ダウンロード
 
弘法こそ 至高の功徳 第一部/3 一九八九年二月二四日 フォルモサ(台湾語)    
email to friend  これについてメールを送る   If you want to add this video in your blog or on your personal home page, Please click the fallowing link to copy source code  タグをコピーしてビデオを貼り付ける     Download:    WMV (108MB)    MP4(165MB)  
それでは 中レキ市の 林換夫市長より この特別なイベントの ご挨拶を賜ります 敬愛する チンハイマスター 高僧の皆様 ご在席の皆様 こんにちは 本日 中レキ市 青少年 活動センターにおいて フォルモサ(台湾) 及びアジアで 最も有名な チンハイマスターをわが市にお招きして ご講演頂くことができ 大変光栄です 二六万の中レキ市民を 代表致しまして チンハイマスターに 対し心から敬意と 感謝の意を 表したいと思います 本日二時間の 講演の中で偉大な チンハイマスターは きっと私達に 仏教の教えである 因果のことや 善悪についての理解を 深めてくれるでしょう

講演を聴いた後は きっと どうしたらいい人に なって社会のために 国や家族のために 奉仕できるか 分かることでしょう 私はよくこう言います 私達は社会の 一員として 裕福な人は 経済的に貢献し 体力のある人は 体力を貢献するか すくなくとも良い 市民になるべきだと 私達には仏教の 堅固な基盤があるので 仏教の教えを よく理解できると 信じております 特に本日 チンハイマスターの 講義の後この教えが 更に広がると思います 本日集まった 聴衆の中には 年配の方もいれば 若い人もいて 子供までいるようです

これは 仏教が本当に 中レキ市の人々や フォルモサ(台湾)に浸透している証拠です 仏教が広く普及して いることを お喜び申し上げます そして市民が 仏教を尊敬している 事に対し感謝致します 最後に 素敵な夜であります ようお祈り致します チンハイマスターの 講演の後 皆様が悟りを開き 高貴になりますよう 皆様のご健康と 幸運をお祈り致します 有難うございました

徳のある皆様 有難うございました 徳のある市長 大変徳の高い方だと 感じます 彼は善や悪 社会の進歩を 気にかけています 政府で働いている 全ての役員達が 誠実に働いていれば 国はもちろん 強くなり 繁栄します 人民は堯舜皇帝の 時代に 回帰するでしょう 今しがた市長が 講演されましたが私は全面的に同感です 彼が言われた言葉に 全て同意します 各人が喜んで お金を寄付すれば 裕福な人はお金を お金がなくても 体力のある人は 体力を貢献し 能力がなければ 喜ぶ心で支援します なぜか  貧困者を助けるため これが 仏の道です 

この他に仏陀の道は ありません なぜ私達の世界は 未だに堯舜皇帝の 時代に回帰できないの でしょう なぜ私達が 求めている水準に到達 できないのでしょう 例えば 皆が幸せで 誰も貧しくなく 誰も裕福すぎず 誰も非常に苦しまず 誰も幸せ過ぎません こういう状態でなく なぜなら 皆が この状態を 好むとしても 誰もが努力する 訳ではないからです 例えば 市長が 市民一人一人に お金に余裕があれば お金を寄付し 体力のある人は 体力で貢献し 両方ともなければ 心で援助するよう 奨励するとします

奨励する事も いいことですが しかし誰もができる ことではありません 誰もがこれを好んで する訳ではありません とても簡単ですが できません なぜでしょう それは私達が 古代の聖人の言葉を 忘れているからです 例えば 老子はいいました  万物は皆一体だと 一人で生き抜くために 生まれてはいません 難しいでしょう 人には皆 両親がいます 両親がいなくとも 世間に頼って生きて いかねばなりません 老子の言葉の 奥深い意味が 分からないとしても この物質の世界 この地球においては 他人がいないと 生きていけないと 分かります これは確かです 数人の医学者が 一つの実験を行っているのを思い出します

赤ちゃんを別の部屋に隔離します その子はずっとそこに 置かれました 毎日 食事を与えて 栄養も足りています 空気も充分です いつも暖かく しました その部屋の 換気はよく 何も 問題はなかったのです ところが 誰も子供に 触られませんでした 人間の手で子供に 触ることも接触する 事も禁止されました その子はそれでも 成長するでしょう 栄養を もっと与えるだけでも 育ちはします しかし 成長すると 異常になるでしょう 他の子と違って 笑わないし 人間の感情を 表現しないでしょう

