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神はすべての創造物の根源である 2/3 一九八九年十一月十五日 アルゼンチン(スペイン語)    
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聖書にこうあります 「悲しきは汝ら 法学者たちよ

汝は神を見ていない どころか人が神を見る ことをも妨げる」と これの意味することは イエスの時代でも 高地位の司祭は神を 知らないという事です 彼らはただお金を集め 大きな教会を建てて 多くの信者を持つ事を 偉大に感じるのです イエスを抑えつけ 傷つけようとして イエスの真理を 聞けなくします 人が自分達に 従わせるためです 民衆を操るのです 外的な儀式や 世俗的なやり方 崇拝の仕方などで 民衆を誤った道に導きほとんど 商売するのと同じです

釈迦牟尼仏は 悟りを開いた後 説法をしたく ありませんでした 誰も彼の話を聞かない と思ったからです 釈迦は言いました 「私が悟った真理は 奥深く 時間の浪費に なるだろう 凡夫に説いたとしたら  彼らは世俗の活動や 達成感に 深く没頭して いるからだ」と でも神 降りて来た ブラフマンが 釈迦にお願いしました 「どうか外へ出て 説法してください まだ完全に 盲目でない人も いるのです」と また当時は 多くの僧侶と司祭が 沢山の 形式的な儀式を作り 宗教を曲解したのです

そこでブラフマン 神がお願いしたのです どうか説法して下さい それで釈迦は出かけて 説法をしたのです このように真理を 説くのは大変です 本当に難しいです ですから イエスは たった三年半で 人々に殺されました 釈迦も四十九年間 苦心して説法しても 全インドの人が彼に 従ったわけではなく 仏典を読むと 釈迦が説法したとき 多くの天神や 神々や天使 仏陀 様々な衆生無形の衆生が来て 説法を聞いたと ありますが 人間は それほどいません もちろん 釈迦には沢山の弟子が いましたが インドの人口と 世界の人口に 比べたら大した 数ではありません

大半の人は 神と繋がっていません もしかしたら あるクリスチャンの 団体は瞑想をし 純潔で禁欲の生活を 送ったので 神を見て 神の声を 聞いたかもしれません また一部の 仏教宗派も 瞑想し とても純粋で道徳的な 生活を送ったため 仏陀を見たでしょう しかしごく少数です

なぜなら聖書にも 「見ずに信じる人は 幸いである」とあり 男性や 知的な人 非常に科学的な思考を 持つ人にとっては どうでしょう 彼らは毎週同じ 説教の内容を 聞くことに 満足しません 彼らはもっと多くの 証拠が欲しいのです でも実際  女性も男性のように 考えるべきです 私自身 そうしています 私はただ経典を読み 祈り 崇拝する だけでは満足しません 神を見たいのです 仏陀を見たいのです すると更に信じ  私は成功しました その後私は 誰かが神を見たいなら 見せることも できると思いました 男性も女性も同様に 神を見ることができ 誰もが 仏陀になれます 神は等しく すこしも 変わらない愛で 人間を創造しています それに皆さんと これを分かち合うのは 私の本意では ありません 私は誰かに 発見されたのです ある女神がある人に 私の事を教えたのです

観音菩薩という 女神です それで彼らが来て 私を連れ出したのです 私は三回発見され 三回目に出てきて 法を広め始めました 最初に 発見されたのは インドにいるときです まだ正式に 出家してないときです 私はガンジス河の ほとりを歩き 時々経典を求めたり ガンジス河にいる 聖人と会いました その中に私のことを 発見して 私について学ぼうと する人がいました

私はとても難しい 条件を作りました 例えば 朝四時に 私に会いにくること 河を渡ることなどです 四時には船がないので 来られないと知ってて でも一人来ました そこでガンジス河の 川岸で 彼に教えました

当時私は 自由が大好きでした マスターになんか なりたくは なかったのです  そんな考えは 毛頭ありませんでした 二回目に 発見されたのは アメリカにいる時です 私はある寺院に 住んでいました いわゆる弟子の所で 当時 私はもう 尼僧でした そこに一年住んでいて 誰にも分かりません

彼らは私が毎日 トイレを掃除し 床を磨き 仏像を拝み朝晩勤行し しっかり食事も作って いるのを見ていました 一年後突然 大勢の人が来ました 彼らは仏陀がここに くるよう教えたと言い 私が仏陀を見つけ 神を見つける秘密の 法門を教えると導いて くれたとのことでした 私は「皆さんが 仏陀を見て仏陀と 繋がっているとしたら ほかに何を 求めるのですか それで十分です 仏陀がここへ来させた のなら仏陀と繋がって いるという意味で 大丈夫」と言いました 彼らは言いました  「いいえ 仏陀を 見るより 更に高い 法門と境界がある」と その人は ある教会の 伝道師でした

