智慧の言葉
 
現代のマスター 一九九七年三月二四日 シンガポール   

これが本当なら なぜ怒るのですか 変えた方が良いです いいえ 誰かが あなたについて  何か真実を言う時 あなたは感謝して 変わるべきです あなたは怒るべきでは ありませんね 医者があなたに ガンの片鱗があると 指摘したら なぜ医者に怒りますか そうでしょう 手術をしてよくなった 方が良いですね ええ ええと  貴国の前総理大臣 本当の事を言いますと 彼は悪名高いですね 「歯」ですが 「歯」にすぎません 彼がどれくらい歯を 残してるか知りません でも彼は常に全ての 「歯」のことを 話していますね とにかく気にしません だから彼は シンガポールに繁栄と 光栄をもたらし  世界の名誉ある 水準にしました というのは 彼の仕事の仕方は とても率直で 無意味ではなく 「真実を伝えています」 そうですね 彼は食べ物に調味料を あまり加えません ええ 健康食品です そうですね 健康で 自然で 健全なのです ええ ほとんどが そういう感じです 人々が間違いを 指摘する時  私達は好みません  私達は最善を尽くして ただ相手に それは正しくないと 思わせたり 更に 相手に罪を感じるよう させるのがいいです テーブルを逆向にして それこそ私達の考えに 効果的な方法です 私達は問題や間違いを 認めたくありません 皆そうです

ええ 皆大きな 問題を抱えています 自分自身の弱点を 認めたら それでもう 半分治癒したも同然 例えば 既にガンや 病気に罹っていると 知ったら 少なくとも それを認めれば 医者はそれに対して 何か治療が出来ます しかし私達がそれを 否定し続け「いいえ 何もありません ただのきれいな 印ですね 例えば」 なら決して治りません 医者でさえ救うことが できません 他に天地を揺るがす ような話はありますか 小さな国についての 驚くべき話ですが 実は 皆さんの国は 小さくありません もっと小さいのは リヒテンシュタイン もっと小さい国で 中間にあります イタリアにはとても 小さい国があります 面積は00㎡で 全国民は合計で 約三百人 いるのです そこには要塞があり 宮殿があり イタリアの中心の どこかです そこには宮殿があり 小さな宮殿で おそらく国王も いるでしょう そして毎日 五人の兵士が来て 旗を上げたり 下げたり 敬礼しています ええ 毎日  朝と午後にです それはとても正式で とても小さい国です 私は言いました「何と 苗栗を手に入れる前の ようですね それは他の国より 大きいです」 なぜ大国と比べますか 小国と比べるべきです

そうでしょう 違って感じますね どっちにしろ 例えばモナコも 皆さんの国より 小さいですね 約3平方マイルか 3平方キロメートル しかありませんが とても繁栄しています 繁栄していて  健康的な国であるには 大きい必要ありません 皆さんの国はとても 繁栄し 健康的です 私達も好まないことは どこにでも ありますが 政府にも 問題があるからです 彼らが自分達の 智慧に従って 働いていたら 好まない人もいます 彼らが 全国民によって 働くなら その国は 時に壊れてしまうかも しれません 殆どの場合  賢い人はそんなに いないからです だから私達は 良い所を認め  悪い所を捨てるのです それが世のためなら 全体像が良いなら 80%が良ければ 残りの20%は 不便で 良くないので 捨てるべきですね ですから時に 指導者が良ければ 私達は彼の過ちを 許すべきです それが過ちだと 思うのならです 違うかもしれません 過ちではないかも しれません  皆が同じ意見とは 限りません 良い指導者を見つける のは難しいことです この全世界で 何人の 良い大統領がいますか 何人の良い 総理大臣がいますか そしてその反面 彼は様々な厄介な 問題を持っていたり 引きずり下ろされたり 侮辱されたり 対立されたり いろいろあります ですからこの世界で 賢い人を見つけるのは とても難しいのです それは例外です 想像できないものが ここにあります 

はい 例えば 何度も言いましたが 教室には   ごくわずかな優秀な 生徒しかいません そうではないですか 全クラスが信頼できる ことはありえません それは国民の問題です それで時々 私達は 政府は人々の意志に 頼って働くべきだと 言います それも素晴しいですが 実際には必ずしも 可能ではありません 皆が異なる考えを 持っているからで 指導者が誰の話でも 聞かねばならないなら 働くことはできません 彼が本当に賢くて 善良で 常に 心の中に国益を 優先するなら 彼を信用できます シンガポールでは 選択がありません そうせなばなりません ええしかし 政府は 効率的であることを 自ら証明しました それなら大丈夫です 今 政府が シンガポール人に 毎日菜食をもっと 食べるように 奨励しているのは 良いことです

