ダウンロード
 
世界宗教会議 2/2 一九九九年十二月一、二日 南アフリカ ケープタウン(ペディ語)    
email to friend  これについてメールを送る   If you want to add this video in your blog or on your personal home page, Please click the fallowing link to copy source code  タグをコピーしてビデオを貼り付ける     Download:    WMV (149MB)    MP4(200MB)  
それでは マスター なぜ世界宗教会議に いらっしゃる 選択をなさいましたか 招かれたからです 私達全員 私を含めてですが 私達自身を私達自身に 結びつけるどんな 活動も支援すべきです 私達は互いに 隔たりや誤解を あまり感じていません 話し合える 機会があるのは 良い考えだと思うので この高尚な理想を 支援すべく来ました 観音法門が どういうものかを理解していない 知らない人々のために お話しいただけますか 一体どういう ものなのですか

私はフォルモサ (台湾)で始めました 「観音」とは 内在するエネルギー 内在する旋律 天国の旋律を 意味する中国語です 聖書では  神の言葉として 述べられています 「言葉は神と 共にあった 言葉は神であった」と これが「観音」です そのエネルギーと 私達を再び繋げます 全てを創り出している その言葉とです それゆえ 神と一つになるのです ここに存在する目的を 理解するのです 天国を訪問でき同時に 私達は神の教えを 直接受けられます それが瞑想ですね 生活様式ですね どう暮らすのでしょう

まず再び 思い出すという過程を 経ねばなりません 私達の多くが 忙しいからです 私達はこの物質世界に やって来てから 忙しくしているので それで再び思い出す 必要があります 私は人々に 彼らの神性 内なる神の王国 私達が 神の一部であることを 思い出す方法を お教えします それを思い出すために しばらくの間 静かに座り 私達の 内なる神を通して 再び神の力に 結びつかせるのです その過程で 神の光を見たり 神の光を見たり ちらりと天国を見たり 天なる父を見たりし また何か 神との直接的な 接触があったりします

それは私達の集中力の レベルによります 光や振動力 内なる言葉を通して 私達は多少なりとも 天国と接触できる ようになります そうすると理解したい すべてをより理解する ようになるのです そして私達は毎日 違った姿の神を 見れるのです 光や天界の 音楽を通して 神の旋律化した 教えを通して イエスの姿形や聖人 仏陀の姿を通してです 彼らは私達に 直接的な教えを 与えるのです 私達がより高次の 意識状態に入ると 彼らと直接 接触を持てます 今 彼らが より高次の意識に 存在しているからです

私達はこの肉体に ある時 より低次の 意識の中にいます この直接的な教えを 受け取るために 私達は自身を 肉体よりも高く 上げねばなりません 方法を思い出せれば 私達はそういう過程を 経ねばならないのです 私達皆が分ってますが 多くが忘れて しまったにすぎません 私は思い出しました 再び思い出すよう 教わってきました それで人々に 教えられるのです いったん 思い出せば 思いのままにいつでも 天国へ上がれます そして昔の聖人 イエスや仏陀 ムハンマドや 誰からでも直接 教えを受けられます 彼らは皆 神の子です

太古の時代から 神の使者です 直接的な教えを 得るために 彼らの所へまっすぐ 行かねばなりません 体で行くわけではなく 彼らは地上を去り より高い天界へ行って いるので私達はそこへ 行かねばなりません 皆さんに会うため私が ここに来るのと同じで 米国では会えません

皆さんここに住んでて ですからイエスに 会うには住んでる所に 行かねばならず 神に会うため宿る所に 行かねばなりません 例えばですが どんな人々がこの 教えに従っていますか 皆 どの位の人数ですか どこの出身ですか 違った宗教の人達ですか 何百万人もです 異なった宗教を持ち 異なった生活様式で 異なった生い立ちや 職業の人々ですが 一緒になると 一つの 家族のように完全に 信頼し愛し合ってます この集合エネルギーを 利用して自身や世界の エネルギーを共に 向上させようとします

