智慧の言葉
 
世界平和への祈り 1/2 一九九九年五月二六日スロベニア リュブリャナ(スロベニア語)   
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親愛なるスプリーム マスターチンハイ こんばんは そして ようこそスロベニアへ ようこそ私達の都市 リュブリャナへ ようこそ私達の心へ

皆さん スプリームマスターの 学生はお互いに ブラザー シスターと 呼び合います  そして 私達のブラザーが スプリームマスター との体験について 少しお話しします

あなたに紹介される 名誉を与えられました

スプリームマスター チンハイ おそらく最良の方法は 私自身の体験を あなたに話すことです マスターチンハイと 初めて瞑想をする 機会が持てたとき 彼女は光の海から現れ 私に近づいてきました 彼女が現れないと 光の色は ありませんでした 人生の中でそんなにも 苦しむ存在を見た事が ありませんでした 私は誰もそんなに 堪えられるとは決して 思いませんでした 霊的な文学からも おわかりのように マスターは印心時に その弟子の 悪いカルマ(報い)を 取り除きます 私にとって衝撃でした

しかしながら 一分か二分後 情景は変わりました マスターがすっかり 輝き 幸せなのを見て 彼女の体の各々小さい 部分から最後の細胞へ 喜びと共に輝き それぞれの思考は輝き 彼女の魂の それぞれ小さな部分は 愛で 愛だけで 満たされていました 完全に覆された  状況でした 私の人生で誰かが それほど幸せで他人の ためにも幸せなのを 見たことがありません 私は自己実現の過程を 励ますため 永遠に私自身の中で 完全の この感覚が もたらされることを 望みます つまり質問に対しての 答えは 「スプリームマスター チンハイとは誰か」 瞑想の中で 彼女に 会うのは常に可能だが 彼女に個人的に会う 名誉はごくわずかの 人だけです 心から全ての人を 代表し お迎えします マスターチンハイ

ありがとうございます どうか立っている人を 迎えて下さい 必要であれば ここに来てステージに 座ることができます 私が立てば 他の人々は私を 見ることができます 彼らが話している時 誰かを見るのは いいですね

では 楽にして下さい では 楽にして下さい スロベニアへようこそ はいここに来て下さい どうぞこちらに ここへどうぞ 座って下さい 二、三席あります 私は非常に小さいので 立っています 私が立つと 人々は3センチ長く  私を見る事ができます

ここの人は非常に 賢いです 誰もが英語を話します 市場で果物を 売る人でさえ 私に英語で話します 私は のどのために レモンを買いに 出かけました 私はちょっと手を 使って試そうとすると 彼は英語を話せますか と言いました 私は嬉しくなり 「はい はい」と 言いました 誰もが英語か ドイツ語を話すので 私はここで非常に くつろいでいます タクシー運転手 コーヒーの給仕 彼らは皆完璧な英語や ドイツ語を話します すみません タバコです 二次喫煙です 瞑想する人がなぜ 咳で苦しむのか 不思議に思うでしょう 家にいるなら 自分の家ですが 十分瞑想し 休息してそれでどんな病気にも かかりません ただ出かけた時だけ こういった状況になるのです 皆さんのこの 小さい国にいられて 私はとても幸せです なぜなら 私は通りに出かけ 皆さんの国民に会い 彼らと話しても もちろん 私が誰か 彼らは分かりません

ただの友達です すぐに 私をとても幸せにし 歓迎してくれます 彼らはとても援助的で とても保護してくれ とても正直です 皆さんの国民は非常に 素晴らしく ほとんど 天国にいるようです それで今日私は座って 神に言いました 「どうして私をここに 送ったかと不思議です ここの人は完璧です」

初めてここに来た時 道に迷い 駐車したばかりですが 少しのお金も ありませんでした するとちょうど通りに ある人が来て 英語で私に話しかけ 私を助け 更に私のために 駐車料を払おうとさえ しました また私はここずっと のどがすごく痛いので レモンを買いに 行きました その時 私は十分な 小銭がなかったので スーパーの販売員は ただ「気にしないで」 と言いました でもその後で 私はお返しに 彼女に花をあげました 私は通りで ある人からそれらの 花を買いました 彼はアイスバーグを 売っています 私は小銭もないので 彼にもっと多く 払いたいのですが

彼は受け取るべき 金額より多くは受け たくないと言いました 私は本当に幸せで 少し思いがけないです おつりに対しても 正直で正しい人に 会えて嬉しいです 私は常に価格より もっと多くを払います とにかく タクシー ホテル ウエイター 何であれ それで今日神に尋ねて 「ここで何をするよう お望みですか ここの人は素晴しく 天使のようです」と 私は言いました 「あなたはたくさん 彼らを加護します この国を加護します この国には 何でもあります それほどの愛と 加護を受けています どうして私をここに 送りましたか」 神は私に言いました 「そう そう そう これらの人はとても 幸いである とても 私を愛してるから」