瞑想して 全て良いですか(はい) ビジネスは順調(はい) うまくいくとは限らず 本当ですか それが「ビジネス」の 意味です 忙しいこと ありとあらゆる問題が あるので忙しくします それは構いません あなたを忙しくさせ 生活に十分なお金が あれば大丈夫です 最善を尽くさなければ ならないだけです この生涯で 何ができますか すべてはとても・・・ 望むようではないです 皆がすべきことを してはいません 全ての事が私達が 準備したいように なる訳ではありません 私達はただ最善を尽し 生き続けなければ なりません すべてのことが 非常に難しいです 瞑想だけではないです 瞑想だけではない 瞑想はただ 二時間半です 例え奮闘したとしても 二時間半だけです 他のすべてのことは 一晩中 一日中 奮闘するでしょう それでもまだ 何も得られません 皆が修行し続けていて 非常に嬉しく思います それはどうにか 皆さんに有益です そうですか(はい) どちらに (すべての方面です) すべて 本当ですか (はい)例えばお金を 多く得られるとか他は (ストレスが少ない) ストレスがない(幸せ) 幸せ(安全)(穏やか)安全(心配がない)  (穏やか)非常に安心で (もっと自信が出る)なぜでしょう 以前 自信はどこに あったのですか (勇敢になる)勇気ですか 勇気 なぜですか  動物園に入って そこのトラと 戦うつもりですか 彼らは私達の友人です いいでしょう もちろんトラを 傷つけたりしませんね

でもトラにも 傷つけられないように 身を守ってください 修行者だからといって 頭をトラの口に 入れねばならない ということではなく ただ誠実さと善意と 肯定的であることを 証明するためにです それは常にそのように 働くわけではないです 人生においても同じで 人生で身を守るために 何かすべきなら それをしてください ただ「私は修行者で 何もしなくていい」と 言わないで下さい そうではないです この生涯ですべき事を 終わらせなければ なりません  あらゆる手段と智慧で 私達は上手に智慧と この人生で与えられる すべての資源を 使わねばなりません 私達の任務を 果たすためにです 誰でも使命を持って ここに来ます 皆に本当に感動します 修行仲間が 一生懸命に瞑想します 私がそこに 居なくてもです たとえ皆があらゆる 異なることに 瞑想するとしても しかし 何を 期待するのでしょうか 同じセンターで そこに座って 約千の ことを考えるに神経が 必要です 分りますか たとえ私達が 同じ方法を学んでも 隣に座っている人は 異なる体験をします 異なる体験をします それはいいでしょう 皆最善を尽くしてます 私は 皆の努力と優しいを とても高く評価します 努力し続けて下さい 最善を尽くして下さい

もちろん 時々 成し遂げたいものから あまりに遠いですが 少なくとも最善を 尽くすことを知ってて 常にとても感動します 皆がそのように座る ための貴重な時間を とっていることに 実際 瞑想が常に 皆さんを進歩させる からです なぜなら そこに静かに座って 内面に入り 内なる潜在力を 理解し そしてそれを 利用するからです 忙しい時 はっきり分らない 多くのことが 瞑想の時  明白になります 池の中の水のようです 静かで 波がなく風がない時 静かで 透明です ですから良いやり方を 続けてください 私は他に言うべき ことを知りません 言わなければならない ことは様々な方法で しばしば言いました 繰り返す事がなくても 異なる方法で 同じことを指します 内なる自身をのぞいて あなたが求める全ての 答えを見つけて下さい それこそが 永遠の知識です 時々皆さんが 私に質問をし それに 私が答えたとしても  皆さん自身で見つけた 智慧ではありません 何事も自分で 獲得した方が 満足しますね 私は皆さんに 「光に包まれて」と いう本を推薦しました