普通の人達のような 人間性が 彼にはないのです 古代  ある皇帝も同じような 実験をしました 何人かの子供を 山林に閉じ込め 人との接触を 禁じました 小さい時から 森に閉じ込められても 子供達は成長しました こっそり食べ物を 運んで食べさせました しかし 子供達は動物と 一緒に暮らしました 驚いたことに子供達は それでも育ちました

彼らが成長した時 動物に似ていました 振る舞いも話し方も 動物に似ていたのです ですから 教育しないと 人間にはなれません それは正しく私達は 社会に大いに借りが あるのでできる事を 本当に貢献すべきです 例えば お金があれば お金を寄付し 体力があれば 体力を貢献し さもなければ 心から援助するのです 他人が善行を行い 社会のためになって いるのを見て 自分にできることを することで また援助するべきです 沢山できなければ 貢献する人を 励ますべきです

良い行いをする 人々が多くの人達から 尊敬され愛されるのを 見て 妬んだり 彼らの仕事を 妨害したり 名誉を 毀損してはいけません 彼らを 励ますどころか 傷つけては どんな宗教の 教えにも反します 仏教にだけ反するの ではありません 私達の最新ニュースで 各宗教の金言を 皆の参考になるように 翻訳して流すように 頼みました 読みましたか (はい) それらは仏教 儒教 道教 ヒンズー教イスラム教 シーク教など 多くの宗教の金言です

教理はほぼ 同じではありませんか (はい) これはほんの一部で 誰もが互いに少し コミュニケーションを 取り他の宗教の概念を 多少知るためです もちろん 他の宗教を 理解したければ その経典を読むなり その宗教の教理や 開祖のマスターを 研究するのに 沢山の時間と労力を 要するでしょう

私の責務ではないです どの宗教を信じても いいのです 信仰している 宗教がなければ 自分の生まれながら 持っている善良な心と 智慧を信じるのです そして悪い事はせずに 良い行いをし 他人を助ければ 神や仏陀はまた 面倒を見てくれます

何故なら神または 私達がいう創造主 または仏陀 つまり 最高の智慧は 呼び名や役職名など 気にしないからです 私達が彼を 崇拝するかどうかなど 気にしません ヒンズー教にこういう 格言があります 神を 最高の智慧を 崇拝するには 先ずは隣人を 崇拝することから 始めることです イエスキリストも 自分を愛する如く 隣人を愛し 敵をも 愛せよと言っています そうでしたね 釈迦牟尼仏もまた 言いました 慈悲深く 博愛になれ 全て感情ある衆生には 仏性があると 彼は全ての衆生を 同等に扱うべきだ 全て感覚ある衆生には 仏性があるからだと 言わんとしていました

つまり全ての衆生は 私達と同等だと 意図していました 釈迦は自分も全ての 感覚ある衆生と同等だ とまで言いました 釈迦牟尼仏は 悟りを開いた偉大な マスターの一人です 最も有名な マスターの一人ですが 彼は 自分は感覚ある 衆生と同等であり 何の差もないと 言いました ですから私達凡人は いうまでもありません ですから 宗教を学ぶとき その宗教の 教祖の真意を 理解するべきです 互いに争い 中傷し 攻撃することは 教祖の 本意に反する ことです

加えて もし私達が 時間と 根気と 寛容な心を持ち 時間を費やして 他の宗教の教えを 研究すれば 彼らは同じ道徳的な 行いを順守すると 分かるでしょう 彼らも善行を行うよう 人々に教えています 釈迦牟尼仏は 人々に 善行を行い 施し 戒律を守り 侮辱を耐え忍び 熱心に禅定し  得度すると教えました 布施をすることは 最高の方法です そこで 釈迦牟尼仏はこれを 最優先に置いたのです 釈迦牟尼仏だけが これを言ったのでは ありません

ヒンズー教の経典で 私はまた布施をする ことは最も崇高な 行いだと読みました 金剛経の中で 釈迦牟尼仏陀は 法(真理)を 広める事は最高の功徳だと 言いました ヒンズー教の経典も 同じ事を言いました 奇妙なことです なぜそうなのでしょう

互いにオウム返しに 言ったのでしょうか あるいはヒンズー教が 仏教を真似したのか 仏教がヒンズー教を 真似したのか 皆はどう思いますか

私達が知らないのは 読んだ事がないからで ヒンズー教は邪道だと 言っているのです なぜなら 彼らの教理を 理解しないからです 経典を読んだことも なく 尊重しません 読まねばなりません