神は 皆さんに神を 見せることを望みます だから私は言いました 「ああ 分りました」 なぜなら 通常 神が私を どこへ送っても そこの人は 本当に哀れで不幸で 快適さが不足してると 思っています 神は私を来させ 彼らに神を思い出させ それでより幸せな 生活を送れるからです でも私は 幸せで 恵まれた国でも 神を見る必要があると 思いませんでした 神は「彼らはとても 私を愛しているので 示現したい」と ですからあなたが すでに毎日自分の家で 神を見ていると 言っても 私は驚きません でも万が一でも神を 見逃がさないように 私達と一緒に座って 私は皆さんに 方法をお見せできます そうすれば皆さんは 毎日神が見られます 毎日神の 直接の教理が 聞けます 言(ことば)から来る 教理です 

聖書に述べられてます この言(ことば)は 神の教理であり 私達の心を溶かす 天国の音楽で 私達の魂を高揚させ 私達の智慧を 広げます 貴国民がとても芸術が 好きなのが分りました 芸術家や 芸術が好きな人は 優しくて親切な 性格です お金にさえ芸術者の 肖像を印刷します ええ インドでは 音楽家  芸術家 詩人は半分 聖人であるという ことわざがあります これらの高尚な芸術 生命のより高次の 高尚な表現も ある程度天国と 共通点があります それで優しい 国民性の中で芸術  音楽 絵画 詩などに すべてを傾注する人を 見つけても 驚きません

昨日 私が公園で会った 紳士は音楽家でした もちろん 後で 私は彼に お金を返却しました でも彼はコーヒーを 飲もうと私を誘い 私も飲みに行きました するとそこで彼は もう一人の音楽家に 会いました 至る所に 音楽家だらけです 彼らはとても優しく とても優しいです 優しい人々と一緒に いるのは素敵です もちろん 私達は 霊修行者として 他人の幸せのために 死ぬことは 気にしません でも幸せな人々の間に いるのは嬉しいです 軽い感じがします 寛いだ感じがします 場所が狭くて すみません 彼らは私に言いました 会議場の外も いっぱいで これ以上席もなく 私は言いました

なぜもっと広い場所を 借りなかったのですか これが彼らが得られた 一番大きい会場だと 私に言いました そうですか はい ここはスロベニアです 全てはダイヤモンドの 大きさに詰められてる でも皆さんの心は とても大きいです たぶん私はここに 留まろうと考えました 非常に素晴らしい国 ありがとうございます 可能ですか(はい) ビザの問題は(いいえ) それは素晴らしいです 皆 後で私に聞きたい 質問がいくつか あると思います それで講義を止めて 質問してください それとも続けますか もう少しあなたに 話してほしいです もう少し話しますか

何を聞きたいですか 愛についてです 愛についてね 人間の愛 または神の愛ですか 神の愛です あなたは神の愛に ついて知りませんか あなたは知っています いいです 私の体験の いくつかを話します 私達団体のブラザー シスターの体験と 同様です 必ずしも全く同じでは ありませんが それはちょうど 神の愛

それはいつも同じです 私は 毎日 毎秒 神の愛を体験します そして毎日が奇跡です 神は常に私達を愛し 私達を保護し 私達の世話をします そして毎日私達を 見守っています 私達が再び繋がった後 それが より良く分かることは 当然なのです まるで訓練のようです 神を知った後 あなたは突然自動的に 訓練させられ  神が いつ  何かをしてほしいか 知るようになります 数種類の非常に鋭い 直感があります あるいは時々 私達の日常活動で 何をすべきか 分かるように 直接の指示さえします

繋がる前には 神が私達の祈りを 聞くか聞かないかさえ 分からないようです 時々 私達には神の存在や 神の愛についての 証明がありません 神が何をしているか 分からないからです 私達の祈りに対する 神の答えを 感じないのです 再び繋がること いわゆる印心後  私達はより明確に それが分かります なぜなら 私達は毎日 神を見 神の教えが 聞けるからです 神は常にそこにいます 誰でもそれを話します 神は私達の中に生き この体が 唯一の寺院であると 聖書は明確に述べます ここに座っている 皆さんは物質界での 神の化身なのです 私達が 神の恩恵を 認識しない理由と 神の愛を 感じない理由は 私達が間違った場所を 覗いたからです

皆とても忙しく お金を稼ぐのに忙しく 地位の保持に忙しく 生き残るために忙しく 全てのものを与える人 全てのこの 楽しみの持ち主は 私達の内にいることを 忘れています それで誰かが私達に 神がいる所を指差すと すぐにそれを見ます 私達がすべきことと 言えば毎日内面の神を 認識するために少しの 時間をとっておくこと それで後になって 神を思い出すのは 自然になります そして神を見ます 神はほとんどの時間 二四時間見られます いつでも見たい時に いつでも聞きたい時に 後で 見たいとか 聞きたいと願う 必要さえなくなります 神は常にそこにいます 神は私達を とても愛して下さり 仕事に遅刻しないよう 起こしても下さいます 目覚まし時計に 問題があった時とか 見知らぬ土地に行った 時には 正しい店へと 導いてくれたりします

