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人間の概念の不可思議 3/4 一九八九年九月二三日 香港(中国語)    
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彼は 仕事の関係で 菜食は不都合だと 言っています 家では菜食し 外では 出来るだけのことを してもいいですか それでも大丈夫ですが 完璧に義務を果たす ことは出来ません 仮に 不都合だと言って 夜だけ 子供の面倒を見て 昼間は疎かにしたら どうなるでしょう そうすると あなたは 親としての義務を 果たしていません 子供の世話をするなら 時間のある時だけでは なく ずっと 彼らを愛さなければ

なりません それはいけません 菜食は 衆生に対する愛から 来ています 何かの理由で 他の 衆生の命を無視したら 私達は十分な慈悲の 心を持っていない ことを意味します 十分な慈悲がなければ 私達の理想は完璧 ではなく まだ最高の 果位を得られない ことを意味します 最高の果位とは  仏陀 イエスキリスト ムハンマドの レベルのことです 私達は慈悲心を持ち 自分の体を愛する ように他の衆生の体も 愛すれば 創造の神と 一体になります 創造の神と 一体になれなければ 仏陀にはなれません

マスター  毎日唱えるべき お経をお教えください 六字大明呪を 唱えてもいいですか ええ いいですよ 好きなものなら あなたを気持ちよく させるなら 何でも いいですが もっと 良い方法があります マントラを唱えるのに 行動 言葉 考えも 純粋にすべきで 五戒も守るべきです お経を唱える時 ここに集中し 静かに唱えるべきです この奥にあるのは 智慧のセンターで  このセンターで 唱えると智慧を得ます 心が散乱し 口だけで 唱えてはいけません 精神を落ち着かせ 智慧のセンターに 持ってきてください

それがどこにあるのか 分からなかったら ここに持ってきて 静かに唱えます 時間のある時 目を閉じて 心を落ち着かせ 智慧を使って唱えます 口先だけではなく そうすれば  加護を得られ  効果が出ます 加護はいかんに マントラや あるいはお経から 由来しているかを ついでに教えました  そうすると もっと 大きく加護を得ます 皆さんの習慣を 変えたくはありません とにかく私の指導に 従えば お経を唱える ことから もっと 加護された恩恵を 得られます どのようにして 悟りを開いたマスター 本当のマスターが 分かるのでしょうか これは難しいですが 簡単でもあります

その人の講義を聞けば 分かるでしょう 天眼が開いていれば 彼の体から放たれる 様々な光を 見ることができます 彼には利己的な動機が 全くないことに 気付くでしょう あなたのお金 供養を 望んでいません 彼に帰依することも 求められず  彼に有利なことをする 訳でもありません 彼は完全に無条件に 貢献するのです 少なくとも あなたを利用しない 信頼できる人です 彼は真のマスターで あるかどうか 彼から学んだら 分かるでしょう あなたに悟りを開かせ 自分の本性を 見させるならば その大きさに関わらず 彼には パワーがあります

悟りに導くなら 彼には パワーがあります 彼のレベル 能力を 理解するには 長い時間が必要です もっと修行すれば 分かるでしょう 修行すればするほど 分かるのです 修行しないなら もちろんそれは 理解しにくいです あなたの英語の先生が どれほど良いかは 彼から学ばないと 分からないと同じです 最初の日 あなたに きっと幾つかの単語を 教えることができます これさえできないなら 英語の先生とは 言えないでしょう 真のマスターなら 彼から学ぶ最初の日 すぐ真理を 見せることができます あなたの輝く所 明るい所を 見せることができます

あなたに仏陀 内在する天国を見せる ことができるでしょう 少なくもあなたの魂を 満足させるでしょう 意味が分かりますか あなたの全ての質問に 答えられます 何の執着もなく 何の障害もありません それは単なる 外面からの証明です でも彼のレベルを 知りたいならまだまだ 時間が掛かります さらに 数人が 悟りに関して 質問しています 悟りを開いたかどうか どうやって分りますか 一度も仏教を学んだ ことがなくても 開悟は可能ですか ええ ええ 悟りを開いた後 分かるでしょう しかし マスターが いなければ それを誤解して無視 するかもしれません ある人は自分で 少し到達できますが ある人はマスターに  頼るしかありません 少し悟りを開いて マスターの継続的な 指導がなければ それを無視するかも しれません 

