたときに 私達はこれが初めての ことだと思います イエスはこの世界に すごい痕跡を残したと 私は思います 主は約二千年も前に ここを去ったのですが だから全ての良いこと たとえ古く時代遅れと いわれることも 役に立つのです そしていつも人々に 思いやりのある 行動をすると 私達とその人との間や 周囲に大いなる 天国を創造します イエスは原子爆弾や 放射ミサイルではなく 彼は愛でもって 世界を征服しました

しかし残念ながら 私達の一部は 良く 学びとってないのです 全世界の人の行動が イタリア人のようだと 世界には戦争が減り より多くの平和 あらゆる国における 多くの繁栄があります 主イエスが私達から 去って以来 私達の 一部は神の道に入る 方法を忘れています 神の品性で どう行動するか 私達が神の一部だと 思い出す方法をです 私はイタリアの人々が 神を非常に良く覚えて いることが嬉しいです ここで素晴らしい事を 目撃できたことは 私にとって喜びです

それは人類への 主イエスの教えの 素晴らしい効果です 一人の人が地球全体や 少なくとも この地球のある地域に どれほど大きな影響を 与えているか お分かりでしょう 特にイタリアでは いつでも一つの例は 千冊の本の理論より 勝るのです 愛だけが持続的効果を 持つことができます イタリアの人々に 私はただ賞賛と 私の深い敬意と 喜びを覚えます 主は皆さんをとても 祝福しました そして 主イエスが彼の教えで あなたの土地に 栄誉を与えて以来 ずっと皆さんの文化 皆さんの建築  芸術的な宝物など 意味深い所に その痕跡を 表しさえしています

現代でさえ とても多くの芸術家が あなたの国から現れて 彼らの美の愛をもって 世界を征服しました 皆よく知っています 多くの有名芸術家は イタリア人です それで世界の人々は これら手本から 私達の優しさで 他の誰かの心を 兵器ではなく愛で 美徳で美しさで征服 すべきであることを 学ぶべきなのです 皆さんは 貴国の芸術家が 才能で 美しい ファッション 宝石で 素晴らしい衣服で そして とても多くの 絵 彫刻などで 世界を征服したことを 知っています

全世界がここに来て  この地の中心にある  これらの 傑作品を 賞賛すべきです

フェラーリもあります とても有名で とても高いです 車もイタリアで 作られています それはどれほど加護が あるかお分りでしょう いつまでも挙げられ ますが 経済を宣伝 するのではないので ここで止めておきます ただ私達が神への 強い信心をもてば 私達の眠っている 才能のすべてと  天の富のすべてが 現実に顕現することを お話したいだけです またまさにここは バチカン市国の 恩恵も受けています 多くの慈悲あふれる 恵み深き法王の臨在に 加護を受けています そしてまた 

皆さんは 現在 最も人望のある 教皇に祝福されてます 最も有名な方の一人 最愛で聖なる人に ですから皆さんは 非常に幸せであるべき 毎日 神に感謝 すべきなのです 私もまたここで非常に 加護されています たった数日間ですが 皆さんの何人かには まだそれほど幸福で なく 本当に神 より深く知りたいと 思っている場合 直接 神と話したかったり 神に触れたり 抱き締 めたり 神の言葉を 聞きたいのであるなら 私が暫くここにいる 間にこのボーナスを 少し提供ができます

不運なことが まだこの大陸に 広がっています 私は 昨日不思議に 思い 私の友人と 話しました どうしてそのように 好意的で純粋な人々が この習慣に陥ったのか 不思議に思っています 彼らはあまりにも 純粋からと話しました

皆がただ彼らに 何かを売って そして ただ買うだけで ただ それをするのです しかし それは時々 私たちの視野を 鈍らせる物の一つです それは頭脳に障害を 引き起こすからです

ほんの数日だけ タバコを吸うホテルで タバコを吸う飛行機で タバコを吸う空港で タバコを吸うタクシー 座ってこうなりました

私は鼻血を流し 耳は聞こえませんし 頭はむくみました 人たちが毎日 こうして喫煙するのは なんと哀れでしょうか 本当に可哀想です それで何人かは 神を愛し神を知りたい と思っていても 直接神を見付ける 方法を知りません そして霊的な知識 神の愛に飢えて 私たちは 自分に 少しの満足感  少しの陶酔感 つかの間の祝福を 感じさせるものを掴み これらは私達が 手近に入手できる 代用品であるからです しかし アルコール 麻薬 タバコなどは 実際に毒であり 私達が神に近づくのを 邪魔します

ですから 霊修行において 私たちは人々に これらの有毒なものを 控えるよう忠告します 多くの人々にとって 彼らはただ神の存在を 知り ただ聖書を読み あるいはあちこちで  わずか祈るだけで 満足するのです しかし 多くの人々 他の人々にとっては これらは不十分です 彼らは本当に神を 知りたがっています 彼らは神と話し 日常の問題で神の 助言を聞くことができ 文字通り神の より近くにいられる ことを望んでいます これらの人々のために 私達は ここで 少し援助を提供します

