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自身の神性を認識する 2/3 一九九八年六月二日、合衆国カリフォルニア州、アーバイン    
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悟りは 私達の中に 既に存在しています 神の王国は私達の中に 存在するのです 神の王国は 手の届く所にあります いつも手に入れられ 遠い存在でないのです 理解しているかです 昔のマスターは  この世を去っています しかし 彼らの教え 彼らの悟りの系統は 常にどこかで何らかの 方法で 何らかの形で 生き残っています エルサレムに残ってる 必要はありません インドのブッダガヤに 残っている必要は ないのです それは 川のように 地中深くに潜り どこにでも流れて行き 支流となって現れます それは ある所で姿を消し 別の場所で湧き上がり ます 驚異的です だから私達はその川が たった今湧き上がって いる所を見つけ 命の泉の源を手に 入れねばなりません それを知っている人は 知ってる人は幸運です

地中に隠れていたり 惑星の他の場所を 流れていた後で その水や川が 湧き出た場所を 知った人は幸運です 川や水の源は 山に発します 時に それらが突然 姿を消すわけではなく 地中のどこか深い所を 流れているに過ぎず やがて他の場所に 姿を現します 古代のマスター達の 教えも同じです それは消えません 私達の準備が整えば いつでも再びその川を 発見できるのです 友達の誰かだったり 知人であったり 時には 非常におかしなことに 非常に不思議な偶然に その教えの川を 再発見するのです

ある時は スーパーで いとも簡単に 見つけられたり ある時は もう少し困難だったり ヒマラヤに行かねば ならなかったりします ある時は 図書館とか 駄菓子屋さんで 出会ったりするのです 誰にも分かりません 神の為すことは 非常に神秘的です しかし それは常に 私達の利益のためです 私達が皆 ヒマラヤに 行く必要はありません あるいは 非常に遠い 場所に開悟を求めて 行く必要ないのです 神は 私達一人一人に 違った手配をします 私達の望みに応じ 私達の誠心誠意に 応じて 宇宙の書物に 書かれている 私達の運命に 応じてです

私達はここで 悟りの機会を得るかも しれませんし どこか他の場所で 開悟の機会に遭遇する かもしれません ブラザーが 述べた通り 私も 新しく 湧き上がった川に 遭遇できて幸運でした 私は命の水も 飲んでみました 最高の味わいでした 飲んでみたので 味が分ります ですから戻って来て 伝えているのです どこでその水を手に 入れられ 味わえるか 皆さんに教えられます たまたま私が先に 見つけただけのこと ここに座って話すのが 皆さんだったかも しれませんね

でも神の意志は 移動させやすい 小さな女性を 選ぶことでした 小さなものは 長い 移動に耐えられますね どこかに潜んで 川を見つけることは 私には容易いのです なぜ私なのかは 私にも分りません ただいつかは 誰かがどうにかして 発見しなければ ならなかったのですね 皆が同時に 一つのものを 発見する必要は ありません アインシュタイン同様 彼は独自の理論を持つ 唯一の存在でした ニュートンも同じです

一人で十分ですね そして彼は その知識を 全世界に分けられ それで全世界が 利益を得るのです ですから二人の アインシュタインや ニュートンは要らない 太陽が二つあれば 多すぎるでしょう 暑すぎます カリフォルニアの夏は 実に暑いですから 本当に 太陽が二つあったら 過剰です 無用です 太陽は一つで十分です それで私もここへ この知らせをもたらす ため遠くから来ました そして皆さんが それを受け入れたいと 見つけ出したいと お思いなら  喜んでお分けします 完全無償 何の束縛もありません 前にも後にも途中にも 何もありません そういう事 簡単です

皆さん全員が理解して いると感じ取るのです 皆さん自身が 神ですから 私はここに座り 神を見ています ですからとても 幸せに感じます 話す必要ありませんが 万が一 質問がありましたら 他の方のためにも もう少し詳しくお話し できると思います 自由に質問して下さい または皆さんの知識を 私にも分けて下さい それもいいでしょう 手元にある 質問から 始めさせて頂きます 悟ったマスターを お迎えし 質問して 本当の答えを得られる のは実に光栄な事です