この啓示と どのように 出会いましたか 生涯ずっと 探し求めていました ヒマラヤに行き マスターに会うまでで その方が記憶を 喚起してくれました 天国を巡る技を 修得した後で 私が人々を 喚起してるようにです あなたに思い出させる 手助けをした マスターは誰ですか クーダチと言いますが この世を去りました 正統派キリスト教 主義について また 今ここで 行われるような 異教徒間の運動や 対話に反対する 宗教的人々や団体を どう思われますか 彼らには そうする 理由があるのです

それぞれ自身の宗教を 持っています 神や宗教に対する 理解度の 違いによって 違った反応をします 全てに時間が必要です すべての変化  人々の理解や融合には 時間がかかります 私達には忍耐が 必要なのです 人々がそちらの方向に 変わって行くべきだと 思われますか ええ彼らが変わりたく ないなら構いませんが 少なくても反対すべき ではありません たとえ私達が 人が彼らにやりたい 事をやらせておくなら 彼らも 他の人々のする事を やらせておくべきです 世界宗教会議が 人類や如何なる 国や宗教をも 何ら害さない限りです

彼らは支援すべきで 少なくともそっとして また参加したくない 人々もそっとして おかれるべきです 彼らの権利ですから 他人の安全性や 信念を侵さない限り 誰にでも自分が 変って行きたい方向に 向かう権利があります 多くの人々が 様々な宗教の性差別 主義について語ります 彼らが女性に平等性を 与えてないといった ええ そうです この会議でも大問題 として取り上げていて 宗教での女性の立場を 論じています (ええ) それについて どう思いますか 私の考えはあなたや 世界の大多数の人々と 全く同じです

それは私達は皆 神の子だという事です イエスや仏陀 ムハンマドも決して 女性が劣るとも 男性が優れているとも 語っていません 一切言っていません ですから それを守るべきです 全宗教が 人類の同胞性を 強調していて 女性も含まれています あなたは人々が 苦しんでいる場所や 災害に見舞われた 場所に出掛けていると 聞いていますが はい  なぜそこへ行くのです あなたが私だったら やはり行くでしょう あなたに人々を 助ける方法があり 神があなたに 必要以上を与えてれば 出向いて 持っている物を人々と 分かち合うでしょう そのために与えられて いるのですから 多くが求められ 多くが与えられます より多く食べれたり 眠れたりするために 神は私に与えてません 分け合うためなのです

皆さんの町にある 大きな水の塔と同じで 塔は貯水のために あるのではなく 全市に水を供給する ためにあるのです ですから私もパイプの 一本にすぎません 私はその水を必要と される所に運びます

私一人や 私の全家族でも 私が稼ぎ出したお金の 全てを必要としません 神は必要以上に沢山の お金を私に与えてます 私の家族や弟子が 必要とする以上に ですから分け合います そうするのが普通で 何の疑問もありません 寄付のことを 耳にしましたが どのぐらいのお金を 誰に贈ったか 話して頂けますか 理由は何ですか

ごく自然にですか 何が起こったのですか 実際それは もう済んだことです 他の人と同じように 三分間の祈りを 終えた後で 私はステージから 下りました すると女性が やって来て言いました 「子供達が 待っています」と どこか非常に 遠い所から来たのです 彼らは言いました 「三十時間バスに乗り 眠っておらず 何も食べていない」と 彼らはここに来て私に 会いたかったのです

私は下りて行き 彼らに挨拶をし 抱き締めました そして彼らがどこから 来たか そこに何が あるのか尋ねました 彼女は彼らの窮状を 訴えました 学校もなく トイレや水も ないのです 人間の尊厳として 基本的に必要な物さえ 奪われている所に 住んでいるのです 「私に何が出来ますか」 と尋ねると  彼女は「何でも与えて 下されば結構」と言い 私は尋ねました 「学校とトイレなどに いくら必要ですか」と 彼女は「四千ドル」と 答えました 私が「差上げましょう」 そう言うと 彼女は泣きました 私は 「何でもないことです 余分に差上げましょう

