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高速道路の法門 第三部/3 (中国語) 一九八十九年一月十五日 嘉義 フォルモサ(台湾)    
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お元気ですかマスター 私は基隆で初めて あなたの講義を 聞いた時 あなたの周りに 金色の光を見ました その後 毎回あなたの講義を聞く度に それが見えます  しかしそれは 講堂の明かりが 強過ぎるか 私の目に問題が あるのではないかと いつも思います しかし今日は 舞台にだけ金色の光が 見えるのではなく ステージの横の 白壁にも金色の 光を見ました マスター私は本当に 愚かで 今までそれが あなたからの光だと 信じられませんでした それは目の状態がどんどん悪くなって いるのではないですね 早合点しないで こういうことです 自身の体験が あったとしても その体験を信じるのは 容易ではありません 私の弟子でもそうです 印心のときに とても良い体験があり とても良い体験があり 私と修行し 体験が多く 不思議なことにも 遭遇しますが 未だに疑いを 持っています これも 避けられません 世々代々 魔(幻想)に 支配されて いたからです

長い間 騙されて来たので  疑念はなくならず どんどん膨らみ 本性より大きくなり 疑念を制御するのは 難しいことです あなたは印心を受ける 前も十分 素晴しかったのです

自分を責める 必要はありません マスター 菜食の持続は簡単で 修行は難しいと 思っている 人がいます どうですか その通りです 解脱するためには どのレベルに 到達すべきでしょう 三界 四界を越え 少なくとも 五界に到達しなければ なりません 五界以上は 仏国土で そこの人々は 本当に自由な 境界でしょう マスター  人が病気になるのは 菩薩がその人を 罰したいから なのでしょうか 罰するのではなく 見返りです 時々私達は現世に 執着しすぎています 働きすぎたり 世俗的な援助を たくさん行って エゴが大きくなります

とても傲慢になり はかない現世の 物質的な力に頼り お金の力や  名声や富の力に頼り 仏陀のパワーを 忘れています ですから私達は 突然病気になります 仏陀は私達に 「我が子よ 肉体ははかなく 名声や富は とるに足りないもの」 と喚起させたい からです

「すぐに 引き返しなさい 一刻も早く 自身の永遠の力を 見つけるために 内面を向きなさい 自身の万能の力を 見つけなさい」 病気は罰でなく 恩恵だと 私は思います 親愛なるマスター 私達は本来仏陀です 私達は 偉大な 智慧を持つ仏陀なら とても挫折を感じる 人間としてなぜ 今日のこんな状況に 陥ったのでしょうか

世界を加護するために 私達はここに来ました この世界には本来 人間は存在せず 生き物は存在して いませんでした ただ暗闇だけでした 後に木々が成長を始め その後人間が やって来て初めて 素晴しくなりました 変化の始まりです 命が現れ始め 活動が起こりました しかし私達はここに 来てあまりにも長い間 働き疲れました

私達は 本来の力を失い それで時々仏陀が 降りて来るのです

家路に着きたいと思う 人々を導くために 「あなたは年を取り過ぎ 引退です 若い魂たちに仕事を 継続させましょう」

お元気ですか マスターチンハイ 私は現在 害虫駆除会社に 勤めています 私は常に他人に 有益なことを 考えてきました 親愛なるマスター 印心して頂けますか みんな どう 思ってますか(はい) はい 印心を授けましょう 私の問題ではなく あなたが何をしようと 私は気にしません 私達が何をしても 仏陀は気にしませんが 因果の法則が あります それが問題なのです 自身がした事は何でも 結果は自身に 戻って来ます 私がこの種類の花を 植えたら 後に 私達は この種類の 花が得られます あの種類の花は確実に 得られません

従ってあなたがその 種類の仕事を選んでも 印心を受けられますが 他に転職した方が 良いでしょう それだけです あなたが別の仕事に 変えるなら  助けとなり 霊修行は早い進歩を 遂げられるでしょう そうでないなら 霊修行の間に同時に  因果の法則により 支払いをせねばならず 何も 得られないでしょう

