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霊性は逆境の中で輝く1/2 一九九九年六月七日ダブリン アイルランド(ゲール語)    
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こんにちは 皆さん ここに立てて 本当に嬉しく また 大変恐縮しています 私は 三年前に 私達の人生に 起こった事で マスターに感謝します 私の家族は 私と三人の子供達です 医者から 私が 余命いくばくもないと 告げられ 私達は 呆然としていました 奇跡に他ならないと 私たちは分っています 私はそれほど 霊的な人間ではなく その時 瞑想など 一切知りませんでした 地獄を潜り抜けました ある日バーナードとメアリーと話しました 私は惨めな状態でした するとバーナードが 私に小冊子を見せてくれました 「即刻開悟の鍵」です 私は一度もマスターの 事を聞いたことがなく ただ恐れと恐怖の どん底にあったのです 医者は私に六カ月の 化学療法を課しました そして 間違いないと 告げたのです 「やり残した事を やりなさい それほど 長く生きられません」 私は病院に 座っていたのを 覚えています 私は六ヶ月間の 化学療法を始めました それは大変苦しく マスターは私と共に いて下さいました 私は片手に彼女の本を 持って読んでいました 彼女が誰か自分が何を してるか分らなかった 医者は半身に化学 療法を施していました ちょうど私のこちら 側が闇で こちら側が 光のようでした 大変混乱していたので 分らなかったのです 続けていくに従い 私は恐れを手放し始め 怒りや絶望が 治まっていったのです 私はこれらの言葉を まるで栄養を 摂るように 読み始めました すると 変化が 起こり始めたのです それで 医者は なおも当惑し 混乱していました

ジェームス病院の デイリー医師や 看護婦全員です 化学療法の副作用で 大きく開いた 傷口が全て 消え始めたからです 私はたった三ヶ月の 化学療法だけでした いずれにしろ 実際 化学療法は 私の体を 破壊していたのです それが判明したのです 化学療法を受ける間 いつもマスターの本を 読み続けました ただ本から目が 離せなかったのです すると 副作用が消え始め 私は元気になり始め 良くなってきたのです 抜け毛が止まり 皆が 唖然としていました しかし 私は心の中で マスターのお陰だと 感じもっと知りたいと 思ったのです バーナードの所に 戻ると 彼は私に別の本をくれ 私はマスターの 修行仲間や弟子の 事について読みました そうして 私は 瞑想を始め 肉食を止めました すると 素晴らしい変化が 私の人生に 起こり始めたのです 私は皆さんに知って 頂きたいのです 医者や誰かが何を 言おうが構いません 私に起こった事を 私は知っているのです 真心を込めて話をし 他の理由で話して いるのではありません 神の愛 神の力 マスターが皆さんを 加護するのです 皆さんが彼女に求め 誠心誠意と愛を持って 彼女の下へ来た時に 信じる用意が出来た時 それを感じるでしょう ただそれが分るのです それ程の加護なのです 私は全然知りませんし この事件前にはあまり 祈りませんでした

私はしばしば マスターに会えたらと 神に祈りました 実現するとは一度も 思いませんでした 彼女はとても沢山大変 遠くに旅するからです 数日前 私は彼女が ここに来ると聞き 彼女に会えるなんて 彼女の臨在の中で 彼女への愛の深さを 告げられるとは 信じられませんでした マスターの事神に感謝 私は貴方が大好きです ありがとうございます 単にマスターの愛の 一つの例に過ぎません マスターの愛は 非常にパワフルで それに触れた人は 誰でも命が 変化してしまうのです 驚くべきパワーです 皆さんがビデオで見た ものは 彼女の能力の ほんの一部です 私達に見える肉体を 持つ彼女は 普通の人間として だけではなく 霊的な贈り物 霊的な智慧や教えを 携えているのです

