智慧の言葉
 
魂から魂へ 1/2 アルメニアイェレバン一九九九年五月十五日(アルメニア語)   
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皆様 アルメニアへ お越しいただいた

スプリームマスター チンハイを温かく お迎え下さい それでは スプリームマスター チンハイへ 花束の贈呈です お早うございます 皆様の多くは 今日 他へお出かけの予定が あったことかと 存じます ですから スプリームマスター チンハイの講演を ここに聴きに来る 選択をされたことに お礼を申し上げます 皆様の多くが スプリームマスター そしてこの特別な 日について質問が 沢山おありでしょう スプリームマスター チンハイは インドのヒマラヤで 神から偉大な贈り物を 授かった先生です スプリームマスターは 助けが必要な所へ 救いの手を差し伸べ 災害時には 医療や食料 などといった 物質的な形で 手助けをします しかし彼女は更に ヒマラヤで授かった 贈り物を私達に提供し 分かち合います 物質的援助だけでなく この贈り物も 提供するため アルメニアを 訪れたのです 永遠の幸せと 偉大なる本性を 再発見する 贈り物です 私達の多くは物質的な 満足感を得る為に 日々奮闘します 私達が今これほど 苦しんでいるのは 自分が本当は何者で なぜここにいるのかを 忘れたからです 生活があまりに忙しく プレッシャーが 多いために 忘れてしまったのです

この世で生き抜くため 私達はほとんどの 時間を 仕事に 充てていますが 毎日神を思い出し 祈るために 時間を確保しておく ことが必要だと 気付きません 聖書にこうあります 「まず神の王国を 探し求めよ そうすれば他の全ては 無償で汝に 与えられるだろう」 私達はまず 神を追求すべきで そうすれば人生は より円滑で 平穏になります この方法の 修行者とは 社会から隠棲する ことではなく より創造的 効率的に なれば 更に世界を 救う貢献ができます 私達自身が より穏やかで 愛情深くなれば この世界も  より平和になり 愛に溢れるからです 皆様に スプリームマスター チンハイをご紹介 できることを喜ばしく 光栄に思います どうか心と精神を お開きになり この素晴しい機会を 生かして下さい おはようございます ハラッフ  アルメニア語で いろいろな文章を 習ったのですが 皆さんを前にしたら 圧倒されて すべて 忘れてしまいました 覚えてるのはハラッフ それだけです

私は皆さんの 愛の寛大さ  もてなしの心 そして 伝統衣装の美しさ さらに 公共広場周辺で 目にした 壮大な 宮殿などのすべてに 圧倒されています 今まであのような ものを 世界でも 見た事がありません あまりに 圧倒されたので 食事の席でも あの美しい建物群が 見られるよう 窓の方を 向いていました 人々が様々な色を 合わせて あれほど 荘重にするとは まるで魔法のようです このような宮殿は 国民の並外れた 才能によるもので きっと 内からの素晴らしい 霊的エネルギーに よるものでしょう アルメニアは 実に偉大な文化を 持ってきたはずです アルメニアの古文明が 今の世でも存続し 私達がそれを楽しみ 賛美できることを 嬉しく思います そしてこれらの 素晴しい宝物を世界と 分かち合って下さり ありがたく思います 感謝します そうです もし素敵なものを  持っているなら 他の人と分かち合う べきです 同様に  神から授かった 私個人の霊的恩典を 知ることを 渇望する人々と 分かち合うよう 神は私に命じました  私が神と宇宙に思いを 巡らせ始めたのは とても とても 幼い時でした 神様ってどんな形? というような こんな壮大な質問を 誰に尋ねたらいいのか 分かりませんでした どうしたら神に会える 神様にさわれるの 神を抱きしめられるの まだ幼い私は 抱き つきたかったのです 最初の疑問が 湧いてから 長い年月の後も 私は正しい答えを 得ていませんでした 私は祖母に付いて 仏教のお寺に行き 仏陀に祈り また 父はキリスト 教徒でしたので  父に付いて教会に行き 神に祈りました 知り得るすべての 神仏に祈りました