彼らは同じ教会に 属していて 彼女は「大修道女」で 一種の「聖職者」でした

彼女は 仏陀も見たと言い 仏陀がここに来させた と言いました とても驚くことでした

仏陀はずっと 人を送り続けました 三回も 四回もです それで後に 彼らに 私が知っている 法門を教えました つまり即刻開悟の 法門です それはその種の修行で 仏陀を見たからと 仏陀になれるものでは ないという意味です そしてその後 二、三十人が 噂を聞いて来ました

私は彼らに言いました 「すでに法門を 伝授したので 帰って修行できます」「私に追随する必要は ない」と言って フォルモサ(台湾)に 行きました そこで私は 小さな寺院に住み 隠遁しました とても小さな寺院で 一番後ろにある 山の裏の 小さな部屋で 誰も分らない所です その部屋は寺院から 離れた所にあり 私は一度も外出せず 一度も寺院に 足を運んでいません しかしある夜 大勢の人が来て また 私を見つけたのです 彼らは言いました 観音菩薩が 仏教で 最も慈悲深い女神が ここに導き何かを 学ぶように教えたと そこで数週間後 私は彼らにも教え それから休みもなく 沈黙に別れを告げ 静かな生活も終り それで忙しい日々に なっています

インド アメリカ フォルモサ(台湾) アルゼンチンへと 大旅行でした

これが本日私が ここに来た理由です 皆に知れ渡った からです

アルゼンチンや ブラジルに在住の人も フォルモサ(台湾)に 戻ってきて 私について学ぼうとし 印心を受けています それで彼らは 私をブラジリアに 招いたわけです

ですから私がここに いる間  神に関する事なら 私の知っている範囲で 奉仕したいと思います ただ皆さんの許可を 得た上でできます お金で人々を買収する ことはできません 神通力で人々を説得 させる事もできません どんなパワーも使わず 論理を使います 義務もありません 仏法はとても自由で 愛に満ちています 神の道も自由な 生き方で自由意志です でないと神は力づくで 家に連れ戻すでしょう 彼は全能で 何でもできますが 神は強要しません

ただ今また 使者を送り 私達に 思い起こしてもらい 「真の家に戻りたい 人を私が連れて帰る 私には方法がある」と その法門は 開悟したマスターが 教えます 神の委託を受けて 伝授するのです でも教師がいないと この法門は 重要でなくなります そこでイエスは 私がこの世にいる限り 私は道であり 光であると言いました これはマスターが 在世の時 道を示せるという意味 在世のマスターが いないと道も無意味で 道も見つかりません ご清聴ありがとう ございました

さっき貴方はイエスと 仏陀に言及したとき 一人は神の王国を 見つけ一人は見つけて いないと言いました そうは言っていません 二人とも同じです 二人とも神の王国を 見つけています 一人はそれを神といい 一人は涅槃と言います これと同じで 英語ではローズといい 中国語でメイクイフア と言います

聖霊について 話しましたが 聖霊とは 神の形態ですか イエスが言った 三位一体のことですか はい そうです  聖霊とは神のパワーを 意味します 神と子と 聖霊とですね 神は全能で 想像できない 計りがたいもので 神から神の子が 生まれます 神の子は神の パワーを持っています 神のパワーが 即ち聖霊です 私達にも聖霊が あります だから聖書では こう言うのです 「汝が神の神殿であり 聖霊は汝の中に宿る」 イエスは自身の中の 神のパワーである 聖霊を見つけた人で それで その神の パワーを通して 神と繋がれます またこの聖霊つまり 神のパワーを使って 人々を救い 彼らを助けて 内面の神の力を 見つけられるのです

ありがとうございます 凡夫はどうやって 悟りを開くのですか 彼らは生計のために 仕事をしなければ なりません

これはとても いい質問です 皆が仕事をします イエスを含めてです 開悟した後でも 働かないといけません 私達は 仕事を通しても 開悟できます 一旦神と繋がると どんな仕事でも神の ためである事が分かり 人類に奉仕することは 神に奉仕することで 家族に奉仕することは 神の子に奉仕する事で 神の子を通して 神に奉仕することです しかし開悟しないと このように考える ことは難しいです そう考えたくても できません 殆どの家庭は不和です 彼らは皆が神であると 知らないからです

また皆が 神の子であることを 知らないからです 髪の毛一本抜けても 神の意思であることを 知らないからです 聖書には全ての人が 神の子だとあります しかし人は毎日 これを読みながら 意味を知らないのです これは悟りが開いて いないということです 本当の意味が分かって いないということです ですから 開悟が必要なのです  生活様式を変えるのではありません

私はいつも忙しく 様々な宗教の本を 研究せねばなりません それで異なる信仰を 持つ人々を理解し 対話できるのです 私は働いて 稼がねばなりません ですから旅をし 人々を助け 貧しい人を助け 人々に私の知識を 提供できるのです 出家者達を 教えねばなりません 在家の弟子達を 教えなければならず 霊性上の問題や 要求に 応えなければならず 手紙による質問に 返事せねばなりません また色々な国へ行って 経の講義もします ですから私は皆さんと 同様に忙しいのです