皆さん スプリームマスター チンハイを ご紹介します

本日の講演は ヨーロッパツアーの 十七番目です 南部スペインから マスターは始め ヨーロッパを通り ロシアの国々に行き ギリシャに下り スカンジナビア半島の 国々を周り エジンバラを通りここ ダブリンに到着して 水曜日には 最終講演が ロンドンで行われます マスターを紹介する際 彼女に対する感謝の 思いを表現する言葉や ここアイルランドに おいて彼女を知る 全ての人に流れる 彼女の愛を表現する 言葉も 見つけられません 四、五年前 ホノルルで マスターは大変 権威ある賞を受賞し そこの市長ファシ氏が これに対し次のように コメントを述べました これらの特別な言葉に 付加できる他の 言葉などありません 彼はマスターを次の ように表現しました 「憎しみのある所に 彼女は愛を運び 誤解のある所に 信頼を運びます 闇のある所に 彼女は光を運びます」 彼女は本当に 世界の光です マスター チンハイ アイルランドに ようこそ ありがとう ありがとうございます 本当にありがとう

こんばんは 友人の皆さん 私の母であり父であり 兄弟姉妹の皆さん ご機嫌いかがですか 大丈夫ですか(はい) いいでしょう 初めてアイルランドを 訪れて大変素晴しいと 思ってます 皆さんの国について とても沢山聞きました

素晴しい映画を通して 大変良いニュースも ここにおいで下さって ありがとうございます 私は皆さんの国の 平安と繁栄 そして 霊性の復興を 喜んでいます 傾向として災難の後で 私達はより霊的に 深くなります それは悲しい事ですが イバラの茂みの中にも バラは咲くのです 同様に 最近の事件では コソボ紛争が あります そして 人々はより絆を深め 愛深くなり互いに 与え合い より理解 し合うようになります また神知識を 求める傾向を 更に強めています 大変肯定的な側面です 私達が日々耳にする 非常に悲しい知らせ にもかかわらずです しかし平和が訪れつつ あるという希望があり まるで大丈夫みたいに 最近のニュースを 見ましたか 昨夜の まだですか 人々はまだ何も 調印してないですか もう少し懸命な祈りを 待っているのかもね ええ 私達はこの後 ロンドンに向かいます 欧州と世界のために より一生懸命祈らねば ならないのでしょうね 私達の団体がです もちろん皆さんも 家で参加してください 誠心誠意で十分です 神は全てのことを 知っていますから 私達の中に 神が知ってることを 知らない人がいても 神が知っています 時々不確かになって しまうこともあります 神は常に私達に彼が 知っているかという 印を与えてくれる 訳ではないからです 私達がそのような印を 見られない理由や 神の慰めの 言葉や忠告を 耳に出来ない理由は 私達の霊的能力が 阻まれてることが あるからです 私達がこの物質界に 来て以来それは 阻まれているのです

中には 生まれて 三 四 五歳ぐらいまで なおも全てのことを 覚えている人がいます 他の町や 別の国での 過去の存在を 記憶している 事さえあります 皆さんは時々 新聞で読んで そういう事を ご存知でしょう 私達の多くは なおも 神を覚えています 私達が生まれてから 数年間までは 依然 神の臨在の中に いるのです しかし それから 私達が長じるに従い 暮らす世界が 自ずと 周囲で混雑してきて 私達は沢山の事を学び 始めねばならなくなり 人間の責務 振舞い 義務社会の全ての物が 私達の上に積み 上がっていくのです そして 私達が 天国を去って以来 常に持っていた 神の展望を手放し 始めてしまうのです ですから 私達の多くが 神が本当に存在する ことや神との話し方を 忘れてしまうのです それは残念です しかし 聖書でも言っています 「私達が幼子に戻れば 神の王国に入れる」と 子供に戻る過程は 過去の多くの 聖者が用いた 過程でもあるのです 私達は 自分の中にある 神の王国へと 内に意識を向ける ことによって 再び私達の純粋さ 無垢さに戻っていけ 一時的に 世俗的な 悩み事や責務を 忘れられるのです それは 自分の仕事を 離れねばならない という意味ではなく 家庭や愛する者を離れ ヒマラヤに行くとか ではないのです

皆さんはどこにも 行く必要がなく 自分の居間やキッチン トイレでさえも 神を見られる ということを 皆さんに教えましょう すみません でも それは本当のことです 私達が自分の心を 一分一秒でも 静かにすれば どこででも 神と意思疎通が 出来るのです 文字通りです たとえ神が 形がないとしても 私達が 彼の力や顔を 決して見抜けないと してもです