彼女こそ真理を 知っているのですから UCアーバイン校の 卒業生として 我がキャンパスに 悟ったマスターを お迎えできて光栄です 最初の質問です 観音法門の瞑想法の 起源について お話し頂けますか さらに  その修行方法も ええ 前にお話したとおり それは神から 来たものです それは 太古の昔より 創造が始まった時から 人生というドラマを 演じ始めた時からです 神は私達に 神の下に 戻る方法を与えてくれ それが事の起こりです

その修行方法ですが 皆さんが後で 残って頂けるのなら より詳しく 説明いたしましょう 細かい点まで 説明すれば家に帰って からも混乱しませんね 私が立ち去った後も 一度全てを理解せねば なりません すると 二度と忘れません 自宅で 自分ですべて 行えます 師の生死も その居場所も関係なく 二度と会わなくても 大丈夫です ですから注意深く 学ぶ必要があります そう長くかかりません すべてを説明しても 二時間ほどでしょう

これは一生のためです ですからここでは 時間が長く取れません 短くお話しすると 観音法門は実は法門と 言えるものではなく それは生来の力であり 私達が神であることを 証明する力です 私達が神の力を 持っているからです ですから印心の時 マスターはただそれを 思い出させるのです そして皆さんは 即座に思い出します それを感じるでしょう パワーを感じます 皆さんを震えさせる こともありますが 自分が神であると 解れば落ち着きます 初めは興奮するかも しれませんが 後に平気になります それが何でしょう 誰もが神なのです 大した事ありません

過去の悪いカルマ (報い)を消す必要は あるのですか ここで暮らし続けて いたいと望むなら その必要はありません しかし元々属していた 場所に戻りたいのなら すべての借りを 返さねばいけません

苦しみで返すか 悟りという薬を飲むか 一度悟りを開けば 過去のカルマ(報い)は 消されますが 現在のカルマは 残ります 未来のカルマ(報い)は 存在しません そうやって神の王国に 私達は自由に 戻って行けるのです 私達をここに 留めているのは 過去のカルマ(報い)の集積です 「カルマ」という言葉の 意味は何でしょうか サンスクリット語で 「原因と結果の」ことで 聖書でいう 「蒔いた種は 刈らねばならぬ」 というものです 私達は非常に沢山の悪い事と良い事の 種を蒔いてきました 太古の昔 時の起源 からそうしてきました

そうやって私達は 存在し続けてきました 私達が払い続け 借りたり 払ったりを 繰り返しているから ずっとそうして きました 過去の借の返済のため 何度も戻って来てます よってこれらを きれいにし 束縛から 解放されるためには 過去のカルマを 消さねばなりません 過去の悪いカルマ (報い)を一度で永遠に 消し去る唯一の方法は 悟りを開くことしか ありません 一度悟ってしまえば 過去は掻き消されます 例えば電気をつけたら 何千年もの間  闇がこの部屋を 支配していたとしても 関係なく 一瞬にして 闇は掻き消されます 過去の悪いカルマ (報い)を消せる 別の方法はありません あまりに多過ぎるから 非常に多いのです それで悟りが本当に 必要になるのです

親愛なるマスター 大変敬愛しています 動物実験について お尋ねしたいのです それについて どう思われますか 動物実験は倫理に 反しているでしょうか 医学実験の ことですか

先ず動物に試して みることでしょう あるいは彼らを助ける ために その種を 研究することですか

医学的目的や美容目的 だったりするのですか

私は何と言えば 良いのでしょうか 全医療制度の反感を 買わせたいのですか

人類を助けるためには 動物実験が必要だと 言う人もいます その意図が純粋なら 私達に誰かを批判する 権利はありません しかし動物の 立場からすれば  それは非常に 冷酷で無慈悲な 行為と言えます 行わないで済むように なることを願います 誰もが悟りを開き 自分自身の内も外も 癒せたらいいです ありがとう 私には魂はありますか ないのならどうして 転生が可能でしょうか 聖書では魂があると 言っています あるに違いありません 生れ変りとは 実際に魂が生れ変る 訳ではありません 魂は永遠に生きてます