なぜなら戦争と紛争 誤解 怒り 憎しみ それらは皆欲求不満と 神を知らないことの 結果であるからです 人類ならやりかねない と私たちが思う すべての害悪は 神に関する知識の この渇望から来ます 皮肉で 逆説的ですが これは本当です 彼らはただ他に何を するか分らないので それは助けを求める 絶望の叫びなのです それで彼らはあなたが 悲鳴を上げるように 暴力に頼るべきです なぜそうですか 私達は人間のように 見え この人間の体を 身に着けていますが 私達は神の子供であり 聖霊であるからです

私たちは以前 私達が 欲しい時はいつでも  すべてが得られる 天国に住んでいました 「汝が神の殿堂であり 聖霊が汝の中に宿る ことを知らないのか」 私達の内面には唯一 神がいるという意味で 私達こそその神であり 以前は 私達が必要な ものの為に働くことに 私達が欲しいのを 求めなければならない ことに慣れていません そして それを 持ってさえいません それで 時々 私達は イライラし 怒りを 感じ 絶望的で 無力感を感じます それで 時々 この挫折感が 暴力を生み 憎しみを生み そして 結局は戦争を生みます

それで戦争を 引き起す人は 本当に愛と助けが 最も欲しくて たまらない人なのです しかし彼らは 絶望に耽っているため 彼らに愛 智慧及び 理解をもたらすことは それほど簡単では ありません 例えば誰かが重い 病気になっても 医者さえ認めないので 医者に感謝することは 言うまでもありません それでこの絶望的な 状態に落ちる前 よりよく自分自身の 世話をし 最も深い絶望による 助けのいらない状況を 決して経験しないため 神の愛を親密に より実際的に 見つけることができる ように注意しましょう

私達が何事をしても きっと神は私達全員を 愛するでしょう 私達が何事をしても 彼個人に対する事さえ イエスは私達皆を 許しました 彼は自分の敵を許して 彼らの為に祈りました 「神様 彼らを許して 下さい 自分が何を しているか知りません 私が再び イエスに関わる何かを 読むたび いつも 泣きたくなります こんな偉大なる愛は 神から来るだけです 私達はすべて 神の子供です なぜ私達にはこの愛が ないのでしょうか 私達にはあります ただそれを起動させ なかっただけです 方法を忘れたのです

私達には愛があるが イエスの程度にまでは 至ってないのです 再びそれを得るため まだ試みることができ 神は私達全ての 罪を許します イエスは許します 私達のために死に 神の目の中では 私達は つねに平等なのです なぜ私達は神を認識 する必要がありますか なぜこの愛を起動させ なければなりませんか なぜ私達は努力すべき なのでしょうか 私達がこの愛を起動 させなければ 私達 自身が苦しむからです またもちろん 私達が時々愛する人に 自分と接触する人に または自分の周囲に ある時は自分の国家に 苦難をもたらします

私達が間違った決定 非常に愛情がない 決定を下した場合です  例えば 戦争を起こすこと 神を認識する為でなく 私達が神の一部であり 神と同一であることを 理解するためこの愛を 起動させる必要があり ます ただイエスが 「私と父は一つです」 ただ話すこと 思うこと または 望むことによって 神と一体になることは できません 実際神と一体になり 地球上の神となる ことは必要です 再びその海に入り 愛の海と同一でないと なりません そしてこの地球で 神を表現する事ができ 彼の全ての 素晴らしい品性 全ての慈悲を 私達は表現できます そして愛 喜び 慈悲 幸せを自分の辺りの 人々にもたらします

皆さんの地域社会で この福音を広めるよう 努力すべきです 人々にこう言います 神のみが彼らを救うと 「神は私達を救う」 これは神がつねに 私達の家や身体を 守るという 意味ではなく 神は その後私達を救います 全てのはかないものが なくなってから神は 私達を永遠に救います

スプリームマスター テレビジョン 十一月二三日火曜日 スプリームマスター チンハイの霊感溢れる 講義 題して 「現代の生ける救世主」 第一部を智慧の言葉で ご覧下さい

本日の スプリームマスター テレビジョン 「現代の生ける救世主」 智慧の言葉にて ぜひご覧下さい

これこそ菜食が 何たるかということで 全ての衆生の 内面からの真の愛です マスターやイエスや 仏陀がそう言ったから ではなく 「殺生の悪いカルマ (報い)を受けたくない からです これは本当に動物への 愛があるからです

それこそ皆さんが 菜食を始めた方法です

スプリームマスター テレビジョン 十一月二六日金曜日 スプリームマスター チンハイの智慧溢れる 講義 題して 「現代の生ける救世主」 智慧の言葉で ぜひご覧下さい

本日の スプリームマスター テレビジョン 「現代の生ける救世主」 智慧の言葉にて ぜひご覧下さい
本当に神を認識した後 即ち物質的に 文字通り聖霊が私達の 内面に住んでいるのを 認識した後 私達には 二つの選択があります 第一の選択は 従来通りの生き方を 続行しますが 「もう神を知ってます 神はそこにいます 問題ないです」と 確信し やることを 続行します 私達は毎日 神を知れば知るほど ますます神の存在 私達の内面の神を 確信し続けられますし 止めることも できます でも一旦経験すれば 私達は忘れません もう一つの選択は より高潔なことです