神の顔です 聖書で 述べられているように 神は人を自分の姿に 似せて創ったので 私達は時々 神を人間の中に 見出せるのです 神が自分をそうした 方法で明かすのが 相応しいと思えばです 人間の姿を通してのみ 私達自身が天なる父と 一緒であると 確認できるからです 神は私達に 似ているからです また 人間の姿を通してのみ 私達は神と意思疎通が 図れます そうすれば 神からの愛を感じ また私達からの 愛も感じます それで私達は本当に 天国の子であると 分るのです 神が人間の姿になって 現われる事はどの様に 起こるのでしょうか 神は私達に愛する子を 送って下さるのです 例えばイエスです イエスの姿を通して イエスの人間の 姿を通して 彼は当時 私達と 意思疎通したのです 言語を使い 肉体を持ってです 聖書で言うように 聖霊が肉体に下り 人の内に 宿るということです これは 神が 自分を物質的に 人間の姿に 変える時に 起こった 物理的なケースの一つです もう一つ 神が私達の 前に姿を現す方法が ビジョンです それも人間の姿かも しれませんが 物質的な 形ではなく 超自然的な姿です 神は私達の前に イエスキリストや 仏陀の姿で あるいは 信じる他のマスターの 姿での出現を選択する かもしれません そして 神は私達と 意思疎通を図り 彼は 私達と話せるのです また 神は 別の方法で 直感で 私達と話せます 神は 私達からのある 祈りに対する答えや ある問題に対する 忠告を知らせるのです しかし 殆んどの場合 しかし 殆どの場合 形を取った神を見ます

光の形を取った神です モーセのように 彼は在世中 燃え上がる柴に 神の出現を見ました それも私達は見れます それ以上のものさえ 見られるのです 私達が神の家へ 入って行った時 神は何千もの 太陽を集めたものより 明るいからです 高次のすみかに行けば 行くほど 神の光は ますます明るくなり そのわずか一本の髪が それが人間の 髪の毛だとしても 何千もの太陽の 光を発するのです そうした素晴らしい 栄光に戻って行くには ある方法があるのです

望めば いつでも再び 私達の家を訪問できる 方法があるのです それは キャンディや オレンジを食べるほど 簡単なことです ただ私達が忘れて しまっているために 私達には全ての事が 神秘的で難しそうに 思えるのです それで時々神が私達の 祈りを無視している とか 彼が存在しない かもしれないとさえ 思ってしまうのです 神を知る為のあらゆる 手段を試してみます 何時間も跪いたり 何日も断食をしたり 一晩中祈ったり 時には 自分達が とても罪深いと思って 自分自身を 罰したりします 神は私達の様な罪人の 元には訪れないなどと しかし実際 こうした事は全て 闇のパワーが 私達に押しつけた まやかしに過ぎません 私達を物理的存在に 服従させ抑圧するため なぜなら神の子は常に 神の子だからです 過ちにせよ 無知からにせよ 彼が犯した事は全て 常に天なる父によって 許され得るのです いったん彼が 天なる父を知れば 全てがはっきりとし 許されるのです その時より彼は二度と 天なる父を見失う事は ないのです こうして私達は 幸せになり より加護され より愛深くなるのです 神の王国で 心配なくなるからです 今 肉体にある 間もです そして 死んでから 行く場所がはっきりと 分っています 第一に私達がその道を すでに知っていて 毎日天国と地上を 行き来しているから 文字通りです 肉体でではなく 魂で天国に上って行き そして 再び 肉体の神殿に 下りて来るのです 私達は望めばいつでも 去って行けるのです その後 私達は神の 本当の存在を決して 忘れなくなります 神は毎日 私達に喚起し 毎日私達に 姿を現すからです 私達の何人かにとって 彼らの強く求める 思いと誠心誠意が 心の中で燃え盛れば 神は二四時間 姿を現します 皆さんは神と共に食べ 眠り 歩き 運転し あらゆる事を するのです そして加護された 魂には 地獄も死も 恐れるものはなくなり この世のどんな物も もはや再び彼を 恐れさせられません 私達に出来るのです 私達皆に少なくとも 私達の多くが望めば そうした霊的上昇を 得られるのです それには毎日少しの間 静かにする 必要があります 働くとは言えません 私達が行うのは ただ静かに座り 神の 訪れを待つ事だけです 神はすぐに訪れます 印心の瞬間でさえ 神は即座に訪れます その後 神は毎日訪れます 即座の人もいれば 若干時間が かかる人もいます