死もせず 生きもせず 生れ変ったりしません それは 人生の経験なのです それは 物質と霊が統合する 過程なのです 私達が ここでの いわゆる人生の実験を 試みようとして 存在の知識に 執着してしまいます それが生まれ変わりで もし私達がこの種の 実験から自身を 引き離せないなら 「自身が生まれ変わる」 と言えるでしょう 実際 私達は生まれ 変ったりしません 決して死にません ただ病気にかかり これらのことに 病んでいるだけです たまたま結びついた これらの災難に 病んでいるだけです

そして私達が それから自身を 切り離せないなら 当然 永遠に それと結びつくのです そして因果は 変化し続け  動き続け 大きくなったり 小さくなったりしつつ それを生まれ変わる と言っているのです 十分に悟らなければ そういう事です マスター 職場で 思いを表現したいのに 制圧感を 感じたなら 職場でどのように 振舞ったらいいですか どうすべきでしょうか 職場で大志を抱くのは 間違っていますか あなたがこの事に 光を当ててくださって 感謝します 現実の生活に戻り 仕事のことですね 志と仕事は 悪くありません

志は仕事になくては ならない でなければ どう働きますか どう進歩しますか どう上司や自分自身を 喜ばせられますか どう会社に利益を もたらせるでしょうか 志を持つのは 義務です しかし志を抱くことは 前に進むために 人の頭を踏みつけて 行くべきだという ことではありません そういう事です 志と 邪悪さや嫉妬は 別のものです 私達は志を抱けます 私達は 他人を圧することなく 常に 進歩していけます 私達が 何らかの制圧感を 感じたなら 他人が私達を制圧する 理由を見つけ出さねば なりません

私達が十分要求に 応えてないかとか またはそれが 個人的な問題かどうか または私達をひどく 羨んでいる人かとか 出来るなら 相手に話し掛けます 自分が正しくて 相手が間違っていると 判っているなら 相手に話しかけてみて その人が 良くなれば 彼らを許します 良くならなくても いずれにしても 許すのです そして仕事を続けます この人生において 対立は避けられません それは事実です たとえ個人的な 人間関係においても 時に夫婦間で 一方が成功し過ぎると 妬みは生じます それは 人間の頭脳が 生み出す問題で 魂の 問題ではありません

悟った人が持つ 問題でもありません いいえ(感謝します どうして 毎日二時間半の 瞑想が 必要でしょうか 私たちが時々食べねばならないのと同じです 割合があるのです 多かれ少なかれ 食べ物の摂取量があり 毎日 自分の体を 維持するのに食べます それで霊性を養うにも 一定の割合があり 神の中で あるいは 神の品性の内で 再び強くなるために 毎日摂るべきです 解りますか 必要ありませんが これは処方です 医師の処方箋で 分量が決まっています

多めか少なめで それ程厳しくないです その上眠っていても 瞑想が出来ます バスの中でも 飛行機の中でも 瞑想が出来ます トイレでも出来ます 失礼 そうです 出来ます 出来ます 同時に沢山の事が 出来るのです いつだって 瞑想の時間はあります

あまり好きでもない テレビ番組を見るのを 減らして 新聞の 主要な部分だけを読み 電話でのお喋りを 減らせば 沢山時間が 作れるはずです 寝床にいるのを減らし 時に眠ってないことも あるのですから 朝遅くまで 蒲団の中で寝返りを 打っています そういう時こそ 瞑想出来る時間です 素晴らしく出来ます 寝返りを打つ代わりに ちょっと瞑想し 集中するのです それだけ 非常に簡単 くだらないことを 色々考える代わりに ただ集中するのです

それが瞑想の 方法です 仏陀のように座って 足を組む必要は ありません ちょっとその辺に 横になって集中します 非生産的な時間を どう利用するか 教えましょう あるいは  別の時間  例えば 心が散漫な これらの時間や 何もしないような 時間をまとめて 神を思い出すのに 使うのです とても簡単です あなたはいつの日か 世界に平和が訪れると 信じていますか たぶん三〇〇〇年です いいえ 決して世界平和は 存在しません 

決して そうなったら二度と 「世界」とは 呼ばないからです 天国と呼びます 親愛なるマスター 来て下さり感謝します 直感はどこから やって来ますか どう決定をしたら いいでしょうか 二つの選択がある時 私はとても 悩んでしまいます 決定するのが本当に 難しい時があります その一つの選択が 私の生命を決定して しまうからです どちらを取ればいいか 本当に判らないのです きちんと決めたくても どちらに 決めるべきか 私は判らないのです 時間が必要です