即ち自分の人生 自分の知識を 私達の兄弟姉妹の 生活と幸せのために 貢献することです 私達が出家者つまり  尼僧や僧侶を尊重する 理由は 彼らの行為が 神のようであると 感じるからです 彼らはほとんど 地上の神のようです とても親切で とても優しく とても無条件で 彼らは他者のために 自身の人生を 捧げました 私達も彼らのように なれますが 同時に この世界でも 自分の 家庭 自分の仕事 自分の現状で引き続き 匿名の聖者となれます

神を知ることにより 自分の生涯で静かに 私達はキリスト教徒で 聖者になります 私達は静かに 人々を祝福します 誰もそれを知りません 私達の中の多くは 家庭や友人に対する 義務があるので 私達は 彼らの世話をし続け  自分の最愛の人を 捨てることなく 私達の義務を 果たすのです それで私達は 神に 関する知識を実践し 世界を加護しながら 自身を加護しながら でも静かに 普通の生活を送ります イエスは彼がした事は 何でも私達にも できると保証しました

それは聖書の記載で 私の言葉ではないです 「私ができることは 何でも皆にもできる」 「よりうまくできる」 とさえ言いました 私はその方法を 教えたいのです 主イエスの教えは 言葉で教えられてない 教えで 未だこの世に 残っているからです その教えの発見方法を 教えたいのです 皆さんに 主イエスと 直に話す方法を 教えたいのです イエスは復活以後 私達から決して 去っていないからです 彼に話し掛けられます 今も私達を導けます

イエスはこの物理的 バイブレーションを 離れこの惑星の物理的 エネルギーから去って より高次の振動の中に あるので 私達は自身を 少し高い次元へ 上げていかなければ なりません その時 私達は彼から 直接 真実の教えを 得るのです 私達はこの道を 歩みつつ愛と優しさを この世にもたらせます 聖書に書かれている 「言(ことば)」と どう接触するかも 教えます 聖書には 「言は神と共にあり 言は実は神である」 とあります すべてのものが この言で 創られていると 書かれています

私達がこの言で 創られてるなら この神によりこの言と 接触することによって 再び一つになることで 神と一つになるのです 「言を聞く」とは 神を聞くことで 「光を見る」とは 神を見ることです 「内在のイエスに会う」 とは神に会うことです この地球で生きている 間に これら全てを 今すぐ体験できます 天国を見ることも出来 同時にこの世で暮らせ 死後どこに行くかも きちんと解っています 皆さんは 聖書の隅から隅まで 知りつくし 暗記して いますから 念を押す 必要はないでしょう ただ 聖書が約束して いる 実際的な体験を 提供するためにいます 聖書に述べられている 過去の聖者達の 体験をも 私達は経験できます それを味わえるのです

それを毎日体験しつつ 秘書の仕事やタクシー 運転手や コーヒーを お客さんに出したりと 何でも出来るのです 肉体の神殿から離れ 内に入り 内在の真の主と 接触するのです 何でも同じことですが 物事には方法が あります その方法を学べば 出来るのです 神を知ることは 想像し得るものの中で 最も易しいことです 人生で起こったことや 起こることの中で 最も易しいことです 私達の知り得る中で 最も神秘的なことで 畏敬の念を覚える 最も素晴らしい 経験です 本当に単純な事なので 私達は解らないのです そういうものと決して 想像できないのです 全ての聖書が 肉体は神殿でしかない

神は私達の内にあると いつも述べています 私達は決して信じず 神がどこか別の所に いると思うのです 聖書の中に はっきり 「あなたは神の神殿で 聖霊が あなたの内に宿る」と 述べられています シンプルに 直接的に はっきりとあります 私達の多くが それがどこに 存在するか知りません 惨めな人生を送り まるで物乞いのように 奇跡を請い 加護を求め 何でも請い求めます 神はいつでも 存在しているのです 神がどこにいるかさえ 解れば 望めば どんな加護も得られ 神に接触すれば 望むものは得られます

祈る必要も請い求める 必要もありません 私達は内在に神を宿し 私達が神なのですから 私達は非常に 忘れっぽく「私達は 神の子である」と 主イエスが 喚起しにやって来た時 私達は彼を殺しました 彼が神の子であると 宣言した時 それは間違いなく 100%真実ですが 人々は彼を殺しました 人々は 彼は冒涜だ と言ったのです この世の人々 私達という者は 実に信じ難い存在です 自らが慈悲や愛や 神から生じたとは 信じずに 罪深く 悪魔から生じた とさえ信じるのです 私達が神の子だという いかなる証拠が ないにしても 悪魔の子であるという 証拠も ないのです

