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天国を創造する 第一部/2 一九九二年三月三日 シンガポール    
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こんばんは 友人の皆様 私が経の講義に行く先々で 人は私に聞きます 何歳ですかと 悟りを開いているかは 聞かないで 何歳なのかを 聞くのです

ある人達は聞きます あなたは 子供に見えますが どれだけ 知ってるのですかと 私はこう答えます 多く知りませんが 皆さんを天国に連れて 行くには十分ですと 実際天国は私だけに 属するのではなく 天国や涅槃は 仏教徒だけに 属するものでもなく キリスト教徒だけに 属するものでもなく ヒンズー教徒や 私達がこの世界の どんな宗教にも 属するものでは ないのです 天国は 平穏で 無欲で 全てが自然に 満たされる境界で 涅槃とも言います

実際 釈迦牟尼仏が生存中 人々の天国に対する 間違った概念を 壊すために 天国を 多くの異なる境界に 分けました それで 低いレベルの天国と 高い天国があるのです そして釈迦牟尼仏は 最高の天国を 涅槃と言いました これは 神の王国とも言えます 神の王国とは 何でしょう 仏性とは 涅槃とは 何でしょう これは遥か遠く 奇妙に聞こえます ほとんどの 修行に関する神話は 例えばヨガや瞑想 宗教の苦行などは 瞑想は難しいと 人々に 神に到達するのは 難しい 仏陀になるのは難しい と感じさせます

実際は違います 真の宗教は 大衆に属します 神は全ての 衆生に属します それを 仏性と呼んでもよく 仏陀の境界と 呼んでもよく 好きに呼んでいいです これは皆の 共有財産なのです

ある衆生には 地獄が彼らに属し ある衆生には 涅槃と 天国だけが つまり 神の王国だけが 彼らに属し 地獄は他の人に 属します ある人にとっては 地獄と天国両方を 持っています またある人は 地獄のしかなく いわゆる地獄について 後で説明しましょう

では次に 理解してもらうため 科学的論理的方法で 説明してみましょう それで遥か遠い 天国の神話が この地球におろされ いわゆるこの場所を 人々に詳しく 見せられるようにです 地獄と天国 あるいは善良に 例えられます つまり 肯定的エネルギー それはエネルギーです さて宇宙において すべては 万物は エネルギーにより 創造されました  これを「創造のパワー」 「造物主」と 呼びます

このエネルギーが 宇宙の 様々な場所に 散らばりました そして異なる世界と 異なる衆生を創った これらの衆生は それぞれのレベルの 考え方と 意識レベルを 習得します そして互いの 作用によって 別種の エネルギーを 生み出します この種のエネルギーは 二部類に 分類できます 一つは 「肯定的」エネルギーと 呼ばれるもので 「神性」 「天国のパワー」又は 「仏性」とも呼びます 二つ目は 「否定的な力」 「邪悪」「暗黒」 と名付けています

あるいは 「善と反対のもの」です 善と 肯定的な力は 否定的な力と 並んでいます

どんな衆生でも天使でさえも 地球人 世俗の人々 善良と 寛容 慈悲心 互いの協力で あっても これらのエネルギーは 善 神のエネルギー 肯定的な力に 分類されます このように 考えるほど 多くの衆生が この種の善良さを 発揮すればするほど 私達の雰囲気と 世界に もっと肯定的な力が もたらされます 私達か  いかなる衆生が 憎悪や悪い考え 否定的な傾向 言動をする 時はいつも 大気の否定的な倉庫に それを足して行きます それを 邪悪の力と言います この力は より多くの憎しみ 戦争 不調和を 私達の世界や これらの人々が 住んでいる世界に もたらします

これが理由です 私達がいつも 良い事を考え よい言行をし よい事を言うべきだと そうなのです 善を収穫するために 私達は善を蒔くのです そういう訳で 聖書に書かれています