ですから 悟らねばなりません 私達が忘れてしまった 智慧の力を 取り戻さねば ならないのです 沢山過ぎる世俗的な 問題で ビジョンを 曇らせています ですから 私達は優柔不断です 決定が出来ないのは 私達が 分ってないからです きれいでないからです ですから 私達は きれいになるべきです 二時間半を 取っておくのは 毎日 頭脳をきれいにし 本源に戻って行き 神のような存在へと 戻っていくためです すると どれが より良いかが解ります はっきりします 実にはっきりします

一方で あなたがそれほど 瞑想していないなら それでも直感があれば それは神です それは幾らか残ったか 残った何らかの いわゆる 神の智慧です それは 世俗の悩みや 生存への努力に 曇らされる時が ありますが  たまにはっきりします それを 直感と言います いいでしょう 一方で 余りはっきりしない時 リスクを覚悟して おくべきです あなたにとって どちらが相応しいかを 感じ取るべきで あるいはその決定が その決定は どの割合で どちらの方が 相応しいかを あなたの感じ方で 見極めねばなりません そしてただそうします

リスクもあります どうすべきか教える 人は存在しません 神に祈りなさい  そして一つを選びます あるいは 二枚の紙を用意します 左右に置き どちらかを選ぶのです どちらにしても 危険はあります ゆえに 自身の智慧を 自身のマスターの力を 得なければなりません 親愛なるマスター 誠心誠意にあなたに 祈れば 私は永遠の 解脱が出来ますか そう思います でも一人だけです あなた自身が 悟りを開けば 自分と他の人々も 解脱に導けます

一人の人が悟ると 皆さんの 親戚や友達 また イヌやネコまでもが 解脱します あなたが 神の化身に祈っても あなた自身のチケット 一枚しま得られません 本当に誠心誠意なら 自分が誠心誠意かさえ 判らないでしょう 時にそれは 分かり難いことです 聖書の記述通り 地獄は存在しますか どう思いますか 存在しますか 私達の世界を見れば 答えがお分りでしょう 別の所を見る必要は ありません

なぜ堕落しますか 最初の段階で決して 生まれ変わりを 望まないでいられる 純粋な 意識のままで なぜいられないの でしょうか 今日カルマ(報い)を 理解しました カルマとは 借りと預金で  創造主の 計画の一部ですね なぜ神は望みましたか  これ程悪いカルマで 私達が苦しむことを 神は望みません 私達が望むのです 取引の一部です そうする事で 私達は 神と神でないものとの 差を知って勉強します そうやって私達は 光を認識できるのです

私達が再び光の元に 戻った時に 私達はわざと 闇の中に入って行き そうして私達は光を その完全なる輝きと 完全なる意味を 知るかもしれないから 天国を去るのを 一度も 望まない者は ここには来ていません 天国から決して 去らない者もいます 確かにいます 天国を去った事のない マスター達がいます 私達に教える為天国を 去って来た者もいます 何回も転生し マスターになっている 者もいます 決して天の父なる家を 離れない者もいます 私達は選択が出来ます 私達が望んだのです

これに対する 多くの答えがあります 大まかに分けて カルマ(報い)を持つ 大きな目的が 二つあります 第一に私達が 神を知りたいと 思うからです 私達は神を知るために わざとここに来ました 天国で 光に満ちた世界で 暮らしていると 皆が聖者で 皆が神です すると私達は言います 神とは一体何でしょう すると神は言います あなたが神なのです 神はあなたそういう物 あなたは「私には 神が何か分りません 神って何ですか」 神は言い「あなたが 神のような存在です それが神です」と しかし 魂は完全には 理解しません 魂は神に尋ねます 

どうやって神を知るか どうしたら自分が 神であると分るのかと すると神は言います ではまず 自分で神とは 違うものに ならねばなりません で 振り返ってみれば 分るでしょうと それでここへ来ました 私達が来る目的は 私達自身をよりよく 知るためなのです そして もう一つの 目的は創造が始まる前 この世や他の世界に 何一つ出現する前に 神は一つの 計画を立てました 神は創造物を生じさせ 存在させたいと 思ったのです 神がある計画を立て 私達は参加したのです 私達はその壮大なる 計画のどの役割であれ 喜んで演じます