何か他の場合に」と 一万ドルをその村の 子供達にあげました 村の名前は 忘れました ただあげて去りました 覚えていません

お金は 子供達の元へ行き 学校を建てます 学校長も村長も そこにいましたので そうするでしょう それだけです 私は立ち去りました すると他の団体の 女性が来ました 全員が地元の人です チョコ色の人々です ステージの上で 祈っていた女性達です 覚えていますか 火を使って 祈っていました ただ私の元へ来て 踊り歌って くれました その時 彼女達に 第六地区の出身か 尋ねました 私達が祈ってた所です 彼女達は 「そうです

でも今は 別の場所に 住んでます」と言い 彼らの中には 絶望的な状況の 人がいました 一家族十六人が 粗末で衛生設備のない 小さな家に 暮らしていると いうのです 私は いくら必要か 尋ねました 彼女は二万二千ドル 必要だと言いました 私は差し上げました 三万ドル以上を差上げ 水道設備を直したり 作ったりする 場合に備えてです 彼らに必要な事だから 素晴しいです

水道管とか蛇口とか 全部です 私は言いました 「もっと必要なら 後で教えて下さい」と 何人くらい弟子が いらっしゃいますか 何人 印心を受けていますか また あなたは何を 教えていて 彼らは どうすべきなのですか 分りました 数が多すぎて 私には思い出せません

少なくても 世界中に数十万から 数百万は いると思います 彼らは私達と連絡を 取ることもありますし ただ家で一人で瞑想 してることもあります

印心の時に全てを 話していますから 一、二時間掛りますが それで彼らは すべき事や すべきでない事 自分自身の保護の仕方 本当のイエスの姿と 人々を惑わそうとする 幻想との 見分け方が 分かるのです 二時間の内に 人々に 話す事が沢山あります それで人々は自身の マスターになれます 彼ら自身の中に 無上のマスターが いるからです 私達皆が所有してます 私はただ思い出し方を 人々に伝えてるのです 思い出す方法が あるのです

例えばあなたの息子が 長年 行方不明で 彼の体のどこかに 生れ付きの痣があれば 彼が見つかった時に そのあざで 彼と判るのと同じです 私達の天なる父母 神においても 同じです 私達が見極められる 何かがあるのです 戻って行く道が あるのです 私達は そこから来たのです ここに来た道が あるのですから 帰る道も必ずあります 他の全てと同様です 生活様式ですが 生活様式はありますか 生活様式ですか そう 道徳的で高尚なる 思いであるべきです 例えば私達は 聖書の戒律を守り 仏教の五戒を 守りますが それらは ほとんど同じものです

そうです私達は全ての 命を守り尊重します ですから私達は 完全菜食で 卵さえも食べません

また人が苦労し稼いだ 財産を尊重しますので 私達は盗みをしません 互いを神として 尊重します 嘘を言い騙し合ったり 足の引張り合いなどは しません 例えばですが 私達は伴侶との 愛の誓いを 尊重します ですから 結婚外の関係を 結ぶことはありません 他の人と手当たり 次第にセックスをして 愛を卑しめたり 冒涜したりしません 例えばそういう事です 私達の伴侶以外とです こういう事は簡単で 基本的な生活様式です 私達の水準の目安に 覚えておくべきです

私達がそれに達したか 霊的レベルに達したか それだけです 本当は 戒律ではなく 私達が どこにいるかを知る 尺度でしかないのです それに達していれば 私達は大丈夫で 次の段階に 聖人の域に入れます 夫婦関係とか 交際相手のことを 言っているのですね 交際相手もそうです 誓いはここに あるのですから その人を愛するなら 一緒にいることです 神の贈り物である 性的な喜びを 悪用しようとして自分の愛を損なったり 卑しめてはいけませんでは戦争と貧困は いかがですか 殆んどは人為的ですね人為的です 