法(真理)を広めることは 最も重要です ヒンズー教の経典でも これを言っています はっきり言っています 法の時代の終わり 末法の時代に  つまり 今の私達の 時代のことです この世界が造られて から現在に至るまで 黄金時代を 含めて多くの 時代がありました 最初の時代が 黄金時代でした 黄金時代というのは あの時代 人々は善良で 霊修行をして 神を強く信じて いました 皆が自由で 穏やかで平和で 偉大な力がありました 障害から 束縛から 悪いカルマ(報い) からも解放され ほとんど因果の 妨害がなかったのです 人々は 数百年 生きられました 中には数千年生きる 人もいました 古代の経典を読むと はっきりと記載されて いるのが分かります ある期間が過ぎた後 大変長い時間の後 世界は銀の時代に 入りました 黄金時代の後は 銀の時代でした

銀の時代 銀の時代は 黄金時代ほどは よくありませんでした 人間の寿命は 短くなり 道徳は後退し 神通力も減少しました

彼らは身口意で あまり自由では ありませんでした もはや 天国や 地獄に容易に行く事が できませんでした もう行きたい所に 瞬間的に 移動することも できませんでした そんな具合でした まだ良い時代でした 人類はまだ 数百年も数千年も 生きられました とうとう私達は 末法の時代に 至りました これは鉄の時代と 呼ばれます

現在の私達の時代の ことです この鉄の時代では 人々は鉄製のものを 沢山使います それが意味する所です 黄金時代では 宮殿はみな 金で造られ 宝石で 装飾されました この鉄の時代では 経典を 読まなくても 私達の家は鉄と 石で作ったことが 見て分かります

ですから私達の心も 多少 鉄のように なりました

頭脳と心だけがそうです 私達の魂はなおも 黄金時代と 同じです 私達自身のマスターは 永遠に純粋で 世々代々 永遠に存在します それは心ではなく 心は頭脳のことです 頭脳はもちろん 影響されます それは 機械だからです 適度に 潤滑油を与え 手入れをすれば 長持ちし 順調に動きます それを無視し それに 見合った油を入れず 定期的に手入れも しないと すぐすり減ります 他の機械と同じです それを私達は 人間の心または 人間の頭脳と呼びます それは同じです

私達自身のマスター 即ち 魂 真我は 違います これは手入れを 必要としません 外部の影響も 受けません しかし それは肉体に くっついていると 苦痛を感じます この肉体が 苦しいと 魂も苦痛を感じます その二つはくっついて いるからです 例えば 私は この服を着ています

私は服の中で 何の問題もありません しかし もし服に火がついて 燃え始めると それは熱くなり 服の中の私も 熱く感じるのです

もともと 私の体は熱くないのに この服に火が ついたので その中の 私も苦しく感じます それは同じ状況です 私がこの服を 着ていなければ 私とは関係ありません

この服を火にくべて 燃やしても 私はここに立って 何も感じないでしょう

同じ意味で 私達の魂が この肉体という服に くっついていれば 何かが体に 触れると 魂は感じるのです 魂はこの 「肉体の服」を着る前は 何も感じません 幸せも哀しみもなく 何も感じません 魂はもともと光を放ち 幸せな存在です つまり 魂は極めて明るく 至福で 苦しみとか悲しみを 決して知りません

ヒンズー教の経典では 末法の時代と 言わないで 鉄の時代と言います 今の私達の 時代のことです 現代のことです ヒンズー教の経典も 同じ事を言っています 法(真の教え)を広める事は 最も重要な事で 最も価値ある事だと 釈迦も同じ事を 言っています 法(真の教え)を広める事は 最も重要な事だと イエスも弟子達に 彼らが聞いた 秘密の法門を 人々と分かち合うよう 激励しました ただ この種の提供には 問題が一つあります 法(真の教え)を広める 前にそれを手に 入れねばなりません お金は簡単ですが 法(真の教え)は どうでしょう

お金は皆分ってますが 法は何でしょう どうやってそれを 与えられるでしょう

(人々に教理を 説明することです) 教理を説明しますが それは法ではなく それは教理です 法は道という意味で 説明できないものです 法は教理とは 異なります 私達はまず この例えようのない道 説明しようのない法 名づけられない名 目に見えない 無形の 触れる事のできない 力を得て初めて法 (真の教え)を広めます 経典にもありません 法(真の教え)は経典では 見つけられません ですから 昔から 偉大な 霊修行者はいつも 法(真の教え)の伝授を 以心伝心で行い 教理や経典を通して ではありません