ただお遊びで 命に より彩りを添えるため でも幾らかその役割を 意識的に演じます あるいはわざと演じて そしてある日彼らは 再び神になるのです 神を知るために 沢山の違った役を 演じねばなりません そして一つの役が 別の役に係わります 映画と同じです あなたが 主役だとしたら 脇役も皆必要となり そうでない限り 用をなしません 今の私達にとって 悪いカルマ(報い)は 非常に重く 非常に理不尽に 思えるかもしれません その時になると 大した事ではなくなり 私達は神ですから 苦しみが分りません

私達は悩みが 分りませんし  いかなる望まざる 障害をも見えないです 私達にとってすべてが 単なるお芝居です 本当に演じない限り 苦しみを感じません それはゲームの一部で 宇宙エネルギーの ほんの一部なのです 自分の役を演じないと 私達は存在しません  何一つここにはなく 私はここに皆さんは そこに座ってませんし 皆はブロンドでもなく  私は黒髪でもなく それでは何でしょうか 全てがただ平常です 全く問題が ありません

ですから 完璧なマスターは皆 「天下に何事もなし」イエスは「あなた方は 皆神の子供である」と 何もすべき事がないと 気づいてたからです すべてが完全なのです 私達はまだ気づいて ないので苦しむのです 私達は彼らのように 気づかねばなりません それで分ります それで理由が分ります すると私達は苦しみを 苦しみと見なくなり 依然として苦しみです 誰かにつねられれば 依然として痛いですが 何かのためだと 解っているので 「苦しみ」ません 苦しみの中に 沈みません 

ただ その上に浮いてます 親愛なるマスター妻は 今日印心に来ています 彼女は長い間 菜食をしています 私も試してダメでした 原因と方法を 教えて下さい 奥さんは菜食料理を もっと勉強しに 行くべきでしょう かわいそうなご主人は 美味しくないのに 食べられません ええ悟りは ここからも始まり  ここからだけでなく 私が夫に初めて 私の前の夫に会った時 私は菜食でしたが 彼は違いました 彼は医者で とても現実的で 堅実派でした 彼は牡牛座でした また東洋の  占いでも 丑年なのです 彼は二つの牛に属し 彼は無意味なことを 信じませんでした

しかし 私の料理が とても美味しいので 毎日一緒に食べました 彼は何一つ菜食に 反対はしませんでした 私が世界を救済したい という考えで 彼の元を立ち去った後 ご存知でしょうが 彼は私のレシピを 全部集めて 友達に 料理をしていました 彼はいつも宣伝して 私の妻はこうしてた ああしていたとか 野菜は皆 非常に ビタミンが豊富である 彼は私が残したレシピ 通りに料理をします 西洋人ドイツ人でさえ 彼のように科学的 頭脳を持った医師でも ベジタリアンに なれるのですから あなたもなれます

奥さん達が皆 本当に 美味しい食事を作ると 何一つ失うものはなく スープを例に 取ってみましょう 中華スープだとします その中に麺を入れたり 少し肉を入れたりし その肉の代わりに グルテンの肉や 豆腐の肉を入れます 今はハム(ビーガン)や すべてが魚さえも皆 全くベジタリアンの 食材に見えないほど うまく出来ています ですから 技術の問題なのです 悟りへの道は 胃袋を通って至る と私は信じています

奥様方どうか技術を 向上させて下さい 美味しく作って下さい ご主人も皆と一緒に 食べられます 女性の方が簡単 本当 いったん何かを 信じてしまえば何でも 食べてしまいます しかし 男性は より科学的です もっと現実的なのです 女性のように さほど 感情的ではありません 女性は 感性と愛情と感情で 生きられるのです 女性は食べ そして信じます 味がどうかは 気に掛けません しかし 男性は もっと批判的です まず彼らの味覚を 満たしてあげれ 悟りは訪れます