どこでその物を買うか 分からない時にです 個人的な事柄でさえ 面倒を見て下さいます 失恋した時癒してくれ 傷ついた心を癒し 慰め とにかく 再び神を知ることを 可能にさせます そういう訳でイエスは 「汝に慰める者を 送るだろう」と言い キリストの力はどんな 形にも 誰にでもなり 慰めにやって来ます イエス以前 神は他の マスターを送りました イエス以後神は他の マスターを送りました でも彼らは皆同じで 違う体 姿をした 神の一人子なのです それで誰かがイエスに 尋ねた時 「あなたはこれこれの マスター 例えば エリヤのような マスターの 生まれ変わりか」等と イエスは沈黙しました 否定しませんでした

なぜなら 同じ力を保持していて この地球上に世々代々 送られてきた 神の 愛する子を慰めるため 彼らを天国の家に連れ 帰るために送られた たった一人の直系の 聖霊だったからです あなたが真に神を愛し 会いたいと思うなら いつか私達はいわゆる 「慰める者」精霊に 出合うことでしょう その精霊は 神からやって来て 事務所として選択され 私達に慰めをもたらし 再び光をもたらす 仕事をするため選ばれ 肉体を持つ者です そして私達の生活が 全ての道で思い通りに なり 非常に安心で 愛されてると感じます それで私達は知ります この肉体を離れてから 私達は天国へ行きます 私達は天国へ行きます なぜなら私達は既に 毎日天国へ下調べに 行っているからです

聖書の中には 聖人がいて 彼は言っています 「私は毎日死ぬ」と それは私達が学べる ように 復活の過程を 何度も何度も繰り返す ということです 死ぬというのは 終わりで生がなくなる という意味ではなく ただ駅を変える 家を変える 衣服を 変えるにすぎません 二通りの死があります 例えば大きな死 永遠にこの肉体から 離れる時 しばらく 死ぬことができ短期間 一時的な死は身体から 離脱しますが 接続のコードを保ち 再び戻って来られます そしてたぶん 明日か 今日の午後か 夕方か 朝でも離脱 できるかもしれません 単に修練の過程に すぎず 私達は決して 死を恐れなくなります なぜなら死後どこへ 行くのか知るように なるからです 皆が 天国は私達を 待ってると聞いてます

キリスト教徒 仏教徒 他のどんな 宗教であれ 天国は私達を待つと 信じています キリストを信じ 神を信じ 仏陀を信じ アッラーを 信じていてもです 死後 真っ直ぐ 天国へ行くと 誰もが聞いています どの宗教もそう 約束しています でも何人かは今 知りたいと思うのです ここにいる間に 天国を見たいと ただ確実にしたいと 思うのが第一です 第二に私達は神の愛を 今知りたいのです この世界ではもっと そのことが私達に 必要だからです いったん既に天国に いれば私達には全ての 物が与えられます 本当です 私達は 神の愛を知ろうが 知るまいが 気にしません 既に天国にいるので 私達は天国のことを 知っているのです それでこの苦しみの 世界にいる間  私達には神の愛が 更に必要なのです

ますます天国での 場所を更に確信する 必要があるのです このような人々のため 私達は助けを提供し 私達の手の内にある 天国を知らないとは 大変残念なこと だからです 聖書で言っています この神殿に住む神を 知らないのは 残念なことだと 神はそこにいます それを知らないという ことは残念で 私達は知るべきです 確かに神は天国と同様 ここでも私達を愛して いますが私達がそれを 今知ればうまくそれを 利用できるのです ずっと良いでしょう 私達には父や母が いましたが 両親から引き離されて いたとします 小さな時に すると 子供のころから本当の 両親のことを私達は 知りたいと思います 本当の両親が一番 私達を愛してくれると 信じているからです 同様に私達は天の父が どこかにいると 聞いています

もちろん 私達は神を 知りたいと思います そういう理由で 私は懸命に様々な所を 探し回りました  ただ神に会うために そして今私は神を 見つけ出したのです 私はこの知識を 天の父を知りたいと 思う誰にでも 同様に 共有したいと 思うのです なぜなら この世界の愛も何も それと比較することは できないからです 私達が内在の神を 得た時 再び内在の神を 知った時 私達は 何もかも得るのです 私達は全く安心し 全く愛されて 価値があり 大切にされていると 感じます 私達は感じ 知るのです そして 私達は確実に 自身が天の王子で あることを知ります そういう訳で  私達は古代より 神を見つけた人々は 殆どこの世のものは 何も必要ではない ように思えることを 知るのです 彼らは何もかも すべてを放棄します