なぜ悪魔の子であると 信じ 神の子だと 信じないのでしょう イエスキリストが 神の子だという証拠が なかったとしても 悪魔の子という証拠も なかったはずです なぜ殺したのでしょう 人間が理解できません イエスは神の子である ことを証明しました 彼は地上の王国など 気にかけませんでした 役職や名誉や お金を求めて 国家と競ったり しませんでした どうやって 自分の栄光を見出すか 地上にいる間に 幸福になり 加護を受けるために 自身の神を探す方法を 人々に教えただけです イエスは誰にでも 神を知る方法を 教えたでしょう

即座に 証明を与えたでしょう 彼がケーキを焼いたら 食べてみて下さいと 差し出すでしょう それを味わうことなく そばに立ってケーキの 出来映えや その味を 証明してと頼んでも 食べてもらわずには どうやって美味しいと 証明できるでしょうか しかし 証拠はすでに 非常に明白です 主イエスは ただ善を教え 平和と愛と優しさを 教えただけです どうして悪魔の子や 邪悪な人に こうした 事が出来るでしょうか なぜこのような辱めに 愛を以って耐え 敵さえも許すようにと 神に頼めるでしょうか

こういうことこそ 神の品性以外の 何物でもありません 神の子のみ出来ます これがすでに 十分なる証明です しかし 人間とは 奇妙な民です まもなく アルメリアで 国家宗教としての キリスト教一七〇〇年 祝賀が行われます その席に 招待されたのですが 時間がありませんので 少し早めに 先週そこに行きました 主イエスを刺し抜いた 槍を見て ひどく泣きました 政府が用意した 記者会見があり 一人の ジャーナリストが 私に質問しました 彼は私に「女性は 教えを広めるべきでは ない」と言いました しかし人々はこの地に 最初にキリスト教を もたらした聖者を 崇拝しています その人は女性でした

人々は彼女を 苦しめ 殺しました 「どうしたらいいか」と 私は言いたいのです イエスが 男性として現れた時 それが冒涜だと 苦しめて殺しました また 女性の聖者が アルメニアに現れると 女性だということで 苦しめ 殺してしまいました どうしたらいいですか 他に方法がありますか イエスは命を犠牲にし 同様に 他の聖者達も 私達が学べるように 愛の学びが 得られるように 命を犠牲にしています 私達が この愛の学びと品性を 得られた時のみ 差別のない愛を 得られた時のみ 本当のキリスト教徒を 宣言できるのです

イエスは生きてる間 地位や名誉や罪や 徳などに関わりなく 全ての人を 受け入れたの ですから イタリアの人は 主の教えに 大変近い生き方を しています とても嬉しく思います 万が一 もっと神を 知りたいとお望みなら お手伝い致しましょう 神に話しかけるのも また良いものですから 神の教えを 個人的に 毎日受けられるのは 良いことです 神の教えは 光とともに沈黙の中で もたらされます 天国の音楽とともに 沈黙の中でもたらされ また人間の言葉でも イタリア語でも もたらされます 皆さんの望みに応じて 主は 皆さんの 思うように現れます 主イエスが皆さんに イタリア語で 話し かけたら驚くでしょう

全てが 内在の神の 王国では可能なのです 物質的世界では 不可能なことが 私達が 内面に向かうことで 可能になります 内在の加護が 溢れ出て この物質世界に 現れるのです 私達はもっと 愛深くより優しくなり 理知的になり 日常の諸問題も 対処しやすくなります どんな人間の 怒りや ストレスも 消えて行きます 憎しみのエネルギーは 愛に変わって行きます 戦争の代わりに 平和を築きます この地球の全員が 神を知ったなら 少なくても半分が 三分の一が 神を知ったなら 例え四分の一の人でも 神を知ったなら 戦争も飢饉もなくなり 全ての問題が なくなるでしょう

この地球が 天国になるのです 異なった宗教間や 同一の宗教内での 争いも なくなるでしょう すべての人が 唯一の神しかないと 理解するからです 人間の言語で 神を 違う風に呼び 心を 込めて 違った表現を しても 何の問題も ないと解るからです 私達には 唯一の天なる父がいて 唯一の宇宙言語で 話すのです 一言も話すことなく 互いを理解するのです 互いを理解するのです 私達は皆 この内面の コミュニケーション 能力を失ったので 互いに理解するのに 大変苦労するのです 私達のグループの人は 私の家か どこかの家に 集まると 各々あらゆる 宗教的背景を 持っていて 国籍 習慣 言語も様々ですが ごく自然に一つに なってしまいます ただ愛を持ち 互いに 信頼しているからです 言葉さえ 必要ありません

皆 肉体的には 見知らぬもの同士です 初めて会ってすぐ 兄弟意識を感じます 疑いも 疑問も起こらず 競争もなければ 不信感もありません 信頼だけがあるのです 私達は内面で 神の愛に 目覚めているからです 魂の言葉で 話すからです 互いに 理解し合えるのです 私達が皆そうすれば 世界はそうなり得ます やってみる必要さえ ありません 神を知れば全ては 自然にもたらされます 神と再び繋がると いわゆる 印心を受けると 全てがはっきりします 全てのことが 以前の ようではなくなります ただそれが解るのです 私達や知識を分け合う 人々にとっても 本当に素晴らしい事で とても効果的で 本当にリアルです それを分かち合うべく ここに来たのです 本当に素晴らし過ぎて 秘めておけません

