智慧の言葉
 
内在する神に耳を傾け 生かす1/2 一九九二年二月二七日 マレーシア(マレー語)   
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私はマスターの 性格や外観が 皆さんを真理の道へと 引き付けるのでは ないと思います 内からの衝動です 印心後に目覚めるのは あなた自身だからです 実際には 法門ではなく 内面の伝達なのです ええ 皆さん自身の 内面の覚醒です そして皆さんが心から 求めないなら それは 起こらないでしょう たとえ皆さんがここで 私と座って 全てを聞いたとしても 皆さんが 誠心誠意でないなら 体験はないでしょう 分かりますか また内面のマスターは 私達が何を求めてるか 知っているからです 私達は人々を だませません ここへ来たのは 興味本位だけなら 求めている効果は 得られません 効果は良くないし それほど感じません 分かりますか 何も感じないかも
 
なぜなら私達がそれを 欲しがらないからです また神の力は 皆さんが望まないのに 適当に与えるだけの 安っぽいものではない 分かりますか だから たとえここに 肉体的に座っていても 私達が本当に 望んでいないなら 神は与えないのです マスターパワーは 分かります また私達を引き付ける のは マスターの 個性でもないのです 私は信じません なぜなら多くの人が 例えば 中国大陸に いる人々は 私に 一度も会っていません 会ったこともなく 写真でさえ 持ってないのです ただテープを 一度聞いただけで それで彼らは 印心を求めたのです また彼ら全員が 内面でマスターが 現れたのを見たことが あり それは典型的に 彼らが描写したもの 彼らは言いました あれはマスターだ あれはマスターだと 彼らは私に一度も 会っていないのです ですからマスターの 性格が人を引き付ける とは言えないのです

私達の智慧が 何とか目覚めて その時期が来た時に これらを望むのは 私達なのです なぜならこの世での 私達の務め この世での滞在を 終えたからです 終わりに近づいてます また私達は この地球の暮らしより 何か高度なものを 切望するのです そうして私達は どんなマスターであれ マスターに近づきます 私達は内面で 知っているからです 私達の智慧は 今こそ家に帰る時だ この世を去る時だと 知っているのです それはまるでどこかに 勤めているか 航海に出るような ものです あるいは 特別任務で外国に 行くようなものです そして時期が来たら 誰が何を言おうが 私達は家に 帰らねばなりません ただ帰りたいのです 自分の任務が終わった ことを知っています これは 知性のレベルであり 頭脳のレベルなので 明白に知っています ですが私達の 頭脳が知らない 高いレベルがあります 私達の魂や智慧 あるいは 仏性は知っています そういう人々は 観音法門への印心の 準備ができてるのです 長時間 瞑想をする 大勢の人々がいて 私達が印心の時 短期間で到達する所に 彼らが到達するのには 長くかかります それで私達は この法門を 即刻開悟と呼びます それはただあなたが それほど長く 修行してなかったり このことを知らない かもしれないからです 他の人々は この超越した音が 聞けるような 彼らの頭脳が 停止するまで 長い間修行します 意味が分かりますか 頭脳が明白な時に それを聞いたり 頭脳が明白な時に 光を見るのです 目を閉じているから 見えるのではなく 耳を塞いでいるから 聞こえる訳ではない それで私は 無法門と  呼んでいます 実際法門はないのです

それはただあなたが 印心した時であり 私達は皆さんに霊修の 路上の多くのことを 注意するだけです それは皆さんが 自身の瞑想中に 予測できるものですが 法門はありません 法門などありません マスターは皆さんに 印心を授けたいと願う べきではありません たとえ皆さんが隣りに 印心者の隣に座っても 何も聞こえず 何も得られないと したら 分かりますか たとえ皆さんが 同じ事をしても 同じ経験を得る わけではありません 興味本位の人々や 不誠実な人々も同じで 本当に求めないなら 得るものは少ないか 実際には何も得ません 分かりますか それは内面の感覚で 内面の知識です 内面の智慧なのです マスターと弟子の間の マスターとマスターの 間にあるものです 皆さんもマスターです マスターが皆さんに 皆さんのマスターの レベルに語る時 皆さんは理解します 内面のマスターは 理解しています 頭脳の理解では ないのです

ですから 恋人同士のように 千人もの人の中で 座っていても お互いだけを知り お互いだけを 感じているのです 彼らは 千人の群衆の 他の誰一人も 感じないのです

彼らはお互いに 属していて 彼らは 愛し合っています その感覚は たとえ 彼らの隣に座っても 分かち合えません そうですね 分かち合えません そして彼らは 愛深い感情を 隣人や隣の女の子に 伝えられません 可愛い子かもしれない でも彼は必要としない 分かりますか 他の女の子の方が 可愛くても彼は 愛そうとはしません 神のパワーも同じことです