時間の浪費です 従って印心しなければ そんなに懸命に 努力する必要がなく 何も得られません

お金のために 働きますが 最後には 何も残らないのです

無意味でしょう 親愛なるマスター 仏陀になるためには 六波羅蜜の修行を せねばなりませんか

自戒 忍辱 いうというような あるいは一旦私達が 仏陀になると誓ったら その後 なれるのでしょうか

私達は六波羅蜜を 修行せねばなりません 医者になりたいと 思うのと同じです ただここにいて 医者になると誓うと その後 医者になれますか 私達は医学校へ行き 6~10年の間 勉強すべきです それから毎日手術して 人々の病気を治し 助け そうして 経験を積みます

それから どんどん 素晴らしくなり その事が得意になり 医者と呼ばれるように なるのです あるいは他の例として ライオンズクラブの 代表だったら ただそこにいて「私は 貧困を助ける」とは 言えません そして そのようにしても 彼の仕事は終わりです そうではありません 懸命に働くべきですね

彼は資金を 寄付してくれる人を 探さねばなりません そしてスタッフを集め 一緒に働き 組織を作らなければ なりません  これは大変な仕事です 時には大変苦労します そうでしょう そうして始めて ライオンズクラブの 会長になれます 誓うだけで 済む事ではありません とんでもないです 六波羅蜜を修行 しなければなりません あまりに安っぽすぎて 誓うだけで仏陀に なれるとしたら 私は皆に直ちに 誓うことを勧めます 仏陀になりたいですか ただ誓えばいいのです それですぐなれます

マスター 開悟した 体験とは何ですか どんな体験が ありますか どんな心境ですか

とても簡単です

仏教経典に 悟りを開いた体験が 記載されています たとえば 楞厳経に 二十五人の菩薩の 悟りを開いた体験が 記録されています 内面の光を見たとか と書かれていいます これは開悟の体験です 例えば今私の講義を 聞いていて 光が見えた場合 それは悟りを開いた 体験です

または他の法門を 学んで光を見た場合 それも悟りを 開いた体験です 浄土宗とか 禅宗 天台宗を修行して 少しの内面の光と 内面の音流を体験する こともあります それが悟りを開いた 時なのです 観音法門を修行する 人は 印心の時 即座に悟りを開く 体験をします 印心の時即座に 悟りを開く体験を 得ることができます 即座に高い境界を 見ることができ 仏国土や 仏陀または異なる 境界を見ることができ または自分が体から 離れて高い境界に行き 再び体に 戻ることを見ます これらはいずれも 開悟した体験です 体験が多過ぎて 話し尽くせません また人によって 体験も違います 二人でも 体験は違います

観音法門を修行すると 自分はどのレベルまで 開悟しているか はかることが できます

レベルを正確にはかる システムがあり システムがあり 自分がどのレベルに あるかが分かります 聖書に 聖人が修行する時 または悟りを開く時 大きな火の玉と 雷の音を聞くと 書かれています これらはいずれも 内面の悟りを開いた 体験です マスター 菜食をしている人は 時間が経つにつれ 血液もきれいに なりますが ある日 事故などで輸血を 必要とする時 どうしたらいいですか 肉食している人の 不浄な血液を 断るべきですか 断る必要は ありません それは避けられない 事態です

病気で輸血が必要な時 受け入れるべきです 私達はどれが菜食者の 血液でどれが 肉食の人の血液か 知るよしがありません 菜食者からの血液かも しれません 観音法門を修行すると 菜食者からの血液が 提供されるかも しれません でもたとえ 肉食者からの血液でも 構いません そこまで執着する 必要はないと思います 命を救うことが もっと大事です 後に家に帰って たくさん観音すると どんな不浄なものも きれいに洗い流す ことができます

マスター 私は 何回も印心を受けよう と思ったのですが まだ受けていません 私は一貫道の信者で マスターの講義を 聞いてもっと印心を 受けたくなりました 私は矛盾しているの ではないでしょうか 一貫道と観音法門は どう違いますか

一貫道は観音をする 瞑想がありません 教えは どの宗教も同じです  人々に良いことをし 道徳的なことをして いい人になり 親孝行し 君主に忠実で 国を 愛する事を教えます 一貫道は観音する 瞑想を教えていません お花を一輪 家に持って帰って 花瓶に挿し もっと美しく 飾るだけの話です 互いに矛盾することは 何もありません 一貫道の伝統に 反することありません

