智慧の言葉
 
落ち着かない心を制御する秘訣 1/2  一九九四年六月五日、フォルモサ(台湾)西湖(中国語)   
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台風が来る時には それらをしまいます そうすれば 吹き飛ばされません この種の屋根は 長期間耐用します ここは一時的な世界で すべてが来ては 去って行きます 来ないものはなく 去らないものもない

これは「サンプラザ」 他の宗教にも 道場があります 私達のは「サンプラザ」 と呼びます ここの日光は 来る人誰にも無料です できる限り 太陽を浴びて下さい 西洋では人々は 日光浴のために 多くのお金を 払わねばなりません もうご存じですね そうですね(はい)

今から物語を話します それであなたがどれ程 多大な恩恵を受けて いるかが分かります 私がセンターに いる限り 皆さんはここまで車を 運転して来られますね 私達にあるのは 駐車場の問題だけです 古代 あなたが一日か二日 寺院に滞在したいと 思ったなら つまり門から入るとき テストがありました 問題に答えねば なりませんでした 驚くほど素晴しい 回答は不要ですが うまく答えねばならず つまり禅師は 人々のIQを試したい のです 分かりますか ですから沢山の難しい 課題を作り出します

あるいは公案で人々を テストするのです それはあまりに難しく 人々は時に自殺する こともありました 恐ろしいものでした 分かりますか 人々はあまりに公案に ふけるようになり 彼らは悟りが開けず そして自らのお腹を 切り開くのです 分かりますか ここではこんな恐しい 事は起こりません ここの殆どの人が 第三の眼が開いてます 昔むかし ある所に 寺院がありました そこに入りたい者は 誰でも質問に答えねば なりませんでした 修行のために 出家した僧でさえ 除外では ありませんでした

正しい回答をした その者だけが 一晩か数日 その寺に泊まれます インドでは誰でも 殆どの霊修行の場所や 寺院に滞在できます 誰かに質問されたり しません でも 寺院の維持費として 少しは 払わねばなりません あなたはそこに最長で 三日間連続して 泊まることができます 三日後あなたは 近所を少し歩き周り そうしてその後また 三日間滞在することが できます 三日以上は 延長して留まることは できません

この物語は 昔の日本の禅寺の おはなしです なぜ禅寺というのか 他の種類の寺とは? 他の寺 例えば 阿弥陀仏の寺では 人々は「南無阿弥陀仏」 と唱えなければ なりません それで そこに駆け込めます 他の寺と区別するため これを禅寺と 呼びました 禅寺は座禅のための 寺です 人々は座禅をし 公案について 熟考します ただ自由に来たり そこの人々を 邪魔したりできません 分かりますか だから規則が 成立したのです 彼らは旅人が 誠意ある修行者か どうか見極めるために テストしたのです 分かりますか 彼らが誠実であるか どうかにかかわらず それら厳格な規則が できたか理解しました

通常の人ならこれらの 因習は可笑しいと 思えるでしょう または彼らは全く 聞いたことがないか 禅寺に滞在を希望する 旅人は 彼らのIQが高いか または精神状態が 健全かどうか テストされました これは問題を避ける 一つの方法です 分かりますか それが ある禅寺でのことです テストに落ちれば 彼らは中に入る事は できず他の場所へ 行かねばなりません それが当時の規則です その寺には 二人の僧がいました 一人は年配で もう一方は若輩です 年配者の方は賢く 若輩の方はこの寺の 新参者でした

普通 その物語を 理解しなければ つまらないと思います 禅の物語は 観音法門を 修行していないか 悟ってないと退屈です それが何についての ことか理解しませんね話がなぜ素晴しいか 不思議に思うでしょう 完全に理解するために あなたは 内面の意味に 到達すべきです いいでしょう 日本の寺に二人の僧が 住んでいました 一人は非常に知的で 開悟し 威厳があり 外見も良かったのです 年配の僧は 非常に優秀で 見た目も美しく開悟し 聡明でした 反対に 若輩の僧は魅力的でも 知的でもなく阿修羅の レベルでした 彼は良い目が一つしか ありませんでした 彼は恐らく険約家で 彼はかつて二つの良い目を持ちながら 片方の目だけで 世界を見た時 同じ世界が見えると 思ったからです また時々それに 飽き飽きした時は 一つだけでなく 両方の目を入れました ある日 年配の僧は一日中 多忙でした

彼はその日の残りを 休憩し座禅する 必要がありました 一つの良い目を持つ 若輩の僧に彼らの住む 寺 「サンプラザ」の 面倒をみるように 言いつけました 放浪僧が遠くから やって来ました その僧はその寺に 一晩の宿を請いたいと 思いました そして 出立する前に 翌日菜食の食事を食べたいと思いました でも規則は規則です 若輩の僧のレベルは 阿修羅のレベルです つまり第一界で それ程高くはないです でも規則は規則です 彼はこの僧にテストを しなければなりません 彼が「住職」に なるのは稀です 年配の僧は深い眠りに 落ちていて若輩の僧が この寺の責任者になる ことができたのです 彼はこの放浪僧に テストしました 彼はマスターの机を 覆っていた鮮黄色の 布を取って そこに座り その僧に来て地面に 座るよう求めました その間に 「君はどこから来た」 若輩僧は尋ねます 「東京から来ました」 その僧は答えました