「蒔いた種は 刈り取らねばならぬ」 仏教の経典でも 同じ事を言っています

善行をすれば よい報いがあり 悪い事をすれば 悪い報いを受けると 殆どの経典で 同じ事を言っています 今皆さんは 天国に達するためには 私達は善良を選択し この世界の 肯定的な面を 選択せねばならない ことは論理的だと 分かったでしょう 善良に向かって 歩めば歩むむほど 善良に近くなり 天国の品性と 融合するほど 天国に近づきます 否定的な力が 周りにあっても 影響されません 例えば 家の中に 電灯がついてると 家の外が 真っ暗であっても 私達が家に一歩 足を踏み入れ そこにいれば 本を読む事も 仕事を する事も遊ぶ事もでき 愛する人や周りの 全てが見えます

屋外の暗がりは 屋内の明かりに 何の影響もありません これは極めて 簡単で基本的な 善と悪 天国と地獄の たとえです 否定的な力が 強すぎると 一種の濃縮された 雰囲気が 作り出されます 自分の行動により その力に 引き込まれた場合 誰でも 地獄を経験します そこは非常に強い 苦しみ 後悔 罪悪感が 彼らを  以前の悪い考えや 悪い行為を 清算するまで 苦しめる場所です 私達はそれを 避けることが出来ます  地獄と呼ばれる所を 避けることが出来ます 今 善に変換すれば 避けることができます 天国は 二種類あります 一時的なものと 永遠のものです

一時的な天国とは 善行を積み 悪を避け 宗教的 苦行をし 自身が信じている 宗教の神々を信仰し 祈りを捧げ 経典を読み そしてできるだけ 経典に従って生きる 事によって得られます もう一種の天国 または究極の 神の王国と 呼ばれるものは 永遠で 永久に存在するもので これはさらなる努力と 万能の神や 仏性 仏陀の 恩寵が必要です 仏教徒にとっては 仏陀が最高で クリスチャンにとって 神が最高ですが

実はこの二者は 同じなのです 私達はこれについて 論争したくありません 私の弟子達が 皆さんのために 書いた本の中で 私はもっと詳しく もっとはっきり 説明しておきました ここでの  二、三時間の間に それについてさらに 論争したくありません ただ皆さんの生活を  よりよく より充実したものに するための方法を 提供したいです 仏教徒 クリスチャン シーク教徒 ヒンズー教徒で あっても構いません 善はあくまでも善で 悪は悪です 

これは全ての宗教人  衆生にもそうです 暗闇は全ての国の 人にとって暗闇であり 光も全ての国の人に とって光なのです イギリス人と アフリカの人の 光に対する 認識と 暗闇に対する 概念は同じです 例えば 同じネオンを イギリス人の家の中に 置いてもアフリカの 部族の家においても 彼らは皆それが 光だと分かります 両者が互いに やりとりしても しなくても 光である事を説明する 必要もありません 彼が外に出て ジャングルに入ったら 暗い事が分かります 彼は違った言葉や 用語で説明するかも しれませんが暗い 事には変りありません

同じく善良 天国の品性 仏性といったものは 全ての人にとって 同じです 私達が 天国の生活を望み 更には 神の王国に至ることを 望むのであれば 沢山の方法が あります

最も簡単なことは 自分の宗教を信じ その教えを確かに 実行することです 実践することです 空論と説教は無用です 自分で実際に 実践することです クリスチャンであれば 神の戒律を 守って下さい 在家の仏教徒であれば 五戒を 守って下さい その宗教に従って それぞれの戒律を 守って下さい 先ず戒律を守り それを実践し 善行を積み 慈悲と愛を実践し 布施することです シンガポールは大変 いい所に思えます

全ての宗教が 互いに調和し合い 皆が自由に 仕事をし 自分の宗教を 信仰する自由があり 誰かに統制されたり かき乱されている 感じはありません シンガポール政府は 実に賞賛に値します 賢明な管理システムが 現在この国に 行き渡っています この国はとても 清潔で素晴らしく 緑が多く 人々は幸せです

私は 全ての国が シンガポールのように 仲良く暮らすべきだと 思います 少なくとも地球人は そうすべきです すると戦争も 憎しみもなく 問題も起こりません 国民が 納めた税金は 市民の共通の 利益のために 使われるべきです 例えて言えばそうです