王位でさえ放棄し 王国も放棄し 美しい夫 妻をも 放棄し 彼ら自身ただ神の愛に 浸るのです そしてこの世の人々は 誰も彼らのことを 理解できず おかしい ちょっと均衡が 崩れたと非難するかも しれません 彼らは神を称賛する 歌を歌い 彼らは神の愛に 酔いしれ 彼らは真理を 宣誓するのです 「私と天の父は一体」 イエスの場合と同じで それで人々は 彼を理解できず 彼を傷つけずには いられなくなります 全ての聖書 全ての 宗教で述べられている ことですがこの身体が 唯一の神殿であり 神が宿る肉体の 神殿であると それは人間も 悪魔も天使も何も 神以外は私達の内には いないという意味です 私達が神なのです そして イエスが知った時 彼は宣誓したのです 彼は真理を述べました

内面の神が 自身であるという事を 認識できない他の人々 彼ら自身は未だ自身を 人間の身体 自分を人間だと 思っているか 神より自らを低い者と みなしています もちろん難しいです 生まれた時からこの 肉体という牢獄に入り 私達はずっと 目隠しされてきて 私達の天国の思い出は しばらくの間消されて しまっています でもそれは神性の 目的からなのです なぜなら創造の 目的とは 色鮮やかな宇宙の 目的とは 私達が 異なる役割を演じねば ならないことなのです この役柄に 専念して 演じるために 私達は 天国を忘れねばならず 神の一部であることを 忘れねばなりません しかし 今はもう 恐らく私達多くの者が 十分演じ 家に 戻る時が来ています

あなたが家に帰る 時だと思うなら ここでの劇場に うんざりしてきたなら 家に連れて帰れます 非常に単純です バスは待っています いわゆる古い魂が 既に家に帰る準備が できています なぜならこれらの いわゆる古い魂は ここにそれは長い間 ずっといたからです 彼らはこの世界を 加護し 彼らが持つ 全ての物を与えました 彼らは様々な仕事や この世界のため 彼らのために創られた 異なる出来事を 経験するのです 恐らく彼らはもう 十分だと思います このような うんざりしている人  神の愛を楽しみたい人 ずっとこの世で 疲れている人に私達は 解決策を提供します

それであなたはもはや 疲れたと感じる事なく 寂しいと感じることも なくなります もはや神はどこなのか 私はここで何をし 世界はどうして こんなで問題があるか などと思い煩うことが なくなります すべての答えが 明確に分かります もはや戦争について 神を非難することも 神の存在を疑うことも 神が聞いていようが いまいがよくなります 全く明確に分かります 皆さんが 聞きたいと思う質問に 私はお答え致します 誠意ある ご清聴に感謝致します あなたはなぜこの事を なさっていて あなたは誰ですか

私はすべき事をします 神がそうするように 私に言ったからです 私が誰かですか 誰でもありません 神がこの身体を通し その仕事を行います 誰の名のもとに あなたは印心を 授けるのでしょうか 天の父の名で 実際 神が印心を  授けるのです  私は何もしません 私はそこで傍観して 何をすべきか言います 印心の時  私は何もしません 私はそこにいる 必要もないのです 私はただ神をどこへ 探しに行くか示し あなたが直接 神と交流するのです

でも自身の意識が 上昇した時は より良く 理解できることに なるでしょう それを世俗的に 説明するのは困難です 私は歌を歌い 詩を書いて  私のデザインで 表すことができます 私の絵画でも 表せますが神の本質を 説明することは できません あなたはご自身で 知るべきです そしてどうやるか私は 示すことができます それで神と一体で あることを知ります ええあなたの偉大さを 本性を私はただ 示したいと思います なぜ印心は 即刻開悟を示唆して いるのでしょうか なぜ印心することで 即刻開悟できると 言うのでしょうか それは即刻に 起こるからです 開悟はあなた自身です

あなたが 光の本質なのです そして私が光を あなたに示したら あなたは即座に光を 見るのです それを 即刻と言いますね 神はあなたの内にある と私は言いました 神はすぐそこにいます 私が示しましょう 簡単でしょう 議論好きな頭脳に 騙されないで下さい ただ行って神を 直接 すぐ見るのです 本当に即刻です その後あなた自身で 毎日続けられます 私がここにリンゴを 持っていたとしますね 今すぐ持てますか 聖書で言っています 「神は汝の内にいる」 直ぐに神を知ることが できないとしたら おかしなことでしょう 非常に簡単です 忘れてしまっただけで 私がお見せしましょう 神は本当にあなたの 内にいて神以外の 何者もそこにいません
なぜ開悟させるのに 他の誰かが 必要なのでしょうか 私達自身が 内在のマスターを 信じることで 開悟しないのですか ええ 良い質問ですね あなた自身の力で 毎日神を見て 毎日光を 見られるなら それは神の本質を 表すものなのですが あなたが神の教えを 毎日聞けるなら 必要ありません 見ることは 信じることだからです まだ神を見てなく まだ内在の光を 見ていなくて 目を閉じると暗闇が 広がっているだけなら 私の所に来て下さい 神がそこにいることを お見せしましょう 私は長い間ずっと ベジタリアンですが 私の犬はベジタリアン ではありません 私は彼が犬なので 肉を食べると 知っているからです 彼の食物供給のために 殺生を行うのに協力 することは 私には 非常につらいのです