受けるに値する人 誠心誠意で 切望している人のため 他の人々は 彼がどういう風貌か 気にしませんし どれほど彼が 霊的に見えるのかなど 関係ないのです 時々 私達が人々に話す時 その内の一人か二人に きっとその二人か 三人ですが こう思うでしょう ああ この人と あの人は大変霊的で 輝いて見えるぞと 皆さんが言うことは 全て理解するでしょう そして彼女は その間ずっと頷き 微笑んで  とても協力的です でも本当の修行の 時期が来たら 非協力的に見え 物質的なように見える 人が現れるでしょう そしてとても輝き 霊的に見える 他の人々は現れません 分かりますか そうです 神は 誰が求めているか あなたが求めているか どうか知っています どんなに外見を 取り繕っても 一日十時間座ろうが 関係ありません 皆さんは一度しか 食事しないかもしれず ぼろしか着ないかもしれませんが 神は 体験や 内面の智慧 修行の高い境界を 与えないでしょう

真剣ではなくて 時期でないならです それで多くの人は 外見は立派ですが 印心に来ても 農民や田舎の女性ほど 高い体験を得られない こともあるのです 私達の修行仲間は 人が考えるような 聖人や菩薩のように 見えない 場合もありますが 内面では本当に 輝いています 彼らと話せば きっと分るでしょう 時には感じますが それは自分も 修行者の場合です さもなければ 感じることさえない たとえ瞑想しても 今のままの 自分と同じです 時期が来てないなら 人々は皆さんと 縁がありません 隣で暮らしても 決して分りません 分りますか そして遠方の 人々がやって来て 見つけ出すのです だから人を引きつける マスターの人柄 ではないのです 時期が来たからです 智慧が生じれば 自ら求めるのです 目覚めを求め 復活し 永遠の命を生きる ことを求めるのです 次の目的地も 知らないまま 次から次へと 転生する代わりにです この道に留まるには 誠意が必要です 外の誘惑はとても 強いからです これに勝る方法はない と私には分っています 私は世界中を 探したのです 悟りの方法や マスターを探して 走り回り お金と時間 青春を 費やしてきました 探し続け あらゆる ものを試しました

食事も 一日一食にして どんな物でも食べ 眠らないよう 眼を見開いて 何時間も座りました 全てを試しました あらん限りの 全ての仏陀を 呼び続けました 言える限り  名を挙げられる 限りの呪文を 繰り返しました 膝が枯葉のように 震えるまで 仏陀に 礼拝しました

そして 祝福と悟りを求めて 至る所を 巡礼してまわりました 最高の解脱法を 知る為にできる 全てをしました そして この法門は 私が選んだ 子供から大人まで 老いも若きも 誰にでも合うものです でも 誰のためでも ある訳ではないのです それは確かです 見かけの行動では ないからです 私の教義は 人々を引きつける 為だけに  あるのでも 外見や 個性だけでもなく 魂が真に求めている 事が重要なのです そうでないと イエスの存命中も 多くの人が彼に夢中 でしたが 病気を 癒したり 天の恵みを 求めるだけでした 皆が印心はしてません 彼の人生を通して 三年半の間です 弟子は十二人でしたが 一人は彼を否認し もう一人はお金の為に 裏切りました  三年半で 忠実な弟子は わずか十二人です もちろん 他にもいましたが 信者のような人達です

そしてその後 弟子達は散らばり そして更に広めて もっと弟子を得ました 孫弟子のような ものです  彼にはもっといたかも でも彼は十二人だけに 力を授けたのです しかし それでも その中の一人は 否定したのです ペテロです ペテロは三度 否定しました 魔の試験に 通るのは至難です できる限り正直に 生きるのです できる限り 勇敢に なぜなら怖れから 逃れていないなら また戻ってきて学ぶ 必要があるからです 聖者にふさわしい 品格がない限り 人間でなければ ならないのです 分りますか 高校に通う資格が ない限り まだ小学校に 通わなければならない のと同じです 例外はありません 今 皆さんには 印心を授けただけ ではありません 他にも思い出すよう 多くの道徳的規律を 与えました また長い目で見れば 産んだばかりの 子供の為に 勤勉で  なければなりません