一貫道は人に 神に近づくことを 教えています 私が教えているのは 一歩進歩した 早い方法で 速やかにその目的地に 到達させる方法で あなたの西王母に もっと早く会えます 私の法門を習った後は 私に帰依する 必要もなく 何もしなくていいです

修行することは 個人的なことで私は あなた個人を助けます これを習ってからも あなたは一貫道の 団体で彼らと一緒に 以前と同じように 仕事をしてもいいし 法事にも参加し 経を読み上げたり 仏陀を拝んだり 生け花をしたり 会合をしたり 何をしても構いません 何をしても構いません

ハイヒールの靴を 買ってもいいのだから 花一輪買ったり もう一つの法門 観音法門を修行しても いいはずです

マスター 病気の時 瞑想し 禅定に入ると 治療によいのですか 治療に助けに なりますか(なります) または良くないですか 健康にいいです 病気の時はもっと 瞑想をしなければ なりません マスター  仏陀は言いました 法(真の教え)は 智慧眼に潜んでいて 法輪は永遠に 回り続けると どういう意味ですか

その正法が所在する 所の智慧眼を 開くべきだという 意味です この眼は智慧眼であり 仏陀の眼なのです 印心はマスターが 正法を伝授する時で 伝授すると 正法が所在する ところの 智慧眼が開きます 法(真の教え)の法門を 伝授することです

法輪は永遠に 回り続けるというのは 観音法門を 修行すると 私達の内面の法輪が ずっと回り続けると いう意味です ある人は私が 経の講義をしている時 私の内面法輪が 回っているのが見え 私がわざと回して 見せたのではないです 極自然な現象です 観音法門の修行者は 一定期間 修行した後はみな この法輪があります 仏教と道教が 修行している法門は 同じですか 元々は 同じでした 元々 仏教というものもなく 道教もありません 仏教も 道教も同じことを 言っています 後になって マスターの往生後 高いレベルの 悟りを開いた 弟子がいなかったため 後に 人々は自分の 凡夫の頭脳で 勝手に解釈し 神聖な意味と 大修行者の教えを 憶測し 経典の 翻訳もまちまちで 違った用語を 使うようになりました 私達凡夫は内容が 分かっていないのです そこで文章や 名称にとらわれ これは 仏教 道教と 名前をつけて 違うものしましたが 実際は同じです 観音法門を修行し 始めてからそれらは 実際は同じである ことが分かります 何の違いもありません 高い境界に行って 見れば 釈迦と老子が一緒に お茶を 天国の 甘露水を飲んでるのを 見ることが出来ます

かつて舎利仏は 釈迦に 俗世間は 五つの穢土だと いいましたが 浄土ではないですね

それは極楽世界とは 比べ物になりません

その時 釈迦が地面を 踏むと 足を上げて地面を 踏むと浄土が現れた (そう そうです) 心が純粋になると 浄土になります 彼はマスターに 観音法門を 修行すると  死んでから どんな極楽世界に 行くのか聞いています 極楽世界はここです

ここで極楽世界を 見ることが出来ます 眼を閉じても 見られるし 眼を開けて見られます 見えないのは 「眼」を開けてもらって いないからです 子猫は生まれて 三日後に 眼が開いてものが 見えるようになります 知っていますか 三日後に 目が開き 見えるようになった 同じことです 智慧眼が 開かないと どこにいるのか 俗世なのか地獄なのか わかりません 智慧眼が開くと どこにいても 仏国土になります まさにここですが 私の弟子はみな これを知っています

親愛なるマスター 私は印心はまだですが マスターの力の中に いると確信しています 私の両親の健康と 長寿を 祝福して 下さいますか 仏陀に祈り 頼んで みましょう ご両親を お護りくださるよう 私自身は誰のことも 守れるような どんな力もありません でもあなたが 霊修行をすると 自分自身とご両親を 護る力が 持てます 他の面では 私は既に 皆さんを 護っています

私の持つ力は あなたが 悟りを得る方法を 伝達することで それにより あなた自身の 全能の力を 引き出せるのです そして護りたかったり 援助したい誰かの ためにそれを使えます あなたは近親者の 誰でも援助できます 私は自分との縁者を 助けられるだけです