この言葉なき 平和な無条件の 愛の家族に 皆さんを歓迎します 質問がありましたら どうぞ 私が皆さんに 出来ることは何なりと させていただきます 皆さんが再び神を知り 幸せになる為ですから ありがとうございます

どのように霊修行の 道を教えるのですか どう 霊修行の道の 進み方を教えますか

違った文化を持つ人々 瞑想の意味に 違いがある人々 また惑星の別の所に 住む人々に どのように 霊修行の道を 教えるのでしょうか どう 霊修行の道の 進み方を教えますか 個人個人違った 精神性を持って 育ってきた人々 例えばアフリカの人や アマゾンの原住民の 様な人々に どう あなたのメッセージを 伝えられるのですか 肉体的観点から見れば あなたの質問は 正しいですが 私達は肉体でない事を 忘れないでください 頭脳ではありません 神の聖霊なのです その聖霊が私の言って いる事を理解します 皆さんの頭脳にだけ 語りかけるのではなく 沈黙裏に皆さんの魂に 語りかけているのです 皆さんの 魂の用意が 出来てれば 知りたい という選択をすれば 解るのでしょう 内在の魂は 皆 解っているからです 覚醒を望んでいれば 全てを理解し 神のもとに帰るために 何でもするでしょう でも魂がその用意を 選択した時のみです

視覚化しようと 思いますが出来ません

何か教えて頂ける 技術がありますか

私達のを試して下さい 視覚化する必要は ありません 神はごく自然に やって来ます 神は私達の想像の 産物ではありません 視覚化したり 想像したりする 必要はないのです 神はいます どこを見るかを知る 必要があるだけです 現実的に 即刻開悟とは どういうことですか どうしたら出来ますか

即刻開悟とは 即座に 悟りを開けると いうことです そこに座って 即座に悟りたいと 思った瞬間 私が方法を教え あなたはすぐに 神を見るのです 悟りの意味は 光を見ることなのです 内在の光 神の王国の 光を見る ということなのです 大変まばゆい光です このような光とは違い それを見るのに 目は必要ありません 悟りの意味は光の中で 光を見るという事です その光は 神からのみ来ます 光は 暗闇の力 闇からは来ません 光とは神の事なのです 光を見たその瞬間に 悟るのです あなたが 神と繋がるのです 神は内にいるからです 神の本質が光であり 音楽であり 栄光です 光を見るのは とても簡単です 神が内にいるからです ですから 即座に見れるのです この講演の後で 方法を教えましょう

親愛なるマスター 運命は存在しますか 神によりすでに道を 決められていますか 自分で見つけ出さねば ならないのですか 敬愛申し上げます 私も敬愛してます ありがとう 二つの運命があります 一つは定められた 運命で 今生を 旅するというものです もう一つは 未来の運命と 言われるもので今生で した事の結果です 「蒔いた種は 刈らねば ならない」です また時に 過去にした事で まだ解決していない 残りもあります 定められた運命とは 悟っても 悟らなくても 誰もが 経験すべきことです

悟った人はその運命を すんなりとくぐり抜け 楽に耐えられ 心地よく生きられ 苦しみも軽減できます 苦しみを経験せねば ならないとしてもです 時々 私達悟った人々は 夢の中でその運命や 苦しみを経験します 現実の生活では 経験 する必要がないのです 未来の運命は悟りを 開いてない人のみが 経験すべきことです 悟った人は マスターパワーに 神の恩恵に助けられ 運命を消し 道を 掃除してもらえます 神と再び繋がった時 マスターパワーが 定められたカルマ (報い) 運命を修正し 未来の運命を 燃やしてしまいます 神と繋がった人は この世に戻ってくる 必要がありません 待ち受けてる 苦しみをくぐり抜ける 必要はないのです この法門と 他の悟ったマスター ヨガナンダや スリチンモイや キラーポーシン等との テクニックの違いは 何でしょう

ただ別の教師という だけだと思いますが 自分に合う教師を 選んでください 比較すべきでは ありません 神を見つけ出す 技術などはないのです 生きたマスターを 通して流れる 神の恩恵のみが あるだけです いわゆるテクニックが あるとすれば あらゆる経典に すでに 書かれてきたはずです 人間の言語で コミュニケーション するために 私達はテクニックと 呼んだり「法門」 「方法」と呼びますが 実際 そのようなもの はありません 神はいつも 生きた 存在を通して 神を 教えることを選びます

ですから この使命を下された 生きた友 生きた 導き手が必要なのです 私達の誰もが いつか 完全に神を知った時に この使命を果たせます そのためにはエゴは 消滅せねばなりません 個人的な自己 私達が自分と呼んでる ものから 落とさねばなりません そう言い 望んでも 落とせるものでは ありません 神の訓練を経て 神の恩恵を受け 魂を浄化し 個々の魂の内へと 入っていく過程を経て 完成するのです それは私達の誰でもが 出来ることです もしテクニック というものが あるとして もちろん伝授法とか 個々の違った 加護がありますので 自分に縁があると 感じる 教えや教師を 選ぶべきです 唯一生きた教師のみが 皆さんに神の恩恵を 伝授できるのです それが神の法なのです