「一晩留めて頂きたい 明日 急な葬式があり そこへ私は行かねば なりませんから」 僧は言いました 若輩僧は答えました 「あなたが十分賢い なら歓迎致します 質問に答えられたなら 好きなだけ 留まれますよ あなたにIDさえ お渡ししましょう」 放浪僧は言いました 「もちろんです 規則を理解しています どうぞご質問を」 若輩僧は何と質問して いいか分らないことに 気が付きました 彼はそれほど「高い」 レベル 阿修羅つまり 第一界に到達してます とても「高」かった 第一界です 第一界はファースト クラスとは違います 皆知っていますね そうですね ここでの最も低い レベルは どの境界 (第一界です) 第一界ですね 若輩僧は何を聞いたら 良いか分かりません 分かりますか

しかし彼は 最高の禅の礼儀は 必ずしも言葉を必要と しないと思いました その僧は確実に 負けるでしょう 彼が何を考えようと 全て間違いになります 答えが正しかろうと 間違っていようと 若輩僧は誤りだと 言うでしょう 彼らの間の言葉のない 問答のやりとりの後 遠くからやって来た 僧は年配の僧の所に 駆け込み言いました 「去らねばなりません 私は負けました 私はご挨拶とお別れを 言いに来ました 今おいとま致します お若いお方は 偉大です 彼は素晴らしいです 私はあなたの所を訪れ またはあなたの下で 勉強できず残念です 負けたからです あなたはお若い方より 更に偉大に違いない それだけでも驚きです しかし 私はここに 留まれません  規則に従います 負けたのですから」 年配の僧は十分休息を 取っていて尋ねました

「何があったのです 問答のやりとりの間に あなたはどのように 負けたのですか」 その僧は答えました 「彼がまず求めたので 私は一本の指をこう 立てました この世で 唯一尊重される 全能なるものを比喩し 仏陀です 完全に開悟した者を 示します それで指を立てました 「お若い僧はすぐに 二本の指を立てて 答えました それで私は負けました その意味が分かります 私は認識しています 法(真の教理) 自体を 教えなければ 仏陀が座っていても 役に立ちません」 仏陀だけでは 役に立ちません 彼は説教と講演を せねばなりませんね 私達には仏陀と ダーマ(真の教え)の 両方があります 「私が負けたことは 疑いようがありません このとこで彼をとても 尊敬しています それで物事を ひっくり返そうと 私はこのように 三本指をたてて 仏法僧を 尊敬して 示しました

分かりますか 三つが一つに なってこそ完璧です 多くの修行者は まるで一体のように 平和に一緒に暮らし 唯一ダーマ(真の教え) だけがあり仏陀だけが 存在していて それは世界で 最も貴重なのです ダーマは唯一無二で 真実以外に何も無い 多くの修行者は 皆一つなのです ですからこれが 三本指の隠喩の 全てです 「お若い僧は 驚いたことに 拳を私の鼻に 近づけました ええ 彼は今にも私を 殴りそうで殴らない これは確実に 人がすぐに開悟する ことを示しています そういう感じです」 彼の言う意味は 仏法僧は 一生涯で すぐに開悟出来ると いうことです 「一撃は即刻開悟を もたらします それは私を超えてます

お若い僧が どれほど素晴しいかに 気付いた後 私はすぐに あなたの元に来て 謝り 去る前に 敬意を示したのです」 そうしてその僧は 寺を去りました 一方  若輩の僧は走り回り 年配僧に尋ねました 「ええと遠くから来た 僧はどこですか いったいどこへ」と 年配僧は答えました 「おお 彼はお前に負かされて 逃げましたよ 素晴しい 本当に素晴しい お前がそんなに 開悟していただなんて 今まで何年も 過小評価していて すまなかった すまなかった お前が優秀だと いうことを知った ああ彼は去ったよ」 若輩僧は言いました 「いつ勝ったのですか 彼をやっつけたかった のに逃げましたか」 「おや」 年配僧は言いました

「なぜ彼を 殴りたかったのだ お前が勝ったと言った なぜ彼を 殴りたいのか 会話を話してみなさい 何を話したのか なぜ彼を 殴りたいのか」 若輩僧は言いました 「あの男は傲慢ですよ あなたは知らないけど 私に挑戦してきました ここに来るなり 挑戦してきたのです ここに来て私の目が 一つだと見るなり私を  バカにしたんですよ 彼はすぐに 一本指を上げて 私の良い単眼を見て 冷笑的に でも 私に謙虚さを 修行しろとあなたが 言ったのを思い出して 誰に殴られても 怒られても 我慢すべきだと 僧侶になるには それに耐えるしか 選択がありません