それで私は皆さんに 修行して欲しいのです それが 近親者を 助ける方法なのです 他方で人々はすべて 釈迦牟尼仏に 既に 助けられています 彼は全衆生を 守護しています なのに未だにこんなに 深刻な病気や苦痛に 喘ぐのはなぜでしょう

なぜこうも短命なのか ですから個々の人が 自身の恩恵のために 修行すべきなのです 誰も他人には 頼れないのです

嘘はつけません

マスター 印心後に 私達はまだ吉日を 選びますか 結婚式やお葬式や 祝賀のために

そうですね 日を選ぶのは 悪くありません そうしてもいいでしょ

慣習が人々を 傷つけるなら 却下すべきでしょう けれどその慣習は 無害ですし

有益でさえあります なぜ有益なのでしょう 前にも言いましたが 私達人間は 心が弱いのです 私達は大変パワフルと 信じられないのです だから他の力に 頼りたいのです 私達が 新たに印心した時 まだ仏陀ではなく 私達にとって 霊修行は困難です 解脱するのは 仏陀になるのとは 違います

お話しましたが 皆さんは今生で 解脱できます 私は皆さんが 今生で仏陀になると 話していません 今生で 仏陀になるのは 可能です 不可能ではありません 私は解脱するのは 保証しました 解脱は単なる一歩で 仏陀になるにはまだ もう一歩足りません

こんな感じです 印心したばかりか 長い間の後でも 時に修行は 大きく遅れをとり 完全な開悟を まだ得ていません 吉日を 選びたいなら 構いません

例えば 自分の家族や友人が 結婚する時に 誰かの亡くなる日や あるいは不吉な日を 運の悪い日を 選んだとします それでこの人の 結婚に悪い日を 選んだと気付きます たとえ 自分自身がマスターの 保護を信じていても 結婚する人は マスターを信じる 必要はありません 結婚後 その人はその問題を 昼夜考えるかも しれません 「私の結婚の日は 悪い日だった まあ どうしたらいいの」 そして結婚を別の日に したいと思うでしょう 自分が人々に 問題を起こすのです

自分がする事は何でも 気持ちが安らいだり 幸せであるなら 構いません 規則どおりにしたり 私達の伝統との 繋がりを全て断つ 必要はありません 徹底的に断ち切るのは できません

マスター 観音法門は 最高の法門です 私達が最高のレベルに 達したら 法(真の教え)に対する 執着をも 失くすべきですか

ええ そうです でも皆さんは 高い境界に 達する時は 離れるだけです この世は あちらとは違うので この肉体に 戻る時は まだ 修行が必要です この世に生きる間は 修行が必要です 魔の妨害から 自身を守るため だけではなく 世界の加護もするです 私達はこの世を浄化し 私達の良い波動で 悪い波動を 中和すべきなのです

そしてサマディ中に より高い境界に 行く時に 同時に 私達は法 (真の教え)ですら 気付きません いかなる法 (真の教え) も もう存在しません でも戻ってくる時 法(真の教え)は まだ存在します

また たとえ非常に高い 境界に達してもまだ 毎日その高い境界を 赴く必要があります だからはしごを使って 上るように まだこの法門を 修行するべきです 更に言えば 私達は 自身の家族や友人 弟子に良い例を示す 必要があります 修行しないなら 彼らもしません マスター 全てが一つなら なぜ人々はいまだに 互いに争うのですか  それは私達が 区別をするからです 区別をしたら いかに万物が一体で あるか分かりません だから 観音法門を修行して 万物が一体である事を 理解する 必要があります まだ分からなかったら 私達はまだ 「私」と「他人」を 区別します そして とても はっきりと区別します

マスター 観自在菩薩は誰ですか

観自在菩薩は 観音菩薩の別名です 彼女の名前は観自在で この名前を得たのは おそらく彼女が 音と光の瞑想をした時 自在の境界を得たから でしょう だから 観自在と 呼ばれたのです マスター 「返答不可能の謎 つまり公案を解く」の 意味を説明して下さい

事実 昔の修行者は 何の謎も 解いていません 釈迦は何の謎も 解いていません イエスキリストは 何の謎も解いてません 老子と孔子は何の謎も 解いていません 元々 悟りを得たマスターは 何の謎も解いてません 後の真理を得たかも しれない 一部のいわゆる先生が 弟子の 霊的レベルを審査 しようとしたのです