老子も 「道は道に あらず」と言いました 説明できる道は 説明できる道は 永遠の道でも 本物の 道でもありません ですから 道は言葉で 説明できるものでは ないと指摘したのです 仏教でも言います 禅は言葉を用いないと これが法(真の教え)です 言葉でもなく 説明もできなければ どう伝授しますか 伝授できるでしょうか できます

今日 中国の 昔話を読んでいて 大変意味深い話を 偶然見つけました 時間がきて ある人が 死んでしまいました すると 黒と白の 死の使者が 彼を迎えに来ました 皆さん 黒と白の死の使者が 何だが分かりますか 分かりませんか 後で分かります 遅かれ早かれ それを 知ることになります 観音法門の 修行者だけが彼らに 声をかけずに済みます 死の使者が来て 閻魔王に会わせるため 彼を連れていきました

閻魔王は彼の人生の 記録を調べました 「まあ 悪くはない どんな罪も 犯してないし 徳を沢山 積んでいる お布施をし 戒律を守り 屈辱も忍従した だが瞑想に精進せず 智慧がない でも いいだろう お金と 力を布施し 非常に支援もし とても慈悲深い いいだろう もう一度人間界に 戻して富と権力と 高い地位を楽しんで もらおう」と 閻魔王の 宮殿の皆が 彼の事を喜び 拍手を送りました しかし彼は言いました 「お断りします」と 閻魔王は言いました 「おかしなやつだ なぜ断るのかね」と 閻魔王も 英語が解りました その人は言いました 「以前 私は 高官で 権力も 富も何でも 経験しました これらはいずれも 私の頭を痛くする だけだと分ってます」 市長に聞いたら彼も 答えるかも知れません 「そうだ そうだ」と 大半の人が市長で あることは喜ばしい事 だと思いがちですが 嬉しくはありません

それは責任重大で 両肩の重荷は 重いのです 人々には沢山の 意見があります 時には不愉快なものも ありますが 人々を 助けるために 私達は やらねばなりません

誰かがやらねばならず したがって その人は 言いました 以前 高官だったので 二度とそれを やりたくないと 以前 裕福だったので もうそれが欲しく なかったのです 彼には奥さんも子供も 沢山いたので もうそれも欲しく なかったのです

閻魔王は 彼に聞きました 「では何が欲しいのか」 その人は言いました 「私は普通の人間に なりたいだけで お金は自分が使うのに 足りればいいのです 小さな家を下さい そうすれば 線香を焚いて 修行し 仏陀を拝みます 私はただ平和に 暮らしたいだけです それで幸せです 私に必要なのは 心穏やな 平和な生活と 安心した暮らしです もはや地位やお金は 要りません 欲しくありません」 閻魔王は何と言ったか 分かりますか

承諾したでしょうか しません 閻魔王は人に 押し付けはしません ため息をつきました ため息をついてこう 言いました 「お前の 気持ちはよく分かるが これは私の 権限を超えている お前にお金や権力を 与える事はできるが 心穏やかな 平和な生活 平和な暮らしは 与える事ができない」 分かりますか これを得るには法 (真の教え)が必要です

心穏やかに 平和に暮らし 自由自適に生きるには 法(真の教え)が必要です ですから 法(真の教え)を 広めることは 最高の施しの形です そうでなければ お金や権力や 名利だけで 十分いいはずです 違います

それらは私達に 幸せをもたらせず 内面の満足感も もたらせません しかしこれは 高官になるべきでは ないという意味では ありません

修行仲間の中には 高級官吏もいれは 下級官吏も 中級官吏もいます また あらゆる商売の 人もいます 商売で忙しい 人もいれば 平凡な暮らしを 送っている人や 農業を営んでる人も 労働者 工場労働者 医者 弁護士 聖職者など あらゆる 職業の人がいます タクシー運転手もいて 様々な人がいます 裕福な人 そうでない人もいます この説明できない法 この説明できない法(真の教え)を得てから 彼らは皆 安心し 平和になります これこそが私達に 本当に必要なものです 私達は皆 自由を愛するからです

私達は皆 真に自由でいるために 解脱を愛するのです お金だけが必要なの ではありません 心の奥では皆 それほどお金が 好きではありません 自分はお金が好きだと 思っているだけです ですから 見ての通り ある人は裕福なのに お金を銀行に預けて おくだけです 毎日それを数えるかも 知れませんが そのお金を 使ったりしません 本当に お金が好きなら きっとそれを使います 彼らは使いません ですから ほら 裕福な人ほど 倹約します