仏陀が言った事を 思い出しました 憎しみには優しさで 応えよと そうですね 憎しみには憎しみで 応えてはいけません それで彼を褒めました 彼を怒らないように 最善を尽くし 侮辱 しないように努力し 私は二本指を上げて 彼を褒めて 彼が双眼を持てて 恵まれていると 示しました 彼の素晴しい所です それでも彼はまだ 満足しませんでした 満足しませんでした 彼は私が降伏したと 知って 私を 侮辱し続けました」 年配僧は言いました 「どう侮辱したのだ 彼は僧侶だ なぜお前を 侮辱するのか」と 若輩僧は答えました

「彼は三本指を上げ それは 私達二人 合わせて三つの目だと いう意味です 怒りますよね ええ その時にはもはや 我慢できませんでした 私は彼に拳を上げ 幸いにも 彼は逃げましたが 彼の後を追いましたが ここに来る前に 彼は逃げました そうでなければ 彼を拳でもっと 殴っていましたよ」 もう分かりましたね ええ これでこの話は 終わりです 僧侶は逃げました そうでないと 話は まだ続くでしょう この話は もちろん とても面白いです でもお分りのように この話の背後には 厳粛な道理があります 私はよく面白い話を しますが 皆さんを 笑わせるためだけでは ありませんね それには根本的な 道理があることを 知っていますね 全ての物語には殆んど 根本的な道義が あります 私が 説明しようが しまいが 

時には説明しますが 皆さんはある面では 理解しますが 家に帰ると別の角度で 理解しします 時には 説明がなくても 自分流に 理解していて 自分の開悟の レベルに応じて 説明します 自分のレベルに応じて 理解しています

この物語には いくらか暗示があり すなわち私達 霊修行者は異なる レベルでは物事が 違って見えるのです そうではないですか 私達の内面が単純で 純粋で 肯定的なら 物事が肯定的に 心地よく 美しく 見えるでしょう 単純でなく 内面が否定的なら 全てが悪く感じます そうではないですか

時々 私達は霊修行に 献身し過ぎて 私達は自分の外見の 容姿やどんな洋服かも 忘れてしまい しばらくの間 ただ霊修行に 献身します 道に到達した後や 理解した後では リラックスして 常には緊張しません 分かりますか ある人はこのように 理解しますが しない人もいます ですから同じことを 人によって 違う視点から見ると 違う結果に 繋がるのです 同様に なぜ私達は 修行をすべきなのか それは  修行をすると 私達の智慧が開き  私達の思考がもっと 開くからです 全てに対して偏見を 持たない時だけです それだけです

同様のものが与えられ  真の姿を見ます 私達は誤解もせず 幻想で混乱せず 欺かれたり 偏見によって 歪めて見たりしません だから  しばらく修行をすると 私達はこの世界で 幸せに 暮らせるのです 家は以前と同様古ぼけ まだ払うべき 負債があり 子供達は相変わらず いたずらで 夫は外で 「蝶」の後を追うかもしれません でも私達は異なる 精神状態の中にいます そうですね 違うように考えます 例えば

子供は賢くなるために いたずらします ええ 子供は とても賢いので いたずらなのだと 例えばそのようです こう考えるかも「ええ どんな子供もいたずら 大きくなったら まじめになる 構いません」と または夫がもう一つの 「バラ」を探している時 私達に修行のための より多くの時間を 与えてくれる 神の手配に感謝する かもしれません でしょ 分かりますか あなたはこの経験が ありましたね

ほらね 私は勝手に 言っただけで  まさにその通りです 私に神通力があると 言わないで下さい 何気なく話すだけです でもうまく当てます 反対に 修行していない人は 非常に落胆しています わかりますか 同じ状況が 与えられても 彼らは我慢できません 時々 問題を 解決するために 凶悪な方法も考えます それで非常にひどい 事件を読むのです 例えば 妻か恋人は もう一人の妻か 恋人を傷つけます 例えば 彼女の美を 滅ぼす為に競争相手に 酸を投げかけます 酸を投げけける人も 良い結果を 得られません 投獄されて残りの 人生を苦しみます 夫に会うことは できません

それはどうですか 彼女は終身刑になって どこにも行けません 誰も彼女の子供達の 世話をしません このようなことです 彼女も若いときを 無駄にします 夫とか恋人に 会うことができません 彼女の恋人も 非常に怒っていて 彼女を恨みます たとえ彼女が刑務所に 入らなくても彼はもう 彼女といたくはなく 彼はこのような人を 怖がりますね 彼女はそこからどんな いい事を得られますか この世でより多くの 人々が霊修行をすれば そのような事件は 少なくなるでしょう 私達は明るく物事を 考える事ができます 苦痛がないではなく でも憎悪の邪悪な 考えがありません