数分余計にかかったり 三〇分長くかかる事も あるという意味ですが ほとんどの場合私達の 注意が揺れ動いて しまうからです だから 神を見るのが 難しいのです 神がそこにいないと いう事ではありません 私達は生存するために 世俗的なあらゆる 種類のことをすべく この世界で 働いてきました 私達の貴重な時間を 単に生計の為に 費やしてきました 時に 相応の結果が 得られない事さえある 神のために働く 所謂 「神のための仕事」とは 真の加護であって全く 仕事ではないのです 私達が休憩したり テレビを見るような ものなのです 外的なテレビを 見る代わりに 私達は真の天国の 輝きを伴った内在する テレビを見るのです そうすればキリストと 話せたり仏陀や私達が 信頼している誰かと 話せるかもしれません 私達の愛する 亡くなった人とさえ 話せるかもしれない こうしたものは私達が 内面に常に持っている 才能なのです 私が教えようとしてる ものは新しいものでも 皆さんが知らない ものでもないのです 買うべきものでも 決してありません 私が皆さんに 奉仕する限り皆さんは 決して自分の王国の為 何かを犠牲にする 必要はないのです 私は単に一番前を歩く 人でしかないのです その道を教えたいです その道は 私達のものだからです 天国の家は 私達皆のものであり 神 天なる父は 私達皆のものなのです 実際本当に血を分けた 兄弟姉妹です 単に見かけや国籍や 私達がこの人生で 習得した習慣などが 私達を多少 隔てているのです しかし いったん この聖者の輪の中に 入ってしまえば 神の王国に入り 皆が間違いなく 繋がっていることを 感じ 分かるのです 以前には 理解できなかった 比べものにならない 方法で 私達はごく自然に 信頼し合い 愛し合うのです あらゆる憶測 疑い 不安が 掻き消えてしまいます たぶん 初日に あるいは 最初の週か 最初の月にです それは 皆さんの 神を求める心の強さと 神と座っている時の 修行の誠心誠意さに よります

また皆さんと神の間に 習慣的に「走り回る」 頭脳を介入させない 決心次第なのです それこそが 皆さんと 神の間で問題を起こす 唯一のことなのです それ以外 聖書が 述べている通り 「これこそが唯一の 寺院で神は私達の内に 宿る存在」なのです 神がここに住んでいる なら論理的に言って 正しい方に注意を 向ければ私達は神を いつでも見ることが できるのです ただ 私達は 今あちこち見ていて 真の神の王国を 思う代わりに あらゆる外側のことを 考えているのです 一旦 私が皆さんに 注意を向ける方向を 教えたなら皆さんは 神を見られます 神は 常にそこに存在します それは皆さんが私を 見たいと思えば すぐ ここにいる私を 見るのと同じですね 皆さんが天井や後ろを 見ていたら もちろん 私が 皆さんの隣にいても 皆さんには 私が見えません 「ほらすぐここをご覧 なさい」と言うだけで それ程 神を 見る事は単純なのです 私は簡単にそれを 見出したので 時々私も驚いています なぜ私にも他の誰にも 分からなかったのか つまり私の前にも 後ろにもなぜ誰にも 分からなかったのか 本当に簡単なのです 簡単すぎて皆さんは 驚きます 常に私達は 神に祈りを捧げ 神を知りたいと 思ってきました そして私達はとても イライラしていました それは皆さんが注意を 間違った場所に 向けてきたからです それだけなのです 私がここに座り 皆が あちらを見ている様に 私を見られません ダブリンがここにあり 私がずっとロンドンに 行きダブリンに一度も 来ないようなものです