時には誤解するかも それは私達に良くなく ですから  古代の人は 悟りを開いた後でも マスターを見つけて 確かめるのです

「この体験なら 何の意味ですか」と マスターに 尋ねるのです 「私は本当に悟りを 開いたのですか これはどんな境界か ちゃんと正しい道に 向かってますか」と 彼らはまだマスターを 必要とします 完全に悟りを 開いた後  私達は もう少しも 疑いもしません 私達は仏陀であり 神であるのが 分かるはずです 傲慢ではありません 本当に分かっています 知ることなく 分かり 知らずして よく分かっています 何人かは「空」に ついて聞いています 中国の禅宗では 心の雑念を 排除して 「無念無想」と いうのがあります いったい「空」とは 何でしょうか サマディーに 入らないと 分からないでしょう 言葉ではうまく 説明できません

体験できますが 観音法門を修行する 人なら すぐに この「空」 「無念無想」を体験 することができます しかし「空」や 「無念無想」は高い レベルではありません それはただ一つの過程 初級段階に過ぎません もっと沢山の レベルがあります 修行したら「空」しか 達成できないなら 誰がそんな修行を 希望しますか 儲けはないですよ 霊修行者には 感情がないと 言われています どうしてマスターは 人間の苦しみや 災害を見て まだ泣いていますか

修行して 石になるほうが お好きですか あなたが苦しみを 話した時 「大したことでは ありませんよ 私には関係ありません 私は石だから何も 感じられません」と これで良いですか むしろこのような マスターが好きですか

聖書には詳しくないの ですが 聖書では 不殺生と肉を食べない ことを言及されてるか どうかという質問です はい たくさんです

小冊子の 「なぜ菜食なのか」の 「なぜ菜食なのか」の 章の中でも 私は話しています 多くの聖書が人々に 肉食をしないように 言っているのを 私は話しています 「肉食することなかれ  私に捧げるために牛と 羊を殺すべからず」 これは神が言いました 「さもないとあなたの 罪を私は許さない」と 神への捧げ物でさえも 殺すことが許されない なら自分に捧げるなど 言うまでもありません 私達は神より上ですか

明確に書かれています

また  聖書には 十戒があります

一つ「殺生しない」 何でも殺す時 それらを 「殺生」と言います 生命がある限り それは殺生になります 人を殺していない 生き物を殺していない どんな命も殺してない とは言えません

同様に仏教では 最初の戒律は 非常に重要で それも「殺生せず」です 同様にヒンズー教でも 最初の戒律は 「殺さないこと」です ジャイナ教の 最初の戒律も 「殺さないこと」です イスラム教も同じです どの宗教が人々に殺生 しないことを教えたり 殺生さえ教えているか あなたは探せますか 一つ見せてください ほとんど全ての宗教は 最初の戒律として 「殺生せず」を定めます

生き物を殺さない 命を奪わないと言い 菜食である理由は 動物の命を 保護することです 私達がそれらを 食べなければ彼らには どんな仕事もないので 彼らを殺すのを 止めるでしょう だが毎日肉食するなら 私達は多くの命を 殺す人々を 励ますことになります そして私達は殺生の 悪いカルマ(報い)を抱えることになります ですから 戦争 災害や地震 また他の種類の 命にかかわる大災害が 起こる時には  神を非難すべきでなく 菩薩を非難 すべきではありません 私達の日常生活での 間違った行いで全てが 引き起こされています なぜなら 私達は宇宙の 慈悲深い法  全ての命を愛する法を 理解してないからです これに反して私達は皆 生命を奪っているので もちろん生命に危険を 及ぼす災害を避ける ことができません

彼は質問をしてます 印心後彼は二時間半の 瞑想をすぐできないと 言ってますがそれでも 印心できますか はい できます 修行を始めるとき 私達はそんなに迅速で あるはずがありません 無理しないで初めに 二十分または三十分の 瞑想から始めます そして毎日 一分か二分少しずつ 加えていってください しばらくした後私達は それに慣れて行きます 実際 時々私達は 数時間瞑想します そして動きたくさえ ありません その時立ち上がろうと してもあなたは そうしたくありません 私達の弟子は このようです