この世ははかないと 理解します この世のカルマのある 関係を知っています 例えば 私は以前彼に負い彼はあなたに負い あるいはこの人は 前世でその人の妻で 再び 彼を夫としたくて この人生に戻って 来ました または 彼らはたぶん敵でした 人には分り得ません 人が私達の財産を取る ことは必ず悪いという 訳ではありません 私達が修行し始めて 悟りを開いた後では よりよく 分かりますね 私達は馬を失った 老人の話を読みました それは形を変えた 天の加護であることが 分かりました このような多くの 他の物語を読みました

しかし私達は学んだ ことを実践しません 私達には既にあまりに 多くの理論があります 多くの宗教の理論が ありますね 何千もあります 何百万もの 仏教経典がありますね それらを読み終える ことはできません あまりに多くの教理が 儒教と道教にあります 全部を覚えることは できませんね 私達は理論を 実践に生かしてません ですから国は つまり いくつかの国は 混乱状態にあるのです そこの政府が人々と 国を治める際に 先哲によって 伝えられた 倫理規定に 従わないからです 人々も不注意に 彼らの人生を送ったり 虐待されます 子供は 両親の足跡に従って 代々無知で生きます

ゆえに数千年 数百万年 何十億年 たってもこの世界は 同じ歴史を何度も 何度も繰り返すのです 二組の服を着て 一日に二、三食を食べ 一日八時間かそれ以上十時間 十二時間 働きます この物理的な体を維持するために働くのです 大部分の人々は この世で何をしてるか 分からないのです 状況に迫られ やむを得ず自分達が 好きでない事をします 彼らは悪意をもって 互いを扱い 時には 彼ら自身の意志に 反して行動します これはすべてが 理論だけだからです それは人々の心を 変えられません

私達が知ってる教理と 理論を消化するために 毎日静かに 瞑想しないなら それらを実践する ことはできません だからただ学んで 考えて忘れるのです ほんのわずかな人しか 本当に賢人の教えを 人生に組み入れる ことができません そうではないですか 釈迦牟尼仏は人々に 菜食になるよう 勧めましたね 仏教の歴史を 例にとってみましょう 仏教は人々に 菜食になって殺さない より多くの功徳を 得ることを教えます

ほとんどの仏教徒は そうしますか(いいえ) 彼らはできませんね ある者は 菜食になりますが 太陰暦の一日と 十五日の二日だけです 恐らく彼らは月二回で 十分仏陀になれると 考えているのでしょう たぶん 彼らは 職業病になることとか 何であれ長い間 仏陀になりすぎるのを 恐れるのでしょう それで彼らは月に二日 だけ菜食になります 二日間だけでは あまりに少ないと 言う人もいて 月に四~六日菜食に なる人々もいます 残りの二十四日間は どうかと思うのですが ある人々は 「朝だけ菜食」で 彼らは菜食の 朝食を取った後 正午まで待ち 時間きっかり 彼らは 肉を食べに出かけます ですから彼らは朝だけ 仏陀になりたいのです 夕方彼らが 何になろうと どうでもいいのです さほど悪くないです ちょうど職業を 変えるようなことです 幾つかの仕事を持って いる人々のようです

そうですね たぶん これらの朝だけ菜食者 一日と十五日だけ 菜食者は同じ考え なのでしょう 古代よりなぜ僧侶や 神父は尊敬されて きたのでしょうか 知っていますか 彼らの何が私達と 異なるのでしょうか 今日も同じです 私達は僧や神父は 私達より良い存在だと 思っていますね 殆どがそうです つまり殆どの人々です 私達 観音法門 修行者のことでは ありません 違いますなぜですか 誰か分かる人いますか 善良さ 必ずしもそうではない 善良に違いない 残念 彼らはなぜ善良ですか 彼らは高い霊的 レベルにいるからです (戒律を守ります) 彼らは戒律を守ります (毎日神を 崇拝しています) 毎日神を崇拝します (平和 高尚です) 平和で高尚 他にはどう (愛です) 愛 彼らにありますか (結婚していません) 結婚していません (出家) 出家 本当ですか 全てを放棄しています 他には何かありますか (衆生を解脱させます) 衆生を解脱させる存在 そうですか

(神の言葉を弘法する) 神のメッセージ (言葉) を広める ああ神の言葉ですか 言葉 (純粋な心)純粋な心 (経典を唱え 毎日仏陀を 崇拝します) 経典を唱え 毎日仏陀を 崇拝します それでは僧になるのは 簡単ですね 人々に尊敬されるためあなたに必要なのは 純粋な心 経典を唱え 仏陀を毎日崇拝し 独身でいて 親切で神の言葉を 広めること 他にありますか それくらいですか あまりに容易すぎます あまりに簡単です 未亡人なら簡単に 見つかります 善良で 経典を唱え 仏陀を毎日崇拝します 菜食を守り 経典を大声で読みます