すると人々は幸せです これはシンガポールの 人々は本当に自分の 信仰している宗教を 実践していることを 示します しかしこれよりも 更に進んだ 宗教の修行があります 一部の

集約的な真理 または神を求める人は 普通の修行では 満足しません

こういった人々には 私達は観音法門を 提供できます これは 内面のパワー 神のパワー または仏性を 瞑想する方法です この仏性は 一種の 音でない音と 振動のない 振動力と 光でない光で現れます なぜならその光は 影がなく 全てがはっきりして 互いに衝突しません その音の中で 智慧だけを聞きます

実際は 「聞く」とは言えません なぜなら耳で聞く わけではないからです 道徳経に曰く この「道」と呼ばれる 「道」は 耳を使わずにして 聞こえ 目を使わずにして 見えると なぜならこれは 光でない光であり 影のない光であり 音のない音だからです ですから 耳を使わなくても 聞こえるのです これらは 聖書に述べられて いますが 私達は それを体験しません なぜなら それに至る方法が 分からないからです 例えば キリスト教の聖書にも ある聖人は 神を見たとあります

そして神は 大きな炎のようだとか 大きな光または 天国から降りてきた 白い鳩のようだとか 神は 雷のような音で 話をし 沢山の水が 流れる音だとあります 聖書にはまた 天地創造の時 音がありこの音は 神と共にあり この音は神であり 全てがこの 音によって創造され この音で 創造されていない物は 何一つないとあります ではこの 音とは何でしょうか この音は さっき言った 音のない音であり 振動力であり 神の声であり 雷の音であり 沢山の水の 流れる音です

適切な指導により これらを聞けます そして炎のことですが 神は炎のような 光で現れます これも適切な指導で 聞くことができます 私達はこれを本当に 真理を求める人に 提供したいのです それらの 意義ある人生を 神に捧げたいとする人 聖書に書いてある 自身の中の神の王国を 探すために 捧げたいとする人や 仏典に書いてある 自身の中の仏性 仏陀を捜し求める人に 提供したいと思います これらは聞いたことも 読んだ事もありますが 体験していません それは 古代において 通信システムが 完備されておらず 普及してなかったのと 各大陸間では互いを 知らなかったのです

しかし現在は 私達は進んだ 文明通信 システムを 利用して 互いに自分が 知っていることを伝え 互いに利益を もたらすことができ 地球人の意識水準を 高いレベルに 高揚することが できると思います 地球を 天国にすれば 私達は別の惑星や 涅槃 (最高の楽園)に行く必要もありません 私達の世界を 楽園にし 全ての人が 聖書通りに生き 自身の内面の 神を見て 神の光と 神の王国を見て 神の声を聞き 仏性を 聞く事ができれば この世 私達の世界は 天国になります

なぜなら この光と音は 私達を聖人にしてくれ 仏陀にしてくれます 仏陀が住む世界は 涅槃(最高の楽園)で 聖人が 住む世界は 天国 神の王国です 他の多くの惑星は この種の天国の 雰囲気があります なぜならそこの 衆生達は皆修行し 神のパワーと 繋がっていて 全ての欲求が満たされ あらゆるパワーを持ち 自身の内面が平和で 隣近所とも平和に 接しているからです これらの惑星は 善なる雰囲気だけ 発生します 地球のような否定的な ものはありません 私達の地球は 宇宙の唯一の惑星 ではありません

宇宙には沢山の地球に 似た惑星があります 地球より発達した所も 立ち遅れた所もあって 今これらを語る 時間はないので 先ずは私達の地球に ついて語りましょう これは最も現実的で 必要です

大気のことが 分かれば 軽いもの 全ての 物質的なものは 軽いものが 上に上がりますね それはさらに 上層の大気で 例えば熱か 物などです そして 重いものや冷たい物は 大気の下の部分に 留まります もしくは 重力で下がります 同じように善は 否定的な事の上に 位置しています しかし私達の世界は 善と悪が 共存しています 善はもちろん上ですが しかし決して悪がない わけではありません