例えば 先生が聞きます 「お前は誰だ」と あなたは答えます 「私は誰それです」と 王さんだとか何とか 答えます なら あなたはお終いです

あなたの名前は ワン(王)から(完) に 変わってしまいます この方法で 先生には あなたは 良くないと分かります あなたの修行が そんなに良くないと 分かるのです 先生は聞きます 「ビスケットを あげたら お前は 頭で取るかね 手で取るかね」と あなたが 頭で受けたら それは良くありません あなたが 頭を使うと言ったら 3回叩かれるでしょう 手を使うと言ったら 6回叩かれます あるいは ひどく叱られます あなたの霊的レベルが 余り高くないことを 示しているからです

公案を解くとは こんな風なのです

この頃 一部の人々は 日夜 この公案を 解いていますが 悟りを開けず 彼らには 公案を解く理由が 分かりません マスター 霊修行をするには 瞑想をすべきですか 瞑想は修行をどう 手伝けするのですか 瞑想イコール 霊修行です 六祖慧能は 六祖壇経で これに触れています 瞑想は智慧だと 彼は言います

サマディーは智慧で 智慧はサマディーで 二つで一つです

瞑想抜きで 智慧を 得ようとするのは ご冗談でしょう 金鋼経では 以下のように 言っています 智慧を得るに人が すべき事は布施 持戒 忍辱 精進 禅定だと 一つ欠けても あなたの修行は 同じではありません 瞑想をしなかったら 智慧を得られません イエスキリストは 数十年 瞑想をしました 数十年 瞑想を 学んだ後 砂漠へ行って 四十日瞑想しました 出て来て公衆を 教化する前にです 釈迦も同じです 彼は六年 瞑想し 続けて 菩提樹の下で 四十九日間 瞑想しました ついに梵天が現れて ついに梵天が現れて 釈迦に 出て来て 真理を説くよう 勧めた時にです 彼も毎日 瞑想しました それで 経典には しばしば釈迦が どのように 瞑想から出て来て 弟子達にあることを 説明し始めたか 述べられています そうではないですか 経典では 彼が食べて 飲んで 遊んでから 講義に出たとは 決して言っていません 毎回 講義をする前に 彼は瞑想しました これは 釈迦が毎日 瞑想した事を示します

六祖慧能は 「瞑想で 禅は見つからない」と 言いました しかし 彼は毎日瞑想しました 私はこの事実を 本で証明しました  簡単に説明しましょう どういう事でしょう ある人が聞きました 「毎日の瞑想で あなたは見ましたか」 彼は何て言いましたか 彼はその人を叩いて聞きました 「叩かれた時 痛かったですか」と その人は答えました 「はいで いいえ」と 六祖慧能は言いました 「私が瞑想していた時 それを見ました でも見ていません」 つまり 「見た」とは 自分の欠点を見て 「見ていない」とは 他人の悪い行為を 見ていないのです この物語は彼が毎日 瞑想していたことを 示しています 私達現代人は 過去のマスターの例に 従わなければ なりません 彼らには そのような偉大な智慧 偉大なパワーがあり 偉大な悟りを 開いていました それでも 彼らは 瞑想すべきでした 私達は誰ですか 私達は私達のレベルが 彼らのを凌いだとは 言えませんね だから 私達は座禅すべきです 瞑想をするとは 霊修行をすることです