お金で何をしたら よいか分からないかの ように ただ集めて 銀行に預けています 彼らは皆 お金は 裕福と幸せを もたらし 何でも買えると 思っているからです 結局 彼らはお金が あっても 面白くない ことが分かり それで そこに置いておきます ある裕福な人が ある裕福な人が 非常に倹約し 何事でも節約し 質素なのを見て とても欲張りで ケチだと思うでしょう しかし違います ただお金の使い方が 分からないのです それが分かったら 使うでしょう

したがって 彼は お金を稼げば稼ぐほど もっと商売をして もっと稼いで そしてもっと 商売を始めて 更に もっと稼ぐでしょう 最後には お金の 海で泳ぐでしょう しかし お金は大変 役に立ちます むかし 孟嘗君主は 大変裕福で 彼はお金を使って 良い事をしました 彼は多くの人に 施しました

この場合 お金は 大変役に立ちます それで お金は良いと 言っているのです 時に 私に 沢山のお金をあると 私は経典や 本を印刷して無料で 提供したり 慈善事業をします ある弟子は私に 「マスター お金を 使い切ってしまって 後でなくなったら どうしますか」と 言います 私は彼らに言います 「お金は使ってこそ 価値があります」と お金は使ってこそ 意義があるのです その時のみ お金が 有益だと分かるのです そうでないと お金は 何のために必要ですか 私達は皆 お金や権力よりも 自由を愛します 私は証明できます 非常に裕福な人は皆 幸せではありません

彼らはどんなに 忙しくても 時には休暇を 必要としますね 彼らは一人になって 商売のことを 忘れたいのです 西側の国の社会では 皆が夏と冬に 休みを取ります 皆逃げるのです 例えば フランスのパリは 休みのシーズンには 都市全体がほとんど 空になります お化け屋敷みたいに なります 皆出かけていません パリは最も 賑やかなところで 世界的にも有名で皆が そこに集まりますが パリに住んでいる人は 休みの時には皆が パリを出ていきます 金持も金持ちでない人 高官も 低い位の役人も 皆 辺鄙な開発されてない 荒地に行きます

彼らの心の中では やはり新鮮な空気と 自由を渇望している ことを物語っています 彼らは 社会と仕事に 縛られています 彼らは裕福なことと 高い地位はいいものと 思っているのです しかし心の奥では 真我ではありません ですから裕福ですが 幸せではなく 権力を持っていますが 幸せではありません ますます縛られてると 感じるのです だから法(真の教え)を 広めなければならないのです お金を寄付することは 重要です 私達がみな 孟嘗君主に 見習えば 世界はとっくに 天国になったでしょう 残念ながら 私達は古代の聖人の 本を読むだけで それを実践しません 今は大分よくなり フォルモサ(台湾)の人は とてもいいです

多くの宗教宗派が 立ち上がって 人々にお金で 慈善事業をするよう 呼びかけています 例えば 一貫道団体に 感謝せねばなりません

修行者は本当のことを 言うべきです 誰かが 良い事をした場合 たたえるべきです 人が悪いことを するとそれを 非難し 良い行いに対して 沈黙するのでは いけません これは不公平です 人が悪いことを した場合 それを 非難するのではなく 二度としないよう 諭すことです 人が良い行いを した時には 公に褒め称え 激励すべきです さっき市長が おっしゃったように 私達にできないことを 誰かがやっているのを 見た場合 誠心誠意 応援することです これはいいことです これは歓喜の心と 応援の気持ちです

フォルモサ(台湾)や 他の国にライオンズ クラブがあります 彼らは皆 裕福な人たちです 彼らは言います お金を寄付して下さい それで私達は良い事を します 社会を助け 国を浄化し人民に 福祉をもたらしますと 大変いいことです 私達仏教団体も 多くの 慈悲深い行いを やっています 多くの寺院では 募金しています

お金を集めては 貧しい人々に 与えています 大変良いことです キリスト教も もちろん 彼らが社会に対し 多く寄与してきた事は 皆が知っています 多くの よい病院と よい学校は 彼らが建てたものです 花蓮で私は出産しよう とするある女性の お見舞いに行きました 皆この話を 知っていますね 赤ん坊は私が行くまで 生まれませんでした 厄介なことですね 私が見舞いに行った 病院はカトリックの 病院でした