誰でも仕事を しなければなりません  この世界に対し 責任があるからです 両親や 国や 兄弟姉妹 友人 先生などの 恩に対し 報いるべきです 従ってこの世界で 働き続けるべきです でも十分の一の時間を 神と自分のために 残すことです この世界のためだけに この世界のためだけに 働くと 何も 得られないばかりか 疲れ果てます でも神のために 一、二、三時間働くと それこそ私達が家に 帰れるすべてです 問題は 私達は自分を 愛すべきです 例えば お腹が空いたら時間を 見つけて食べる事です

場所と時間を構わず 食べることです 病気になったら 薬をもらって 飲むことです 神を渇望し 本当に魂が 解脱を望むなら 時間を割いて満足 させねばなりません 瞑想とは神の教えを 聞くことであって 神秘的ではありません 神は人間の言葉で 教えるのでは ありません  神の言語 言葉 神の振動力で教えます それと光です それで一日のうち 必ず時間を作って 神と繋がり 天国の王国の秘密を 学ぶのに回すべきです そして毎日毎日 学ぶことによって 賢明になり 何でも 知るようになります 時間がないとは 言えません 誰でも時間があります それを願うのであれば 時間はあるのです

テレビを見て 新聞を読み 雑談し 電話する時間を削ると 実は沢山の時間が あるのです そうでないと あなたはテレビを見ず 劇場にも行かず コーヒーショップにも 行かないでしょう 大半の人はこうします 退屈だからです 時間があり過ぎて 暇つぶしするのです だから趣味を「時間を 潰す」というのです 最もよい時間潰しの 方法は神の存在の中で 最高の知識を 獲得し永遠の幸せを 得ることです いったん幸せになり 開悟すると全世界の 利益にもなります 以前この世界は今ほど 文明化していません モーセとイエスの時代 彼らは洞窟で 暮らしていました

しかし今は 私達にはテレビや ラジオなどあらゆる ものがあります この世界は大変 文明化されています これは皆多くの 修行者のお陰であり 世々代々において 高い意識レベルの魂の 加護による賜物です 彼らの慈悲と智慧と 光が世界を高揚させて 現在のような 世界に導いたのです 私達の加護も加わると もっと多くの人になり 多くの加護になり もっとよくなります 私達は感謝することを 忘れています そうです 最もよい感謝の方法は それら先人の後に 従うことです イエスや仏陀に追随し 神の王国を得る 修行をしてこの世界を もっと加護するのです

すると将来私達の 子孫はよりよい世界で 生活する事になります これは私達の責務です 同時に神やイエス 仏陀のような偉大な 魂に感謝する方式です なぜ貴方はこの法門を 学ぶためには菜食を しなければならないと 決めているのですか 誰がなぜ貴方を送って 教えさせたのですか

菜食は決める 問題ではありません 動物を殺して食べる ことは好きでないです 人が鶏や魚や 豚を殺すのを見て 心が痛みます 動物達の苦痛を見ると 心が痛むのです 肉を切り落とされる 苦痛を 知っているからです 私が決めるまでもなく 明白なことです 幼い頃から私はどんな 殺生も耐え難いのです 私は調和で愛に満ちた 生き方を好んでいます 牛が殺される時 もがき 鳴き叫び 涙を溢すのを見ると 彼らの身になって 思うだけで 耐えられません

菜食は実際 すべての衆生 すべての神の創造物に 対する愛の表れです

聖書で神は言いました 私達は 動物達の世話をし 管理すべきと  神は私達を信頼します

また神は動物は私達の 友達で私達を助けると 本当です 彼らは私達の友人です ええ馬は私達を 乗せて運んでくれるし ある馬と犬は 大変人懐こく 忠誠心があります 馬に関する物語も 沢山あります 彼らは飼い主のお墓に 行って何も食べずに 飼い主と一緒に 死ぬのです 犬もそうです 猫も同じです ドイツのある猫は 愛する飼い主が 家にいないと 何も食べません 飼い主を思うあまり 食べられないのです それにご存知のように 犬は私達を助けて 孤独をしのぎます ある人は 人生に愛が欠けて 誰も愛してくれない時 犬が彼らを愛します 鶏や どんな動物でさえ 飼い主を覚えています 飼い主を知っていて 飼い主になつきます ヨーロッパにいた時 イタリアとドイツにいた時 田舎に住んでいました 野生動物が やってくると私は 彼らに餌を与えました 彼らは毎日 正確に同じ時間に来て 餌を食べました

始めは用心しまたが 後にそんな様子もなく 私の手の平の餌を 食べるのでした 鳥や獣 色んな動物 猫もいました

ハリネズミもいます

私が時間通り来ないと 彼らは私のドアを コンコンと叩きます ドアをノックしました
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