彼女は 尼僧になれますね 人は彼女を尊敬します いいですか 十分ですか(不十分) 不十分です でもなぜ不十分だと 思うのでしょう なぜ普通の人々は いかなる宗教の 僧でも神父でも 尊敬するのでしょうか 彼らには時間があると 思うからです 分かりますか 彼らは専門家です 他に何もしていません 彼らは世俗の事を 考えたりしません 彼らは神の道(真理) だけを考え 常にどの 側面でもそうなのです 私達はそう思います 彼らは神や仏陀と 会話することが容易な 存在であると私達は 考えているからです たぶん神は私達が何か 言いたくても私達を 理解しないでしょう 私達は彼を通じて 彼が私達の伝言を神に 通訳しないといけない 神がその事を 理解できる前に そんな感じですね 重要な部分は まさにここにあります 時間と集中です

私が国連に 所属しているなら 全ての国々に すぐに有機ビーガンを 始めるよう助言します 彼らが肉食産業に 使用している すべての補助金を

政府が割り当てている 剰余金を代わりに ただ有機ビーガン 農業へまわします ええ 本当に簡単です

私達は宇宙の奇跡です したい事は 何でもできるのです

スプリームマスター テレビジョン 一月二五日火曜日の 智慧の言葉にて メキシコの一流 主要テレビ局 テレビサTVと スプリームマスター チンハイとの対談を ご覧下さい

本日のスプリーム マスターテレビジョン 智慧の言葉にて テレビサTVと スプリームマスター チンハイとの対談を ご覧下さい
私達のほとんどは 集中力がありません 道に神に仏陀に対し 自分自身を捧げる 時間がありません ただ仕事に集中し 彼氏や彼女を追うこと だけに集中しています ですから私達は自分の 心は十分に純粋でなく 十分献身していないと 思います それで献身する人達 例えば僧や神父などを 尊敬し 私達のために 祈ってくれと頼みます 神は私達が頼むより ちゃんと聞いて くれると思います これも道理に適います 少しは道理に適い ある意味正しいのです 彼らにはより時間が あります 分りますか 彼らは全時間を神とか 仏陀に捧げています

真の僧侶や神父なら そうあるべきです 程度の差はありますが 分りますか 彼らはこの面で 献身しています 私は異なる宗教の 本当に修行している 僧侶や神父について 言及しています 僧侶や神父について 話しています 皆 知っています 僧侶や神父というのは どこか他の場所で 修行するために 彼らの家族から 離れる人達です 今 神と交流したいと 思うなら 私達には いくらか時間が なければなりません 私達はその方向に 集中します ちょうど専門家が 自分の研究に集中する ようなものです そうして成功します

それは同じです ですから私は皆に毎日 瞑想するよう言います 私達がここで過ごす 時間は神と真理の 研究に集中するためで 同時にそうする時には 他のすべては 脇に置いています 僧でさえあんなに ただ集中できます 寺の世話をしなければ なりませんんね 葬儀に参列しマントラ 読経せねばなりません いえ いえ 死者の霊魂を済度 せねばなりませんね 彼はとても忙しいです その上 寺を改新 しなければなりません それに布施の記録を 残さねばなりません ゆえに彼は多忙です 彼はすべてをします その仕事は私達のと 同じで違いませんね 

お金を蓄え 記録し 会計をします 全てについて報告書を 書かねばならないなら 秘書と同じです そうでしょう 寺が必要とするお金は いくらか 何をする 必要があるか等々の 仕事をします 彼は総支配人と同じで 全てをする必要があろ 総支配人が 非常に忙しいのを 知っています また僧侶もそんなに 多くの仕事をするので 非常に忙しいはずです 寺を改修します 今日はこれを修繕し  明日はそれを修理し そして参拝者のために 料理をします ある者はそうします 多くの面倒を見ます ホテル経営と同じです 分かりますか 

ですから僧侶や神父が 忙しくないとは言えず 神父も同じです 間違いないですね カトリック信者から それを聞きましたよ 神父も忙しいです はい 彼らは教皇に 集金の量 使用用途 それが十分であるか どうかなどを 報告せねばなりません どのくらいのお金を 使うかを記録して バチカン市国に 知らせねばなりません 仏教寺院は たぶん 仏光山センターに 報告する必要は ないでしょう 報告しますか しない? そうですね たとえ報告しなくても それでも政府のために 記録に留める 必要があります 寺は非営利組織です それを何と呼びますか 非営利団体 非営利団体 とてもすてきですね それは納税を免除 されたことを意味し それでもその収支を 政府に報告する 必要があります  お金がどう使われたか 適法に費やされたか等 私達も同様にします

私達も  収入と費用を 政府に報告しなければ なりません 政府を 恐れているのではなく  それが法だからです 私達は平和を望みます 私達は同様にします なぜ異なるべきですか 分かりますか なぜ政府を 煩わせますか どこに住んでも 私達は地方自治体と 協力します 同じです だから僧侶は二四時間 神を求めているとは 言えないのです 彼も忙しいです 家でどう僧になるかの 秘法について 話させてください わかりますか はい 結婚してるかどうかは 重要ではありません 釈迦に五百人の妻が いたのを覚えてますか 彼は仏陀になりました