釈迦は私達に 多くの東方西方の 浄土について 紹介し言いました 死後 そこへ行くと 誓いなさいと それなら 仏土には 釈迦の娑婆世界に 降りてくると誓う 衆生がいますか いるなら 私達は なぜ他の仏土に上がる 必要があるのでしょう 釈迦は しばらくの間 この世へ住みに 来ただけで マスターとして永久に 残っていませんでした どの時代にも この世には 異なる仏陀がいます なぜなら この娑婆世界は 無常で 永久の西方極楽浄土の ようではないからです 西方極楽浄土は 永久の世界で 阿弥陀仏が 教主です しかし この世の マスターは往来します だから 現在では この娑婆世界へ 来るのを誓う 衆生がいるのです ちょっと辺りを 見回せば分かります 多くの人々が ここにいます 彼らは願掛けをして 来たはずです 利益を受け取ることが できますから 彼らがこの世に 戻って来たら 修行して 仏陀になれます 彼らがこの世に 戻って来たら 後で西方極楽浄土へ 上がれます そういうことなのです だから この世は 仏国土への出入口です マスター 結婚した 女性が印心したら 誰の家族の五世代が より高い境界に 上がれるのですか 彼女自身のですか または夫のですか 説明して下さい 彼女のと夫のと 両方です でも彼女自身の家族は より多く利益を得ます なぜでしょう 彼女は自分の家族と 血縁関係が あるからです 彼女と彼らには 因果関係と 共有のカルマ(報い)が あります また若干の悪いカルマ (報い)を夫の家族から 借りているので 彼らも利益を得ます でも彼女の家族ほど 深い関係でないのです

ですから 夫も 修行すべきです その方がより良いです

マスター 私は本当に 修行したいのですが 始め方が分かりません ご親切にも教えて もらえませんか

修行したいのですか なら こうして下さい 印心を 申し込みに来て下さい そしたら私が毎日 何をすべきか教えます こんな短い時間では ここで何でも 教える事はできません まだ印心したく なかったら 先に私の本を読むか テープを聞いて下さい 私の教えが 気に入るか見て 気に入れば 私と学びに 来て下さい 気に入らなかったら 良い人でいて 個人的な戒律に従って 修得して下さい それは 盗まず 邪淫をせず 嘘をつかず 殺生せず 酒を飲まず また麻薬や賭博も しないことです これらは 個人的な戒律です 慈善事業を行って 良い人になって下さい 親孝行をし 元首と国家に 忠誠でいて 隣人と自分 そして家族に 親切にして下さい これらは全て 精神的な修得です これらの 個人的な戒律に従うと 将来人生に戻ってくる 時に 私達はなおも 善良な人で 裕福な人で 自由な人になり 困難な事は 少しもありません 私達には病気や 苦痛もありません 従ってそうした行いは 修行とも考えられます あなたが より高いレベルに達し 仏陀になりたければ 私と観音法門を 学びに来て下さい マスター 私の娘は家を出て いつ戻ってくるのか 分かりません なぜこういう事が 私に起こったのですか 私のカルマが 重過ぎるからですか いえあなたのカルマは 非常に軽いです 非常に軽い オゥラック(べトナム) には諺があります 「子は敵であり 配偶者は悪い カルマ(報い)である」 彼女が去ったのなら 行かせて下さい 行きたければ どうぞ 彼女が この世に来る前 あなたは既に一人で 彼女はしばらくの間 あなたとの因縁関係を 築きに来ました あなたとの 因縁関係が終わったら 彼女は去ります 遅かれ早かれ去ります

今日去らなければ 明日 私達は去ります または明後日去ります しばらくして 私達は皆 去ります この世界を去ることを 気にしないで下さい ただし 私の視点で あなたの状況を 見ています あなたにはそう軽く 受け取れません あなたはそれについて 気軽ではいられません 私達には異なる視点が あるからです また 両親は自分達の  子供を愛しています

彼女を深く愛していて 当然 心配します 家に帰って 仏陀に祈って下さい 彼がお嬢さんを家に 送り届けるでしょう 善行をし 慈善活動をし 功を奏すか見て下さい この人の質問です マスター 心をクリアにし真我を 明らかにするとは 心とは 私達の元々の心です または私達の真我です 私達は この肉体ではなく 精神的な存在です 仏陀である者です 輝かしく 素晴らしい者です しかし たった今 この肉体としてしか 自分自身を見てません またこの世の 他の物質的体や 具体的な事物しか 見ておらず 私達の真の本性を 見ていません 私と印心を受け 私と観音法門を 修行したら 何が真我か 見えるでしょう それはこの汚染された 体ではありません この世界は そんなに暗くなく 苦しみに満ちてないと 自分自身の素晴らしい 本性と高い精神状態が 見えるでしょう その時 心はクリアになり 真我が明かになります 心をクリアにし 理解すれば 本当に 私達が誰か見えます その時 私達は公案を解く 必要はありません もう分ってるからです あなたに全ての平和と 幸福を 仏陀があなたに祝福を ありがとうございます
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