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内面の真我を見つめる 3/3 一九九三年三月十六日 台南、フォルモサ(台湾)(中国語)    
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私は 皆さん全員が はっきり分っている ような感じがします 皆 仏陀です ええ 仏陀が仏陀に 話しているのですから もちろん分ります 家にいて 自分は凡夫だと 思い込んでいましたが ここに来て私の経の 講義を聴いて自分が 仏陀だと分ったのです こういうことです 誰かが思い出させて 理論的に 私達の仏性が どこにあるか 指摘しただけです

皆 もともとそうです 修行してもしなくても 仏陀なのです 私達が苦しむのは 反対側の自分自身を 見ていないからです その苦しまない人を 見ていないからです マスター 修行者は 毎日瞑想に 精進する他に 智慧を得る方法は ありませんか どんな事でも智慧の 発展に役立ちます ただ開悟して 初めて 夫や妻 子供 友人 花 果物 仕事 あらゆる労働が 修行方法であることが 分ります だから 歩く 休む 座る 寝るのも禅と言います しかし皆がこう 言いながら誰も 禅が 何か分っていません

だから私達は 不幸せなのです スプリームマスター チンハイ こんにちは あなたは 悟りを開くまで きっと数え切れない ほどの試練が あったと思います 様々の困難に遭い 挫折を感じ 落ち込み絶望さえ 感じた時 どのように その痛みを伴う 心境を乗り越え 修行の道のりで そして日々の生活の 中で楽観的に確固たる 態度で生きたのですか そうです 沢山の試練があります 例外ある人はいません 時々その試練は 大変非論理的で 時にはとてもひどく 時にはとても 悪質な試練です 時々その試練は 私に 生きていられないと 感じさせるほどです

しかし私は観察し続け 自分自身に 「よし 今日私は もう生きていけないと 感じた」 どんな状況が起きても ずっと観察し続けます 分りますか 私は自分に言います 「今日は気が晴れない 泣きたい気分だ なら泣いたらいい 気分が悪いなら そのままにしておこう 明日は 違うだろう」 明日は違うと私は いつも知っていました なぜなら私達は これまでの成長を 見た場合霊修行したか 否かに関らず 論理的に言って 生まれてから 今日まで 昨日と今日が同じ だった事はありません 今日がよくないと 明日はきっとよく 明日がよくないと 明後日はきっとよく 今日雨だと 明日は晴れます 自然を観察すると 分ります その境遇に落ち入って 隠れていてはだめです

その状況におかれたら それもよく 引き続き 生きていきます これも 一種の気分です 気分は毎日変わります よくも悪くも そのままにしておき 私は常にそうしました

そのままにします 何が何でもそのままに しておきます 苦しい場合 苦痛を感じます 嬉しいなら喜びます 私は余り執着しません

苦しい事は分っていて 感じなくはありません そのままにします 「いいだろう 今日苦しいなら 明日はきっと 嬉しくなるだろう」 と自分に 言い聞かせます また一番苦しい時 それにすぐ 陥らないことです そこで なぜこんなに 苦しいか なぜこれが起きたか これで何が学べるか 考えることです きっと痛みを伴う 苦境から何かを 学べると思います よく観察すれば どんな状況も 私達が学ぶ教訓です よく観察すると 翌日開悟して 嬉しくなります 煩悩は菩提です ですから悩む機会を 逃さないことです 

親愛なるマスター 私の知り合いは 修行し始めた時は 大変純粋で 人を批判したり しませんでした 人が噂話をすると 彼はいつも人に 止めるよう言いました しかししばらく 修行してから 彼はとても批判的に なりました 彼は皮肉な言葉で 人を攻撃したりします なぜ修行した後 このように 変わったのですか これは進歩ですか 後退ですか 時々人は 修行し始めた時は とても慎重です 分りますか より内省的です より内省的です 新婚さんのようです そうですね

大きな声で 夫とケンカしたり 妻を怒ったりしません 結婚生活が 長くなるにつれ 彼らはだらけてきて ある日夫婦は 大ゲンカをしますが 突然ハッとします 「なんてことだ 相手をこのように 扱うべきでない」と 分って仲直りします 修行も これに似ています 潮のように 満ち引きします これは 修行の後退でもなく 時々そのような 振る舞います 潮のようにです ある日彼はきっと 反省して言います 「なんてことだ こんなはずでは なかった」と思い 更に努力し もうだらけたり しません 再び慎重になります そして前より もっとよくなります これも一つの 修行段階です