ええ  戦争は 互いに理解し合わず 時間を掛けないからで 宗教内でさえ 同じ宗教内でさえ 戦争があります 戦争を始める ほとんどの人々が 宗教のためではなく 個人的な利益や権力の ためだったりするので もちろん何ら宗教が 目指す物ではないです そして悲しいことに 社会には 異なった人達がいて 彼らは自分達が選んだ 道を歩こうとしますが 常に神が意図した 方向とは限りません こういう人々に対して 耐えねばなりません 私達には神の教えを 広め人々を喚起する 多くの方法があります それで一人一人が 正しい道へと戻れば もはや戦争は なくなります そして貧困は  分け合わないからです 以前あなたは なぜ 私が被災地へ 赴いたり物を与えたり 会のメンバーも人々に 直接与え激励してるか 尋ねました 彼らは常に与えてます

私達は公式に 与えることも ありますが 非公式に 日常的に 何かを与えたりします 私達は道で 人々に与えたり 赤信号で車を 止めた時に与えたり 今日の子供達に与える ように与えたりします そこにテレビがあって 人々がそれを 見たのです でないと それを見る事なかった 公式に与えることも 私的に与える事もあり 私達は常に与えてます 貧困の問題ですが 世界の人々が 各自の所有物を 分け合ってたら貧困は 決して起りません 私達には 十分な食料があります 地球を養うに余りある 本当に十分すぎるほど すべての物が この世界にはあります ただ ある人々が多く 持ち過ぎていて その分け前に預かる 機会がない人もいます 彼らが生まれた 場所ゆえに 彼らの生い立ちゆえに 時には政治情勢が それを阻んだり するためにです

貧困は 人為的でなものです

神は沢山与えています 本当に沢山です 皆に十分以上の 物があります それを取上げてるのは 私達自身なのです

あなた自身と あなたの人生について 簡単にお願い致します

私はオゥラック (ベトナム)で生まれ 少し中国人の血が 混じってます そして私は英国民です 私は全生涯を通して 皆が求めてる「私達は どこから来たのか」 「どうすれば内在する 神に会えるのか」の 答えを探し求め そしてついに ヒマラヤでの リトリート中に 見出しました

リトリートの期間は どの位でしたか 私は探求をしながら 二年インドにいました しかし悟りは 一瞬の閃光のように 起こりました 探求期間は長いです あなたはどのように これらの教えを 発展させたのですか 何があったのですか 実際それを大衆に 普通の人々に 伝えるのに どのように 発展させたのですか 分りました 私も基礎的レべルに ずっといましたので 私が知っていることを 人々に伝えるのは 難しくなかったのです 探求の時から それが 起こった時までです 非常に簡単です

神は常に神自身の メッセージの伝達に 人間の使用人を選び 人々に伝えているのは 私ではありません 人間としての 私ではなく 私達の 内なる神の声なのです 私の中では たぶん よりはっきりしてます 私はずっと探し求め 落ち着いて 耳を傾けていますから 私達の多くは内面に この言葉この神の声が ありますが ただ忙し過ぎて その言葉を聞けません 神が自身の メッセージを 伝えるのですから 私達各々の 内なる神にとっては 理解しやすいはずです

視聴者の 皆さんのために どの思想や概念が あなたの概念に より近かったり 似ていたりしますか 類似点は何ですか 分りました 私は全宗教経典を ほとんど研究してきて イスラム教 キリスト教 仏教 ジャイナ教は 同じだと 気づきました 常に唯一の神が私達に 話し掛けてるからです しかし好みや文化に 合わせて 彼を 別の名前で呼んでます 言語 用語に おいてさえ同様です サンスクリット語の 「仏陀」はヘブライ語の 「キリスト」の意味です ですからアラーが神で イエスの天なる父と 同じなのです