マスター チンハイ バイリンガルの人が 必要ですが どうか私達とあなたの 霊的なつながりを 説明して頂けますか あなたが亡くなった後 印心してた人が 家に帰り着くと あなたの霊によって なお保証されてますか 保証します 最初に述べたように 私達は体ではなく 私達は霊なのです ですから この体が 去っても生じても 何の差もありません 私達の間に 何の 隔たりもありません 既にお話してるように 印心の時 説明を受けます それで皆さんはそれを 終生使えるわけです 間に何かが 入る余地は もうありません

あなたがそれを望まず 放っておけば別ですが 種は次の人生のために 存在していますから マスター 私の五人の子供達は 既に観音法門の印心を 受けています しかし私は年老いて 悟りはすべての人の ためのものですね どんな必要条件が 満たされればいいのか 誠心誠意が唯一の基準 私達の誠心誠意です 誠心誠意で十分です しかし 時に 余り年老いある一定の 年齢を過ぎてしまうと 時には 肉体や記憶が それほど鋭敏で なくなってしまいます そういう時はもう一度 次の人生で来るように 言うこともあります また方便法を習うよう 言います

それもまた その人を助けられます 完全印心の必要はなく 方便法は一人の人を 保証するだけです 印心は沢山の世代の 保証をします それが違いです 印心を受けることで 自分で修行でき 自分も悟った マスターになれます 非常に沢山の魂も 助けられます マスターなぜ キリスト教は全体的に 転生を信じない傾向が あるのでしょうか 聖書では転生について 語られていますか 語られています 

でも削除されてきて またある人がイエスに 彼がエリアであったか どうかと 尋ねた時 また以前に彼が 何がしかの過去の マスターだったかと 尋ねた時に 彼が過去のマスターの 生まれ変わりかと いう意味ですが 彼は沈黙を守りました それが 聖書の中で 人々が削除するのを 忘れてしまった所です 生まれ変わりが 存在しないという 考え方なら イエスは こう言ったでしょう いやいや マスターが戻って来る ことはない 私が唯一の存在で たった一回で再び 戻って来る事はない 先にも後にも決してと 彼は沈黙を守りました

そういう場合 沈黙はそういう意味で 同意のしるしで 容認のしるしなのです でなければイエスは 弟子達を誤った方向へ 導かないように 説明したでしょう 彼は沈黙を守った 親愛なるマスター ある人が 印心を受けて その人の五世代が 救われるなら 肉を食べ酒を飲んでる 生存中の家族は どうでしょう 彼らも救われますか 彼らも救われます 悲しくも幸運なことに つまり 彼らが故意に 解脱を望まないのなら マスターは彼らを 強制したりしません もちろんです 一人一人が神ですから 覚えておいて下さい 私達一人一人が神です

誰も神に何をすべきか 言える人はいないです たとえ別の神でも その人がどんなに 悪かろうが良かろうが それはその人の決定で 自身が選んだ 人生の道なのです その人がこの役を 演じるのを選びました その人が悪くても 構いません 聖書は私達に言います 「裁くなかれ」と 私達は仏陀になる前に 人類のために あれこれすると 誓ったのです 奉仕すると誓いました しかし 私達は 仏陀になった後で 何らかの理由で 心変わりをしたのです 今や別の見地に立って いるからです 自分の誓いを叶えない 自由がありますか カルマ(報い)の法に よって誓いを成就すべきですか 私達は自由です 望み通りにする 自由があります こんにちはスプリーム マスターチンハイ 私達の上昇を 愛で助けている 偉大なる衆生としての 地球への貴方の考えを お聞かせ下さい

何のために私の意見を 述べるべきですか すべてが神によって 創られています 聖書でそう言ってます 皆「言葉」から 沸き出ます 宇宙の バイブレーションを 指しています バイブレーションが 神であり それが観音法門です 私はそれを教えてます 宇宙の振動力に 全ての創造の本源に 波長を合わせることを 私達が人間であれば 私達は神から来てます 大いなる地球も宇宙の 全てが神から来てます 神の品性を 備えています しかし 別の形を持ち 別の目的を 持ってるかもしれず 分りますね そういう場合には 地球も衆生と言えます あなたが述べたように 大いなる衆生でしょう 私達はここで暮らして 地球に暮らしています もちろん私達は この大いなる母を 尊重せねばなりません

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