準備ができてないなら 他者に対しあなたの 生き方を強制する 必要はないと思います でも菜食の食事を試し 彼が好むなら準備が できているのです 私達の仲間の多くが 犬や猫を 飼っていますが  突然 肉を食べなく なったりします それで彼らは 色々異なる方法を試し マクロビオテックの 食事を与えたり そのようなことをです 起こり得ます

全ての生き物の内面に 意識があります 私達は彼らに生き方を 選択させるべきで それには人間も含まれ 私達は自分が歩く 人生を選択します それから 彼らに準備ができれば 彼らは別の生き方を 選択します 最初私達は 神と一体でしたが やがて 神から分かれました その後多くの 輪廻転生の中で 終わりのない転生で 神と再び一つに なりたいと思いました それが今起きている 事なのでしょうか それはなぜですか ええ 今起こっています もう十分したからです

例えばスロベニアは 実に良く温かいですが 時々あなたはドイツ 英国 フォルモサ  (台湾)日本へ 行きたくなります でも何カ月か旅行し 違う美しいものを 見て回った後 あなたは疲れ 家に 帰りたくなるでしょう スロベニアは小さく それでもそこは あなたの家でそこが 好きで家に帰ります 印心を受けて その後やめてしまい しばらくしてその後 何も起こらなかったら どうなりますか 満足できないという 理由ですが 神を見た後 誰もが 満足に感じるはずです でもあなたがその道を 歩くには弱すぎると します

それなら いいです あなたは そこにいて下さい あなたはまさに大学に 入学手続きしましたが それ以上勉強しない それだけです いる所にいて下さい でも私はより肯定的な 考え方を勧めます あなたの将来を形作る より勇敢な道を始める 前から あきらめたり しないで下さい あなたが選択した道を 知るなら 崇高で ただ 正しく 幸福な道だと いう事を知るでしょう そしてそれは私達の 人生のあらゆる面でも 恩恵となり 全ては 心から続けるべきです

聖書では 最も大切な戒律に ついてこう言います 「神を愛せよ 汝の心の底から 汝の全身全霊で そして考えの中で」と しかし 私達はまた 一種の 試運転のように ただちょっと試したい 長い間縛られたくない という人々もいるので 今日あなたは試して みたらいいでしょう どんな感じか そして家でその後 少し望むなら 続けてみて下さい あなたは神を試運転 してみたいのです まず試運転です 二つの種の愛があると あなたは言われました

世俗の愛と 神の愛とです この場合愛は 分けられるのですか 変だと思うのですが コメント頂けますか おかしくはないです 私達は神の一部ですが 私達は分けられている ようにも感じ 例えば 個人個人のように それで私達は神と 離れていると感じます 人間の愛は 神の愛の一部です それで私達は 始めるために 愛が何かを知ります 私達はどこかから 始めねばなりません ちょうど神の試運転を したいといった 人達のようにです ええあなたも部分的に 神を見るでしょう

けれど完全に 神を知るためには 自身の意識を 可能な限り高く 引き上げ その道をずっと より真剣に 一種の仕事と捉え 進まねばなりません 実際 多く働くことも ないのですが ただ 時々 あなたが働いている間 コーヒー休憩を取るか 疲れた時横になる という感じです それで神に 瞑想するのはちょうど しばらく休憩するとか  眠ることと同じです 

眠る代わりに 私達は目覚めていて 神を見るそれだけです そして終わった時 より充電された感じで より精力的に より知性的に より愛深くなります 眠った後のようでなく 時々それよりも更に 良い気持ちがします この種の休憩は 通常の睡眠よりずっと ずっと良いです 身体にも精神にも 良いのです 一旦 見聞きしたら それですか それが開悟ですか 一旦見聞きした時と いうのがあなたの 結論ですか 全てで それが開悟なのですか

ええ それが始まりで あなたはもっと深く 深く智慧と愛に入って 行くことでしょう 開悟の意味は 即座に光を見るという ことです それは確かです けれども自身を完全に 知るために神の王国の 全体を知るには 私達は毎日少しずつ しなければならず それで私達は神の邸宅 全部が見られます 自身のエゴが 完全に消えてなくなり 神だけが残る所に 到達するまでです イエスと同じです 彼は「私と天の父は 一つである」と言い 「私ではなく父が 行ったのだ」と言い ならイエスがした事は 私達にもできます