人はそれぞれ使命が あると書いてあります

どう自分の使命が 分かるかというと 引き続き自分の好きな 事をし続けることです それがあなたの使命で 引き続きせざるを 得ないことをするのが あなたの使命です 好きでも嫌いでも 時にはやらざるを 得ない事があります それがあなたの使命で 人に危害を与えない ことを確認するのです 誰かを傷つけるような 事は止めるべきです それはあなたの使命で ないからです またはその種の運命を 選択しないことも できます 私達の大多数は 自分の使命が分ります 毎日二時間半 瞑想し 共修会に参加し 福音を広め 互いに親切に接し 戒律を守り 菜食をすることが 皆さんの今生の使命で 後は全て自然に もたらされます よろしいですか 人はそれぞれ違った 使命があります 私達の団体の使命は ほぼ同じです 福音を広め 今生で天国に 戻りたいと願う 人達を助けることです 今生が終わった後の ことです  後はついでにします 意味が分かりますか ついでにやります 他に問題はありますか 過激な事は決して 私たちの修行の 目的ではありません 私たちの目的は 真理に戻ることであり 過激はいけません 自分で判断して下さい 論理と常識で 判断することです 頑なになると 生活は 楽しくもなければ 健康的でもありません

よろしいですか 私が初めて  香港に来たとき チベットの伝統的な 袈裟を着ていました 香港の人たちは皆 私を避けました 難民キャンプに 行く道を教えて もらいたかっただけで ボート難民です 最後にある人が 警察官か誰かが ボート難民がいる所を 教えてくれました 皆さんはある出家者が 猫を飼った話を覚えて いますか (はい) ある出家者が全てを 手放しました しかし彼は 托鉢に出かけるので 袈裟が要ります 彼は二着 持っていました 一枚着て出かけ一枚は 掛けておきました しかしネズミが かじってしまいました 二着目の袈裟を かじったのです そこでもう一枚 供養して頂きました もちろん弟子が供養し ご存知のように インドではマスターが 必要とするものは 何でも供養します 一枚もらったものの またしてもネズミが かじってしまいました ネズミは時には 食べるのではなく 何でもかじっては 痛めつけるのです お坊さんは もう耐えられません 弟子にお願いします 弟子も もう限界です 二、三日ごとに 一枚の服を 要求されるのです そこで弟子は 「マスター 猫を 飼ったらどうですか 猫はネズミを食べる」 と言いました

こう言います 弟子はマスターに猫を 一匹もってきました 「これだと 毎週 服を供養して もらわなくても 済みます」 いいですか  彼は猫を飼いました すると問題が生じます 猫はミルクが必要で 餌とミルクが 必要です そこで彼は 毎日出かけてミルクを 托鉢せねばなりません 弟子は もう限界です 「マスター 牛を一頭 飼ったらどうですか 牛はミルクを 提供します すると 毎日ミルクの托鉢に 出かけずに済みます」 と言いました 弟子は言った通り 子牛を一頭 彼に供養しました 子牛は成長し彼も毎日 ミルクを飲む事ができ 便利になりました しかし 牛が必要なのは(草)草です ええ 草を必要と するだけでなく 冬は草がないので 稲などを植えて 稲などを植えて 牛の餌にしなければ なりません ここでまた 問題が生じます 弟子はまた 「マスター畑を耕して 牛の餌を作って」と 言いました マスターはその通りに やりました しかし畑を 耕すには一人では できませんので 彼は妻をもらいました 後はどうなったか 皆知っての通りです 今彼は全て揃いました 妻を持つともちろん 子供もできます さあそういうことです 後は想像に任せます 例えばこうです 時には私たちの視野は 狭すぎます どこにも行かないで 何も学ばないと 許容量がありません これはいいあれはいい 自分には許容量が あると思っていますが 実は違います 現代人は許容量に 欠けています たとえ 技術や設備の面では 大分進歩を 遂げました

技術のおかげで生活は 楽になりましたが 心は生活の 新しい変化によって 楽になったわけでも 全てが思う通りでも ありません  自分に 害のないことを 嫌うとか 自分と直接関係の ある事を嫌う場合は まだいい方ですが 自分と無関係なのに 嫌うのは よくありません 心が狭いです 心が開放的な人も いれば  そうでない人もいます 私が開放的だと もっと問題になります もっと問題になります それが「開放的」です 私たちの体は一時的な 道具に過ぎません 大したものでは ありません 何でもないのに なぜあんなに こだわるのでしょう 沢山の死体を食べて 屍の獣肉と血と骨を 食べますが 私たちは こういったことは 大して気にしないで 誰が何を着ているか などを 気にしています 毎日自分の腹を墓場に して沢山の動物たちを お腹に葬りながら こういったことは 棚にあげて マスターが どんな服を着ているか どんな服を着ているか など気にしています