仏教の経典と キリスト教の聖書を 読んでみましたが たいして 理解できませんでした そして 私は 聖書と共に眠りました 私は毎晩 聖書を 抱いて眠りました いつも神に祈りました 神様 お願いです  姿を見せて下さい 神様 私にあなたの 姿を見せて下さい 最高の神様 すべての人間の 障壁を超越し 全ての異なる 宗教を超越し 全ての憎しみと 人種差別を超えた神様 どうか私にお姿を 見せて下さい 私は他の何よりも 神のことが知りたいの 時には 神の存在を 感じられましたが 見えませんでした 会いたかったのです それで 私は神に 接触しようと 様々な方法を試しては 失敗しました ある日 神が私を この霊修行の方法に 導くようになるまでは 神はその方法が 私にとって早いだろう と教えました それで私は神を知り それからは 私は 日に日に天なる父と どんどん親しくなり 神は私に  外へ行き この世界で メッセージを 伝えるよう命じました それは神が皆さんを とても愛していて 皆さんが 神に会いたければ  私は方法を教える というものでした この仕事はとても 良い試練でした

しかし神は言いました 「私はお前に 必要な 全パワーを与えよう お前はただ 私に仕え続けなさい 全てを提供しよう」と この修行方法は 私にとって 役立ち また数十万の 神を求めている 人々にとっても 役立ちました  ですから誰にでも 役立つことは確実です 神は私達皆の前に 一様に現れています 時には キリストも 私達の前に現れ 時には 仏陀が現れ 時には 過去の他の聖人が 私達の人生に 恩恵を与え 日々の 問題や霊的進歩を 指導してくれます 神があらゆる方面で 物心両面で私達を 祝福しているため 自分にあるものを  必要とする人と 分かち合えるのです 私達は自身の 内面の神  全生命の師である この至高の力との 繋がりを失ったために この人生で これほど苦しむのです なぜなら この神との 繋がりを失えば 私達がこの世で どれほど財産が あろうと 完全に幸福には なれないからです 聖書の中には こうあります 「知らないのか  汝が神の神殿であり 自身の中に 聖霊が宿ることを」つまり ありがとう つまり 私達は人間ではなく 人間の体を持つだけで 中身は神である ということです

ではなぜ 私達は 多くの不幸や 物的安楽の不足 そして 霊的知識の不足を 被るのでしょうか なぜなのでしょう そして時に 私達は何度も何度も 誠心誠意に祈ります でも神が応えて くれないと感じます なぜでしょう それは神の居場所を 忘れているからです 私は神と直接繋がる 方法を神に教わり そして 神と直接繋がる方法を 皆さんに 教えるように 指示されました 毎日皆さんは 神の姿を見て 神の声を聞いて 神を愛し 神に愛されていると 感じられます 私は非常に簡単な 言葉を使います なぜなら 最も壮麗な言葉で 百年間 話し続けたとしても 神に愛される時の 感覚  神を知る感覚 毎日神と共にいる 感覚は言い表せない からです それは本当に・・非常に難しいことです この感覚を知る 唯一の方法は 自ら それを知ることです 自ら体験しなければ なりません それには 時間はかからず 今も将来も 代価はかかりません 神を知るとは 呼吸すること 水を飲むことのようで 神の居所を 知っていれば 見つけられるのです 神は私達の内に いるので 探すのは 難しくないはずです 私達は 神の子なのですから 私達は神の一部なので 自分自身である 神の一部を認識する ことは それほど 難しくないはずです

しかし 忙しくて 神の居場所を 忘れれば 当然 難しくなるでしょう 違う所を 探すからです 正しい所を 探す代わりに 違う所を見るのです 私達は この肉体的存在で 非常に忙しく しているので 当然 神の探し方を 忘れました しかし一度その方法を 一度その場所を 知ったなら 即座にできます 時々 私は 頭の上の サングラスを 忘れます 頭に載せたことを 忘れて そこら中を探します そういう事ありますか ありますね ええ そして誰かが それに気付いて 頭の上にあると言えば それを取れます 簡単なことです そうです 神は私達の内にいる為 見つけ易いのです 聖書はそう言ってます 神を既に思い出し 神と繋がりを 持っているなら それは良いことです 忘れているなら 私がお教えします 神はまた愛の法律 十戒に従って 生きることを 私達に喚起しています 私達が神 あるいは 神の子なら 私達は愛の道 つまり神の道に従い 生活すべきです 十戒は 神の戒律では ありません 神は 私達には厳しく ないからです