彼が約束したように 私がする事は何であれ 汝らは更によくできる 開悟は 個人個人の各自の 決定なのでしょうか 神が状況を設定した のではないのですか ええ もちろん あなたは自身が 開悟したいか 決心せねばなりません 条件ではないです 神は既にそこにいるの ですから でも神のようになる ためには 私達は自分の人生を 試してみるべきです 全て正しいかどうか 例えば ベジタリアンになる ことは条件ではなく ただ全ての衆生に 私達の愛を広げる 方法なのです なぜなら開悟したなら 私達は神のように 神の愛に なるからです

例えば 神を信じないとか 自身が神であると 確認できないとしても 何か高く 判別しかねる力を 感じるなら 印心を受けるのは 賢明なことでしょうか 直接神を知ることは 常に賢明なことです 光栄なるマスター あなたが私の悪い カルマ(報い)を 浄化することは 他者にとり不公平では ないですか 他の人は 不使用なエネルギーを 彼らが奉仕する事で 解決せねばなりません どのようにあなたは 悪いカルマ(報い)を浄化するのでしょう ベジタリアンに なるより他にですが いいえ 私の奉仕さえ 希望していない人には 強要することは しません

誰であれ私に望むなら 彼らのために 苦しむことになっても 私はそれをします 医者は 彼の所に来た患者には 必ず医療援助を 行なわなければ なりません あなたの意見はたぶん 公平ではありません でも医師は歩き回り 皆を指さして あなたは病気です 私のところへ来て 治療を受けねば なりませんと 言うことはできません 病院へ行かねば ならないと たとえそう言っても 患者は来るか どうかは 患者次第です 神の力はあなたの 悪いカルマ(報い)を取り除きます 何かをするのは 私ではありません この体を利用するのは 神の力です

そして時々 そのカルマのために つまり 原因 あなたの行いの結果 たぶん悪いカルマ(報い)は とても大きいので 神のパワーは強い 投薬を与えねばならず そしてもちろんこの 体にも影響します でも心配しないで この体は事務所です 何が起こるかは 重要ではありません 他の人々を幸せにする ことは価値があります そしてこの体は 車のようです 人々が行くべき所へ 運ぶためだけに 利用されます ですから心配しないで 車が傷つけられても  古くなっても 新しい時ほど 美しくなくてもです それが車の 目的だからです

また私達は一体なので あなたに尽くすことは 自分に尽くすようです なぜ世界中に戦争が あるのでしょうか 戦争を止めるためには 何ができるでしょうか 私達がこの地球で 何らかの 好戦的なエネルギーを 作ったので 戦争は存在します 私達が憎むとき 殺したいと思うとき 神が私達を愛するよう 私達が互いを愛さない 時はいつでも 好戦的なエネルギーを 作り出します そしてこの種の 十分なエネルギーが くっ付くと それが 戦争へと発展します 憎悪と妬み そして あらゆるこの否定的な 感情にはエネルギーが あり 愛にも エネルギーがあります

誰かがあなたを 愛している時 お互いに愛し合って いる時 とても至福に満ち 幸せだと感じます たとえこの愛に 触れられないとしても 説明できなくても そこにあるのが分かり この種の愛に 浸ります 気分が良くなります 同様に 私達が互いに 憎み合う時 あまり心地よくは 感じません 時にはそれが元で 病気にもなります 憎悪 嫉妬 独占欲 無知 これらは全て 常に戦争を起こします そういう訳で 私達は 考えること すること 望むものに対し 日常生活の中で 気を配らねば なりません

彼らは神を知らず 内面も たくさん苦しむので 人々は戦争を起します 愛情不足を感じます 安らぎの不足 安全さ 加護の不足を 感じます 彼らはどこを向くか 分かりません 神が存在するかどうか さえ分かりません 何かに絶望的に なるので 凶暴になり 戦争を起こすのです 悟りはこの世で ありとあらゆる 病気の唯一の 解決策です 神の愛は この地球の あらゆる問題の 唯一の薬です 私はこの欧州ツアーで 人々の意識を上げ あなたが より高次の本性を あなたがより高次の 本質だと思い出す ように援助することを 望んでいます それで雰囲気は変わり エネルギーは より愛深く 高尚に 高次元になるでしょう それが世界平和の ための私の祈りです

また 戦争難民にも 会いに行きたいですが そこへ行けません

私達はただ赤十字を 通していくらかの 財政援助を送ります そして皆が神である ということを 思い出させるために 走りまわります 神は他の神を殺す べきではありません あなたは祈ることで 援助できます あなたは世界平和を 助けられます あなたは祈ることで 戦争を短くするのを 助けられます より高次の本性を 思い出すことによって 愛情 親切な考えを 送ることによって それは 戦争を起こす 人にさえもです 私はあなたに 継続的な生活習慣 古典的な食べ物による 瞑想への影響を 説明して もらいたいです