印心する前彼らは 二時間半できないと 心配していました しばらくすると彼らは 止めたくありません 本当に時々彼らは サマディに入りますが 彼らに何か仕事を 頼まねばならず 私の身体が限られて いるので私の化身が それをやりました 私は起きるよう人に 頼むか起きるように その人に頼むため 化身を送ります だがサマディー中の 彼らはやりたくなく 彼らは極度に 居心地がよいのです

彼らは非常に高い レベルにいて 戻って 来たくないのです なので心配したり 怖がらないでください 瞑想は とても心地よいのです それは一種の運動か 習慣のようなものです 私達が運転の仕方が 分からないときは 運転はすごいと思い しばらく学んだ後で 運転できます コンピューターを 使える人々を偉大と 思いますが 勉強すれば 私達も それができます

彼がまた質問してます 卵は食べていいですか 彼は一貫道の信者で 卵を食べることが できます 私達は卵を食べません あなたは肉 魚などを やめられるですから 卵もやめる 必要があります 全てをやめましょう 偉大な修行者は 卵に固着するべきでは ありません

私は真実を述べます 元来一貫道修行者は 卵を食べませんでした あなたの師祖に お尋ね下さい 師公 師母も 卵を食べて いたかどうか 前の世代とその後の世代の人に 卵を食べるかどうか 聞いて見て下さい 彼らは食べていません これは初心者に 便宜を与える方法です

一貫道は 元々は 卵を食べませんでした ただ初心者が 便利なように 外出の時や ルールを守れない 状況におかれた場合 卵を食べることを 許したのです もう食べないことです 卵も命があります 雄の性質がなくても 半分の生命を含みます 陰陽が結合していない もののやはり陽か陰が 中にあるのです そこでそれを食べると 殺生は免れません 妊婦は印心を 受けられますか

ええ 受けられます ただ座る時 自分が楽な姿勢で 座ればいいです 不便を感じないような 姿勢で座ればいいです

彼は昨夜 マスターの 経の講義を聴いてから 帰る時 目の前に 大きなクモが 現れたそうです 何回も同じことが 起きたそうです これはどういう意味か 教えて頂けますか クモですか とても大きいクモです たぶん「西遊記」を たくさん 見過ぎたからでしょう

幽霊を見るよりクモを 見る方がましでしょう クモも一種の動物で 善良な境界を 象徴します 印心後仏陀を見て 仏陀になるのが もっといいです これはクモを 見るよりましです 聖書に イエスは再び戻って この世界を審判すると 書いてあります これについて どう思いますか その可能性はあります 昨日私も言ったように 私達が彼の再臨を 望むのであれば 少しでも事前に準備し 浄化した方がいいです 私達は皆内面に 神が宿る寺院や教会の ようなもので これを 清潔にしなければ なりません 教会を清潔にしてこそ イエスキリストは 来てくださるのです さもないとイエスは 再び戻ってきて 十字架に磔に なりたくないでしょう 彼はたった三年間 説法しただけで 十字架に磔に さられました

あえて誰が来ますか 来ても無駄です 時間の浪費です イエスが来るかどうか 私達次第です 来るのを望むとしたら よき友人や お客のように 迎えるべきです 家をきれいに掃除し 少し飾ったり 素敵にペンキも塗り 香水もかけたり お花も供えるべきです 人々がイエスを 歓迎してこそ 彼は来てくれます でないと 誰が来ますか 阿耨多羅三藐三菩提は どんな境界ですか 神のこと すなわち 最高のレベルです あなたは定まった カルマ(報い)は 変えられないと 言いました  

肉屋は どうなりますか 毎日動物を殺してます 職業を変える べきですか 変えるべきです この世界には高貴な 職業が沢山あります 生計のために 殺生してはいけません 私達によくないです すでに仏 法 僧 三法に帰依した場合 観音法門の修行に 妨げとなりますか いいえ なりません より順調です 私が速く 仏陀を見て 浄土を見るように 手助けします 妨げとなるなんて 論理に 合いません 修行するには結婚した 方がいいですか 独身がいいですか