唯一の天なる父だけで 私は皆さんがその事を 理解するよう望みます

私は全宗教と 一致しています 唯一その本源しかない と分ったからです 神は全宗教の本源です そうです あなたが見つけた ものをどうやって 広めたかもう少し 話を広げて下さい

実際 見出したものを 説明して頂けますか いいでしょう 探求は他の皆と 同様です 私達は常に神はどこに いるか いかに神を 見出すかと思ってます その探求は私達誰に とっても一般的で 悟りはそれを思い起す 幸運に恵まれた者に もたらされます 幸運を得るために 私達は本当に深く祈り 誠心誠意になるべきで 大きな助けとなります もし私達が既に 光や神や 内なる神との繋がりを 発見した人を 得られたならばです その人が教示すれば それは即座に起ります

各々の宗教で 内面に 神がいると言ってます それが私達が 見出すべき神なのです 神をアラーと呼んだり 「天なる父」と呼んだり 「全能の神」と呼んだり 「ビシュヌ」 「ブラーマ」と 呼んだりします そうです そして悟りの瞬間 悟りとは 「光」 「照らす」という意味で 私達は光から やって来たのです 神は光であり 愛なのです 悟りの瞬間 私達は 全宇宙が光に 満ちているのを見ます 私達はまた神を 光の姿として見ます

時には  イエス 仏陀 ムハンマド グルナナクのように この惑星にかつていた マスターの姿で現れて 私達が彼らの レベルなら 天界からの 直接の教えを学べます この物質的世界では 私はただ物質的な 言語でしか 教えられないからです しかし宇宙の多くの 奥義を手に入れるには より高い境界へと 上がって行かねば ならないのです 私達が幼稚園で学び 小学校で学ぶのと 同じです より高い 教育的知識を 得たいなら 大学まで進むべきです

更に前進ですね 更に前進するのです 精神的境界で 前進するには この物質世界では 学べないのです その精神世界への道を 私達に示す肉体を 持った導き手を得て 私達は進んで行きます またこの肉体を持った 導き手は肉体に 在りながら常に私達の 道連れになれなくては なりません 私達が初心者の頃 神の王国に戻って行く 過程で何か 問題に出会うと 到達するのに時間が 掛ってしまいます それで その導き手は 私達が自分に完全に 頼れるようになるまで 助けねばなりません

すると時間掛りません

様々な宗教で 神には別の名前が あります アラーとかエホバとか そして それぞれ 別の姿があります キリスト教では 神の三位一体 すなわち子 天なる父 聖霊というように 例えば 仏教では ハレクリシュナの 観点から言うと 沢山の神の姿が あります 実際 あなたは どうやってそれらを 一つに統合して 行くのでしょう

説明してみましょう 例えば三位一体ですが 天なる父 子  聖霊とは このようなものです あるマスターが生存中 彼は神を 代表する子です それで彼は子です 天なる父は私達の神で 私達の天なる父です そして聖霊それは子に 内在し同じく私達にも 内在する魂です 私達が この肉体にある時  私達は私達の本質を 知るべきです それが神です それは天国の神であり 同様に 地上の私達の 内にあるものです ですから私達はそれを 認識し 知る方法を 見出さねばなりません それを 知っている人は私達に すぐに教えられます そうしないと 私達は 一生懸命集中し自分で 方法を見付ねばならず その道は より困難で 長いでしょう

さて 仏教では 三宝と言います 三宝とは 仏 法 僧です 仏は私達には 見えません ちょうど神のようで 僧は子を指しています 僧は仏の弟子を 指しています 彼の教えを修行し 彼と結びついている 弟子を指しています そして 法とは教えです しかし真の法とは 不可視の教えで 聖書の中の「言葉」です 言葉は 神からの直接の教えで 仏陀そのものの 教えなのです お分りですね だから 同じもので それは 人々自身の異なった 概念で 彼らがそれを 異なった風に見ている ということですね その通りです