神は慈愛に富み 私達がどんなに 罪深くとも 私達を愛しています そして 十戒とは 単なる資質のことです 神の子として 持つべき品性であり この惑星を 歩き回る神の品性を 述べています 私達が神の栄光を 宣言したいなら 十戒が求める水準に 適合しなければなりません ですから当然  互いに愛し合い 互いに 分かち合い 殺しあったりしない などなど です これらは生きた神が 持つべき品性です 戒めを守らなければ 神に愛されないから ではありません この水準に 達さないなら それは 神を賛美せず 神の子として どうあるべきか自覚が なかったという事です それはさておき 私達は当然  内面で神を知れば 外面で このようにして このような品格で 神を象徴し それなら当然 誇りを 持ってこう言えます 私は神の子である  私達は 本当は 神の子供である 神を知る事は  万人の生まれながらの 権利です 唯一の財産であり 人生ですべき 最も重要なことです 聖書に書かれています

全世界を 手に入れるかわりに 魂を失った人間が 何の役に立つだろうか 神との繋がりを失う という意味です 神は常にそこにいます なぜなら 神は私達皆の内にいる スプリームマスター だからで  何もかも知っています 神は全ての祈りを聞き 全ての望みを 叶えますが 私達は神の声を 聞く術を知り 神と直接の 繋がりを持たねば なりません それで神が望む事を知ります 私達の内面にある この聖霊や 内なる神と繋がるには 魂のために 肉体を 捨てねばなりません 私は 皆さんが 生きている間に 仕事や日々の暮らしで 忙しい間に   それを行う方法を お教えします 聖書にあるように 魂のために肉体を 捨てるというのは すべてを捨て去り 何もせず 何も食べず 働かないという ことではなく それはただ まだ肉体がこの世にあるうちに 魂と共に神の王国に行くという 方法で 肉体を捨てる ということです

そのため 多くの聖人も 神を捜し より強くなるために すべてを捨てました でも私達一般人は そうしなくても 毎日  神と接触できます 少しの間 肉体を離れ 毎日戻るのです 私達の誰もが 出来ます ちょうど 頭の上のめがねを 見つけるように ところが簡単過ぎて 私達の多くは そんなふうに思えず 難しい方法を 探し続け 神を見逃します 以前 私は何年も そうしてきました どこで神を探すか 知る前のことです 面白い物語があります 単なるジョークですが 鍵をなくした男性が 外の通りに出て 街灯の下で鍵を探し続けて いました するとその時 友人が通りかかり 尋ねました そこで何をしているの 彼が言いました 鍵を探してるんだ 友人は聞きました どこでなくしたの 彼はこう答えました 家の中でさ 友人は言いました じゃ なぜ家の中で 探さないで 外で探しているの 彼は言いました ここの方が明るいから 同じような人もいて 物事を  その方法ですべきと 考えて行います

しかし 正しい方法でのみ することです 同様に神を捜す事は 正しい方法で すべきです 道や方法など 全くありません 神は常に そこにいるからです 私がどんなに話しても 皆さんは これが 神への道だと思います 違います 神への道を示す時 私は話さず 何もしません 皆さんの魂は神なので 私の魂が沈黙のうちに 言うことが 皆さんの 魂には分ります 私が話している間は 単なる紹介です ええ 本当の事は 言葉や行動など 必要ありません だから 神と接触する 道や方法を 私達は捜さないのです その方法は どの宗教の経典にも 書いてありません それは人間の言葉で 伝えられるものでは ないからです 神について 私がどんなに話そうと それは神自身では ないと思います 皆さんが どんなに長く 神について聞いても まだ神を 直接知りません ですから 皆さんが望むのなら 皆さんが望むのなら 静かに 素早く見せ 毎日家でできるように したいと思います はっきりしないことが まだあれば  お尋ね下さい 喜んでお答えします 温かく熱心に ご静聴下さり ありがとうございます