皆さんの地域社会で この福音を広めるよう 努力すべきです 人々にこう言います 神のみが彼らを救うと 「神は私達を救う」 これは神がつねに 私達の家や身体を 守るという 意味ではなく 神は その後私達を救います 全てのはかないものが なくなってから神は 私達を永遠に救います

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これこそ菜食が 何たるかということで 全ての衆生の 内面からの真の愛です マスターやイエスや 仏陀がそう言ったから ではなく 「殺生の悪いカルマ (報い)を受けたくない からです これは本当に動物への 愛があるからです

それこそ皆さんが 菜食を始めた方法です

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瞑想で座るときは いつも 天に記録されます その瞑想で成功するか しないかは 関係ありません

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あなたは神へ至る道を 人々にどのように 教えられるのですか ご自分で 教えるのでしょうか 他の人を通してですか 私がここにいれば すぐに印心は出来ます 私がいなければ 皆さんは 少なくても 三カ月の菜食をして 待たなければなりせん 私の代理でも 指示を 与えられますから

指示は すべき事と してはいけない事を 指示するだけです 印心は内面において 直接 神から もたらされるものです 言葉で伝えられる 印心は本当ではなく 本当の印心は 沈黙の 中で もたらされます 私はその場にいる 必要はありませんが いることも出来ます 今日は私が行います

観音について何も 聞いた事がないですが それを耳にするまでは 私も聞いたことは ありませんでした 皆さんに会ったことは なく これが最初です 全てのものに 「最初」があるのです 以前は 皆さんは ガールフレンドや ご主人のことを 知りませんでしたが 知ってから 好きになったのです 観音を知ってますが 忘れただけです 印心の時に 思い出すでしょう 観音を 思い出すだけではなく 天国も思い出し そこから 来たことも思い出し 知って楽しむでしょう

私達が この肉体の牢屋に 生まれた時 霊的知識の前に ベールが掛けられ 皆すっかり 忘れてしまったのです それで また学び直す 必要があるのです よろしいですか ありがとうございます 拍手は結構ですよ 仏教の日蓮大上人を どう思いますか イタリアでは 殆ど知られていません 法華経について 答えて頂けるなら グル マハラジに ついてアメリカにいる インドの人ですが どう思いますか ありがとうございます

法華経は 仏教経典の宝物です 人々には様々な 好みがあります 例えば 経典に礼拝したり これは 仏教経典のことですが また 仏像に礼拝したり あるいは数珠を繰って 仏陀の名を 唱えたりします この南無妙法蓮華経も 仏教信者の 好みの一つです もちろん 沈黙の中で 何かに集中したら 何らかの 結果が得られます 法華経がもたらすので なく貴方の誠心誠意が 結果をもたらすのです 私達の法門は 仏教の本質に 神の王国に 直接入っていきます

いかなる経典の名前も 唱えたりはしません よろしいですか どんな教師でも 皆さんに真理を提供し 光を見させ神の教えを 聞かせられたなら 内在の言葉 内在の音 内在の音楽を 提供できたなら その人は 偉大なる教師です より高い神の住みかに 導ければ導けるほど より高いレベルに達し ているということです 少なくても 皆さんを 第五界まで導けて 神と対面させられたら 神の王国の 代理人であると 証明 できたことになります こういう教師は永遠に 無償の奉仕を 提供して行きます

ですから どうぞ お選びください 少なくても 幾つかの 判定基準があります その人は同時に 多くの場所に 自分の化身を 現せねばなりません 教師は 世界に教えを 広める以前に 遍在で なければいけません というのは 遍在は 神の品性だからです その人が遍在してれば 神と一つだという 意味ですから ええ もしあなた 教師を探したいなら これらの品性を 念頭においてください そうすれば貴重な 時間を無駄にしないで 済むでしょう 

ありがとうございます 他人を愛したいと 思いますが世の中には 私達を傷つけたり 損害を与えたりする 危険な人がいます 奪われた物を取り戻す 為に戦うべきですか そうせばならないなら また そうしたいなら そうしてください 自分の家族や自分を 守らねばならないなら 守ってみてください また 全てがいずれにしても 神から来るのだと 思うのなら 起こったことに あなたを委ねるという 第二の選択もあります あなたを霊的指導した マスターについて少し 話して頂けますか

もっと皆さんについて 話したいです 皆こそ 現在のマスターで マスターになる事が もっと重要です 自分自身を救い 自分の智慧を知ります これは 過去のマスターを 知ることより良いです 瞑想は 自身を見つけるための 神に会うための癒しの テクニックでしょうか