後退ではありません 時々私達は修行が

後退したように 感じますが そうとも限りません 例えば歩いている時 または運転中 山から岩が崩れ落ち 道を塞がれると 止まらねばなりません 一所懸命その岩を 除けねばなりません 沢山の時間を費やし 全然進まなかった ように感じますが しかしその岩を 除けないと 前へ進めません 分りますか 岩を除けてから 速やかにもっと 早く前へ進みます または 時々 私達の前に 障害物が見えます 直行はできません すると少し退きます そうですね 時々車を 運転していると 前を 障害物で遮られます

すると車をバックして 回り道します そうですね またはその壊れた車が 取り除かれるまで 待ちます  すると通れます これは後退した ことではありません 修行者は 求道心があります 真剣に修行する 印心を受けた人は 決して 後退しません 彼らは暫く待っている 状態です 親愛なるマスター インドのマスター ババジは三千年生きて 長く失われていた クリアヨガを ヨガナンダに伝えた クリアヨガは 観音法門と 異なるのか 教えて頂けますか 違いがないように思います 光と音流を 教えるとしたら 同じです 人々によい事を するよう教えるなら 同じです 誰がどんな法門を 伝授するにしても 内面の音が聞こえれば それはよい法門です 分りますか 私達に真我を分らせて くれるのであれば 一番です 残念ながら ヨガナンダは往生し 彼は自分には後継者が いないと言いました

従って彼の宗派には 開悟したマスターが いないということです 開悟したマスターは この世を去ったと いう意味です マスター 開悟した マスターが この世を去るとき 彼の肉体は定まった カルマ(報い)の 苦しみを受けますか それとも彼の修行 レベルによりますか 修行と関係ありません 彼が開悟した マスターであれば 衆生の悪いカルマ (報い)を背負う わけです 臨終の時幸せな場合と 苦しい場合があります これは彼が悪いカルマ (報い)をどれだけ 背負えるかによります

ただ喜びも苦しみも ただ喜びも苦しみも その時が最後です さらにそれは表面的で 人のもので 彼自身の ものではありません 彼自身はすでにカルマ (報い)はありません 彼は降りて来る時 カルマ(報い)は ありません ここに降りてくる前に 彼はすでに仏陀でした

彼の使命は衆生を 救うことなのでカルマ (報い)はありません 彼は修行する 必要さえありません 修行するのは 人々に 手本を見せるためです

彼が修行しないと 弟子もしないからです ある人が あなたの本を読んで 信じるとしたら なぜ

印心を受けるのですか

印心は自分の 真我を知ることです

あなたが自分の力で 仏陀になり 自分の偉大さを 知ることです 他はただ私に 頼ることであって 皆さんは 自分の偉大さを知らず ただ自分だけが 解脱します 在世の時 仏陀になれません ただ死ぬとき 解脱して 生死の輪廻をしません 印心を受けることで 私達は自分の 偉大さを知り 自分自身だけでなく 五代 六代の先祖も 超昇できます 同時に多くの人々を 救うことができます 開悟した マスターになればです 在世の仏陀はそうです

他は他力本願です 両者は別問題です

私は皆さんが 印心を受けて 自分の真我を知り 自分の五代 六代 七代八代の先祖を救い 彼らを超昇させる ことを望みます 開悟した マスターになったら 真理を説き人々をも 救うことができます

マスター あなたの パワーは遍在し 宇宙に充満していて 道と一つです なのに なぜあなたの 肉体に近づく時だけ あなたのエネルギーを 感じることができて 家では 感じられないのですか 冗談でしょう 誰がそういうのですか 家にいる時 もっと強く感じます そうですね(はい) どこでも 強く感じます 私達の心が 通じていれば 面と向かっているのと 同じで 心が通じてなければ ここにいても 何も感じません こんにちは マスター 釈迦が存命の時 彼と彼の弟子達は 瞑想によって 仏性を見つけたのです

なぜ今の仏教は 経典に 執着するのですか 経典を教え 経典を唱えることが 彼らの修行の 主な不可欠な形式に なっています 仏教は 学問化されつつあり 経典を研究する 風潮が高まっています これらは全て 仏教を学ぶ本当の 目的に背いています 幸いにも スプリーム マスター あなたは適時に来て 私達に 観音法門を伝え 生死の輪廻から 解脱したいと願う 衆生を救ってくれます ありがとうございます スプリーム マスター なぜ人は生まれながら 違うタイプ 即ち楽観的な人と 悲観的な人がいますか 悲観的な人は より内向的で 感傷的で 困難に遭った時 挫折を感じやすいです

これらの人は 修行しないで 彼らの悲観的な個性を 変えられますか それは難しいでしょう 私達は 自分の素晴らしさと 美しい性質を 完璧な性質を 認識しないと どんなに有していても どんなに有していても 満足しません だから悲観的に なるのです 真我を知ったら 満足します さもないと ゆがんだ鏡は 私達を醜く映し 誰が何を与えても 喜べません 私達は食べながら 鏡を見つめては 大声で 「なんてこと 醜い 私が食べている 姿は醜い 醜すぎる」と言います