質問は 病気の治療に ついてです 腫瘍の治療法を ご存じですか

あなたはヒマラヤに 長くいらしたので 深刻な病気の治療に 効くハーブが 色々あることを ご存じですよね では あなたは 薬草治療と瞑想 あなたの瞑想方法を 何らかの方法で 結びつけていますか あなたの瞑想法は 腫瘍の治療に 良い点がありますか ええ 何にでも良いです 多くの人々が 自らの内面の神に 目覚めた後 病気やガンが 消えた事に 気付きました しかし  病気のために 瞑想をすることを 私は勧めません 神と 神を知る 渇望のために 始めるべきです 他の事は全て 神が取り計らいます あなたの宗教は 何か教えて下さい 仏教 それとも キリスト教ですか 唯一の宗教 神の宗教です 宗教とは 宗教名は 人が作ったもので 神は一つです 考えて下さい キリストの死後 人々は宗教を組織し 彼の名をとって  キリスト教として 仏陀の死後 人々は宗教を組織し 彼の名をとって  仏教としました 実は キリストと仏陀は 唯一の神を 示しているのです ありがとうございます
なぜあなたは特別に 選ばれ この恩恵を 得たのですか なぜあなたが特別に 選ばれたのでしょうか 私も神に尋ねました 神がするのです 私は影響を与えません

でも同じ事を 望めばできますよ ある日 神が あなたを任命するかも 私達の誰でも 私と 全く同様にできます ただ 神には手配の 方法があり 私達の 理解を超えています 私とあなたは  何も違いません  この恩恵は誰もが得て 神は全ての人に  与えようとしています だから 皆さんにこの 恩恵を思い出させる為 神は私をよこしました 私は恩恵を得た唯一の 人間ではありません 私は皆さんへの贈物を 示しに来たのです 自分達でなく なぜ私が この伝言を もたらせるのかという 意味なら 答えは 私はすでに 知っていて 皆さんは まだ知らないからです だから私の知ることを 伝授できるのです 皆さんがそれを 知れば やはり人に 教えられます 私達が日ごとに 神を更に理解すれば 神と私達の間は また親しくなる というようなことです そしてある日 神は 言うかもしれません 「全ての人に伝える為 出掛けなさい お前はこの知識を 伝えられる」と その時「あなた」や 「私」の区別はなく 神はあなたを通して 仕事をします 一生何かを求め 探し続けても 答えが 見つからないことも ありますか 正しくない方法なら あり得ます 神と接触しているなら すべての質問の答えは 内面で得られます 修行をすると 外面の教師は 必要ありません 霊的面での友達や 師からの指導は 初めは必要ですが 後になって 神を知り より深く 神と接触すると 誰の指導も 必要としません 内面に全ての答えが あります

あなたが教える方法に 従わなくとも 悟ったり 神を見ることは 可能ですか 知るのは 神の一部分です

高いレベルの 神の品性を 知りたいなら 自分もその高い品性に 見合うべきです 「類は友を呼ぶ」です 最高の神は 愛そのものです 殺害や 他の生き物を 殺して食べるような 粗野な品性では 神を表せません 自分に合った品性を 選ぶべきですが 聞かれたので真実を 語らねばなりません 申しわけありませんが この道は 神と再び 一つになる準備が できた人のためです まだ準備ができて いなければ ゆっくりで構いません

ありがとうございます 深く尊敬いたします お尋ねします 神は一つだと 仰いましたが さまざまな宗教や 信仰については どうお考えですか 研究してみると 様々な宗教の経典を よく調べると たった一つだと 分ります ただ  異なる文化や 背景において この惑星に 時々訪れるマスターが 異なった表現を 使うため 神は様々な名で 呼ばれてきたのです でも すべての 宗教経典は 一つの神を示しており その神を探すべきです どんな名で 様々に呼んでも 神は気にしません 私達が神を愛し 知ることを望む限りは 私達 人間の言葉でも 各国で  母親を違う言葉で 表現します アルメニアでは  どう呼びますか マイザー 英語ではマザーと 呼びます そう 同じです 同じものを 示します ― 母ですね 神を見た経験は? あるならそれは どんな姿でしたか 神は  自分が望む姿を しています 神は 有形無形の二つの 特質を持ちます 有形の特質の中でも 神には 二つの形があります 神がこの世で 姿を現したければ このようになります これはすべて 神の実体化です それで聖書に 神はあなたの内に宿る と書かれているのです 自分が神であると 知らないなんて 実におかしなことです そして もう一つの形があり 内面に集中し 瞑想する時も 皆さんと交流するため 無形の神は 姿を現します