それは関係ありません 肉体運動は 何でもありません それにあまり注意を 向けないでください 誰も結婚しないなら 中華民国に何が 起こるでしょうか 市民のいない 国になるでしょう 人々と 市民がいなく 共和国はありません 人々のいない国 分かりますか それは市民のいない 共和国になります 人々がいなければ 機能しません しかし私達がいったん 修行し始めると この世のすべての ものから遠ざかります 情熱や名誉  財産等に没頭した 以前とは異なります  分りますか そうです 私達を動揺させたり 抑制するものはなく 子供を持つのは 私達の責任です そうすべきです

時々 私達の身体は それを必要としますが それに没頭はしません 大変明確に見えます わかりますか 以前私が話したように レベルが異なると 観点も異なります それは同じ 二、三本の指ですが 二人はそれらを 異なって解釈しました 一人は修行者で 彼のレベルは 非常に高く高い境界を見たことがありました 彼は人間の目で 人々を見ますが  一方 もう一人の方は 彼の「犬の目」で 人々を見ました 私達中国人は犬の目を 持つ人々を 軽蔑して話します

この人のレベルが とても低いという意味 彼の心の状態が とてもとても低いので 彼は他者を 自分のレベルで見ます それは私達中国人は 素晴らしく 悟ったと いう意味ですが 悟った後でその智慧を 脇に置いておいて それを腐らせます 私達は智慧をさらに 発展させていません ですから私は皆さんの 智慧を取り戻すよう 喚起しに来たのです それを毎日磨きます 智慧は物ではないので これは話にすぎません ではどう磨くのですか 本性は何もないと いうことですね 皆さん知っています あなたが悟っていない などと言わないように 埋め合わせしてません

ですから私は毎日 さまよっている心を 止める方法を 皆さんに教えています 私があなたに 毎日このように座り 目を閉じ鼻や耳を閉じ 何も見ない聞かない 嗅がないと教えたら 皆さんは必ず 悟りを開きますね これはとても難しい 分かりますか 私達は目 鼻 耳を 閉じられますが 頭脳は閉じられません だからある方法で 制御する必要がある どんな方法でしょう 多くの人が違う方法を 教えますが それらの外側や外の 方法では簡単に私達の 頭脳は制御できません なぜでしょう

頭脳は内面にあるから 分かりますか 頭脳は内面で ぶらぶらさまよいます それは捕まえられず 押さえ停止できません ですから皆さんが 悟って集中したいなら 頭脳を捕まえるための 内面の方法を 使わないといけません 分かりますか ですから印心が 必要なのです 私達にはある種の力が 内面にあります 皆の内面に 異なるレベルの覚醒 仏性があります 聞いたことが ありますか(はい) カトリックは神は内に あると話しますね そうでしょう(はい) それは私達が教会で 私達の内に神が宿ると いうことですね (はい)以前聞いた

ことがありますか なぜ私が皆さんが 知らないことを 話すかと言わないで どうして知らないの 内面に神がいます どうして神を 捕まえないのですか

聖書に幽霊が中にいる と書かれているなら 恐れるかもしれません 神は私達の中に 住んでいます どうして神を 外に出さないのですか 印心は中の神を 捕まえるための 秘法です それだけです いわゆる仏または 神を捕まえるのです 私達の中に住む スプリームマスターを 捕まえます 私には神を捕まえる 方法があります 皆さんにはすでに 方法がありますが 忘れているだけです 私はもう知ってるので 皆さんにどうすべきか 教えますので すぐにわかります いったん神を捕えれば それらは共に内面に あるので私達は 頭脳を管理できます 外部から叩いても 効き目がありません

靴下の中の痒みを なくすのに外側を かくようなものですね 私達は内面にいわゆる 神を利用すべきです それは私達の内にある 教会に住んでいて または仏性といいます 神に落ち着かない心を 征服させるのです 他に方法はありません 多くの人が 外面の方法だけで 頭脳を管理しようと しますが結果は 長続きしませんね しばらくの間は 集中できます しばらくすると 集中が途切れます 例えばある方法は 人々に小川の近くに 座り その音を 聞くことを教えます これを 観音法門といいます

これも一種です でもそれは観音法門の低いレベルで基本の ABCのようなもの これも役に立ちます 子供のころ 夜 降る雨の音を 聞くのは 心地よかったです そうでしょう 今も好きですね だから多くの修行者は 川のそばや 奥深い山の中に 住むのが好きなのです 彼らはそよ風の 優しい感触と 小川の音に大いに 安らぎを見出します 同様に 多くの人がテレビに 引きつけられます 私達にはテレビを 見るのはある面では さほど役に立ちません けれどテレビを観る 良い点もあります テレビを見た後 気分がよくなります