振り向いて 自分の真我を見ると 例え食べていなくても 私は正常だ 美しいというでしょう 誰かに 何ももらわなくても とても幸せです それが自分だと分かり ですから観音法門を 修行すべきです すると 全てがよくなります 尊敬するマスター 昨夜マスターが 経の講義を始める前に ある人があなたの 真の体が降りてきて あなたの肉体と一つに なり金色の光を発して いるのを見ました あなたの真の体は 赤い袈裟を着ています しかし肉体は 袈裟を着ていません この人が見たのは 本当ですか 彼の目に 問題ありませんか 私は分りません

それは彼の目で 私の目ではありません 彼の目に何か 問題がありますか 彼は他の人を見るのに 問題ありません だからそれを見たのも 問題ではありません 彼の目は正常です さもないと彼は 皆が赤い袈裟を着て 金色の光を発する ように見えるはずです 実はそうではないです 今日私は初めて 経の講義を 聴きました 入り口で香りの匂いが 漂っていました この香りは何ですか 教えて頂けますか たぶん誰かが香水を つけたのでしょう ここには大勢の人が いてきっと誰かが 香水をつけたのです

そうですね 私は何も感じません 両親が沢山の 病気を持っている場合 子供として両親の 苦痛をどう分担したら いいですか 祈ることです 神に助けを祈る事です 最高の神 スプリーム マスターに祈ります 私達の仏性に 祈ることです 両親も自身で祈ると 大分よく感じます 薬を買って 貧しい病人や面倒を 見てくれる人のいない 人に与えてもいいです 両親のお金を 苦しんでいる人に 分けるのも 悪いカルマ(報い)が 減ります 病気もよくなり 気分もよくなります 尊敬するスプリーム マスター チンハイ 人間が この世界にきたのは 修行をする ためですか そうです そうです 他に目的はありません 従って修行しない人は とても苦しいです どんなにお金が あっても 妻や夫 子供が何人いても 苦しいです (そんなに持てますか 多分いますね) それでも苦しいです

何を持っていても 苦しいです 修行者は たとえ 貧しくても それでも 幸せです そうですね(はい) こんにちはスプリーム マスターチンハイ 私は 最近 幾つかの 奇妙な体験があり しばしば 朝四時四十分ごろ  私は寝る時 何かが 私の身体を圧迫し 固定するのを感じて 自由になる前に 数分間 もがかねば なりません 何が起こっているのか お話いただけますか 私も分かりません 仏陀の名前を唱えて それが再び起こるなら あなたが信じる 仏陀の名前を 唱えてください

イエスを信じるなら 彼の名前を唱えて 済公を信じるなら 彼の名前を唱えて 釈迦牟尼仏を 信じるなら 彼の名前を唱えます これを試みてください これらの全ての名前が 役に立たないなら 他の名前を試みて こんにちは大マスター あなたの本の中で 霊修行者のエネルギー 場は確実に変化すると 言いました 私達は仕事のために しばしば 非修行者と 多くの接触があります これは私達の霊的な 進歩に影響しますか それとも人を避ければ より速く進歩しますか いいえ影響しません いいえ しません

私達観音法門修行者は 保護磁場があり 保護パワーがあるので 何に接触しても 私達は 汚染されないでしょう 時々 私達が不注意で 我が身をかばうのを 忘れるので ほんの 少し汚染されますが マスターは私達を 保護するでしょう マスターパワー スプリームマスター パワーがいつも傍に あるので 私達は何も 失わないでしょう でないと在家者は どう修行できますか 私達が皆 世界からの 繋がりを断ち切るなら 私達の大統領をここに 放っておいて 何をすべきですか

私達は私達の国と 家庭の世話を せなばなりません 仏陀の道は 世俗の道からは 逸れません ある人はカルマ (報い)がより軽いので 彼らはこの世界に 縛られません たぶん 彼の両親は 亡くなって 親類や友人もなく 彼は結婚してなく 結婚したがらないので 彼は出家した修行者に なりたがっています 絶えず 人々を助ける ことができるように 彼の身体 言葉 心を衆生のために 捧げたがっています それでこの人は出家の 修行者になれるのです しかし 私達には 異なった運命があり 私達の運命がこの世で 働くことであり仕事が 責任であるので私達は 皆この世を去れません そうしたら誰が道路と 家を建てるのですか 誰が料理し 植物を 栽培するのですか これは道ではない それでここに住み続け 仏陀になるのは 問題ありません