それは やや高いレベルです 最も高いレベルでは 神は無形です 神は至福 光 幸福  得も言われぬ喜びです 言葉では表せません 形の無い 内面の神に会うと それだけで 恍惚感があります 神の中で ぼうっとして どうしたらいいのか 分からなくなります 最も高い レベルに行けば 私達は神と 一つになります イエスは言っています 私と我が父なる神は 一つです すると それから 「自分」がなくなり  「父」がなくなり 父なる神 神のみです すると 言うのはこれだけです 私でなく 神がするのです 我が父なる神がします 神を知るのは すぐですが 高いレベルや最高の レベルに行くには さらに時間を要します 聖書にも こうあります 私の父の家には 沢山の部屋がある これは 私達が 知るべき 様々な 神の特質を一つ一つ 示しています 神からのエネルギーの 流れを感じますか

内面でどう流れますか はい まあ 人間の言葉で 神のことを 説明できたらと 思います 自分で知ってみては いかがでしょうか その方が簡単です このジュースや 水は素晴らしい  とてもおいしいと 言いながら 私だけが それを飲んでも 味の良さを 百年言い続けても 皆さんの喉の渇きは 癒せません どんな説明も その水の性質とは 少し違います ですから  自ら神を知るよう お勧めするのです

神の裁きは  いつ来るのですか 私が知るのはいつ神の 恩恵が到来するかです 憤怒の神は 知りません 私はただ皆さんに 神は慈悲深く 愛深く 寛容であると 伝えに来ました この神を知りたければ お伝えしましょう あなたの質問は 因果に関わる問題です それは この 物質世界での事です 私達のする事は 何でも影響を与えます 自動的にです それは神の意志でなく 神の行いでもなく ある行為の 結果にすぎません ですから  何かをする前に  結果を考慮すべきです

行為が良くなくて 不愉快な結果を得ても 神を責めることは できません ええ いかなる行為の結果も 非常に簡単なことです そうです バラを育てれば バラの花が開きます 他の花は咲きません 神はすべてを超越し 神は愛 寛容であり  永遠に私達と共にいて 私達を守り 希求する すべての幸福を私達に 与えようとしています それを得るのには 神と交流する 必要があります 神は二〇〇一年に 降臨するというのは 本当ですか 私があなたに 神を見せることを 許可してくれれば 神は二秒以内で来ます あなたは夢の中で 神に会うのですか いえ 夢の中ではなく いつでも会えます 神と再度 つながった後は いつでも神に会えます 夢の中でという 必要はありません 起きている 時にでもです 起きていれば 神が見えると 気付きますが 眠っていれば 分りません あなたの講義を お聴きするのは 嬉しく  感謝します ありがとうございます お尋ねします

包虫症と言う 感染症を 手術せずに 治せますか 難病に侵された人々の 一部は 心の奥深くから 神に祈ります そして時に 神は彼らに 恩恵を与えます ですからどうか 心から祈って下さい お話では あなたの 哲学は どの宗教とも 相反さないそうですが なぜキリスト教では 肉や卵だけでなく 他の物を食べることを 許すのでしょうか それは重要ですか 聖書にあることに 関しては 色々お話ししました 既に申し上げました 選ぶのは皆さんです 例えば 主イエス キリストが肉などを 食べていたとして 仮にキリストが 肉を食べたとしても 彼は既に悟りを 開いたマスターで 私達は違います ですからキリストの レベルに達したら 肉を食べるべきか否か 皆さんが 彼に尋ねて下さい 私は「だめ」と 指示を受けました キリストに それは 誤解だと言われました そして キリストの境遇です 調べれば分りますが 彼はエッセネ派に 属します キリストが属した この宗派の人々は 何千年もの間 菜食主義でした そうです エッセネ派 キリストはこの宗派に 生まれたのです