どっちでも 自分に合った方で いいと思います 私が決めることは できません 人は それぞれ違うからです ある人は寂しい生活に 耐えられます ある人は とても自立していて 自分自身の面倒を 見ることができます 彼らは 夫や妻がいなくても 平気です 冬でも夏でも いつでもいいのです ある人は周りに 友人や日々の生活の プレッシャーや 良い事も悪い事も 分かち合い分担する 人がいて欲しいのです こうすると彼らは 居心地がいいのです 自分にとって 良いものを選択します ある人は 世俗を捨てて 人々に奉仕し 経典を学び 瞑想し修行する 霊修行生活を好みます 彼らにはいいのです

好きにして下さい 皆は自由です 最も大事なのは 観音法門を修行し 戒律を守り 善き人になり 善き 市民になることです 呪文を唱える意味は 何ですか なぜ呪文を唱えると 不思議なパワーが 現れるのですか 呪文は 超世界の言葉です 呪文を唱えると 内面の智慧が変わり 私達の見方が 違ってきます だから不思議な 現象を見るのです 私達が不思議な 現象を見ることは 呪文を唱えたから ではなく私達の目が 少し開いたから 見えるのです あらゆる不可思議な事 美しい世界 神秘的な世界は 元々あるものです 修行してから 自分で少しずつ それを探検します 私達は 生まれたばかりの時は 小さい赤ちゃんでした 美しい女性のことも 知らずハンサムな 男性も分りません チョコレートも アイスクリームも ダイヤモンドも 金も分りません でもそれらは 元々存在するものです

それらは私達の 目の前に おいてあろうと 後ろにおいてあろうと 分かりません 宮殿に住んでいても 私達には無意味で 小屋に住んでいても 私達はやはり 分からないのです 成長すると徐々に 分かってきます わあ 色々あるんだな アイスクリームも チョコレートも飴も ビスケット 美女 ハンサムな男性なども 開悟したマスターに 呪文を 伝授されると より効果があり より力強いです これは私達が 何かの呪文を 唱えたいとき 法師に加持して もらうのと同じです するとその呪文は 前より力強いのです

従って私が 教えた呪文法を 皆さんが唱えると もっと力強く 助けになります 呪文を唱えると 私達の智慧が発展し 宇宙のいろんな隅を 見ることができます それらは現れたと 思いがちですが すでにあるものです 最初からあるのです 懐中電灯を持って 物事を照らすと それらが見えるのと 同じです 実はそれらのものは すでにあるものです 以前は懐中電灯が なかったので 見えなかったのです 呪文を唱えて 智慧を発展させもっと 見えるようにします

私には最高の 呪文があります

何人かの人が 観音菩薩は 男性かそれとも 女性かと聞いています 時には男性で 時には女性です 本々彼は 男性でも女性でもなく 慈悲の化身でした

仏教の法華経の 普門品に 観音菩薩は 男性の姿で 救う必要がある時 男性として現れ 僧侶の姿で衆生を 救う必要があるとき 僧侶として現れ 尼僧の姿で衆生を 救う必要がある時 尼僧として現れ バラモンの姿で 衆生を救う必要が ある時バラモンの 姿で現れるとあります 私達は様々な姿で いろんな所に現れる 観音菩薩を 見ることができます 観音菩薩の化身の 加護のない宗教は 存在しません 従って他の宗教を 中傷することは 観音菩薩を 中傷することです 二時間半の瞑想の中で 私達には 何が見えますが イエスを見るとしたら 彼と話していいですか いいです

イエスを見るには 私達の心とレベルが 彼のレベルと同じで なければなりません 私達の心が 楽であれば 彼は長く留まり 私達を連れて遊び いろいろ真理について 説明してくれます この世界ではそれを 聴くことができません 言葉では 理解できません 従って本当にイエスに ついて学びたければ 観音法門を 修行してください 彼に会い 彼と繋がってこそ 彼に真理を教えて 頂くことができます 内面で学ぶことが 一番安全です