市場の仏陀に なるのが良いのです 市場の仏陀  強力な仏陀に なってください 尊敬する スプリーム  マスターあなたを 信じて心から あなたにしばしば 祈る人と 観音法門を 修行する人の違いは 何でしょうか ちょうど説明しました 一方は大きな乗り物で もう一方は 小さな乗り物です

霊修行すれば多くの 人々が利益を得ます あなたがどこに 行っても 周りの 人々は利益を得ます あなたの 五、六、七、八または 百代の先祖は 超生するでしょう 一言を発すれば 多くの人々と物が あなたが言えるより 多くの利益を得ます あなたの全ての親類と 友人が利益を得ます しかし私達はただ 一人の仏陀か生きた マスターの名前を 唱えれば 自分だけが 利益を得ます 尊敬する スプリーム マスターチンハイ 菜食レストランを 台中で経営しています

時々 客の残り物があったり 全ての食物を 販売しきれません 腐敗した野菜も それで私は 食べ残しを集めて 豚に餌をやる人に あげています それは悪いカルマ (報い)を被りますか もしそうなら 私はどうすべきですか いいえ 大丈夫です 大切なマスター 印心後 私達は化身マスターに 保護されます でもあなたが私より 早く亡くなったら 私はどうすべきですか あなたの保護がなくて 私はどのように 霊修行をするのですか 非常に危険でしょうか そのマスターは あなたを化身で 保護し続けるでしょう 肉体ではなく 化身は 永遠に存在します 肉体だけが 生きて 死ぬのです しかしまた 肉体がいつまでも 残ることも可能です それはマスターの 望みによります そのマスターが この世に六十年しか 生きないと望めば その時を迎えたら 肉体は変化します マスターがこの肉体を 使い続けたいなら 引き続き使えます

さもなければ 他の肉体に代わり 戻って来るというのも できます 問題ありません 敬愛する スプリーム マスター チンハイ 私は勇気がなく 無意味なことを考える 傾向があります このため 私には霊修行が 難しいのです マスター私はどう 自分をもっと勇敢に 鍛えたらいいですか 霊修行を 助けるためにです 印心に行って下さい 共修会にも まめに参加して下さい そうするともっと強く 勇敢になるでしょう 時々 一人での修行は 開悟したマスター なしで あるいは 賢い友人なしで 修行仲間のことですが 修行は容易でないです

マスターのテープを 一つ聴いた後 これ以上肉食をしよう とは思いませんでした そうなの 素晴らしい 肉食を止めているのは 素晴らしいです そもそもあなたは 慈善家です 既にしっていますね 私の手柄ではないです ただ思い出させ あなたは理解しました ちょっと忘れただけ 感謝は必要ありません あなたの仏性は 既に理解しています

幻覚に苦しむ人がいて 誰かが自分に危害を 加えると思っています 彼がそういう苦痛から 逃れ 精神の問題から 回復するのをどう 助けたらよいでしょう

仏陀の名を唱えること 神に祈ること スプリームマスター チンハイの助けを 祈るよう教えて下さい 彼が信じる誰からでも 助けを求めるようにと 彼にチンハイはこう 言ったと伝えて下さい 「誰もあなたに危害を 加えようとしていない すべて大丈夫です」 彼は安心するでしょう

敬愛する  スプリームマスター 時々私は試験を受けて 勉強する目的は何かと 本当に思うのです また どれほど習得 したか疑問に思います 私は勉強が よく出来ないので 心配になります 大学へ行くために 勉強しているのですが 私を窒息させるこの 重いプレッシャーを どう減少出来ますか 人間として私達は皆 二つの義務があります この世界への義務と 霊修行への 義務です もちろん優先順位は 霊修行です しかし私達はこの世で 既に生きていますので 現世から多くの好意を 受けています

私達は世界に義務を 果たすために最善を 尽くさねばなりません そうでなければもっと プレッシャーを感じ 後でもっと後悔します ですから勉強する時は 勉強に最善を尽します 当然のこととして 最善を尽くします 私達が良い成績で 卒業できるか否かは 常に決められる訳では ありません 私達は ただ最善を尽くします そうすれば良心は 自分を非難しません 後に霊修行を する時や 何か 他のことをするときは 多くのプレッシャーを 感じなくなるでしょう 義務を果たさないなら 後により多くの負荷を 感じるでしょう

まだそれをすべきで 学んで卒業しなければ なりません その後 霊修行をするときや 勉強や修行を同時に するときは負荷が より少なくなります 私達の智慧が開くと 速やかに学べ 負荷を 感じることなく容易に 学べるようになります 親愛なるマスター なぜあなたの頭上の 光は 周りの光と 異なるのですか 同じであるべきです 私も知りません あなたがそれを見て でも私に聞き続けます あなたは物事を見ます でも私に理由を聞く 私達の頭は 手足とは違います 頭は頭です 
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