私達はそれと 隣り合っていて すぐ下にあります 他の世界は 善しかありません

そこは 天国または 神の王国と呼びます 私達は そこに到達することも 訪れることもできます 私達がそこの惑星の 人達と同じ品性と 同じ振動力を 持つのであれば ですから 神の王国 涅槃(永遠の至福)を修行することは 神話ではなく 確かで 大変科学的な 生き方なのです このような生き方を 望むのであれば 難しくありません 私達が選択した 行き方に過ぎません 私達がこの世界で 平凡な生き方を 選択するのと同じです タクシー運転手として 生きる事を選択したり 会社員や 経営者 政治家のとして 大統領として 生きる道や 最高の銀行家としての 道など あらゆる 職業を選択できます 選択した職業と 分野に向けて 努力すれば そうなれます

医学の分野において 医者になることも 看護師に なることもできます 同じように 霊修行においても 私達はただ 普通の宗教の 信者になって 教会に通い 善行を積み 仏像に供養し 寺院を建てたり 出家者に供養し できるだけ 戒律を守りますが

しかし自分は 菜食していない といったケースです 私達はこれを 方便仏教徒と呼びます 大変便利です これも結構です ただしそれは 仏陀やイエスの 生き方と違います 私達が仏菩薩や 聖人 仏陀 イエスの ようになるには もっと努力しなければ なりません 自分自身を 具体的に訓練し 真摯に 真剣にならなければ なりません 私達は必ず 仏陀やイエスの 存命の時の 生き方でもって 自分が生きて 行かなければ なりません 釈迦が 存命の時 彼は瞑想していました

彼はあらゆる瞑想法を 試してみました 無理して苦行するなど 彼は飢え死に するところでした 肉体を痛めつけると 魂を得ると 信じたからです 数年後 臨死体験からそれが 真の道ではないことを 悟りました 極端な苦行は 誰にもできません

ですから 彼は切り替えて 他の方向を見つけ とうとう成功し 後世に修行に関する 手本と教えを 残してくれました ある人が釈迦に 「成仏して仏陀になる 方法は何ですか」と 尋ねたとき 釈迦は答えました 「観音法門で 自身の内面の本性を 観るのだ」と 釈迦はまた言いました 内面の聞く力を 仏性を聞く方向に 切り替えなさいと 法華経の中で 釈迦は言いました 観音法門を 修行する人は 様々な音楽の音を 内面と外面両方から 非常にはっきり 聞くことができます

外面の音楽だけを 指すのであれば 例えば太鼓 鐘 シタール フルート それなら 内面とか 外面に言及しない ことでしょう 観音法門の修行者は 上は天国から 下は地獄までの 音を聴く事ができます 内面からも外面からも 様々の音を聴きます 釈迦は私達が 天国の音楽というと 分かってもらえない 恐れがあって 内面と外面の話を したのです

その意味は 内面の太鼓の音と 外面の太鼓の音とは 異なるということです 太鼓の音や 雷の音などは何れも 高い意識レベルの 音ではありません 更に高いレベルの 音があります これがいわば 観音法門で仏典に 書いてあるもので 私達はこれを 聞くことができます それの 周波数と振動力に 合わせれば 悟りを開きます 私達は決して 光が見たい 内面の天国の音楽を 聴きたいという 訳ではありません  これらを見て 聴くことによって 私達の気分や智慧 全てが高揚され 大変幸せな状態になり 違った見地で 人生における 全ての責任を 果たすことができます

私たちは世間を より黄金の光で より前向きな見解で 見ることが出来ます そして より効率的に仕事をし 考えも よりはっきりします また私たちの前にある 異なる宗教の あらゆる経典について 教師がいなくても 理解することが できます 一般に人々の経典の 解釈の仕方は 常に 真の正しい方法という わけではありません 観音法門を修行すると 違うことが分かります 本物と偽物が 識別できます そしてあなたは以前 決して知らなかった あなた以外に知る人は いないであろう他の 多くを知るでしょう 神の王国を 修行する人以外は 誰も知ることが できません