誰も彼の教えを 何度も変えたり あちこち修正したり 間違えることは ないからです 出家した人は 見るからにとても 和やかで優しく 人の気持ちを よく理解してくれて 面倒見もいいですが なぜ結婚できませんか 元々出家者とは 結婚しないことを 意味します 軍人の責務は 国を守ることで 海軍航海士の責務は 船を操縦することです 空軍の場合は 彼らの責務が空の 業務であるのと同じで 出家して修行する人は 結婚してはいけません

結婚したければ 出家しないで 家にいればいいのです こういうことです

出家修行者が 結婚することは いけなくはないですが だとすると なぜ出家者に なるのですか こういうことです

結婚することは 間違いではありません ただ昔から 出家修行者とは 家族を捨てて その愛を 捨てることです

法(真の教え)を 学び もっと多くの時間を 経典の研究に当て それで人々を 助けるためです これが嫌なら 僧侶になっても 結婚してもいいです それを非難したり 中傷しないことです

人はそれぞれ違います 人が何をしようと 構いません 大した ことはありません 観音法門を修行して 戒律を守り 人を傷つけなければ それで十分いいのです

出家してもよく 在家でもいいのです 彼はすでに洗礼を 受けていますが 印心できますか できます まったく構いません 大丈夫です 洗礼を受けたままで いいです 印心を受けて 毎日二時間半瞑想し 教会に行って神と イエスを賛美します それから 瞑想するとイエスの ことがより良く分かり もっと彼を尊敬し よく分かります またもっと神を理解し 神と意思疎通し 神にもっと近づく だけです 私は皆さんに 仏教徒になるように 教えてはいません キリスト教もよく カトリックも 大変いいです 私もイエスを 大変崇拝しています 私も善きカトリック 教徒です 彼はマスターに 毎回経の講義が 終わった後すぐ時間を 割いて印心を与えて もっと多くの衆生が 開悟できるように できないかと聞きます いいでしょう ただそんなに早くは できません

静かな場所を借りて 印心を求める人に 与えなければ なりません 明日は日曜日で 九時から 印心を始めますので 時間通り来て 印心を受けて下さい 他に条件はありません 真理を求めるとしたら 真剣になるべきです

ある人が 心を空にする 瞑想をしていますが 魔に邪魔されても その瞑想を続けるべき かと聞いています

そうです 心を空にすることは 簡単ではありません だから私は 観音法門は最も安全な 法門だと言います 魔に取り付かれません 私は真剣にこれを 考えたのです 私達は 元々心は 大変乱れています いきなりそれを空に することはできません 心を空にする方法を 見つけることです

空を望むと空になる 訳ではありません すでに 気が散っているのです 私はそれを空にする 方法を知っています 頼りになる法門を 提供します それから私の力が あなたを守ります 魔の力も とても大きいです 誰か修行しようと する人をみると 魔は妨害します 皆が行ってしまうと コントロールする 相手がいなくなるのを 魔は恐れています 皆が開悟すると 自分を 崇拝する人が いなくなるのです すると魔は飢えて 権力もなくなります だから魔は修行者を 妨害するのです だから修行者には マスターが必要です 一人のマスターは 遍在し あなたが どこにいようと 守ることができます あなたがどこで 祈っても 彼には聞こえます 彼は何でも見えて あなたの全ての需要を 知っていて 二十四時間守って いなければなりません

あなたに心を空に することを教えると すぐに空になる 訳ではありません 魔が来たら どうしますか

彼は瞑想する時 頭がふらふらして 居眠りしやくなると 言っています どうしたらいいですか すぐ立って シャワーを浴び

運動してください ヨガや 太極拳をすると よくなります 深呼吸を数回した後 このように マッサージしてから また座ってください

善意の嘘も 嘘と言えますか 場合によります 時々私達は善意だと 思っても人を傷つける こともあります その善意が 人を守るためであれば 大丈夫だと思います 彼は なぜ生きた仏陀は 全世界の人々が見て 信じるように 空中に現れないのかと 聞いています そうです 私も自問しました 私が空から降りて 空中に留まると 皆は心臓発作を 起こすでしょう または何かで私を撃ち