赤ん坊は育てなくては ならず 悟りも育て 努力して 毎日 面倒を見なくて はなりません 他の事と同じです 例えば 寝ている時でも マスターは眠らず 離れません だから 時々 誰かに蹴られたり 物音で  突然目覚めても 眩しい光が 消えないまま 見えるのです そういう時は 眠っている間に 高いサマディから 起きたのです 常に意識を 悟りの探求に 向けることが重要です それこそが 早く進歩する たった一つの 方法だからです マスターや 内面にいる神の 力により 印心の時 自分がとても純粋で なかったとしても 浄化されることが 可能なのです でもその後 神の力の臨在に たどり着いた時も その瞬間に 清められます 刑務所の 扉を通り抜ければ  突破すれば しばらくの間  光を見て 音を聞きます 物質的な存在を 超越しているのです それで 私達は 即刻開悟と言うのです 音を聞くという事は 高い境界とつながった 事を示しています 取り戻したのです 止められはしません 光を見るという事は 十分純粋である事を 示します 分りますか または十分に浄化され 突破するのです 外にある太陽を中から 見てるようなものです

扉を通り抜けなければ 太陽は見えません たとえ太陽が あってもです それは同じです 神の光と音が あるのです しかし私達は 閉じ込められている為 偏見や自分の考え 自分の行いという 一種の刑務所にいる為 そして多くの人生で そうだった為に 見えないのです それで印心の時は マスターが扉を 突破する機会を 与えてくれるのです

これが最後ですから 続けねばなりません 分りますか 印心だけでなく 発見すべき より勝る 多くのものがあります 印心は始まりに すぎません しかし それでも この始まりはとても 高度な始まりです

毎日 慣れるまでまた 行く必要があります 高い境界は振動数が 高く 重荷を背負った 私達の魂は まだ それに慣れていません だから修行が必要です 分かりますか 修行 修行 まるで重い病気の為 非常に長い間 ベッドに縛られていた 人のようにです 今 医者の奇跡の 腕前で回復しました しかし徐々に回復 せねばなりませんね 初日は走るのではなく 歩いてみるべきです 転倒するでしょう 遠くへは歩けません 彼は練習を 繰り返し 以前の様に 歩けるようになるまで 続けねばなりません
神とは何ですか 神とは全宇宙の 善良さを集めたもので それは誰でも使える 共有財産です でも善良さに照準を 合わせるべきです 邪悪さではなくね そうすれば望むものを 得られます 自分の足が導く先に 進むのです 北に行くなら 北を見るでしょう 南に行くなら 南を見るでしょう 分かりますか ですから 神は善良さ 神聖さ 人類の智慧であり その全ての統合です 私の言う意味が 分かりますか 神とは 私達の最高の願い 最高の意図 智慧 最高の慈悲全てです 人類全体 宇宙全体の霊性を 統合したのが 神のパワーです それこそが神です そして今 私達は それを使うのです なぜなら全ての人の 共通の善ですが 誰もがそれを望むとは 限りません 一方では悪があります 一方では悪があります悪とは何ですか

組み合わさった力で 私達の悪い考えや 行いと理解の 集合した力です 分かりますか そして私達は必ずしも 良く考えませんね 私達は必ずしも 悪く考えませんね ですから 私達が神の力と 呼ぶものは良い力で 悪の力もまた 私達自身から 全人類から 全宇宙から発生します それが邪悪です この二つは 絶対に分かれず 一つが存在し 片方は存在しないとは 決して言えません 私達は悪事もするから でも私達は後悔し しないように務めます でもそれでも 否定的なものがなく 肯定的なものだけが 存在する世界以外 宇宙全体は こんな状態なのです けれどこの世には 陰と陽の 両方があります 今 私達が 陽だけの全なるものに 戻りたければ ここの善きものに 合わせることが必要で そうすると 善きものから 宇宙の 善きものの側面のみへ 押し進めるのです そして この闇の世界 光と闇が一緒の世界を 離れられます もう分りましたね 悪が変化し善きものと 共に存在できると 期待してはなりません 善と悪は 結びつかないからです 善きものは善きものと のみ結びつくのです

ですから 善きもののレベルに 行きたいのなら まずはこの世の 善き部分に入れば そこからその上階の 全ての善きものへの つながりが できるのです 理に適っていますね 分りますね 結構 ですからこの世では 神の力 善きものが 悪の力のすぐ傍にあり 私達の避難所に なっているのです それが地上の神 地上の神の国と 私達が 呼んでいるものです 自らの善良な部分に 内なる善きものに 波長を合わせることに 慣れていくのです 常にそうすることで 善きものを引き寄せる 類は友を呼ぶのです ですから善き力と 共にいれば 自分も その中にいるのです すると この世を離れてからも すでに善き力の 中にいるため 善き所にだけ 進めるのです もうすでに 悪の部分 闇は 置いてきたのです ですから神の存在 それは人類の善の 全ての集合なのです それらのレベルでは 悪く考える人がおらず 悪の力を生まないので 純粋なる神と その他のものが 存在できるのです この世では人の レベルに違いがあり 善悪の両方を私達は 生み出しているのです ですから苦悩と幸福が あるのです