また同様に 別の言語で 別の表現をしてます 母に対する言い方でも それぞれの国には 別の呼び方があります ええ 同じ事です 分りました では 別の質問ですが 創造主 実際の神と この物質的な姿と 霊的な姿としての人間 また全体 そのものとしての 宇宙との関係は どうお考えですか それについては どうお考えですか 起源において 太古の起源へ遡れば 唯一の全体 神の下で 一つの全体となった ものしか存在しません

私達はその中の種です 私達は 全体と一つです 神が 内なる神が それぞれ 様々な形で 別れ別れになり 互いに楽しみ 神を楽しむという 全決定をするまでは 私達は一つなのです 仮にあなたがこうして そこに座っています あなたは自分の様子や 自分が何なのか 分らないとします 自分がハンサムか 見るためにあなたは 鏡を覗き込みます 鏡はその姿に過ぎず 本当のあなたでは ありません しかしあなたは その鏡を通して 自分を理解するのです

同様に私達は この神でない 肉体の中に入り それで私達は振り返り 神を楽しめるのです しかし私達は悟った時 初めてそうと解ります それなしでは 私達は 単にこの肉体と世界を 本物と認識してしまい 私達が自分の目を鏡に 釘づけにしておけば それを覗き込んでる者 である事を忘れます 同様に 私達の内なる 神はたった今 鏡を覗き込んでいて この肉体の衆生が 私達だと認識してます しかし見ている者こそ 本物なのですよ その幻想や 創造の魔術が 大き過ぎるので 鏡もそこに映る物も 全部忘れてしまい それを現実として 定着させてしまいます

ですから私達は 悟らねばなりません 幻想の概念を打ち破り 本物を見出さねば ならないのです 心から望めばです 望まねばまだ待てます 私達には神を見出す 無限の時間があるので 神を見出すも 見出さないも 何ら 大した事でありません 私達は常に神と 共にありますから 私達一人一人が神で 自身を見出す為自分の 時間を掛けていきます

イスラム教に限定した 質問ですが 預言者ムハンマドを 通し神のメッセージが もたらされたことを どうお考えですか 彼に平和があるように イスラム教がそういう ものだと思いますか 預言者を通しての 神のメッセージだと そうです 間違いなく 神からです ムハンマドではなく 肉体としての人でなく ムハンマドの中の 神なのです 肉体の姿を通して 全体と結びつき 語る神です それを私達は ムハンマドと呼びます 彼は当時 預言者でした 当時 唯一無二の 存在でした しかし神は 沢山の「ムハンマド」を 神の子を喚起するため 様々な時代に繰返し 送らねばなりません

私達は運良く ムハンマドの時代に 生まれてないからです 今 生きてますから いつの時代にも ある喚起者 ムハンマドの子孫が いなければなりません ムハンマドや キリストの子孫が 神の各人種の子供達に 利益を与えるために 神の意志の下に どこにでも生まれます それが天の意志です 各々の宗教に少しずつ 違いがあるのを ご存じだと思います(文化です 文化) 全て神によるものなら 神のメッセージが沢山 あるということですか それら全ては 正しいですか 全てが指してるのは 唯一でそれが神です

全てが生存中に神を 見出すよう言ってます クルアーンも言います 「全宗教は 神に属する」と でも彼らの起源は 私達が今見ている ものとは違います 聖典コーランの別の 言葉に「神への唯一の 宗教はイスラム教で 他の宗教ではない」 とあります 他の宗教ではない それは間違いなく 一〇〇%正しいです 私を信じて下さい 当時ムハンマドは 正しい教え 神の直接的な教えを 伝えていました ですから ムハンマドが在世中は どんな人でも ムハンマドを信じれば 神の直接的な教えを 得たのです すると 当時イスラム教が唯一 本物の教えとなる訳で マスターが 生存していて 直接的な教え 真の教えを 伝えているからです 以前 存在した 他の全宗教は 論理にすぎません