そうです 私達の魂を 無知を癒すためで 苦しみを癒します 慰めがなく 神を知らず 私達は いつもあらゆるものに 満たされていないと 思っているからです また あらゆる肉体的な病も 神を知らないことから 来ています 大抵の場合がそうです ですから 時々患者が ある種の病気になり 医師があらゆる 治療を施しても 治らないのです ある種の病は 内在の深い所から 生じているからです その場合 それを治す のに 私達には 神意識が必要なのです その人が 内在の彼自身 神意識に目覚めると 全てのものが自然に 癒されてしまいます

淫らな性生活をしない 淫らな性生活をしない という教えは 結婚する前は含まれていないのでしょうか いいえ いいえ あなたが誰かを 愛した時 既に内面で結婚しているのです 結婚は一枚の紙で 成立するものではなく 淫らな性生活をしない とは たった一人の 伴侶にすることです 皆さんのためです 性的営みは互いに 喜びを伴い 結婚生活と愛の絆を 強めて行くべき ものです 異性を弄び この性的贈り物を 乱用したなら 私達は肉体的に 感情的にそして霊的に 好ましくない因果を 作ってしまうことに なります 誰かを愛し 肉体的接触を持つのと ただ肉体的な 実験のために 神の神殿を使うのとは 違うことなのです 言い替えれば 愛の営みと セックスとは 違うことです よろしいですか 命とは何でしょうか

私にただ言えることは 本当の命は この肉体の中に あるものではなく 永遠で いつでも ある所からある所まで ある存在から 別の 存在へと受け継がれて いるものだということ 質問の意味に 合っていますか この真実の命を 知るために 悟らねばなりません そうしないと 私達はこの肉体の 存在のみに執着し 死んだ後で他に 何もないと 他の命が 存在しないと思います あなたは 私達が神に 触れられ 神を見 声を 聞けると言いましたが あなたがこのような 体験をしたかどうか 知りたいのです 当然です

これはあなたにとって なにを意味しますか 私にこの体験がないと どうやって 同じ体験を 与えられるでしょうか 英語が解らないのに どうやって 英語を教えられる のでしょうか 私がお話した事は 全て自分の体験です 同様に 世界中で いわゆるこの法門を 分け合った仲間達にも 沢山の数えきれない 体験があります 私に意味することは あなたが見つけるべき 答えです 神を知ることが出来る 神と話せるとは いったい何でしょうか 何か他の意味が あるでしょうか それは無上なる喜びで 説明出来ません 体験できるだけです でも私は大変苦しんで います 世の中の人が 依然苦しんでいるから それが唯一私の精神を 弱らせ 幸福を 削いでいるのです さもなければ 神を知ったなら 何も欲しくなくなり たとえ食べる物が なくても 着る物がなくても 満足していられます 全世界があなたを 見捨てたとしても 気になりません あなたの瞑想と 仏教の瞑想とは どう違いますか

仏陀からもたらされた 本当の 元々の瞑想は 私のと同じです しかし現在では元々の ものが欠けたために 沢山の種類があります 私は責任が持てません 古代における キリスト教の 本当の瞑想も同じです

だからモーセは神を見 芝の中に燃える炎を見 大水の轟く音として 神の音を聞きました この同じ体験を もっと多くの体験を 今私達には出来ます 聖書が唯一神の霊感で 書かれた書物ですか 或いは他にありますか

ありがとうございます 他にも沢山の聖典が あります 時間をかけ研究すれば 解りますが それらは 聖書と全く同じです でもその必要はなく 聖書で十分です もちろん望むなら 比べてみてください

キリストの死と復活は 私達に 永遠の命を 保証していますか それは主イエスが 生きてる時に 彼によって洗礼を受け 教えに従った人に 保証されています それで主は言いました 「私は光であり この世の道である 私がこの世に ある限りには」と マスターがこの世を 去る度に 他の誰かが その任に就きます それでイエスは 彼の去った後に 聖霊を送ると約束した 世々代々 私達には 沢山の聖霊がいます 彼らを探し出すべきで 探し出せれば幸運です というのは 彼らは時々意外な所に 現れるからです

意外な状況で 遭遇します 同様にイエスが生きて いる時 人は彼を 認識できませんでした 人々は彼を苦しめ 磔にしてしまいました 人々は天からの使者を 待っていたからです 人々は彼が聖者を冒涜 したと非難しました ですから自身の智慧に 耳を傾け 神に心から 導きを祈ることです そうしないと また 機会を逃すことになり 神を見るのはとても 簡単ですが 神を見る機会を逃す ことはもっと簡単です 私は本当に心の底から 話しています 本当にどうすべきか お解りだと思います ありがとうございます 現実の中で感じる 空虚感 落ち込んだ時に感じる 空しさと 神秘の中で感じる 無限への ノスタルジー 空へのノスタルジーは 同じでしょうか

いいえ 違います 私達が落ち込んだ時に 感じる空しさは 鬱であり 神を 神の愛を私達の 内に感じ取れない ことから来るのです 瞑想中に経験する 無とは超越的なもので 全てのものから 解き放たれた状態で 肉体からも 離脱している状態です