花蓮の市議会議員が 私をそこに連れて行き 私にマスターここは 大変いい病院ですと 教えてくれました 世間話をして待って いたのです 外でする 事がなかったので その病院は キリスト教徒が建て どんな患者も 拒否しないのが 決まりだそうです どんな患者も 拒否しません 良い人も悪い人も 金持ちな人も貧しい 人も受け入れます お金があれば支払って もらい なくても 受け入れます 彼らは 真にイエスの 博愛の精神を実践し 示したのです これこそが 真の宗教団体が することです

宗教はこういう良い ことをすべきです 全ての宗教が自分の 責任を全うすれば その国は 平和になるでしょう どの宗教が良くて どの宗教が良くない などという 必要もありません 全ての宗教が自分の 責務を全うすれば 素晴らしいと思います

私が教えている事も 他の宗教と同じです 私は仏教と 他の宗教との間に 区別をつけません なぜなら 人々の心は すでにばらばらに 分離しています 私はこれ以上分離して 欲しくありません 一緒に力を合わせて 働くと 強くなります

皆さんは素晴らしく 良き仏教徒です 誰であれ 万物は同一体である という真理が分かれば 良き仏教徒です 仏教徒であろうが なかろうが善意があり 良い事をし 人々を助け 衆生を傷つけるような ことをしなければ それは仏教徒です 宗教の目的は 人々に平和になる ことを教え 善行を行い 人に施し 世界に寄与し この世界に於いて 富と幸せを 等しく分かち合うよう 教えることです ですから 全ての宗教団体は皆 同じ夢を持っています 賛同しますか (はい)そうです またもう一つの 理想があります 

人々に悪事を避け 改めるよう 教え導くことです 誰かが悪い事をして いるのを見ると 正すように 指摘することです このように 全ての宗教は皆同じで 同じ理想があります ですから時々私は なぜ言い争うのか 驚くことがあります なぜ互いに 理解しないのでしょう なぜ友人を 敵にして しまうのでしょう これは盲目的な 信仰のためです その宗教の教祖が そう教えたわけ ではありません それらの教祖たちは 私達がケンカするのを 見ると心を痛めます そうですね 

(はい) そこで私は至る所で いつも皆に自分の 宗教を変える必要は ないと勧めます 自分が 信仰している宗教の 良き信者のままで 社会や国のために 利益をもたらし たとえ宗教信仰が ないとしても 善行を行い 悪事をせず 国に対し忠実で 国を愛し 親孝行し 友人や隣の人に 親切にしていれば 十分にいいのです そうすれば神も 認めてくれるでしょう 有難うございました

二〇〇九年 十月二二日の 「有機ビーガンで 繁栄し 気候変動から 地球を救う」という スプリームマスター チンハイ国際団体が 主催する 会議の中で 貴賓として スプリームマスター チンハイは気候変動 から地球を守るために 有機ビーガンになる ように奨励しました この共有している島で 「地球」と呼ぶ空間で 必要なものはすべて 豊富に与えられて いますが まだ機会が あるうちはその面倒を 見なければなりません

スプリームマスター テレビジョンで 今週土曜日一月十六日 テレビ会議の再放送 第一部をぜひ ご覧下さい 題して 「有機ビーガンで 繁栄し  気候変動から 地球を救う」は 智慧の言葉にて

本日のスプリーム マスターテレビで テレビ会議の再放送 第一部をぜひ ご覧下さい 題して 「有機ビーガンで 繁栄し  気候変動から 地球を救う」は 智慧の言葉にて
trackback : http://www.suprememastertv.tv/bbs/tb.php/download_jp/6977

 
 

   追加言語字幕
 
  スクロールのダウンロード
  MP3のダウンロード
 
Listen Mp3視聴  智慧の言葉
Listen Mp3視聴  マスターと弟子
  iPhone(iPod )へのMP4ダウンロード
  Download Non Subtitle Videos
  プログラム別ダウンロード
 
マスターと弟子
ベジタリアンエリート
ベジタリアン 高潔な生き方
啓発のエンターテイメント
動物の世界
芸術と霊性
良い人 良い仕事
注目すべきニュース
智慧の言葉
  日付別ダウンロード
2024 . 5月

Sun

Mon

Tue

Wed

Thu

Fri

Sat

1

2

3

4

5

6

7

8

9

10

11

12

13

14

15

16

17

18

19

20

21

22

23

24

25

26

27

28

29

30

31