これらは徐々に 実現することであって 最初の段階つまり 印心の時に 初段階の いわゆる神の王国 仏性を体験する ことができます その日から 毎日引き続き 修行していけば 異なる境界の音を 聴いたり 光を見たりします 修行を積めば 積むほど ますます幸せを 感じます 人生が全ての面で 順調になります 霊的な面だけではなく 世俗的にも順調です それでコーランで 言及されるのです 地球のよき客人となり 裕福に生きなさい なぜなら 神を信じる人は貧乏で あるべきでないと 神はご自身を信じる 者を罰したり貧しく させたりしません

神はこの地球に 貧困を与えません 神は地獄を創りません 私達のミスと お互いの相互 作用の中で 決定的な瞬間 間違った行為を 選択したため地獄を 創ったのは私達です ですから今 それをよく考えて 天国 少なくとも 一時的な天国を創って 少々休息をし この世界の 負担から 暫く自由になって 次は何をしたいか 考えることです 地球に再び 戻って来たいか 更に最高の 天国を求めたいか 決めることができます

一時的な天国に 行くには 善行を積み 神を信じ 祈りを捧げ 過ちを真摯に 懺悔し 常にできるだけ 社会のために 私達自身で 良い事をし 出来る限り菜食をする ことで達成できます 冗談ではありません 多くの人は私達の 法門を習いたいと いいながらステーキを 手放す事ができません 私は皆に度々 豆腐を お勧めします 安上がりですし 消化しやすく 罪悪感も罪も カルマもありません カルマとは 蒔いた種を収穫する という意味です 因果応報の 法則のことです 以上は 一時的な天国のことで 今自分で創る ことができます

クリスチャンであれば 瞑想の時神を思い イエスを思い 仏教徒は 瞑想の時 仏陀を思い 観音菩薩を思い 阿弥陀仏 その他の自分の好きな 仏陀を思うことです イスラム教徒は アッラーに瞑想します 私が思うに イスラム教システムが とてもいいと思います 毎日五回祈りを捧げ 少なくてもいつも神を 思っていることを 示します 私達の多くは いわゆる仏教徒は 一日何回仏陀を 思うのでしょうか 寺院に行く時だけです その場合でも仏陀を 覚えていません

ただ中へ入って 線香をあげて 外に出て友人と おしゃべりをします

寺院に少しばかり 布施しては 願い事のリストを作り これを助けてあれを 助けてと祈ります これは一種の取引です 本当にこうなのです

皆さんは皆さんなりに よい面があります 一度も見たことが ないのに 仏陀を信じるため 最善を尽くします  素晴らしいことです 仏陀を見たければ 私がお見せできます なぜなら私は 仏陀を見たからです 神を見たい人は 私がお見せできます 私は神を見たからです しかし 神を見たくないとか 仏陀をそれほど 見たいと思わない人や 永遠に天国にいるのを 望まない人は 一時的な解脱と 天国に留まる ことができます 自分が信じている 宗教の戒律を守り なるべく 良い事をし 悪い事を避けるのです それを避けるべきです

自身の信仰している 宗教に基づき 改善したい所の リストを作ります 人生の目録です 自分が改善したい面 更に発展させたい面を 並べて下さい 例えばあなたは 思いやりがあり よく人々に 布施するとします 貧しい人達や水害に 遭った人達にです それを知っていれば もっとその面を 発展させるべきです

自分が神を信じ 神と繋がりたい人は 神や仏陀を 瞑想することです 瞑想法が 分からないのであれば 私達が方便法を 提供します

できるだけ 菜食をして下さい 菜食は宗教的な 生き方だけではなく 世界の飢餓と 貧困を救う道です 多くの研究はこれを 立証しています 私達は沢山の 人間と地球の 生産物と資源を 牛や豚の飼育の ために浪費しています 長年飼うために 大量の薬と 蛋白質と豆と 各種野菜を 浪費しています それを食べることに 瞬間的に五分です 五分もかかりません 五分はゆっくり 食べる場合です ある人は 一分で食べ終わります ですから 菜食は ただ宗教人だから だけではありません 本当に世界を 救う事ができるのです

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