他の世界では 人々が善きものとのみ 関わるように 進化した世界では 全てが善きものへと 変化するのです そこでは そういうレベルでは 善きもののみ存在 します それは ここの善きものが あちらの善きものに なるからです そして 善き人々のみ あちらへ行くので そこは善きもののみ 存在する事になります そして今それを 神の力と呼ぶのです それで 悪と断絶し 善くあるようにと  私は言うのです この世の宝の蔵に 自分の波長を 合わせたいならです それは役に立ちます 善きものは善きもの だけを引き寄せます ですから 瞑想をすると 行いを 身口意を清めるのです そうすれば 善いものしか来ません 病気が治るのも 事故が避けられるのも 良い夢を見るのも 瞑想が心地よいのも 不思議ではありません 理に適っていますね 自分が仏陀であるとか ないとか信じる必要は ありません 私が加護するか 否かにかかわらず 論理的に考えて 私の教えは 100%正しいと 分かるはずです しかし いわゆる教えには 二種類あります ひとつは話すもの ひとつは行うものです 私が善くありなさい 善くしなさい 寄付しなさいと言い 私が寄付しそれを見て 寄付をするのです 分りますね

それで 話にも力 パワーがあり 説得力があるのです そうでしょう 説得力があるから 進歩に繋がるのです 話すだけではだめです 車輪があるから 車が走るのでなく 石油があってこそ 力があり 車は走れるのです 運転手もしかりです 分りますね 車両だけではだめです 話すばかりでは 違うのです 例えば銀行に お金があるとして 小切手を切ります 誰か宛の小切手です 受け取った方は それを現金に換えて 使います 他の人はどうでしょう 同じような 小切手を印刷し 自分の名前を記入し 誰かさんに 上げるとしましょう 彼の得にはならず 彼の口座には残高が ないかもしれません でも小切手帳はある 小切手を切れば切る程 彼は貧しくなり 厄介な事になります 分りますか 同じに見える小切手も 実は中身が違うのです 話にも違いがあります 多くの人は 理解できず 本物と偽の教えの 区別がつきません 私達は話して この力を利用できます 分っているのです その内のいくらかを 使えるのです それが持つものの内の いくらかを見られます 光を見て 音を聞きます かすかでも ほんの少しでも とても近くにあると善きものの端っこに いることが分り 出たり入ったり するのが分ります 少しでも味わっている それで話せるのです 話に力があるのです 分りますか している事を話し 自分が持つものを 持つと言うのです 違いなのです

技術的な意味で ではありません マスターが 伝達のパワーを 送ってくれなければ 内なる眼を 開いてくれなければ 障害を取り除いて くれなければ 無知と カルマ(報い)を過去の悪い影響を 消してくれなければ 決して光は見えません 百年間 目を閉じ 瞑想をしても千年もの長い間  目を開けてもです 意味が分りますか 技術ではないのです 動かずじっとして 百年そこに座ってても 何も見えないのです マスターの恩恵が なければかないません 女の人がいて 髪を洗っていました 彼女はそこで 髪を洗っていて 光を見ました 仏陀のように座っては いません 真面目に堅苦しく 悟りを得ようとして いた訳ではありません 皿洗いをしていて 皿洗いをしていて 集中していません それでも事が起きます 意味が分りますね マスターの恩恵 神の恵みです それが重要なのです 何年も長い間ずっと 人々は 主を讃えています 慈悲の主を 無知の鎖を 断ち切る主を 転生輪廻の鎖を 断ち切る主を 讃えています

それはその当時の 存命のマスターゆえで 他の神ではないのです もう分りましたね マスターなしでは 神を知ることはなく マスターを通してのみ 神を知るのです マスターが神を知る 方法を教えるからです そうして自分も マスターであると知り 神である事を知り マスターの慈悲を 称賛するのです マスターなしでは 私も神を知りません だから人はマスターを 神の前に据えます 自らの悟りなくして 神は非存在 だからです 自らの認識以外に 神はいません 分りますか だといいのですが 私の言っていることは 非常に抽象的です しかし論理的なのです

 
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