観ている時すでに 気分が良いのです このことを 調査した 科学者もいます 私達がしばらく テレビを見た後 落ち着きのレベルが アルファかベータに 移動すると言われます より穏やかであると 感じている意味です 頭脳が乱れません なぜでしょうか それは深く集中して 見ているからです 耳と目 全てが テレビに集中します その時乱れた思いや でたらめな話も ありません それで心が落ち着き 役に立つのです それで人はテレビや 映画を見るのが 大好きなのです 実際 多くの暴力的な 映画もあります 私達の血を興奮させ 緊張させます 後で落ち着きます

脳がまた 落ち着きます 脳と振動力の 両方が落ち着きます これは単に 外面のことだけです 時々 人はランプや ロウソクをじっと 見詰めるよう言います ロウソクを灯して じっと見詰るのです それも落ち着きます これは  違う瞑想の技法です これらの技法は 幾らかは役に立ち 全然役立たないという 訳ではないと認めます しかし その効果は 短時間しか 続きません それにこれらの技法で 到達した 浄化のレベルは あまり高くありません この場合 最高のレベルは 第二界です 第五 六 七 八または 九界等には至りません

テレビを見ること ロウソクや 硬貨のような光るもの 腕時計とか何かを 見詰れば  目の焦点が合わせられ  脳の活動が減ります それはテレビを 見るのと同じで 同じ結果を得ます 非常に類似し 大差はありません 結果はほとんど 少しも異なりません これはもう 別の種の瞑想です  でもより長く頭脳を 制御するためには一日 二十四時間それを 敵に戦うべきです どのようにしますか 内面に仏陀を持ち 自分のために働かせ 内面の神 内面の マスターを利用します 頭脳を支配できるのは 神だけです ちょうど車を操縦する ようなものです

いくら修理しても 運転手がいなければ 走りません ただ運転手を起せば 車は出発します 車を押したり牽引する 必要はありません 使い古した車なら 違います 印心は 古代からの 唯一の秘法です これは目に見えない 方門です それは内面の仏陀 神を目覚ませます それで私達は毎日 自分自身がマスター であると理解します それは内面の神 内面の仏陀です それは 手や足 化粧した顔 これらの服とか この体ではありません いったん神を目覚め させれば自分が仏陀や 神だと理解します 私達はスプリーム マスターです

しかし一日では速く 理解できません 内面の仏陀を目覚め させるため 毎日修行 しなければなりません いったん彼が起きれば 一日二四時間 連続的に働きます 彼はすべてを 担当します それで自分がしている ことに確信が持てます それこそマスターの する仕事です それはでたらめに働く 頭脳ではなく  機械でもありません この機械はまるで コンピュータのようで 何を経験しても 記録します キーを押すだけで 正確な情報だけを 伝えます それは 善悪を区別することが できません 分りますか

脳は善悪の相違や どの状況で 他のものを加えねば ならないこととか どんな仕事をすべきか 知りません ですからマスターが いなかったり 眠っていて 彼を 引っ張り出さなかった 場合 間違いをします 私達の判断は 殆んど間違っています そういうわけで私達の 生活はとても惨めで 無力で成功しません 私は経済上の成功 知識とか 社会地位について 話してはいません 私達には健全な思考 正確な考え 正しい観念があるので 成功します 私達はすべての自分の 観察を理解します どんな要因や 現象でも 私達は 真実を観察します その時だけ 私達は 成功してると言えます

先ほどの物語のように 同じ現象を観察しても 二人は 異なった説明をし  異なった経験をし 異なる理解をしました 多くの人は質問します なぜ印心すべきか 誰もが仏陀なら なぜ修行において マスターに依存せねば ならないのかと 皆さんは私に依存せず 自分自身に依存します 私はただ皆さん自身が マスターを捕えるのを 手伝っているだけです 自分のマスターを 思い出し捕えられれば 素晴らしいことです それを思いだせない なら 私が知ってます それだけです 誰でも自身の専門 知識がありますね

それで私達はその面で 自分を成長させてから 専門知識になります 画家は絵を描く方法を 知っています 建築業者は家を建設 する方法を知ってます 皆自分の仕事に 慣れているからです 彼らは自分の分野の 専門家で 自分の分野が好きで  絶えず勉強するので  自分の分野で より優れてきます 私達が家を建設し 彼から家を建設する 方法を学びたければ 学びに来ます それも同様に簡単です 自分には才能と能力が あると思えば 学習しないでも 家を建設できます それも構いません それならどんどん 家を建設して下さい

でも家が崩れても 誰も非難しないように それほど簡単です 印心とは  内面の仏陀を 目覚めさせ始める 時なのです そしたら頭脳を常に 管理できます そうでなければ  教えだけを知るのは 無意味ですね 少ししか役立ちません 私達は基本的な事さえ できない上に 仏陀の教えの 基本的な事さえも できないのです マスターの管理を 目覚めさせない限り 私達はただ無闇に 習慣に従うだけです 良い運転手がいない 状態で至る所を走る 車のようです