非常に簡単なことです ですから あらゆる点で私達は 皆が歩く神なのです 皆が神の子なのです しかし私達はあまりに 卑しく 貧しい 時には 非常に惨めに 物乞いのように暮らす ただ私達は自分の中の 隠された宝物を 忘れているだけです それでこの後 数分で 神を知りたいと 思うなら 私達は何の問題も 複雑なこともなく 実質的に お教えしましょう そのために 私はここにいるのです まっすぐに 遠回りなどせずに 私は明日まででも 話し続けられますが 皆さんは 直接 体験して 神を見る方が いいでしょう 私達は二つの グループに分けます 神を完全に見たい人は最高の天国までですが そのために何でも 用意できる人には 完全な印心を授けます 例えばまだ 菜食などが 続けられるか 心配な人には 「半分の印心」を 授けます それを 気にいるかどうか 試せるのです できれば可能な限り 菜食を試して下さい 出来るようであれば 後で完全なものが 得られます アイルランドは欧州で 最も素早く経済成長を 遂げています ですから霊的にも 更に成長する その時が来ています 私は沢山の聖書 仏教経典を読みました その前は 全く 皆さんのようでした 過去の聖者や 瞑想修行者の あらゆる体験に対して 私は自分の知らない 天国というものが あるのか 別の惑星や境界が 存在するのかと 不思議に 思っていたものです そして 仏教経典の中には 天国が幾つか 描写されていて 地面が純金で舗装され 全ての家がダイヤや あらゆる種類の宝石で 造られていると あります

皆さんは そうしたものを 若い時に読み それはおとぎ話で 私達には起こらないと 思い ヒマラヤの 老ヨガ行者のみに あるいは仏陀の時代に 起こるものだと 思ってしまうのです またイエスと 彼の弟子の聖者達が 第二界の天国に行き 神の声を聞いたり 天国に轟く トランペットの音や 天使ガブリエルの声 など聞いたと読むと イエスの時代だからだ と思ってしまうのです

私達には そう考え 夢見ることだけで 決してこの種の体験を 得られません この方法を試すまで そう考えていましたが 自分の意識を内面に 向け 神に対面すると 聖書の中の言葉は全て 真実だと解りました それは常に真理だと 私達はこうした体験を 全て 今すぐ この現代に 得られるのです その事を考えてみれば イエスの時代 今ほど多くの 楽しみもなく 霊修行や 現在のような文献に 出会う方法も 十分なかったのです 十分な情報伝達手段も 交通手段も ありませんでした 今 当時よりもずっと 多くのものがあります 仏陀もイエスも 歩かねば なりませんでしたが 私達はずっと多くの 物質的楽しみに 出会えるのです ですから 私には 現代と過去の時代の 人類との間に違いが 見つけられないのです 私達の方が より知的であり 論理をより理解し易い という点を除いては 私達は 比較でき 自分を励ませる とても沢山の 霊的情報を得ています ですから私達が イエスの弟子と同様の 体験を得られるなら 実に理に適っています 論理的でなければ 信じる必要はないです まず見るべきです 百聞は一見に如かず だからです 神の言葉を聞くとは 信じることです 神の光を見るとは 信じることなのです その時 私達は 信じられるのです ですから 私は神の 存在証明を提供すべく ここに来たのです 同様に神を知る喜びと 幸福を皆さんと 分かち合うためにです

神は私達が処理し難い 困難を迎えた時本当に 加護してくれるからで そうでなければ 私達は なぜ神が こういう事をしたり ああいう事を起こして くれないのかと 不満を言うでしょう 神はいつでも私達に 話しています 問題は 聞かないだけなのです 私達は何か 別のものを聞いて 自分達の意識を 外に向けているのです 一方通行なのです  神を聞く方に向き 見る方に向くだけで  私達はそこにいます 私達は子供がやる様に 今もそれが出来ます 皆さんが忘れてる事を 私が喚起しましょう すると全てが親しみ 深く思えるでしょう 前にやっていたから 私達は別の存在でも こんな事をしてました 創造が始まる前 別の創造が 存在しました そして その創造の後 そして その創造の後 別の創造が存在します そして時々 私達は 繰り返し何度も 繰り返し何度も 少し物理的な境界に 下りて来て体験をし 神の創造を楽しみます 神が私達をどこに 置こうが関係ないです 私達はゲームを 忘れてしまうのです 家への帰り方を 忘れてしまうのです 神はイエスのような 喚起する存在を私達に 送ってくれます 神は聖ペトロと共に 鍵を残しておいてくれ そうすると 聖ペトロは他の誰かに その鍵を残し 他の誰かもその 鍵を残していきます そうやって 知識は 世々代々 継承されていくのです 家に帰りたいという 思いが十分募れば その鍵を持った 誰かが来てその門を 示してくれるのです それだけのことです とても簡単です アイルランド人は 心がとても単純で 純粋で このことを 非常に論理的に 理解すると思ってます