通常の肉食  そして喫煙です 瞑想はどう私の生活に 影響しますか

彼がまだ肉を食べ 喫煙 それら全てを する時に 瞑想はどう 影響を及ぼすかですね 効果はありません あまり効果はないです なぜなら 体を浄化して 初めて 神の光を受け取る ことができるからです 肉を食べて タバコを 吸っても光を見る事が ありますが その後更に 高い境界に行くには 必ず荷物を減らし ゴミを少なくし 体を浄化しなければ なりません 心を迷わせる類の 毒を止めることです 食生活を変えた後 瞑想すると 自分の考え方は 変わるのですか 交渉していますね 覚えているべきです

私達は心と魂を挙げて 神を愛すべきです 神が第一で この世界がその次だと 決めたらいっそうの事 速くした方がいいでは ありませんか 引き続き以前の 生活をすると 例えば 動物の低い振動力の エネルギーは 私達を下の方へ 引きずり落とします 上に上がることは 大変難しいのです 神は愛そのものなので 神に近づきたいと 思うなら 愛の近くにいなければ ならないのです 自分自身を 愛の模範とするのです 私達が野菜や果物を 食べるのも 実は やむを得ないことです ただこれらは意識が 大変弱いのです

それに 枝を一本切ると 三つ生えてきます でも豚の頭を 切り落としたら 頭が三つ出てくる事は あり得ません 何を食べようと 神は気にしないし  神が厳格なわけでも ありません ただ神に 近づくにはこのような 生活を送るべきです 自分で選択して下さい 自分が歩む道は 自分で選択するのです 私はただ必須の事を 教えるだけで 選択するのは自分です 今するか 来世にするか 違った時間にするか いずれも構いません

私はクリスチャンです 私が知りたいのは どうしたら標準的な で ありながら同時に あなたが言ったような 生活が送れるかです 私が話したことは まさにクリスチャンの 基準です 十戒を守り  神を知ることです これが全てです 私は決して人を殺す ように教えていません 嘘をいうようには 教えていません 盗みを働くようには 教えていません 私が教えているのは 十戒と同じことで 五つに縮小しました そして神を知ることで それだけです これこそクリスチャン しかも最も標準的です 聖書にもあります

神は言いました 私はすべての野菜と 果物を創造して 汝らの食べ物とする そして全ての 動物を創造して 汝らの友達とする とあります 神はまた 雄牛と雌羊を殺して 私に供養するな と言いました 神は言いました 悔い改めよ なぜなら汝らの手は 罪のない動物達の 血で汚れている 殺すのを止めよ と これは聖書にあります 人生を送るのに どちらがより高潔な 生き方かはあなた次第 自分で選択して下さい あなたが神だからです 時間が来れば 自分で分かります あなたが肉を 食べようが 食べまいが 私達の瞑想団体に 所属していても していなくても 私から見た場合 あなたはやはり神です ただあなたは 引き続き 自分の役を演じ まだ家に帰る選択をしないだけです

自分が神であることを 知る選択をしたいなら それはあなた次第です 印心の前に 他の法門を習って 他の法門を習って それで生計を 立ててきました 印心後も引き続き レイキマッサージか 指圧してもいいですか 生計を立てる方法は 他にも沢山あります なるべく 神の指示に従って  勤勉に働いて 生計を立てる方がよく 神のためだけに 神を崇拝すべきです そういう訳で 私が 皆さんのために 教えていることは みな無料なのです

なぜなら神が皆さんに 奉仕するのであって 神のパワーです 料金は取れません 多くの人は私に 助けを求め 祈ったら 治ったと言います でも私は決して お金を取りません なぜならそれは 私達がやったのはなく それを癒したのは 神だからです ですから 私の浅見からすると それで生計を立てる べきではありません この世界と神とどれを 取るか選択して下さい 時間は大いにあります 選択する時間は 永遠にあります

あなたは私達の国に 住みたいですか この国にセンターを 作りたいと思いますか 住みたいですが できないと思います あらゆる国が私を 留めたいと思ってます たぶん私は行き来する 必要があるのでしょう でも有難うございます 私達はこちらにすでに センターがあります 連絡用の電話番号は その小冊子に 書いてあります でもセンターはあまり 必要ではありません 私達は家で瞑想します 自身で神を見ます ただセンターは 時々私達が集まり 私達の愛と経験を 分かち合います

それもいいものです 私達とあなたとの 出会いは偶然ですか 神の取り決めに 偶然の一致は ありません 聖書ではこう言います 汝の頭から落ちる 一本の髪の毛でさえ 神の意思であると 私達が神を知ると すべてが神の 意思であると分ります 私達の運命または 宿命 そこに起る すべてのことがですか 現在と未来において 私達の運命 または 宿命は既に定められて いるのですか そしてそれは 変える事はできますか はい 運命と宿命は 皆に定められています