キリストが生存中 その宗教は本物でした 直接的な教えだから 人々は光を見 神と意思疎通を はかれたのです そのマスターが去れば 別の預言者が来ます 最後の或は最初の 存在として来て人々と 神を再び結びつけ なくてはなりません 当時の誰であれ それが唯一 本当の宗教なのです

何であれ神が私に 理解させてくれる事を 理解しています 何であれ神が 与えてくれるすべてに 非常に感謝しています しかし私達は 永遠に学べます たとえ預言者でも 永遠に学べます なぜなら神は無限です でも私達は 全体を知り 重要な点を学べます 重要な点を 知りたいと思えば 無限の時間をかけます 私はただ 神を知って 本当に幸せなのです

私達の団体には イスラム教徒や キリスト教徒 仏教徒やジャイナ教徒 ヒンズー教徒もいます あらゆる宗教的 背景の人がいますが 決して争い合ったり しません なぜなら 私達は内へ入って行き 神こそ唯一無二と 知っているからです それが人間の論争で 違ったものにされ 人間の言葉により ほんの少し違って 描写されてきたのです 理解は別の頭脳で さらに違うものに なりました ある人の頭脳は 他の人とは 違います ある人の頭脳は 完全ですが ある人のは損傷を 受けていたりします

ある人のはほんの少し 違ってたりするのです 教育的背景も 考え方を 違ったものにし 理解力も 違ったものになります 内在の意識レベルも 彼らを違ったものに してしまいますが 私としては構いません 問題ありません 議論しに来たのでなく 彼らが間違っていて 私が正しいと言いに 来たのではありません これら全宗教の裏に 隠れた本当の真理を 知る準備が出来た人 それを認識する勇気を 持つ準備の出来た人に ただ教えに来たのです

唯一の答えは内に入り 自身の宇宙的知識を 見出し秘密を 発見することです そうすれば自分自身に 答えられます 誰一人としてこの事を 証明できないからです 内に入り 再び戻って来れば 世界は変わりますか ある意味では変わり ある意味で変わらない それが変わるのは あなたの態度や 全生命に対する 理解や尊重の思いが 変わるからです より幸せになり すべてを受け入れます なぜならすべてが 神の意志で すべてが 完璧だと分るからです 肉眼で そう見えなくても すべてが完璧なのです ここに来た魂すべてが 自身の人生を 歩く道を選んでいます

苦しみや幸福を 選んでいて そうして 彼らは違った形で 神に戻って行きます そして 彼が準備が出来た時に 私達が肉体化を 決心した時 決して良い時を 過ごしたいと思わずに 常に 「苦しんでいます」と いえ真実でありません 真実でありません 良い時もあります はい 分りましたが 天にいる時に 私達が ここに降り来てどんな 人生を送る決心を したか分るのですか そう 私達が決めます 私達が決めるのですか そう私達が神ですから 私達が両親を選び 場所を選ぶのですか 間違いなく そうです 私達は神だったのです

一度ここに来るのを 選ぶと神であることを 忘れてしまいます それが目的です それで再び 神を思い出せるのです 休暇を思い起してみて 出掛けると 自分の優しい家の方が 良いと感謝できます たとえ それが 休暇でも それでも 優しい家に帰りたいと 心から思うわけです 観音法門が南アフリカ 提供すべきものは 何ですか 犯罪と暴力の問題を 抱えている所です 一番必要としている 場所で全て他の場所の ようなら必要ないです 皆が神を必要とします 特に問題を 抱えている時に しかし どこで神を再び 見出していいか分らず 私達は苦しんでいます 私達は苦しみゆえに 再び神を喚起します

観音法門とは単に 「神の言葉に集中する」 という中国語です 神の声は 印心の時に 聞こえます この宇宙言語を通して 神は私達が知るべき すべてを教え 人生を 管理する方法を教え 天国と神の本当の姿を 私達の本当の姿と 同様に示してくれます それで自分達が神と 一つだと分るのです 更に進んで個別化した 神であると解るのです もちろんいったん 神を知れば 私達は 再び神になるのです 神は無知では いられません 神は自分の人生をどう 生きるか知っています 自身の苦しみを どう緩和していくか 分ります 神は神になるのです 再び力に満ち愛に満ち 軽快になるのです どのような環境下に あろうが関係なく 私達は永遠に幸福です 私達は神だからです 私達はどういうことか すべて分っています