アイルランドの人は 愛らしいと思います 彼らが非常に純粋だと 聞いていましたが 実際ここへ来てみて 驚いているのです

昨日来たばかりですが 私はタクシーに乗って 皆さんの町を 見て回りました 何件か喫茶店があると 教えてもらいました 教えてもらいました 紹介してくれたのです 私は「 行ってお茶を 飲みましょうか」と お茶の時間だったので 彼は車を止めました 私は言いました メーターを回して 待っていて下さい 戻って来ますから 乗せてって下さい それとも私達と一諸に お茶飲みに行きますか ご招待しますよ 好きな方を選んでね 彼は言いました タクシーに座り過ぎて 疲れました 一緒に行きます

彼はメーターを倒し 車を止め お店に入りました 結構です 私は思った 「OK 構いません 埋め合わせに後で 少し多めにチップを あげましょう」 その後 私が スコーンとお茶代を 払いたいと思うと 彼はそれを望まず 言いました 「貴方は 私の国に来られました 私が払います」 彼はそう言ったのです 私は言いました「私が 最初に招待しますと 言ったのです あなたではありません 私が払うべきです」 彼は言いました「いえ ここは私の国ですから 「私の国です」 彼は 母国語で言ったのです 私は言いました OKボス 分りました それは一つの例です 本当に素晴らしいです タクシー運転手や レストラン全部が どこでも人々が本当に 素晴らしかったです ありのままの表現で とてもまっすぐでした 下らない事がないし 遠回りしたりしません ふざけや何もないです とても気持ちいいです そして 今日ですが 私は 朝食も昼食も 食べなかったので ホテルに 私に 食べられる菜食の物が あるかと尋ねました 彼女は その人は すぐに言ったのです ええ もちろんです 貴方に相応しいものを シェフがお作りします 彼と話してみますので ご連絡致します もちろんですが 彼らは何かを作れます でも私は昨日 同じ様な物をちょっと 食べていたので OK 構いません ちょっとパンとバター 持って来て下さい

朝食風の物を 朝食の注文には もう遅すぎますよねと 遅い時間だったのです 2時くらいでした 私は朝食も 昼食も食べて いなかったのです 通常 出掛ける必要のない時 私は食べません 朝や昼食時には あまり食べないのです 出掛ける前だけ 何か食べます 長時間かかるのは 分ってますし ただ 真直ぐ立っているのに 肉体的エネルギーが 少し必要になるだろう 「もう朝食の注文には 遅すぎますよね 大丈夫ですか」 彼女は言いました 「もちろんです 遅いですが あなたのために 何かご用意しましょう 大した事ではない」と 心から愛深いのです 何の複雑さも ありません

彼女はそれをすぐ 運んで来てくれました チップをあげようと すると 彼女は「いえ いえ 私達はあなたの お世話をしなければ ならないのです お客様ですから 寛いでいてください これは私の仕事です お気使いなく」と 彼女は拒否し続けた ホテルでこのような 従業員を見出すのは とても稀です 見つけられる でしょうが 稀です 貴国にはとても 沢山の例があります 私はわずかな間しか ここにいませんが そういう事で とても 嬉しくなるのです 人々にとても沢山の 喜びと幸福を感じ それが私をとても 寛がせてくれるのです ですから あまり沢山 話す必要は ないでしょう 私達には このような 素晴らしい縁が あるのですから しかし 何かはっきり 解らない事があれば どうか皆さんの質問を 通してお知らせ下さい 質問を通して 皆さんの頭脳の疑念を はっきりさせられます
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