なぜなら私達には 変えるための十分な 意志力がないからです それは私達が 神の愛に繋がることが できずに それで 変われないからです けれども 再び繋がった後で 私達は変われます もう頭脳で 働くことはなく すべてを可能にする 宇宙の力で 私達は 働くからです ですから印心後は 霊能者ですら あなたの手相を読めず 未来を告げられず 何も見えないのです というのは あなたの意識がより 高次の意識レベルに 上がったからです そして より高い観点からより 明瞭に見ることができ 沢山のことを 意識的に より高次の意識の中で 変えることができます もう一つの秘密も 教えましょう 今 何が起ころうと 他にたくさんの 可能性が 同じ時に 宇宙の貯蔵庫で 起こっています

日々の瞑想の中での やり方を見せた後 あなたは異なった 可能性をのぞき見て そしてあなた自身の ために一つ選べ 続けたくないことを 拒否することでさえ できるのです 神の王国には 過去はなく未来はなく 現在もありません ただひとつの時が 続いており ただ一つの中に 全て 一つの中にあるのです 貯蔵庫にいるように たくさんの 選択があります イエスは言いました わたしの父の家には たくさんの邸宅が あると 私達はこれらの沢山の 邸宅を知らず それで一つの選択に 留まっているのです

それはとても低い 意識レベルであり 物質的な住まいであり だから苦しむのです 私達は他の異なった 選択を知らないのです 神を知るということは これら全ての異なる 邸宅の鍵を手に入れ 選択によって 甘やかされます それで私達の人生は もっと充実し もっと幸福になり もっと満足するのです 沢山の邸宅とは 私が言ったように 沢山の異なる出来事が 同時に起ることです 私達は一つを選べます そして他を拒否します

まるで沢山の邸宅が 同じ家の中に同時に 存在し そして 異なるものを同時に 収容しているようです したがって 悟った者だけが これら全ての異なる 選択を入手できます そしてそれがあなたの いわゆる悪いカルマ(報い)を消す 方法でもあります それで私達はそれが どこにあるのか知り それらを燃やし 破壊できるのです 悟りはどのように 将来の来世に 影響を与えますか もちろん あなたの国の 誰もが悟れば ことは 大分良くなるでしょう

それはまるで神が 国中を歩き回るのを 見るようなものです あなたも神であり ただあなたは 自身が 神だということを 知らないのです またあなたの中にある 神にどのような力が あるかも知らず それであまり 使えないのです 次に到来する 世紀には 世界はさらに良くなり 違った場所になります それはもっと多くの 人々が悟るからです それはあなたの国だけ でなく 全世界に 影響を及ぼします もう戦争は なくなるでしょう もっと愛が もっと平和が もっと豊富な食物と 必要品が この国民 だけでなく 皆に 与えられるでしょう

加護は平等に 共有されるでしょう もっと平等にです ですから たとえ この国がとても 繁栄していて平和でも まだもっと世界の事を 考えるべきです そしてまた 悟るべきです それでこそ世界に更に 祝福を与えられます なぜなら まだ より多くの 苦しんでいる衆生が 世界にはいるからです 地獄は 存在しますか それがあるなら それで私達が結局は 地獄に行き着くのなら どうやって人生を神の 贈り物と捉えますか 知らないのですか 地獄は既にこの世界の 至る所にあります 他の国を見て下さい 地獄も見えます 他の国で人々が他を どれほどひどく扱って いるか見て下さい

地獄の存在を知ります 地獄がなければ 神はイエスや 他の聖霊たちを この世界に送ることに 煩わされないでしょう 私達の人生を とても良い市民として 良い人として送れば 地獄へ行く必要は なくなるでしょう あなたが宗教に 属するかしないかは 関係ありません キリスト教徒が 十戒を守り続けるなら 地獄へは行きません 仏教徒が イスラム教が 彼らの宗教の 真の戒律を守るなら 地獄へ行く必要は なくなります でもこの地球と似た 別の人生を送る必要が あるかもしれません

または短い間 天国へ行くことが できるかもしれません そして戻ってくるか その意識レベルと似た 別の惑星へ 行くでしょう 地獄は存在します 自分で撒いた種は 自分で刈り取るのです 憎悪の種を撒けば 不当の種を撒けば 苦しみをもたらす どんな種をも どんな種類の種をも 撒けばそれと全く同じ 体験をするのです 私達が何を 他に与えようとも 最後には自分自身が 体験するのです それこそ私達が 地獄と呼ぶものです それが悪い結果なら 地獄であり苦難です ですからイエスは 汝の隣人を愛せよと 敵すらも愛せよと 私達に忠告したのです これらの人々にとって 地獄は存在しません 私はただあなたに今 天国を見せるために ここにいます 地獄に行くかもと 恐れないで下さい

あなた自身で天国を 見る事ができますから 天国を知りたく でもまだ地獄を 心配している人は 誰でも どうぞ十戒を 守り続けてください 毎日心から神あるいは イエスに祈りましょう そうすればあなたが 往生したとき問題は より少なくなります 神のご加護を 祈りを忘れずに

ありがとうございます有難う 有難う 愛を有難うございます ありがとうございます 沢山の愛を感じました

 
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