心にはもはや何の 憎しみもありません 万人が神を知れば 私達は再び天国に 居ることになります それこそが黄金時代で 真の黄金時代です スプリームマスター チンハイ 世界宗教会議終了後に 残るものは 何だとお考えですか 人々が学び合い 互いの違いを 受け入れ合うように なると思います しかし真の同胞知識は 実際 私達が一つだと 知ることで もたらされます それを知る唯一の 方法は神の知識を 通してです 自身の悟りを通し 再び神と一つに なる事を通してです 日々学び そうなって行きます 印心の時に 即座にその味を 学べます

南アフリカ 全体に対して あなたのミレニアム メッセージは どんなものですか 私のメッセージは 全ミレニアムのためで 神を知りましょう そうすれば すべて 他の事は手配されます 神を知りましょう すると幸せになります すでに知っているなら 結構です 知らないなら 知っている人を 探して下さい アフリカ人やドイツ人 インド人であろうが あなたに神を知る方法 神の光を喚起する 方法を示せる人を 探して下さい 神を知っている人は あなたに 神を示せる人です あなたを 悟らせられる人は あなたに光を 見せられる人です 誰であれ 光を見せられるなら あなたを 助けられる人です ありがとうございます スプリームマスター チンハイ ナマステ どう致しまして あなたを愛してますよ

私達は自身の 神の知識の代わりに 自身の限られた理解に 頼っているからです 永遠に論じられます なぜなら 私とあなたは違うと 理解しているからです

私はそこにいたので 皆さんを愛してます 誰もすべて理解して いるとは言えない 偉大な知識があるのを 知っています

でもそれはクルアーン メッセージへの真の 矛盾の中にあります なぜなら皆さんは 神を見てないからです だから言葉と概念と 理論を議論するのです 皆さんが目を閉じれば 私は一瞬で 神をお見せしましょう それで皆さんは神と 語り アラーに 尋ねることができます 本物は何ですか 何が真実ですかと 皆さんはとても 信心深く献身的です 私はその信仰心に 感動しました でも唯一欠けている ものは神です 私達は四六時中 神について語り 最後の預言者について 真理について語ります

でも見ていません 私の見たものを 見た場合だけ 二度と 論じなくなるのです 今 神を 見たいですか 光を見たいですか お見せできますよ 皆さんの内にあるので お手伝いできます アラーは内在します 私達がこれを 理解しないなら 神を見ないなら 私達の知識は とても限られます またクルアーンは 真の教えですが 人々は理解できません ムハンマドの言葉を 理解するには ムハンマドのレベルに 達すべきで 少なくとも同レベルに 上がらねばなりません そうでないと 沢山の間違った解釈が 出てくるでしょう
trackback : http://www.suprememastertv.tv/bbs/tb.php/download_jp/8108

 
 

   追加言語字幕
 
  スクロールのダウンロード
  MP3のダウンロード
 
Listen Mp3視聴  智慧の言葉
Listen Mp3視聴  マスターと弟子
  iPhone(iPod )へのMP4ダウンロード
  Download Non Subtitle Videos
  プログラム別ダウンロード
 
マスターと弟子
ベジタリアンエリート
ベジタリアン 高潔な生き方
啓発のエンターテイメント
動物の世界
芸術と霊性
良い人 良い仕事
注目すべきニュース
智慧の言葉
  日付別ダウンロード
2024 . 5月

Sun

Mon

Tue

Wed

Thu

Fri

Sat

1

2

3

4

5

6

7

8

9

10

11

12

13

14

15

16

17

18

19

20

21

22

23

24

25

26

27

28

29

30

31