聖書にあります

神はこう言いました 「汝らの目を楽しませ おいしく味わえる これら野にある 果物と野菜はすべて 私が創ったものであり 汝らの食料となる 神はそこに動物を 含めていません もちろん聖書には 非常に多くの話が 記録されており その中の幾つかは 必ずしも聖人による ものではありません キリストは   私達の同胞を よろめかせ倒すものは 口にすべきでない と言いました 食料を得るために 他の生き物を 傷つけるべきでは ないということです キリストは更に ワインを飲む者や 肉食の者と交わるな とも言っています 聖書は何千年もの間 翻訳されてきましたが 翻訳中に 本質の一部を 見逃してしまった のではないかと 思うのです そして 神が恵み深くも 私に与えられた 知識から分かるのは 神は愛情深く どのような苦しみも 望まないということで 動物に与えられる 苦痛さえも 神は望みません それで神は 雌ヤギや雄牛を殺して 私への捧げ物とするな と言ったのです なぜなら神は 私達の手が罪なき者の 血で染まることを 好まないからです 聖書でです ええ 聖書の中で ですがもちろん 自分の人生に何が 適しているかは自ら 決める事です 神は 変らず愛してくれます

皆さんがどの方向に 人生を進めようと 神のご加護が ありますように そして神が望めば 再会するかも しれません アルメニアに加護あれ

ご機嫌いかが ハロー お越しいただき ありがとうございます

各国に特徴がある と言われましたが 愛への道や 天国への道は どこも同じですか これが最初の質問です 次の質問は あなたが人々に示した 神や完全性へ 向かう方法は これは 個人に向いている ものであって 全住民 全国民には 不向きな事かと いいえ 当然 すべての国が キリストと同じ道 愛の道を歩み 彼の後に続けば 素晴らしいでしょう ただ もちろん 各人の内に神がいる ということも 考慮せねばなりません そして人は自ら いつ どのようにして 後を継ぐのか 決めるのです

誰にでも美徳を強いる ことはできないのです 花のように 贈ることしかできず 人々は自分の好みに 合うものを欲します ただ私達の知識を 紹介しているのです 何を選ぶか それは彼らの自由です ありがとうございます キリスト教の 布教以来 各国は その伝統や文化により キリスト教を 受け入れてきました ではあなたの教えや 哲学に関してですが あなたは国家 それぞれがその文化や 伝統に基づいて 受け入れることを 気にされますか 物質的な 立場から言うと 望みます 伝統的立場からも 望みます しかし私達各人の 内面には 神の王国があり 聖霊が内に 宿っています そして その聖霊とは 唯一の真理 神への唯一の道を 知っているのです でも彼女は賢いです 問題が分かってます はい そして 質問の続きです 水による洗礼と 聖霊による洗礼に ついてですが この二つの 洗礼の仕方をあなたは どう見ますか 祈りを捧げるとき 人々は時に 違う言語で祈ります 彼らは他の言語で 祈っていて その意味が分りません 中国語や アラビア語もあり それを知らない人が 急にその言語で 話し出すのです 自覚してです それがなぜか 知りたいのですか

あなたの見解は 神から来るのか それとも・・・ 私には分らないのです はい 分りました お答えしましょう 最初の質問は 洗礼は水によるか 聖霊によるかですね 洗礼者ヨハネは こう言っています 「間違いなく 私は 水で洗礼を受けたが 私の後に来る 私より偉大な あの御方は 聖なる炎と 聖霊により洗礼を 受けるだろう」 はっきりしましたね はい では次の質問 人々は時に 非常に強く 集中するので 異なる意識レベルに 入ることがあります 自分の前世に 入ることもあります そして前世で 中国人だったり 中国語を習っていた 過去の知識から 収集することも あります それでまた 話せるのですが その時限りです もう一つ 起こる現象は 時折 霊体 死んだ人の 肉体を離れた魂が 気付かぬうちに 人に取り付き その人の体を使って 自分の言葉を話す 場合があります 神から直接来ることは 非常に稀です ありがとうございます

 
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