私達は万物と 一体であると感じ 個々の肉体的重荷も 肉体も感じません 前者は嫌な気分で 悲しく希望がないけど 後者は深い喜びと 至福で高揚を覚えます まったく違うもので 夜と昼の差ほどです ですから瞑想の正しい 指導を受けるよう 気をつけるべきです そうしないと 本物と幻想とを 取り違えてしまいます 悟ると エゴには 何が起こるのですか 瞑想と悟りとは どういう関係が あるのですか 悟りの高いレベルに 上がって行けば行く程 エゴは小さくなって いきます 瞑想はその悟りを 強化して行くものです 意識のより高い所へ 上がって行くのを 助けるのです 瞑想の方法には 何が含まれますか また なぜ菜食になる 必要があるのですか

神は既に他のすべてを 私達に下さっています 神は言っています 「私達の友として 動物を創った」と 動物を治めてもいいが 食べていいとは 言っていません

神は言っています 「庭にあらゆる果物を 野にあらゆる野菜を 作った それは あなたの目と舌を 楽しませるためである これらをあなた方の 食物とするが良い」と 神はまた言っています あらゆる生き物を創り 各々あらゆる種類の 食べ物を用意したと また聖書にあります 「酒や肉の飲食者と 同席してはならない」 聖書はまた言います あなた方の兄弟に 過ちを犯させるような 物は食べてはならない 聖書はまた 当時の人々に 神が怒ったと 述べてます 「誰がこれらの子牛や 羊をいけにえとして 捧げよと言ったのか あなたの手は 血まみれである 自身と手を洗い 罪を償いなわないなら あなたを許さない さもなくばあなたが 祈っても顔をそむける 汝の手は無垢なものの 血にまみれているから もっと沢山 書かれて ますが 皆さんの方が ご存知ですから この辺で止めます どうして 印心の後で 呼吸法の瞑想をしては いけないのでしょうか

呼吸は神そのものでは ないからです 神の贈り物のわずかな

一部で肉体の機能です 神を知りたいなら 肉体的道具に 頼ってはいけません 神は神ですから 私がお話したように 静かにしているだけで すると神は現れます 皆さんが呼吸をして いようがいまいが 神はいつでも 存在しているはずです ですから 私達は神を 探すのに 束の間の ものには頼りません

野菜の王国は その王国は どのレベルですか その意識は どのレベルでしょうか

この人は 自分も 自然の一部であり 植物も同様と考えます

ご自分が植物だと? いえ 自然の一部であると はい 共に一部です また 彼は 神に対する時 体の姿勢があるか 体の姿勢があるか 知りたいのです

いえ 必要ありません 私達も神も 物質ではありません ですから ひざまずいたり 片足や片手で立ったり どんな必要もなく ただ普通でいいのです 教えますから 大抵の人は瞑想時 足を組んで座るのを 好みます その方が バランスが取れます すぐに眠って しまったりしません また 床に座る方を好みます 倒れても大したことに なりませんから でもこれらは単なる 助言で 方法であって 真の瞑想では ありません 真の瞑想は 眠っていても 立っていても 食べていても お皿を洗っていても どこでも起こります 本当にしばらくすると そうなり 自然です 皆さんは24時間 神の臨在の中にいます 車の運転中でさえも 神を見れます

野菜のレベルがどうか ということでしたね 野菜も幾らかの意識を 持っていますが とても曖昧なものです 動物のように重い恐れ に満ちた意識はなく 実際少し瞑想をすると 植物が食べて欲しいと 皆さんを呼んでるのに 気づくこともあります 植物が彼らを食べる ように招きさえします 私達が自然から 何かを頂く時は もちろん 神の許しを請い 感謝をします 野菜は食べても いいです 一本の花を切っても また翌日 翌週には 三本の枝を伸ばします 豚の首を 切り落としても 二つの頭は生えません どのように 私達は 悪魔と戦えばいいのか 「悪魔」とは 私達の心にある暗い 考えのことですが 悟りのための印心の 浄化を受けていない 人々が  行為の ごく最初の瞬間に 作り出してしまう 考えのことですが

もちろん 悟ってからは あるいは悟ったと 思ってからは また悟ってないと 思えていても 悟りきって ないとしても 共にいる仲間に 気をつけた方がよく それで暗い影響を 受けません また 印心の時には どのように自分を 保護するか教えます ですから 少し時間がかかります それがなければ 悟りを得て 神に会うのは 瞬時に起こります

私はまた 私の代理を 世界中に派遣して いつでも皆の質問に 答えられるよう お手伝い出来ます これらは全て無料です まったく一銭のお金を 払う必要もありません 私はこれらの諸費用を 賄うだけのものを 働き出していますから 皆さんを何ら煩わせる ことはしません 食べ物や泊まる所や 何の迷惑もかけません 私達は全て自ら賄い 皆さんは気楽に安心し 自身になる 勉強が出来るでしょう

ありがとう また後で すぐに お目にかかりましょう そこで 皆さんは再び 神に会う方法を学び 歓迎します また人生の別の道を 歩くことを 選んだ方へは どんな道を行こうと いつも神の加護が ありますように 心から 愛を込めて お祈りしています イタリアでの 皆さんの愛に 感謝します

 
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