いつか死ぬか 電柱にぶつかり そこに止まり 完全に故障します 昔の二輪馬車の事故が あったときには 御者は必要です そうですね そうでなければ 馬は走り回り 天災の 原因になります 印心とは 自身の内面を発見し 見えないマスターと 不可視の偉大な品性を 発見することです それが私達と内面の マスターが一つだと 理解させてくれます 通常 私達の脳は それを考えることを 意識して ああだ こうだと思うのです 甘いものや 塩辛いものが好きなら これらで自分を 認識します

いえ ただの習慣です 印心は修行するために 私に頼るという 意味ではありません 私から学ぶと言うのは 私に頼るという 意味ではありません そうではありません 私に従うことで自分に 頼るのを学びます 私から学ばなかった 時だけ 皆さんは 私に頼るのです 自分自身の 真我に頭を下げた時と 自分の 仏性を使った時だけ 自分に頼るのです 私に頼るのではなく 私は皆さんにやり方を 教えているだけです そしたら自分の力で できますね 印心後は時々 私に会いに来てと 言いましたか いえ 物語が好きですが 外側の物語を語る人は 誰もいません  皆さんはすでに成長し 誰も皆さんを 甘やかしません ですから私が 物語を話しに来ました 皆さんにそんなに 教えていません その方法で皆さんには 教えていません

必要な時だけ皆さんに 与えるだけです 開悟は 別のものです 皆さんに 開悟を与える時は 言葉は必要ありません 私はただ 指を指すだけです 違いますか はい 指も動かさずに 開悟させることが できます 違いますか 私は何もする必要は ありません ただ座って 寝てたり 起きていても しばらくしたら 開悟しています 違いますか 印心とはそういうもの 仏陀の力は非常に 驚くべきものです 私は指を動かす必要や 何かを言う必要も ありません なぜなら既に内面に 真の仏陀がいるのです 分かりますか

既にいるのです これで皆さんは印心の 意味が分かりましたね 内面の仏陀が 目覚めるのです 彼は寝ているからです 聞かれない限り 仏陀は話さないと 聞いた事がありますか はい あります 普通の人は お金を稼いだり 子供の世話をしたり 妻や夫を求めるのに 忙しく 彼らに内在する仏陀を 求めないのです それで内面の仏陀は 何もすることがなく 寝てしまいます 分りますか 印心の時 私は内面の仏陀を起す 手伝いをするだけです 皆さんの内面の仏陀も 長い間眠らされていて 目覚めることを 忘れてしまっています

両方で忘れています 内面の仏陀も忘れて 眠り続けます 終いには皆さんは彼を 起こす方法を忘れます 私は皆さんの内面の 仏陀を目覚めさせる 方法を知っています これは 武道ではないので  手や足は使いません

これは内面の自性を 呼び起す方法でず 静かなパワーです ですから私達は 印心の時動きません  悪霊にとりつかれて いる人以外は そうですね 印心後 それらの とりついている悪霊は 離れたくないので そこでもがきます 内面の仏陀と 悪霊がケンカします 「この体は私のだ」と 内面の仏陀は言い 悪霊が答えます 「この体は俺のものだ 何年も住んでいる」と 内面の仏陀は「私は 世々代々ここに住んで いる」と言い続けます どちらも譲らなければ あらゆる行動が 出始めます

おかしな行動や 手印 マントラが 出るかもしれません しかししばらくすると 大丈夫になります もちろんしばらくして 内面の仏陀が勝ちます 遅かれ早かれ  内面の仏陀が勝ちます しかし彼は 戦って勝つのではなく その代わりに 教理を用いて 悪霊やレベルの低い 衆生を感化します 魔とは不正確な概念を 持つ者のことです いいでしょう 皆さんありがとう 先祖であるマヤの アステカの智慧に 回帰するのです 真のメキシコの伝承 高潔な伝承にです そして常に心に神を 覚えていることです

するとあなたが死ぬ時 天使が来て神の元へと 連れて行ってくれます 誰であれあなたが 愛する者は互いに 引き寄せ合うからです あなたが神を愛せば あなたは引き寄せられ 神も引き寄せられ 最後には互いに 会えるという訳です 神を覚えていて下さい 私達を助ける為に創造 された動物は私達を 加護し 私達の友です 敵ではありません

スプリームマスター テレビジョンの 智慧の言葉を ぜひ ご覧下さい 一月二十八日 金曜日 スプリームマスター チンハイと メキシコカンクンでの フランス通信社 (AFP)との対談です ここは世界で最も古く 最大の通信社の一つで フランス パリに 本部を置いています

本日のスプリーム マスターテレビの 智慧の言葉にて 「スプリームマスター チンハイとフランス 通信社との対談」を ご覧下さい

 
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