落とすかもしれません 鳥と間違えて あんな大きい鳥は見たことがないと 言って さっそく打ち落として みようとするでしょう 危険です 命を賭ける ことになります 普通にしていても 多くの問題があります ましてや普通でないと なお更です 分かりますか 私は 人に 知られないように 静かにやっているのに 問題が沢山起こります 大きな声で言い出すと なお更問題になります 昨日私が光ってるのを 見た人がいますが それでどうなりますか 何も変わりません 私を信じる人は 依然として余りおらず 私が光を発してるのを 見た人さえ私を 信じるとは限りません 夢のような話しです

皆さんは仏菩薩を 長い間騙してきました 「仏菩薩が こうしてくれれば 私は信じます」と 言ってはそうしません 皆は奇跡や 神秘的な現象が 好きなだけで 正しい修行の概念は 好きではありません 仏陀は奇跡を使って 人々を引き付けて 人の信仰に介入する ような事はできません その代わり 人々の内面の智慧に 解脱の法門を教える 許可を得なければ なりません 仏陀は人に 強要できません 私は皆さんの 許可を得た状態で 法門を伝授します 皆さんが許可せず 内面で抵抗すれば 印心の時 何の 体験も得られません 分かりますか 私は神通力で皆さんに 強要できません

許されるとしたら イエスは とっくにそれをし 釈迦牟尼仏も 釈迦牟尼仏も とっくにそれをして 観音菩薩もとっくに それをしたでしょう 正しい道ではないです 私達は独裁者ではなく 仏菩薩は独裁者では ありません 独裁者は人を コントロールします 私達は違います 私達は催眠術師でも ありません アブラカダブラと 唱えて皆を混乱させて その隙に 皆を天国に連れて 行くのもいいですが 皆の心は 変わっていません 天国行って タバコを吸い お酒を 飲み カラオケへ行き 賭博したくなったら どうしますか

心から願ってこそ いいのです 仏菩薩が アブラカダブラと 唱えて 奇跡を見せても 後で一晩寝たら すっかり忘れます 次の日 やるべき事が 山積みになっていて 昨日仏陀が来たことも 忘れてしまいます これは本当です 人間の心と 体を混乱させる力は とてつもなく 大きいです 私達が心から 自分を変えたいと 求めなければ仏菩薩も 何もできません 分かりますか 私達は 本当に理解し 本当に分って 本当に 解脱を求めることです

大悲呪経を唱えると 何がいいですか 大悲呪経に仏菩薩の 名前が連なっている のは何の意味ですか 念仏と同じです 念仏は 私達よりも偉大な 存在がいることを 私達に 悟らせてくれます それだけのことです 殺生はいけないですが 人間に害を及ぼす 害虫や動物は どうしたらいいですか それらは処理できます しかし私達はカルマ (報い)を背負います

人間に害のない 大きい動物を殺すと 重いカルマ(報い)になります 他に方法はありません 私達は自分の命で 償うことになります

すぐにカルマを 消す方法はありません

神は最も 慈悲深く優しいのに なぜ人はここで 苦しんでいますか 私達が苦しいのは 自分の過ちからです 私は前にもいいました 私達が神を崇拝し よい事だけをすれば 皆が平和で 全て神の意思に 従ってやるでしょう すると苦しみは どこからきますか 私達が互いに 殺し合い 競争し 悪い雰囲気を 作るのであれば これは神のせいでは ありません 神はそのように 教えていません 私達が神の言う事を 聞かないからです 子供が親のいう事を 聞かないため 親も手をやいて いるのと同じです 親は私達に 外へ行って殺したり 盗んではいけないと 教えてもそれをします それで警察に 捕まっても 親が無慈悲だとは 言えません 私達がそのような 状況を作ったのです

キリスト教では 紀元二千年は世界の 終末だと言っています マスターは どう見ていますか 毎日が終末だと 私は思います 毎日人が 死ぬからです 私達にとって それは世界終末です 死んだら世界は何の 意味もありません

毎日誰かが死んで その人にとっての 終末を恐れないで 世界終末を 恐れています もしかしたら明日が 私達に取っての世界 終末かも知れません 死んだら 世界は終わりです 速く自分を救い 他の世界を見つけて 下さい 明日まで 待たないことです
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