私たちの世界は 実に滑稽です 自分にはあれだけの 欠点と問題が あるにも関わらず 自分を改善しようと しないで 他の人ばかり 気に掛けます これこそが私たちの 問題であり 世界戦争や災難を もたらす 唯一の原因です エネルギーが衝突し 皆が互いに相手に ちょっかいを出し 自分の家が汚れている ことを忘れています 自分の家の裏庭を 掃除しないで 隣の家に行って 客間が乱雑だなどと 騒ぐのです 例えばこうです これが私たちの 問題です 修行者なら自分を 良くすることです 自分と関係ない事と 関わらないことです 自分と直接 関係のある事だけを 処理すればいいのです そうでない場合 人が 何をして 何を着て 何を食べているか 気に掛けないことです 私たちと直接関係が ある事だけ なるべく処理すれば いいのです しかし この世界では 状況に応じて 対処せねばなりません 修行者だからと言って いつまでも 口を閉ざしていると 人の思うままに 左右され 中傷され 振り回されます なるべく避けて 避けられなければ 放っておくことです

この世界で生きて いくだけでも大変です 余計な事を気にかける 余裕などありません マスターが こんな服 あんな服を着ている などは余計です  時々私も 宝石を身に つけたくないのですが 私と接する人は それが好きなので 私は彼らを喜ばせます 例えば ある人は私のこんな 姿が好きです(はい)それもそうなのです 全てを手放して出家 することは魅力的で ロマンチックな ことだと思います 皆は 僧侶または 尼僧は洞窟の中で 一日中脚を組んで 「オム マニ ペメフム」 と唱えると想像します しかし私のような 出家者はいつも 一人で全ての事を こなしていることを 彼らは分っていません

私一人でできる事は 全て一人でします 人にやってもらうと より多くの問題が生じ 次々と問題が出ます 過去十五年間 私は人間の 頭脳と心理と エゴと傲慢 それに伝統と背景 服装についての好み などについて大いに 学ばせて頂きました もうまっぴらです 一人でいたいです ええ この世界で 出家者になるのも いいと思います 仕事もなく 何もする事がなければ 自分にとっても いいのです するともっと 人々に尊敬され もっと愛されます 意味が分かりますか 多くの人は自分が 持っているものや 享受しているものを 他の人が同じく持ち 享受することを 好みません 出家者になれば 安全です  彼女は何もないです 夫もお金も 家も何もありません 彼らは何も心配する ことがありません だから彼らは出家者を 尊敬するのです 出家者には苦痛が 多いと思っています 一日一食の 菜食の他に 何もないからです 従ってあなたが 苦しんでいると 人は愛してくれます 「ね そういうこと そうすべきです」 もっとあなたを 尊敬しあなたには 勇気があり 苦しみに 耐えられるからです そしてその出家者は ある隅に座って 供養をもらいます しかし インドでは これは通用しません 言っておきますが インドで尊敬され 供養を頂くには 長い髪の毛と髭を 生やさねば なりません また別の話です

インドで人々に 尊敬されるには 長い髪の毛と髭を 生やせばいいのです 長く生やすほど もっと 尊敬されます 中国人社会では こうではありません 髪の毛は短いほど いいのです 皆の好みに合わせて 今私の髪の毛は 見ての通り短いです いつでも皆さんを 驚かす用意があります 皆が長い髪が 良いと言って 私にあやかって 長い髪を生し 髪が長くなった時に 私はばさっと 髪の毛を切ります 皆さんが髪を 短くしたい時 私は また長く生やします これはただの 外見に過ぎません 自分の内面を見て真の 美しさを見つけます 皆はすでに分っていて 私が言う事もないです 幸運にも 良く理解してくれる 両親と 妻と夫を 持っている人は 本当に幸運です  彼らに感謝する事です 前よりもっと優しく してあげて下さい その優しさに感謝して 当たり前と 思っていると 後で失ってしまいます 何でも簡単に手に 入るものや良いものを 当たり前と見ては 失ってしまいます 他の誘惑に気を 取られないことです または一時的にみて よさそうな物事に 気を取られない事です いずれも魔です 自分は何を持って いるか知るべきです 持っているかも しれないと思うものや 見た目がいいものは 皆幻想で皆同じです いずれも 私達に試練を与え 私たちの好意を破壊し 優しい心を台無しにし  私達が持っている 良いものを 傷めつけるものです 人々は故意にしない こともありますが 故意にする時もある 内面に集中して瞑想し 神に祈ってください

 
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